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2012年01月11日

祭礼の夜

 1月10日は「十日戎」。
 9日の宵宮、10日の本宮、11日の残り福と、三夜続けて神社は賑わう。

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 とくにゑべっさんは商売の神様なので、縁起物や各種飲食、玩具、占いの露店が、所狭しと立ち並ぶ。
 今私の住んでいる地域にはけっこう大きな恵比寿神社があって、例年この祭礼は楽しみにしており、何度か記事にしたこともある。
【関連記事】
宵ゑびす
ゑびす縁起物
十日戎
ゑびす大黒
漂着神
お盆2010

 ちょうど一年前に書いた記事を、再録しておきたい。
---------(以下再録)-----------
 1月10日はゑびすの縁日。
 九日は宵ゑびす、十日が本ゑびす、十一日が残り福で、各地の恵比寿神社が一年のうちでもっともにぎわう時期だ。
 今夜は宵宮。
 近所に、十日恵比寿でけっこう盛り上がる神社がある。
 ちょっと出かけてきて、今帰ってきたところだ。
 商売繁盛の神様らしく、縁起物の出店が立ち並び、俗で猥雑な何とも言えない色彩を闇の中に浮かび上がらせている。
 他にも神社の周囲には所狭しと様々なテキ屋がひしめいて、そぞろ歩きの足取りも自然に浮き立ってくる。
 たまらず屋台にとびこんで、一杯ひっかける。
 サザエの壺焼きと日本酒。
 前から一回やってみたかったのだが、今までなんとなく他のお店や食べ物が優先されて、試してみずにいた。
 いや、なかなかいいものですね。
 各地の神社仏閣の縁日から、だんだんテキ屋さんの姿が消えつつある昨今だが、ここではまだまだ健在だ。やっぱり縁日の風景は、こうでなければ。
 サザエのスープをすすり、縁日模様を眺めながら、色々妄想する。

 えべっさん、ゑびす神は、日本神話のヒルコ、またはコトシロヌシであるとされる。
 ヒルコは蛭子、イザナギ・イザナミの長子でありながら、不完全な神であるとして流された漂泊の神。
 コトシロヌシは、出雲の大国主の息子で、国譲り神話で最後の決断を任された神。今ポピュラーな「釣りをするゑびす」の姿は、この神のものをベースにしている。
 二つの由来は全く系統が違うが、「追放された漂泊の神」という点では、何故か一致している。
 縁起物にはよく「恵比寿大黒」のコンビで登場しており、まるで友人かよく似た兄弟のような雰囲気だ。
 しかし大黒の淵源はインド神話の破壊神であり、同時に日本神話の大国主でもある。
 大黒が大国主であるとするならば、このコンビは「親子」ということになる。(大黒については、カテゴリ大黒で詳述)
 縁起物では、このコンビに加えて「おかめ」の面が加わる場合も多いが、この「おかめ」を女神の象徴ととらえるなら、「弁天」のイメージも重なってくる。
 そうなると、「恵比寿・大黒・おかめ」のトリオの縁起物は、もしかしたら三面大黒と近い神話的なイメージがあるのではないか?

 ゑびすの縁起物と言えば、すぐに笹や熊手、箕をベースにしたものが思い浮かぶ。
 笹や竹を素材にした工芸品と言えば、今の私がすぐに連想してしまうのが、山の民。
 ここにも「漂泊」のイメージ。

 ふと気づいてみれば、自分は今まさにテキ屋さんの店先で一杯飲んでいる。
 縁日が終われば、風のように消えていく「市」の真っただ中。
 徐々に縁日の風景からの排除が進む店先。
 ゑびす神は商売の神で、日本では商業が発達した中世の時点では、商人はいわゆる「良民」の部類からは外れた存在であったという。

 酔っ払いの妄想は一巡りして、何かが繋がりそうな予感に、ぶるっと身を震わせる。
 そんな宵宮。
---------(再録おわり)----------

 今年も夜中にちょっと参拝してきて、夜店の人混みを楽しんできた。
 テキ屋の出店状況がどうなっているか、少々心配していたのだが、若干減ったかなと言うぐらいでほとんど例年と変わらず、安心した。
 神社仏閣の祭礼からヤクザ排除が徐々に進行してきて既に久しく、とくに去年から今年にかけてかなりヒステリックな(と私には思える)風潮が総仕上げにかかろうとしている。
 私は年に何度かぐらいは、野暮なことは言わずに清濁合わせて皆で楽しむ機会があった方が良いと考えるし、そうした日本の文化伝統が今後もずっと残ってほしいと思っており、そのような記事をこれまで度々書いてきた。
 時代は押しとどめようもなく流れていくが、思ったことは書きとめておく。

 ヤクザの徹底的な排除は、本当に一般庶民にとって「得」なのだろうか?

 私はヤクザと個人的付き合いは無く、安易に賛美するつもりは無い。
 もちろん違法行為があれば厳しく取り締まれば良い。
 悪いものは悪いのだが、「悪」と言うものは、法律で決めてしまえばそれできれいさっぱり無くなってくれるのかと言えば、私の中の世間知は「否」と答える。
 人の世である限り、ある種のアウトローは一定の割合で存在せざるを得ない。
 そうであるならば、より穏健でマシな状態であってほしいと願う。
 祭礼の露店のような「合法的」な収益に一々目くじらを立てても、それはかえって「非合法」に追いやるだけではないのだろうか?
 過剰な除菌が免疫力の低下と病原体の強化を生んでしまう構図は、社会にも当てはまらないか?
 
 今、読んでおきたい一冊をご紹介して、ごく控えめな呟きを終える。


●「ヤクザと日本―近代の無頼」宮崎学(ちくま新書)
posted by 九郎 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする