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2012年03月07日

梅野の夢

 十数年来、楽しませてもらった白梅の鉢植えが、ついに枯れてしまった。
 今の住居に引っ越してきてから日当たりが悪くなり、徐々に弱ってきていた。
 このブログでも何度か紹介してきた鉢植えだが、可哀そうなことをしてしまった。
 今年はベランダに梅の香はない。

 90年代頃、この季節の梅の花見の楽しさに気づいてから、徐々に季節の花が気になり始めた。
 元来、野暮な人間が、少しずつ人並みに花を楽しめるようになってきたのも、梅のおかげだった。

 その頃、夢を見た。
 自分はぽっかり開けた田んぼばかりの里を歩いている。
 まわりには低い岩山があちこちにある。
 どこか、私が幼い頃を過ごした風景と似ている。
 なんとなく歩いていると、岩山に梅が咲いていることに気づく。
 よく見ると、梅はあちこちに咲いていて、どこも満開だ。
 桜とちがって、自分で気づけないと梅は見えないのだなと、考えながら歩いている。

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2012年03月08日

試作おりがみ「雑賀鉢」

 雑賀鉢と呼ばれる、戦国時代の雑賀衆などがよく着用していた兜を、おりがみで試作し続けています。
【雑賀鉢関連記事】
 雑賀鉢
 雑賀鉢2
 雑賀鉢3
 
 雑賀鉢は何枚かの鉄板を組み合わせた質実剛健な造りで、独特のカッコよさがあります。
 形状は様々なのですが、特徴の一つに「置き手拭」と表現される頭頂部の鉄板があって、それをおりがみでどう再現するかがポイントになります。

 今回は以前、こちらの記事で紹介した折り方をアレンジして、試作してみました。

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 おりがみ兜には様々な種類がありますが、だいたい頭頂部が「とんがり頭」になるものが多いです。その尖った部分を少し後方に折り曲げ、立体的になるように各所を調整していくと、なんとか「置き手拭」らしき形状が現れてきます。
 元の折り方の「つの」の部分を前方に折りたたんで、「眉庇」の部分を表現すると、けっこう雑賀鉢の雰囲気が出てきました。

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 今回の折り方では「しころ」の部分が小さくなりがちなので、そのあたりをなるべく大きく、後部まで連続して見えるようにするのが、今後の課題です。

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 60cmの正方形から折れば子供用、70cmなら大人のかぶれるものが折れそうです。
 大きなサイズでも、黒の画用紙から折れば、強度は十分つきます。
 鋏による切り込みはありません。

 そこそこ納得できるようになってきたので、一度紹介。

 これまでのおりがみ兜のまとめ記事はこちらです。
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2012年03月09日

「あたけぶね」についての覚書

 当ブログでは、織田信長と石山本願寺の十年戦争「石山合戦」について、断続的に記事をアップしている。
 カテゴリで言えば、以下のものがそれにあたる。
 石山合戦
 和歌浦
 

 まだまだ勉強中なのだが、最近、戦国時代の大型軍船「あたけぶね」について、今まで気づいていなかった情報があったので、覚書にしておく。
 この軍船についてはカテゴリ「海」で、資料集めや夏休みの工作をやってきた。
 その際、「安宅船」という表記で調べてきたのだが、同じ読みでも別の表記がされている場合が多々あることに気付いた。
 書き言葉よりも話し言葉が主であった中世にはよくあることなのだが、あて漢字の違いによって複数の表記例がある場合があって、たとえば「あたけぶね」なら「阿武船」と書かれることもあるのだ。

 それに気づいて「阿武船」で検索してみたところ、ごく最近、実物大の「大阿武船」が復元されたことがあったらしいことを知った。
 以下のサイトにその経緯が述べられた記事がまとめてある。

 せとうちタイムズ
 大阿武船活用に複数の問い合わせ!
 大阿武船解体工事進む
 「大阿武船」 因島

 これらの記事によると、この復元船は約一億円の予算で建造されたもので、中身は鉄製だが、外見はほぼ忠実に戦国時代のものを再現してあったようだ。
 残念ながら既に解体されてしまったのだが、各方向からの写真は残っている。
 写真を見ると、博物館の復元模型では見られない、経年変化した木造船の質感が見られて興味深い。
 私は未見なのだが、映画「あずみ」のロケにも使用されたらしいので、機会があればチェックしてみたいと思う。

 以上、覚書として書きとめておく。
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2012年03月11日

3.11

 何か書くべきことがありそうな気がしたのだが、やっぱり今日は何も書けない。
 ただ、祈る日。

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2012年03月15日

たまにはゼニの話でもしたろか

 確定申告完了。 
 たとえ絵描きのハシクレでも、浮世の務めは果たさねばならぬ。

 絵描きなどというものは、だいたいゼニには縁のないものと相場が決まっている。
 申告手続きの必要に迫られてごそごそ部屋を整理していると、万札入りの封筒を発見して、思わず

 うひゃっほう〜!

 と小躍りしてしまった。アホである。

 そんな調子であるから、ゼニ勘定には全く疎い。
 疎いのだが、とくに出ていくゼニに関して、本能的に感じることがいくつかある。

 まず、税金。
 もともと納税意識はきわめて低かったが、昨年の3.11以降、日本が基本的に国民の生命と財産を守らない国であることが明らかになって、さらにモチベーションは下がった。
 税金の本質は「合法的なみかじめ料」に過ぎないが、見返りのないみかじめ料なら、払う意欲はどんどん減退してくる。
 脱税する程のマメさはなく、そもそも所得から引かれる税金など微々たるものなので、申告は還付狙いでごくまっとうに行う。
 しかし、年金や健康保険など、名前を偽装した「実質的な税金」はけっこう過重だ。
 年金など、ほとんど詐欺であることがはっきりしているのだから質が悪い。
 まあ、払ってはいるが、「盗られている」という意識は拭いがたくある。

 また、税金ではないけれども「盗られている」という感覚の強いものに、銀行の各種手数料がある。
 中でもムカつくのがATMの「払い戻し手数料」だ。
 自分のゼニを引き出すのになぜ手数料が必要なのか、今まで一度も納得したことはない。
 ATMでの手続き全般に感じることだが、機械の操作までしてやって、窓口業務を減らしてやっているのだから、むしろ

 おれに手数料を払え!!

 と思っている。

 金融機関はゼニを委託されて運用で利益を出し、預金者には利息で一部還元するのが本業のはずだ。
 それなのに中小企業への貸し渋りで不況に追い打ちをかけたり、ろくに利息も払わないくせに各種手数料でゼニをせしめたりしながら、内部では高い給料を貰っている姿には反吐が出る。
 というか、ATM手数料をセコくかきあつめはじめた時期いうたら、不良債権処理が問題になり始めた時期と一致しとるんとちゃいまっか?
 おのれらの杜撰な経営の尻拭いを顧客にまわしたり、税金で補てんさせたりする神経が卑しいんとちゃいまっか?

 私は自分がアホな貧乏人であることはよく知っているが、こうした疑問はちゃんと持っている方が正常であると信じている。

 
 合法的なみかじめ料を、好き放題に盗られっぱなしの庶民であっても、せめて反骨精神だけは保っておきましょうね。

 手持ちの本の中から、そーゆーイメージトレーニングに適したものをご紹介。


●「土壇場の経済学」青木雄二 宮崎学(幻冬舎アウトロー文庫)
 ナニワ金融道の故・青木雄二と、突破者・宮崎学の最強タッグである。
 初出は90年代末なので、さすがに取り扱っている事案や法律には時代を感じるが、ゼニに心まで支配されないためのノウハウが、きわめて具体的なテクニックで紹介されている。
 この本の精神を自分なりにまとめるなら、

・ゼニで死ぬな! 死ぬぐらいなら踏み倒せ!
・業者とのゼニの貸し借りは経済行為に過ぎない。そこに道義を持ち込む必要は全くない!

 こんなところであろうか。
 90年代より更に経済状態が悪化した現在、再読する価値のある一冊だ。


●「できるかなV3」西原理恵子(角川文庫)
 冒頭は30ページにわたって、現代日本最強の無頼派・サイバラによる非常に悪質な脱税のススメである。「毎日かあさん」とは一味違う極道ぶりが、いかんなく発揮されている。
 追徴金1億円をヤクザそのものの手口で値切り倒し、ついに2千数百万まで圧縮することに成功する姿は、笑いを通り越して痛快そのもの。
 ここまで国税にケンカを売ったらタダではすまず、この本の一般読者が参考にできる手口は一切無いと断言できるのだが、それを貫徹して面白おかしくマンガに描いてしまう所に、とてつもない凄みを感じる。
 数あるサイバラ作品の中でも屈指の出来だと思う。
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2012年03月17日

わしにホットサンドを食わせんかい!

 ホットサンドが好きだ。
 サンドイッチのパンの部分を焼いて、少し焦げ目をつけた、あれ。
 たまに無性に食べたくなる。
 普通のサンドイッチを買ってきて、トースターで温めてもけっこう良いのだが、たまに喫茶店でも美味いのを出してくれる店がある。
 ただ、「ホットサンドがおいしい店」という条件限定だと、かなりお店は限られる。
 ホットサンド自体出していない店が多いし、たまにメニューにあっても、薄っぺらなハムとチーズ、あとはレタスの切れ端みたいなのがはさんであるだけで、がっかりしたりする。
 ホットサンドとかオムライスとか、頻繁ではないけれども、たまに無性に食べたくなるメニューがある。そういうのが美味しいお店は、行動範囲の中にせいぜい一軒あればラッキーな方だ。

 幸い、ホットサンド用のお店は一軒見つけてある。
 そこのサンドは、焼いた山食にハムやトマト、ポテトサラダがあふれるぐらいはさんであって、かなり満足できる。
 昼飯時にたまに足を運んで、充実したホットサンド時間を過ごせる良い喫茶店なのだが、一つだけ困ったことがある。
 たまにしかいかないのに、かなりの確率で、マルチ商法の勧誘をやっている場面に出くわしてしまうのだ。
 どうやらマルチ業者のアホどもが常連になってしまっているようなのだ。
 そのような場面に出くわしたからと言って、別に私に直接被害が及ぶわけではないのだが、「獲物」を勢いで煙に巻こうとしている業者どものバカでかい声は、いやでも耳に入ってくる。
 せっかく美味いホットサンドにありついているのに、胡散臭い内容をいかにも騙されやすそうな「獲物」相手に自信満々でしゃべり続けている様子は、不愉快極まりない。
 そういう目に合わないように、その店に入るときは外から客席を確認するのだが、注文したあとからマルチ組に乱入されるとどうしようもない。

 マルチ商法の勧誘は、自分から「マルチです」とは当然ながら言わない。
 私がむりやり聞かされた範囲では、浄水器などの健康関連商品や、最近なら「スピリチュアル」とか「ヒーリング」をネタにしたもの、中には「放射能除去」をうたった商品をネタにしたものもあるようだ。
 こう言ったネタを、ほとんど連絡のなかった親戚や、中高生のころの友人、先輩後輩などからいきなり持ち込まれた経験は、誰しもあるだろう。
 多少なりとも世間を知っていればこんなものには引っかからないだろうが、わずかにでも縁のある人から話を持ち込まれれば、情にからめられて商品の一つぐらいは買ってしまう人もいるかもしれない。
 私の場合は、心を鬼にも悪魔にもして一切断り、当人には一刻も早くそのような詐欺からは脱出するよう忠告する。
 多くの場合、そんな忠告は聞き入れてもらえず、逆にこちらがバカ扱いされてしまったりするのだが、言うべきことは言わなければならない。
 
 マルチ商法については、「ナニワ金融道」の、文庫版第八巻に詳しい。


●「ナニワ金融道8」青木雄二(講談社漫画文庫)

 作中で展開されるマルチについての分析は、極めて秀逸だ。
 どんな貧乏人にも、たった一つだけ「人間関係」という財産があり、マルチはそれを換金することで成立すると解説されている。
 営業能力を持つ一部の例外を除いて、大量の商品を抱え込んでしまったマルチ被害者は、それを「身内」に押し付けるしか道はない。
 近親者も一回ぐらいは仕方なく商品を購入するだろうが、それが原因で縁は切れてしまう。
 そのうちマルチ被害者は、遠い親戚であろうと、遠い昔の同級生であろうと、手当たり次第に接触を図ることになる。
 こうなるともう、被害者の頭の中では、自分の友人知己をゼニで換算する回路が出来上がってしまい、まっとうな感覚は破壊される。
 人間関係は一回限りで消費され、二度と元へは戻らない。
 被害者の話を聞いてくれるのはマルチの人脈だけになり、ますます頭は破壊されてしまう。


 そろそろ美味いホットサンドが食べたくなってきたのだが、今度行くときは「あいつら」と同じ時間帯になりませんように……
 たのむでほんま。
posted by 九郎 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2012年03月18日

「今様」を今読むなら

 NHK大河「平清盛」だが、相変わらずビミョーな感じが続いている。
 はっきり「面白い!」と他人に勧めることはできないが、観るのを放棄するには至らず、一応毎回観てはいる。
 部分部分では「これは」と思うシーンも無いではない。
 武士を含めた下層社会の猥雑さやエネルギー等は、リアルとは言えないだろうがそれなりに出ている。貴族や「王家」(この表現も適切ではないのだろうけど)の権力闘争のドロドロ感、気色悪さも、それなりに出ている。
 しかしやはり脚本がダメっぽい。そろそろ導入部の段階を過ぎているので、これはもう自分なりに評価を固めてしまってよいところだろう。
 とくに上記の下層社会と上流階級のメンバーが交錯する場面で、「荒唐無稽」という他ない表現が頻出する。この不況の中、予算だけはちゃんと出るのだから、最低限の時代考証はクリアーしてくれないとNHK大河である意味がない。

 あと、ちょっと気づいたのが、OP映像について。
 けっこうがんばっていて良い出来だと思うのだが、それにもかかわらず、なんとなく印象の悪さを感じていた。
 その原因が、このあいだ観ていてわかった。
 OP映像の途中で、実写映像が加工されて、マンガのペンの描線のようなものが重なるシーンが何回かある。
 どこかで観たことがあると思っていたら、以前公開された映画DEVILMANに似たような表現があったことを思い出した。
 映画DEVILMANと言えば、日本映画史上に燦然と輝く一大糞映画で、原作マンガ「デビルマン」ファンを絶望のズンドコに叩き込んだことで悪名高い。
 当時、私も某巨大掲示板の当該スレッドで、叩き&傷の舐め合いで大いに盛り上がった記憶がある。
 本来、出来が良いはずの「平清盛」OP映像なのに、何故か良い印象が無かったのは、過去のトラウマが無意識のうちに反映されていたようなのだ。
 今回の大河OPは東映アニメがCG制作しているようなのだが、もしかしたら映画DEVILMANのスタッフと重なっているのだろうか?
 ともかく、いくら糞映画に使われていた表現であっても、それ自体に罪はない。
 この点については、自分の印象を改めておこう。

 清盛のOP(だけ)は、文句なしにカッコいいッス!
 
 
 大河ドラマでは、松田翔太演じる雅仁親王(後の後白河院)が存在感を増してきている。
 後白河院と言えば今様狂いで「梁塵秘抄」の編著者だ。
 世俗の権力闘争の真っただ中にありながら、熊野信仰が極めて厚く、芸能分野では身分制度を超越した活動を繰り広げた、異能の法王。
 日本の芸能史においては、最重要人物の一人だろう。
 大河ドラマ「清盛」のおかげで、改めて後白河院に対する興味が出てきて、色々本を漁り始めている。

 最近手にした中に「梁塵秘抄」を、「超現代語訳」したものを見つけた。
 

●「梁塵秘抄」後白河法皇(編集),川村湊(翻訳)(光文社古典新訳文庫)

 著者は日本の中世思想を中心に、多くの興味深い本を刊行していて、最近は原発関連のものも出している。
 守備範囲が私の興味の範囲とけっこう重なっていて、本屋で「面白そうだ」と思って手に取るとこの人の本だったりすることが多く、けっこう気になる人だ。

 今回の「梁塵秘抄」の現代語訳では、今様を昭和歌謡の歌詞のような感じで読み替えてあり、賛否のわかれるところだろう。
 しかし、現存する梁塵秘抄の中から100のうたを紹介しており、元歌とその解説も十分に載せられているので、試みとしては面白いと思う。
 後白河院による「口伝集」からも、一部口語訳が載せられており、各所には当時の絵巻物から採った図も掲載されているので、梁塵秘抄の全体像をざっと理解するには良い本だと思った。

 ドラマで今様に興味を持った人には、最初に手に取る一冊目としてお勧め。
posted by 九郎 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする

2012年03月19日

いましろたかし「原発幻魔大戦」

 前にいましろたかしの作品を読んだのはいつだっただろうか?
 もしかしたら十年以上経っているかもしれない。

 二十歳前後の頃、デビュー作(?)の『ハーツ&マインズ』はよく読んでいた。
 作中のどうしようもない若者たちと、ほぼ等身大の感覚で、喫茶店で友達の噂話を聞くような気分で読み耽っていた。

 ふと立ち寄った本屋の原発関連本のコーナーで、思いがけず、いましろたかしの名前を見かけてしまった。


●「原発幻魔大戦」いましろたかし(ビームコミックス)

 まず、「原発幻魔大戦」というタイトルに目を引かれた。
 あとがきによると、やはりこのタイトルは平井和正「幻魔大戦」から借用したもののようだ。
 いましろたかしが平井作品を読んでいたとは思わなかったが、平井読者であればこのタイトルを使うことの「重さ」というものは十分承知の上なのだろう。

 久々に読んだいましろ作品。
 絵はかなりシンプルに枯れており、私の知る初期作の粗いタッチは無い。
 しかし登場人物達の、表現が難しいのだが「どこか醒めた閉塞感」みたいなものは、まったく変わらず描かれているように見えた。
 
 かつての『ハーツ&マインズ』ファンは、一度手に取っておいて良い作品だと思う。
 いかにもいましろ作品らしい、思い込みは強く、問題意識はあるのだけれども、何もできない無力さをかかえた登場人物が、3.11以降の世界に生きる様子が見られる。

 初期作が描かれた1990年前後であれば、こうしたキャラたちは、そして私自身は、それぞれに苦しみもだえながらも、どこか楽天的に日常をおくることができた。
 しかし2011年3月11日以後、その前提ははっきり崩れてしまった。
 この日本で本当に「幻魔大戦」が始まってしまっても、あいかわらず何もできず、ケータイやネットに貼りつきながら、情報を詰め込むだけの自分がいる。
 突き詰めて考えれば悲惨な事態は、表面上はごく平穏に進行していく。
 そのもどかしさの、極めて淡々としたリアルな表現がここにある。

 3.11で直接被害を受けた皆さんにとっては、もしかしたら気楽で無責任で薄っぺらな内容に見えるかもしれない。
 しかし、直接の被災者でない者にとっては、何か一歩踏み出すにしても、何もできないにしても、こうした視点から始めるほか無いのだ。
posted by 九郎 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年03月21日

カテゴリ「琵琶法師」

 もうずっと以前にこのカテゴリ「琵琶法師」を作ったまま、肝心の記事は書き出せずにいた。
 まだ本格スタートは出来ないが、過去記事の中から私が琵琶法師に興味をいだくに至った経緯を再録して、ともかくこのカテゴリの開幕だけはしておくことにする。

 以下、再録。

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 夢告「平家物語」

 もう十年以上前になるが、断続的に「夢日記」をつけていた時期があった。
 枕元にメモ用紙と筆記用具を常備し、夜半や朝方、夢で目覚めた時に憶えていることを絵や文で書き留めておく。
 半分寝惚けた状態の走り書きなので、意味をなしていない事も多々あるのだが、たまに面白いイメージが記録として残る。
 ただ、普段から夢に関心を持っていると、奇怪な夢を呼び込むようになってしまう傾向もあるようだ。
 度々悪夢を見るので精神的負担がけっこう重く、長期間夢日記を続けることはできず、心身ともに余裕のある時期に、何度か集中してかきとめていた。
 記録はまだ手元にあるので、いずれ「一応、作品になっている」と思われる、公開して差し支えなさそうなものはブログにも上げようかと思っている。

 そうした内的記録をつけていた時期に、気になる夢を見たことを憶えている。
 夢の中の人物に「平家物語にはこの世とあの世のまことの姿がある」と教えられたのだ。
 目が覚めてその内容を書きとめながら、私は少し首をかしげていた。
 当時の私の平家物語に関する知識は、教科書通りの「中世軍記物語」という程度でしかなかったのだ。
 なぜ平家の栄枯盛衰や合戦の様子を描いた物語に「この世とあの世のまこと」があるのか、今ひとつピンとこなかった。
 「あの世」のことまで含まれるのなら「今昔物語」などとの間違いではないかとも思ったのだが、夢の中の人物ははっきり「平家物語」と言った。
 なんとなく納得いかないまま、何年も過ごしてきた。

 その間、読書の幅が広まってきたこともあり、少しずつ「平家物語」に関する認識も改まってきた。「この世」のことだけが書いてある書物ではなく、当時流布されていた様々な中世神話が反映され、奇怪な神話の領域まで含まれる物語であることがわかってきた。

 そして最近手に取った一冊の本により、ようやくずっと昔の「夢のお告げ」を納得するに至った。



●「琵琶法師―“異界”を語る人びと」兵藤裕己(岩波新書) 
 平家物語はそもそも文字で書かれた書物ではなく、琵琶法師によって語り継がれた口承物語であった。
 琵琶法師は盲目の芸能者であり、宗教者でもある。
 盲目であるということと、芸能者・宗教者であるということは、そのまま「あの世」と「この世」の境に身を置くことと繋がる。
 有名な「耳なし芳一」のイメージに、異界の声を聞き、語りによってあの世とこの世を結びつける琵琶法師というものの本質がよく表現されている。
 平家物語と琵琶法師の成立過程には、中世から近世にかけての「この世」の社会制度と、神仏入り乱れた中世の精神世界が色濃く反映されているようなのだ。
 
 付録のDVDには「最後の琵琶法師」による貴重な記録映像も収録されている。
 震え響く声と琵琶の音に、ふと昔見た「夢のお告げ」に思い当たり、一人なんどもうなずいたのだった。
posted by 九郎 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 琵琶法師 | 更新情報をチェックする

2012年03月22日

GUREN8

 カテゴリ90年代、阪神淡路大震災の被災体験の続き。

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 阪神淡路大震災二日目、私は徒歩で被災地を通り抜け、なんとか親元に避難することができた。
 それから一週間ほど、一応身体の安全は保障されているものの、先の見えない生活が続いた。
 被災地から親元までは、普段なら鉄道で通うことも可能な距離にあったのだが、地震による被害はまったくなかった。
 昨年の東日本大震災では被災地が広範囲に広がったが、阪神淡路大震災の場合、壊滅状態になったのは非常に局所的だったのだ。
 破壊された街中の不自由な避難所に入った皆さんのことを考えると、まるで異世界のように平穏な避難生活ができた私は、本当に幸運だったと言わなければならない。
 他にできることもないので、情報収集に努めながら、私は今後の身の振り方について、まとまらない頭を巡らせ続けるしかなかった。
 当時はまだケータイやインターネットの世界は今ほど一般化していなかったので、被災地の情報はテレビや新聞からに限られた。
 ただ同じような写真や映像が延々と続くばかりで、自分で直に見てきた以上の大した情報は見つからず、時間だけが漫然と過ぎて行った。

 親元に帰ってみて痛切に感じたのは、被災者とそれ以外の皆さんの意識の違いだった。
 震度7の激震と、壊滅した街をさまようという極限体験は、それを体感した者にしか本当の所はわからない。
 震度7という物理的な力。
 何事もなく楽しく暮らしていた生活そのものが、ある日突然街ごと破壊されるという不条理。
 人はいずれ死ぬとか、天災はいずれ来るとか、家はいずれ壊れるとか、街は変化するとか、時は流れるとか、言葉で書くとごく当たり前のことがらを、たった一昼夜で濃縮して見てしまったことは、決定的な意識の変化をもたらす。
 十数年前の震災以降、今に至るまで、私の感覚は「非常時用」に切り替わったままだ。
 平穏な日常生活というものが、何事もなくずっと続いていくことを、震災前のように無邪気に信じることはできなくなった。
 いつの日にかまた、必ず「それ」は、やってくる。
 明日かもしれないし、数週間後、数ヵ月後かもしれない。
 数年後かもしれないし、十数年後かもしれない。
 数十年というスパンなら高確率でやってくるし、百年以内なら「それ」は確実にやってくる。
 私の今後の人生で「それ」に出合わない方がラッキーなのであって、この一見平穏そのものに見える日常生活というものは、ほんの猶予期間にすぎない……
 言葉にするとそのような感覚が染みついてしまって、今後も元に戻ることは決してないだろう。
 それでも当時の私はまだ若く、身体的な被害も住居の被害もほとんどなく、生活の中で守るべきものがそれほど多くはなかったので、価値観の崩壊も少なくて済んだと思う。
 親しい身内をうしなったり、負傷したり、住み慣れた家を失い、ローンだけが残ったりした場合、その喪失感はいかほどのものだっただろう。
 街が一瞬にして崩れ去るということは、日常感覚の崩壊をともなう。
 大震災に被災した者なら多かれ少なかれ、こうした感覚は共有しているはずだ。何も言わなくても、実感として通じるものがある。
 しかし、一歩被災地外に出てみれば、どんなに近親の者であっても、その感覚が深いところで理解されることはない。

 親元で不自由のない避難生活をおくれる幸運に感謝しながらも、私はぼちぼち被災地に帰ることを考えはじめていた。
 日々のやりとりの中で、被災地にあっては当たり前のように共有される感覚が通じないことに、ある種の「しんどさ」を感じはじめていたのだ。
 当時のバイト先のいくつかは被災地外にあり、連絡をつけてみると、いつでも都合の良い時期に復帰すればよいと言ってもらっていた。
 交通機関が分断されていたので親元から通勤することは不可能だったが、被災地にある自室に戻れば、徒歩などを含めてなんとか通勤可能であることはわかっていた。
 余震は続いており、まだまだ予断を許せる状況ではなかったが、再び激震に襲われるほどではないと、感じられるようにはなっていた。 
 苦労するのは目に見えていたが、先が見えないまま親元で過ごすよりも、被災地に戻ることの方が前向きになれる気がした。
 避難三日目ぐらいから、私は近所の釣具店などで、コンパクトにまとまる寝袋やポケットラジオ、ペンライトを購入し、最低限のサバイバル道具をそろえて、自室への帰還に備えはじめていた。
 そして震災一週間後、リュックに目いっぱいの米とツールを詰め込んで、被災地付近へ通じる迂回ルートの鉄道に乗りこんだのだった。

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(続く)
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