もう12月か……
ともかく、記事投稿を。
散ってしまう前に紅葉を眺めることができたのは幸いだった。
通りすがりの公園でも、注意を払っていれば意外に色の良い葉を眺めることができる。
気に入った桜の落葉は、思わず持って帰りたくなるのだが、落ち葉は生もの。
持ち帰るまでの間に瑞々しさは抜け、魔法も解けてしまうとわかっている。
並べて眺めたら、そのまま立ち去るのがベスト。
生ものとしての落ち葉は、水に落ちるとけっこう長く鮮度が保たれることもある。
水が綺麗な場所なら、たまにハッとするほどの色彩が眺められる。
モミジはやっぱり紅葉の主役だ。
私はどちらかというと全部真っ赤になっているものより、視界の中で色の変化がある方が好きなのだが、それでも抜けるような青空を背景にした枝ぶりには燃えるような「赤」が映える。
紅葉は秋晴れの日差しとセットになったときがやっぱり一番だと思う。
木を下から逆光気味に眺め、日光を透過した時の色彩は絶品だ。
こういう色合を絵でも使ってみたいと思うのだが、まだ一回も成功していない。
多分、まだ紅葉を眺めた経験値が足りないせいだ。
いずれ来る「その日」のために、なるべく意識して秋の色彩を楽しむのだ。
2013年12月01日
2013年12月07日
公平な選挙制度についての妄想
果たしてこれが本当に「民意を反映した政治」なのだろうか?
柄にもなくあれこれ考える今日この頃。
意見の割れている法案を、中身の議論はそっちのけで強行採決。
続々と増税案が進行し、TPPもなし崩し。
さらにお手上げ状態の福一からは、毎日膨大な量の汚染水が垂れ流される中、原発再稼働の準備だけは着々と進められている。
今現在、衆参両院ともに自民党は圧倒的多数の議席を持っている。
しかしながら、一年前の衆院選後も分析してみたとおり、圧勝したはずの自民党は、惨敗した前々回の衆院選よりも獲得票数自体は減らしており、自民以外の一応脱原発を掲げる政党の合計得票数は、自民を上回っていた。
その上で、この現状である。
ぶっちゃけ、選挙制度がおかしい。様々な要素から結果として多数を握ることになった与党が、個別の政策について白紙委任状を受けたかのように振舞う様を見ると、小選挙区制の「民意の集約」という建前が、看板通りに機能していない。
以前の中選挙区制から現行の制度に変ってから、議員に自分の意見を述べない無個性な小人ばかり増えてきた印象がある。
訴訟にも発展している「一票の格差」の問題もある。
現状の区割りは、大雑把に言うと「過疎地の票が重く、人口密集地の票が軽い」ということになると思う。
あらゆる日本人成人に、等しく国政に参加する権利を与えるという前提に立てば、こうした格差は限りなく小さいに越したことはない。
それは大前提として正しいのだが、私はこの問題については、過疎地と人口密集地の間に一定の「ハンデ」があっても良いのではないかと思っている。
ただでさえ人口の多い都市部はインフラの面で激しく優遇されており、地方は切り捨てられつつある。
この上さらに地方選出議員の割合が減るのは、本当に公平なことなのだろうか?
私自身は今現在都市部に在住しているけれども、愛すべき日本の国土を守るという「国益」の観点に立てば、地方の過疎地の一票はもっと重くても良いとも思える。
同時に、「世代間のハンデ」も考慮しても良いのではないか?
人口が多く投票率の高い高齢者層と、少子化で今後有権者数自体が減少し、投票率も低い若年層の間に、何らかのバランスを考える必要は無いだろうか。
選挙権の獲得年齢を18歳まで引き下げるのも、若年層の政治参加を強化する一つの方法になるだろう。
その他、あらゆる面から「何が社会的公平か?」ということを、徹底的に議論し尽くさなければならないのではないだろうか。
そう言えば、昨年の衆院選後、鈴木邦男さんのブログで「一人五票制」という非常に刺激的な案が紹介されていた。
詳しくはリンク先を読んで欲しいのだが、該当部分を一部引用してご紹介。
この「一人五票」案をベースに、例えば過疎地なら一人七票とか、若年層なら一人八票とか、それぞれハンデを設けてみるのも面白いだろう。
……まあ、アホの戯言ですが。
柄にもなくあれこれ考える今日この頃。
意見の割れている法案を、中身の議論はそっちのけで強行採決。
続々と増税案が進行し、TPPもなし崩し。
さらにお手上げ状態の福一からは、毎日膨大な量の汚染水が垂れ流される中、原発再稼働の準備だけは着々と進められている。
今現在、衆参両院ともに自民党は圧倒的多数の議席を持っている。
しかしながら、一年前の衆院選後も分析してみたとおり、圧勝したはずの自民党は、惨敗した前々回の衆院選よりも獲得票数自体は減らしており、自民以外の一応脱原発を掲げる政党の合計得票数は、自民を上回っていた。
その上で、この現状である。
ぶっちゃけ、選挙制度がおかしい。様々な要素から結果として多数を握ることになった与党が、個別の政策について白紙委任状を受けたかのように振舞う様を見ると、小選挙区制の「民意の集約」という建前が、看板通りに機能していない。
以前の中選挙区制から現行の制度に変ってから、議員に自分の意見を述べない無個性な小人ばかり増えてきた印象がある。
訴訟にも発展している「一票の格差」の問題もある。
現状の区割りは、大雑把に言うと「過疎地の票が重く、人口密集地の票が軽い」ということになると思う。
あらゆる日本人成人に、等しく国政に参加する権利を与えるという前提に立てば、こうした格差は限りなく小さいに越したことはない。
それは大前提として正しいのだが、私はこの問題については、過疎地と人口密集地の間に一定の「ハンデ」があっても良いのではないかと思っている。
ただでさえ人口の多い都市部はインフラの面で激しく優遇されており、地方は切り捨てられつつある。
この上さらに地方選出議員の割合が減るのは、本当に公平なことなのだろうか?
私自身は今現在都市部に在住しているけれども、愛すべき日本の国土を守るという「国益」の観点に立てば、地方の過疎地の一票はもっと重くても良いとも思える。
同時に、「世代間のハンデ」も考慮しても良いのではないか?
人口が多く投票率の高い高齢者層と、少子化で今後有権者数自体が減少し、投票率も低い若年層の間に、何らかのバランスを考える必要は無いだろうか。
選挙権の獲得年齢を18歳まで引き下げるのも、若年層の政治参加を強化する一つの方法になるだろう。
その他、あらゆる面から「何が社会的公平か?」ということを、徹底的に議論し尽くさなければならないのではないだろうか。
そう言えば、昨年の衆院選後、鈴木邦男さんのブログで「一人五票制」という非常に刺激的な案が紹介されていた。
詳しくはリンク先を読んで欲しいのだが、該当部分を一部引用してご紹介。
自民に投票する人は、7割は自民がいてもいいが、社民や共産党も、ちょっと批判勢力としてあった方がいい。その方が暴走しないし、民主主義だ。そう思って投票している。
「だったら、そのバランスのある、個々人のシミュレーションをそのまま票に反映させたらいい」と岩國さんは言う。
一人一票なら出来ないが、一人五票なら出来る。
自分としては「自民に3、社民に1、維新に1」。これが日本政治の理想的な状況だと思ったら、そう投票したらいい。
共産党支持者でも、全部が共産党じゃ恐いな。じゃ、共産3にして、自民、社民を1ずつにしよう。…と。国家のグランドデザインを自分で描ける。夢があっていい話ではないか。大量の死に票も出ないし。
(以上、「鈴木邦男をぶっとばせ!」2012/12/24の記事より引用)
この「一人五票」案をベースに、例えば過疎地なら一人七票とか、若年層なら一人八票とか、それぞれハンデを設けてみるのも面白いだろう。
……まあ、アホの戯言ですが。
2013年12月20日
百均ボックスギター
民族楽器、とくに弦楽器が好きである。
エスニック雑貨店などに行くと、ついつい並んでいるオモチャ楽器に触ってみたくなる。
オモチャ楽器の自作なども度々やってきて、いくつかについてはこのカテゴリでも紹介してきた。
ギターについても、もうずっと長くいじって遊んできた。
ただ「趣味はギターです」と言えるほど、真剣に練習したことはない。
好きな歌を口ずさむときの伴奏程度だ。
そんな調子なので、ギターに類するお手軽な楽器があると、これまたついつい触ってみたくなる。
シガーボックスギターという種類の楽器があることを知ったのは、一年ほど前のこと。
昔、貧しいブルースマン達が手近にある葉巻の木箱をボディに、これも手近な棒材と組み合わせ、数本の針金を張って、簡単なギターを作って演奏していたのが起源だという。
終戦直後の沖縄で、空き缶に棒を突き刺し、パラシュートの紐をほどいて弦にしたという「カンカラ三線」と似た話だ。
検索してみるとけっこう人気のジャンルらしく、ハンドメイドしている人も多いようだ。
じゃあ、俺も一丁作ってみるか、という気分になった。
例によって、まずは雛形試作ということで、方針を立てる。
現代日本で安く手軽に工作を行う場合、最初に浮かぶ発想は「百均でなんとかならんかな?」ということだ。
ためしに近所のお店をぶらついてみると、あるある。
木箱もあるし、角材もある。
プラスチックの下敷きはピックガードに使えそうだし、ボンドや水性ニスもちゃんと売ってるじゃないですか。
ということで、できるかぎり百均素材ででっち上げてみたのが以下の代物。
弦だけは楽器屋で購入したが、それ以外の材料費は千円程になっただろうか。
木箱の真ん中を角材が貫通して強度を確保する構造になっているので、サウンドホールは斜めに避けてある。
一応ニス仕上げにしてみたが、音的には塗装前の方がいい感じで乾いていて良かったかもしれない。
ストラップは手持ちのものを装着してある。
指板のフレットは、手持ちのミニギターの中から比較的音程のしっかりしたものをそのまま写し取り、細めの竹ひごを貼り付けてみた。
写真ではギター用の金属弦を張ってあるが、スカスカの百均角材ではさすがに強度的に問題が出た。
音程が定まりにくくなったので、クラシックギター用のナイロン弦に張り替えると、なんとか鳴らして遊ぶくらいはできるようになった。
ボディの木箱は強度に関係しないので、百均で売っているようなもので十分だが、ネックの角材だけはホームセンター等でしっかりしたものを買ったほうが良さそうだ。
三本弦なので、音はギターと三味線の中間のような感じ。
ギターの2、3、4弦をチューニングもそのまま貼ってあるので、「レソシ」のオープンGになっている。
指一本で簡単なコード奏ができるし、ギターのコードもそのまま応用できる。
三味線や三線のチューニングにしてみても面白いかもしれない。
エスニック雑貨店などに行くと、ついつい並んでいるオモチャ楽器に触ってみたくなる。
オモチャ楽器の自作なども度々やってきて、いくつかについてはこのカテゴリでも紹介してきた。
ギターについても、もうずっと長くいじって遊んできた。
ただ「趣味はギターです」と言えるほど、真剣に練習したことはない。
好きな歌を口ずさむときの伴奏程度だ。
そんな調子なので、ギターに類するお手軽な楽器があると、これまたついつい触ってみたくなる。
シガーボックスギターという種類の楽器があることを知ったのは、一年ほど前のこと。
昔、貧しいブルースマン達が手近にある葉巻の木箱をボディに、これも手近な棒材と組み合わせ、数本の針金を張って、簡単なギターを作って演奏していたのが起源だという。
終戦直後の沖縄で、空き缶に棒を突き刺し、パラシュートの紐をほどいて弦にしたという「カンカラ三線」と似た話だ。
検索してみるとけっこう人気のジャンルらしく、ハンドメイドしている人も多いようだ。
じゃあ、俺も一丁作ってみるか、という気分になった。
例によって、まずは雛形試作ということで、方針を立てる。
現代日本で安く手軽に工作を行う場合、最初に浮かぶ発想は「百均でなんとかならんかな?」ということだ。
ためしに近所のお店をぶらついてみると、あるある。
木箱もあるし、角材もある。
プラスチックの下敷きはピックガードに使えそうだし、ボンドや水性ニスもちゃんと売ってるじゃないですか。
ということで、できるかぎり百均素材ででっち上げてみたのが以下の代物。
弦だけは楽器屋で購入したが、それ以外の材料費は千円程になっただろうか。
木箱の真ん中を角材が貫通して強度を確保する構造になっているので、サウンドホールは斜めに避けてある。
一応ニス仕上げにしてみたが、音的には塗装前の方がいい感じで乾いていて良かったかもしれない。
ストラップは手持ちのものを装着してある。
指板のフレットは、手持ちのミニギターの中から比較的音程のしっかりしたものをそのまま写し取り、細めの竹ひごを貼り付けてみた。
写真ではギター用の金属弦を張ってあるが、スカスカの百均角材ではさすがに強度的に問題が出た。
音程が定まりにくくなったので、クラシックギター用のナイロン弦に張り替えると、なんとか鳴らして遊ぶくらいはできるようになった。
ボディの木箱は強度に関係しないので、百均で売っているようなもので十分だが、ネックの角材だけはホームセンター等でしっかりしたものを買ったほうが良さそうだ。
三本弦なので、音はギターと三味線の中間のような感じ。
ギターの2、3、4弦をチューニングもそのまま貼ってあるので、「レソシ」のオープンGになっている。
指一本で簡単なコード奏ができるし、ギターのコードもそのまま応用できる。
三味線や三線のチューニングにしてみても面白いかもしれない。
2013年12月23日
先走る才能に追い付くということ
ちょっとだけ、「目利き」には自信がある。
骨董の鑑定などの本来の意味での「目利き」ではない。
まだあまり世に知られていない時期から目をつけ、ひそかに応援してきたマニアックな人物や作品が、だんだん日の目を見て行く様を我がことのように楽しんだ経験がけっこうあるのだ。
そんな中の一人に、冠徹弥(かんむり てつや)がいる。
名前だけでピンとくる人は、まだまだ少ないだろうから、略歴を紹介してみよう。
1971年生まれ、京都出身。
1991年にバンド「So What?」でメジャーデビュー。このデビューにはたしか聖飢魔Uが関わっていたはずで、信者だった私は当時から冠の存在は知っていたことになる。
2003年にはSo What?解散。
2000年代半ばごろからちょっと自虐的な「ヘビメタあるある」を、超絶ハイトーンシャウトにのせて歌いあげるキャラクターがハマりはじめ、演劇などにも活動の幅を広げていく。
私はこの時期からYouTube等で再発見。「ああ、まだ頑張ってたんだなあ」という感慨とともに、あまりのおもしろさに密かに応援しはじめていた
そして2010年、島田紳助に見出されて「行列のできる法律相談所」に出演。一気に知名度を上げ、今に至る。
マンガ「北斗の拳」に出てくるラオウの鉄兜をかぶったおもろいヘビメタあんちゃんの姿が記憶に残っている人も多いことだろう。
今年10月、ニューアルバムが発売されたという。
●「帰ってきたヘビーメタル」THE 冠
発売とともに公式ブログで、、気合の入った自己レビューが発表された。
詳しくはリンク先を読んで欲しいのだが、レビュー通りの「最高傑作」であると思う。
興味のある人は、以下に紹介する動画を参照!
新アルバムの聴きどころが、面白映像とともに余さず収録された出血大サービスの動画だ。
廃墟の夕日を背にした主人公のジャケットを見て、TV版「あしたのジョー2」後半のOPが元ネタだなと、すぐにわかる人間は即買いすべきアルバムである。
80年代のTVアニメやプロレス、MTVに親しんできた過去を持つおバカなアラフォー世代なら、かならずや満足できる一枚に仕上がっている。
長らくマニアックな「ヘビメタあるある」で楽しませてもらってきたのだが、ここにきて冠徹弥は完全に一皮むけた。
マニアだけに通じる閉ざされたネタの世界から、アラフォー男子感涙の「アラフォーメタル」にシフトすることで、作品の普遍性が飛躍的に増したのだ。
相変わらず安定のハイトーンシャウトにのせて歌われるのは、同世代の誰もが日々感じる怒りや切なさで、その組み合わせに全く違和感がない。
冠徹弥はデビュー当時から才気溢れるメタルボーカリストだった。
しかし、どこかそのあふれる才能だけが先走っているようで、観ていて非常にもどかしかったのだが、長い長い雌伏を経て、ついに歌うべきモチーフや世界観にきちんと出会ったのかもしれない。
マンガ「バキ」のセリフ回しを借りるなら、「溢れる才能に冠徹弥がついに追いついた!」ということになると思う。
いや、まだまだこんなもんではない。
冠徹弥にはまだこの先があるはずで、新作「帰ってきたヘビーメタル」は、その輝ける序章になるに違いないのだ。
そこそこ年くってもまったく衰えない超絶シャウト!
右肩上がりで今現在が全盛期!
すべての同世代のバカを背負って、突っ走れ!
骨董の鑑定などの本来の意味での「目利き」ではない。
まだあまり世に知られていない時期から目をつけ、ひそかに応援してきたマニアックな人物や作品が、だんだん日の目を見て行く様を我がことのように楽しんだ経験がけっこうあるのだ。
そんな中の一人に、冠徹弥(かんむり てつや)がいる。
名前だけでピンとくる人は、まだまだ少ないだろうから、略歴を紹介してみよう。
1971年生まれ、京都出身。
1991年にバンド「So What?」でメジャーデビュー。このデビューにはたしか聖飢魔Uが関わっていたはずで、信者だった私は当時から冠の存在は知っていたことになる。
2003年にはSo What?解散。
2000年代半ばごろからちょっと自虐的な「ヘビメタあるある」を、超絶ハイトーンシャウトにのせて歌いあげるキャラクターがハマりはじめ、演劇などにも活動の幅を広げていく。
私はこの時期からYouTube等で再発見。「ああ、まだ頑張ってたんだなあ」という感慨とともに、あまりのおもしろさに密かに応援しはじめていた
そして2010年、島田紳助に見出されて「行列のできる法律相談所」に出演。一気に知名度を上げ、今に至る。
マンガ「北斗の拳」に出てくるラオウの鉄兜をかぶったおもろいヘビメタあんちゃんの姿が記憶に残っている人も多いことだろう。
今年10月、ニューアルバムが発売されたという。
●「帰ってきたヘビーメタル」THE 冠
発売とともに公式ブログで、、気合の入った自己レビューが発表された。
詳しくはリンク先を読んで欲しいのだが、レビュー通りの「最高傑作」であると思う。
興味のある人は、以下に紹介する動画を参照!
新アルバムの聴きどころが、面白映像とともに余さず収録された出血大サービスの動画だ。
廃墟の夕日を背にした主人公のジャケットを見て、TV版「あしたのジョー2」後半のOPが元ネタだなと、すぐにわかる人間は即買いすべきアルバムである。
80年代のTVアニメやプロレス、MTVに親しんできた過去を持つおバカなアラフォー世代なら、かならずや満足できる一枚に仕上がっている。
長らくマニアックな「ヘビメタあるある」で楽しませてもらってきたのだが、ここにきて冠徹弥は完全に一皮むけた。
マニアだけに通じる閉ざされたネタの世界から、アラフォー男子感涙の「アラフォーメタル」にシフトすることで、作品の普遍性が飛躍的に増したのだ。
相変わらず安定のハイトーンシャウトにのせて歌われるのは、同世代の誰もが日々感じる怒りや切なさで、その組み合わせに全く違和感がない。
冠徹弥はデビュー当時から才気溢れるメタルボーカリストだった。
しかし、どこかそのあふれる才能だけが先走っているようで、観ていて非常にもどかしかったのだが、長い長い雌伏を経て、ついに歌うべきモチーフや世界観にきちんと出会ったのかもしれない。
マンガ「バキ」のセリフ回しを借りるなら、「溢れる才能に冠徹弥がついに追いついた!」ということになると思う。
いや、まだまだこんなもんではない。
冠徹弥にはまだこの先があるはずで、新作「帰ってきたヘビーメタル」は、その輝ける序章になるに違いないのだ。
そこそこ年くってもまったく衰えない超絶シャウト!
右肩上がりで今現在が全盛期!
すべての同世代のバカを背負って、突っ走れ!
2013年12月26日
2013年 去りゆく人々
残りわずかとなった今年2013年も、多くの著名な皆さんの訃報が相次いだ。
個人的に、とくに思い入れのある人々について、書き残しておきたい。
【金子隆一さん】
神仏与太話を標榜する当ブログ読者の皆さんにはあまり馴染みのない名前かもしれないが、とくに恐竜や古生物に造詣の深いサイエンスライターだった。
私は子供の頃から古生物ファンだったのだが、90年代ごろから金子隆一さんの著作がきっかけで、そのマニア心が再燃した。
●「新恐竜伝説」金子隆一(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
氏の主導する伝説の恐竜マガジン「恐竜学最前線」を舐めるように熟読し、文字通り古生物学の最前線に、子供のころ以来の知的好奇心を刺激される日々を過ごした。
ちょうどそのころ、一めぐり前の辰年には、こんな年賀状も作成した。
今思えば、私は古生物学という名の、精緻で魅力的な「創世神話」に心を躍らせていたのだろう。
今年8月、享年57歳。
早すぎる逝去だった。
【松田隆智さん】
中国拳法の研究家で、自身も様々な武術を身につけておられた。
ご本人も認めておられた通り、一般的な代表作はやはりマンガ「拳児」になるだろう。
私も中高生の頃、少年サンデーに連載されていたこの作品をリアルタイムで読み、のちに松田隆智さんの著書も読むようになった。
●「拳児」原作:松田隆智 マンガ:藤原芳秀
拳法や武術をテーマにしたマンガは数あれど、描かれた武術に本物のリアルさを感じさせられるものは数少なく、この作品はその頂点に位置するだろう。
武術描写のリアルさだけでなく、一人の少年の成長物語としても素晴らしい。
力を身につけることは戦いを招き寄せることにもつながるのだが、力の魔力に飲み込まれることなく、まっすぐな心を持ち続けることの大切さが、繰り返し描かれている。
武術に限らず何かを身につけようとするとき、その精神において注意すべき示唆が全編にちりばめられているので、志のある少年少女はこの作品に目を通すべきだと思う。
また、台湾や中国本土に今も残る、互助的なネットワークの描写も非常に興味深い。
【三國連太郎さん】
このブログを続けてくる過程で、私は徐々に宗教・信仰と芸能の関係について、理解できるようになってきた。
古代から中世、近世、そして現代まで続く芸能の世界を考えるとき、以下の三人の「芸能人」の著書が非常に重要であることが分かってきた。
三波春夫
小沢昭一
そして、三國連太郎
三人のうち、存命だった三國連太郎さんも今年お亡くなりになってしまった。
映画俳優としては、以前紹介した「大鹿村騒動記」が、遺作から数えて二つ目にあたるようだ。
著書も数多いが、沖浦和光という異能の聞き手を得て、三國連太郎が自身の出自から語り起こした以下の対談本が、私は一番好きだ。
●「「芸能と差別」の深層」三国連太郎・沖浦和光対談 (ちくま文庫)
【やなせたかしさん】
いわずとしれた「アンパンマン」の作者である。
この方も、異能の人だった。
マンガ家のイメージが強いが、詩人であり、絵本作家であり、紙芝居作家であり、舞台美術もこなしておられたそうで、まさに「芸能人」だったのだろう。
作詞家としても「手のひらを太陽に」という名作を残しているし、アンパンマンの主題歌や挿入歌も数多く手掛けておられ、どれも大人が聞いても素晴らしい作品ばかりだ。
94歳でお亡くなりになる直前まで、バリバリの現役だったのも凄すぎる。
過ぎゆく年に、しばし黙祷。
個人的に、とくに思い入れのある人々について、書き残しておきたい。
【金子隆一さん】
神仏与太話を標榜する当ブログ読者の皆さんにはあまり馴染みのない名前かもしれないが、とくに恐竜や古生物に造詣の深いサイエンスライターだった。
私は子供の頃から古生物ファンだったのだが、90年代ごろから金子隆一さんの著作がきっかけで、そのマニア心が再燃した。
●「新恐竜伝説」金子隆一(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
氏の主導する伝説の恐竜マガジン「恐竜学最前線」を舐めるように熟読し、文字通り古生物学の最前線に、子供のころ以来の知的好奇心を刺激される日々を過ごした。
ちょうどそのころ、一めぐり前の辰年には、こんな年賀状も作成した。
今思えば、私は古生物学という名の、精緻で魅力的な「創世神話」に心を躍らせていたのだろう。
今年8月、享年57歳。
早すぎる逝去だった。
【松田隆智さん】
中国拳法の研究家で、自身も様々な武術を身につけておられた。
ご本人も認めておられた通り、一般的な代表作はやはりマンガ「拳児」になるだろう。
私も中高生の頃、少年サンデーに連載されていたこの作品をリアルタイムで読み、のちに松田隆智さんの著書も読むようになった。
●「拳児」原作:松田隆智 マンガ:藤原芳秀
拳法や武術をテーマにしたマンガは数あれど、描かれた武術に本物のリアルさを感じさせられるものは数少なく、この作品はその頂点に位置するだろう。
武術描写のリアルさだけでなく、一人の少年の成長物語としても素晴らしい。
力を身につけることは戦いを招き寄せることにもつながるのだが、力の魔力に飲み込まれることなく、まっすぐな心を持ち続けることの大切さが、繰り返し描かれている。
武術に限らず何かを身につけようとするとき、その精神において注意すべき示唆が全編にちりばめられているので、志のある少年少女はこの作品に目を通すべきだと思う。
また、台湾や中国本土に今も残る、互助的なネットワークの描写も非常に興味深い。
【三國連太郎さん】
このブログを続けてくる過程で、私は徐々に宗教・信仰と芸能の関係について、理解できるようになってきた。
古代から中世、近世、そして現代まで続く芸能の世界を考えるとき、以下の三人の「芸能人」の著書が非常に重要であることが分かってきた。
三波春夫
小沢昭一
そして、三國連太郎
三人のうち、存命だった三國連太郎さんも今年お亡くなりになってしまった。
映画俳優としては、以前紹介した「大鹿村騒動記」が、遺作から数えて二つ目にあたるようだ。
著書も数多いが、沖浦和光という異能の聞き手を得て、三國連太郎が自身の出自から語り起こした以下の対談本が、私は一番好きだ。
●「「芸能と差別」の深層」三国連太郎・沖浦和光対談 (ちくま文庫)
【やなせたかしさん】
いわずとしれた「アンパンマン」の作者である。
この方も、異能の人だった。
マンガ家のイメージが強いが、詩人であり、絵本作家であり、紙芝居作家であり、舞台美術もこなしておられたそうで、まさに「芸能人」だったのだろう。
作詞家としても「手のひらを太陽に」という名作を残しているし、アンパンマンの主題歌や挿入歌も数多く手掛けておられ、どれも大人が聞いても素晴らしい作品ばかりだ。
94歳でお亡くなりになる直前まで、バリバリの現役だったのも凄すぎる。
過ぎゆく年に、しばし黙祷。
2013年12月28日
battleとwar
「織田信長はbattleに弱い」
↑こう書くと、戦国ファンの多数派を占める信長ファンに怒られそうだ。
このブログの管理人は石山合戦で本願寺方にハマっているせいで、信長の悪口を言ってばかりいる、、、
そんな風に顔をしかめられそうだ。
では、こう書くとどうだろう?
「信長はbattleには弱いけれどもwarには強い」
これで少しは記事を読む意欲を持ってもらえるかもしれない。
ここでいうbattleは「局地戦」、warは「戦争」というニュアンスになる。
通常、戦国時代の合戦譚と言えば、イメージされるのは弓鉄砲や槍刀を持って行われる個々の戦闘、局地戦のことだろう。
battleの部分はやっぱり絵になるし、戦国合戦の華であるから、小説やマンガ、映画でも描写の中心になりやすい。
しかし、本当の意味で複数の国の間の趨勢が決まるのは、そうした個々の「戦闘、局地戦」ではなく、より規模の大きな「戦争」においてであるし、もっと本質的には統治のあり方や外交の次元においてである。
話を戻すと、史実を見てみれば、織田信長はbattleの次元ではあまり強くない。
信玄の率いる武田軍や謙信率いる上杉軍、それに雑賀衆などの、戦国最強クラスのbattle熟練集団には、局地戦でほとんど勝てていない。
個々の戦闘でなかなか勝てなかったからこそ、経済力にものを言わせ、圧倒的な物量と政治・外交の力で相手を封じ込める戦略を取らざるを得なかったのだが、結果的にはそのことが天下一統の要因とすることができた。
battleとwar、織田信長と鉄砲については、以下の本に詳細に述べられている。
●「鉄砲と日本人―『鉄砲神話』が隠してきたこと」鈴木真哉(ちくま学芸文庫)
戦国時代の真相についての考察を、多く送り出している著者である。
読みやすい新書版が多数あるが、内容に重複が多いので、一番まとまっている主著の一つを紹介しておきたい。
鉄砲戦術に強い著者であるが、独特の「言い切り」の多い語り口には毀誉褒貶が激しい。
しかしながら、「戦国合戦は弓鉄砲などの遠戦兵器が主体であった」とか「織田軍の鉄砲隊は過大評価されている」とか「いわゆる武田の騎馬軍団は存在しなかった」と言った論旨自体には、大筋で合意が形成されつつあるのではないだろうか。
戦国ファンなら一冊は目を通しておいて損のない著者だと思う。
上掲の本ではごく簡単にbattleとwarの違いについて触れてあるだけだが、もう少し考えを進めてみると、両者は歴然と分かれるものではなく、間にグラデーションがあると思う。
個々の合戦であっても、戦場に存在する人数が数百から数千であればbattleの範疇に入るだろうが、数万を超える規模になると、経済力が絡んでくるのでwarの要素が強くなってくるだろう。
多数の鉄砲が持ち込まれる合戦は、双方にそれなりの経済力が必要になってくるのでwarに近づく。
大規模な攻城戦ともなれば、双方の政治・外交戦略の要素が強く出てくるので、battleというよりはwarそのものになってくる。
織田信長の戦歴でいえば、尾張国内をまとめるまでの小規模な戦がbattleにあたるだろう。
信長は国内を制圧するのにかなり手間取っている。
国外にまで信長の名をとどろかせた「桶狭間の合戦」はbattleの範囲内であっただろうけれども、信長が少数の手勢で多数の敵方を打ち破った例は、この合戦以外にはほとんどない。
国内の制圧に手間取り、桶狭間で危ない橋を渡った経験が、信長をbattle的な発想から、経済力を基盤としたwar的な手法へ傾斜させていったのではないだろうか。
信長と言えば戦の名手、織田軍と言えば戦国最強というイメージが強いと思うが、実際の強みは、経済力にものを言わせ、戦上手な相手を物量で圧倒し、手こずれば何年でも粘って勝つまでやめないという身も蓋もない手法だ。
だから武田、上杉に対しては信玄、謙信が死ぬまで積極的には戦おうとしなかったし、信長と同等以上に経済力があり、政治・外交にも強い本願寺に対しては、十年以上かけてじわじわ孤立させていった。
このように考えると、信長の独創性が等身大で理解できてくるのではないだろうか。
↑こう書くと、戦国ファンの多数派を占める信長ファンに怒られそうだ。
このブログの管理人は石山合戦で本願寺方にハマっているせいで、信長の悪口を言ってばかりいる、、、
そんな風に顔をしかめられそうだ。
では、こう書くとどうだろう?
「信長はbattleには弱いけれどもwarには強い」
これで少しは記事を読む意欲を持ってもらえるかもしれない。
ここでいうbattleは「局地戦」、warは「戦争」というニュアンスになる。
通常、戦国時代の合戦譚と言えば、イメージされるのは弓鉄砲や槍刀を持って行われる個々の戦闘、局地戦のことだろう。
battleの部分はやっぱり絵になるし、戦国合戦の華であるから、小説やマンガ、映画でも描写の中心になりやすい。
しかし、本当の意味で複数の国の間の趨勢が決まるのは、そうした個々の「戦闘、局地戦」ではなく、より規模の大きな「戦争」においてであるし、もっと本質的には統治のあり方や外交の次元においてである。
話を戻すと、史実を見てみれば、織田信長はbattleの次元ではあまり強くない。
信玄の率いる武田軍や謙信率いる上杉軍、それに雑賀衆などの、戦国最強クラスのbattle熟練集団には、局地戦でほとんど勝てていない。
個々の戦闘でなかなか勝てなかったからこそ、経済力にものを言わせ、圧倒的な物量と政治・外交の力で相手を封じ込める戦略を取らざるを得なかったのだが、結果的にはそのことが天下一統の要因とすることができた。
battleとwar、織田信長と鉄砲については、以下の本に詳細に述べられている。
●「鉄砲と日本人―『鉄砲神話』が隠してきたこと」鈴木真哉(ちくま学芸文庫)
戦国時代の真相についての考察を、多く送り出している著者である。
読みやすい新書版が多数あるが、内容に重複が多いので、一番まとまっている主著の一つを紹介しておきたい。
鉄砲戦術に強い著者であるが、独特の「言い切り」の多い語り口には毀誉褒貶が激しい。
しかしながら、「戦国合戦は弓鉄砲などの遠戦兵器が主体であった」とか「織田軍の鉄砲隊は過大評価されている」とか「いわゆる武田の騎馬軍団は存在しなかった」と言った論旨自体には、大筋で合意が形成されつつあるのではないだろうか。
戦国ファンなら一冊は目を通しておいて損のない著者だと思う。
上掲の本ではごく簡単にbattleとwarの違いについて触れてあるだけだが、もう少し考えを進めてみると、両者は歴然と分かれるものではなく、間にグラデーションがあると思う。
個々の合戦であっても、戦場に存在する人数が数百から数千であればbattleの範疇に入るだろうが、数万を超える規模になると、経済力が絡んでくるのでwarの要素が強くなってくるだろう。
多数の鉄砲が持ち込まれる合戦は、双方にそれなりの経済力が必要になってくるのでwarに近づく。
大規模な攻城戦ともなれば、双方の政治・外交戦略の要素が強く出てくるので、battleというよりはwarそのものになってくる。
織田信長の戦歴でいえば、尾張国内をまとめるまでの小規模な戦がbattleにあたるだろう。
信長は国内を制圧するのにかなり手間取っている。
国外にまで信長の名をとどろかせた「桶狭間の合戦」はbattleの範囲内であっただろうけれども、信長が少数の手勢で多数の敵方を打ち破った例は、この合戦以外にはほとんどない。
国内の制圧に手間取り、桶狭間で危ない橋を渡った経験が、信長をbattle的な発想から、経済力を基盤としたwar的な手法へ傾斜させていったのではないだろうか。
信長と言えば戦の名手、織田軍と言えば戦国最強というイメージが強いと思うが、実際の強みは、経済力にものを言わせ、戦上手な相手を物量で圧倒し、手こずれば何年でも粘って勝つまでやめないという身も蓋もない手法だ。
だから武田、上杉に対しては信玄、謙信が死ぬまで積極的には戦おうとしなかったし、信長と同等以上に経済力があり、政治・外交にも強い本願寺に対しては、十年以上かけてじわじわ孤立させていった。
このように考えると、信長の独創性が等身大で理解できてくるのではないだろうか。
2013年12月30日
ブログ開設8周年
なんだかんだで8周年です。
2013年は思ったより記事が投稿できませんでしたが、まだまだ語り残しはありますので、ぼちぼち続けていきます。
今年はおそらくこれが最後の更新になるでしょう。
皆様、よいお年を!