新年あけましておめでとうございます。
今年は巳年。
干支にちなんで「玄武」の図像を一枚。
陰陽五行や風水説では北の方位を守護する神獣を玄武と名づけています。
季節では冬、色では黒にあたる玄武は、蛇と亀が合体した図像で表現されます。
先月十二月は反原発記事尽くしになってしまいました。
今後も断続的にこの手の記事は投稿していきますが、ブログ本筋の「神仏与太話」ももちろん忘れ果ててしまったわけではありません。
あくまでメインは神仏のお話を語っていきますので、長い目でお付き合いください。
本年も「縁日草子」をよろしくお願いいたします!
2013年01月01日
2013年01月04日
蝉丸ルール
年が明け、三が日も過ぎた。
正月の間、本当に久しぶりに「坊主めくり」をやった。
前回やったのが一体いつのことなのか、全く覚えていないほど久々である。
百人一首の絵札を使う「坊主めくり」は、地方や家庭によってルールがかなり違いそうだ。
私の記憶では、男性札はそのまま手元に持ち、坊主が出ると手持ち札の全てを「場」に捨て、そこから最初に「姫」である女性札を引いた人が「場」の札をもらえるというシンプルなルールだった。
聞くところによると男性札を段上に載っているかいないかで区別する地域もあるそうだ。
一番地域差が出そうなのが、「蝉丸」の扱いだ。
私が子供の頃は蝉丸が坊主かどうかでちょっとモメた覚えもある。
結局、「坊主扱いにする」ということで、私の地域では統一されていたような。。。
今回記事を書くにあたって検索してみると、蝉丸にトランプで言えばジョーカー的なポジションを与えている地域もあるようだ。
例えば、誰かが蝉丸を引くと全員が手元の札を「場」に捨てなければならないそうで、いつゲームがリセットされるかわからないため、ものすごく緊張感が出るという。
蝉丸は百人一首の絵札の中でも、確かにちょっと異様な印象を受ける札だ。
なんらかのかぶりものをしているデザインが主流だと思うが、はっきり「坊主」とは言い切れない微妙な雰囲気がある。
史実としてはどういう身分の人であったのかも、諸説あってよくわからないらしい。
よく言われるのは、今昔物語などにもあるように、琵琶の名手であったらしいということ。
盲目という設定で、琵琶法師の元祖であるという伝承もあったりする。
天皇の血を引く貴種であったとも言われる。
こうして書き連ねてみると、はっきり「坊主」に分類してしまうのは不適当かなという感じもする。
先に紹介したジョーカー的なポジションが一番似合っている気がしてくる。
一度、その「蝉丸ルール」でやってみようかな。
正月の間、本当に久しぶりに「坊主めくり」をやった。
前回やったのが一体いつのことなのか、全く覚えていないほど久々である。
百人一首の絵札を使う「坊主めくり」は、地方や家庭によってルールがかなり違いそうだ。
私の記憶では、男性札はそのまま手元に持ち、坊主が出ると手持ち札の全てを「場」に捨て、そこから最初に「姫」である女性札を引いた人が「場」の札をもらえるというシンプルなルールだった。
聞くところによると男性札を段上に載っているかいないかで区別する地域もあるそうだ。
一番地域差が出そうなのが、「蝉丸」の扱いだ。
私が子供の頃は蝉丸が坊主かどうかでちょっとモメた覚えもある。
結局、「坊主扱いにする」ということで、私の地域では統一されていたような。。。
今回記事を書くにあたって検索してみると、蝉丸にトランプで言えばジョーカー的なポジションを与えている地域もあるようだ。
例えば、誰かが蝉丸を引くと全員が手元の札を「場」に捨てなければならないそうで、いつゲームがリセットされるかわからないため、ものすごく緊張感が出るという。
蝉丸は百人一首の絵札の中でも、確かにちょっと異様な印象を受ける札だ。
なんらかのかぶりものをしているデザインが主流だと思うが、はっきり「坊主」とは言い切れない微妙な雰囲気がある。
史実としてはどういう身分の人であったのかも、諸説あってよくわからないらしい。
よく言われるのは、今昔物語などにもあるように、琵琶の名手であったらしいということ。
盲目という設定で、琵琶法師の元祖であるという伝承もあったりする。
天皇の血を引く貴種であったとも言われる。
こうして書き連ねてみると、はっきり「坊主」に分類してしまうのは不適当かなという感じもする。
先に紹介したジョーカー的なポジションが一番似合っている気がしてくる。
一度、その「蝉丸ルール」でやってみようかな。
2013年01月05日
民族音楽としてのシュプレヒコール
たまに投稿してきた一連の反原発記事の中で、毎週金曜夕方に行われている電力会社前の抗議行動について紹介してきた。
なめとんか?
至急戦術ヲ変更スベシ
お楽しみはこれからだ
こうした抗議行動に、毎回ではないが私も無理なく行ける範囲で参加し、シュプレヒコールも唱和してきた。
声を出しながら少し考えていたことがあるので覚書にしておく。
最近の反原発デモで特徴的なのは、鳴り物が充実したサウンドデモ形式が多く見られるということだ。
場所によってはあまり大きな音が出せない所もあり、土地柄にもよるのだが、私がよく参加している抗議行動ではとくに鳴り物の規制もなく、皆さん思い思いに工夫を凝らしている。
リズムは本当に様々で、レゲエ調の時もあればラップっぽい時もあるし、もちろんオーソドックスなシュプレヒコールの時も多々ある。
ただ、老若男女様々な年齢層で、その場限りのメンバーが練習も無しに唱和するのだから、あまり難易度の高いリズムが刻まれることはない。
誰もがリズムにのりやすく、突然マイクを手渡されてもすぐにコールできるのは、やはりオーソドックスなタイプのものになる。
唱和しながら気付いたのだが、そのオーソドックスなタイプのコールは、応援歌や寮歌のリズムとよく似ているということだ。
リズムに合わせて掛け声をかけるなら、
「イチ、ニ、サン、シー、ニー、ニ、サン、シー」
大太鼓で叩き上げるなら、
「ダン、ダン、ダンダンダン……」
と言う、例のあのリズムだ。
あの感じのリズムは、歴史的にはどこまでさかのぼれるものなのだろうか?
大正、昭和くらいまではもちろん可能だろうし、明治くらいまでは行くかもしれない。
もしかしたらもっと、民族音楽と言えるほどの時代までさかのぼれるのかもしれない。
そんな空想をしてしまうくらい、本当に誰にでものりやすいリズムだ。
応援歌、寮歌については、以前に一度記事にしたことがある。
夕闇せまる窓際で
応援歌はともかく、寮歌が収録されているCDは、あまり見当たらない。
前から欲しいと思っていて、まだ入手できていないのが↓コレ。
●「日本寮歌大全集」(日本クラウン)
求め易いものの中では、以下の一枚が気に入っている。
●「決定盤!!校歌・寮歌・応援歌 ベスト」(ポニーキャニオン)
なめとんか?
至急戦術ヲ変更スベシ
お楽しみはこれからだ
こうした抗議行動に、毎回ではないが私も無理なく行ける範囲で参加し、シュプレヒコールも唱和してきた。
声を出しながら少し考えていたことがあるので覚書にしておく。
最近の反原発デモで特徴的なのは、鳴り物が充実したサウンドデモ形式が多く見られるということだ。
場所によってはあまり大きな音が出せない所もあり、土地柄にもよるのだが、私がよく参加している抗議行動ではとくに鳴り物の規制もなく、皆さん思い思いに工夫を凝らしている。
リズムは本当に様々で、レゲエ調の時もあればラップっぽい時もあるし、もちろんオーソドックスなシュプレヒコールの時も多々ある。
ただ、老若男女様々な年齢層で、その場限りのメンバーが練習も無しに唱和するのだから、あまり難易度の高いリズムが刻まれることはない。
誰もがリズムにのりやすく、突然マイクを手渡されてもすぐにコールできるのは、やはりオーソドックスなタイプのものになる。
唱和しながら気付いたのだが、そのオーソドックスなタイプのコールは、応援歌や寮歌のリズムとよく似ているということだ。
リズムに合わせて掛け声をかけるなら、
「イチ、ニ、サン、シー、ニー、ニ、サン、シー」
大太鼓で叩き上げるなら、
「ダン、ダン、ダンダンダン……」
と言う、例のあのリズムだ。
あの感じのリズムは、歴史的にはどこまでさかのぼれるものなのだろうか?
大正、昭和くらいまではもちろん可能だろうし、明治くらいまでは行くかもしれない。
もしかしたらもっと、民族音楽と言えるほどの時代までさかのぼれるのかもしれない。
そんな空想をしてしまうくらい、本当に誰にでものりやすいリズムだ。
応援歌、寮歌については、以前に一度記事にしたことがある。
夕闇せまる窓際で
応援歌はともかく、寮歌が収録されているCDは、あまり見当たらない。
前から欲しいと思っていて、まだ入手できていないのが↓コレ。
●「日本寮歌大全集」(日本クラウン)
求め易いものの中では、以下の一枚が気に入っている。
●「決定盤!!校歌・寮歌・応援歌 ベスト」(ポニーキャニオン)
2013年01月07日
お似合いの相方
度々書いてきたが、民族音楽が好きだ。
必然的に民族楽器、とくに弦楽器に興味が向く。
旅行に出かけるとお土産物屋さんでは各種玩具楽器に目が行くし、エスニック雑貨の店では最初に楽器のコーナーに足を向ける。
楽器屋でも民族楽器や手作り楽器のコーナーがないか、まず見回してしまう。
実際に購入に至ることは少ないのだが、小型で手頃な値段の気に入ったものがあれば、ついつい買ってしまうこともある。
弦楽器と言えばやっぱりギターだ。
中高生の頃から、よく鳴らして遊んではいた。
「演奏」や「練習」ではなく、あくまで「鳴らして遊ぶ」程度なので、ギター弾きの友人にちょっと教えてもらったり、部室などに放置されている古いギターを手にとってみたりしていた。
楽器全般の中で言えば、ギターはけっこう難易度の低い部類に入る。
もちろん本格的に演奏するのにはそれなりの練習期間が必要だろうけれども、好きな歌を口ずさむ時にちょっと伴奏をつけてみるくらいなら、手にとって遊んでいるうちに誰でもそこそこできるようにはなれる。
私はその程度の楽しみ方で十分だったので、よく手にとって遊んでいる割には、ながらく自分のギターも持たないままでいた。
初めて自分のギターを持ったのは二十代半ばを超えてからだった。
それは単純にその当時「気軽に手にとって遊べるギター」が身近になくなってしまったからで、あらためて練習し直してみようと一念発起したわけではなかった。
たまたま立ち寄った楽器屋で、小型で安く、そこそこ弾けそうだが半分オモチャみたいなギターを衝動買いしたのだ。
そもそも真剣に練習する気がないので、あまり良いギターを買ってしまうと、そのギターにたいして失礼な気がしていた。
それからも私は、ギターとはつかず離れず、下手糞なりにたまに手にとって好きな歌を口ずさんだり、「お経に伴奏をつけるとしたらこんな感じか?」と確かめてみるのに使ったりしていた。
そんな経験が当ブログでも時折やっている音遊び につながっている。
ずっと時は流れて二年前、久々にギターを買った。
通りかかった楽器店の店先で見かけたその「それ」は、はじめギターには見えなかった。
中東あたりの細身の民族弦楽器のような感じがして、「ん? 珍しいのが置いてあるな」と覗き込んでみたのだが、弦の数やフレットの様子から見るとどうやらギターのようにも見える。
値段は確か7000円ほどで、これも何かの間違いじゃないかと思うくらい安かった。
少し迷ってから店に入り、恐る恐る店員さんに聞いてみた。
「あの〜、あそこに置いてあるのはギターなんですか?」
お店の人は「待ってました!」という雰囲気でにやっと笑いながら答えてくれた。
「そうそう、ギターですよ。安いんですけど、値段の割にはこれがけっこうイイんですよ!」
一部で評判になっているらしく、実際に触らせてもらいながら色々話を聞かせてもらった。
下の写真が、問題のギターである。
写真では「小ささ」が伝わりにくいと思うが、一応比較のためにA4サイズのスクラップブックを並べてある。
茄子みたいな形をしたボディーはほとんどウクレレのようなサイズだが、こうしたミニギターとしては珍しく、レギュラースケールである。
つまり、左手に関して言えば通常のギターと全く同じ感覚で弾ける。
ノーブランドだが、音程はそれなりにしっかりしており、オモチャではなく十分楽器レベルだ。
ただ、ボディーが異様に小さいので重量バランスが悪く、ストラップを装着しないとネック落ちする。
右手に関して言えば普通のギターとは全くちがう構え方をしなければならない。
もちろん、音は低音がほとんど響かず、軽い(悪く言えば薄っぺらい)。
そういうマイナス点はあるものの、値段を考えるとコストパフォーマンスは抜群に高い。
小さく軽いので持ち運びには極めて便利で、付属のソフトケースに収納しているとまずギターには見えない。
小さいだけではなく幅が細いので、更衣室の細長いロッカーなんかにも余裕で収納できる。
音の小ささは、楽器の性能としてはマイナス要素だが、自宅練習用にするならむしろ長所にもなる。
たとえば夜間でも、指弾きなら隣室にほとんど聞こえない程度にできるので、けっこう人気なのだそうだ。
話を聞くうちに、なんだか私程度のギターの楽しみ方にぴったりな楽器のような気がしてきた。
特長的で好みの分かれそうな形状も、もともと民族楽器好きの私にしてみればまったく問題ない。
で、ついつい購入してしまった。
それ以来、手元において息抜きに遊び続けている。
今まで手にしたギターの中では一番弾きやすく気軽に手を出せるので、長年の下手っぴギターも、ほんのちょっとだけマシになったような気がする(笑)
荷物にならないので反原発デモの鳴り物にも、よく持って行っている。
一部で人気だったというこのギター、今現在は入手困難になってしまっているようだ。
興味のある人は「tinyboy tt-40」で検索してみると、中古品ならまだ見つかるかもしれない。
必然的に民族楽器、とくに弦楽器に興味が向く。
旅行に出かけるとお土産物屋さんでは各種玩具楽器に目が行くし、エスニック雑貨の店では最初に楽器のコーナーに足を向ける。
楽器屋でも民族楽器や手作り楽器のコーナーがないか、まず見回してしまう。
実際に購入に至ることは少ないのだが、小型で手頃な値段の気に入ったものがあれば、ついつい買ってしまうこともある。
弦楽器と言えばやっぱりギターだ。
中高生の頃から、よく鳴らして遊んではいた。
「演奏」や「練習」ではなく、あくまで「鳴らして遊ぶ」程度なので、ギター弾きの友人にちょっと教えてもらったり、部室などに放置されている古いギターを手にとってみたりしていた。
楽器全般の中で言えば、ギターはけっこう難易度の低い部類に入る。
もちろん本格的に演奏するのにはそれなりの練習期間が必要だろうけれども、好きな歌を口ずさむ時にちょっと伴奏をつけてみるくらいなら、手にとって遊んでいるうちに誰でもそこそこできるようにはなれる。
私はその程度の楽しみ方で十分だったので、よく手にとって遊んでいる割には、ながらく自分のギターも持たないままでいた。
初めて自分のギターを持ったのは二十代半ばを超えてからだった。
それは単純にその当時「気軽に手にとって遊べるギター」が身近になくなってしまったからで、あらためて練習し直してみようと一念発起したわけではなかった。
たまたま立ち寄った楽器屋で、小型で安く、そこそこ弾けそうだが半分オモチャみたいなギターを衝動買いしたのだ。
そもそも真剣に練習する気がないので、あまり良いギターを買ってしまうと、そのギターにたいして失礼な気がしていた。
それからも私は、ギターとはつかず離れず、下手糞なりにたまに手にとって好きな歌を口ずさんだり、「お経に伴奏をつけるとしたらこんな感じか?」と確かめてみるのに使ったりしていた。
そんな経験が当ブログでも時折やっている音遊び につながっている。
ずっと時は流れて二年前、久々にギターを買った。
通りかかった楽器店の店先で見かけたその「それ」は、はじめギターには見えなかった。
中東あたりの細身の民族弦楽器のような感じがして、「ん? 珍しいのが置いてあるな」と覗き込んでみたのだが、弦の数やフレットの様子から見るとどうやらギターのようにも見える。
値段は確か7000円ほどで、これも何かの間違いじゃないかと思うくらい安かった。
少し迷ってから店に入り、恐る恐る店員さんに聞いてみた。
「あの〜、あそこに置いてあるのはギターなんですか?」
お店の人は「待ってました!」という雰囲気でにやっと笑いながら答えてくれた。
「そうそう、ギターですよ。安いんですけど、値段の割にはこれがけっこうイイんですよ!」
一部で評判になっているらしく、実際に触らせてもらいながら色々話を聞かせてもらった。
下の写真が、問題のギターである。
写真では「小ささ」が伝わりにくいと思うが、一応比較のためにA4サイズのスクラップブックを並べてある。
茄子みたいな形をしたボディーはほとんどウクレレのようなサイズだが、こうしたミニギターとしては珍しく、レギュラースケールである。
つまり、左手に関して言えば通常のギターと全く同じ感覚で弾ける。
ノーブランドだが、音程はそれなりにしっかりしており、オモチャではなく十分楽器レベルだ。
ただ、ボディーが異様に小さいので重量バランスが悪く、ストラップを装着しないとネック落ちする。
右手に関して言えば普通のギターとは全くちがう構え方をしなければならない。
もちろん、音は低音がほとんど響かず、軽い(悪く言えば薄っぺらい)。
そういうマイナス点はあるものの、値段を考えるとコストパフォーマンスは抜群に高い。
小さく軽いので持ち運びには極めて便利で、付属のソフトケースに収納しているとまずギターには見えない。
小さいだけではなく幅が細いので、更衣室の細長いロッカーなんかにも余裕で収納できる。
音の小ささは、楽器の性能としてはマイナス要素だが、自宅練習用にするならむしろ長所にもなる。
たとえば夜間でも、指弾きなら隣室にほとんど聞こえない程度にできるので、けっこう人気なのだそうだ。
話を聞くうちに、なんだか私程度のギターの楽しみ方にぴったりな楽器のような気がしてきた。
特長的で好みの分かれそうな形状も、もともと民族楽器好きの私にしてみればまったく問題ない。
で、ついつい購入してしまった。
それ以来、手元において息抜きに遊び続けている。
今まで手にしたギターの中では一番弾きやすく気軽に手を出せるので、長年の下手っぴギターも、ほんのちょっとだけマシになったような気がする(笑)
荷物にならないので反原発デモの鳴り物にも、よく持って行っている。
一部で人気だったというこのギター、今現在は入手困難になってしまっているようだ。
興味のある人は「tinyboy tt-40」で検索してみると、中古品ならまだ見つかるかもしれない。
2013年01月08日
音遊び「うちわ太鼓」
たまに反原発デモに参加しているのだが、その際の鳴り物としてミニギターをよく持参していた。
あたたかいうちはよかったのだが、だんだん季節が移って寒くなってくると、手がかじかんでスチール弦のギターを弾くのが辛くなってきた。
代わりに何か良い鳴り物はないかなと考えていたのだが、デモ参加者の中に「うちわ太鼓」を叩いている人がいるのを見かけて、ちょっと欲しくなってしまった。
うちわ太鼓は、棒状の持ち手のついた円形の木枠に革が張ってあるシンプルな鳴り物で、バチを使って叩くと「ボン、ボン!」と見かけによらず大きな音が出る。
日蓮宗系の行脚などでよく使われるもので、「楽器」というよりは「仏具」の範囲に入る。
だから購入する場合も、楽器店というよりは仏具店で探すことになる。
デモから帰って早速「団扇太鼓」で検索してみたが、仏具だけあってけっこう高い(苦笑)
径の小さな物でも7000円くらいはするのが普通のようだ。
3000円ほどで売っていた時期もあったようだが、現在は売り切れ中。
そもそも仏具として売っているものを、本来の目的外で使用することになるので、多少の後ろめたさもないではない。
では、自分で作るか!
ということで、オリジナルうちわ太鼓を自作してみることにした。
土台にしたのは以下のタンバリン。
●「PA ウッドタンバリン」
かなり安い。
安いだけあって木枠の部分は何の表面処理もされておらず、むき出しだ。
普通にタンバリンとして購入したならちょっと失望するかもしれないが、私の場合は工作素材としての購入なので、むしろ木がむき出しになている方がありがたい。
薄っぺらいが一応革張りなのも助かる。
周囲のシンバル部分は取り除くことも考えたが、今回はそのままとした。
親指を入れるための穴を活用して、棒を差し込んで接着、持ち手をつける。
木の部分は赤に塗り、革部分には不動明王関連の梵字を配置すると、けっこう様になってくれた。
デモに持っていき、ナマハゲの仮面を被ってボンボン打ち鳴らすと、けっこう受けた(笑)
あたたかいうちはよかったのだが、だんだん季節が移って寒くなってくると、手がかじかんでスチール弦のギターを弾くのが辛くなってきた。
代わりに何か良い鳴り物はないかなと考えていたのだが、デモ参加者の中に「うちわ太鼓」を叩いている人がいるのを見かけて、ちょっと欲しくなってしまった。
うちわ太鼓は、棒状の持ち手のついた円形の木枠に革が張ってあるシンプルな鳴り物で、バチを使って叩くと「ボン、ボン!」と見かけによらず大きな音が出る。
日蓮宗系の行脚などでよく使われるもので、「楽器」というよりは「仏具」の範囲に入る。
だから購入する場合も、楽器店というよりは仏具店で探すことになる。
デモから帰って早速「団扇太鼓」で検索してみたが、仏具だけあってけっこう高い(苦笑)
径の小さな物でも7000円くらいはするのが普通のようだ。
3000円ほどで売っていた時期もあったようだが、現在は売り切れ中。
そもそも仏具として売っているものを、本来の目的外で使用することになるので、多少の後ろめたさもないではない。
では、自分で作るか!
ということで、オリジナルうちわ太鼓を自作してみることにした。
土台にしたのは以下のタンバリン。
●「PA ウッドタンバリン」
かなり安い。
安いだけあって木枠の部分は何の表面処理もされておらず、むき出しだ。
普通にタンバリンとして購入したならちょっと失望するかもしれないが、私の場合は工作素材としての購入なので、むしろ木がむき出しになている方がありがたい。
薄っぺらいが一応革張りなのも助かる。
周囲のシンバル部分は取り除くことも考えたが、今回はそのままとした。
親指を入れるための穴を活用して、棒を差し込んで接着、持ち手をつける。
木の部分は赤に塗り、革部分には不動明王関連の梵字を配置すると、けっこう様になってくれた。
デモに持っていき、ナマハゲの仮面を被ってボンボン打ち鳴らすと、けっこう受けた(笑)
2013年01月09日
祭礼の夜2
1月10日は「十日戎」。
9日の宵宮、10日の本宮、11日の残り福と、三夜続けて神社は賑わう。
とくにゑべっさんは商売の神様なので、縁起物や各種飲食、玩具、占いの露店が、所狭しと立ち並ぶ。
今私の住んでいる地域にはけっこう大きな恵比寿神社があって、例年この祭礼は楽しみにしており、何度か記事にしたこともある。
【関連記事】
宵ゑびす
ゑびす縁起物
十日戎
ゑびす大黒
漂着神
お盆2010
祭礼の夜
縁日を彩る露店、テキ屋稼業の風景がどのようなルーツを持つのかを知るのに、絶好の一冊がある。
以下、過去記事から加筆の上再録。
●「旅芸人のいた風景―遍歴・流浪・渡世」沖浦和光(文春新書)
今日、神社仏閣の縁日を彩る露店風景には、今はもうほとんど消滅してしまった中世以来の旅芸人「道々の者」の姿の痕跡が残っている。
よりふかく遡れば、諸国を遍歴する遊芸者は、芸人であり、職人であり、宗教者であり、薬売りでもあり、様々な要素が混在した実態があった。
著者はそうした存在・ヤブ医者に「野巫医者」という字をあてて捉え、広範に論じている。
近代医療が一般に行き渡る以前には、病に苦しむ庶民はただ本人の自然治癒力に任せるか、そうでなければ諸国を遍歴する拝み屋や祈祷師に頼るほか無かった。
そうした「野巫医者」たちは、何よりもまず患者の心を力付けるために、加持祈祷等の「芸」を執り行うのだが、それだけでは中々病気治しの成果が上がらないことは実体験としてよく知っていたので、同時に整体や漢方薬等の東洋医療の技術もある程度持ち合わせており、医療に縁の無い一般庶民にとっては最後のセーフティーネットでもあったのだ。
西洋医術が本格的に国内に導入された明治以降も、高額な医療費を個人で払いきれない庶民にとっては、長い間「野巫医者頼み」が続いてきた。
一応「国民皆保険」が制度化される戦後になって初めて、一般庶民も近代医療の恩恵を受けるようになったのだが、同時に法的な「野巫医者排除」が進行していった。
薬事法等の各種法令により、身分の定かでない遍歴者が医療行為に類することはできなくなり、必然的に、物売りや芸人に限定された稼業に変容して行ったのだ。
戦後になってTVが普及すると「芸人」も遍歴する層はほぼ消滅。
かくて神社仏閣の縁日には、ただ物販部門だけが痕跡として残ることになった。
その物販部門ですら、テキ屋排除の風潮が進行しつつある。
縁日の風景を形成する仮設店舗は、混雑する祭礼の安全を確保するセーフティーネットでもある。
隙間の多い、緩やかな構造の店舗が参道を区切ることによって、人の流れを誘導し、時には増えすぎた人を吸収し、脇に逃がす役割を果たしている。
クリーンに整理しきらない猥雑さや緩さ、怪しいものをある程度まで許容する包容力は、突発する危機を緩和する作用がある。
日本経済の低迷が続く昨今、健康保険料を支払えず無保険状態になる層も増加しているという。
とくに児童の無保険状態は深刻なテーマとして報道でも取り上げられるようになった。
ところが昔の庶民が頼った「野巫医者」という最後のセーフティーネットは、もう存在しない。
医者にかからず健康状態を維持するために役立ってきた季節ごとの風習や食べ物の知識も、多くは廃れ、形骸化し、急病の際に対処法を教え、支えてくれる地域共同体も崩れ去った。
戦後多くの命を救い、健康を守ってきた医療保険制度と法規制が、反転して低所得層を追い詰める時代が到来しつつあるのかもしれない。
そうした事態を国がなんとかしてくれるのかと言えば、たぶんなんともしてくれない。
国だけでなく世間の風潮として「保険料払わないのが悪い! 自己責任!」という風に切って捨ててしまいそうな怖さがある。
そして2011.3.11以降は、国が民の生命をまともに守らない姿勢が、ますます露骨になってきている。
社会の様々な局面で、曖昧な領域を「合理化」の名の下に削りすぎた弊害が、今あちこちに出てきている気がする。
個人的な体感では、そうした「世の中を短絡的に清潔にし過ぎる」傾向が急速に進行し始めたのが、90年代後半あたりからではないかという気がしているのである。
今までにも何度か書いたが、2010年代は90年代に起こったことがさらに規模を拡大して静かに進みつつある予感がしている。
9日の宵宮、10日の本宮、11日の残り福と、三夜続けて神社は賑わう。
とくにゑべっさんは商売の神様なので、縁起物や各種飲食、玩具、占いの露店が、所狭しと立ち並ぶ。
今私の住んでいる地域にはけっこう大きな恵比寿神社があって、例年この祭礼は楽しみにしており、何度か記事にしたこともある。
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漂着神
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祭礼の夜
縁日を彩る露店、テキ屋稼業の風景がどのようなルーツを持つのかを知るのに、絶好の一冊がある。
以下、過去記事から加筆の上再録。
●「旅芸人のいた風景―遍歴・流浪・渡世」沖浦和光(文春新書)
今日、神社仏閣の縁日を彩る露店風景には、今はもうほとんど消滅してしまった中世以来の旅芸人「道々の者」の姿の痕跡が残っている。
よりふかく遡れば、諸国を遍歴する遊芸者は、芸人であり、職人であり、宗教者であり、薬売りでもあり、様々な要素が混在した実態があった。
著者はそうした存在・ヤブ医者に「野巫医者」という字をあてて捉え、広範に論じている。
近代医療が一般に行き渡る以前には、病に苦しむ庶民はただ本人の自然治癒力に任せるか、そうでなければ諸国を遍歴する拝み屋や祈祷師に頼るほか無かった。
そうした「野巫医者」たちは、何よりもまず患者の心を力付けるために、加持祈祷等の「芸」を執り行うのだが、それだけでは中々病気治しの成果が上がらないことは実体験としてよく知っていたので、同時に整体や漢方薬等の東洋医療の技術もある程度持ち合わせており、医療に縁の無い一般庶民にとっては最後のセーフティーネットでもあったのだ。
西洋医術が本格的に国内に導入された明治以降も、高額な医療費を個人で払いきれない庶民にとっては、長い間「野巫医者頼み」が続いてきた。
一応「国民皆保険」が制度化される戦後になって初めて、一般庶民も近代医療の恩恵を受けるようになったのだが、同時に法的な「野巫医者排除」が進行していった。
薬事法等の各種法令により、身分の定かでない遍歴者が医療行為に類することはできなくなり、必然的に、物売りや芸人に限定された稼業に変容して行ったのだ。
戦後になってTVが普及すると「芸人」も遍歴する層はほぼ消滅。
かくて神社仏閣の縁日には、ただ物販部門だけが痕跡として残ることになった。
その物販部門ですら、テキ屋排除の風潮が進行しつつある。
縁日の風景を形成する仮設店舗は、混雑する祭礼の安全を確保するセーフティーネットでもある。
隙間の多い、緩やかな構造の店舗が参道を区切ることによって、人の流れを誘導し、時には増えすぎた人を吸収し、脇に逃がす役割を果たしている。
クリーンに整理しきらない猥雑さや緩さ、怪しいものをある程度まで許容する包容力は、突発する危機を緩和する作用がある。
日本経済の低迷が続く昨今、健康保険料を支払えず無保険状態になる層も増加しているという。
とくに児童の無保険状態は深刻なテーマとして報道でも取り上げられるようになった。
ところが昔の庶民が頼った「野巫医者」という最後のセーフティーネットは、もう存在しない。
医者にかからず健康状態を維持するために役立ってきた季節ごとの風習や食べ物の知識も、多くは廃れ、形骸化し、急病の際に対処法を教え、支えてくれる地域共同体も崩れ去った。
戦後多くの命を救い、健康を守ってきた医療保険制度と法規制が、反転して低所得層を追い詰める時代が到来しつつあるのかもしれない。
そうした事態を国がなんとかしてくれるのかと言えば、たぶんなんともしてくれない。
国だけでなく世間の風潮として「保険料払わないのが悪い! 自己責任!」という風に切って捨ててしまいそうな怖さがある。
そして2011.3.11以降は、国が民の生命をまともに守らない姿勢が、ますます露骨になってきている。
社会の様々な局面で、曖昧な領域を「合理化」の名の下に削りすぎた弊害が、今あちこちに出てきている気がする。
個人的な体感では、そうした「世の中を短絡的に清潔にし過ぎる」傾向が急速に進行し始めたのが、90年代後半あたりからではないかという気がしているのである。
今までにも何度か書いたが、2010年代は90年代に起こったことがさらに規模を拡大して静かに進みつつある予感がしている。
2013年01月10日
祭礼の夜3
2013年の十日戎、本ゑびすの夜である。
ゑびす縁日を楽しみながら、あれこれ考える。
本日のお題は戦後の神戸とヤクザについて。
参考書は以下の三冊。
●「神戸今昔散歩」原島広至(中経の文庫)
●「近代ヤクザ肯定論 山口組の90年」宮崎学 (ちくま文庫)
●「実録 神戸芸能社 山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界」山平重樹(双葉文庫)
明治期、現在のJR神戸駅付近一帯に「福原」と呼ばれる遊郭があった。
古来、港街にはそうした「悪所」がつきものだったが、鉄道敷設に伴い移転。
少し西に行ったところにある湊川のほとりに「新福原」が築かれ、すぐに「新」ははずされて、単に「福原」と呼ばれるようになった。
まだ田園風景の残る川べりにぽっかりと出現した遊郭は、夜毎異界の輝きを放っていたことだろう。
現在はもちろん遊郭など存在しないが、新開地東側一帯の福原町は、今でも歓楽街として知られている。
湊川は度々氾濫を繰り返す暴れ川だった。
一部天井川だった名残が、今の湊川公園の幹線道路を上からまたぐ特殊な立地に見られる。
明治後期には大規模な付け替え工事が行われ、西側の長田方向に川筋の迂回する現在の新湊川になった。
埋め立てられた当初の旧湊川は、両岸の土手が繋がった平地の形だったので単に「土手」と呼ばれていたらしい。
明治44年には湊川遊園地(現在の湊川公園)が開園。
大正13年には公園内に神戸タワー開業。
開業当初の神戸タワーは高さ90メートルで、通天閣をしのぐ東洋一の塔だったという。
昭和43年に老朽化で解体されるまで、神戸のシンボルの一つだった。
現在は同じ場所に時計台が立っていて、鐘を鳴らしながら時を刻んでいる。
新開地には明治40年にいち早く劇場が誕生。以来旧川筋には劇場、芝居小屋、映画館が林立し、福原遊郭とともに一大歓楽街が出現する。
神戸タワーの足もとに広がる猥雑な空間は、たぶん大阪の新世界と同じ匂いのする場所だったことだろう。
歓楽街と言うものは、それ単独で存在するわけではない。
周辺に大量の人口が集中し、行き場を求める欲望の渦がなければ歓楽街は生まれない。
明治後期の神戸は海外貿易が飛躍的に増加し、造船所などの大規模工場も出現していた。
労働力の需要はいくらでもあり、周辺の農村や漁村で働き口を見つけられなかった若者たちが「神戸に行けば食える」とばかりに押し寄せてきていた。
明治後期だけで人口が約二倍に増え、こうした流入人口の多くは日雇いの港湾労働者になり、いくつもの広大なスラム街を形成した。
膨大な数の荒くれ男達の中から、やがて顔役として頭角をあらわすものが出るのは、ある意味必要不可欠なことだったに違いない。
明治39年、職を求めて労働者が押し寄せる神戸に、一人の男が現れた。
妻と幼い子供を連れた25歳の若者の名を山口春吉という。
春吉は沖仲士と呼ばれる最下級労働者から出発し、徐々に頭角を現した。
派手な荒事を好む性格ではなかったが、寡黙で篤実、義理堅く、人の嫌がる仕事を率先して行い、周囲から頼られる顔役の一人になった。
やがて頼ってくる荒くれ男達と、自分の家族の生活を守る必要からヤクザになり、小さな組を構えた。
これが後の日本最大のヤクザ組織、山口組の始まりである。
当時の他の多くのヤクザ組織も同様だったが、山口組もその発祥は困窮する下級労働者の互助会としての面が強く、ある意味では「労働組合」でもあったのだ。
春吉は仕事熱心だったので港湾労働者の統括は徐々に軌道に乗り、事業は拡大していった。
浪曲と相撲が好きだったので、組の皆の福利厚生の一環として芸能興行も手掛けるようになった。
下級労働者の統括と芸能興行は、後々まで山口組の「本業」として継続されることになる。
大正7年に勃発した神戸米騒動では、随所で山口組の面々が活躍していたらしい。湊川公園に集まる民衆を煽り、米屋や大型商店を次々に包囲し、交渉を行った者たちの姿には、ヤクザ者の影がちらついている。
春吉は自分が性格的にヤクザにさほど向いていないと思っていたらしく、大正14年に長男・登が23歳になると、跡目を譲って事業部門に専念するようになる。
生活の必要からヤクザになった初代と違い、二代目は少年の頃から勇名を馳せたやんちゃ者だった。
荒事も辞さない武闘派路線と、初代の堅実な事業路線が結び付き、地元神戸を中心に勢力を拡大していった。
戦中の昭和初期には二代目・登が早くに亡くなったが跡目がなかなか決まらず、また戦時体制の締め付けもあって、山口組の勢力はギリギリまで縮小された。
戦争末期の大空襲により、一面焼け野原となった神戸で、山口組三代目を襲名したのが田岡一雄だった。
戦後、法を守ることと普通に生活することが一致しなくなった闇市の世界では、法外の領域も自在に泳げるヤクザ者が秩序を守る逆転現象が起きる。
警察権力が崩壊した神戸の街で、その治安を守ったのが山口組だったことは紛れもない事実だ。
今では想像することすら困難だが、警察側から警護を依頼した記録もはっきり残っている。
山口組が地元神戸で恐れられながらも、長く庶民社会と共存出来てきたのは、戦後の「頼れる」イメージも一役買っているようだ。
三代目・田岡一雄は山口組を再建するにあたって、ともかく組やその周辺にいる者たちを「いかに食わせるか」ということに腐心した。
元々山口組は下級労働者の集まりという性格が強かったので、田岡は組員に食っていけるだけの合法的な職業を持つことを、積極的に勧めた。
歴代組長が得意とした港湾労働と芸能興行の二部門は、やはり事業の中心に据えられた。
戦前戦中とは港や興行の在り方が根本的に変わっており、ほとんどゼロからの出発だったが、精力的に事業を拡大していった。
港湾事業ではしばしば労資間の調停に力を発揮し、労働条件の改善に貢献した。
興行部門では「神戸芸能社」が設立され、美空ひばりをはじめ錚々たる芸能人を抱えた。
金払いが良く警備も強力、抱えた芸能人を大切に扱ったので、芸能人側の評判は非常に高かった。
ただ、こうした合法的事業の伸長も、武闘派部門の「力」の裏付けがあってのことではあった。
港湾事業と芸能興行という両輪は山口組を広域化させた要因になったが、巨大化することで元々の「地域の顔役」という側面は徐々に薄れていった。
私は決してヤクザをロマンティックに賛美するつもりはないのだけれども、戦後神戸という混沌に、田岡一雄という個性が居合わせたことは、そこで生きていかざるを得ない庶民にとって幸運なことだったのではないかと思う。
戦後の混乱期を終え、警察力が強化されてくると、山口組のような巨大な民間の「武力」は、当局のターゲットにされるようになってくる。
70年代以降、とくに芸能興行部門は警察の圧力で縮小せざるを得なくなり、90年代の暴対法により、さらに非合法の領域へと追いやられて行った。
95年の阪神大震災時には、炊き出しや救援活動で久々に庶民の喝采を浴びたが、それ以降もヤクザ排除の風潮は警察主導で推し進められ、2011年、芸能人をターゲットにした「見せしめ」により、その路線は総仕上げに入ろうとしている。
私は特にヤクザと個人的な付き合いも無いし、今後もその予定は無いが、こうしたヤクザ排除の路線が本当に庶民にとって「得」になるのかという点については、疑問を持っている。
日本の文化は伝統的に、異端を排除せず、適度に受け入れてやり過ごすことで、調和を保つ知恵があった。 当ブログのカテゴリ節分でも度々書いてきたが、あまり潔癖に病原体を排除しようとすると、免疫機能が低下し、逆に病原体側は強力になる。
それは社会についても同様だと考えている。
私は自分がダメ人間であるという自覚を持っているが、たとえば明日から「ダメ人間排除条例」が施行されたとしても、急にダメ人間をやめることはできない。
むしろ排除されたことで更にダメになり、周囲の迷惑度はアップするだろう。
ダメ人間はそれが笑える範囲であればそっとしておく方がいい。
ヤクザ特有の論理に「放っておけば悪くなる一方の若い者を、身柄を預かって最低限の仁義を教えてきた」というものがある。
身勝手な自己正当化ではあるが、それは一面の真実でもあったのだ。
ヤクザの犯罪行為は厳しく取り締まれば良いが、合法的な事業やヤクザであること自体を排除しようと下手にいじれば、ヤクザも生きるために非合法化の度合いを強めざるを得なくなるだろう。
現在、ヤクザやその関係者と認定されてしまえば銀行口座も開けなくなっていると聞く。
これではヤクザ本人だけでなく、家族までわざわざ悪の道へ叩き落としているのと同じである。
かつてヤクザの組事務所は公然と看板がかけられており、構成員の名前や現況なども全て「公開情報」だった。
警察は完全にヤクザの動向を把握しており、それは時には癒着と呼ばれる程だった。
ヤクザとの不透明な関係を解消することは、それ自体は「正しい」としか言い様がないが、対決姿勢を強めることで逆に警察は闇社会の動向を掴みづらくなってしまっている。
これは本当に社会的コストとして「得」な状態なのだろうか。
ゑびす縁日を楽しみながら、あれこれ考える。
本日のお題は戦後の神戸とヤクザについて。
参考書は以下の三冊。
●「神戸今昔散歩」原島広至(中経の文庫)
●「近代ヤクザ肯定論 山口組の90年」宮崎学 (ちくま文庫)
●「実録 神戸芸能社 山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界」山平重樹(双葉文庫)
明治期、現在のJR神戸駅付近一帯に「福原」と呼ばれる遊郭があった。
古来、港街にはそうした「悪所」がつきものだったが、鉄道敷設に伴い移転。
少し西に行ったところにある湊川のほとりに「新福原」が築かれ、すぐに「新」ははずされて、単に「福原」と呼ばれるようになった。
まだ田園風景の残る川べりにぽっかりと出現した遊郭は、夜毎異界の輝きを放っていたことだろう。
現在はもちろん遊郭など存在しないが、新開地東側一帯の福原町は、今でも歓楽街として知られている。
湊川は度々氾濫を繰り返す暴れ川だった。
一部天井川だった名残が、今の湊川公園の幹線道路を上からまたぐ特殊な立地に見られる。
明治後期には大規模な付け替え工事が行われ、西側の長田方向に川筋の迂回する現在の新湊川になった。
埋め立てられた当初の旧湊川は、両岸の土手が繋がった平地の形だったので単に「土手」と呼ばれていたらしい。
明治44年には湊川遊園地(現在の湊川公園)が開園。
大正13年には公園内に神戸タワー開業。
開業当初の神戸タワーは高さ90メートルで、通天閣をしのぐ東洋一の塔だったという。
昭和43年に老朽化で解体されるまで、神戸のシンボルの一つだった。
現在は同じ場所に時計台が立っていて、鐘を鳴らしながら時を刻んでいる。
新開地には明治40年にいち早く劇場が誕生。以来旧川筋には劇場、芝居小屋、映画館が林立し、福原遊郭とともに一大歓楽街が出現する。
神戸タワーの足もとに広がる猥雑な空間は、たぶん大阪の新世界と同じ匂いのする場所だったことだろう。
歓楽街と言うものは、それ単独で存在するわけではない。
周辺に大量の人口が集中し、行き場を求める欲望の渦がなければ歓楽街は生まれない。
明治後期の神戸は海外貿易が飛躍的に増加し、造船所などの大規模工場も出現していた。
労働力の需要はいくらでもあり、周辺の農村や漁村で働き口を見つけられなかった若者たちが「神戸に行けば食える」とばかりに押し寄せてきていた。
明治後期だけで人口が約二倍に増え、こうした流入人口の多くは日雇いの港湾労働者になり、いくつもの広大なスラム街を形成した。
膨大な数の荒くれ男達の中から、やがて顔役として頭角をあらわすものが出るのは、ある意味必要不可欠なことだったに違いない。
明治39年、職を求めて労働者が押し寄せる神戸に、一人の男が現れた。
妻と幼い子供を連れた25歳の若者の名を山口春吉という。
春吉は沖仲士と呼ばれる最下級労働者から出発し、徐々に頭角を現した。
派手な荒事を好む性格ではなかったが、寡黙で篤実、義理堅く、人の嫌がる仕事を率先して行い、周囲から頼られる顔役の一人になった。
やがて頼ってくる荒くれ男達と、自分の家族の生活を守る必要からヤクザになり、小さな組を構えた。
これが後の日本最大のヤクザ組織、山口組の始まりである。
当時の他の多くのヤクザ組織も同様だったが、山口組もその発祥は困窮する下級労働者の互助会としての面が強く、ある意味では「労働組合」でもあったのだ。
春吉は仕事熱心だったので港湾労働者の統括は徐々に軌道に乗り、事業は拡大していった。
浪曲と相撲が好きだったので、組の皆の福利厚生の一環として芸能興行も手掛けるようになった。
下級労働者の統括と芸能興行は、後々まで山口組の「本業」として継続されることになる。
大正7年に勃発した神戸米騒動では、随所で山口組の面々が活躍していたらしい。湊川公園に集まる民衆を煽り、米屋や大型商店を次々に包囲し、交渉を行った者たちの姿には、ヤクザ者の影がちらついている。
春吉は自分が性格的にヤクザにさほど向いていないと思っていたらしく、大正14年に長男・登が23歳になると、跡目を譲って事業部門に専念するようになる。
生活の必要からヤクザになった初代と違い、二代目は少年の頃から勇名を馳せたやんちゃ者だった。
荒事も辞さない武闘派路線と、初代の堅実な事業路線が結び付き、地元神戸を中心に勢力を拡大していった。
戦中の昭和初期には二代目・登が早くに亡くなったが跡目がなかなか決まらず、また戦時体制の締め付けもあって、山口組の勢力はギリギリまで縮小された。
戦争末期の大空襲により、一面焼け野原となった神戸で、山口組三代目を襲名したのが田岡一雄だった。
戦後、法を守ることと普通に生活することが一致しなくなった闇市の世界では、法外の領域も自在に泳げるヤクザ者が秩序を守る逆転現象が起きる。
警察権力が崩壊した神戸の街で、その治安を守ったのが山口組だったことは紛れもない事実だ。
今では想像することすら困難だが、警察側から警護を依頼した記録もはっきり残っている。
山口組が地元神戸で恐れられながらも、長く庶民社会と共存出来てきたのは、戦後の「頼れる」イメージも一役買っているようだ。
三代目・田岡一雄は山口組を再建するにあたって、ともかく組やその周辺にいる者たちを「いかに食わせるか」ということに腐心した。
元々山口組は下級労働者の集まりという性格が強かったので、田岡は組員に食っていけるだけの合法的な職業を持つことを、積極的に勧めた。
歴代組長が得意とした港湾労働と芸能興行の二部門は、やはり事業の中心に据えられた。
戦前戦中とは港や興行の在り方が根本的に変わっており、ほとんどゼロからの出発だったが、精力的に事業を拡大していった。
港湾事業ではしばしば労資間の調停に力を発揮し、労働条件の改善に貢献した。
興行部門では「神戸芸能社」が設立され、美空ひばりをはじめ錚々たる芸能人を抱えた。
金払いが良く警備も強力、抱えた芸能人を大切に扱ったので、芸能人側の評判は非常に高かった。
ただ、こうした合法的事業の伸長も、武闘派部門の「力」の裏付けがあってのことではあった。
港湾事業と芸能興行という両輪は山口組を広域化させた要因になったが、巨大化することで元々の「地域の顔役」という側面は徐々に薄れていった。
私は決してヤクザをロマンティックに賛美するつもりはないのだけれども、戦後神戸という混沌に、田岡一雄という個性が居合わせたことは、そこで生きていかざるを得ない庶民にとって幸運なことだったのではないかと思う。
戦後の混乱期を終え、警察力が強化されてくると、山口組のような巨大な民間の「武力」は、当局のターゲットにされるようになってくる。
70年代以降、とくに芸能興行部門は警察の圧力で縮小せざるを得なくなり、90年代の暴対法により、さらに非合法の領域へと追いやられて行った。
95年の阪神大震災時には、炊き出しや救援活動で久々に庶民の喝采を浴びたが、それ以降もヤクザ排除の風潮は警察主導で推し進められ、2011年、芸能人をターゲットにした「見せしめ」により、その路線は総仕上げに入ろうとしている。
私は特にヤクザと個人的な付き合いも無いし、今後もその予定は無いが、こうしたヤクザ排除の路線が本当に庶民にとって「得」になるのかという点については、疑問を持っている。
日本の文化は伝統的に、異端を排除せず、適度に受け入れてやり過ごすことで、調和を保つ知恵があった。 当ブログのカテゴリ節分でも度々書いてきたが、あまり潔癖に病原体を排除しようとすると、免疫機能が低下し、逆に病原体側は強力になる。
それは社会についても同様だと考えている。
私は自分がダメ人間であるという自覚を持っているが、たとえば明日から「ダメ人間排除条例」が施行されたとしても、急にダメ人間をやめることはできない。
むしろ排除されたことで更にダメになり、周囲の迷惑度はアップするだろう。
ダメ人間はそれが笑える範囲であればそっとしておく方がいい。
ヤクザ特有の論理に「放っておけば悪くなる一方の若い者を、身柄を預かって最低限の仁義を教えてきた」というものがある。
身勝手な自己正当化ではあるが、それは一面の真実でもあったのだ。
ヤクザの犯罪行為は厳しく取り締まれば良いが、合法的な事業やヤクザであること自体を排除しようと下手にいじれば、ヤクザも生きるために非合法化の度合いを強めざるを得なくなるだろう。
現在、ヤクザやその関係者と認定されてしまえば銀行口座も開けなくなっていると聞く。
これではヤクザ本人だけでなく、家族までわざわざ悪の道へ叩き落としているのと同じである。
かつてヤクザの組事務所は公然と看板がかけられており、構成員の名前や現況なども全て「公開情報」だった。
警察は完全にヤクザの動向を把握しており、それは時には癒着と呼ばれる程だった。
ヤクザとの不透明な関係を解消することは、それ自体は「正しい」としか言い様がないが、対決姿勢を強めることで逆に警察は闇社会の動向を掴みづらくなってしまっている。
これは本当に社会的コストとして「得」な状態なのだろうか。
2013年01月11日
祭礼の夜4
1月11日の残り福で十日戎が終わると、華やいだ年始の雰囲気もほぼ終息する。
あちこちの屋台でぼちぼちしまい仕度が始まる中、壷焼きを肴に一杯やりながら縁日の風景をながめ、余韻を楽しむ。
コップ酒をすする目の前を、おっちゃんが腹をさすりながら、
「あ゛〜〜〜、粉モンはもうええわ……」
と呻きながら通り過ぎていく。
粉モンというのはお好み焼きやタコ焼きなどの、小麦粉を主成分とする食べ物のこと。
おっちゃん、なんぼほど食うたんや(笑)
各地の祭りでヤクザ、テキ屋排除が進行しつつあるが、十日戎はまだ露天が低調になるほどの影響が出ていないように見え、一安心する。
いや〜、楽しいなあ。
十分に楽しいゑべっさんの縁日なのだが、ふと物の本で仕入れた知識を思い出す。
昔の縁日、露天が並ぶ「高市(たかまち)」は、もっと啖呵の声で騒々しい音の風景があったのだろうなと想像する。
今の露天はせいぜい客を呼び込む掛け声がたまに響くくらいだが、昔は各露天がそれぞれに大道芸のような話芸を持っていて、物見高い客を舌先三寸でけむに巻き、怪しげな商品を捌いていたという。
現代人がイメージしやすいのは、映画の画面で見る寅さんの啖呵売や、今でも芸能として保存されている「ガマの油売り」だろう。
テキ屋、香具師の口上については、以前何度か記事にしたことがある。
啖呵の達人
啖呵の達人2
今現在、入手しやすい資料としては、以下のCDブックがある。
●「香具師口上集」室町京之介(創拓社出版)
今はもうほぼ絶滅してしまったテキ屋の音風景は、古くは民間宗教者の祭文語りや説教節、絵解き口上に淵源を持つ。
今でもわずかに残っている祭文語り等の音源を聴いてみると、非常にリズミカルでほとんどラップのように聴こえるものもあって、面白い。
そんな「語り」の中の一つに、例えば不動尊祈り経があって、当ブログでも音遊びとして取り上げてみたことがある。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
【真言〜不動尊祈り経】(4分20秒/mp3ファイル/8MB)
非常に怪しいです! ヘッドフォン推奨!
近世ではこうした民間宗教者の「語り」が、一部「大道芸」に姿を変えて、「チョンガレ」「チョボクレ」などと呼ばれながら、滑稽・諧謔と鋭い風刺で庶民の喝采を浴びていた。
時には放浪する大道芸人のネットワークを巧みに利用し、情報伝達やオルグの手段として一揆のエネルギー源に活用した例もあったようだ。
●『「世直し歌」の力―武左衛門一揆と「ちょんがり」』五藤孝人(現代書館)
残念ながら現代の神社仏閣の縁日からは、このような刺激的な音風景は姿を消してしまった。
ただ、今であれば、各地の原発抗議行動のシュプレヒコールやメガホンアピールの中に、そうした「世直し歌」の系譜が続いていると見ることもできる。
とくに、各地の抗議行動を遍歴しながら、巧みなリズムで盛り上げるパーカッション奏者やラッパーの皆さんに、往時の「道々の者」の姿がダブって見えることがあるのだ。
そんな酔いにまかせた空想の中、今年の十日戎の祭礼の夜も、賑やかに過ぎ行く。
あちこちの屋台でぼちぼちしまい仕度が始まる中、壷焼きを肴に一杯やりながら縁日の風景をながめ、余韻を楽しむ。
コップ酒をすする目の前を、おっちゃんが腹をさすりながら、
「あ゛〜〜〜、粉モンはもうええわ……」
と呻きながら通り過ぎていく。
粉モンというのはお好み焼きやタコ焼きなどの、小麦粉を主成分とする食べ物のこと。
おっちゃん、なんぼほど食うたんや(笑)
各地の祭りでヤクザ、テキ屋排除が進行しつつあるが、十日戎はまだ露天が低調になるほどの影響が出ていないように見え、一安心する。
いや〜、楽しいなあ。
十分に楽しいゑべっさんの縁日なのだが、ふと物の本で仕入れた知識を思い出す。
昔の縁日、露天が並ぶ「高市(たかまち)」は、もっと啖呵の声で騒々しい音の風景があったのだろうなと想像する。
今の露天はせいぜい客を呼び込む掛け声がたまに響くくらいだが、昔は各露天がそれぞれに大道芸のような話芸を持っていて、物見高い客を舌先三寸でけむに巻き、怪しげな商品を捌いていたという。
現代人がイメージしやすいのは、映画の画面で見る寅さんの啖呵売や、今でも芸能として保存されている「ガマの油売り」だろう。
テキ屋、香具師の口上については、以前何度か記事にしたことがある。
啖呵の達人
啖呵の達人2
今現在、入手しやすい資料としては、以下のCDブックがある。
●「香具師口上集」室町京之介(創拓社出版)
今はもうほぼ絶滅してしまったテキ屋の音風景は、古くは民間宗教者の祭文語りや説教節、絵解き口上に淵源を持つ。
今でもわずかに残っている祭文語り等の音源を聴いてみると、非常にリズミカルでほとんどラップのように聴こえるものもあって、面白い。
そんな「語り」の中の一つに、例えば不動尊祈り経があって、当ブログでも音遊びとして取り上げてみたことがある。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
【真言〜不動尊祈り経】(4分20秒/mp3ファイル/8MB)
非常に怪しいです! ヘッドフォン推奨!
近世ではこうした民間宗教者の「語り」が、一部「大道芸」に姿を変えて、「チョンガレ」「チョボクレ」などと呼ばれながら、滑稽・諧謔と鋭い風刺で庶民の喝采を浴びていた。
時には放浪する大道芸人のネットワークを巧みに利用し、情報伝達やオルグの手段として一揆のエネルギー源に活用した例もあったようだ。
●『「世直し歌」の力―武左衛門一揆と「ちょんがり」』五藤孝人(現代書館)
残念ながら現代の神社仏閣の縁日からは、このような刺激的な音風景は姿を消してしまった。
ただ、今であれば、各地の原発抗議行動のシュプレヒコールやメガホンアピールの中に、そうした「世直し歌」の系譜が続いていると見ることもできる。
とくに、各地の抗議行動を遍歴しながら、巧みなリズムで盛り上げるパーカッション奏者やラッパーの皆さんに、往時の「道々の者」の姿がダブって見えることがあるのだ。
そんな酔いにまかせた空想の中、今年の十日戎の祭礼の夜も、賑やかに過ぎ行く。
2013年01月14日
縁日ウクレレ
民族音楽や民族楽器、とくに弦楽器が好きなことについては、先日記事にした。
決してちゃんと演奏できるわけではないのだが、弦楽器をテキトーに爪弾きながら、好きな歌や語りものを口ずさむのが趣味である。
その時のお供としてミニギターの類をずっといじってきたのだが、二十代はじめの頃、初めてウクレレを手にとった。
今でこそウクレレは結構人気になっているが、当時はまださほどではなくて、60〜70年代のハワイアン流行り以降はまだ次の波が来ていない時期だった。
だから当時私が購入したウクレレにも、サンプルの譜面に加山雄三あたりの曲が掲載されていて、苦笑した記憶がある(笑)
ウクレレはギターより弦が少なく、ナイロン製なのではるかに抑えやすい。
私程度の弦楽器の楽しみ方をするには本当にぴったりの楽器で、今でもギターと並んでよくいじっている。
私の場合、楽器趣味は自分で工作したりペイントすることまで含んでいるのだが(たとえばこの記事)、ウクレレの場合は手頃な工作キットも何種類か出ているので、色々オモチャウクレレを作ってみたりもした。
つい先日も、本屋で以下のようなセットを見つけた。
●大人の工作キット ウクレレ BOOK <組み立てウクレレ付>
このセット、手頃な価格で手作りウクレレが楽しめ、ブックレットもそれなりに充実した内容なので、悪くはないのだが、購入の際は少々注意点がある。
まず、木工をやったことがない人には組立も塗装もけっこう難しいだろうと言うこと。
一応完成させることは誰にでも出来ると思うが、精密な「楽器」レベルにするのは難易度が高くなるので、「そこそこ遊べるオモチャウクレレ」程度に考えておいたほうが良いだろう。
だからウクレレ自体を弾いたことがない全くの初心者の皆さんには、あまりオススメできない。
同包のウクレレキット自体は、学校教材メーカーが販売している以下のものと、たぶん同じ内容だ。
●木工芸 工芸ウクレレ作り(アーテック)
値段から分かると思うが、木材は全てベニヤや集成材で、他のパーツもそんなにいいものは使用されていない。
私は同じメーカーでもより自作度の高い、以下のセットをよく作っている。
●木工芸 ウクレレ作り
●創作ウクレレ
これらのセットは、一応弾いて遊べる程度のオモチャウクレレを、とにかく低価格で入手できることができるのが取り柄だ。
私はこの十年ほど同じセットで色々作り続けてきたが、残念ながら品質は年々落ちてきている(悲)
木材はけっこう当たり外れがあって、たまにネックの材が「まさかこれバルサじゃねーの?」と舌打ちするほどスカスカだったり、側面版が薄すぎて開封すると既に折れていたりする。
固定用のゴムバンドが劣化していてちょっと伸ばすだけでバツバツ切れたりすることもある。
指板は「単に黒いプラスチック板」だが、一応フレットは使えるレベルではある。
付属の弦はなんだか釣り糸みたいな感じなので、市販のウクレレ弦を別途購入して張った方が良い。
ちゃんとした楽器を期待すると失望するだろう。
そのかわり価格が安いので失敗を恐れず、思い切った工作やペイントを楽しむことができるので、度々購入している。
私の作例としては、以下のような「縁日ウクレレ」がある。
フリーマーケットに出店する際、我が「縁日屋」の看板がわりによく持参している。
店先に飾っていると、「これは売ってないの?」と聞かれることもあるが、残念ながら販売はしていない。
制作の手間を考えると、一万円以上は付けざるを得ないのだが、楽器として値段に見合うだけの性能は保証できないので、ちょっと売り物にはできないのだ……
【2013年5月追記】
ここ十年ほど作り続けてきた上掲のウクレレ・キットだが、最近また値上がりしたようだ。
十年前は1200円程度で入手できていたのだが、5年ほど前、1500円程度に値上がり。
今年度からは定価1800円以上になっている。
これでは「半完成品」と大差がない価格なので、わざわざ自作タイプを選ぶメリットがなくなってしまう。
私も、今手持ちで抱えている以上に購入することは、もうないだろう。
長い間楽しませてくれてありがとう。
そして、さようなら……
決してちゃんと演奏できるわけではないのだが、弦楽器をテキトーに爪弾きながら、好きな歌や語りものを口ずさむのが趣味である。
その時のお供としてミニギターの類をずっといじってきたのだが、二十代はじめの頃、初めてウクレレを手にとった。
今でこそウクレレは結構人気になっているが、当時はまださほどではなくて、60〜70年代のハワイアン流行り以降はまだ次の波が来ていない時期だった。
だから当時私が購入したウクレレにも、サンプルの譜面に加山雄三あたりの曲が掲載されていて、苦笑した記憶がある(笑)
ウクレレはギターより弦が少なく、ナイロン製なのではるかに抑えやすい。
私程度の弦楽器の楽しみ方をするには本当にぴったりの楽器で、今でもギターと並んでよくいじっている。
私の場合、楽器趣味は自分で工作したりペイントすることまで含んでいるのだが(たとえばこの記事)、ウクレレの場合は手頃な工作キットも何種類か出ているので、色々オモチャウクレレを作ってみたりもした。
つい先日も、本屋で以下のようなセットを見つけた。
●大人の工作キット ウクレレ BOOK <組み立てウクレレ付>
このセット、手頃な価格で手作りウクレレが楽しめ、ブックレットもそれなりに充実した内容なので、悪くはないのだが、購入の際は少々注意点がある。
まず、木工をやったことがない人には組立も塗装もけっこう難しいだろうと言うこと。
一応完成させることは誰にでも出来ると思うが、精密な「楽器」レベルにするのは難易度が高くなるので、「そこそこ遊べるオモチャウクレレ」程度に考えておいたほうが良いだろう。
だからウクレレ自体を弾いたことがない全くの初心者の皆さんには、あまりオススメできない。
同包のウクレレキット自体は、学校教材メーカーが販売している以下のものと、たぶん同じ内容だ。
●木工芸 工芸ウクレレ作り(アーテック)
値段から分かると思うが、木材は全てベニヤや集成材で、他のパーツもそんなにいいものは使用されていない。
私は同じメーカーでもより自作度の高い、以下のセットをよく作っている。
●木工芸 ウクレレ作り
●創作ウクレレ
これらのセットは、一応弾いて遊べる程度のオモチャウクレレを、とにかく低価格で入手できることができるのが取り柄だ。
私はこの十年ほど同じセットで色々作り続けてきたが、残念ながら品質は年々落ちてきている(悲)
木材はけっこう当たり外れがあって、たまにネックの材が「まさかこれバルサじゃねーの?」と舌打ちするほどスカスカだったり、側面版が薄すぎて開封すると既に折れていたりする。
固定用のゴムバンドが劣化していてちょっと伸ばすだけでバツバツ切れたりすることもある。
指板は「単に黒いプラスチック板」だが、一応フレットは使えるレベルではある。
付属の弦はなんだか釣り糸みたいな感じなので、市販のウクレレ弦を別途購入して張った方が良い。
ちゃんとした楽器を期待すると失望するだろう。
そのかわり価格が安いので失敗を恐れず、思い切った工作やペイントを楽しむことができるので、度々購入している。
私の作例としては、以下のような「縁日ウクレレ」がある。
フリーマーケットに出店する際、我が「縁日屋」の看板がわりによく持参している。
店先に飾っていると、「これは売ってないの?」と聞かれることもあるが、残念ながら販売はしていない。
制作の手間を考えると、一万円以上は付けざるを得ないのだが、楽器として値段に見合うだけの性能は保証できないので、ちょっと売り物にはできないのだ……
【2013年5月追記】
ここ十年ほど作り続けてきた上掲のウクレレ・キットだが、最近また値上がりしたようだ。
十年前は1200円程度で入手できていたのだが、5年ほど前、1500円程度に値上がり。
今年度からは定価1800円以上になっている。
これでは「半完成品」と大差がない価格なので、わざわざ自作タイプを選ぶメリットがなくなってしまう。
私も、今手持ちで抱えている以上に購入することは、もうないだろう。
長い間楽しませてくれてありがとう。
そして、さようなら……
2013年01月15日
縁日ギター
楽器好きである。
本格的に演奏ができるわけではないが、楽器をいじりながら好きな歌やお経を口ずさんだり、たまにオモチャ楽器を手作りしたりする。
各種手作り楽器キットは、何か見かけるたびにチェックしてしまう。
中でもウクレレキットはお気に入りで、かなりの数、自作した。
ところで以前、「音遊び」保管庫と言う記事の中で、以下のような画像を掲載したことがある。
これはイラストではなく、実際に製作した楽器を写真撮影したもので、「縁日ギター」と名づけている。
壊れた安物のガットギターをベースに、これも破損したウクレレキットのパーツをつなぎ合わせて、トリプルネックにしてある。
真ん中がギターで、左右がそれぞれウクレレと三味線になっている。
デザインは前回記事で紹介した「縁日ウクレレ」の発展形だ。
私の作るオモチャ楽器なので、楽器としての精度は低いが、鳴らして遊ぶための最低限の音程は確保してある。
残念ながらこの縁日ギター、素人工作が祟ってネックの部分の強度が足りず、破損してしまったので現在修理中だ。
復活の日はいつになるか……
本格的に演奏ができるわけではないが、楽器をいじりながら好きな歌やお経を口ずさんだり、たまにオモチャ楽器を手作りしたりする。
各種手作り楽器キットは、何か見かけるたびにチェックしてしまう。
中でもウクレレキットはお気に入りで、かなりの数、自作した。
ところで以前、「音遊び」保管庫と言う記事の中で、以下のような画像を掲載したことがある。
これはイラストではなく、実際に製作した楽器を写真撮影したもので、「縁日ギター」と名づけている。
壊れた安物のガットギターをベースに、これも破損したウクレレキットのパーツをつなぎ合わせて、トリプルネックにしてある。
真ん中がギターで、左右がそれぞれウクレレと三味線になっている。
デザインは前回記事で紹介した「縁日ウクレレ」の発展形だ。
私の作るオモチャ楽器なので、楽器としての精度は低いが、鳴らして遊ぶための最低限の音程は確保してある。
残念ながらこの縁日ギター、素人工作が祟ってネックの部分の強度が足りず、破損してしまったので現在修理中だ。
復活の日はいつになるか……