2011年05月29日

夕闇せまる窓際で

(昨夜以降、けっこう加筆)

 最近、夕暮れ時になると、なんとなく学生時代に憶えた「寮歌」を口ずさんでいる。

 私の母校は当時創立二十年ぐらいの、まだまだ新興ではあるが一応私立の受験校だった。
 創立者の園長先生が、自分が青春時代を過ごした旧制高校に非常に思い入れのある人で、その校風を再現しようと努めた学校だった。
 当時はまだ私立の受験校としては中堅と言ったところで、エリート校と言うほどではなく、その分きつい生徒指導と留年基準で締め上げて学習効果を上げる方針をとっていた。
 その結果、当時ですら非常に時代錯誤な、今から考えると驚きを通り越して失笑してしまうような指導が行われていた。
 漫画「魁!男塾」の連載開始当初には、あのファンタジックな内容が「あるあるネタ」として仲間内では盛り上がっていたし、ずっと後になって北朝鮮のTV番組が日本で紹介されるようになった時には、昔の仲間で飲んでいる時に「あれ見ると、なんか懐かしい気分がするな」と語り合ったりするほどだった。
 教師による生徒への体罰は日常茶飯事だった。
 私は今でも感覚が狂っていて、新聞雑誌で「教師の不祥事」として報道される体罰事件の99パーセントは「こんな些細なことがニュースになるのか」と感じてしまう。
 しかもほぼ男子校(女子も少しだけいた)だったので、巷にあふれる青春物語等とはほぼ無縁な学生生活で、もっと昔の、それこそ旧制高校時代に青春時代を過ごした作家の青春記の方が、かえって共感できたりした。
 たとえばこんな本。


●「どくとるマンボウ青春記」北杜夫(新潮文庫)

 そんな学生時代であったので、毎年留年の危機を繰り返しながらなんとか辿りついた卒業式で、一番に感じたことは、わが師の恩でも友との別れでもなく、抑えようもなくこみ上げてくる「解放感」だった。
 私は成績別クラス編成で最下位のクラスにずっと所属していたので、学年が終わるごとに2〜3人の友人が学校を去って行った。
 死屍累々の中、なんとか卒業にこぎつけたので、実感としては「卒業」というより「出所」に近かった。
 「お勤めごくろうさまです!」と一声かけてほしいところだった。

 あれから年月が流れて、恨みつらみが大方洗い流された今となっては、世話になった先生方、面倒をかけた先生方に感謝の念はある。
 英語のY先生、やる気がなくてすみませんでした。
 あなたのせいで英語は苦手になりましたが、授業以外の部分でいつも気にかけてくださったことは、今でもよく思い出します。

 私はそうそうに勉学の方には見切りをつけ、留年しないようにギリギリの線は保ちながら、もっぱら絵を描いていた。
 受験校だったのだが、学年に一人ずつぐらいは音楽や美術を志望する変わり種が紛れ込んでいて、私もそうした生徒だった。
 所属がほぼ一人だけの美術部で、毎日校舎最上階のすみっこにある小さな部室にこもって、デッサンしたり本を読んだりしていた。
 窓の外を眺めると、夕暮れの山の端に、応援団の歌う「寮歌」がこだましているのが聞こえたりしていた。
 勇壮な校歌や応援歌も歌っていたが、私は断然、哀調を帯びた寮歌が好きだった。
 私自身は寮生ではなく自宅通学だったのだが、かつて旧制高校の学生を表現した「バンカラ」という言葉の空気を伝える寮歌に心ひかれていた。
 
 校歌が「先生に無理矢理覚えさせられ、歌わされた」ものであるのに対し、寮歌は「耳にするうちにふと口ずさみ、いつのまにか好きになった」ものであることも、大きかったと思う。
 聞いたところによると、十代から二十代にかけて「ビートルズが嫌いな若者」が一定数存在するという。理由は「英語の時間に無理矢理覚えさせられ、歌わされたから」だということだ。
 自分から歌を口ずさむには、まずその歌が音の風景として流れており、それが好ましい空気として自然に認識されるのが一番良い。
 何かの歌を嫌わせるのに最も効果的な方法は、有無を言わさずに無理矢理歌わせることだと思う。

 ダン、ダン、ダンダンダン……

 叩きつける大太鼓とともに流れてくる寮歌の蛮声。
 私もそれにあわせて、よく口ずさんでいた。
 創立者である園長先生が、自分の母校の寮歌をそのまま引き継いだというその歌は、昔の旧制高校生の大先輩が作ったものと伝えられていた。
 昔から、せっかく勉学のために入った学校で、少しわき道にそれてしまう先輩方がいたのだなと、思わず嬉しくなってしまう伝説だった。
 上掲「どくとるマンボウ青春記」にも、寮歌に触れた部分があったと記憶している。
 もう十年以上読んでいないので記憶は不正確かもしれないが、たしか「どんな音痴でも寮歌だけは歌える」というような内容があったと思う。
 寮歌が音痴でも歌えるのには、二つ秘密がある。
 音痴には「リズム音痴」と「音程音痴」があるが、寮歌の場合は力任せに叩きつける大太鼓で、リズムは強制的に補正される。また、声を限りの蛮声による絶唱合唱なので、こまかいメロディの間違いなどは気にならない。
 結果として、「寮歌なら歌える」という現象がおきる(笑)

 寮歌を聴くのに良い音源がないかと、amazonで物色してみたら、こんなのがあった。



 プロの歌手がちゃんとした伴奏つきで歌ったCDが多い中、これは民族音楽で言うところの「現地録音」に近い状態のようだ。
 寮歌は、歌い手があまり達者だと雰囲気が出ない。
 下手糞な蛮声がやっぱり望ましい。
 ちょっと値が張るのが思案どころ……
 
 風の便りによれば、懐かしの我が母校は、今はもうすっかり普通の校風になってしまったと聞く。
 時代には全く合わなくなったであろうあの「寮歌」は、今でも歌い継がれているのだろうか?
posted by 九郎 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする