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2012年07月01日

大飯原発は安全だそうです。首相は責任を持つそうです。

某巨大掲示板より。
〜〜大飯原発は安全だそうです〜〜
防波堤のかさ上げ → やってません
水素除去装置   → ありません
ベントフィルター → ありません
免振重要棟    → ありません
非常用電源車    → 高台に駐車場無し
非常用発電機    → 高台に設置スペース無い
アクセス道路   → 県道241号線一本のみ(しかもトンネル)
外部電源の多重化 → やってません

野田佳彦首相「最終的には総理大臣である私の責任で判断を行いたいと思います」

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↑クリックすると大きくなります。


あとはエチゼンクラゲ様の御心のままに。
posted by 九郎 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年07月05日

それはそれ、これはこれ、とはいいながら

 嘘まみれ金まみれの再稼働に対する画像をちょっと修正。
 Tシャツにでもすっか……
 (クリックすると大きくなります)
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 何度も書いたが、私はここ二十年来の反原発である。
 それもかなりイタい強硬派で、「段階的な脱原発依存」などという悪い意味で日本的な足して二で割る式のヌルい主張ではなく、日本国中のすべての原発の即時廃炉を求める極端な意見を持っていて、そこの部分ではもはや議論する意欲すらない。
 
 ただ、もうそこそこ年食ってるので、他人様が色々な意見を持っていることは承知していて、わざわざ考えの違う人の首根っこをつかんで折伏してまわるつもりはない。
 ブログというスペースを使って個人的な思いを書き連ねるのみである。

 読みたくない人は読まないでくださいね。

 原発について他人様がどう思うかはまあいいのだが、それでも3.11以降ちょっと気になってしまうのが、自分の好きな表現者が原発についてどういう意見を持っているかということだ。
 別に好きな表現者が原発推進または維持の意見を持っていることがわかったところで、その人の作品に対する思いが変わることはない。
 それはそれ、これはこれだ。
 しかしながら、私の好きなタイプの表現者は、どなたも作品と本人の生きざまが絡まり合ったようなタイプが多い。
 作品を含めた表現者そのものに丸ごと興味を持ってしまう傾向があるので、そういう人が原発という私の中ではかなり大きな問題について、違う意見を持っていることを知ると、感情的にはちょっと揺れ動くものがあることは否定できない。

 最近調べものをしている時、私が中高生のころから敬愛してやまないある作家さんが、かなりはっきりと3.11以降も「原発推進」を主張していることを確認してしまった。
 当ブログでも紹介したことがある作家である。
 実は前からネット上の「噂」としては、そのような意見を持っているらしいことを知ってはいたのだが、先日ついにご本人が直接原発について語っている動画を見つけてしまったのだ。
 そう言えば、ずっと昔のエッセイで軽く原発推進っぽいことを書いてあったような気もするが、記憶が定かではない。書いていたとしても、その文章の主題ではなかったのではないかな?
 ともかく、まだご本人が本格的な意見表明をしていないようなので、ここでは一応名前はあげないことにするが、「環境」という分野においてはそれなりに影響力がある作家さんなので、もし今後の著作などで何らかの意見表明があれば、その点においては名指しで批判せざるを得ない。

 それはそれ、これはこれとはいいながら、……である。
 残念ではあるが、それでも今後の私の人生で、その作家の作品が大切なものであることは変わらない。

 ほっと一息ついたこともある。
 長渕剛さんのことだ。
 3.11以降、この稀有な歌い手が、震災や津波被害については多くの言葉を語り、行動力を示してきたことは周知の事実だろう。
 ただ、私の見る限り、震災全般についての多くの発言に比べて、「原発」については注意深く評価を避けているような印象があった。
 少々不安をもっていたのだが、先ごろ発売されたアルバムで、歌詞としてはっきりと反原発の表明があり、一安心した。


●「Stay Alive」長渕剛
 初期のフォーク時代のファンが、その後の「変身につぐ変身」をすっ飛ばしてタイムスリップしてきたとしても、何の違和感もなく聴いてしまうであろうアルバム。
 喉を絞らず、シャウトをせず、ファルセットを使った高音が、かえって新鮮だ。
 最近の長渕剛の色合いも、ジャケットに映る割れた腹筋以外にも、もちろん音として混ざってはいるのだが、いつものあのアクの強さは抑え気味の一枚。
 その分、深く静かに「震災後の日本」に対する感情が込められている。
 昨年末の紅白で、「ナガブチは嫌いだけど、あの曲は良かったね」という評判をよく目にした「ひとつ」も、もちろん収録されており、全体にあの曲のトーンが主となっているアルバムだ。
 「昔、長渕をよく聴いていたけど最近聴いてないな」
 そんな人に、一度手に取って見てほしい。
 



 それはそれ、これはこれとはいいながら、やはり嬉しさはある。
posted by 九郎 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年07月06日

明日は晴れますように

 もうすぐ七夕。
 怒ってばかりでは胃に悪いので、たまには星空をながめたい。
 今夜は雨だが、明日はどうかな?

 ずっと昔に作ったロゴflashをお蔵出し。
 この頃はflashを作るのが楽しくて仕方がなく、色々細かいことを試している。
 最近ちょっとサボっているので、いずれまたガッチリ作ってみたいなあ。



 もう一つ。
 これもずっと昔、PCで絵を描き始めた最初期に、とあるお絵描き掲示板で描いた一枚。

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 慣れない画材で試行錯誤しながら描く楽しみというものがある。
 慣れることの熟練は大切だが、悪くすると線や色に緊張感が無くなって、「上手に出来てはいても面白くない絵」になってしまうこともある。
 
 そろそろ新しいソフトに手を出してみる時期かな……
posted by 九郎 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2012年07月11日

身体と「痛み」で対話する2

 7月が過ぎていく。
 6月末から7月中旬にかけて、毎年体調を崩し易いのでそろそろ学習しなければならない。
 このカテゴリ「身体との対話」を自分で読み返してみると、傾向と対策がよくわかる。
 ブログをやっていて良かったことの一つだ。

 夜間の気温が不安定なことと、仕事の切れ目になるので忙しく、睡眠不足になりがちで、疲れがたまり易いことが、体調を崩す原因になっているのは明らかだ。
 私の場合はとくに、仕事が一段落した直後が危険だ。
 一安心して休める状態になった時、気力の途切れた瞬間を狙いすますように、腰か胃腸にガタが来るのだ。
 
 ここ数日、ふとした瞬間、腰に違和感を感じてヒヤリとしている。
 さすがに腰に対する注意力は身についてきていて、とっさに体勢を変えて、ぎっくり腰を回避できるようになってきた。
 慢心は禁物なので、今後二週間ほどは腰に厳重注意である。
 今は絶対に休めないのだ。

 胃腸の具合で気付いたこともある。
 このところ、ある特定の曜日の午後四時前後、お腹のあたりに「どよ〜ん」とした痛みが出ることがわかった。
 その曜日のシフトは午後から休憩時間が取りづらく、立ちっぱなしでいなければならない。
 どうやらそうした仕事内容と昼食のメニューの相性が悪いらしいのだ。
 休めない午後に備えて昼食時はゆっくり本でも読みながら過ごすことにしているのだが、「仕事場に近く、本が読めて、リーズナブルな店」はほぼ限られてしまい、毎週同じようなメニューを摂ってから仕事に入ることになる。
 どうもそのメニューが消化に悪いらしく、三時間ほどたった時に胃腸が悲鳴を上げるようなのだ。
 
 気付けたからには対策である。
 店とメニューは変えづらいので、「よく噛む」ことを徹底してみたところ、やはり痛みは出なくなった。

 腰と同様、胃腸に関してもよく気をつけないと、酷い目にあうので、厳重注意である。
 
 今年はとにかく、7月を無事乗り切ることを目指してみる。
posted by 九郎 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2012年07月12日

「のどごし」で味わってはいけない!

 たびたび同じことを書いて恐縮だが、私は年に何度か疲れが胃腸に来やすい時期がある。
 その時期に無理を重ねると、腹痛を起こしてしまったりする。
 だからなんとなく自分のことを「胃腸の弱い人間」であると認識してきたのだが、どうやらその自己認識が間違いであるらしいことに、ごく最近になって初めて気付いた。

 けっこう年食ってるのだが、いまだにご飯を「のどごしで味わう」悪癖が残っている。
 「のどごしで味わう」と書けば、男性、とくに中高生の頃、体育会系の部活をやっていた人には、すぐに分かってもらえると思うのだが、たぶん大部分の女性には意味不明だと思う。
 食事をするとき、食べ物をろくに噛まずに飲み込み、早食いをすることである。
 舌の味覚で味わうというよりは、喉を大量の食べ物が通過する快楽を味わうのだ。
 当然ながら、食事中に何度か喉に詰まる。
 そういう時は水で一気に流し込む。
 それがまた快い。
 
 こんなことを書いていると女性読者(いるのか?)の皆さんが、「そんな食べ方して美味しい?」と眉をひそめる姿が浮かんでくるが、ともかく多くのアホな男はそういう飯の食い方をするということを、まずは知っておいてほしい。
 男子は小学校高学年あたりから二十歳前後にかけて、まるで餓鬼でもとりついたように腹が減り、とにかく早食いでその飢餓を満たしたいという衝動に駆られるものなのだ。
 お茶碗ではなくてドンブリ、しかもおかわりがデフォになったりする。
 朝食をたっぷり食べても、学校に着く頃にはもう小腹が減ってたりする。
 部活が終わって帰宅し、夕食にありつくまでの空腹が耐えきれなかったりする。
 そして、だいたい二十歳代後半からおかわりはしなくなり、三十代になるとさすがにドンブリでは食わなくなる。
 分別のある男性は、食べる量が減ってくるにしたがって「のどごし」ではなく、ちゃんと舌で味わうようになってくるのだが、私はアホなので、食べる量が減ったにも関わらず、いまだに「のどごし」の悪癖が残っている。
 
 たまに酷い腹痛を起こす癖に、普段の胃腸が何の問題もなく消化してくれるおかげで、私は今までに一度も本気でこの悪癖を直そうとしてこなかった。
 基本的には胃腸が丈夫だったことに甘ったれて、年齢とともに少々衰えてきたにも関わらず、何のケアもしてこなかったのだ。

 胃腸さん、ごめんなさい。
 「胃腸が弱い」なんてとんでもない、あなたは今までけっこう丈夫でいてくれました。
 今も、せいぜい「並の上」でいてくれています。
 
 今後はなるべく、ごく常識的な注意である「ご飯はよく噛んで食べましょう!」を、守って行きたいと思います。。。
posted by 九郎 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

なめとんか?

 昨日の夕方。
 たまたま仕事が早めにあがったので、急遽、大阪中之島の関西電力本社前の原発再稼働反対デモに、顔を出してみた。
 こうしたデモに参加するのは、たぶん初めてだ。
 手持ちのUSBメモリに入っていた↓この画像を、コンビニでA3サイズにカラープリント。
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 クリアーファイルに入れて、即席のプラカードにした。
 けっこうウケたw
 
 大阪はあいにくの雨。一時はかなり本降りだったが、デモの始まる午後六時頃には「しとしと」ぐらいになっていた。
 街路樹の下ならなんとか雨具無しでも大丈夫だが、長時間気勢を上げるなら傘かレインコートが必要な感じだった。
 ネットでの評判通り、非常に党派性、政治性の薄い、抑制の効いた抗議デモだった。
 組織的に動員された感じがしない、ごく一般的な老若男女が、スタッフの指示をよく聴いていて、それぞれが迷惑行為にならぬよう配慮に努めていたと思う。
 一部で小競り合いもあったようだが、殺伐とした雰囲気は感じられなかった。
 写真では当日の様子が伝えづらいのだが、一枚だけ紹介しておくと↓こんな感じ。
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 画面中央から右に写るビルが、関電本社。ビルの前に集まって見える人たちは全部再稼働反対デモの参加者だ。
 車道が空いているのはデモスタッフの指示の賜物で、もし適切な誘導がなければ車道まで全部デモ参加者で埋め尽くされていただろう。

 あいにくの天候だったので、さほど人が集まっていないように感じたが、自分なりの目測でカウントしてみた。
 まず十人程の一かたまりを把握し、それを五倍して約五十人の一群を想定。
 その大きさを元に集まった人波を数えてみると、少なくとも500人以上は集まっているかなと思った。
 もちろん正確な人数ではないだろうが、私としては誇大な数字にならないよう、かなり少なめに数えたつもりである。実際は倍ぐらい参加者がいても不思議ではない。
 関電本社前は、そもそも多人数が集まれるような場所ではなく、細い車道と歩道が一本通っているだけなので、デモは「面」ではなく「線」の形にならざるをえない。
 中心の関電出入口あたりに集まっている皆さんはシュプレヒコールの声が大きく、明らかにデモ参加者だとわかるのだが、周辺部分に行くほど、通行人との差が分かりにくくなる。
 数え方によってバラつきが出るのは仕方がなさそうだと思った。
 組織で動員されたデモではないので、かなり人の出入りも多い。短時間だけ参加した人も想定すると、明らかにもっと数は多くなるだろう。
 私も午後7時過ぎには現場を離れたので、終盤に向けて人数は更に増えただろう。

 デモ参加者は若者が多いので、シュプレヒコールもかなりリズム感がよく、音楽的だ。
 各地のデモでは唱歌「故郷」をうたう動きも出ているようだ。
 私も一年以上前、そういう記事を書いたことがある。
 思いは皆、同じなのだろう。

 もう一度、当ブログで作成した音源を紹介しておきたい。
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 【唱歌 故郷(ふるさと)】(3分20秒/mp3ファイル/6MB)

 あと、こんなのもあります。

 ところで、本日。
 どうやら関電は大飯原発3号機に続いて4号機を、18日午前9時に起動すると発表したようだ。

 なめとんか?
 まあ、なめとるんやろな……
posted by 九郎 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年07月18日

狂気を封じる鎧1

 長渕剛のことである。

 この異能の歌い手については、いずれ記事にするつもりではいた。
 しかし、思い入れのある対象であればあるほど、いざ書こうとするとなかなか筆が進まないこともある。
 
 先日、反原発記事を書く行きがかり上、ついにこの歌い手のことを書いてしまった。
 行きがかり上とはいえ、取り上げてしまったからには、もう少しちゃんと書いておかなければならない。

 この一年ほど、よく長渕を聴いている。
 これまでにも何度か長渕にハマった時期があった。
 ずっと聴き続けてきたわけではないのだが、何年かに一度、ハマる時期が来る。
 今回久々のマイ長渕ブームのきっかけになったのは、2010年に発売された以下の本を、書店で手に取ったことだ。


●「別冊カドカワ 総力特集 長渕剛」
 「音楽人生三十年を語り殺す!」
 「今、語る『とんぼ』の時代」
 表紙に踊る刺激的な見出し通り、読み応えのある一冊だ。
 タイミング的には、東日本大震災に関連して精力的な動きを展開する直前の発行である。
 長渕剛本人に対するインタビュー、多くの著名人からの寄稿、作品解説も豊富で、書画や愛用ギターについても紹介されている。過去、現在に、一度でも長渕剛に興味を持ったことがある人は、手に取ってみて損はないと思う。
 映画監督・深作健太のインタビュー記事の中に、俳優・藤原竜也のエピソードが紹介されていて、ちょっと笑ってしまった。
 映画「バトル・ロワイヤル」撮影時、カラオケに行った時のこと。
 ナガブチをうたう藤原竜也に驚いた深作監督。話を聞いていると「長渕歌って何が悪いんですか!」と熱く語りだしたとのこと。
 カラオケで自分から歌っておきながら、誰もまだ文句なんか言っていないのに、言われる前から「何が悪い!」と先ギレするのは、長渕ファンあるあるではないだろうか?(苦笑)
 長渕剛が世間的にどのように思われているか承知の上で、ナガブチの偏った部分については自分でも「ちょっとなあ……」と思いつつ、それでも好きで、たまにカラオケの機会があれば歌ってみたくなる。
 歌ってはみるものの、気恥ずかしさはちょっとあり、そこはあんまりいじってほしくなくて「先ギレ」してしまったりする。
 自分も含め、長渕ファンにはそういうめんどくさい所が、確かにある。

 私の人生で一番ナガブチにハマったのは、高校生の三年間ほど。
 当時は毎日のようにナガブチを聴きまくっていた。
 とくに高一の頃は、当時の友人にダビングしてもらった以下の三枚のアルバムを日課のように聴きこんでいた。


●「HOLD YOUR LAST CHANCE」
●「HUNGRY」
●「STAY DREAM」

 海辺の町で一人暮らしをしていた同じクラスの友人のレコード(!)が原盤で、けっこうノイズも入っていたのだが、当時はそんなことはまったく気にしなかった。
 ギターを弾くその友人は長渕剛の弾き語り本も持っていたので、コードネーム入りの歌詞ページもコピーさせてもらって歌詞カードがわりにしていた。
 長渕剛はデビュー時から多彩な変身を繰り返してきたのだが、私が中高生の頃は、長渕剛が今の長渕剛のイメージを作り上げる直前の、物凄く変化の激しい一時期と重なっていた。
 この三枚のアルバムだけでも、音作りや発声法が目眩のするほど変化している。
 バンドサウンドが完成に向かった「HOLD YOUR LAST CHANCE」「HUNGRY」から、一転してごく個人的な弾き語りスタイルに回帰する「STAY DREAM」への流れは、続けて聴くと、それ自体がドラマになっているように感じられた。
 メディアへの露出も多く、メガヒットもあった時期なので、私の周囲はみんな長渕のことを(肯定も否定も含めて)よく知っていた。 
 三十代から四十代にかけてのお笑い芸人の皆さんの中にはけっこうな数の長渕ファンがいるらしく、たまにTV番組などでそのような話題やネタを披露しているが、それはたぶん同じ理由による。

 ナガブチに浸りきっていた中高生の頃を終えてからは、さすがにずっと聴きつづけることはなかった。
 その後も長渕剛は「変身」を繰り返したし、個性が強烈なので、合うときは合うのだが、感覚的に受け付けない時期も、やっぱりあった。
 私にとっては、一人内なる声に耳を澄ませているような内省的な時期の長渕剛が一番しっくりくる。
 そうした音は、以下の三枚のアルバムで聴ける。


●「STAY DREAM」
●「LICENSE」
●「NEVER CHANGE」

 この三枚のアルバムが出た時期の長渕は、TVドラマの主演が好評だったり、「本業」の歌のヒットも有り、プライベートでは結婚したり、子供が生まれたり、非常に安定していたのではないだろうか。
 一度全てを失い、どん底から一人で這い上がった「STAY DREAM」から、何気ない市井の暮らしの中で、人情の在り様を細やかに見つめていく「LAICENSE」に至るアプローチは、今でもファンが多い。
 正直、私もこの頃の「芸風」が一番好きだ。
 もし長渕剛がこの芸風で安定していたとしたら、今頃は広く支持を集める国民的歌手になっていたかもしれない。
 しかし、それはそれで長渕剛の中の、ある大切な「何か」が失われてしまっただろう。
 生み出す「音」の好みとは別に、敢えて変身し続けることをやめないナガブチは、やっぱり気になる存在なのだ。
 セルフカバーアルバム「NEVER CHANGE」は、発売当時、古くからのファンの評判は最悪だった。「変わらない」というタイトルなのに、肝心の音作りが全く変わってしまい、ファンが思い入れを込めている名曲が、それぞれに「別物」に変わってしまっていたのだ。
 今にして思えば、流転し、何度でも生まれ変わり続けるその姿勢そのものが、いつまでも「変わらない」ナガブチの生き方なのだと理解できる。
 夢の中で過去をやりなおしているような「NEVER CHANGE」は、あまり評価は高くないけれども、長渕剛という歌い手を俯瞰する上では、けっこう重要なアルバムだと思う。

 この時期、一度完成した感のあった長渕剛は、その直後に突然「怪物」を生みだしてしまうことになる。
 内なる狂気を極限まで研ぎ澄ましたことにより生み出されたその「怪物」は、ある時期から長渕剛を丸ごと乗っ取ってしまったように、不可分の存在へと成長していく。
 
 注意深く観察すれば、「STAY DREAM」や「LAICENSE」の中に、その後の変身を予感させる言葉の断片を見つけることはできる。
 「STAY DREAM」収録の「少し気になったBreakfast」という静かな曲の中では、以下のように呟く。
 しあわせな朝のすき間から
 のぞいても何も見えなくて
 時に心が痛く痛くうち震えてくるのは
 なぜだい?

 あるいはもっとあからさまに、「LAICENSE」の冒頭では、今更のように「チンピラになりてぇ!」と叫ぶ。

 この時点で、その言葉を真に受けたファンが、どれだけいただろうか?
posted by 九郎 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする

2012年07月26日

狂気を封じる鎧2

 その「怪物」の名は小川英二。
 ヤクザである。
 刑期を終えて出所してきたばかりの三十二歳。娑婆に出てきてみれば、街も、周囲の人間関係も、自分を取り巻く何もかもが変わってしまっていた。
 どこにも馴染めないままに、生き方の模索が始まる。
 
 実在の人物ではない。
 1988年に長渕剛の主演したTVドラマ「とんぼ」の主人公である。
 小川英二というヤクザは架空の存在ではあるけれども、そのキャラクターには長渕剛本人が濃厚に投影されている。
 それまでのドラマ出演では「下町の愛すべきあんちゃん」を好演し続けてきた長渕が、一転して武闘派アウトローに挑戦し、ゴールデンタイムのドラマとしては空前絶後の過激な内容で、それまでのファンをのけぞらせた作品であり、主題歌「とんぼ」は大ヒットして今でも歌い続けられている。
 放送回数8回、たった二カ月の作品であるにもかかわらず、衝撃的なラストシーンで、視聴者の記憶に刻み込まれる伝説のドラマになった。

 このドラマ、武闘派ヤクザを主人公にしているものの、当初は派手な抗争をテーマにしたものではなかったようだ。
 はみ出し者ではあるけれども筋目を通し、人情もある、ある意味ファンタジックな「古風な愛すべきヤクザ」が、バブル真っただ中の金まみれニッポンにたいして、一言もの申すような内容を想定していたらしい。
 確かにドラマの序盤は、主人公・小川英二が久々にム所から舞い戻った街の中で、様々な変化の一つ一つにゴツゴツとぶつかってもがき続ける内容になっている。
 街にあふれる調子にのった若者、中高生にぶつかっては説教し、横柄な検問に引っかかっては啖呵を切り、ナメた態度の店員には札束を叩きつける。
 一方で、孤独な少年に出会えば黙って力付け、地方出身のバイト学生には気前よく小遣いを渡す。
 舎弟の教育には熱心で、飯の炊き方、味噌汁の作り方、拭き掃除の仕方などを実演しながら事細かに仕込み、その舎弟の母親には深い思いやりを示したりする。 
 このあたりの丹念な描写は、まさに当初予定された通りのものだったのだろう。
 しかし放映が回を重ねるにつれ、徐々に所属する組内の抗争が比重を占めて行き、主人公・英二はその戦いのさなかに倒れることになる。

 ドラマがこのような「破滅」に向かって進行してしまった理由はいくつかあると思うが、私は長渕剛が小川英二になりきるための役作りに、最大の要因があったのではないかと感じる。
 身長はそこそこあるが、当時はかなりやせ型だった長渕剛が、喧嘩上等の武闘派を演じる場合、その「強さ」にリアリティを持たせるためには一工夫が必要になる。
 身長か体重で並はずれたものがあれば、何もしなくても「強い」と伝わる。
 体格に恵まれない場合は、何らかの武道や格闘技の技を身につけている描写をしなければならない。
 たとえフィクションの世界であっても、それなりの技量を身につけていなければ、説得力のある「画」にならないのだ。
 ずっと後には見事な肉体と空手の技量を身につけることになる長渕剛なのだが、ドラマ「とんぼ」収録当時には、その両者ともにまだ獲得していなかった。
 体格も技量もない人間の「強さ」にリアリティを持たせる場合、残された方法はほとんど一つにしぼられる。
 狂気である。
 喧嘩の始まる一瞬を敵に先んじてとらえ、一気に精神のリミッターを外して苛烈な速攻を加える。
 相手に体格や技量の優位を使う余裕を与えず、先にブチ切れてメチャクチャをやる。
 喧嘩の設定を、相手が想定している範囲を越えて、瞬間的に「命のとりあい」まで拡大し、恐怖感を与える。
 小川英二の喧嘩はほとんどがこのパターンで、スポーツ格闘技ではない生の修羅場では、まことに有効かつ合理的な方法論だ。
 誰しもあまりにイカれた人間を相手にするのは、嫌なものなのだ。

 この役作りの過程で、長渕剛の中の負の感情、狂気の部分が拡大され、小川英二そのものになりきってしまったことが、その後の展開にも影響したのではないだろうか。
 街中で「本職」に出会ったとき、兄貴として声をかけられるほどに、当時の長渕剛には小川英二が憑依していたという。
 長渕剛本人も、後年のインタビューで「ドラマが終わっても英二が抜けなくなった」と述べている。

 このドラマ、熱狂的なファンが多数いるが、内容が内容だけにほとんど再放送されず、DVD化もされていない。
 基本設定が踏襲された映画作品に「オルゴール」がある。


●「オルゴール」主演・長渕剛 脚本・黒土三男 (脚本)

 こちらはDVD化されているが、ドラマとは設定にずれがあり、よく似ているが違う世界の物語になっている。
 TVドラマの大筋の中から、ヤクザ組織内の抗争に関する部分を抽出してあるようなシナリオで、ドラマ版の中の英二と舎弟・常の軽妙なやりとりなど、笑いを誘う要素が少なくなっており、作品の雰囲気がかなり異なる。
 映画の尺の中では軽い部分をカットせざるをえなかったのかもしれないが、シリアスなトーンが勝ち過ぎて、主人公のヤクザの愛すべき部分が、ちょっと弱くなってしまっている印象がある。
 作品内で軽妙と深刻の落差がある方が、感情のコントラストがはっきりするので、私はドラマ版の方が好きだ。

 ややこしいのだが、この映画「オルゴール」ではなく、ドラマ「とんぼ」の続編が、後年制作されている。


●「英二ふたたび」
●「英二」
 時間軸に沿って並べると、以下のようになる。
1、連続TVドラマ「とんぼ」1988年制作。
 (パラレルワールドとして映画「オルゴール」)
2、スペシャルドラマ「英二ふたたび」1997年制作。
3、映画「英二」1999年制作。

 結局、十年以上にわたって長渕剛は、自分の生み出した小川英二という怪物と、向き合い続けることになった。
 その間の音楽活動も、小川英二的なイメージの元に制作されていて、長渕ファンの中でもとくに熱狂的な部分が支持していて、以下の三枚のアルバムは人気だ。


●「昭和」
●「JEEP]
●「JAPAN」

 この頃のアルバムから、長渕剛の音楽はよりメッセージ性が強くなり、聴き手の好みがわかれる傾向がますます強くなっていく。
 おそらく、意識のチューニングを「小川英二」というキャラクターに合わせた時、長渕剛の中から溢れ出てくる、たくさんの言葉があったのだと思う。
 創作の現場では、自分の中のコンプレックスや狂気の部分は、非常に強力な原動力になる。
 うまく指向性を調節できれば、聴く者の心に突き刺さる言葉の数々が、生み出され易くなる。
 ものを作る人間は、基本的に溢れてくる創作衝動には逆らうことができない。
 詩想がこんこんと湧いてきてくれる状態というものが、いかに得難く貴重なものか知りつくしているので、それが続く限りは馬車馬のように駆り立てられることになる。
 精神的、肉体的にかなり無理があったとしても、ひたすら走り続けてしまうものなのだ。
 89年から90年代初頭にかけてのこの時期、世間一般の長渕剛のイメージは固定されたといってよい。

 90年末には紅白に出場、現場に文句を言いながら三曲フルコーラスで歌ったことで物議を醸したりもした。
 この一件は、「ナガブチが紅白で電波ジャックをやって三曲も歌い、大御所の出演時間を削らせた」というようなまとめ方で語られることが多いが、実際の放送時には三曲とも歌詞の字幕がフルで入っており、長渕剛がNHKとの契約通りに歌ったことがわかる。
 他の出演者との時間のバランスや、その後の尺が詰まってしまったことは、NHK側の仕切りの悪さであろうから、この件で長渕剛が叩かれるのは筋違いだと思う。
 あの時の紅白で聴いた「親知らず」は、背筋にぞくぞくと何かが走り抜けるほどに、殺気あふれた良いパフォーマンスだった。

 私はと言えば、前回記事のような長渕剛にハマりきっていた時期は過ぎていて、アルバムを通しで毎日聴くようなことはなくなっていたのだが、それでも気になって新譜が出ればチェックしていた。
 アルバム全部が好きというわけではないが、「カラス」「myself」「親知らず」など、とくに気に入った曲を、ときに口ずさんだりするのが、この時期の長渕に対する私の付き合い方だった。

 そんな流れの中で93年に発表された以下の一枚で、長渕剛の中の小川英二的キャラクターが、最大限にパワーアップされることになる。


●「Captain of the Ship」
posted by 九郎 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする

2012年07月27日

狂気を封じる鎧3


●「Captain of the Ship」
 このアルバム、数ある長渕剛の作品中でも最大の問題作ではないだろうか。
 暑苦しい
 説教臭い
 押しつけがましい
 長渕剛のことを苦手だという場合の、その原因になりそうな要素が濃縮エキスのように塗り込められた一枚である。
 喉は絞りあげられ、声はしわがれ、日本人の流行歌手としては、ちょっとありえないレベルで歪んでいる。
 ボブ・ディランや、黒人のブルースマンの歌声を聴いたことがなければ、この声だけで拒絶反応が出てもおかしくはない。
 あえて日本の音風景の中で似たものを探せば、往年のテキ屋や市場の啖呵のドラ声くらいだろうか。
 いずれにしろ、平成日本の日常には馴染みのない声音ではある。
 その日本人離れした声にのせて吟じられる言の葉は、きわめて日本的でウエットな、義理と人情の世界だ。
 それも、どうしようもない日常に埋没していく義理人情ではなくて、どうにもならない日常を何とかしようと死に物狂いでもがき苦しむ中から生まれた、ぎりぎりの感情が込められている。
 新発売されたこのCDを店頭で見かけたとき、何かただならぬものを感じて即買いしたことを覚えている。
 長渕剛に対してちょっと疎くなりかけていた時期だったのだが、これは久々にちゃんと聴いとかないといけないと直感したのだ。
 さっそく聴いてみて、驚いた。
 すんなり耳には入ってこない。
 聴いている自分と、強烈な長渕剛の「音」が、サンドペーパーどうしをこすり合わせるようにザラザラと削り取り合って、一瞬たりとも気を抜けないのだ。
 素直には受け入れがたいのだが、力と熱に満ちていることは認めざるを得ない言葉とメロディ。
 心理的抵抗を感じながらも、一旦聴き始めてしまうと最後まで力づくで聴かされてしまう、今までに経験したことがない不思議な感覚を味わった。
 とくにラスト二曲、13分を超える激しい曲調の大作「Captain of the Ship」から、一転して静かで美しいメロディの「心配しないで」の流れを聴き終わった時、不覚にも涙ぐんでしまったことを覚えている。
 歌詞の世界に必ずしも共感しているわけではないのだが、ここまでのものを作り上げ、叩きつけてきた長渕剛という存在そのものに対する感動があった。
 この作品を作り上げるために、長渕剛がどれだけ膨大な時間と情熱を注ぎ込み、人生のどれだけの部分を削り取ってきたのかが伝わってくる気がして、「好きか嫌いか、合うか合わないか」のメーターを完全に振り切ってしまって、その質量に圧倒されたのだ。
 聴き終わって、茫然としながら考えた。
(ここから先、長渕剛はいったいどうするつもりなのか?)
 アルバム「昭和」から始まった一連の作品傾向、小川英二という怪物と一体化した方向性が、完全に行き着くところまで行き着いてしまっていると感じた。
 どう考えても、同じ路線で行く限り、ここから先はもう何もない。
(まさか、何かのきっかけで自決とかしてしまわないだろうな……)
 ふとそんなことを考えてしまうほどに、このアルバムが発表された当時の長渕剛には、ヒリヒリと剥き出しの殺気のようなものが張り詰めて見えた。

 実際、このアルバム発表後、長渕剛は体調を崩したり、あれやこれやフクザツな事情が重なったりして、逆境に陥ってしまうことになるのだが、私には長渕剛が「内なる小川英二」の決着をどうつけるかで、必死にもがいているように見えた。

 問題作「Captain of the Ship」以降、二枚のアルバム「家族」「ふざけんじゃねぇ」は、比較的静かなトーンで続いた。
 歌詞の内容も、以前のようなメッセージ性の強いものではなく、一人孤独に自分自身と向き合うような雰囲気のものが多く、元々そうしたアプローチの長渕剛が好きだった私にとって、嬉しい変化だった。
 とくに以下の一枚は、ここ一年よく聴いている。
 昔「STAY DREAM」や「LICENSE」が好きで、その後長渕剛から離れている人には、もし機会があれば一度聴いてみることをお勧めしたい。


●「ふざけんじゃねぇ」
 2曲目「英二」は、明らかに小川英二をテーマにしたものだろう。
 英二に感情移入していつくしみながらも、「英二、おまえに会いたい」と呼びかけることで、半ば自己同一化を解きつつあるような歌詞が、心境の変化を感じさせる。

 おそらくこのアルバムが発表される前後のことだと思うが、長渕剛は次なる「変身」に向けて、一歩踏み出していたようだ。
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2012年07月29日

狂気を封じる鎧4

 ある程度年齢を重ねてくると、色んな段階で「ああ、自分の人生で、もうこれをはじめることは無いんだな」と感じることがある。
 子供のころからなんとなく興味を持っていた数限りないあれこれの中から、一つずつあきらめ、いくばくかの寂しさを感じながら捨てていく場面に、何度も遭遇する。
 とくにフィジカルに関する分野には、歴然とリミットが存在する。

 長渕剛は90年代半ばを過ぎた頃、年齢で言えば30代の終盤、フィジカルトレーニングを開始している。
 自身の健康維持のためのトレーニングなら、人は何歳からでも始めることができる。
 その人の体力の状況にあわせて、無理なく鍛えなおすことは可能だ。
 しかし長渕剛が開始したのはステージパフォーマンスに生かすためのトレーニングで、ぶっちゃけた表現をすれば「他人に見せてゼニのとれる肉体」を獲得するための、アスリート仕様の代物だったのだ。
 年齢的にはギリギリのタイミングだっただろう。
 長渕剛の本業はもちろん音楽である。
 アスリートになるための年齢的リミットに立った時点で、「やる」方を選択する必要は全くない。
 ファンも、近しい周囲の人々も、おそらく誰一人としてそんなことは求めていなかっただろう。
 それでも長渕剛は、本気で志して肉体改造に着手した。

 ここからは1ファンの妄想である。
 もしかしたら長渕剛は、「内なる小川英二」の決着の付け方として、肉体改造に取り組んだのではないだろうか?
 小川英二の持つ、全局面で命のやりとりを指向してしまうような狂気は、細身の肉体で受け止め、表現し続けると、自分自身の命も削ってしまう。
 狂気の持つ創造のパワーはそのままに、余裕を持って受け止め、表出するためには、頑健で体積のある容器が必要だ。
 英二の狂気をうまく封じ、ふりまわされることなく自在に使いこなすには、アスリートの肉体という「鎧」が必要だ。
 そんなイメージが、閃いたのではないだろうか?
 本来「鎧」というものは外部の攻撃から身を守るためのものなのだが、長渕剛の場合は内なる狂気から自分と周囲を守るためのものだったのではないだろうか。
 マンガ「バイオレンスジャック」に登場する、スラムキングの鎧と似た機能と書けば、あるいは分かり易くなる人もいるかもしれない。

 こころざすことだけなら誰にでもできるが、本当にやってしまうところが長渕剛の凄まじさである。
 40歳を過ぎてから、55kgだった体重を70kgまで、筋肉だけで増量してしまったのだ。
 その上、50代も後半になった現在に至るまで、その肉体を維持し続けているのだから信じがたい。
 一般には、2008年の清原和博引退セレモニーで、長渕剛本人がギター一本で「とんぼ」を熱唱した姿が、肉体改造後のイメージを広めた瞬間になったのではないかと思うが、あの清原と並んで小さく見えない姿に驚いた人も多かったことだろう。
 本業である音楽活動で、肉体改造の効果が目に見え、耳に聴こえる形で現れてきたのは、2001年発表のアルバムからだろうか。


●「空 SORA」

 私がここ一年ほど続いている長渕マイブームで、よく聴いているのは前回記事で紹介した1997年の「ふざけんじゃねぇ」と、2003年の以下の一枚だ。


●「Keep On Fighting」
 長渕剛が故郷の鹿児島、桜島で、荒涼とした原野を二年かけて整地して会場を設置、7万5千人を集めてオールナイトライブを敢行したのが2004年。
 その一年前に発表されたこのアルバムは、その伝説的ライブに向けて、一気にアクセルを踏み込んだ勢いが詰まっている。
 ヒップホップもレゲエもウクレレも、民謡も童謡もフォークもロックも飲み込んで、全部長渕剛としてあくまでポジティブに吐き出している。
 強烈な個性はそのままに、それでもなぜか安心して何度も聴ける不思議な新生ナガブチがここにいる。

 肉体改造後の長渕剛が、小川英二のイメージが強かった時代と一番変わった点は、笑顔を見せるシーンが多くなったことだろう。
 小川英二の、人も世間も触れるものすべて命がけでぶつかる覚悟は持続しながら、昔の「下町の愛すべきあんちゃん」の個性が一部よみがえって来ているようだ。
 外見的にもかなり若返って、役作り的にも、もう、うらぶれ、痩せこけ、殺気だった「英二さん」を演じることは不可能になっている。

 伝説の桜島ライブでは、一晩歌い明かしたラストの一曲に、昇る朝日とともにあの「Captain of the Ship」を30分近く絶唱しながら、無事生還した。
 それは、鍛え上げられた肉体という鎧をまとった長渕剛が、かつて飲み込まれかけた小川英二を、逆に飲み込み返した瞬間だったのではないだろうか。
posted by 九郎 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする