嘘まみれ金まみれの再稼働に対する画像をちょっと修正。
Tシャツにでもすっか……
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何度も書いたが、私はここ二十年来の反原発である。
それもかなりイタい強硬派で、「段階的な脱原発依存」などという悪い意味で日本的な足して二で割る式のヌルい主張ではなく、日本国中のすべての原発の即時廃炉を求める極端な意見を持っていて、そこの部分ではもはや議論する意欲すらない。
ただ、もうそこそこ年食ってるので、他人様が色々な意見を持っていることは承知していて、わざわざ考えの違う人の首根っこをつかんで折伏してまわるつもりはない。
ブログというスペースを使って個人的な思いを書き連ねるのみである。
読みたくない人は読まないでくださいね。
原発について他人様がどう思うかはまあいいのだが、それでも3.11以降ちょっと気になってしまうのが、自分の好きな表現者が原発についてどういう意見を持っているかということだ。
別に好きな表現者が原発推進または維持の意見を持っていることがわかったところで、その人の作品に対する思いが変わることはない。
それはそれ、これはこれだ。
しかしながら、私の好きなタイプの表現者は、どなたも作品と本人の生きざまが絡まり合ったようなタイプが多い。
作品を含めた表現者そのものに丸ごと興味を持ってしまう傾向があるので、そういう人が原発という私の中ではかなり大きな問題について、違う意見を持っていることを知ると、感情的にはちょっと揺れ動くものがあることは否定できない。
最近調べものをしている時、私が中高生のころから敬愛してやまないある作家さんが、かなりはっきりと3.11以降も「原発推進」を主張していることを確認してしまった。
当ブログでも紹介したことがある作家である。
実は前からネット上の「噂」としては、そのような意見を持っているらしいことを知ってはいたのだが、先日ついにご本人が直接原発について語っている動画を見つけてしまったのだ。
そう言えば、ずっと昔のエッセイで軽く原発推進っぽいことを書いてあったような気もするが、記憶が定かではない。書いていたとしても、その文章の主題ではなかったのではないかな?
ともかく、まだご本人が本格的な意見表明をしていないようなので、ここでは一応名前はあげないことにするが、「環境」という分野においてはそれなりに影響力がある作家さんなので、もし今後の著作などで何らかの意見表明があれば、その点においては名指しで批判せざるを得ない。
それはそれ、これはこれとはいいながら、……である。
残念ではあるが、それでも今後の私の人生で、その作家の作品が大切なものであることは変わらない。
ほっと一息ついたこともある。
長渕剛さんのことだ。
3.11以降、この稀有な歌い手が、震災や津波被害については多くの言葉を語り、行動力を示してきたことは周知の事実だろう。
ただ、私の見る限り、震災全般についての多くの発言に比べて、「原発」については注意深く評価を避けているような印象があった。
少々不安をもっていたのだが、先ごろ発売されたアルバムで、歌詞としてはっきりと反原発の表明があり、一安心した。
●「Stay Alive」長渕剛
初期のフォーク時代のファンが、その後の「変身につぐ変身」をすっ飛ばしてタイムスリップしてきたとしても、何の違和感もなく聴いてしまうであろうアルバム。
喉を絞らず、シャウトをせず、ファルセットを使った高音が、かえって新鮮だ。
最近の長渕剛の色合いも、ジャケットに映る割れた腹筋以外にも、もちろん音として混ざってはいるのだが、いつものあのアクの強さは抑え気味の一枚。
その分、深く静かに「震災後の日本」に対する感情が込められている。
昨年末の紅白で、「ナガブチは嫌いだけど、あの曲は良かったね」という評判をよく目にした「ひとつ」も、もちろん収録されており、全体にあの曲のトーンが主となっているアルバムだ。
「昔、長渕をよく聴いていたけど最近聴いてないな」
そんな人に、一度手に取って見てほしい。
それはそれ、これはこれとはいいながら、やはり嬉しさはある。
