2014年01月29日

あるシャンソン歌手のこと

 私がその歌手を知ったのは、もうはるか昔、確か中学生の頃だったと思う。
 当時、ラジオの深夜放送をよく聴いていた。
 今時の中高生の夜の過ごし方はまた違うのだろうけれども、その頃は若者向けの深夜番組が全盛期だったのだ。
 特に好きな番組が週にいくつかあって、うち一つがその歌手の司会だった。
 ジャンル分けするならば公開録音の音楽ライブ番組ということになるだろう。
 司会のその歌手と、これまた歌手である女性アシスタントが、毎週招かれるゲストミュージシャンをライブ演奏を交えながら軽妙に紹介するといった体だった。
 ホストである歌手コンビ二人のしゃべりが、そんじょそこらのお笑い芸人では太刀打ちできないほどに面白く、リスナーはゲストのライブと言うよりは司会コンビのトーク目当てに番組を聴いていた。
 司会コンビは「本業」の歌手としての実力も折り紙付きで、たまに番組内で歌を披露した際にはゲストミュージシャンを完全に食ってしまうこともあった。
 後にTVの世界でも活躍することになるその歌手だが、当時はまだそれほど知られていなかった。
 番組が関西ローカルだったこともあり、ゲストの中にはトーク内容からはじめて司会者が歌手であるらしいことを知り、驚愕する人もいたりした。
「さすが関西、面白いアナウンサーの人がいると思っていたら、歌手!?」
 というわけだ。
 お笑い芸人ではなくアナウンサーと勘違いされたのは、眼鏡をかけた地味目の風貌のせいだろうか。

 その歌手は、トークの中でよくシャンソンへの思い入れを語り、時には歌っていた。
 今から思い返してみると、歌としゃべり両方いける「芸風」は、シャンソンへの思い入れと不可分だったのだろうと思う。
 ささやきから朗々とした歌いあげの声量の幅、語りと歌の自在の緩急のつけ方は、シャンソンというジャンルの面白さそのものでもあるのだ。
 ある時、番組内でその歌手が歌ったシャンソン曲「O Toi La Vie(おお我が人生)」は、本当に素晴らしかった。
 音質の悪いAM放送であったにも関わらず、いつまでもしみじみと記憶に残る歌声だった。

 それから十年以上経って、格闘マンガ「バキ」の中で、ドリアンという死刑囚キャラが、闘いながらこの歌をうたいあげている強烈なシーンがあった。
 私の脳内では当然のようにその歌手の声で再生されていた。
 それからずっと、その歌手のうたう「O Toi La Vie」の音源を探しているのだが、まだ見つけられていない。

 マイナーな番組で惜しみなく披露される極上の歌としゃべりのギャップに、中学生の私は夢中だった。
 当時のその歌手には、場末で飲んだくれている手練れの素浪人といった風情があり、大人のかっこよさとはこういうことかと感じていた。
 後に活躍の場がTVへ移ると、無頼のキャラクターとしゃべりの面が強調されていき、シャンソンの歌い手としての面はあまり表にでなくなった。
 もちろん歌は続けていたのだろうけれども、公共放送の中ではその割合は減っていった。
 実力に周囲の評価が追い付き、活躍の場がメジャーになっていくにつれ、私が好きだった場末の凄腕浪人の佇まいは薄れていってしまったのだが、これはご自身の問題ではない。


 その歌手、やしきたかじんさんが、先頃お亡くなりになってしまった。
 機会があればもう一度、「O Toi La Vie」が聴きたかったのだが、もうそれもかなわなくなった。
 そういえば、死蔵している録音テープの中に、もしかしたらあの歌声が残っているかもしれない。
 磁気テープが朽ちる前に、ぼちぼち探してみようか……
posted by 九郎 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | カミノオトズレ | 更新情報をチェックする