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2013年06月06日

ビル越しの阿弥陀

 もう10年以上前のことだが、「ビル越しの阿弥陀」という言葉が、ふと頭に浮かんだ。

 中世の仏教図像に「山越しの阿弥陀図」というものがある。
 日本独特の浄土信仰を表現したもので、人間の臨終の時、山の向こうから阿弥陀如来が来迎して浄土に迎え入れてくれるというイメージを図示したものだ。
 そうした来迎図のイメージを、葛城二上山の入日に重ねて物語を紡いだ人物に、折口信夫がいる。
 そう言えば、最近奈良で「當麻寺展」も開催され、當麻曼荼羅や山越しの阿弥陀図も公開されていた。

 もう十年以上前になるが、大阪都心部でバイトをしていた頃、夕刻の帰り道が好きだった。
 日が傾いてビルの間に落ちるそのひと時、都市の風景は強烈な夕日に支配される。
 すでに点っている街灯やビル内の照明、車のライトなども、西からの強烈な光線には敵わない。
 落日とビルの黒々とした影のコントラストに、人工光は吸収されてしまっている。
 普段は人工物ばかりが幅を利かす都心部で、その時間帯は珍しく「落日」という巨大な自然が風景の有り様を塗りつぶしてしまう。
 家路にある私は、それを見ながら、
「ああ、山越しの阿弥陀図みたいだな」
 などと場違いな連想をしていた。
 透明で巨大な阿弥陀如来が、ビルの間を音もなく通り過ぎていく姿を妄想していた。

 そんな時にふと頭に浮かんだのが、冒頭の「ビル越しの阿弥陀」という言葉だったのだが、そのまますっかり忘れてしまっていた。

 そして二年前、内田樹さんが「うめきた大仏」についてブログ記事を書いているのを目にしたとき、長いあいだ忘却していた言葉が、私の頭の中に蘇ってきた。
 それ以来、「ビル越しの阿弥陀」の絵を描いてみたいなと思っていた。

 最近やっと、スケッチだけは描けたので、心覚えに記事にしておく。

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posted by 九郎 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2013年06月07日

遍路・防災・アウトドア 13

 今までに、少なく見積もっても50回以上は野宿をやってきた。
 熊野周辺の人里付近で、7月〜10月くらいまでの夏季中心だったので、条件としてはそれほど厳しくはない野宿だ。
 世の中上には上がいるので、この回数・条件は決して「手練れ」と言えるほどではないだろう。
 それでも「屋外で寝る」ということについて、自分の経験からブログ記事を書いてみる程度のことは可能だと思う。

 私の最初期の野宿は、↓こんな感じだった。

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 折りたたみ傘は日よけ、夜露しのぎだ。
 一応タオルは敷いてあるが、当然ながら真夏でも夜は寒かった(笑)

 こういうおバカな経験も積みながらわかったこともある。
 逆説的に思えるかもしれないが、野宿で心がけるべき基本は、

「なるべく地面で寝ない」


 ということだ。
 地面というものは、夏季であっても夜半以降は冷え、そこに接触している体の箇所から急速に体温が奪われていく。
 なんの寒さ対策もなく地面にゴロ寝していると、肩や腰などの背面から冷え込み、かなり辛い思いをすることになるのである。
 寝転ぶことが可能なベンチなどがあればそこに寝た方がいいし、やむを得ず地べたに寝るしかない場合は、なんらかの断熱措置をとらなければならない。
 予想外の遭難でなんの備えもない場合、夜間は地面に寝転ばないで休息を取った方が良いと言われている。
 寝転ばず、木にもたれて休息する「ハグ・ア・ツリー」という言葉もあるそうだ。
 
 急な被災の場合は、身の回りで何か断熱効果のありそうなものを探してみよう。
 避難所が屋外だったり、床がコンクリートや板敷であった場合、なんの備えもないならば、まず段ボールや新聞紙を調達するのが良い。
 床や地面に何枚か段ボールを敷き、着衣の下の腹部に新聞紙を巻きつけて寝ると、それだけで何もしないよりはかなり体温が保たれる。
 冬季であれば、寝袋があったとしてもかなり冷える場合が多い。
 寝袋はそれなりに高級品でないと冬場の性能は気休め程度なので、段ボール敷き・新聞紙巻き付けで保温効果を高めたほうが良い。
 
 防災やアウトドア目的であらかじめ準備するなら、アルミ素材を使った断熱シートがあると便利だ。
 ホームセンターや100均でも売っている、クッションシートにアルミを蒸着したものが一枚あるだけで、寝心地は全く変わってくる。
 たとえば、以下のようなもの。


●アルミシート2畳
 断熱効果があるので、普段はコタツの下などに敷いておいても良い。


●キャンパーズコレクション 断熱レジャーシート
 断熱とクッションで、ビニール製のレジャーシートよりかなり快適。
 普段使いとともに、防災グッズとしても使える。


 アルミ素材シートと言えば、度々紹介してきたサバイバルシートだが、冬の間に様々なシーンで実験してみて、わかったことを書き留めておく。


●サバイバルシート(防寒・保温シート)
【利点】
・保温断熱効果が高い
・軽量コンパクトなので、普段から持ち歩ける
・きわめて安価
【欠点】
・使用時にクシャクシャと音が出る
・通気性が悪い

 音の問題はともかく、通気性の悪さはちょっと注意が必要だと感じた。
 真冬に体に近い位置で巻きつけて使用していると、けっこう湿気がこもるのだ。
 はじめは保温効果が高いために汗ばんでいるのかと思ったのだが、どうやら汗ではなくて「結露」に近い状態だということが分かってきた。
 体温を逃さないよう体にきつくまいて長時間使用していると、内側がびしょびしょになってしまうこともあるようだ。
 だから使い方としては、地面に敷いて断熱に使ったり、上着などの上からゆるく羽織って、ある程度通気を確保できるようにするのが正解なのかもしれない。
 使い方次第で、威力を発揮できるアイテムであることは間違いないと思った。


 普段から持ち歩く用には軽量コンパクトなサバイバルシート、防災やアウトドア・レジャー用にはクッション素材にアルミ蒸着したものを用意しておけば、どちらもさほど高い買い物ではないのではないのでお勧めだ。

2013年06月10日

90年代のスケッチin熊野

 荷物整理をしていたら、むかし熊野で描いたスケッチのコピーが出てきた。
 おそらく90年代後半のもの。
 たしか水彩の絵はがき用紙に、筆ペン、薄墨筆ペン、水筆使用。
 遍路の合間、熊野本宮や新宮周辺で一息ついている時、知人向けに描いたものだ。
 当時はそんな風に出した旅の便りが結構あったのだが、近くにコピー機があった場合は一応記録として残しておいたと記憶している。

 本宮旧社地、大斎原。
 まだ巨大鳥居が無く、静かな雰囲気だった頃の風景。

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 那智の浜から見た夜明けの海。

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 おそらく新宮の王子ヶ浜。

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 最後の一枚は、コピーではなく原画が残っていた。
 新宮の阿須賀神社裏にある蓬莱山を、熊野川方向から眺めたもの。

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 遍路に疲れ果てている中、わざわざ描いてしまうだけあって、いずれも大好きな場所ばかりだ。
 今度熊野に行けるのはいつの日か……
posted by 九郎 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊野 | 更新情報をチェックする

2013年06月19日

再掲 70年代、90年代、2010年代

 最近とみに「ああ、俺は今、90年代の後始末をやってるな」と感じることがよくある。
 このカテゴリ90年代を断続的に書き続けていることもそうだ。
 阪神淡路大震災についてはひとしきり綴り終えたので、その他のことについてもぼちぼち書いていきたい。
 まずは以前の記事を再掲。
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 個人的に、1995年と2011年はけっこう似ている感じていた。
 何よりも両年とも大震災の年であったし、オウム関連でも2011年から2012年にかけて、動きがあった。

 はじめは私のごく個人的な感じ方かと思っていたのだが、鈴木邦男さんが2012年の年頭ブログで同じような指摘をしていたのを読み、「自分だけではなかったのだな」と思った。

 最近感じるのは、2010年代の世相が、90年代のそれと似た雰囲気のものになりつつあるのではないかということだ。
 90年代はとくにカルチャーの面で、70年代リバイバルといった雰囲気が強かった。
 だから90年代とよく似た2010年代も、70年代の世相と繋がってくる面があるかもしれない。

 もう少し具体的に書いてみよう。
 私は90年代半ばごろから、やや真面目に神仏関連の読書をはじめたのだが、その当時よく読んでいた本の中に、以下のものがある。


●「宗教を現代に問う〈上中下〉」毎日新聞社特別報道部宗教取材班(角川文庫)
 1975〜76年にかけて、毎日新聞紙上で274回にわたって連載された記事の集成。
 単行本は76年、文庫版は89年に刊行された。
 70年だ半ばの時点での宗教状況について、広範に取材された労作である。
 上巻には当時の水俣の取材も含まれており、今そこにある地獄の中で、地元で多くの門徒をかかえる浄土真宗や、民間宗教者がどのように苦闘したかが記録されている。
 
 私が本書を手にした時には初出から20年が経過していたが、ほとんど違和感なく「現代」の内容として読み耽ったことを覚えている。
 そこから更に20年弱が経過した今読んでみても、多くの内容で「現代」そのものを感じる。

 70年代、90年代、2010年代の、とくにカルチャーの分野がよく似て見える理由は、なんとなく理解できる。
 70年代の文化を空気として呼吸した子供達は、90年代には青年となって表現する側にまわり、リバイバルの原動力になっただろう。
 70年代の青年は90年代には「先達」となって、日本各地に、何かを表現したい若者が集える「場」を作り上げていた。
 それから20年経った2010年代にも、同じようなスライドが起こっているのではないだろうか。

 昨今の反原発デモの映像の中に、年配の方々の表現を借りれば「ヒッピー風」の若者たちの姿がよく見られるのも、たぶんこうしたスライド現象が根底にあると思う。
 
 今につながる70年代の精神文化については、以下の本も非常に面白い。


●「終末期の密教―人間の全体的回復と解放の論理」稲垣足穂 梅原正紀(編)


 そして、最後に追記である。
 この本をここで紹介することには、ためらいがあった。
 内容の重さがお手軽なレビューを拒む本というものがあって、間違いなくこの本もそうした一冊だ。


●「黄泉の犬」藤原新也(文春文庫)

 本書の第一章は、水俣にほど近い海辺に生まれた、ある兄弟の物語から始まっている。
 その物語は、70年代と90年代、そして現在を結び、ミナマタからフクシマへと続く国と企業による「虐殺」を、地獄の側から凝視するものである。
 本書の存在が、読むべき人たちに十分認識されているとは言い難いのが残念でならないのだが、重すぎる内容が逆に足枷となってしまっているのはやむを得ないのかもしれない。 
 私は今の時点で、この本について詳しく書く準備ができていないのだが、ここまでのごく簡単な紹介でも、読む人が読めば何のテーマについて扱った本なのかピンとくることと思う。
 そういう人にはぜひ一度手に取って見てほしい一冊だ。
posted by 九郎 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする