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2012年05月01日

おりがみ雑賀鉢(完結編)

 以前、試作したおりがみによる雑賀鉢ですが、その後も試行錯誤を続けていました。
【雑賀鉢関連記事】
 雑賀鉢
 雑賀鉢2
 雑賀鉢3

 各所の折り幅などを微妙に変えながら延々と……

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 試作品とどこがどう違うのかと言われると、「本人にしかわからない微妙な差」と答えるほか無いかもしれません(苦笑)

 上掲写真の約二倍ほどの試作を経て、一応完成品と自分なりに認定できたのが、以下の二つ。

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 一辺25cmの、金のおりがみを使用しており、完成品は横幅、高さともに9cm前後です。

 おり図は雛祭り-こどもの日.comで公開されているものアレンジしました。
 トップページから「端午の節句/子供の日」に入り、「五月飾りの超簡単手作りコーナー」の「懐かしい折紙兜」内「凝ったバージョン」の、角の部分を折りたたんで「眉庇」にし、頭頂部を後方に折りたたんで「置き手拭」を表現してあります。
 60cmの正方形から折れば子供用、70cmなら大人のかぶれるものが折れそうです。
 大きなサイズでも、黒の画用紙から折れば、強度は十分つきます。
 鋏による切り込みはありません。

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 雑賀鉢と呼ばれる戦国時代の雑賀衆がかぶっていた兜については、以下の動画でリアルに再現されています。



 これまでのおりがみ兜のまとめ記事はこちらです。
posted by 九郎 at 10:43| Comment(7) | TrackBack(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2012年05月02日

おりがみ兜の色々6

 今年はおりがみ兜をもう一つ。
 おりがみ師・河合豊彰の折り方を少々アレンジ。

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 頭頂部の長い「ながかぶと」系列の、進化版みたいなおりかたですね。

 これまでのおりがみ兜のまとめ記事はこちらです。
posted by 九郎 at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2012年05月10日

GUREN10

 ライフラインの内、電気は比較的早く復旧した。
 震災当時私が住んでいた阪急沿線は、それより南部にあるJR沿線や阪神沿線に比べると、被害が少ない傾向にあり、その分、電気が通じるのも早かった。
 倒壊・半壊家屋が多く、住人が別の場所に避難してしまったエリアでは、下手に通電すると火災の恐れがあるらしく、なかなか電気は復旧しなかったようだ。
 毎朝汲みに行かなければならないとは言え、水は確保してあったので、電気が通じてからは、よく親元から持ち帰った米を炊いて食べていた。
 被災地では、おにぎりや缶詰、カップ麺、袋入りのパン、紙パックのジュースの類を飲食する機会が多くなりがちだ。
 一日二日ならそういう食事が続いてもどうということはないのだが、三日四日と続いてくると、塩分や砂糖の濃い味付けがどうにも耐えがたくなってくる。
 このあたりは各自の嗜好にもよると思うが、私の場合はそうだった。
 喉が乾いたら何の味も付いていない水が飲みたくなるし、白米や食パン等のプレーンな食べ物がどうしても食べたくなってくる。
 魚の缶詰ならタレのついた蒲焼きなどではなく、サバの水煮なんかの方がありがたく感じるようになってくる。
 欲を出せば、何も味付けをしていない新鮮な野菜サラダが欲しくなってくる。
 2011年の東日本大震災以降、防災グッズへの関心が高まり、非常食の類を備蓄する家庭も多くなってきていると思う。スーパーやホームセンター等でも、手を変え品を変えて様々なものが売られている。
 私の個人的なお勧めで言えば、非常食を準備するならごく普通の生米をメインに考えるのが良いと思う。
 ご飯のパックでも良いが、けっこうかさばって重いし、火や水、電気がなければ温められないので、どうせそんなに美味くは食べられない。
 生米なら保存が効き、比較的軽いので持ち運びやすいし、最悪、生でかじっても良い。
 とくに「非常用」と限定しなくても、日常生活で米を購入するときに一袋余分に買うように気をつけるだけで、まさかのときの非常食になる。
 これは飲料水にも言えることで、ミネラルウオーターなどを買う時に、少し余分に買っておいて日々更新していけば、それだけで十分、非常時対応になるのだ。
 自然災害が起こった場合、最初の三日間ぐらいをとにかく生き抜く備えが重要で、その次の段階のことをあまり綿密に考えても無意味だ。「想定外」が常態化する場面では、その場その場で起こってしまった事態を元にやりくりするしかないのだ。
 自然災害は「快適なアウトドア・レジャー」ではないのだから、欲張ってあれこれグッズを取りそろえても、やたらに使いきれない荷物が増えるだけだ。
 飢えと渇きに対する最低限の備えを、無理なくコンパクトにまとめ、日々更新し続けるのが良いのではないだろうか。
 
 水道、ガスはなかなか復旧せず、被災地では弁当以上の食事を望むのが難しい状態が続いた。
 私の場合は、週に何度か大阪方面にバイトに出ていたので、出勤日の昼食と夕食は、まともなものありつくことができた。
 バイト先の皆さんにも本当にお世話になった。
元々貧乏な劇団員で、その上被災者になってしまった事情から、よく飯を食わせてもらったりした。
 私は神戸の被災地にあってはサバイバルに近い生活を送りながら、週の半分くらいは大阪に出て食事や入浴、排泄に関する「日常」を取り戻し、適度に息抜きをすることができた。
 震度7を経験しながらも、身体や住居の直接的な被害は免れた幸運。
 周囲の理解と助力。
 この二つの要素のおかげで、私はなんとか大震災後を無事に乗り切ることができたのだ。
posted by 九郎 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

GUREN11

 親元には何度か帰った。
 荷物を整理したり、米などの食料を補給するためだ。
 帰省したついでに、頭を丸めた。丸めたと言っても剃髪ではなく、中高校生の頃以来の坊主頭だ。
 バイト先の皆さんは、「変わり果てた」私の姿を見てびっくりしていた。もしかしたら被災したこと自体より、驚かれてしまったかもしれない。中には笑いながら「出家でもしたか?」と声をかけてくれた人もいた。
 なにかもう、手近なところから何でもかんでもリセットしたい気分だったということもあるが、直接的には風呂にあまり入れなかったことが理由だった。

 震災前から私が住んでいた安アパートは風呂無しだったので、入浴にはもっぱら銭湯を使っていた。
 当時住んでいた地域は「学生街」「下町」という色合いが強かった。金のない学生向けの老朽化した安アパートが無数に存在し、その大半は風呂無しだったので、あちこちに大小無数の銭湯が経営されていたのだ。
 私の部屋から通える範囲だけでも、軽く4〜5軒はあったと思う。
 ところが、そうした街の銭湯事情は、震災で一変した。
 まず、震災後二カ月ほどの間は、各銭湯がまともに開店されなくなった。これは銭湯を経営する皆さん自体が被災者だったので、無理もないことだ。
 ごくたまに風呂屋が開いた時などは、近所の人が殺到して行列になり、十五分ぐらいずつの交代制になったりしていた。
 そんなときは湯船がたちまち汚れ、うすい泥水が浴槽を満たした状態になった。とても浸かる気にはならなかったので、頭と体だけ手早く洗った。
 風呂好きの私にはなんとも辛い状態だったが、大阪のバイト先の近所で入浴できないオフの日には、洗髪できるだけでもありがたかった。

 95年の震災から2000年にかけて、徐々に倒壊家屋が撤去され、新しい建築物に置き換わって行くその過程で、震災前には無数に存在した老朽安アパートのうちのかなりの数が、新築のワンルームマンション等に置き換わった。
 新築マンションには当然ながら風呂が付いているので、銭湯の主要な顧客が一気に減少し、近所の銭湯はバタバタと閉店していった。その跡地には、また新しい風呂付マンションが建ったりして、銭湯経営を取り巻く環境は悪循環に陥って行った。
 こうした変化は銭湯だけでなく、震災をきっかけとして他の様々な面でも、地域の在り方の変化は加速していったと思う。
 風呂屋や地元のアーケード商店街、木造安アパートといった、どこか「昭和」の名残を感じさせる風景の多くは、「震災復興」「街づくり」という名の再開発で、あわただしく消え去って行った。
 もし震災がなかったとしても、こうした変化は時の流れとともにやがては訪れたに違いない。日本中の小都市部で、過去や現在、進行中の変化であるだろう。
 たまたま神戸の場合は、震災によって時計の針が一気に進められたということだ。私の体感としては、十年分くらい一息に進んだ気がする。
 そのような急激な変化のしわ寄せがどこに一番行ったかと言えば、長年住み慣れた地域の中で、ゆっくりと余生を送っていたお年寄りの皆さんだっただろう。

 震災前の神戸の銭湯の風景は、まことに牧歌的なものだった。
 金のない若者、年配の皆さん、近所の子供たちが集っており、お互い名前も知らないけれども、よく顔を合わせて世間話などに興じる「風呂屋だけの知り合い」が、私にも何人かいた。
 そんな顔見知りの中には、刺青の入った若い衆もいた。
 今でこそ公衆浴場などでは「刺青・タトゥーお断り」が普通になっているが、当時はとくに違和感なく、周囲にとけ込んでいた。
 サウナ室でナイター中継を見ながら、若い衆と他愛もない会話をしたことなどを、今でも懐かしく思い出すことがある。
 92年の暴対法導入を契機として、警察が主導するヤクザ排除は急速に進行し、2012年現在はその総仕上げに入ろうとしているように見える。
 しかし神戸では震災前後あたりまで、ヤクザは庶民に恐れられながらも、良くも悪くもそこそこ共存していたと思う。
 それは「あの組」の膝元であるという特殊事情もあるだろう。
 国家権力や警察力の崩壊した戦後の混乱期、神戸の治安を実質的に維持していたのが「あの組」であったという「史実」を記憶する人は多かっただろう。
 そして何よりも、震災直後から「あの組」が精力的に展開した救援活動に、素直な称賛をおくる人は多かったのだ。
 震災後、少なくとも私の周囲では、「ヤクザと自衛隊はようがんばってくれてる」という評判だった。
 ヤクザに対する素朴な幻想が、最後の一花を咲かせた瞬間が阪神淡路大震災だったのかもしれない。
 私自身は現在ヤクザと何のかかわりも持っていない。
 ことさらにヤクザを擁護する気はないが、こうした事柄はなかなか文字にならないので、事実は事実として極私的に書き留めておきたいと思う。
posted by 九郎 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

蝕5

 今朝は金環日蝕だった。
 忙しい時間帯だったが、ちょっとだけ体感することができた。

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 7時過ぎからあたりが薄暗くなり始めたが2009年の日蝕ほどには派手な変化にならなかった。「金環」の部分の明るさがあるせいで、少し雲がかかったくらいの変化にとどまった。
 事前に情報を得ていなければ、気づかなかったと思う。
 
 ニュースなどでは繰り返し「観察には専用のグラスを使うように」と呼びかけていた。
 私が小学生のころは、黒い下敷きや墨を塗ったガラスを使っていたが、あれ、ダメだったのか……
 昔は学校の先生も普通にそういう指導をしてたけどね(苦笑)

【関連記事】

蝕2
蝕3
蝕4
太陽と月を喰う悪魔
天の乗物 太陽と月
日蝕の島
posted by 九郎 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2012年05月25日

季節の変わり目の体調についての覚書

 もう年なので、少しだけ体調に気をつけるようになった。
 とくに気温が変化する季節の変わり目に要注意だ。
 私の場合は、腰と胃腸に来やすい。

 毎年3月〜GWにかけて、花粉症対策が必要なのだが、今年は非常に軽くすんで助かった。
 私はVC摂取で乗りきっているのだが、一番酷かった去年の半分くらいの摂取量で大丈夫だった。

 4月末、一度胃腸でダウンした。
 例のヤツである。
 前回ほど酷くはなく、少し吐いてからすぐに眠ったら、翌日にはほぼ回復していた。
 年度初めから続いていた緊張が、GW前半の外出から帰って来た時に、少し途切れたようだ。
 体が「一回休め」と言っている時は、素直に従うに限る。

 腰はなんとなくモヤモヤしている。
 昼夜の気温差がある今頃は、ぎっくり腰に注意だ。

 肩と腰については、そろそろ何かやっとこうと考えた。
 身に付かないことをやっても続かないので、「エアー素振り」を試している。
 私は小学生のころから中高生のころにかけて、剣道をやっていて、その基本動作は今でも体が覚えている。
 仕事の合間や入浴時に、肩から腰にかけて意識しながら、ゆっくり刀を素振りする動作をするのだ。
 手には何も持たないか、そのあたりにある棒状のものを持つ。


 けっこう効く。
 冷えていた背中が温まってくるのがわかる。
 
 ちょっと色々試してみよう。
posted by 九郎 at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2012年05月27日

素人が帆船模型に手を出すには

 当ブログのカテゴリでは、古い時代の帆船、とくに和船に注目して資料集めをしている。
 行く行くは何らかの形で戦国時代の「安宅船」を模型化したいと目論んでいる。
 しかし、かつてのプラモ少年のなれの果てとはいえ、帆船模型の壁は高くそびえ、おいそれと手を出せない。

 素人にとって帆船模型が手を出しづらい原因はいくつかあるが、つまるところ以下の三点が大きいのではないだろうか。

【高価い!】
 近現代の艦船ならプラモデルで膨大な種類が出ており、小学生くらいからでも十分作ることができるのだが、帆船模型に限定すると、とたんに事情が変わってくる。
 小サイズで安価なプラモデルがほとんど発売されておらず、2万円台くらいからの本格的な木製モデルが主流になっている。完成できるかどうかわからないものに数万かけることになるので、素人が手を出しにくい。

【難しい!】
 木製モデルの場合、セットに入っているのは必要な分量の「木材」である。
 プラモデルのように単に組めば良いというシロモノではなく、木工の技術や工具が必要になってくる。
 また、帆や帆柱に張り巡らされたロープ類がまた大変だ。

【デカい!】
 細かな手作業が多くなるので、帆船模型は基本的に、ある程度大きなサイズの方が作り易い。
 しかし日本では、工作し易さと住宅事情は、多くの場合相反する。


 手作り和船模型に手を出す前に、いくつか工作作品やプラモデルで予行演習を積んでおきたいと思い、これまでにおりがみ各種と工作を二つやった。
 和船を折る
 海賊船 鉄甲船

 そろそろ夏に向けて、今年も船で何か遊んでみたいなと思い、細々と売られている帆船プラモを試してみることにした。


●「オールドタイムシップス No.04 サンタマリア」青島文化教材社
 小サイズで作り易く、安価な帆船模型ということなら、ほとんどこのシリーズが入手可能な唯一の選択肢になるだろう。

 私が今回入手したのは、帆船の中でも一、二を争う知名度の「サンタ・マリア号」だ。
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 データによると全長173mm、全幅85mm、全高107mmなので、完成するとコンパクトな卓上サイズになる。

 ちょっと注意しておきたいのが中身だ。

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 最近のあまりに作り手に優しいプラモデルに慣れ切った目から見ると、ショックかもしれない(笑)
 成形色は真っ白。
 接着剤、パテ、塗料必須。
 パーツの合いは今一つ、今二つ。
 かなり昭和の香り漂うプラモデルだ……

 でもまあ、プラモって元来はこういうものだったんですよね。
 私がプラモ少年のころは、バンダイのガンプラだって、こんな感じだったのだから……

 ちょっと借り組してみた感触では、形状自体はかなりしっかりしているので、それなりに作りがいのあるプラモではあるようです。
 
 模型製作のリハビリも兼ねて、地道に真面目に、ぼちぼち作ってみます。
posted by 九郎 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年05月28日

素人が帆船模型に手を出すには 2

 手軽な帆船模型、とくに和船が手に入らないものかと色々調べていたら、なんと過去に食玩で発売されていたらしいことを知った。
 恐るべしフィギュア大国・ニッポン!

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(クリックすると画像が大きくなります)


 北前船、黒船、バイキング船、ジャンク船、サンタ・マリア号、朱印船、古代エジプト船、メイフラワー号の全8種+シークレット。
 北前船、朱印船、ジャンク船という、和船周辺のものが三つも入っているのが素晴らしい。
 これで安宅船が入っていたら私的には完璧だったのだが……

 何年も前の商品だったのでもちろん店では入手できず。
 ネットで調べると、定価が一個400円のところ、18個で1000円という激安販売を発見してしまった。
 配送料を入れても一個100円を切る。
 ただ、このセットの場合、中身は分からないので全種そろうかどうか一抹の不安は残る……
 でもまあ全8種で18個購入なら、大概は大丈夫だろうと見切り発車で注文。

 結果、無事全部揃いました!
 さすがにシークレットの「幽霊船」は揃いませんでしたが。
 中身はボトルシップの中に入れるくらいのミニチュア帆船ですが、ちゃんと「模型」と呼べるくらいの品質にはなっています!
 ただ難を言えば、作りが精密なせいか、けっこう箱の中で破損しているものが含まれます。
 私の場合は18個買いだったので、無傷のものが一揃い確保できましたが、ネットで全8種のセット販売を購入する場合は、ちょっと覚悟が必要かもしれません。
 破損部分も、モデラ―なら十分修復可能ですけどね。

 興味のある人は「爆安問屋KANBI 武外伝世界の帆船コレクションモデル18個入」で検索してみてください。今日現在、まだ在庫があるようです。
posted by 九郎 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年05月29日

素人が帆船模型に手を出すには 3

 今日、本屋に行ったら、デアゴスティーニから週刊HMSヴィクトリーを作るが発売されていた。
 ヴィクトリーと言えば、船体に並んだ多数の大砲の列がカッコよく、帆船模型の中でも最も人気の高い部類だ。
 思わず一度は手に取ってしまうのだが、シリーズの詳細を見てため息をつく。
 
 全120号。
 全長1250mm。

 堂々たるスケールで、あのヴィクトリー号には相応しいのだが、私の脳内翻訳では以下のようになる。

 全120号・・・期間二年以上、総額14万円以上。
 全長1250mm・・・完成したら大きめの幼児が寝転んだくらい。

 なげ〜〜
 たけ〜〜
 でけ〜〜

 すみません。興味はあるけど、俺には無理っす・・・

 デアゴスティーニには過去何度も同じ思いをさせられてしまった。
 しばらく前に週刊 戦国甲冑を作るのときも、目を引き付けられたが、以下の理由で断念。

 全55号・・・期間1年、総額十万円弱。
 全高80cm(約1/2スケール)・・・着れない割にでかい。

 それ以前にも安土城とかあったなあ・・・

 デアゴスティーニさん、素人にはちょっとヘビーすぎます!
 期間半年、費用三万円前後、サイズ50cm以下だったら、どれも買ってましたよ!

 私以外にも、スケールがでかすぎてついていけなかった層はけっこういると思うけどなあ。
 しぶとく待望している安宅船の手ごろな模型は、やっぱり「大人の科学」あたりに望みをつなぐしか無さそうか・・・
posted by 九郎 at 23:37| Comment(2) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする