2012年12月11日

原発は巨大な「海水あたため機」で、ことのついでに発電しているだけ

 原子力と言うと、何か文明の最先端を行く高性能技術であるかのようなイメージが、今だに根強く残っている。
 3.11後、高名な文化人の中で、私もその発言に信を置いていた幾人かが、「たった一度の事故で原子力を捨てるのは反文明である」というような主旨の発言をしており、ひどく落胆した覚えがある。
 今にして思えば、これは「原子力が先端技術である」であるという、根強いイメージに引きずられたものではなかったかという気がする。
 はたして原子力は、本当に優れた先端技術なのであろうか?
 と言うのが、本日のお題。

 確かに原子力は、他の発電方法に比べて歴史は浅い。
 そうした意味では「比較的新しい技術」ではある。
 しかし原理的に新しいことと、文明に対して貢献する最良・最先端であるかどうかは、まったく別問題だ。

 エネルギー効率、という言葉がある。
 今回は発電方法に関するお話なので、「発電時に発生した熱がどれだけ電力として回収されるか」と言うほどの意味に解してもらって差し支えない。
 現在広く使われている主要な発電技術は「タービンを回転させることによって電気を発生させる」という原理を使用している。
 落下する水によって回転させれば水力発電、ガスを燃焼させた噴出力で回転させればガスタービン発電、何かを燃やして水を沸騰させることで回転させれば火力発電で、何を燃やすかによって石油火力、石炭火力、ガス火力等に分類される。
 原子力発電は、単に火力発電の熱の発生方法を置き換えただけのもので、水を沸騰させて発電する仕組みは同じである。
 火力に対して原子力が優位であるのは「より巨大な熱を発生させる」という点なのだが、最初の段階で発生した熱がどれだけ電力として回収されるかを比較してみると、原子力の効率はかなり低い。
 ガス火力のエネルギー効率が約45パーセント、最新のガスコンバインドサイクル発電が約60パーセントであるのに対して、原子力はその半分の約30パーセントにすぎない。
 原発は発生させた巨大な熱の内、おおよそ七割を温排水として海に捨てているのだ。
 つまり、エネルギー効率から見れば今回の記事タイトルの文章が成立することになる。

 原発は巨大な「海水あたため機」で、ことのついでに発電しているだけ。

 発電方法としては極めて非効率なので、原発への依存度を上げれば上げるほど立地周辺の海は火力に比して無駄に温められ続けてしまうことになる。
 この一点だけでも、原子力が「最新の先端技術である」という認識が、誤ったイメージであることがわかるだろう。

 加えて、原発には「おそろしく小回りが効かない」という欠点がある。
 常に重大事故の危険性と隣り合わせの発電方法なので、些細なトラブルでも停止させて点検しなければならない。
 いったん止めると多人数の被曝労働によって検査やメンテナンスを行わなければならない。
 ようやく起動してもフル出力になるまでに数日かかるため、トラブル以外の理由で頻繁には止められない。
 出力調整がトラブルを生む可能性もあるため、基本的に夜昼かまわず一定の出力で運転することしかできず、季節や時間の電力需要に応じたフレキシブルな運転が不可能である。
 夜間も本来必要ない余分な電力を生み出し続けざるをえないので、その「捨て場」として進められたのが「揚水発電」や「オール電化」「電気自動車」である。
 フレキシブルな供給に対応するためや、急なトラブルによる停止に対応するため、火力を多数併用しなければ使い物にならない。3.11以降、全原発が停止しても全く電力不足が生じなかったのは、そもそもそれだけの予備発電所を用意しなければ原発の運用が不可能だったせいである。
 事故対策(という理由を電力会社は一度もカミングアウトしたことは無いが)のため、人口密集地付近に造ることができず、遠隔地から送電しなければならないので、送電ロスが生じるという問題もある。
 そして何よりも、破局的な事故を起こす可能性、まだ処理方法すら確立していない放射性廃棄物の問題もある。

 このような欠点を抱えているので、原発が日本の電力供給の主役になったことは今までに一度もない。
 主役は一貫して火力であって、日本の電力の約三分の二を担ってきた。
 原発はせいぜい三分の一、近年では3.11以前であっても四分の一を担ってきたに過ぎない。
 そして3.11以降は、原発がなくても電力不足が起こらないことが完全に実証され、追い詰められた電力会社が持ち出してきた最新の詭弁が「脱原発による電気料金の値上げ」なのだ。

 原子力は「壮大なエネルギーの無駄」の上にしか成り立ちようのない、図体ばかりでかくて劣った古臭い技術なのである。

 本当の最新のエネルギー技術は、つまるところ「エネルギー効率をいかに高めるか」ということに尽きる。
 エネルギーの発生段階で徹底的に無駄を省くことで、使用する資源を削減(=環境負荷を削減=コスト削減)することこそが本当の「技術革新」なのであって、無駄の多い劣った技術に固執して電力不足を喧伝し、消費者を恫喝してちまちまと節電させ、さらに加えて過重な電気料金を貪るなどということは、もはや悪質なカルト宗教と言う他ない。

 ガスコンバインドサイクル発電のエネルギー効率60パーセントをはじめ、発電時に発生した熱を捨てずにその場で使用するコジェネレーション技術の発達により、すでにコスト的にも電力会社から電気を買うことと比較して、十分勝負になるレベルのエネルギー技術が実用化済みだ。
 原発はその危険性に加えて、コストや環境に対する負荷の面で最新技術に淘汰されることが決定済みの、過去の技術なのである。
 それにもかかわらず、報道が「脱原発で電気料金が上がる」などという電力会社の経営的な言い分だけを垂れ流し、差し迫った衆院選の投票行動に原発問題が直接影響しないように配慮しているかに見える現状は、異様ですらある。
posted by 九郎 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする