それなりに年をとった。
とは言え、まだ「死」について差し迫って考えるほどではないのだが、それでもこの年になると、さすがに直接の友人知己の死に、何度か向き合うこともある。
先日、昔の友人の墓参に行った。
昨年末に訃報を聞いていたのだが、お墓ができたと知り、動けるときにともかく行った。
彼とは学生時代の演劇サークルで同学年だった。
卒業後ほとんど交流は無かったが、彼のことはよく覚えていた。
ともに一つの演劇を作り上げるというプロセスは、役者スタッフ含めてかなり濃密な時間を共有することになるので、もう長い長い時間が流れてしまった今でも、当時の記憶は鮮明だ。
ニコニコといつも穏やかに笑う、人当たりの良い彼だった。
きっと家族に恵まれた人なんだろうなと、勝手に思ったりもしていた。
その彼が、症例の少ない難病にかかり、発病から五年で亡くなったという。
闘病中も彼らしい明るさを保って、周囲を楽しませていたという話を伝え聞いた。
そうか、彼は持ち前の人柄を、筋金入りの強さまで練り上げて逝ったのだなと、手を合わせるような気分になった。
彼や私が二十歳前後を過ごした街にある墓地の一角で、彼が好きだったドラえもんの小像が添えられたお墓を参りながら、できることなら自分も死に直面した時に、それをネタに冗談を言えるくらいの心は持っていたいと思った。
たとえば医者や家族に癌を告知されたら、ベタだけど「ガーン!」と答えるとか。
そういえば最近、昔読んだ本を久々に読み返していた。
●「大河の一滴」五木寛之(幻冬舎文庫)
初めて読んだのは初版が発行されて間もない頃。
私はまだ二十代で、仏教や諸宗教についてぼちぼち自分なりに学び始めていた頃だった。
そんな中で五木寛之の「日本幻論」に出会い、自分の家の宗派である浄土真宗の、とくに蓮如という人物にあらためて関心を持ち始めていた。
今この「大河の一滴」を読み返してみると、ほとんど始めて読んだ本のような印象を受ける。
おそらく、自分のものの感じ方が二十代に読んだ頃とはかなり違っており、面白いと思う箇所がスライドしているからだろう。
これからもきっと、読み返すたびに印象を新たにし、そのたびに「死」を思い、本とともに年を重ねていけそうに感じる。
そんな一冊だ。