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2013年12月07日

公平な選挙制度についての妄想

 果たしてこれが本当に「民意を反映した政治」なのだろうか?
 柄にもなくあれこれ考える今日この頃。
 意見の割れている法案を、中身の議論はそっちのけで強行採決。
 続々と増税案が進行し、TPPもなし崩し。
 さらにお手上げ状態の福一からは、毎日膨大な量の汚染水が垂れ流される中、原発再稼働の準備だけは着々と進められている。
 
 今現在、衆参両院ともに自民党は圧倒的多数の議席を持っている。
 しかしながら、一年前の衆院選後も分析してみたとおり、圧勝したはずの自民党は、惨敗した前々回の衆院選よりも獲得票数自体は減らしており、自民以外の一応脱原発を掲げる政党の合計得票数は、自民を上回っていた。
 その上で、この現状である。
 ぶっちゃけ、選挙制度がおかしい。様々な要素から結果として多数を握ることになった与党が、個別の政策について白紙委任状を受けたかのように振舞う様を見ると、小選挙区制の「民意の集約」という建前が、看板通りに機能していない。
 以前の中選挙区制から現行の制度に変ってから、議員に自分の意見を述べない無個性な小人ばかり増えてきた印象がある。

 訴訟にも発展している「一票の格差」の問題もある。
 現状の区割りは、大雑把に言うと「過疎地の票が重く、人口密集地の票が軽い」ということになると思う。
 あらゆる日本人成人に、等しく国政に参加する権利を与えるという前提に立てば、こうした格差は限りなく小さいに越したことはない。
 それは大前提として正しいのだが、私はこの問題については、過疎地と人口密集地の間に一定の「ハンデ」があっても良いのではないかと思っている。
 ただでさえ人口の多い都市部はインフラの面で激しく優遇されており、地方は切り捨てられつつある。
 この上さらに地方選出議員の割合が減るのは、本当に公平なことなのだろうか?
 私自身は今現在都市部に在住しているけれども、愛すべき日本の国土を守るという「国益」の観点に立てば、地方の過疎地の一票はもっと重くても良いとも思える。
 同時に、「世代間のハンデ」も考慮しても良いのではないか?
 人口が多く投票率の高い高齢者層と、少子化で今後有権者数自体が減少し、投票率も低い若年層の間に、何らかのバランスを考える必要は無いだろうか。
 選挙権の獲得年齢を18歳まで引き下げるのも、若年層の政治参加を強化する一つの方法になるだろう。
 その他、あらゆる面から「何が社会的公平か?」ということを、徹底的に議論し尽くさなければならないのではないだろうか。

 そう言えば、昨年の衆院選後、鈴木邦男さんのブログで「一人五票制」という非常に刺激的な案が紹介されていた。
 詳しくはリンク先を読んで欲しいのだが、該当部分を一部引用してご紹介。

 自民に投票する人は、7割は自民がいてもいいが、社民や共産党も、ちょっと批判勢力としてあった方がいい。その方が暴走しないし、民主主義だ。そう思って投票している。
「だったら、そのバランスのある、個々人のシミュレーションをそのまま票に反映させたらいい」と岩國さんは言う。
 一人一票なら出来ないが、一人五票なら出来る。
 自分としては「自民に3、社民に1、維新に1」。これが日本政治の理想的な状況だと思ったら、そう投票したらいい。
 共産党支持者でも、全部が共産党じゃ恐いな。じゃ、共産3にして、自民、社民を1ずつにしよう。…と。国家のグランドデザインを自分で描ける。夢があっていい話ではないか。大量の死に票も出ないし。

(以上、「鈴木邦男をぶっとばせ!」2012/12/24の記事より引用)


 この「一人五票」案をベースに、例えば過疎地なら一人七票とか、若年層なら一人八票とか、それぞれハンデを設けてみるのも面白いだろう。



 ……まあ、アホの戯言ですが。
posted by 九郎 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする