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2012年08月23日

呪と怨2

「公害企業主呪殺祈祷僧団」

 その異様な名を持つ一団のことを、私が初めて認識したのは90年代半ば頃のこと。
 ぼちぼち神仏関連の書籍などを、やや真面目に読み始めていた頃のことだった。
 何冊かの書籍の中に、その名と、行動の概略が記載されていた。
 高度経済成長の暗黒面である公害が深刻さを増す70年代、ごく短い期間ながら、その一団は確かに実在したという。
 名の通り「公害加害企業主」に対し、呪殺祈祷を執り行うことを目的とする。
 僧侶4人、在家4人。
 宗派としては、真言宗と日蓮宗の混成部隊。
 主要メンバーは、真言宗東寺派の松下隆洪、日蓮宗身延山派の丸山照雄、在家の梅原正紀。
 墨染めの衣に笠という雲水スタイル。
 行脚は日蓮宗方式で題目と太鼓、そして呪殺祈祷は真言宗の儀軌にのっとって行われたという。
 イタイイタイ病、新潟水俣病などの、当時リアルタイムで公害が発生していた各地をめぐり、公害企業を前にして護摩壇を築き、実際に呪殺祈祷を執り行った。
 
 「呪殺」
 
 そう大書した黒旗をなびかせる一団は、傍目には不気味で物騒極まりないものだったが、「不能犯」ということで、警察の取り締まり対象にはならなかったという。
 法的には「呪っても人を殺すことはできない」し、呪殺祈祷の対象も「公害企業主」という表現なので個人を特定しておらず、名誉棄損にすらならないのだ。
 その上、行脚や祈祷もデモではなく宗教行為ということで取り締まりの対象にできない。
 
 このように転戦した僧団は、現地の民衆からは共感を持って迎えられ、警察は面くらい、祈祷対象の公害企業からは冷笑と困惑で迎えられた。
 当然ながら、仏教サイドからは「慈悲を根本にする仏教が、呪殺とはなんたることか」という批判が上がり、祈祷僧団に参加した僧が宗派から処分を受けたりもした。
 ただ、真言宗は「教義的に問題無し」と、お咎めは無かったという。

 どうしても気になるのは、呪殺祈祷の「成果」だ。
 色々調べてみたが、今一つはっきりしない。
 はっきりとはしないのだが、どうやら対象になった「公害企業主」関係者の中に、この祈祷との関連を思わせる時期に、何らかの不幸はあったようだ。
 しかし、大企業の「企業主」ともなれば、ある程度年配の人間が多いことだろうから、一定期間中に何事かが生じたとしても、不思議は無いとも言える。

 これは、まさに「表現」の領域の事象だと思う。
 公害企業によって生み出された地獄が現にそこに存在し、多くの罪無き民衆が虐殺されている。
 そこに権威ある修法で呪殺祈祷ができる僧がおり、民衆の「怨」を背負って実際に儀式を執り行った。
 そして、法的な意味での「証拠」は存在しないが、祈祷との関連を思わせるタイミングで、企業側に何らかの不幸が生じた(という伝聞情報がある)。
 表現がなされ、あとは受け手に解釈が委ねられたのだ。

 こうした事象を、一笑にふす人もいるだろうし、一種の「救い」を感じる人もいるだろう。
 私はと言えば、あえて率直に述べるならば、悲惨な公害の現場にあって、このような一団が存在してくれたことに共感せざるを得ない。
 これが武器・凶器や毒ガスなどを使用したテロであれば断固否定するが、大聖不動明王から借り受けた法の力による「慈悲行」であるならば、なんら問題は無いと考える。
 何よりも、密教というものが、理不尽極まりない文明の暗黒面に対抗できる「表現手段」を持っていたことに、豊かな文化的蓄積の凄みを感じる。

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 この特異な僧団については、以下の書籍に当事者の梅原正紀の手で、詳細な記録が残されている。
 興味のある人は一読されたし。 


●「終末期の密教―人間の全体的回復と解放の論理」稲垣足穂 梅原正紀(編)

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posted by 九郎 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする