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2012年06月06日

蝕6

 二日前、6月4日の月蝕は、空全体が微妙な厚さ薄さの雲に覆われ、結局見ることはできなかった。

 本日の「金星蝕」、朝から快晴だったので眺めてみることにした。
 ただ、ついこの間の金冠日蝕の時に専用グラスを買いそびれていたので、何かそれに代わるものを入手しなければならない。
 というわけで、昼休みにホームセンターに向かい、溶接マスク用の「遮光ガラス」を購入。
 二枚入り、500円。

 金冠日蝕の時に、ネットで記事を読んでいて、溶接マスクを使って観察しているケースを知った。
 「日食 溶接」で画像検索すると、ちっちゃな姉妹が顔より大きくて無骨な溶接面を当てて空を見上げている萌え写真がヒットしたりする(笑)
 一応、性能的には問題ないそうだ。

 しかし、今回の金星蝕、太陽に映る影が小さすぎて、私の購入した遮光ガラス一枚では確認できず、サングラスの上からガラスをかざしてようやく観察することができた。

 昔の人はさすがにこの現象には気づかなかったのではないだろうか?

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posted by 九郎 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2012年06月09日

2012年06月11日

曼荼羅なめんなよ

 「清盛の血曼荼羅』、極彩色をデジタル復元」という見出しの報道を見かけた。

 金剛峯寺所蔵の重要文化財で、平清盛が寄進したと伝えられ、おまけに清盛が絵の具に自分の頭の血を混ぜたという伝説まで残っている縦4.2メートル、横3.9メートルの両界曼荼羅図だ。
 私も何かの展示で観た記憶があるが、かなり退色して不鮮明になっていたと思う。
 それがこの度デジタル復元されたという。

 歴史のある建造物や絵画、彫刻を、制作当時の色で再現するという試みは、これまでにも多くなされていて、このニュース自体はとても素晴らしいと思うのだが、ついでにどうでもいいことまで思い出してしまったので、一応記事にしておく。

 度々あげつらって申し訳ないのだが、NHK大河「平清盛」のことだ。
 2012年4月放映の「第十五回 嵐の中の一門」だったと記憶しているのだが、今回復元ニュースが届いた「血曼荼羅」が、題材になっていた。
 清盛伝説の中でも有名なエピソードなので、ドラマでもぜひとも使いたかったのはよくわかるのだが、その描写がなんとも酷かった。

 まず、曼荼羅の制作風景がありえない。
 ドラマの中では清盛に制作を依頼された絵仏師が、平家の屋敷内で、たった一人で描いているようにしか見えなかった。
 しかし、大寺院に寄進する約4メートル四方の巨大な曼荼羅を、絵描き一人がホイホイ出かけて行って、納期内で描くというようなことが可能かどうか、少し考えればわかりそうなものだ。
 それなりの人数の、専門資料や画材を完備したチームがなければ制作できるはずがないではないか。
 平家の屋敷内での制作したという伝承もあるようだけれども、さすがに「絵師一人」はあり得ない。
 ドラマ中では一人の仏師が、けっこう短期間で曼荼羅を描き上げたかのように描写されているのである。

 私も神仏絵描きのハシクレとして、いつの日か自分なりの大曼荼羅を描いてみたいという夢は持っているが、一人の人間が大曼荼羅を描くということが、いかに困難なことかはよくわかっている。
 その困難をものともせず、CGでコツコツと胎蔵界曼荼羅を描きつづけている人もいて、私は心から賞賛している。

 電気仕掛けの胎蔵界曼荼羅を描いてみるぶろぐ

 これだけでも「曼荼羅なめんなよ!」と突っ込みたくなるところなのだが、まだある。

 ドラマの中で、仏師が完成間際の曼荼羅を前に、発注者の清盛に「仕上げの一筆」をいれるように勧め、清盛もうなずいて、「弟の供養のため」に胎蔵曼荼羅の真ん中の大日如来の顔に筆を入れようとするシーンがあったのだ。
 仏師が曼荼羅の中心部分に、発注者とは言えただのド素人の筆を入れさせるなんて、そんなん絶対に

 あ・り・え・へ・ん!
 
 確かに「平家物語」には清盛が自ら筆をとったと読める記述があるが、そっち方面のお話しにするならもっと中世的なおどろおどろしい血まみれ呪術方向に振り切るべきだ。

 しかもその後、曼荼羅の前で清盛が父・忠盛に殴られ、頭から血を流して呻きながら曼荼羅まで這って行き、したたる血で仏様に彩色し、その様子を母・宗子が「うんうん」と嬉しそうにうなずきながら見守るシーンがあった。
 たぶんドラマを観ていない人には↑こう書いても何のことか意味がわからないと思うが、ご安心あれ。

 実際に観ていても理解不能です! 

 というか私の場合は、なんだか

 一昔前のダウンタウンのコント

 を観ているような気がしてきて、あまりに不条理な暴力とシュールさにちょっと失笑してしまった……
 
 有名な血曼荼羅のエピソードを使いたいが、あまりにぶっ飛んでるのでちょっと現実味を持たせたい。
 だから専門の仏師は登場させて、清盛に仕上げだけさせたことにする。
 ドラマの中の「真っ直ぐ」な清盛のイメージは崩したくない。
 だから「自分で血を混ぜた」のではなく、「事故で血が混ざってしまった」ことにする。

 あれもこれもと欲張った結果、こういう中途半端で支離滅裂な脚本になってしまったのではないだろうか。

 このドラマの脚本家が史実にかなり無頓着なのはよく分かっていたが、これはもう、史実云々のレベルではないような気がするのである。
 今回はたまたま、曼荼羅という私が特に関心のある分野だったので目についたのだが、他にもこのレベルの「ありえなさ」がいくらでもあって、単に私が見逃してしまっているだけなのではないかという疑念も湧いてくる。
 
 当のドラマの方は父・忠盛の死後、清盛の成長とともに多少マシにはなってきている。
 部分的に光る所もあるドラマなので、今回記事にした「血曼荼羅」事件以降、根本的な不信感は抱えつつも、なんとか我慢して観ている。
 とくに、役者さん達はそれぞれに糞脚本(←ああ、書いてしまった!)の範囲内で、全力投球しているように見える。
 何かと批判されがちな主演・松山ケンイチだが、よく考えると脚本の内容を最大限に熱演した結果があれであるとも思われる。
 どうしようもない譜面はどう演奏しても名演にはなりようがないのだから、ちょっと気の毒だ。

 しかしこのドラマ、史実考証のスタッフとして名前が出てしまっている人は、頭を抱えているのではないだろうか……
posted by 九郎 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする

2012年06月18日

アジサイ2012

 嘘まみれ金まみれの原発再稼働にはらわたの煮えくりかえる日々である。
 今そのことを記事にすると、毒気が濃すぎて「読み物」にすることができない。
 しばらく寝かし、呼吸を整えてから、当ブログなりのやり方で取り上げる。

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 こういうときは散歩に出て頭を冷やすに限る。
 ちょうどアジサイの季節だ。
 毎年この時期は楽しみにしてきた。

2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2012年

 天気の不安定な梅雨時だが、アジサイを眺めるにはその方がいい。
 この花は少しでも水分が不足すると、てきめんに鮮やかさにかげりが出るし、強い陽光の下ではコントラストが強くなりすぎて微妙な色の変化を楽しめない。
 曇り〜少雨の時に、アジサイはもっとも輝く。

 転居してきてから三年目。
 ご近所のどの庭先にどんなアジサイがあるのか、だいたい把握できてきたので、時間のあるときには巡回する。
 これまで私はつぼみから咲きかけの花に心ひかれて来たのだが、今年は咲ききって萎れる直前の花の細部の良さに気づくことができた。

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 一つ一つの花の小宇宙を楽しむなら、ご近所で十分すぎるのだが、アジサイの名所と言われるところでは、小宇宙が集合した華厳の様が楽しめるので、やっぱり素晴らしい。

