しばらく記事更新なしで来てしまいました。
七月にもなったことだし、今月はなんとか書いていきたいと思います。
とは言え、もう九日か……
ロゴflashはすっかり暑くなったので、海と船のイメージで。
先日、当ブログ「縁日草子」のアクセス解析を見ていて、リンク元の検索結果の中から面白い新ブログを見つけてしまいました。
電気仕掛けの胎蔵界曼荼羅を描いてみるブログ
タイトルどおり、真言密教の胎蔵マンダラをCGで描き進めていくことを目的としたブログのようです。
言葉で説明するとごく簡単なのですが、曼荼羅の中でも最大級のものの一つなので、そこに描かれる神仏も膨大な数に上ります。
私を含めて仏画を描こうと志した者はみな、一度は大曼荼羅を描くことにあこがれると思いますが、困難さで言えば相当なレベルの、ある意味「修行」そのものになるため、実行に移せる人はそう多くありません。
上掲ブログの凄いのは、開設以前に既に一年以上かけて「最外院」と呼ばれる外周部分を完成なさっているところ。
これだけでも、本当にとんでもなく凄いことなのです!
現在は完成させた最外院の神仏をほぼ毎日部分に分けて紹介なさっていますが、たぶん並行して次の制作を続けておられるのでしょう。
見ているだけでワクワクしてきたので、管理人さんの許可を得て、当ブログでも紹介させていただくことになりました。
私は自分の制作や記事投稿を優先させるため、他の方が運営なさっているブログとはほとんど交流していないのですが、今回は特に稀有壮大な心意気にエールを送る意味で、紹介します。
関心のある人はぜひ一度、のぞいてみてください。
2011年07月09日
2011年07月14日
夏休みの工作に「鉄甲船」を!(復刻版)
(誤って削除してしまった記事をキャッシュで見つけたので再録)
ホームセンターが好きなので時間があれば立ち寄る。
そろそろ夏休みが近いので、工作キットの類もけっこう並んでいる。
ふと視線が吸い寄せられたのが、↓これ。
●「海賊船自由工作組立キット」(海洋ものがたり)
よくある子供向けの木工セット。
夏の工作はやっぱり船だ。
船型の板にゴム動力のスクリュー、各種端材、シール、ボンド、ペーパーをひとまとめ。
ぶっちゃけ、この手のセットはあまりもの素材の詰め合わせみたいなのが多く、そのわりにはさほど安くない(このセットは1300円)のだが、かたいことは言わずに気楽に工作を楽しみましょう。
店先でセットを手に取り、完成見本をじろじろ眺めることしばし。
「これ、材料買い足したら、信長の鉄甲船にならんかな?」
そう思いついてしまった。
もちろん、リアルな模型にはなりようがないが、ちょっと試しに遊んでみるには良いかもしれない。
ということで、夏休み最終日の8月31日までに、この工作キットをベースに信長の鉄甲船(のようなもの)を作ってみることにします。
鉄甲船については、いずれがっちりした模型も作ってみたい希望はあるのですが、それはまあいつの日になるやらわからないので、とりあえず気楽に工作を。
なるべく手間をかけずに。
なるべく簡単に。
作って行く過程でたぶん「鉄甲船とは何か? どうしたら鉄甲船に見えるか?」というテーマに直面することになるので、資料集めや頭の整理の良い機会になってくれることを、自分自身で期待しています。
実際に制作するのはたぶん8月後半になると思いますが、制作過程が順次記事にしていくつもりです。
ついでに、縁日草子の読者の中に、小学生の子供を持つお父さん方がもしいるならば、参考になれば幸いです。
工作を手伝わされる場合には、自分の趣味の方に引っ張ってみるのも一つの手ですよ(笑)
普通に組み立てて海賊船にする場合は、この記事を参照してください。
ホームセンターが好きなので時間があれば立ち寄る。
そろそろ夏休みが近いので、工作キットの類もけっこう並んでいる。
ふと視線が吸い寄せられたのが、↓これ。
●「海賊船自由工作組立キット」(海洋ものがたり)
よくある子供向けの木工セット。
夏の工作はやっぱり船だ。
船型の板にゴム動力のスクリュー、各種端材、シール、ボンド、ペーパーをひとまとめ。
ぶっちゃけ、この手のセットはあまりもの素材の詰め合わせみたいなのが多く、そのわりにはさほど安くない(このセットは1300円)のだが、かたいことは言わずに気楽に工作を楽しみましょう。
店先でセットを手に取り、完成見本をじろじろ眺めることしばし。
「これ、材料買い足したら、信長の鉄甲船にならんかな?」
そう思いついてしまった。
もちろん、リアルな模型にはなりようがないが、ちょっと試しに遊んでみるには良いかもしれない。
ということで、夏休み最終日の8月31日までに、この工作キットをベースに信長の鉄甲船(のようなもの)を作ってみることにします。
鉄甲船については、いずれがっちりした模型も作ってみたい希望はあるのですが、それはまあいつの日になるやらわからないので、とりあえず気楽に工作を。
なるべく手間をかけずに。
なるべく簡単に。
作って行く過程でたぶん「鉄甲船とは何か? どうしたら鉄甲船に見えるか?」というテーマに直面することになるので、資料集めや頭の整理の良い機会になってくれることを、自分自身で期待しています。
実際に制作するのはたぶん8月後半になると思いますが、制作過程が順次記事にしていくつもりです。
ついでに、縁日草子の読者の中に、小学生の子供を持つお父さん方がもしいるならば、参考になれば幸いです。
工作を手伝わされる場合には、自分の趣味の方に引っ張ってみるのも一つの手ですよ(笑)
普通に組み立てて海賊船にする場合は、この記事を参照してください。
2011年07月21日
夏休みの工作に信長の「鉄甲船」を!
誤って記事を一つ消してしまった(泣)
せっかくをコメントをくださったtenjin95さん、ごめんなさい!
というわけで、本来は続きの記事なのだが簡単に経緯を説明しておく。
よく行くホームセンターで夏休みの工作セットのコーナーに視線を吸い寄せられた私は、その中に海賊船を作ることができるものを発見。
ふと、「これをベースに信長の鉄甲船を作れんかな?」と思い立つ。
鉄甲船はいずれがっちりした模型で再現してみたいのだが、それはいつの日になるか分からないので、まずは気楽に「夏休みの工作」で。
世のお父さん方も大注目の工作「鉄甲船」物語、始まり始まり!
実際の工作にはまだ入れないのだが、まずは組み立てキットのセット内容を確認。
●「海賊船自由工作組立キット」(海洋ものがたり)
船体に使う船型の木材と、ゴム動力のスクリュー、各種端材、ペーペー、ボンド、ビニールシート、各種シールがセットになっている。
作例では海賊船、漁船、タグボートの作り方が解説書に掲載されており、どれもなかなかかっこよくて、私の中にいまだに残留する小学生マインドを刺激される。
ノコギリを使用する局面もあるが、本格的なものではなくノコギリ状のカッターで十分間に合う。まず小学生高学年なら自力で完成できるだろう。
セットの箱の裏面を、参考画像として紹介しておく。
完成品を飾るだけならとくに問題はないが、実際に水に浮かべて走らせたいなら、いくつか注意点がある。
まず、ペーパーがけの問題。
木材なので、木口(切り株の年輪が見える面)にあたる所は、念入りにペーパーがけをしておこう。そのままだと着色や接着、ニス仕上げのときにギザギザして汚くなる。
その時、ペーパーを持って本体をこすってもなかなからちが明かない。
机にペーパーを敷き、本体の方を持って削るか、ペーパーを角材に巻きつけて使うと、面がはっきり出ていい感じになる。
この辺りは大人が実演してみせると、子どもは素直に感心して尊敬してくれたりする(笑)
三十代から四十代男性の中に星の数ほど存在する元ガンプラ少年の皆さん、腕の見せ所ですよ!
次にボンドの問題。
通常手に入り易い木工用ボンドは、使い易くて強度もあるのだが、残念ながら耐水性はない。
乾燥後も長時間水に浸かると、外れてしまうことがある。
このセットの場合は、直接水に浸かるのは主に船体ベースの部分なので、たっぷりボンドをつけて強力に接着すれば、20~30分水に浮かべる程度なら耐えられると思う。
完成後にラッカースプレーで仕上げをすれば、多少耐水性は上がる。
スプレーについては後述。
次に、絵の具の問題。
通常の水彩絵の具やポスターカラーだと、当然ながら乾燥後も水に溶けるので、透明ニス仕上げをしなければならないが、文具店やホームセンターで手軽に入手できる透明ニスの大半は、耐水性ではない。
一番手っ取り早いのは、クリアーのラッカースプレーで仕上げることだが、有機溶剤使用のスプレーなので、小学生が作る場合はここでもお父さんの出番になるだろう。
ペンキや模型用塗料、アクリル絵の具ならニス仕上げはパスしてもいいが、木工用ボンドの耐水性の問題もあるので、一応ラッカースプレーを吹いておくのがお勧め。
そのまま作っても夏休みの工作としては十分成立するだろうが、当ブログではなんとか「鉄甲船(のようなもの)」をでっち上げるのが目的だ。
工作の土台になる船型の板は、以下のような形状になっている。
かなりいい加減な図面だが、1センチの升目をとってあるのでサイズの参考にしてほしい。
一応、このベース木材はこのまま使用する方針でいく。
工作でもプラモでも、または創作作品にも言えることだが、あまりに理想を追いすぎると永遠に完成しなくなる。
性格的に几帳面で完璧主義者であることは、悪い方に働くと「結局なんにも完成しない」という結果につながる。
手持ちの材料をなるべくそのまま使い、ある意味「手を抜き、楽をする」ことが作品の完成には必要だ。
戦国軍船を特徴づける箱型の矢倉をこのベースの上に乗せるわけだが、それを何で作るかが思案のしどころだ。
鉄甲船だから実際に鉄で作る方法もある。
薄手のスチール製の空き缶を金切り鋏で切り開いて使用すれば、重量の問題はなんとかなりそうだが、子どもに勧めるにはちょっと難易度が高い気もする。
夏休みの工作っぽくするなら、割り箸やマッチ棒、竹ヒゴなんかも使い易い。
昔は「アイスの棒」なんかも集めたが、最近はセットで売っているのでそれを買ってもよい。
●「スティックブロック」
今後、鉄甲船そのものの資料整理をしてから、八月後半には制作開始する予定。
普通に組み立てて海賊船にする場合は、この記事を参照してください。
追記:8月22日から、鉄甲船工作開始!
せっかくをコメントをくださったtenjin95さん、ごめんなさい!
というわけで、本来は続きの記事なのだが簡単に経緯を説明しておく。
よく行くホームセンターで夏休みの工作セットのコーナーに視線を吸い寄せられた私は、その中に海賊船を作ることができるものを発見。
ふと、「これをベースに信長の鉄甲船を作れんかな?」と思い立つ。
鉄甲船はいずれがっちりした模型で再現してみたいのだが、それはいつの日になるか分からないので、まずは気楽に「夏休みの工作」で。
世のお父さん方も大注目の工作「鉄甲船」物語、始まり始まり!
(以上、削除してしまった記事のあらすじ)
実際の工作にはまだ入れないのだが、まずは組み立てキットのセット内容を確認。
●「海賊船自由工作組立キット」(海洋ものがたり)
船体に使う船型の木材と、ゴム動力のスクリュー、各種端材、ペーペー、ボンド、ビニールシート、各種シールがセットになっている。
作例では海賊船、漁船、タグボートの作り方が解説書に掲載されており、どれもなかなかかっこよくて、私の中にいまだに残留する小学生マインドを刺激される。
ノコギリを使用する局面もあるが、本格的なものではなくノコギリ状のカッターで十分間に合う。まず小学生高学年なら自力で完成できるだろう。
セットの箱の裏面を、参考画像として紹介しておく。
完成品を飾るだけならとくに問題はないが、実際に水に浮かべて走らせたいなら、いくつか注意点がある。
まず、ペーパーがけの問題。
木材なので、木口(切り株の年輪が見える面)にあたる所は、念入りにペーパーがけをしておこう。そのままだと着色や接着、ニス仕上げのときにギザギザして汚くなる。
その時、ペーパーを持って本体をこすってもなかなからちが明かない。
机にペーパーを敷き、本体の方を持って削るか、ペーパーを角材に巻きつけて使うと、面がはっきり出ていい感じになる。
この辺りは大人が実演してみせると、子どもは素直に感心して尊敬してくれたりする(笑)
三十代から四十代男性の中に星の数ほど存在する元ガンプラ少年の皆さん、腕の見せ所ですよ!
次にボンドの問題。
通常手に入り易い木工用ボンドは、使い易くて強度もあるのだが、残念ながら耐水性はない。
乾燥後も長時間水に浸かると、外れてしまうことがある。
このセットの場合は、直接水に浸かるのは主に船体ベースの部分なので、たっぷりボンドをつけて強力に接着すれば、20~30分水に浮かべる程度なら耐えられると思う。
完成後にラッカースプレーで仕上げをすれば、多少耐水性は上がる。
スプレーについては後述。
次に、絵の具の問題。
通常の水彩絵の具やポスターカラーだと、当然ながら乾燥後も水に溶けるので、透明ニス仕上げをしなければならないが、文具店やホームセンターで手軽に入手できる透明ニスの大半は、耐水性ではない。
一番手っ取り早いのは、クリアーのラッカースプレーで仕上げることだが、有機溶剤使用のスプレーなので、小学生が作る場合はここでもお父さんの出番になるだろう。
ペンキや模型用塗料、アクリル絵の具ならニス仕上げはパスしてもいいが、木工用ボンドの耐水性の問題もあるので、一応ラッカースプレーを吹いておくのがお勧め。
そのまま作っても夏休みの工作としては十分成立するだろうが、当ブログではなんとか「鉄甲船(のようなもの)」をでっち上げるのが目的だ。
工作の土台になる船型の板は、以下のような形状になっている。
かなりいい加減な図面だが、1センチの升目をとってあるのでサイズの参考にしてほしい。
一応、このベース木材はこのまま使用する方針でいく。
工作でもプラモでも、または創作作品にも言えることだが、あまりに理想を追いすぎると永遠に完成しなくなる。
性格的に几帳面で完璧主義者であることは、悪い方に働くと「結局なんにも完成しない」という結果につながる。
手持ちの材料をなるべくそのまま使い、ある意味「手を抜き、楽をする」ことが作品の完成には必要だ。
戦国軍船を特徴づける箱型の矢倉をこのベースの上に乗せるわけだが、それを何で作るかが思案のしどころだ。
鉄甲船だから実際に鉄で作る方法もある。
薄手のスチール製の空き缶を金切り鋏で切り開いて使用すれば、重量の問題はなんとかなりそうだが、子どもに勧めるにはちょっと難易度が高い気もする。
夏休みの工作っぽくするなら、割り箸やマッチ棒、竹ヒゴなんかも使い易い。
昔は「アイスの棒」なんかも集めたが、最近はセットで売っているのでそれを買ってもよい。
●「スティックブロック」
今後、鉄甲船そのものの資料整理をしてから、八月後半には制作開始する予定。
普通に組み立てて海賊船にする場合は、この記事を参照してください。
追記:8月22日から、鉄甲船工作開始!
2011年07月23日
黒い背中のブルース
先日、俳優の原田芳雄さんがお亡くなりになったという。
私は原田ファンと言うには程遠いのだが、それでもいくつか心に残る作品がある。
個人的には、なんといっても映画「どついたるねん」のサジマさん役が記憶に残っている。
阪本順治監督と俳優・赤井英和のデビュー作として名高い名作なのだが、本物の関西弁で、とにかく喋ってボケたおす「動」の赤井と、「静」を担当する寡黙なボクシングコーチ役の原田が、対照的な演技で作品に深みをつけていた。
当時の私はアマチュア演劇をかじり始めていた頃で、演技と言えば何よりもまず「セリフをいれること」だと思っていた。
初歩の初歩としてはそれは全く正しいのだけれど、その段階にいる者にとっては、ほとんど何にも喋らないのに、主役クラスの存在感を示せる原田芳雄に驚愕したものだった。
この映画の時点で、原田芳雄は50歳前後だったはずなのだが、自分のトレーニングも欠かさずサンドバッグを一人黙々と打ち続けるコーチ役を、肉体まで見事に再現していた。
鍛え上げた背中だけが映し出されるシーンがあって、それがこの映画の核心部分にもなっていたと記憶している。
鍛え上げた肉体としての「背中」だけではなく、原田芳雄には「背中」を見せた演技のイメージが強くある。
少しうつむき加減であるとか、眼鏡越しの視線であるとか、何か強い感情をそのまま表情やセリフに表すのではなく、どこか「背中ごし」に表現し続けていた印象だ。
色で言えば「黒」のイメージ。
そもそも日焼けした容貌なのだが、「どついたるねん」ではその上にちょっとホームレスっぽくもある黒づくめの衣装を身に着けていて、それがまたカッコよかった。
味のあるブルースの歌い手でもあった。
私は子供の頃、アニメ「あしたのジョー2」の後半主題歌「MIDNIGHT BLUES」という曲を聴いたのがきっかけでブルース好きになったのだが、それを歌っていた荒木一郎と原田芳雄がコラボで収録したバージョンがあるのを大人になってから知った。
夜中に一人でしみじみCDを聴き込む私の頭の中では、ジョーとサジマさんがグラス片手に楽しげに歌っている映像が流れていた(笑)
原田芳雄の遺作になった映画が、現在公開中であるという。
タイトルは「大鹿村騒動記」で、主演・原田芳雄。
監督は「どついたるねん」の阪本順治。
おまけにエンディングテーマは清志郎!
ああ、絶対面白いんだろうなあ……。
あらすじをみると、300年続く農村歌舞伎がテーマになっているようだ。
私は当ブログ縁日草子をつらつら語り続けるうちに、民間宗教者や民間芸能に、いわく言い難い日本文化の最深部が存在すると認識しつつあるので、そうした面からもこの映画、注目だ。
キャストには三國連太郎の名前もある。
作品の舞台を考えると、この人が出演しているのはそれだけで非常に納得できる。
観たい。
観たい。
この「遺作」の撮影中、原田芳雄は癌との闘病中だったという。
その脳裏に、松田優作の姿が浮かんだであろうことは想像に難くない。
自分を「兄」と慕い、癌を抱えながら最後まで映画俳優として生きた年若い友人の姿を、どんな思いで回想していただろうか。
もちろん、病をおして稼業を強行することだけが、正しく美しい道というわけではない。
病状によって、人生観によっては、力を抜いてゆっくり癌とつき合ってゆく方法もあるだろう。
それぞれの人生にとって、納得できる死に方、生き方であれたかどうか、または少しでもそれに近づけたかどうかが、大切な点だろう。
衰えゆく肉体を抱えて、過酷な撮影ともただ黙々と戦い抜いた原田芳雄は、そうした生き方を選択し、全うできたのだと思う。
訃報を聴き、私が好きだった「どついたるねん」での名演を回想しながら、「ああ、あれからの二十年以上を、サジマさんは最後まで一人、背中から湯気を立てながらサンドバッグを叩き続けていたのだな」と思った。
私は原田ファンと言うには程遠いのだが、それでもいくつか心に残る作品がある。
個人的には、なんといっても映画「どついたるねん」のサジマさん役が記憶に残っている。
阪本順治監督と俳優・赤井英和のデビュー作として名高い名作なのだが、本物の関西弁で、とにかく喋ってボケたおす「動」の赤井と、「静」を担当する寡黙なボクシングコーチ役の原田が、対照的な演技で作品に深みをつけていた。
当時の私はアマチュア演劇をかじり始めていた頃で、演技と言えば何よりもまず「セリフをいれること」だと思っていた。
初歩の初歩としてはそれは全く正しいのだけれど、その段階にいる者にとっては、ほとんど何にも喋らないのに、主役クラスの存在感を示せる原田芳雄に驚愕したものだった。
この映画の時点で、原田芳雄は50歳前後だったはずなのだが、自分のトレーニングも欠かさずサンドバッグを一人黙々と打ち続けるコーチ役を、肉体まで見事に再現していた。
鍛え上げた背中だけが映し出されるシーンがあって、それがこの映画の核心部分にもなっていたと記憶している。
鍛え上げた肉体としての「背中」だけではなく、原田芳雄には「背中」を見せた演技のイメージが強くある。
少しうつむき加減であるとか、眼鏡越しの視線であるとか、何か強い感情をそのまま表情やセリフに表すのではなく、どこか「背中ごし」に表現し続けていた印象だ。
色で言えば「黒」のイメージ。
そもそも日焼けした容貌なのだが、「どついたるねん」ではその上にちょっとホームレスっぽくもある黒づくめの衣装を身に着けていて、それがまたカッコよかった。
味のあるブルースの歌い手でもあった。
私は子供の頃、アニメ「あしたのジョー2」の後半主題歌「MIDNIGHT BLUES」という曲を聴いたのがきっかけでブルース好きになったのだが、それを歌っていた荒木一郎と原田芳雄がコラボで収録したバージョンがあるのを大人になってから知った。
夜中に一人でしみじみCDを聴き込む私の頭の中では、ジョーとサジマさんがグラス片手に楽しげに歌っている映像が流れていた(笑)
原田芳雄の遺作になった映画が、現在公開中であるという。
タイトルは「大鹿村騒動記」で、主演・原田芳雄。
監督は「どついたるねん」の阪本順治。
おまけにエンディングテーマは清志郎!
ああ、絶対面白いんだろうなあ……。
あらすじをみると、300年続く農村歌舞伎がテーマになっているようだ。
私は当ブログ縁日草子をつらつら語り続けるうちに、民間宗教者や民間芸能に、いわく言い難い日本文化の最深部が存在すると認識しつつあるので、そうした面からもこの映画、注目だ。
キャストには三國連太郎の名前もある。
作品の舞台を考えると、この人が出演しているのはそれだけで非常に納得できる。
観たい。
観たい。
この「遺作」の撮影中、原田芳雄は癌との闘病中だったという。
その脳裏に、松田優作の姿が浮かんだであろうことは想像に難くない。
自分を「兄」と慕い、癌を抱えながら最後まで映画俳優として生きた年若い友人の姿を、どんな思いで回想していただろうか。
もちろん、病をおして稼業を強行することだけが、正しく美しい道というわけではない。
病状によって、人生観によっては、力を抜いてゆっくり癌とつき合ってゆく方法もあるだろう。
それぞれの人生にとって、納得できる死に方、生き方であれたかどうか、または少しでもそれに近づけたかどうかが、大切な点だろう。
衰えゆく肉体を抱えて、過酷な撮影ともただ黙々と戦い抜いた原田芳雄は、そうした生き方を選択し、全うできたのだと思う。
訃報を聴き、私が好きだった「どついたるねん」での名演を回想しながら、「ああ、あれからの二十年以上を、サジマさんは最後まで一人、背中から湯気を立てながらサンドバッグを叩き続けていたのだな」と思った。
2011年07月25日
異能の語り部 広瀬隆
孤高を保ち、独自の存在感を示しながらも、毀誉褒貶が激しい。
読む者、聴く者の感情を激しく揺さぶる能力を持つ。
受け手の首根っこを引っ掴み、ともかく最後まで話を聴かせてしまう力量を持つ。
ジャンルを問わず、そんなタイプの語り手がいる。
私はけっこうそういう癖のあるタイプが好きなので、そうした表現者と出会う度、そのほぼ全作品を手にとって贅沢な時間を過ごしてきた。
基本的に私の蔵書は「浅く広く」なのだが、その中に同じ作者の本ばかり詰まった段ボール箱のエリアが、いくつか存在する。
その一つに「広瀬隆ボックス」がある。
二十年ほど前から、全作品ではないが、広瀬隆の本は七割以上読んできていると思う。
チェルノブイリ原発の爆発事故以降に盛り上がった前回の反原発の波の中、広瀬隆は一方の旗手として広く読まれてきた。
そうした本の中に、有名な「東京に原発を!」や「危険な話」があり、私も確かこの二冊あたりから広瀬隆にハマっていった記憶がある。
どちらも福島の原発事故を受けて、現在も入手可能のようだ。
試みに手元の本を読み返してみると、今開いても内容はほとんど古くなっていない。二十年以上前の時点で指摘されていた数々の問題点がそのまま、今回のフクシマの破局へと繋がったことが再認識できる。
広瀬隆は技術職上がりのノンフィクション作家である。
今も昔も原子力の専門研究者ではないが、その分、専門バカにならずに広範な資料を集積し、現状から将来の危機を予測するシミュレーション能力に優れている。
そしてその予測結果を、素人に非常に分かり易く、感情を揺さぶる文体で表現することに異能を発揮する。
この「感情を揺さぶる」という部分が、賛否の分かれるところではある。
誤解を恐れずに言えば、「あまりに話が面白すぎる」のだ。
その異能は、80年代当時から原発推進派のヒステリックな反撃を誘発してきた。
曰く「センセーショナルに確率の低い危機を煽りたてている」、曰く「専門家でもないのに何の資格があってデマを流すのか」、挙句の果てには人格攻撃に発展し、「陰謀論者」などという根拠の無いレッテル貼りで封殺しようとする……
そして本来は同じ陣営に属するはずの反原発派からも、批判にさらされることになる。
「冷静な議論を阻害している」「データに不正確な点がある」「自然エネルギーを軽視している」等々。
しかし、下で紹介する講演動画を見れば誰もが感じられると思うが、広瀬隆本人にはことさら受けを狙ったり、過激な表現で物事を大袈裟に見せかけたりしようとする意思はないだろう。話の分かり易さ、面白さは「天然モノ」なのではないだろうか。
本の中で取り扱っている資料の見方に一部不正確な点があるのはよく指摘される。私も何度か確認したが、それで全体の論旨が破綻する程のものは無かったと理解している。
それよりも、細かな点をいくつか指摘することで、広瀬隆の論旨を全否定したがるヒステリックな批判者の心理に興味が湧いてくる。
80年代以来、3.11以降も、広瀬隆の主張はほとんど変わっておらず、そのことが「卓越した先見性」として再評価されることになった。
今のような非常時には、こういう「異能の人」の言葉にもっと耳を傾けるべきだ。
本当は普段から異能の人の意見はちゃんと聴き、最悪の想定をしておかなければならないのだけれど。
広瀬隆が今現在、繰り返し声を大にして伝えようとしている主張を私なりにまとめてみる。
●福島を中心とした汚染地域の子供たちを、一刻も早く国の責任において疎開させるべし。
●全原発を即時停止し、燃料棒を抜き取るべし。
●放射性物質は、一か所に大量にまとめてはならない。
●全原発を即時停止しても電力が不足することは無い。
●太陽光、風力よりも、ガスを中心にした火力や燃料電池をまずは推進すべし。
その主張の当否については、それぞれ直接に広瀬隆の言葉にあたってみてほしい。
まずはネットで短時間に読めるインタビュー記事。
広瀬隆特別インタビュー「浜岡原発全面停止」以降の課題
もう少し時間があるならば、一時間40分ほどの講演動画。
名うての原発推進派・鳩山由紀夫が出席しているのが謎である。「最後に会った人の意見が由紀夫の今の意見」という世評が真実味を帯びる(苦笑)
ちなみにこの勉強会の後、鳩山由紀夫は「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」などと言うアホ丸出しの代物に名を連ねている。
2~3時間とれるならば、新書版を読んでみよう。
以前から何度か紹介してきた預言の書、「原子炉時限爆弾」の内容が、実際の事故を受けて読みやすくまとめられている。
●「FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン」 (朝日新書)
読む者、聴く者の感情を激しく揺さぶる能力を持つ。
受け手の首根っこを引っ掴み、ともかく最後まで話を聴かせてしまう力量を持つ。
ジャンルを問わず、そんなタイプの語り手がいる。
私はけっこうそういう癖のあるタイプが好きなので、そうした表現者と出会う度、そのほぼ全作品を手にとって贅沢な時間を過ごしてきた。
基本的に私の蔵書は「浅く広く」なのだが、その中に同じ作者の本ばかり詰まった段ボール箱のエリアが、いくつか存在する。
その一つに「広瀬隆ボックス」がある。
二十年ほど前から、全作品ではないが、広瀬隆の本は七割以上読んできていると思う。
チェルノブイリ原発の爆発事故以降に盛り上がった前回の反原発の波の中、広瀬隆は一方の旗手として広く読まれてきた。
そうした本の中に、有名な「東京に原発を!」や「危険な話」があり、私も確かこの二冊あたりから広瀬隆にハマっていった記憶がある。
どちらも福島の原発事故を受けて、現在も入手可能のようだ。
試みに手元の本を読み返してみると、今開いても内容はほとんど古くなっていない。二十年以上前の時点で指摘されていた数々の問題点がそのまま、今回のフクシマの破局へと繋がったことが再認識できる。
広瀬隆は技術職上がりのノンフィクション作家である。
今も昔も原子力の専門研究者ではないが、その分、専門バカにならずに広範な資料を集積し、現状から将来の危機を予測するシミュレーション能力に優れている。
そしてその予測結果を、素人に非常に分かり易く、感情を揺さぶる文体で表現することに異能を発揮する。
この「感情を揺さぶる」という部分が、賛否の分かれるところではある。
誤解を恐れずに言えば、「あまりに話が面白すぎる」のだ。
その異能は、80年代当時から原発推進派のヒステリックな反撃を誘発してきた。
曰く「センセーショナルに確率の低い危機を煽りたてている」、曰く「専門家でもないのに何の資格があってデマを流すのか」、挙句の果てには人格攻撃に発展し、「陰謀論者」などという根拠の無いレッテル貼りで封殺しようとする……
そして本来は同じ陣営に属するはずの反原発派からも、批判にさらされることになる。
「冷静な議論を阻害している」「データに不正確な点がある」「自然エネルギーを軽視している」等々。
しかし、下で紹介する講演動画を見れば誰もが感じられると思うが、広瀬隆本人にはことさら受けを狙ったり、過激な表現で物事を大袈裟に見せかけたりしようとする意思はないだろう。話の分かり易さ、面白さは「天然モノ」なのではないだろうか。
本の中で取り扱っている資料の見方に一部不正確な点があるのはよく指摘される。私も何度か確認したが、それで全体の論旨が破綻する程のものは無かったと理解している。
それよりも、細かな点をいくつか指摘することで、広瀬隆の論旨を全否定したがるヒステリックな批判者の心理に興味が湧いてくる。
80年代以来、3.11以降も、広瀬隆の主張はほとんど変わっておらず、そのことが「卓越した先見性」として再評価されることになった。
今のような非常時には、こういう「異能の人」の言葉にもっと耳を傾けるべきだ。
本当は普段から異能の人の意見はちゃんと聴き、最悪の想定をしておかなければならないのだけれど。
広瀬隆が今現在、繰り返し声を大にして伝えようとしている主張を私なりにまとめてみる。
●福島を中心とした汚染地域の子供たちを、一刻も早く国の責任において疎開させるべし。
●全原発を即時停止し、燃料棒を抜き取るべし。
●放射性物質は、一か所に大量にまとめてはならない。
●全原発を即時停止しても電力が不足することは無い。
●太陽光、風力よりも、ガスを中心にした火力や燃料電池をまずは推進すべし。
その主張の当否については、それぞれ直接に広瀬隆の言葉にあたってみてほしい。
まずはネットで短時間に読めるインタビュー記事。
広瀬隆特別インタビュー「浜岡原発全面停止」以降の課題
もう少し時間があるならば、一時間40分ほどの講演動画。
名うての原発推進派・鳩山由紀夫が出席しているのが謎である。「最後に会った人の意見が由紀夫の今の意見」という世評が真実味を帯びる(苦笑)
ちなみにこの勉強会の後、鳩山由紀夫は「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」などと言うアホ丸出しの代物に名を連ねている。
2~3時間とれるならば、新書版を読んでみよう。
以前から何度か紹介してきた預言の書、「原子炉時限爆弾」の内容が、実際の事故を受けて読みやすくまとめられている。
●「FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン」 (朝日新書)
2011年07月26日
本を買って原発を止めよう
繰り返しになるが、私はここ二十年来、強硬な反原発の意見を持ってきた。
しかしその考えは、とくに2000年代に入ってから全く時流に合わなくなってきて、「CO2による地球温暖化説」などと言う単なる仮説の一つが独り歩きし、それが原発推進の理由づけに利用され、あろうことかそうした虚構が「地球環境の保全」の美名のもと蔓延する様を目の当たりにして、ほとんど諦めの境地に達していた。
90年代頃にはそれでも人に聴かれれば反原発の主張をしていたが、ここ十年ほどは自分で書籍を集めてそれを一人で読むこと以外は何もしていなかった。
と言うのも、広瀬隆をはじめとする反原発の論者の意見に基本的には同意し、国や電力会社の悪辣な原子力政策に反発しながらも、どこかで「まあ、そうは言ってもカタストロフは起こらんように、なんとか辻褄合わせとるんやろ」と、正直たかをくくっていた面もあった。
原発から発生する放射性廃棄物
十万人以上にのぼる被曝労働者
金で貴重な国土と人の心を買い占める悪徳
ありとあらゆる「毒」で国を汚染しながらも、破局は避けるだけの狡猾さは保持しているはずだと思っていた。
あるいは、そう思いたかった。
大間違いだった。
信じ難いことだが、国も電力会社も、実は「何も考えていなかった」というのが、正解だったのだ。
3.11以降、私も考えを改めなければならなかった。
これまで数十冊の本を読み、それぞれの著者の血を吐くような告発を目にしながら、たかをくくって積極的に発言してこなかったことを恥じた。
幸いにして今の私は、ささやかながら個人運営としてはそれなりの閲覧者数をもつブログを持っている。
元来は政治的な主張をする場ではないのだが、こと原発に関してだけは、その禁を解かせていただくことにしたのだ。
とは言え、一介の素人たる私にできることは限られている。
まずはこれまで読んできた書籍の中から、3.11以降の今こそ読まれべきだと思われるものを紹介してみる。
福島の事故を受けて復刊しているものもあるが、埋もれてしまっている名著も多い。
私自身が読んできた中で、何よりも「読んで面白い」本を紹介してみたい。
ここで「面白い」という言葉を使うことに違和感を持つ人もいるかもしれないが、反原発はこれからもずっと長いスパンで考えなければならない。
80年代の反原発運動の盛り上がりは十年と続かなかった。
一時はコーナーも出来ていた書籍群も、90年代半ばには、書店の本棚からほぼ姿を消してしまった。
そのような書店における敗北を、今回はなんとしても回避しなければならない。
実際に自分で読んでみて読みごたえと面白さを感じた本をブログで紹介し、それが本の売り上げに結び付き、反原発が商売として成立し、その状態が息長く保持され続ける。
そういう状況を作るためのほんの一助として、ブックレビューを綴ってみる。
●「原発の闇を暴く」広瀬隆 明石昇二郎(集英社新書)
強力タッグである。反原発の古つわもの・広瀬隆と、「責任者出てこい!」という切り口で痛快なルポを連発してきた明石昇二郎が、福島原発の事故を受けて責任者どもを刑事告発するに至る筋道を語り尽くす最新刊。
対談形式なので非常に読みやすいが、読者は皆この本で告発される「事実」の数々に、ハラワタが煮えくりかえる思いをし、何度もページを閉じて一息つきたくなることだろう。
著者二人の対談が、以下のサイトで読める。
【対談】広瀬隆×明石昇二郎「原発事故がヒドくなったのはコイツのせいだ」
90年代の「週刊プレイボーイ」は非常に社会派の一面を持っていた。(今でもその片鱗は残っているが、過去を知る者にとってはヌルすぎる)
グラビアと漫画、非常にくだらない(注:褒め言葉である)娯楽記事の中に、一号に数本は「社会派」記事が掲載されており、そのカオス具合いが面白く、勢いがあった。
そうした「社会派」記事の中に、私が大好きで掲載を心待ちにしていたシリーズがあった。
明石昇二郎の「責任者、出て来い!」である。
中でも「原発銀座」と呼ばれる敦賀の地で、悪性リンパ腫が多発しているのではないかと言う噂の真相をたしかめるために現地に乗り込む企画には、毎回興奮させられた。
雑誌の発売が待ち遠しくて、明け方のコンビニに走ったりしたものだ。
あの「週プレ」の取材班が、往年の「電波少年」のアポ無し収録のような体裁をとりながら、「責任者」どもを追い詰めて行く様子にはぞくぞくする様な痛快さがあり、それと同時に「事実」に対する怒りが込み上げてきたものだ。
明石昇二郎はその後も、雑誌を変えながらも体当たりの取材を元にした記事を書きつづけた。
そうした記事の多くが、書籍として刊行され、現在でも入手が可能であることは非常に価値がある。
●「敦賀湾原発銀座[悪性リンパ腫]多発地帯の恐怖」明石昇二郎(技術と人間)
●「責任者、出て来い!」明石昇二郎(毎日新聞社)
●「原発崩壊 増補版-想定されていた福島原発事故」明石昇二郎(金曜日)
著者が体当たりで取材対象に直接ぶつかって行く姿勢に、元気をもらえる本達だ。
この「本を買って原発を止めよう」シリーズ、反原発書評は、今後も断続的に続けて行く。
しかしその考えは、とくに2000年代に入ってから全く時流に合わなくなってきて、「CO2による地球温暖化説」などと言う単なる仮説の一つが独り歩きし、それが原発推進の理由づけに利用され、あろうことかそうした虚構が「地球環境の保全」の美名のもと蔓延する様を目の当たりにして、ほとんど諦めの境地に達していた。
90年代頃にはそれでも人に聴かれれば反原発の主張をしていたが、ここ十年ほどは自分で書籍を集めてそれを一人で読むこと以外は何もしていなかった。
と言うのも、広瀬隆をはじめとする反原発の論者の意見に基本的には同意し、国や電力会社の悪辣な原子力政策に反発しながらも、どこかで「まあ、そうは言ってもカタストロフは起こらんように、なんとか辻褄合わせとるんやろ」と、正直たかをくくっていた面もあった。
原発から発生する放射性廃棄物
十万人以上にのぼる被曝労働者
金で貴重な国土と人の心を買い占める悪徳
ありとあらゆる「毒」で国を汚染しながらも、破局は避けるだけの狡猾さは保持しているはずだと思っていた。
あるいは、そう思いたかった。
大間違いだった。
信じ難いことだが、国も電力会社も、実は「何も考えていなかった」というのが、正解だったのだ。
3.11以降、私も考えを改めなければならなかった。
これまで数十冊の本を読み、それぞれの著者の血を吐くような告発を目にしながら、たかをくくって積極的に発言してこなかったことを恥じた。
幸いにして今の私は、ささやかながら個人運営としてはそれなりの閲覧者数をもつブログを持っている。
元来は政治的な主張をする場ではないのだが、こと原発に関してだけは、その禁を解かせていただくことにしたのだ。
とは言え、一介の素人たる私にできることは限られている。
まずはこれまで読んできた書籍の中から、3.11以降の今こそ読まれべきだと思われるものを紹介してみる。
福島の事故を受けて復刊しているものもあるが、埋もれてしまっている名著も多い。
私自身が読んできた中で、何よりも「読んで面白い」本を紹介してみたい。
ここで「面白い」という言葉を使うことに違和感を持つ人もいるかもしれないが、反原発はこれからもずっと長いスパンで考えなければならない。
80年代の反原発運動の盛り上がりは十年と続かなかった。
一時はコーナーも出来ていた書籍群も、90年代半ばには、書店の本棚からほぼ姿を消してしまった。
そのような書店における敗北を、今回はなんとしても回避しなければならない。
実際に自分で読んでみて読みごたえと面白さを感じた本をブログで紹介し、それが本の売り上げに結び付き、反原発が商売として成立し、その状態が息長く保持され続ける。
そういう状況を作るためのほんの一助として、ブックレビューを綴ってみる。
●「原発の闇を暴く」広瀬隆 明石昇二郎(集英社新書)
強力タッグである。反原発の古つわもの・広瀬隆と、「責任者出てこい!」という切り口で痛快なルポを連発してきた明石昇二郎が、福島原発の事故を受けて責任者どもを刑事告発するに至る筋道を語り尽くす最新刊。
対談形式なので非常に読みやすいが、読者は皆この本で告発される「事実」の数々に、ハラワタが煮えくりかえる思いをし、何度もページを閉じて一息つきたくなることだろう。
著者二人の対談が、以下のサイトで読める。
【対談】広瀬隆×明石昇二郎「原発事故がヒドくなったのはコイツのせいだ」
90年代の「週刊プレイボーイ」は非常に社会派の一面を持っていた。(今でもその片鱗は残っているが、過去を知る者にとってはヌルすぎる)
グラビアと漫画、非常にくだらない(注:褒め言葉である)娯楽記事の中に、一号に数本は「社会派」記事が掲載されており、そのカオス具合いが面白く、勢いがあった。
そうした「社会派」記事の中に、私が大好きで掲載を心待ちにしていたシリーズがあった。
明石昇二郎の「責任者、出て来い!」である。
中でも「原発銀座」と呼ばれる敦賀の地で、悪性リンパ腫が多発しているのではないかと言う噂の真相をたしかめるために現地に乗り込む企画には、毎回興奮させられた。
雑誌の発売が待ち遠しくて、明け方のコンビニに走ったりしたものだ。
あの「週プレ」の取材班が、往年の「電波少年」のアポ無し収録のような体裁をとりながら、「責任者」どもを追い詰めて行く様子にはぞくぞくする様な痛快さがあり、それと同時に「事実」に対する怒りが込み上げてきたものだ。
明石昇二郎はその後も、雑誌を変えながらも体当たりの取材を元にした記事を書きつづけた。
そうした記事の多くが、書籍として刊行され、現在でも入手が可能であることは非常に価値がある。
●「敦賀湾原発銀座[悪性リンパ腫]多発地帯の恐怖」明石昇二郎(技術と人間)
●「責任者、出て来い!」明石昇二郎(毎日新聞社)
●「原発崩壊 増補版-想定されていた福島原発事故」明石昇二郎(金曜日)
著者が体当たりで取材対象に直接ぶつかって行く姿勢に、元気をもらえる本達だ。
この「本を買って原発を止めよう」シリーズ、反原発書評は、今後も断続的に続けて行く。
2011年07月27日
すみかは地獄
報道で大きく扱われなくなり、なんとなく終息した雰囲気に持っていきたい何者かがいるのではないかと勘繰りたくなるが、今現在、福島第一原発からは放射能漏れっぱなしの状態である。
どこかに「穴」が開いているらしいことは分かっているのだが、それがどこなのか確かめる術は無い。
初期段階に起こったような爆発的な放出は一応止まっているものの、中身をたしかめられないので今後のことは誰にも確定的なことは言えない。
中身が分からないのでとにかく水を注入して冷やし続けているが、それは放射能に汚染された物質の量を、薄めて増やしていることともイコールだ。
放出された放射能は、自然現象や物流によってじわじわ広がって行く。
広がって行くことによって希釈される場合もあるが、生物濃縮や、風、雨水の流れによってピンポイントで濃度が上がる場合もある。
今後日本人は、本来原発内に閉じ込めておかれるべきだった放射能と、つき合いながら生きて行くしかなくなった。
地獄の釜が開きっぱなしの狭い国土は、否応なく「ぬるま湯地獄」と化していく。
今フタが開いているのは一か所だけだが、そのフタが開いた原因は「千年に一度の大津波」などではなく、「震度6の普通地震」で開いてしまったことが既に判明している。
震度6の普通地震は、地震国では普通にどこでも起こるので、日本国中に散らばった地獄の釜の、今は一応閉まっているフタ(隙間くらいは開いているかもしれないが)は、いつ外れてしまうか分からない。
日本の国土には、主に西から東に向かう風が吹いている。
福島では「不幸中のほんのひとかけらの幸い」として本州の東端のフタが開いてしまい、放出された放射能の大半は太平洋側に流れて行ったが、西日本のどこかでフタが開いてしまえば、今回とはレベルの違う地獄濃度が人口集中地域を襲う。
一見穏当に見える「段階的脱原発」ではなく「即時停止」が是非必要なのはそのせいだ。
私自身は今のところ大きく生活様式を変える必要は無いと判断しているが、それは住んでいる地域・年齢・性別によって様々に変わるので、各自が自衛しなければならない。
日本国は既に放射能汚染から国民を守ることを放棄していると思われるので、東日本の皆さん、とくに子供を持つご両親は、自力で情報を収集しなければならない。
ただ、必要以上に不安を感じて無理な生活様式を強行しようとすると、そのことの方が放射能の害そのものより肉体と精神を疲弊させてしまうことは十分にあり得る。
腹立たしいことではあるが、日本はすでに「ぬるま湯地獄」になってしまって、私たちは通常この国で暮らし続けざるを得ないのだから、「無理のない程度に気をつけて、少しでも生活圏から地獄を遠ざける」という対応策をとるしかない。
あまり生真面目に悩むのではなく「笑って暮らせる程度の努力」を生活の中で心がけることが、一般庶民にできる唯一の対応策だと思う。
無理なく楽しく暮らしながら、こうした状況を自分たちに強いている国と電力会社に対する怒りを末永く持続させ、諦めることなく原発の息の根を止めなければならない。
3.11以降の反原発は、楽しいものでなければならない。
無理のないものでなければならない。
決して忘れず、諦めないものでなければならない。
ファッションでかまわない。
商売でかまわない。
冗談交じりでかまわない。
一枚岩でなくともかまわない。
ただ一点「原発NO」で一致していればいい。
当たり前の生活スタイルとして放射能に対する知識を得て、原発にNOと言わなければならない。
節電は大切だが、それは「原発がとまると電気が無くなるぞ」という恫喝に屈するのではなく、日本人の美徳「もったいない精神」で行われなければならない。
現時点で、原発抜きでも電力は足りている。
酷暑のさなか、体調を崩してまでエアコンを止める必要はない。
武田邦彦という人がいる。
元は国の原子力推進政策の現場にあった人だが、原発の耐震基準に疑問を持ち、やや距離を置くようになったという。
3.11以降は完全に「反原発」それも「即時停止」に転向し、少しでも放射線被曝を避けるための方法を、毎日自分のブログで公開するようになった。
その記事は極めて平易な言葉で綴られており、また極めて具体的かつ無理のない方法が提示されているので非常に参考になる。
自分の半生を費やしてきた原子力が、福島で破局的な事故を起こしてしまったことに、深い罪悪感を持っているらしく、国と東電の虚偽と無責任で塗り固めた事故対応を告発する筆致には鬼気迫るものがある。
とにかく、気になる見出しからまずはご一読!
武田邦彦(中部大学)
ブログの記事をまとめた新書も刊行されている。
●「放射能と生きる」武田邦彦 (幻冬舎新書)
この人もまた、毀誉褒貶の激しい「異能の語り部」である。
地獄で笑って暮らすために、無理のない理論武装を!
どこかに「穴」が開いているらしいことは分かっているのだが、それがどこなのか確かめる術は無い。
初期段階に起こったような爆発的な放出は一応止まっているものの、中身をたしかめられないので今後のことは誰にも確定的なことは言えない。
中身が分からないのでとにかく水を注入して冷やし続けているが、それは放射能に汚染された物質の量を、薄めて増やしていることともイコールだ。
放出された放射能は、自然現象や物流によってじわじわ広がって行く。
広がって行くことによって希釈される場合もあるが、生物濃縮や、風、雨水の流れによってピンポイントで濃度が上がる場合もある。
今後日本人は、本来原発内に閉じ込めておかれるべきだった放射能と、つき合いながら生きて行くしかなくなった。
地獄の釜が開きっぱなしの狭い国土は、否応なく「ぬるま湯地獄」と化していく。
今フタが開いているのは一か所だけだが、そのフタが開いた原因は「千年に一度の大津波」などではなく、「震度6の普通地震」で開いてしまったことが既に判明している。
震度6の普通地震は、地震国では普通にどこでも起こるので、日本国中に散らばった地獄の釜の、今は一応閉まっているフタ(隙間くらいは開いているかもしれないが)は、いつ外れてしまうか分からない。
日本の国土には、主に西から東に向かう風が吹いている。
福島では「不幸中のほんのひとかけらの幸い」として本州の東端のフタが開いてしまい、放出された放射能の大半は太平洋側に流れて行ったが、西日本のどこかでフタが開いてしまえば、今回とはレベルの違う地獄濃度が人口集中地域を襲う。
一見穏当に見える「段階的脱原発」ではなく「即時停止」が是非必要なのはそのせいだ。
私自身は今のところ大きく生活様式を変える必要は無いと判断しているが、それは住んでいる地域・年齢・性別によって様々に変わるので、各自が自衛しなければならない。
日本国は既に放射能汚染から国民を守ることを放棄していると思われるので、東日本の皆さん、とくに子供を持つご両親は、自力で情報を収集しなければならない。
ただ、必要以上に不安を感じて無理な生活様式を強行しようとすると、そのことの方が放射能の害そのものより肉体と精神を疲弊させてしまうことは十分にあり得る。
腹立たしいことではあるが、日本はすでに「ぬるま湯地獄」になってしまって、私たちは通常この国で暮らし続けざるを得ないのだから、「無理のない程度に気をつけて、少しでも生活圏から地獄を遠ざける」という対応策をとるしかない。
あまり生真面目に悩むのではなく「笑って暮らせる程度の努力」を生活の中で心がけることが、一般庶民にできる唯一の対応策だと思う。
無理なく楽しく暮らしながら、こうした状況を自分たちに強いている国と電力会社に対する怒りを末永く持続させ、諦めることなく原発の息の根を止めなければならない。
3.11以降の反原発は、楽しいものでなければならない。
無理のないものでなければならない。
決して忘れず、諦めないものでなければならない。
ファッションでかまわない。
商売でかまわない。
冗談交じりでかまわない。
一枚岩でなくともかまわない。
ただ一点「原発NO」で一致していればいい。
当たり前の生活スタイルとして放射能に対する知識を得て、原発にNOと言わなければならない。
節電は大切だが、それは「原発がとまると電気が無くなるぞ」という恫喝に屈するのではなく、日本人の美徳「もったいない精神」で行われなければならない。
現時点で、原発抜きでも電力は足りている。
酷暑のさなか、体調を崩してまでエアコンを止める必要はない。
武田邦彦という人がいる。
元は国の原子力推進政策の現場にあった人だが、原発の耐震基準に疑問を持ち、やや距離を置くようになったという。
3.11以降は完全に「反原発」それも「即時停止」に転向し、少しでも放射線被曝を避けるための方法を、毎日自分のブログで公開するようになった。
その記事は極めて平易な言葉で綴られており、また極めて具体的かつ無理のない方法が提示されているので非常に参考になる。
自分の半生を費やしてきた原子力が、福島で破局的な事故を起こしてしまったことに、深い罪悪感を持っているらしく、国と東電の虚偽と無責任で塗り固めた事故対応を告発する筆致には鬼気迫るものがある。
とにかく、気になる見出しからまずはご一読!
武田邦彦(中部大学)
ブログの記事をまとめた新書も刊行されている。
●「放射能と生きる」武田邦彦 (幻冬舎新書)
この人もまた、毀誉褒貶の激しい「異能の語り部」である。
地獄で笑って暮らすために、無理のない理論武装を!
2011年07月28日
音遊び「千両箱ブルース」
「千両箱ブルース」
ある日空から 千両箱が降ってきた
お城の殿様から 一般庶民へのプレゼント
ええじゃないか ええじゃないか 千両箱が降ってくる
お爺ちゃんにも千両 お婆ちゃんにも千両
お父さんにも千両 お母さんにも千両
お兄ちゃんにも千両 お姉ちゃんにも千両
お坊ちゃんにも千両 お嬢ちゃんにも千両
赤ちゃんにも千両
おなかの中の赤ちゃんにも千両が降ってくる
降ってきた千両箱 背中に担いでみたら
ずっしり重くて なんだかしんどいなあ
あんたの背中の千両箱はどんくらい?
お爺ちゃんはどんくらい? お婆ちゃんはどんくらい?
お父さんにはどんくらい? お母さんはどんくらい?
お兄ちゃんはどんくらい? お姉ちゃんはどんくらい?
お坊ちゃんはどんくらい? お嬢ちゃんはどんくらい?
赤ちゃんはどんくらい?
おなかの中の赤ちゃんはどんくらい? の千両
聴いてみる
2011年07月30日
海辺に住むという人生
日本は世界でもまれにみる地震国だ。
四つのプレートの力が拮抗する地点に出来た細長い「でっぱり」に過ぎず、その狭い国土の中には中央構造線をはじめ、無数の活断層が毛細血管のように走りまわっている。
地震の活動期に入ったとも言われるこの列島に、時限爆弾のような原発が多数セットされている。中にはわざわざ危険で脆弱な地点を選んで造ったような原発、核関連施設も多い。
人間のサイズから見ていくら安定した地盤に見えても、沖縄や小笠原諸島、北方領土、そして地中や近海の海溝まで含めたスケールで俯瞰してみれば、それがいかに危険で愚かな行為か、感覚として分かりやすい。
世界地図上から見た場合、海外からの日本に対する視線、印象も、こうした危険極まりないものになることは想像に難くない。
こうした列島の地質的構造から、今後いくらでも巨大地震、それに伴う巨大津波は襲ってくると予想される。
地球の間借り人である人間は自然災害自体を避けることはできないが、知恵を使ってなるべく被害を少なくすることはできる。
とくにこの日本のような自然災害頻発列島にすむ人間は、もっともっと謙虚にならなければならない。
この国土に商業ベースで原発を建てるという選択は、やはりあり得ない。
東日本大震災も、原発震災になってしまわなければ、復興はもっと進めやすかったに違いない。
今回の大震災ではなんといっても巨大な濁流が街を飲み込んでいく大津波が恐怖を呼んだ。
私は専門家ではないが、津波については少々書いておけることがある。
阪神大震災以降、各自治体は巨大地震に対する備えに、ようやく重い腰を上げようとしてきた。
沖合で巨大地震が起こると想定される沿海部では、津波対策の避難計画や、訓練が行われるようになってきていると思う。
避難計画が作成されること自体は大変けっこうなことで、何もされないよりははるかにマシなのだが、あまり過信してはいけないと思う。
各自治体によって計画の立て方は様々だろうが、自治体(とその発注を受けたコンサルタント会社)が作成できるのは、あくまで「その町の現状の中で、可能な範囲の避難計画」に過ぎない。
あまり想定を厳しくして巨大津波の可能性を含めると、「そもそもその町に住んでいる限りは助からない」という身も蓋もない結論になってしまう。
避難計画の前提になる想定が「考え得る最悪」ではなく「現状のままで避難計画が策定できる範囲内」に落としこまれるという、ある意味で逆転した傾向は、けっこうあると思う。
たとえば目立った高台のない海辺の漁港などでは、津波の想定を高くても6メートルぐらいで手を打っておかないと、実質的に避難場所は無くなってしまうだろう。
自治体側ばかりではなく、住民側にも「ことを荒立てるような被害想定」を忌避する傾向はあると思うが、まあ、心情的には理解できる。
ともかく、そのように想定された津波の高さから、地図上の標高データで足し算引き算をしながら水没する地域が予測され、PCで水位別に色分けされた画像が作成されて、配布されたりもする。
しかし現実の津波は「ひたひたと風呂桶の水のように増えてくる」わけではなく、「沖から濁流となって押し寄せてくる」ので、単純に色分けして塗られた被害予測地図のようにはならない箇所も多いだろう。
河口や水路など、水を呼び込む箇所には水量が集中する。
とくに湾のような地形になっている所は、奥にいくほど大量に押し寄せた津波の水量が「すぼまる」ことによって水位は上がっていくので、要注意だ。
同じ標高でも平坦に舗装された幅の広い道路などは、宅地よりも水流が集中しやすく、流れが速くなるだろう。
海辺には地図データにあらわれていない水路や暗渠がいくらでもあるから、ふだん地面に見えている思わぬ箇所から大量の泥水が噴出してくることも考えられる。
また、今回の東日本大震災と、それに伴う津波で、かなり正しい認識が広がったことと思うが、ぜひとも憶えておかなければならないことがある。それは、
「津波は高さに関係なく、どれも危険だ」
ということだ。
たとえ数十センチであっても、決して侮ってはいけない。
津波は「波」ではなく「濁流」なのだ。
川遊びの体験があれば、いくら浅い川でも急流が危険であることは理解できるだろう。
単なる「急流」でも危険なのだが、津波の時には様々な「物」が濁った水に混じって押し流されてくる。
水深に関係なく、とにかく「水に追いつかれたらおしまい」というぐらいに認識しておいた方が良い。
更に、津波が襲ってくるのは、そこで巨大な震災が起こった直後である可能性も考えておかなければならない。
私は阪神大震災の被災者なのだが、いったん巨大地震が起こってしまうと、街の様相は一変する。
家からは瓦が、ビルからはガラスが降り注ぎ、古い木造家屋やブロック塀は次々に倒れてしまう。細い路地はほとんど通行不可能になるだろうし、幹線道路も行き場を失った車で一杯になってしまうだろう。
津波の襲来前には、そうした道路事情の中を、一刻を争いながら高台を目指さなければならないので、避難訓練の時のように簡単にはいかないはずだ。
ふだんから自分の家の周囲を注意して観察してみよう。
海辺に暮らしている場合は、強い地震があった時、津波警報が出たときには、間髪おかずに逃げなければならない。
目指すのは、可能であればできるだけ標高の高い場所。
そうでなければ鉄筋コンクリートの建物。
とくに公共施設はそれなりに堅牢に造られている場合が多い。
一階約3メートルと考えて、3階建てなら9メートル、5階建てなら15メートル。それに建っている場所の標高がプラスされるので、通常想定される10メートル以内の津波なら、十分に避難目標として使える。
海辺に住むということは素晴らしい。
日常の風景の中に海があり、潮風を受け、釣りができ、行きかう船を眺めること自体が、幸せなことだ。
しかしそこには常に、地震や津波、台風の危険も潜んでいる。
素晴らしさと危険を、自分の人生観として両方とも覚悟しておかなければならない時期に来ていると思う。
あと、原発は論外。
四つのプレートの力が拮抗する地点に出来た細長い「でっぱり」に過ぎず、その狭い国土の中には中央構造線をはじめ、無数の活断層が毛細血管のように走りまわっている。
地震の活動期に入ったとも言われるこの列島に、時限爆弾のような原発が多数セットされている。中にはわざわざ危険で脆弱な地点を選んで造ったような原発、核関連施設も多い。
人間のサイズから見ていくら安定した地盤に見えても、沖縄や小笠原諸島、北方領土、そして地中や近海の海溝まで含めたスケールで俯瞰してみれば、それがいかに危険で愚かな行為か、感覚として分かりやすい。
世界地図上から見た場合、海外からの日本に対する視線、印象も、こうした危険極まりないものになることは想像に難くない。
こうした列島の地質的構造から、今後いくらでも巨大地震、それに伴う巨大津波は襲ってくると予想される。
地球の間借り人である人間は自然災害自体を避けることはできないが、知恵を使ってなるべく被害を少なくすることはできる。
とくにこの日本のような自然災害頻発列島にすむ人間は、もっともっと謙虚にならなければならない。
この国土に商業ベースで原発を建てるという選択は、やはりあり得ない。
東日本大震災も、原発震災になってしまわなければ、復興はもっと進めやすかったに違いない。
今回の大震災ではなんといっても巨大な濁流が街を飲み込んでいく大津波が恐怖を呼んだ。
私は専門家ではないが、津波については少々書いておけることがある。
阪神大震災以降、各自治体は巨大地震に対する備えに、ようやく重い腰を上げようとしてきた。
沖合で巨大地震が起こると想定される沿海部では、津波対策の避難計画や、訓練が行われるようになってきていると思う。
避難計画が作成されること自体は大変けっこうなことで、何もされないよりははるかにマシなのだが、あまり過信してはいけないと思う。
各自治体によって計画の立て方は様々だろうが、自治体(とその発注を受けたコンサルタント会社)が作成できるのは、あくまで「その町の現状の中で、可能な範囲の避難計画」に過ぎない。
あまり想定を厳しくして巨大津波の可能性を含めると、「そもそもその町に住んでいる限りは助からない」という身も蓋もない結論になってしまう。
避難計画の前提になる想定が「考え得る最悪」ではなく「現状のままで避難計画が策定できる範囲内」に落としこまれるという、ある意味で逆転した傾向は、けっこうあると思う。
たとえば目立った高台のない海辺の漁港などでは、津波の想定を高くても6メートルぐらいで手を打っておかないと、実質的に避難場所は無くなってしまうだろう。
自治体側ばかりではなく、住民側にも「ことを荒立てるような被害想定」を忌避する傾向はあると思うが、まあ、心情的には理解できる。
ともかく、そのように想定された津波の高さから、地図上の標高データで足し算引き算をしながら水没する地域が予測され、PCで水位別に色分けされた画像が作成されて、配布されたりもする。
しかし現実の津波は「ひたひたと風呂桶の水のように増えてくる」わけではなく、「沖から濁流となって押し寄せてくる」ので、単純に色分けして塗られた被害予測地図のようにはならない箇所も多いだろう。
河口や水路など、水を呼び込む箇所には水量が集中する。
とくに湾のような地形になっている所は、奥にいくほど大量に押し寄せた津波の水量が「すぼまる」ことによって水位は上がっていくので、要注意だ。
同じ標高でも平坦に舗装された幅の広い道路などは、宅地よりも水流が集中しやすく、流れが速くなるだろう。
海辺には地図データにあらわれていない水路や暗渠がいくらでもあるから、ふだん地面に見えている思わぬ箇所から大量の泥水が噴出してくることも考えられる。
また、今回の東日本大震災と、それに伴う津波で、かなり正しい認識が広がったことと思うが、ぜひとも憶えておかなければならないことがある。それは、
「津波は高さに関係なく、どれも危険だ」
ということだ。
たとえ数十センチであっても、決して侮ってはいけない。
津波は「波」ではなく「濁流」なのだ。
川遊びの体験があれば、いくら浅い川でも急流が危険であることは理解できるだろう。
単なる「急流」でも危険なのだが、津波の時には様々な「物」が濁った水に混じって押し流されてくる。
水深に関係なく、とにかく「水に追いつかれたらおしまい」というぐらいに認識しておいた方が良い。
更に、津波が襲ってくるのは、そこで巨大な震災が起こった直後である可能性も考えておかなければならない。
私は阪神大震災の被災者なのだが、いったん巨大地震が起こってしまうと、街の様相は一変する。
家からは瓦が、ビルからはガラスが降り注ぎ、古い木造家屋やブロック塀は次々に倒れてしまう。細い路地はほとんど通行不可能になるだろうし、幹線道路も行き場を失った車で一杯になってしまうだろう。
津波の襲来前には、そうした道路事情の中を、一刻を争いながら高台を目指さなければならないので、避難訓練の時のように簡単にはいかないはずだ。
ふだんから自分の家の周囲を注意して観察してみよう。
海辺に暮らしている場合は、強い地震があった時、津波警報が出たときには、間髪おかずに逃げなければならない。
目指すのは、可能であればできるだけ標高の高い場所。
そうでなければ鉄筋コンクリートの建物。
とくに公共施設はそれなりに堅牢に造られている場合が多い。
一階約3メートルと考えて、3階建てなら9メートル、5階建てなら15メートル。それに建っている場所の標高がプラスされるので、通常想定される10メートル以内の津波なら、十分に避難目標として使える。
海辺に住むということは素晴らしい。
日常の風景の中に海があり、潮風を受け、釣りができ、行きかう船を眺めること自体が、幸せなことだ。
しかしそこには常に、地震や津波、台風の危険も潜んでいる。
素晴らしさと危険を、自分の人生観として両方とも覚悟しておかなければならない時期に来ていると思う。
あと、原発は論外。
2011年07月31日
海賊と闇市
海賊流行りだ。
今の流行の牽引役は、映画で言えば「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシリーズ、漫画で言えば「ワンピース」あたりだろうか。
TVのスーパー戦隊シリーズも、ついに海賊になってしまった。
このブログで少し前に、夏休みの工作セットで海賊船が作れるものを紹介したところ、けっこう検索で飛んできた人に読まれているようだ。(制作記事の方はもうしばらく待ってくださいね)
男子は基本、海賊好きだ。
私の年代で言えば、TVアニメで放映されたキャプテン・ハーロックの影響が強いが、各年代ごとに男子はどこかで「海賊的なもの」に心ひかれた経験を持っていると思う。
私が最近、主に勉強している日本の戦国時代は、日本において「海賊」という存在が最も光り輝いた時代でもあった。
地上権力がまだ海上勢力を完全には傘下に置ききっていない時代、瀬戸内海を暴れまわった海賊衆の多くは、本願寺の旗印の元に参集して、信長による中央集権体制の確立に反抗した。
海の民が最も光り輝いた戦争「石山合戦」の終結後、海賊衆は解体され、国境を越えた交易を制限され、封じ込められていく。
海賊は、陸地の上の法律に縛られない。
国境に縛られない。
独自の価値観と実力で、荒波を乗り越えて生き抜く。
たとえフィクションであっても海賊が輝きを放つ時、世の中には「何事か」が起こり始めているのではないかと、ふと想像してしまう。
最近「闇市」と、それがあった時代のことも気になっている。
闇市という言葉は、如何にも字面が悪く、実態を知らない者にとっては何かいかがわしいもののような先入観を抱かせがちだ。
しかし戦後日本の各地に出現した「闇市」は、国家が治安維持や物流を管理する能力を喪失した中で、庶民の生活の必要から自然発生的に生まれたものだ。
人間は法律を守るために生きているわけではない。
国民の生命・財産を守るべき国や法が、その力を失ってしまっている状態にあっては、闇市の存在はまったく「正しい」ものとなる。
週刊SPA!連載の「新ナニワ金融道」が、「銭道立志編」というシリーズに突入し、ついに単行本になった。
●「新ナニワ金融道11」青木雄二プロダクション(SPA!コミックス)
オリジナル「ナニ金」の青木雄二の死後、のこされた青木雄二プロダクションによって、いくつかの続編が制作されている。
中でもこのSPA!版は、絵の再現度がけっこう高く、連載開始当初は「がんばってるな〜」という印象を持ってはいたのだが、やはりストーリーにどこか「ヌルさ」を感じてしまって、次第に読まなくなっていた。
たとえるなら、栗田貫一のルパン三世を見ているような、よくできてはいるけれども、それだけに物悲しくなってきてしまう感覚があった。
しかし、作中の帝国金融社長・金畑の若き日の姿を描くシリーズに突入してから、突然面白くなってきた。もしかしたらシナリオに誰か新しい人が参加したのかもしれない。
金畑社長と言えば、旧「ナニワ金融道」でも抜群の存在感を示していた登場人物である。
主人公である灰原が、甘さを克服して凄腕のマチ金屋として成長していく姿が旧作のストーリーの中心だったが、作中の帝国金融という会社にはその灰原を上回る猛者がゴロゴロしていた。
上司である桑田、高山をはじめ、肩書だけのお気楽社員は一人も存在しない、社内事務の専門の人以外は「武闘派」で固めた集団だった。
中でも社長の金畑は、実力で帝国金融に君臨する怪物だった。
新作の最近の展開は、戦後の混乱期、貧しい暮らしに追い立てられるように、大阪砲兵工廠跡の鉄屑を巡って活躍するアパッチ族に身を投じて行く金畑少年が軸になっている。
金畑少年と、その周囲や闇市経済の描写は手抜きがなく、極めてリアルだ。
現在の大阪城公園、かつての石山合戦の舞台は、時代を超えてまた庶民が生きるためにギリギリの戦いを繰り広げる場所になっていたのだなと、感慨を新たにする。
闇市の風景と言えば、漫画「はだしのゲン」も忘れられない。
また、宮崎学「近代ヤクザ肯定論」も読みごたえがあった。
国が当事者能力を失う時、海賊と闇市が復活する……
とか妄想したくなってくる(笑)
さて、またフリマにでも出店するか。
今の流行の牽引役は、映画で言えば「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシリーズ、漫画で言えば「ワンピース」あたりだろうか。
TVのスーパー戦隊シリーズも、ついに海賊になってしまった。
このブログで少し前に、夏休みの工作セットで海賊船が作れるものを紹介したところ、けっこう検索で飛んできた人に読まれているようだ。(制作記事の方はもうしばらく待ってくださいね)
男子は基本、海賊好きだ。
私の年代で言えば、TVアニメで放映されたキャプテン・ハーロックの影響が強いが、各年代ごとに男子はどこかで「海賊的なもの」に心ひかれた経験を持っていると思う。
私が最近、主に勉強している日本の戦国時代は、日本において「海賊」という存在が最も光り輝いた時代でもあった。
地上権力がまだ海上勢力を完全には傘下に置ききっていない時代、瀬戸内海を暴れまわった海賊衆の多くは、本願寺の旗印の元に参集して、信長による中央集権体制の確立に反抗した。
海の民が最も光り輝いた戦争「石山合戦」の終結後、海賊衆は解体され、国境を越えた交易を制限され、封じ込められていく。
海賊は、陸地の上の法律に縛られない。
国境に縛られない。
独自の価値観と実力で、荒波を乗り越えて生き抜く。
たとえフィクションであっても海賊が輝きを放つ時、世の中には「何事か」が起こり始めているのではないかと、ふと想像してしまう。
最近「闇市」と、それがあった時代のことも気になっている。
闇市という言葉は、如何にも字面が悪く、実態を知らない者にとっては何かいかがわしいもののような先入観を抱かせがちだ。
しかし戦後日本の各地に出現した「闇市」は、国家が治安維持や物流を管理する能力を喪失した中で、庶民の生活の必要から自然発生的に生まれたものだ。
人間は法律を守るために生きているわけではない。
国民の生命・財産を守るべき国や法が、その力を失ってしまっている状態にあっては、闇市の存在はまったく「正しい」ものとなる。
週刊SPA!連載の「新ナニワ金融道」が、「銭道立志編」というシリーズに突入し、ついに単行本になった。
●「新ナニワ金融道11」青木雄二プロダクション(SPA!コミックス)
オリジナル「ナニ金」の青木雄二の死後、のこされた青木雄二プロダクションによって、いくつかの続編が制作されている。
中でもこのSPA!版は、絵の再現度がけっこう高く、連載開始当初は「がんばってるな〜」という印象を持ってはいたのだが、やはりストーリーにどこか「ヌルさ」を感じてしまって、次第に読まなくなっていた。
たとえるなら、栗田貫一のルパン三世を見ているような、よくできてはいるけれども、それだけに物悲しくなってきてしまう感覚があった。
しかし、作中の帝国金融社長・金畑の若き日の姿を描くシリーズに突入してから、突然面白くなってきた。もしかしたらシナリオに誰か新しい人が参加したのかもしれない。
金畑社長と言えば、旧「ナニワ金融道」でも抜群の存在感を示していた登場人物である。
主人公である灰原が、甘さを克服して凄腕のマチ金屋として成長していく姿が旧作のストーリーの中心だったが、作中の帝国金融という会社にはその灰原を上回る猛者がゴロゴロしていた。
上司である桑田、高山をはじめ、肩書だけのお気楽社員は一人も存在しない、社内事務の専門の人以外は「武闘派」で固めた集団だった。
中でも社長の金畑は、実力で帝国金融に君臨する怪物だった。
新作の最近の展開は、戦後の混乱期、貧しい暮らしに追い立てられるように、大阪砲兵工廠跡の鉄屑を巡って活躍するアパッチ族に身を投じて行く金畑少年が軸になっている。
金畑少年と、その周囲や闇市経済の描写は手抜きがなく、極めてリアルだ。
現在の大阪城公園、かつての石山合戦の舞台は、時代を超えてまた庶民が生きるためにギリギリの戦いを繰り広げる場所になっていたのだなと、感慨を新たにする。
闇市の風景と言えば、漫画「はだしのゲン」も忘れられない。
また、宮崎学「近代ヤクザ肯定論」も読みごたえがあった。
国が当事者能力を失う時、海賊と闇市が復活する……
とか妄想したくなってくる(笑)
さて、またフリマにでも出店するか。