夏が終わろうとしていますね。
暑い日は暑かったけど、さほどでもない日も多かったような印象です。
ごく普通の、どちらかと言えば厳しくない夏でした。
雨天が多かったので、近所の夏祭りは軒並み中止。
ついに盆踊りに一回も行けなかったのは残念です。
電力会社による胡散臭い節電キャンペーンは、少なくとも私の周辺ではほとんど相手にされていませんでした。
電力は基本的には足りており、昼間のピーク時間帯に家庭でエアコンを切ってもほとんど節電にならないのだから当然です。
己の会社の事故や準備不足を居直って、顧客側を虚偽の理由で恫喝しようとする電力会社の腐敗ぶりが際立ちました。
まあ、彼らは好きにさせておけばいい。
今後は電力会社の正社員の待遇はほぼ据え置きになったまま、電気料金も税金も軒並み上がるでしょう。
それでも汚染地域の除染は一切行われず、避難区域住民への賠償はスズメの涙。
健康被害が出ても一切因果関係は認めず、既存の原発を動かし続けようとするでしょう。
そうした腐敗ぶりを晒し続ければ、どんどん顧客は離れていきます。
大口需要のある大企業から順に自家発電でコストダウンを図るでしょうし、きわめて経済的でクリーンな家庭用電源の技術も既に実用段階に入ろうとしています。
さて、今年のヒガンバナはいつごろになるでしょうか?
2011年09月01日
2011年09月08日
かの山は崩れ、かの川は溢る
先日の台風により、紀伊半島南部の「熊野」全域で甚大な被害が出たようだ。
大好きだった熊野本宮旧社地「大斎原」は冠水。
那智大社は社殿が土砂に埋まり、滝の一部が崩落。
新宮市は全域で冠水被害。
熊野三山が軒並み被害を受けている。
天災は起こるときには起きるので仕方がないのだが、人災が天災の被害を拡大することはあるので、そこは注意しなければならない。
私は天災を安易に神仏の意思と結び付けるのは嫌いなのだが、昔熊野本宮の社殿をおし流した明治の大水害のように、山の木を切り倒し過ぎたことが原因とされている場合もある。
そこに「神意」を感ずるのは、あり得ることだと思っている。
今回の水害についても、続報を注意深く聴いていきたい。
90年代初頭から何度も足を運んだ風景の、無残に崩れ落ちた映像がTVから流れてくる。
ここ数年出かけられていないのだが、私はかつて8月から9月にかけて、よく熊野の山野を遍路していた。
まだ現在進行形で不安な生活を送っている現地の皆さんが、なるべく早く落ち着いた生活に戻られますように。
そして自然と人が創り上げた信仰の空間が、また蘇りますように。
以前描いた那智の瀧をモチーフにした一枚。
大好きだった熊野本宮旧社地「大斎原」は冠水。
那智大社は社殿が土砂に埋まり、滝の一部が崩落。
新宮市は全域で冠水被害。
熊野三山が軒並み被害を受けている。
天災は起こるときには起きるので仕方がないのだが、人災が天災の被害を拡大することはあるので、そこは注意しなければならない。
私は天災を安易に神仏の意思と結び付けるのは嫌いなのだが、昔熊野本宮の社殿をおし流した明治の大水害のように、山の木を切り倒し過ぎたことが原因とされている場合もある。
そこに「神意」を感ずるのは、あり得ることだと思っている。
今回の水害についても、続報を注意深く聴いていきたい。
90年代初頭から何度も足を運んだ風景の、無残に崩れ落ちた映像がTVから流れてくる。
ここ数年出かけられていないのだが、私はかつて8月から9月にかけて、よく熊野の山野を遍路していた。
まだ現在進行形で不安な生活を送っている現地の皆さんが、なるべく早く落ち着いた生活に戻られますように。
そして自然と人が創り上げた信仰の空間が、また蘇りますように。
以前描いた那智の瀧をモチーフにした一枚。
2011年09月11日
緑のカーテン
縁者の家で、見事な「緑のカーテン」を見せてもらった。
この夏の節電キャンペーンの中、窓際の太陽光を遮蔽する工夫として、ゴーヤーを植えてネットを這わせる方法がよく紹介されていた。
ホームセンターなどでも栽培セットが売られていて、近所でも窓際に植えてあるのをよく見かけた。
私は今夏のような電力会社主導の胡散臭い節電キャンペーンは、一切無視すべきだと考えている。
電力は不足していなかったし、今後も不足しないと判断している。
しかしながら、日本人の美徳である「もったいない精神」から、日常の当たり前の作法として資源の節約に努めることには大賛成だ。
だから原発のような発電時に発生する熱量のうちの三分の二を海へ温排水として捨て、発電された三分の一を遠距離の送電でロスしまくり、オール電化で無駄に消費させまくらなければ成立しないような、非常にもったいない発電方法は否定する。
事故の危険性もさることながら、原発は常態でも無駄が多すぎるのだ。
関東以西の都市部の多くは、ヒートアイランド現象(地球温暖化ではない!)によって、夏には沖縄並みの亜熱帯になる。
沖縄には暑さをしのぐための様々な生活の知恵がある。
この夏の「緑のカーテン」流行りは、本当に良いことだと思う。
陽光を遮り、上手く育てれば豊富なビタミン源まで手に入るのだ!
ただ、十年ほど前から何度も栽培してきた自分の経験で言うと、プランターで育てた場合は「カーテン」以上のオマケの収穫は難しいと思う。
小さなゴーヤーの実はたくさん付くけど、2~3個育てば良い方だろう。
本格的な収穫まで望むなら、プランターではなく庭の土をそれなりに整備してやった方がいい。
収穫したゴーヤーはぜひチャンプルーで食べてほしいが、本土でありがちなレシピだと、「豚肉と玉子とゴーヤーをフライパンで炒めた何か」になってしまって、正直不味い。
沖縄現地の味と全然違うのだ。
島豆腐とポーク(スパム缶詰)を使って、半ば煮物のようなつゆだく風にすると、けっこう近いものができる。
島豆腐が手に入らない時、私は厚揚げで代用している。
本当は現地でもけっこう色んなゴーヤーチャンプルーがあって一様ではないのだが、とにかく一度沖縄料理屋で味を体験してみてから自宅で調理に挑戦した方がいいと思う。
ああ、また沖縄に行きたくなってきた。。。
この夏の節電キャンペーンの中、窓際の太陽光を遮蔽する工夫として、ゴーヤーを植えてネットを這わせる方法がよく紹介されていた。
ホームセンターなどでも栽培セットが売られていて、近所でも窓際に植えてあるのをよく見かけた。
私は今夏のような電力会社主導の胡散臭い節電キャンペーンは、一切無視すべきだと考えている。
電力は不足していなかったし、今後も不足しないと判断している。
しかしながら、日本人の美徳である「もったいない精神」から、日常の当たり前の作法として資源の節約に努めることには大賛成だ。
だから原発のような発電時に発生する熱量のうちの三分の二を海へ温排水として捨て、発電された三分の一を遠距離の送電でロスしまくり、オール電化で無駄に消費させまくらなければ成立しないような、非常にもったいない発電方法は否定する。
事故の危険性もさることながら、原発は常態でも無駄が多すぎるのだ。
関東以西の都市部の多くは、ヒートアイランド現象(地球温暖化ではない!)によって、夏には沖縄並みの亜熱帯になる。
沖縄には暑さをしのぐための様々な生活の知恵がある。
この夏の「緑のカーテン」流行りは、本当に良いことだと思う。
陽光を遮り、上手く育てれば豊富なビタミン源まで手に入るのだ!
ただ、十年ほど前から何度も栽培してきた自分の経験で言うと、プランターで育てた場合は「カーテン」以上のオマケの収穫は難しいと思う。
小さなゴーヤーの実はたくさん付くけど、2~3個育てば良い方だろう。
本格的な収穫まで望むなら、プランターではなく庭の土をそれなりに整備してやった方がいい。
収穫したゴーヤーはぜひチャンプルーで食べてほしいが、本土でありがちなレシピだと、「豚肉と玉子とゴーヤーをフライパンで炒めた何か」になってしまって、正直不味い。
沖縄現地の味と全然違うのだ。
島豆腐とポーク(スパム缶詰)を使って、半ば煮物のようなつゆだく風にすると、けっこう近いものができる。
島豆腐が手に入らない時、私は厚揚げで代用している。
本当は現地でもけっこう色んなゴーヤーチャンプルーがあって一様ではないのだが、とにかく一度沖縄料理屋で味を体験してみてから自宅で調理に挑戦した方がいいと思う。
ああ、また沖縄に行きたくなってきた。。。
2011年09月12日
海辺の月
熊野に毎年行っていた頃、旅の終わりには新宮や那智の海辺でよくゴロ寝していた。
さんざん山をほっつき歩いた後なので、足は半分壊れ、疲労は溜まりきっている。
夕方、温泉にゆっくりつかり、天気が良ければ海岸沿いの適当な場所で寝転がって、波音に包まれながら時間を過ごした。
何年前だったか、那智の海に寝転がった時には、空に素晴らしく綺麗な月が浮かんでいた。
あたりに人影は無く、まるで私一人だけのためにお月さまがあるような気がして、夢見心地のまま寝入ったり覚めたりを繰り返す贅沢な一夜を過ごした。
あの海岸も、今は少なからず台風の被害を受けているのではないだろうか。
今夜の中秋の名月を眺めながら、遠い彼の地に思いをはせている。
当ブログではとりわけ「月」の記事は大切にしており、いままでにも様々なお話を書きつづってきた。以下にご紹介。
お月さまのおしっこ
月影
つ、つ、つきよだ
月のウサギ
蝕
太陽と月を喰う悪魔
月を喰う悪魔のロゴ画像動画
月のモノガタリあれこれ
接近
深夜の航路
中秋の名月2009
天の乗物 太陽と月
中秋の名月2010
蝕3
さんざん山をほっつき歩いた後なので、足は半分壊れ、疲労は溜まりきっている。
夕方、温泉にゆっくりつかり、天気が良ければ海岸沿いの適当な場所で寝転がって、波音に包まれながら時間を過ごした。
何年前だったか、那智の海に寝転がった時には、空に素晴らしく綺麗な月が浮かんでいた。
あたりに人影は無く、まるで私一人だけのためにお月さまがあるような気がして、夢見心地のまま寝入ったり覚めたりを繰り返す贅沢な一夜を過ごした。
あの海岸も、今は少なからず台風の被害を受けているのではないだろうか。
今夜の中秋の名月を眺めながら、遠い彼の地に思いをはせている。
当ブログではとりわけ「月」の記事は大切にしており、いままでにも様々なお話を書きつづってきた。以下にご紹介。
お月さまのおしっこ
月影
つ、つ、つきよだ
月のウサギ
蝕
太陽と月を喰う悪魔
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月のモノガタリあれこれ
接近
深夜の航路
中秋の名月2009
天の乗物 太陽と月
中秋の名月2010
蝕3
2011年09月15日
夜のガジュマル
那覇市内は夜が面白い。
毎夜毎晩、午後九時あたりから午前二時三時まで盛り上がってる酒場はもちろん面白い。
飛び込みで入った店で地元の神社の娘さんという人とたまたま相席し、色々興味深いお話を聴かせてもらった思い出もある。
しかしそういうお酒の席の面白さだけでなく、ブラブラ夜の散歩を楽しんでみるだけでも十分面白い。
地元の皆さんには当たり前の風景でも、大和から来たガイジンである私の眼には、とても素晴らしく見えるものがたくさんある。
夜のガジュマルもその一つだ。
那覇には市街地の中でも普通に、大和で言うなら神木クラスのガジュマルの巨木があちこちに生えている。
公園や民家、墓地などの暗がりに生えている巨木が、夜の街の色とりどりの灯を遠く浴びると、異様な姿に見えてくることがある。
この絵は巨木とのそんな出会い方をした記憶を元に描いたもの。
木炭用紙に水墨でデッサンし、コンテパステルを重ねた一枚。
制作時期はたぶん十年ぐらい前になるかなあ。。。
毎夜毎晩、午後九時あたりから午前二時三時まで盛り上がってる酒場はもちろん面白い。
飛び込みで入った店で地元の神社の娘さんという人とたまたま相席し、色々興味深いお話を聴かせてもらった思い出もある。
しかしそういうお酒の席の面白さだけでなく、ブラブラ夜の散歩を楽しんでみるだけでも十分面白い。
地元の皆さんには当たり前の風景でも、大和から来たガイジンである私の眼には、とても素晴らしく見えるものがたくさんある。
夜のガジュマルもその一つだ。
那覇には市街地の中でも普通に、大和で言うなら神木クラスのガジュマルの巨木があちこちに生えている。
公園や民家、墓地などの暗がりに生えている巨木が、夜の街の色とりどりの灯を遠く浴びると、異様な姿に見えてくることがある。
この絵は巨木とのそんな出会い方をした記憶を元に描いたもの。
木炭用紙に水墨でデッサンし、コンテパステルを重ねた一枚。
制作時期はたぶん十年ぐらい前になるかなあ。。。
2011年09月16日
今度沖縄に行ったら
荷物を整理していたら、昔描いた絵が何枚か出てきた。
一時期、木炭用のMBM紙によく樹木の絵を描いていた時期があった。
前回記事の「夜のガジュマル」も、その中の一枚だ。
そういうスタイルの絵を描き始めるきっかけになったのが、タレントの円広志さんがTV番組で樹木画を描いているのを観たことだ。
実際に巨木の前にイーゼルを立て、油性マジックやペン、水彩など、画材にはこだわらずに渾身の力を込めて絵に没頭している姿に、ちょと感動してしまった。
出来上がった絵も素晴らしかった。
私も樹木と絵が大好きなので、ぜひ自分でもやってみたいと思った。
沖縄で見たガジュマルやアカギの巨木を、絵にしてみたいと思った。
本当は木と対面しながら描くのが一番なのだが、実見した時の感動はまだ薄れておらず、手元にその時撮った写真が何枚かあったので、それを元に何枚か描いた。
今回は、首里金城町の有名な大アカギを元にした絵を一枚。
画材はMBM紙に黒のクレパス、水彩絵の具。
沖縄の強烈な日差しと濃い緑陰。
日差しに眩んだ眼には、影の中にいろんな色が見えてくる。
いつになるか分からないが、今度沖縄に行く時には、なんとか時間を取って樹木と対面しながら絵を描いてみたい。
一時期、木炭用のMBM紙によく樹木の絵を描いていた時期があった。
前回記事の「夜のガジュマル」も、その中の一枚だ。
そういうスタイルの絵を描き始めるきっかけになったのが、タレントの円広志さんがTV番組で樹木画を描いているのを観たことだ。
実際に巨木の前にイーゼルを立て、油性マジックやペン、水彩など、画材にはこだわらずに渾身の力を込めて絵に没頭している姿に、ちょと感動してしまった。
出来上がった絵も素晴らしかった。
私も樹木と絵が大好きなので、ぜひ自分でもやってみたいと思った。
沖縄で見たガジュマルやアカギの巨木を、絵にしてみたいと思った。
本当は木と対面しながら描くのが一番なのだが、実見した時の感動はまだ薄れておらず、手元にその時撮った写真が何枚かあったので、それを元に何枚か描いた。
今回は、首里金城町の有名な大アカギを元にした絵を一枚。
画材はMBM紙に黒のクレパス、水彩絵の具。
沖縄の強烈な日差しと濃い緑陰。
日差しに眩んだ眼には、影の中にいろんな色が見えてくる。
いつになるか分からないが、今度沖縄に行く時には、なんとか時間を取って樹木と対面しながら絵を描いてみたい。
2011年09月25日
ヒガンバナ2011
今日、通りかかった公園でヒガンバナを見つけた。
私の住む地域では、ヒガンバナはその名の通りちょうど秋のお彼岸の頃に咲くのが通常ペースだから、今年の秋の訪れはほぼ順調ということになる。
夕方のニュースで、水害の心配された熊野や十津川流域の映像が流れており、そこにもヒガンバナの朱色が点々と映し出されていた。
私はかつて、夏から9月のお彼岸あたりにかけて、よく熊野の山野を遍路していた。
咲き誇るヒガンバナに陶然となりながら、野の道を歩いた記憶は今でも鮮明だ。
そう言えば当ブログでも、昔ロゴ画像に熊野のヒガンバナを使ったことがあった。
彼の地に一日も早く平穏が訪れますように。
私の住む地域では、ヒガンバナはその名の通りちょうど秋のお彼岸の頃に咲くのが通常ペースだから、今年の秋の訪れはほぼ順調ということになる。
夕方のニュースで、水害の心配された熊野や十津川流域の映像が流れており、そこにもヒガンバナの朱色が点々と映し出されていた。
私はかつて、夏から9月のお彼岸あたりにかけて、よく熊野の山野を遍路していた。
咲き誇るヒガンバナに陶然となりながら、野の道を歩いた記憶は今でも鮮明だ。
そう言えば当ブログでも、昔ロゴ画像に熊野のヒガンバナを使ったことがあった。
彼の地に一日も早く平穏が訪れますように。