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 深呼吸。
 深呼吸。
posted by 九郎 at 00:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2012年06月25日

フリマで絵解き

 フリマ出店。
 日々のニュースに腹の立つことの多い中、部屋にこもっていないでたまには屋外で接客するのも、気分転換にはちょうどいい。

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 私の場合、出店している間に「自分は何をしているか」が、難しい。
 元々愛想もなく接客向きとは言い難い人間が、怪しげな神仏ネタのイラストやTシャツを前にして黙って座っていると、

「やだ何あの人怖い」

 という印象を与えがちである。
 無意味にお客さんを威嚇しないよう、店をやっている間は絵を描くことにしている。

 若い頃はカラースプレーで即興をやって投げ銭をもらうパフォーマンスをやっていたのだが、他のお店の密集したフリマのブースでそれをやると、数秒で通報され、以後出入り禁止になってしまうだろう。
 私もそこそこ年を食っているので、さすがにそこまでヴァカではない。
 客寄せにはなるべく大きな絵をその場で描くのが良いのだが、今まで適当な画材を見つけられずにいた。
 マジックペンでは細くて弱すぎるし、ペンキや墨なら面積が広くても対応できるが、お客さん向けに絵を立てて描いていると、どうしても流れてきてしまうし、乾きも遅い。

 今回投入した「新兵器」が、中々いい感じでハマってくれた。
 ホルベインから出ている「ソフトアートスポンジ」という画材だ。
 本来はパステル等の粉っぽい画材をこすりつけるためのものなのだが、コシの強いスポンジなので、液体を含ませて描画することもできる。
 様々な形状が用意されているが、私は以下のものに切り込みを入れ、棒に接着して「スポンジ筆」として使用してみた。



 普通の墨汁と朱を使って見たのだが、マジックと筆の中間のようなタッチで、描いた次の瞬間にはもう乾燥してくれるので、非常に即興パフォーマンス向けだ。
 工夫次第で用途は無限に広がりそうな画材だと思う。

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 おかげさまで、出店料+αの黒字。
 当日お立ち寄りいただいた皆さん、ありがとうございました。
posted by 九郎 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2012年06月26日

だめだやっぱりはらわたにえくりかえる

 私は自分のことをアホな絵描きのハシクレだと自覚している。
 世間様に対して大きなことを言える程のものではないのだから、ブログにはあまりたいそうな政治ネタは書かないことにしていたのだが、3.11以降は原発関連に限ってその禁を破ってきた。

 それでも腹にすえかねるということはある。



 
 
 2009年の時点でこのように主張していた人間が、その後一回の選挙も経ずに一国の指導者になり、公然と自らの言葉を裏切って恥じないこの異常事態。
 金銭や女性スキャンダルなどよりも、はるかに性質が悪いのではないか?
 こういう人間がその責任において、安全を約束し、経済性を訴えて、原発の再稼働を決めたのである。
 私たちは好むと好まざるにかかわらず、こういう人間に生命・財産の安全を預けているのである。

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posted by 九郎 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年06月28日

GUREN12

(当ブログではカテゴリ90年代で、私自身の阪神淡路大震災の被災経験を、断続的に書きとめています。)
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 被災生活は、精神的・物質的には耐乏の日々が続いた。
 確かに不便なことは間違いなかったが、私自身は実を言うとそれほど困っているわけでもなかった。
 元々ビンボーな劇団員だったので、何も失うものがなかったことが逆に幸いした。
 震災の前後で劇的に生活が急変したわけではなく、せいぜいが「ビンボー一割増し」ぐらいなものだったのだ。
 仕事が減り、金もなかったのだが、所属していた劇団が休止していたので、時間だけはたっぷりあった。
 バイトのない日、私はあてもなく破壊された神戸の街を、ただウロウロと歩きまわった。
 この際、未曾有の大震災というものを、自分の目で見尽くしてやろうと思っていたのだ。
 今振り返ってみても、その経験は得難いものだったと思うのだが、一点だけ書いておかなければならないのは、古いビルが倒壊した時に撒き散らされるアスベストのことだ。
 阪神淡路大震災当時、アスベストに対する注意喚起はまったくと言っていいほどなかった。少なくとも私は、そのように認識している。
 私も含めて街ゆく人々はみな、マスクもなしにもうもうと埃の舞う廃墟を歩き回っていた。
 おそらく、あの当時神戸の被災地にいた人間は、一様に発癌性物質を吸い込みまくってしまったはずだ。震災から十七年、影響があるとすればそろそろデータとして出てくる頃かもしれない。
 昨年の東日本大震災では、アスベストについての警告もそれなりに出ていたと思う。福島第一原発から放出された放射性物質とともに対策が徹底されるべきで、とくに年少者には外出時の専用マスク着用を習慣づけた方が良いだろう。
 私のように後から知識だけ得たとしても、手遅れである。

 ともかく、私は破壊された街を憑かれたように歩き回った。
 ときには被災地外から神戸を訪れた知人を、案内して回ったりもした。
 当時私はバイトの関係で、建築・造園畑の皆さんと付き合いがあり、現地調査の手伝いみたいな話がちょくちょくあったのだ。
 震災後の神戸には、様々な形で現地調査に入ったり、もっと露骨に言えば、物見遊山に来ている人々がたくさんいた。
 被災者の皆さんの中には、そうした「見物人」に対して不快な思いを抱いている人も多かったと思うが、私自身は「見物でもなんでもいいから、機会があれば大震災の現場は一回見ておいた方がいい」と思っていた。
 百聞は一見にしかず。
 巨大地震がいかに都市を破壊するかということは、連日の報道を読み漁り、TV画面を何十時間と見続けても、本当の所は到底わかるものではないのだ。
 映像や写真として広く報道するには適さない悲惨な光景が、震災の現場には多数あるということもある。
 実際に被災地に身を置き、360度壊滅した街を、空撮ではなく地べたから見上げてみる。
 ほんのわずかな時間でも、現地を歩き回ってみる。
 その体験は、必ず心の中に化学変化を起こす。
 堅牢そのものに見える鉄筋コンクリートの近代的建造物が、信じがたいほど脆く崩れやすい「こわれもの」にすぎないという事実が、理屈抜きで頭に叩き込まれるのだ。
 私は今でも道を歩いていて、日常風景の中にある建造物と、震災当時の倒壊の情景が重なって見える瞬間がある。
 とくに一階部分が駐車スペースになっていて柱だけで支える構造になっているビルや、老朽化してコンクリートのあちこちが剥離している高架等を通りかかったとき、その「幻視」は起こる。そんな風景は日本中どこにでもありふれているので、つまりはけっこう日常的に「見ている」ことになる。
 もちろんそんな「幻想」が見えたからと言って、普段から一々他人にしゃべったりはしない。
 たまたま自分の被災体験について綴っているところなのでこうして文章にしているが、そうした私的な空想が、なんらかの予知能力だと主張したいわけではないのだ。
 おそらく、こういうことではないかと思う。
 住み慣れた街の、よく知った建造物が破壊されたケースを、私は震災後に敢えて見すぎてしまったのだ。
 無数のケースを驚きをもって頭にインプットし続けた結果、似たような建物や高架を通りかかったときに、震災後の風景が連想として蘇ってくるような回路が、知らぬ間に脳内に作られてしまったのではないだろうか。

 私の空想癖はともかくとして、建造物の耐震偽装が蔓延したこの地震国では、どこで何が起こるかわかったものではないことだけは確かだろう。
 街を歩く折に、少し注意深く鉄筋コンクリートの建造物を観察してみると良い。
 ひび割れ、剥離し、赤錆びた鉄筋をのぞかせた箇所が無数に目につき、背筋の凍る瞬間がいくらでもあるはずだ。
(つづく)
posted by 九郎 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする