学校教材以外にも、様々な場面で公害を扱った文章や写真、映像に触れる機会があった。
その中で、子供心にとても印象的だった写真の記憶がある。
いつ、どこでその写真を目にしたのか、はっきりとは覚えていない。
もしかしたら、同じような写真を見た複数回の記憶をごっちゃにしている可能性もある。
白っぽい着物の人たちが、黒い旗を林立させている。
白黒写真なので、もしかしたら本当は違う色なのかもしれなかったが、見慣れない装束の白と、幟旗の黒の対比が強烈だ。
そして黒旗には異様な漢字一文字が白く染め抜かれている。
「怨」
子供の私はまだその漢字の読みと意味を知らない。
後にマンガ「はだしのゲン」で、被爆者の白骨死体の額部分に同じ文字が描きこまれるシーンを読み、ようやく私は「怨」という文字の読みと意味を知った。
そしてさらにずっと後になって、私はその写真が水俣病患者の皆さんを写したものだということを知った。
1970年、水俣病の加害企業であるチッソが大阪で株主総会を開いた時、はるばる水俣から株主としての患者の皆さんが乗りこんできたワンシーンだったのだ。
お遍路に使用する白装束に「怨」の黒旗、そして総会の場で死者を鎮魂するための御詠歌を朗々と合唱する姿。
それは一方的に虐殺され、何の武器も持たされないままに闘わざるを得なかった庶民が、国と巨大企業に向けて突き刺した精一杯の哀しい刃だっただろう。
経済の最先端の場で、被害者のやり場のない感情を、祖先より伝来された習俗に乗せて真正面から叩きつける。
それは物質次元においてはまったく無力な抵抗だったかもしれないが、心の次元においては凄まじい威力を発揮したに違いない。
この「怨」の幟旗による抗議を発案したのが「苦海浄土」の石牟礼道子であったらしいことを、さらにずっと後になってから知った。
(2018年追記:石牟礼道子の訃報を受け、追悼記事を書いた)
しゅうりりえんえん
そして長らく子供の頃見た「怨」の写真と見分けがついていなかったのだが、同じような写真がもう一種あることも、後に知った。
その写真には笠を被った黒装束のお坊さんたちと、お坊さんたちが掲げた黒旗が写っていた。
その黒旗にも、白い文字が染め抜かれていた。
「呪殺」
文字は確かにそう読めた。
(つづく)