あっという間に秋が来てしまった。
世間では衣替えか……
私の衣替え基準は、道を歩いていて半そでの人が一人もいなくなったときだ。
例年だいたい10月半ばごろ、Tシャツが長袖になる。
上着は11月に入ってからになることが多い。
中秋の名月はもう終わったが、秋の月夜はいよいよこれからだ。
ロゴflashは、以前アップした「二人の月」という絵画作品を素材にしてある。
秋祭りはどこに行こうかな。
例の暴力団対策とやらのせいで、テキ屋さんまで排除するお祭もあるとか。
うちの近所の神社仏閣が、そういう愚かな措置をとりませんように。
腹の立つこと、悲しいことはいくらもあるが、月を眺めつぼちぼちと。
2011年10月03日
2011年10月10日
2011年10月11日
とある「石」の思い出
ずっと「睡眠不足上等!」「突貫工事バッチこーい!」で生きてきた。
ここ数年は年齢のせいもあり、ちょっと身体に気をつけることにしている。
高校生の頃は三時間睡眠一カ月とかやっても平気だったが、もうそんな元気はもちろん無い。完徹は絶対無理だし、三時間睡眠もせいぜい四日ほどが限度だ。基本は5~6時間睡眠を守らないと長続きしない。
それを超えて無理押しすると、てきめんに体調を崩す。
起こしやすい症状を並べてみると、以下のようなもの。
●ぎっくり腰
●肩から腰の酷い凝り
●胃炎
●口内炎
ここ十年、簡単な日記メモをつけるようになってから、だいたい体調を崩すのは初夏や秋など夜間の気温が不順になり、服装に迷う時期に集中していることが分かっている。
秋で言えばちょうど今頃だ。
このブログでも酷い体調不良になった時には何度か記事にしてきたが、今後の自分への戒めと参考にするために、健康関連の記事はカテゴリ身体との対話にまとめることにした。
読み返してみると、わざわざ自分で長文を書いておきながら、その記事以後にもぎっくり腰と胃炎の軽いのを一回ずつやってしまっている。アホである。
もういい年なんだから、少しは学習しなければ……
さて「石」のことだ。
小沢一郎さんが尿管結石で入院なさったニュースを見ながら、とある「石」のことを思い出した。
尿管結石ではないが、私も体から「石」が出てきたことがあるのだ。
あれはたしか、まだ二十歳すぎの頃だったと思う。
喉がひどく痛み、扁桃腺あたりが少し腫れ、発熱した。
てっきり風邪だと思い、風邪ぐらいは医者に行かずに治すことにしているので、そのまま放置した。
しかし二三日経ってもいっこうに症状が治まらず、やむなく受診すると、やはり風邪という診断で、薬を出してもらった。
医者は基本的に好きではないけれども、一旦受診したら完璧に指示に従うことにしているので、欠かさず薬を飲み、しばらく安静にしていた。
それでも治らない。
そのうち喉の腫れが酷くなってきて、舌が痺れたようになり、呂律が回らなくなってきた。
さすがに異常を感じて再度医者へ。
診てくれたお医者さんも不審に思ったのか、喉を中心に口内を詳しく調べてくれた。
舌を持ち上げて下顎を診ていたとき、お医者さんが小さく叫んだ。
「あ! なんだこれは!」
自分ではなんのことやらさっぱりわからなかったが、どうやら唾液腺のあたりに大きなしこりがあり、何か灰白色の物がチラッと見えているらしい。
(以下、痛いのが苦手な人は注意!)
「あ〜、なにか石みたいなのが入っとるね。取っちゃおうか」
と言いながら、先の曲がったピンセット状の器具で引っ張り始めた。
痛い。
「あれ? おかしいな」
おもったより「石」が大きくてなかなか抜けないらしく、徐々に引っ張る力が強くなる。
凄く痛い。
それでも抜けないのでお医者さんもムキになって「ガン、ガン」と言う感じで反動をつけて引っ張り始める。
物凄く痛い。
痛みで泣きそうになったのは子供の時以来だった。
あまりの痛さで私の眼に涙が滲み始めた時のこと。
「うわ! 抜けたー!」
物凄く嬉しそうなお医者さんの声が診察室に響いた。
私の口内から出てきたのは、シャーペンのおしりに付属している消しゴムくらいの大きさの、白っぽい「石」だった。
「いや〜、でっかいの出てきたね〜! 君、持って帰りなさい、持って帰りなさい!」
うきうきと小躍りしそうな様子のお医者さんに、私は「はあ」と答えるしかなかった。
結局、唾液腺にカルシウムだか何だかが詰まって石状になり、それが原因で炎症を起こしていたのだろうということらしい。確かにその石が抜けてから、嘘みたいにピタッと症状は治まった。
もし私が中世の坊さんだったら「口から舎利が出てきたありがたい僧」として崇敬を集めたかもしれない。出てきた石は宝物として厳重に寺院に保管されたかもしれない。そしてたとえば今昔物語の中の一話に収録されたりして。
しかし残念ながら当時の私はただのアホな学生だったので、せいぜい飲み会のネタに石を披露するぐらいしかできなかった。
生まれてくる時代を間違えた。
そう言えば、母方の祖父もどこかに結石があって入院していた覚えがある。
家系か。
石さん石さん、もし今度来るときは、お手柔らかに……
あまり関係ないけどヒガンバナ
ここ数年は年齢のせいもあり、ちょっと身体に気をつけることにしている。
高校生の頃は三時間睡眠一カ月とかやっても平気だったが、もうそんな元気はもちろん無い。完徹は絶対無理だし、三時間睡眠もせいぜい四日ほどが限度だ。基本は5~6時間睡眠を守らないと長続きしない。
それを超えて無理押しすると、てきめんに体調を崩す。
起こしやすい症状を並べてみると、以下のようなもの。
●ぎっくり腰
●肩から腰の酷い凝り
●胃炎
●口内炎
ここ十年、簡単な日記メモをつけるようになってから、だいたい体調を崩すのは初夏や秋など夜間の気温が不順になり、服装に迷う時期に集中していることが分かっている。
秋で言えばちょうど今頃だ。
このブログでも酷い体調不良になった時には何度か記事にしてきたが、今後の自分への戒めと参考にするために、健康関連の記事はカテゴリ身体との対話にまとめることにした。
読み返してみると、わざわざ自分で長文を書いておきながら、その記事以後にもぎっくり腰と胃炎の軽いのを一回ずつやってしまっている。アホである。
もういい年なんだから、少しは学習しなければ……
さて「石」のことだ。
小沢一郎さんが尿管結石で入院なさったニュースを見ながら、とある「石」のことを思い出した。
尿管結石ではないが、私も体から「石」が出てきたことがあるのだ。
あれはたしか、まだ二十歳すぎの頃だったと思う。
喉がひどく痛み、扁桃腺あたりが少し腫れ、発熱した。
てっきり風邪だと思い、風邪ぐらいは医者に行かずに治すことにしているので、そのまま放置した。
しかし二三日経ってもいっこうに症状が治まらず、やむなく受診すると、やはり風邪という診断で、薬を出してもらった。
医者は基本的に好きではないけれども、一旦受診したら完璧に指示に従うことにしているので、欠かさず薬を飲み、しばらく安静にしていた。
それでも治らない。
そのうち喉の腫れが酷くなってきて、舌が痺れたようになり、呂律が回らなくなってきた。
さすがに異常を感じて再度医者へ。
診てくれたお医者さんも不審に思ったのか、喉を中心に口内を詳しく調べてくれた。
舌を持ち上げて下顎を診ていたとき、お医者さんが小さく叫んだ。
「あ! なんだこれは!」
自分ではなんのことやらさっぱりわからなかったが、どうやら唾液腺のあたりに大きなしこりがあり、何か灰白色の物がチラッと見えているらしい。
(以下、痛いのが苦手な人は注意!)
「あ〜、なにか石みたいなのが入っとるね。取っちゃおうか」
と言いながら、先の曲がったピンセット状の器具で引っ張り始めた。
痛い。
「あれ? おかしいな」
おもったより「石」が大きくてなかなか抜けないらしく、徐々に引っ張る力が強くなる。
凄く痛い。
それでも抜けないのでお医者さんもムキになって「ガン、ガン」と言う感じで反動をつけて引っ張り始める。
物凄く痛い。
痛みで泣きそうになったのは子供の時以来だった。
あまりの痛さで私の眼に涙が滲み始めた時のこと。
「うわ! 抜けたー!」
物凄く嬉しそうなお医者さんの声が診察室に響いた。
私の口内から出てきたのは、シャーペンのおしりに付属している消しゴムくらいの大きさの、白っぽい「石」だった。
「いや〜、でっかいの出てきたね〜! 君、持って帰りなさい、持って帰りなさい!」
うきうきと小躍りしそうな様子のお医者さんに、私は「はあ」と答えるしかなかった。
結局、唾液腺にカルシウムだか何だかが詰まって石状になり、それが原因で炎症を起こしていたのだろうということらしい。確かにその石が抜けてから、嘘みたいにピタッと症状は治まった。
もし私が中世の坊さんだったら「口から舎利が出てきたありがたい僧」として崇敬を集めたかもしれない。出てきた石は宝物として厳重に寺院に保管されたかもしれない。そしてたとえば今昔物語の中の一話に収録されたりして。
しかし残念ながら当時の私はただのアホな学生だったので、せいぜい飲み会のネタに石を披露するぐらいしかできなかった。
生まれてくる時代を間違えた。
そう言えば、母方の祖父もどこかに結石があって入院していた覚えがある。
家系か。
石さん石さん、もし今度来るときは、お手柔らかに……
あまり関係ないけどヒガンバナ
2011年10月17日
単機能の潔さ
根っからのアナログ人間である。
PCを始めたのが2004年。
それまでは骨董品のようなワープロを使い、ネットの世界は触ったことも無かった。
2007年まではケータイも使っていなかった。今でも必要に迫られて「持っている」だけで、実際にはほとんど使っていない。いまだに自分の番号を憶えていないし、通常の通話とメール返信以外はやらない。というか、使い方が良くわかっていないので、出来ない。
こうしてブログを運営し、PCで絵を描き、拙いFlash動画やDTMで遊びながらも、感覚的にはデジタルをやっている気がしない。
アナログ人間がさほど違和感を感じずに色々遊べるのも、一重に技術革新のおかげだ。
ここ数年、情報端末は更に進化しているようだけど、う〜ん正直ついていけない。
デスクトップ一台と、子機としてネットブック一台(ただしネットには未接続)の現状で十分だったのだが、半年ぐらい前に家電量販店で気になるのを見つけてしまった。
●「デジタルメモ ポメラ(POMERA DM10)」(キングジム)
テキスト入力だけに特化したツール。収納時には文庫本サイズになるが、開くと違和感なく打てるサイズのキーボードが出現する。
ネット接続もゲームも音楽再生もカラー表示も一切なし!
80年代末期のワープロ専用機みたいな小さな白黒液晶画面で、ただただテキスト入力するのみ!
だが、それがいい!
私のような意志の弱い人間は、「色々できる」のを持ってしまうと、ちょい面倒なテキスト入力なんてできなくなってしまう。
このポメラの素晴らしいところは「文字うちしかできない」ところなのだ。
しかも軽くてコンパクト、単四電池2本で20時間以上動き、起動にたった2秒!
移動中や喫茶店での5分、10分を無駄なく拾い集めることができる。
もちろんPCに接続することも可能!
私が入手したのは一番安いシリーズで、液晶画面の大きさや性能にやや欠ける印象はあるが、十分実用に耐えるので重宝している。
経済的にもう少し余裕があれば、以下のようなお馬鹿な代物に手を出したかもしれないが、そこまで「メモ帳」には投資できない。。。
●「デジタルメモ ポメラ シャア・アズナブルモデル DM11Gアカ」(キングジム)
何かと多機能がもてはやされる世の中、センスのいい単機能がもっと注目されますように。
PCを始めたのが2004年。
それまでは骨董品のようなワープロを使い、ネットの世界は触ったことも無かった。
2007年まではケータイも使っていなかった。今でも必要に迫られて「持っている」だけで、実際にはほとんど使っていない。いまだに自分の番号を憶えていないし、通常の通話とメール返信以外はやらない。というか、使い方が良くわかっていないので、出来ない。
こうしてブログを運営し、PCで絵を描き、拙いFlash動画やDTMで遊びながらも、感覚的にはデジタルをやっている気がしない。
アナログ人間がさほど違和感を感じずに色々遊べるのも、一重に技術革新のおかげだ。
ここ数年、情報端末は更に進化しているようだけど、う〜ん正直ついていけない。
デスクトップ一台と、子機としてネットブック一台(ただしネットには未接続)の現状で十分だったのだが、半年ぐらい前に家電量販店で気になるのを見つけてしまった。
●「デジタルメモ ポメラ(POMERA DM10)」(キングジム)
テキスト入力だけに特化したツール。収納時には文庫本サイズになるが、開くと違和感なく打てるサイズのキーボードが出現する。
ネット接続もゲームも音楽再生もカラー表示も一切なし!
80年代末期のワープロ専用機みたいな小さな白黒液晶画面で、ただただテキスト入力するのみ!
だが、それがいい!
私のような意志の弱い人間は、「色々できる」のを持ってしまうと、ちょい面倒なテキスト入力なんてできなくなってしまう。
このポメラの素晴らしいところは「文字うちしかできない」ところなのだ。
しかも軽くてコンパクト、単四電池2本で20時間以上動き、起動にたった2秒!
移動中や喫茶店での5分、10分を無駄なく拾い集めることができる。
もちろんPCに接続することも可能!
私が入手したのは一番安いシリーズで、液晶画面の大きさや性能にやや欠ける印象はあるが、十分実用に耐えるので重宝している。
経済的にもう少し余裕があれば、以下のようなお馬鹿な代物に手を出したかもしれないが、そこまで「メモ帳」には投資できない。。。
●「デジタルメモ ポメラ シャア・アズナブルモデル DM11Gアカ」(キングジム)
何かと多機能がもてはやされる世の中、センスのいい単機能がもっと注目されますように。
2011年10月21日
原発関連覚書
一週間前のことになるが、ちょっと気になる新聞記事を見かけたので、内容の要旨を覚え書きにしておく。
毎日新聞2011年10月14日の記事である。
社会面に写真入り、見出し付きでそれなりに大きく扱われている。見出しには以下のような言葉が使われている。
曹洞宗大本山永平寺(福井県永平寺町)で、来月11月2日、シンポジウム「いのちを慈しむ〜原発を選ばないという生き方」開催されるという。催しを運営する「禅を学ぶ会」事務局長、西田正法さん(永平寺布教部長 56才)のコメントを記事よりそのまま引用する。
記事によると永平寺は同県敦賀市の新型転換炉「ふげん」(廃炉作業中)と高速増殖炉「もんじゅ」(事故により停止中)の命名に関わったとされていると言う。
具体的にどのように関わったのかは記述されていない。
ごく常識的に推察すれば、なんらかのつてで原発関係者から新型炉の命名の相談を受けた永平寺のどなたかが、有名な菩薩の名をつけるようアドバイスしたということなのだろう。
ちなみに両菩薩は次のようなお姿をしている。
文殊菩薩
普賢菩薩
そのことについても西田布教部長はコメントしているので、記事からそのまま引用する。
一読、かなり踏み込んだ発言に驚く。
福井県と言えば世界でも類を見ない原発密集地として知られているが、その地元の大寺院布教部長が正面切って「反原発」の立場をとったこと。
原発という存在そのものが「仏教の教えと相反する」とし、過去の永平寺の関わりを「間違いだった。懺悔することから始めたい」とまで言い切ったこと。
これまでにも再三述べてきた通り私は「原発即時停止」の立場をとっているが、その私から見ても「そこまで言って大丈夫?」と感じるほど思い切った発言だと思う。
記事を見る限り、単に西田氏個人の意見とは読めない。
曹洞宗全体が反原発に舵を切ったということは無いだろうが、少なくとも永平寺がそのように表明したとは読める。
私が読んだ記事そのものではないが、ほぼ同内容の東京新聞の記事はネットで読める。
永平寺、脱原発シンポへ 「後世に負の遺産は慈しむ教えに反す」
wikiによると「もんじゅ」命名への永平寺への関与は誤報であるとされているが……
よそ様のことなので、今回は記事から常識的に読み取れる内容以上には踏み込まず、覚書として記録するのみとする。
ちなみに、東西両本願寺でも「脱原発」をうかがわせる動きはあるようだ。
本願寺新報2011年8月20日号 脱原発 − 人間の傲慢さ厳しく提起した事故 −
京都新聞 原発依存を問い直す 東本願寺で公開研修始まる
毎日新聞2011年10月14日の記事である。
社会面に写真入り、見出し付きでそれなりに大きく扱われている。見出しには以下のような言葉が使われている。
原発は仏の教えに背く
「ふげん」など命名懺悔
曹洞宗大本山永平寺(福井県永平寺町)で、来月11月2日、シンポジウム「いのちを慈しむ〜原発を選ばないという生き方」開催されるという。催しを運営する「禅を学ぶ会」事務局長、西田正法さん(永平寺布教部長 56才)のコメントを記事よりそのまま引用する。
「使用済み核燃料を残し、DNAに作用する放射線という危険をはらむ原発は、子孫への負の遺産となる。命を長い時間の視座に置く仏教の教えと相反する」
記事によると永平寺は同県敦賀市の新型転換炉「ふげん」(廃炉作業中)と高速増殖炉「もんじゅ」(事故により停止中)の命名に関わったとされていると言う。
具体的にどのように関わったのかは記述されていない。
ごく常識的に推察すれば、なんらかのつてで原発関係者から新型炉の命名の相談を受けた永平寺のどなたかが、有名な菩薩の名をつけるようアドバイスしたということなのだろう。
ちなみに両菩薩は次のようなお姿をしている。
文殊菩薩
普賢菩薩
そのことについても西田布教部長はコメントしているので、記事からそのまま引用する。
「原発に対する認識が足りなかった私たちの責任は重く、間違いだった。懺悔することから始めたい」
一読、かなり踏み込んだ発言に驚く。
福井県と言えば世界でも類を見ない原発密集地として知られているが、その地元の大寺院布教部長が正面切って「反原発」の立場をとったこと。
原発という存在そのものが「仏教の教えと相反する」とし、過去の永平寺の関わりを「間違いだった。懺悔することから始めたい」とまで言い切ったこと。
これまでにも再三述べてきた通り私は「原発即時停止」の立場をとっているが、その私から見ても「そこまで言って大丈夫?」と感じるほど思い切った発言だと思う。
記事を見る限り、単に西田氏個人の意見とは読めない。
曹洞宗全体が反原発に舵を切ったということは無いだろうが、少なくとも永平寺がそのように表明したとは読める。
私が読んだ記事そのものではないが、ほぼ同内容の東京新聞の記事はネットで読める。
永平寺、脱原発シンポへ 「後世に負の遺産は慈しむ教えに反す」
wikiによると「もんじゅ」命名への永平寺への関与は誤報であるとされているが……
よそ様のことなので、今回は記事から常識的に読み取れる内容以上には踏み込まず、覚書として記録するのみとする。
ちなみに、東西両本願寺でも「脱原発」をうかがわせる動きはあるようだ。
本願寺新報2011年8月20日号 脱原発 − 人間の傲慢さ厳しく提起した事故 −
京都新聞 原発依存を問い直す 東本願寺で公開研修始まる
2011年10月23日
子供時代の妄想
ふとした瞬間に、とくに脈絡もなく、子どもの頃考えていたことが蘇ってくることがある。
中には大人になってから考えるとかなりおかしなものもあるが、子供だった当時はけっこう真剣に考えていたりする。
小学生の頃、近所の池によく網や釣竿を持って出かけた。
春から夏にかけては獲物が色々いたので、低学年ころから飽きずに何度となく行った。
ザリガニなどをすくっていると、よく網の中に↓こんなものが紛れ込んでいた。
記憶だけで描いているので実物とは少し違っているかもしれないが、横幅3センチほどの黒くてかたい謎の物体だった。
よく見ると、池の水面にいくつもプカプカ浮いていた。
小学生低学年ごろの私は、形状から妄想してこの物体を「蝙蝠の卵」だと思っていた。
夜になるとこの卵がかえって、空を飛びまわる蝙蝠になるのだと思っていた。
その証拠に、夕方ごろ以降の池の周りでは、よく蝙蝠を見かけるじゃないか……
今から考えれば、なんらかの水草の種だったんだろうなと想像はつく。
試しに何度かネット検索してみれば、さほど労せず正解に辿りつけるだろう。
ただ、なんとなくお手軽に正解を知ってしまいたくない気分が今はある。
ン十年前の幼い妄想を、もうしばらく味わっていたいような。
中には大人になってから考えるとかなりおかしなものもあるが、子供だった当時はけっこう真剣に考えていたりする。
小学生の頃、近所の池によく網や釣竿を持って出かけた。
春から夏にかけては獲物が色々いたので、低学年ころから飽きずに何度となく行った。
ザリガニなどをすくっていると、よく網の中に↓こんなものが紛れ込んでいた。
記憶だけで描いているので実物とは少し違っているかもしれないが、横幅3センチほどの黒くてかたい謎の物体だった。
よく見ると、池の水面にいくつもプカプカ浮いていた。
小学生低学年ごろの私は、形状から妄想してこの物体を「蝙蝠の卵」だと思っていた。
夜になるとこの卵がかえって、空を飛びまわる蝙蝠になるのだと思っていた。
その証拠に、夕方ごろ以降の池の周りでは、よく蝙蝠を見かけるじゃないか……
今から考えれば、なんらかの水草の種だったんだろうなと想像はつく。
試しに何度かネット検索してみれば、さほど労せず正解に辿りつけるだろう。
ただ、なんとなくお手軽に正解を知ってしまいたくない気分が今はある。
ン十年前の幼い妄想を、もうしばらく味わっていたいような。
2011年10月24日
子供時代の妄想2
前回の「蝙蝠の卵」は小学生低学年ごろの記憶だと思うが、今回はもっと小さい頃、おそらく幼稚園児の頃の妄想記憶である。
●ジャンボジェット機は引退すると新幹線になると思っていた。
このネタがそのまま理解してもらえるか、補足説明が必要であるかで、読み手の世代が分かりそうだ。
私が子供の頃、「新幹線」と言えば何といっても0系ひかり号だった。
ジャンボジェット機そっくりの顔立ちで、普通の電車を超える「超特急」だったことから、子どもなりに「飛ぶのに疲れた飛行機は、羽根を外して新幹線になる」と妄想していたらしい。
実際は大きさが全く違うのだが、そこは子供の限界。
現在、0系新幹線はもう完全引退したのだったっけ?
あのジェット機のような風貌は、200系あたりに受け継がれているが、あれはちょっと人相が悪いからなあ……
300系のシンプルな顔立ちや、500系のシャープな顔立ちに思い入れがある年代もあるだろうし、今の子供は「新幹線」と言えば、700系のカモノハシっぽい顔を思い浮かべるだろう。
そう言えば、プラレールアドバンスという玩具が発売されたそうで、ちょっと気になっていた。
プラレールのあの青いレールがそのまま複線レールとして使用でき、通常のプラレールよりも小さくて精密な車両が走行させられるという。
発想はすごくいい。
かなり期待してamazonのレビューをのぞいてみると、酷く評判が悪い。
子供のおもちゃとしては脱線し易すぎるということだ。
コンセプトとしては面白いので、今後タカラトミーの技術力を結集して改良に取り組み、軌道に乗せてほしいシリーズだ。
●ジャンボジェット機は引退すると新幹線になると思っていた。
このネタがそのまま理解してもらえるか、補足説明が必要であるかで、読み手の世代が分かりそうだ。
私が子供の頃、「新幹線」と言えば何といっても0系ひかり号だった。
ジャンボジェット機そっくりの顔立ちで、普通の電車を超える「超特急」だったことから、子どもなりに「飛ぶのに疲れた飛行機は、羽根を外して新幹線になる」と妄想していたらしい。
実際は大きさが全く違うのだが、そこは子供の限界。
現在、0系新幹線はもう完全引退したのだったっけ?
あのジェット機のような風貌は、200系あたりに受け継がれているが、あれはちょっと人相が悪いからなあ……
300系のシンプルな顔立ちや、500系のシャープな顔立ちに思い入れがある年代もあるだろうし、今の子供は「新幹線」と言えば、700系のカモノハシっぽい顔を思い浮かべるだろう。
そう言えば、プラレールアドバンスという玩具が発売されたそうで、ちょっと気になっていた。
プラレールのあの青いレールがそのまま複線レールとして使用でき、通常のプラレールよりも小さくて精密な車両が走行させられるという。
発想はすごくいい。
かなり期待してamazonのレビューをのぞいてみると、酷く評判が悪い。
子供のおもちゃとしては脱線し易すぎるということだ。
コンセプトとしては面白いので、今後タカラトミーの技術力を結集して改良に取り組み、軌道に乗せてほしいシリーズだ。
2011年10月25日
太陽の塔
「今年は岡本太郎生誕百周年ということだ。
各種イベントや書籍の出版、ドラマ化などの企画がたくさん用意されている模様。
祝祭を好み、祝祭そのものを体現したような岡本太郎の、生誕百年祭。
私も太郎を敬愛する一人として、このブログを通してお祭り騒ぎに参加したい」
そう宣言してカテゴリ岡本太郎を立ち上げたのが今年2月。
それから岡本太郎に関する過去記事を加筆修正してまとめ、さあこれから新しい記事も書いていこうかと思っていた矢先に、3.11が起こってしまった。
それ以来、なかなか再開できずにいたのだが、その間にも太郎の代表作「明日の神話」にアーティスト集団を名乗る者が「加筆」を行ったり、かなり面白い事象はあった。
今現在は、大阪万博公園の「太陽の塔」の前に、ヤノベケンジさんの新作が設置されているという。
太郎は「核」と言うモチーフにかなりこだわりがあったので、3.11以降に再び視線が集まるのは自然なことだ。
「太陽の塔」は、私も大好きなモニュメントで、過去に記事を書いたこともある。
以下に再録しておく。
まず、一般の「太陽の塔」のイメージと言えば、正面からの遠景だろう。写真や、お土産の小型模型でお馴染みの姿だ。
もちろんこの姿だけでも物凄いインパクトがある。しかし私が思うに「太陽の塔」の真価は、現地に行って作品の足元から見上げた時にある。
眺める位置や角度によって、立体の面の重なり具合は刻々と変化し、何処から見てもカッコいい。
作品単体ではなく、周囲の風景との関係も見逃せない。
晴れの日には青空が、雲があれば雲が、雨が降れば水が、夜には闇が、作品に命を吹き込み表情を作る。
あまり知られていないが「太陽の塔」には背後にも顔がある。
太陽と「太陽の塔」
これもまた「明日の神話」
各種イベントや書籍の出版、ドラマ化などの企画がたくさん用意されている模様。
祝祭を好み、祝祭そのものを体現したような岡本太郎の、生誕百年祭。
私も太郎を敬愛する一人として、このブログを通してお祭り騒ぎに参加したい」
そう宣言してカテゴリ岡本太郎を立ち上げたのが今年2月。
それから岡本太郎に関する過去記事を加筆修正してまとめ、さあこれから新しい記事も書いていこうかと思っていた矢先に、3.11が起こってしまった。
それ以来、なかなか再開できずにいたのだが、その間にも太郎の代表作「明日の神話」にアーティスト集団を名乗る者が「加筆」を行ったり、かなり面白い事象はあった。
今現在は、大阪万博公園の「太陽の塔」の前に、ヤノベケンジさんの新作が設置されているという。
太郎は「核」と言うモチーフにかなりこだわりがあったので、3.11以降に再び視線が集まるのは自然なことだ。
「太陽の塔」は、私も大好きなモニュメントで、過去に記事を書いたこともある。
以下に再録しておく。
まず、一般の「太陽の塔」のイメージと言えば、正面からの遠景だろう。写真や、お土産の小型模型でお馴染みの姿だ。
もちろんこの姿だけでも物凄いインパクトがある。しかし私が思うに「太陽の塔」の真価は、現地に行って作品の足元から見上げた時にある。
眺める位置や角度によって、立体の面の重なり具合は刻々と変化し、何処から見てもカッコいい。
作品単体ではなく、周囲の風景との関係も見逃せない。
晴れの日には青空が、雲があれば雲が、雨が降れば水が、夜には闇が、作品に命を吹き込み表情を作る。
あまり知られていないが「太陽の塔」には背後にも顔がある。
太陽と「太陽の塔」
これもまた「明日の神話」
2011年10月30日
楽しくてやがて寂しき青い春
北杜夫さんがお亡くなりになった。
私にとっては、何といっても中高生の頃繰り返し読んだ「どくとるマンボウ青春記」の北先生だった。
●「どくとるマンボウ青春記」北杜夫(新潮文庫)
この本については、以前に一度軽く紹介したことがある。
訃報を聴いて久々に読み返してみた。
たぶん前回読んでから軽く十年以上は経っている。
作中で描かれる北杜夫さんの青春時代、第二次大戦直後の旧制高校の描写が懐かしい。
自分が十代の頃親しんだ描写に再会した懐かしさがあり、また、描かれる旧制高校の風景に対する懐かしさもあった。
もちろん私は(けっこう年食ったとはいえ)北杜夫さんよりはるかに年下なので、旧制高校そのものを実体験しているわけではない。
しかし私の出身校は私立の中高一貫で、創始者が旧制高校の学風を再現することを念頭に創り上げた学校だった。
時は流れて今はもうすっかり「まともな」学校になってしまったようだが、私の通っていた頃は時代から取り残されたような浮世離れした雰囲気が色濃く残っていた。
時代背景も違うし、旧制高校と現代の中高生では年齢もかなりずれているのだが、不思議と私は「どくとるマンボウ青春記」を、我がことのように共感しながら読んでいた。
だから今回の再読でも、内容の懐かしさとともに、自分の中高生の頃の記憶も一気に蘇ってきた。
成績別クラス編成で最下位クラスに入った高一の頃のこと。
「本来頭のいい馬鹿」ばかりが集まったどうしようもないクラスで、毎日狂的な馬鹿騒ぎを繰り返していたこと。
当時の友人の部屋に転がり込んで、意味なく時間を過ごしたこと。
その後学校を去ったその友人と、ずっと後になって再会したことなどなど……
取り憑かれたような熱狂はいずれ覚める時が来る。
学年が進み、その熱狂を主導していた友人が一人、二人と去るうちに、魔法のような「場」の空気は消え去っていく。
楽しくて、やがて寂しき。
それでもたった一人で、先に進まなければならない。
誰もが通る十代の道筋だ。
この本が好きな人は、おそらく世代を超えて無数に存在するだろう。
そういう人たちとは、なんとなく友だちになれそうな気がする。
私は人づきあいが得意な方ではなく、友人知己もごく限られた数にとどまるのだが、まだ見ぬ友人たちがこの世のどこかにたくさんいるかもしれないと想像することは、やはり楽しいものだ。
私にとっては、何といっても中高生の頃繰り返し読んだ「どくとるマンボウ青春記」の北先生だった。
●「どくとるマンボウ青春記」北杜夫(新潮文庫)
この本については、以前に一度軽く紹介したことがある。
訃報を聴いて久々に読み返してみた。
たぶん前回読んでから軽く十年以上は経っている。
作中で描かれる北杜夫さんの青春時代、第二次大戦直後の旧制高校の描写が懐かしい。
自分が十代の頃親しんだ描写に再会した懐かしさがあり、また、描かれる旧制高校の風景に対する懐かしさもあった。
もちろん私は(けっこう年食ったとはいえ)北杜夫さんよりはるかに年下なので、旧制高校そのものを実体験しているわけではない。
しかし私の出身校は私立の中高一貫で、創始者が旧制高校の学風を再現することを念頭に創り上げた学校だった。
時は流れて今はもうすっかり「まともな」学校になってしまったようだが、私の通っていた頃は時代から取り残されたような浮世離れした雰囲気が色濃く残っていた。
時代背景も違うし、旧制高校と現代の中高生では年齢もかなりずれているのだが、不思議と私は「どくとるマンボウ青春記」を、我がことのように共感しながら読んでいた。
だから今回の再読でも、内容の懐かしさとともに、自分の中高生の頃の記憶も一気に蘇ってきた。
成績別クラス編成で最下位クラスに入った高一の頃のこと。
「本来頭のいい馬鹿」ばかりが集まったどうしようもないクラスで、毎日狂的な馬鹿騒ぎを繰り返していたこと。
当時の友人の部屋に転がり込んで、意味なく時間を過ごしたこと。
その後学校を去ったその友人と、ずっと後になって再会したことなどなど……
取り憑かれたような熱狂はいずれ覚める時が来る。
学年が進み、その熱狂を主導していた友人が一人、二人と去るうちに、魔法のような「場」の空気は消え去っていく。
楽しくて、やがて寂しき。
それでもたった一人で、先に進まなければならない。
誰もが通る十代の道筋だ。
この本が好きな人は、おそらく世代を超えて無数に存在するだろう。
そういう人たちとは、なんとなく友だちになれそうな気がする。
私は人づきあいが得意な方ではなく、友人知己もごく限られた数にとどまるのだが、まだ見ぬ友人たちがこの世のどこかにたくさんいるかもしれないと想像することは、やはり楽しいものだ。
2011年10月31日
吉祥果
道を歩いていると、あちこちの庭先に、重く実って割れた柘榴が目につくようになった。
見ているだけで唾が湧いてくる。
柘榴と言えば鬼子母神。
子供を喰らう恐ろしい鬼女が、お釈迦様の説法で改心し、逆に子供の守り神になったというお話。
前にも一度、記事にしたことがあった。
女神になった鬼子母神は手に持っているのが「吉祥果」で、柘榴のことだ。
人間の肉の味に似ていることから、たまに鬼の心が蘇ってくる鬼子母神の、精神安定剤になるというお話もある。
そして今日、10月31日はハロウィン。
商業優先とは言いながら、都市部を中心にこの外来のお祭りも徐々に浸透しつつある。
子供のお祭り、お菓子、遊行するモンスター、季節の野菜の細工等の要素は、日本古来のお祭りの要素と共通点が多いので、親しみやすいのはよく理解できる。
そう言えば私が愛読している曹洞宗のお坊さんのブログに、面白い記事があった。
コスプレ対決 「ハロウィン」VS「迎え講」
楽しい与太話に便乗して当ブログのハロウィン独自案を妄想してみる。
ちょうど柘榴の季節でもあるし、子供たちのモンスターに対抗して、大人は鬼子母神(もちろん鬼女バージョン)のコスプレで迎え撃つというのはどうだろうか。
もちろん最後は改心して、ちゃんとお菓子をあげないとダメだけど……
見ているだけで唾が湧いてくる。
柘榴と言えば鬼子母神。
子供を喰らう恐ろしい鬼女が、お釈迦様の説法で改心し、逆に子供の守り神になったというお話。
前にも一度、記事にしたことがあった。
女神になった鬼子母神は手に持っているのが「吉祥果」で、柘榴のことだ。
人間の肉の味に似ていることから、たまに鬼の心が蘇ってくる鬼子母神の、精神安定剤になるというお話もある。
そして今日、10月31日はハロウィン。
商業優先とは言いながら、都市部を中心にこの外来のお祭りも徐々に浸透しつつある。
子供のお祭り、お菓子、遊行するモンスター、季節の野菜の細工等の要素は、日本古来のお祭りの要素と共通点が多いので、親しみやすいのはよく理解できる。
そう言えば私が愛読している曹洞宗のお坊さんのブログに、面白い記事があった。
コスプレ対決 「ハロウィン」VS「迎え講」
楽しい与太話に便乗して当ブログのハロウィン独自案を妄想してみる。
ちょうど柘榴の季節でもあるし、子供たちのモンスターに対抗して、大人は鬼子母神(もちろん鬼女バージョン)のコスプレで迎え撃つというのはどうだろうか。
もちろん最後は改心して、ちゃんとお菓子をあげないとダメだけど……