3月である。
体調を崩しやすい時期に差し掛かった。
特に注意すべきは腹痛だ。
睡眠時間の確保、食事内容に関心を払うこと。
そろそろ花粉症も出てくる時期だ。
去年の花粉症は私史上最悪の強烈なもので、2月半ばくらいからもう始まっていたのだが、今年はまだ症状は出ていない。
例年、3月に入ったらアクセルをドカンと踏み込んだように症状が出てくる。
ところが今年は、わずかに瞼などの花粉センサーに反応は出ているものの、まだ対処が必要なほどではない。
もう3月に突入いているのにこの平穏はちょっと不気味だ(笑)
そう言えば、現在継続中のゆるい糖質制限は、花粉症の症状緩和にも効果が期待できるそうなのだが、もしかしてすでに効いているのだろうか?
花粉の飛散量自体が少ないのかもしれない。
まずは様子見。
体重は現在8キロ減。
一応の目標はあと二カ月で2キロ減なので、あいかわらず良いペースで進んでいる。
とくに「我慢」しているわけではないので、無理なく達成できそうだ。

2014年03月01日
2014年03月02日
2014年03月05日
おりがみ雛人形2014 大名籠
記事にするのが遅れてしまいましたが、まだ旧暦3月3日には間があるということで……
当ブログで毎年じわじわ作り続けているおりがみ雛人形シリーズです。
これまでのまとめはこちら。
今年は小道具の一つとして、「大名籠」を折ってみました。

15センチの100均千代紙から適当な柄のものを選んで折ってみました。
基本は折り鶴なので、手のひらサイズのものができます。
折り方は以下の本を参照。
伝承おりがみの「籠」を多少改良した作品のようですね。
●「おりがみ日本の四季 (新・おりがみランド)」桃谷好英
これまでにも何度か紹介してきた本の改訂版で、こちらの方が掲載されている折り方が増えているようです。
当ブログで毎年じわじわ作り続けているおりがみ雛人形シリーズです。
これまでのまとめはこちら。
今年は小道具の一つとして、「大名籠」を折ってみました。

15センチの100均千代紙から適当な柄のものを選んで折ってみました。
基本は折り鶴なので、手のひらサイズのものができます。
折り方は以下の本を参照。
伝承おりがみの「籠」を多少改良した作品のようですね。
●「おりがみ日本の四季 (新・おりがみランド)」桃谷好英
これまでにも何度か紹介してきた本の改訂版で、こちらの方が掲載されている折り方が増えているようです。
2014年03月11日
2014年03月14日
パワーバランスとしての「心情左翼」
今週はじめ、期日前にちょっとだけ余裕を持って確定申告完了。
私にしては上出来である。
絵描きなのでこーゆー公的な書面作成は最も苦手としている。
「絵描きなので」などと書くと他の絵描きの皆さんに失礼だと思われるかもしれないが、さにあらず。
私の知り合いの絵描きは軒並みこの時期渋い顔をしている。
絵描きにしては性格的にかなりきちんとしており、諸事卒なくこなす人であっても、公的な書面作成の場面になると急にそわそわしだしたり、書き損じなどの普段考えられないミスを連発したりする。
私の中では、自分も含めて「絵描き=根本的にはダメ人間」という公理が抜きがたく存在する。
(もし、自分は絵描きだが公的手続きも平気だという人がいたらゴメンナサイ!)
そもそも、こうした公的手続きがきちんとできる人は、絵を描くなどというなんの益にもならぬ行為に手を染めたりしないのではないか。
そんな無駄な時間があれば、他にもっと実利的なことをするのだろう。
能力の問題というよりは、性格の問題なのだ。
私も国税のHPでの書面作成作業自体は、一旦はじめてしまえばなんとか完遂する事はできる。
問題はその作業に取りかかるまでに要する、ぐずぐずだらだらした膨大な逡巡の時間である。
年末から1月にかけて、確定申告に必要な書類が徐々に送付されてくると、ちょっと浮き足立ってくる。
期日が迫ってきてもうこれ以上延ばせなくなってきてはじめて、一念発起して書類と向き合う。
この十年ほどは確定申告用のソフトを使ったり、国税のHPの文書作成フォームを利用することにより、心理的肉体的圧迫は大幅に低減された。
それでも作業開始直前には「うら〜ら〜ら〜ら〜〜〜!」などと意味不明の雄叫びを上げながら、ともすれば萎えそうになる心を奮い立たせてことにあたる。
アホである。
ただ、「税」に関する手続きへのこうした心理的抵抗は、持っていることこそが真っ当であるとも考えている。
健康保険料や年金を含めた「税」は、本質的には893のミカジメ料と何ら変わることはない。
法的な裏付けがあるかどうかだけの違いであって、身銭を切った分以上の「見返り」が保証されなければ、たやすく「徴税」は「恐喝」と化し、納税意識が低くなるのは当然のことだ。
年金などは構造的に破綻することが織り込み済みなのに、安くない金を「合法的に」強制徴収されているのだから非常に悪質である。
また、徴収された税金が湯水のように史上最悪の公害企業である東電救済に注ぎ込まれ、原発再稼働が画策される現状には反吐の出る思いもする。
893のことを「反社会」とレッテルをはるのが最近の報道の定番だが、実際のアウトローは社会の矛盾にぶら下がる程度のことはできても、社会それ自体を破壊するほどの力は持ちえない。
本当に社会が破壊されるのは、「合法的な官」が腐敗した場合だけである。
国を破るのはいつの時代も「法」と「官」なのだ。
この時期になると、「左翼マンガ」と表現される作品を読みたくなる。
青木雄二「ナニワ金融道」、中沢啓治「はだしのゲン」、白土三平「カムイ伝」などなど。
何かと短絡的なレッテルを貼られがちな作者たちだが、私にとってはいくつになっても感覚的にフィットする大切なマンガ作品だ。
主張は左翼的でありながら、作者自身は左翼組織とはまったく馴染めない一匹狼気質であり、あくまで地べたを這いずる個人として語り、闘い抜いてきたことも共通していて、そんなところがまた良い。
弱肉強食、経済格差の広がる今の日本には、「弱きを助け、強きを挫く」という素朴な心情左翼の感性が、パワーバランスとしてもっともっと必要だと思うのだ。
●「ゼニの人間学」青木雄二(ロング新書)
●「はだしのゲン自伝」中沢啓治(教育史料出版会)
●「白土三平論」四方田犬彦(ちくま文庫)
私にしては上出来である。
絵描きなのでこーゆー公的な書面作成は最も苦手としている。
「絵描きなので」などと書くと他の絵描きの皆さんに失礼だと思われるかもしれないが、さにあらず。
私の知り合いの絵描きは軒並みこの時期渋い顔をしている。
絵描きにしては性格的にかなりきちんとしており、諸事卒なくこなす人であっても、公的な書面作成の場面になると急にそわそわしだしたり、書き損じなどの普段考えられないミスを連発したりする。
私の中では、自分も含めて「絵描き=根本的にはダメ人間」という公理が抜きがたく存在する。
(もし、自分は絵描きだが公的手続きも平気だという人がいたらゴメンナサイ!)
そもそも、こうした公的手続きがきちんとできる人は、絵を描くなどというなんの益にもならぬ行為に手を染めたりしないのではないか。
そんな無駄な時間があれば、他にもっと実利的なことをするのだろう。
能力の問題というよりは、性格の問題なのだ。
私も国税のHPでの書面作成作業自体は、一旦はじめてしまえばなんとか完遂する事はできる。
問題はその作業に取りかかるまでに要する、ぐずぐずだらだらした膨大な逡巡の時間である。
年末から1月にかけて、確定申告に必要な書類が徐々に送付されてくると、ちょっと浮き足立ってくる。
期日が迫ってきてもうこれ以上延ばせなくなってきてはじめて、一念発起して書類と向き合う。
この十年ほどは確定申告用のソフトを使ったり、国税のHPの文書作成フォームを利用することにより、心理的肉体的圧迫は大幅に低減された。
それでも作業開始直前には「うら〜ら〜ら〜ら〜〜〜!」などと意味不明の雄叫びを上げながら、ともすれば萎えそうになる心を奮い立たせてことにあたる。
アホである。
ただ、「税」に関する手続きへのこうした心理的抵抗は、持っていることこそが真っ当であるとも考えている。
健康保険料や年金を含めた「税」は、本質的には893のミカジメ料と何ら変わることはない。
法的な裏付けがあるかどうかだけの違いであって、身銭を切った分以上の「見返り」が保証されなければ、たやすく「徴税」は「恐喝」と化し、納税意識が低くなるのは当然のことだ。
年金などは構造的に破綻することが織り込み済みなのに、安くない金を「合法的に」強制徴収されているのだから非常に悪質である。
また、徴収された税金が湯水のように史上最悪の公害企業である東電救済に注ぎ込まれ、原発再稼働が画策される現状には反吐の出る思いもする。
893のことを「反社会」とレッテルをはるのが最近の報道の定番だが、実際のアウトローは社会の矛盾にぶら下がる程度のことはできても、社会それ自体を破壊するほどの力は持ちえない。
本当に社会が破壊されるのは、「合法的な官」が腐敗した場合だけである。
国を破るのはいつの時代も「法」と「官」なのだ。
この時期になると、「左翼マンガ」と表現される作品を読みたくなる。
青木雄二「ナニワ金融道」、中沢啓治「はだしのゲン」、白土三平「カムイ伝」などなど。
何かと短絡的なレッテルを貼られがちな作者たちだが、私にとってはいくつになっても感覚的にフィットする大切なマンガ作品だ。
主張は左翼的でありながら、作者自身は左翼組織とはまったく馴染めない一匹狼気質であり、あくまで地べたを這いずる個人として語り、闘い抜いてきたことも共通していて、そんなところがまた良い。
弱肉強食、経済格差の広がる今の日本には、「弱きを助け、強きを挫く」という素朴な心情左翼の感性が、パワーバランスとしてもっともっと必要だと思うのだ。
●「ゼニの人間学」青木雄二(ロング新書)
●「はだしのゲン自伝」中沢啓治(教育史料出版会)
●「白土三平論」四方田犬彦(ちくま文庫)
2014年03月15日
魔導書降臨! 生ョ範義展図録
送付されてきた!!!
以前にも記事にしたイラストレーター生ョ範義(おうらい のりよし)展の図録である。
私が最もリスペクトするイラストレーターの一人が生ョ範義先生で、展示とあれば是非とも駆けつけたいところなのだが、なにせ九州開催・・・・・
せめて図録だけでも手に入れようと思ったのだが、その時点で通販の受付はすでに終了していた。
3月1日から始まった二次受付になんとか滑り込みで間に合い、待ち焦がれていた図録が送付されてきたのだ。
じっくり見る。
じっくり視る。
じっくり観る。
色々記憶がよみがえってくる。
私が「生ョ範義」というやや難読の名を、その独特の強烈な作風とつなげて認識したのは中高生の頃だった。
当時の私はSF作家・平井和正の作品に耽溺しており、その頃の平井作品の挿画の大半を担当していたのが生ョ範義だったのだ。
日本人が描いたとは思えないような重厚で豪華な画風に圧倒され、表紙絵等のバージョン違いのためだけに平井作品を買い漁ったりしたことを、懐かしく思い出す。
そこから遡って、それ以前に接した吉川英治の三国志イラストや、映画「スターウォーズ」のポスターなども氏が手がけた作品であったことを知り、驚愕した。
当時から自分でも絵を描いていた私は、その画風の万分の一でも吸収しようと、油絵のように厚塗りできるリキテックスを買い込み、修練に励んだ。
とくに「幻魔大戦」シリーズの荒々しいタッチの表紙絵は、生ョイラストの表現上の特徴がよく表れていて参考になった。
例えば以下のようなイラストには、はるかに時の流れた私の画風にもその影響が残っている気がする。
(あくまで「影響」ですよ……)


遅ればせながらCGで描くようになってからも、私はあまり多くの機能は使わず、どこか「手描き」風味にこだわり続けているが、その源流が生ョ範義先生にあることは間違いない。
今回の図録、過去に出版された作品集に寄せたご自身の言葉なども収録されている。
そう言えば私が学生の頃、図書館で1980年代に出版された画集を見つけ、何度もくり返し借りたり、飽きずに閲覧し続けたりしたことも思い出す。
多分図書館にあったあの本を一番多く開いたのは私ではないだろうか(笑)
映画のポスターも多く手がけられた生ョ範義先生の画風を眺め続けたおかげで(?)、学生時代に映画館の看板描きのバイトをやった時も「なかなか速くて上手いな」と社長に褒められたっけ。
90年代当時ですら、もう手描きの映画看板は絶滅寸前だったので、あれはいい経験だったなあ……
絵を描くことが収入につながったのは、あのバイトが最初だった。
少し前の新日曜美術館アートシーンで、この展示のことが取り上げられていて、ご本人の映像も少し流れていた。
車椅子の姿が少し気になっていたのだが、今回送付されてきた図録の解説によると、わがイラスト魔神は今、病と闘っておられるそうだ。
脳梗塞の後遺症で、もう2年ほど絵筆をとれない日々が続いているという。
魔神再臨を強く強く希う。
以前にも記事にしたイラストレーター生ョ範義(おうらい のりよし)展の図録である。
私が最もリスペクトするイラストレーターの一人が生ョ範義先生で、展示とあれば是非とも駆けつけたいところなのだが、なにせ九州開催・・・・・
せめて図録だけでも手に入れようと思ったのだが、その時点で通販の受付はすでに終了していた。
3月1日から始まった二次受付になんとか滑り込みで間に合い、待ち焦がれていた図録が送付されてきたのだ。
じっくり見る。
じっくり視る。
じっくり観る。
色々記憶がよみがえってくる。
私が「生ョ範義」というやや難読の名を、その独特の強烈な作風とつなげて認識したのは中高生の頃だった。
当時の私はSF作家・平井和正の作品に耽溺しており、その頃の平井作品の挿画の大半を担当していたのが生ョ範義だったのだ。
日本人が描いたとは思えないような重厚で豪華な画風に圧倒され、表紙絵等のバージョン違いのためだけに平井作品を買い漁ったりしたことを、懐かしく思い出す。
そこから遡って、それ以前に接した吉川英治の三国志イラストや、映画「スターウォーズ」のポスターなども氏が手がけた作品であったことを知り、驚愕した。
当時から自分でも絵を描いていた私は、その画風の万分の一でも吸収しようと、油絵のように厚塗りできるリキテックスを買い込み、修練に励んだ。
とくに「幻魔大戦」シリーズの荒々しいタッチの表紙絵は、生ョイラストの表現上の特徴がよく表れていて参考になった。
例えば以下のようなイラストには、はるかに時の流れた私の画風にもその影響が残っている気がする。
(あくまで「影響」ですよ……)


遅ればせながらCGで描くようになってからも、私はあまり多くの機能は使わず、どこか「手描き」風味にこだわり続けているが、その源流が生ョ範義先生にあることは間違いない。
今回の図録、過去に出版された作品集に寄せたご自身の言葉なども収録されている。
そう言えば私が学生の頃、図書館で1980年代に出版された画集を見つけ、何度もくり返し借りたり、飽きずに閲覧し続けたりしたことも思い出す。
多分図書館にあったあの本を一番多く開いたのは私ではないだろうか(笑)
映画のポスターも多く手がけられた生ョ範義先生の画風を眺め続けたおかげで(?)、学生時代に映画館の看板描きのバイトをやった時も「なかなか速くて上手いな」と社長に褒められたっけ。
90年代当時ですら、もう手描きの映画看板は絶滅寸前だったので、あれはいい経験だったなあ……
絵を描くことが収入につながったのは、あのバイトが最初だった。
少し前の新日曜美術館アートシーンで、この展示のことが取り上げられていて、ご本人の映像も少し流れていた。
車椅子の姿が少し気になっていたのだが、今回送付されてきた図録の解説によると、わがイラスト魔神は今、病と闘っておられるそうだ。
脳梗塞の後遺症で、もう2年ほど絵筆をとれない日々が続いているという。
魔神再臨を強く強く希う。
2014年03月16日
歴史街道4月号「総力特集 雑賀孫一」
現在発売中の歴史街道4月号で、孫一特集をやっています。
「総力特集」の名に恥じず、雑誌のほぼ半分位が雑賀衆情報で占められており、内容もかなり濃いです。
雑賀衆に関心のある皆さん、これは買いです!
当ブログでは、カテゴリ和歌浦において、孫一と雑賀衆について記事にしてきました。
私はいつの日にか、孫一が活躍する石山合戦の絵解きをやってみたいという野望を抱いていて、遅々とした歩みながら研究を続けています。
今月末には雑賀孫一の地元、和歌山市内で毎年恒例の「孫市まつり」も行われます。
今年はいよいよ第十回。
天候にもよりますが、私もできれば参加したいと思っています。
孫市まつり
ブログ「孫市の街まちづくり」
「総力特集」の名に恥じず、雑誌のほぼ半分位が雑賀衆情報で占められており、内容もかなり濃いです。
雑賀衆に関心のある皆さん、これは買いです!
当ブログでは、カテゴリ和歌浦において、孫一と雑賀衆について記事にしてきました。
私はいつの日にか、孫一が活躍する石山合戦の絵解きをやってみたいという野望を抱いていて、遅々とした歩みながら研究を続けています。
今月末には雑賀孫一の地元、和歌山市内で毎年恒例の「孫市まつり」も行われます。
今年はいよいよ第十回。
天候にもよりますが、私もできれば参加したいと思っています。
孫市まつり
ブログ「孫市の街まちづくり」
2014年03月18日
2014年03月20日
春のお彼岸2014
明日は春分の日。
春分の日を中日とする春のお彼岸はもう始まっている。
秋のお彼岸には、その名もズバリの彼岸花(曼珠沙華)が咲く。
彼岸花は子供の頃から好きで、秋分の日前後に朱の花が咲くあぜ道を歩くのが楽しみだった。
このブログでも彼岸花のことは度々取り上げ、絵もたくさん描いてきた。



では春のお彼岸の花といえば何だろう?
お供えする仏花ではなく、ちょうどこの頃咲く季節の花と言えば……
ちょっと興味が出たので検索してみると、キンセンカや牡丹がいいという声もあるようだが、どうやら「これ」といった定番は無いようだ。
私が「春の彼岸花」をひとつ挙げるとすれば、モクレンかもしれない。
3月下旬辺りにお灯明みたいなつぼみがふくらみはじめ、だんだん開いて蓮の花のようになる。
つぼみ、咲きかけ、開花の三段階でそれぞれ別の美しさがあって、このブログを始めたあたりからだんだん好きになってきた花だ。
モクレンについても、色々スケッチしてきた。



モクレンで時間をかけた絵を描いてみたいと、ずっと以前から思っていたのだが、ようやく一枚描けたのでこの機会にお披露目。

春分の日を中日とする春のお彼岸はもう始まっている。
秋のお彼岸には、その名もズバリの彼岸花(曼珠沙華)が咲く。
彼岸花は子供の頃から好きで、秋分の日前後に朱の花が咲くあぜ道を歩くのが楽しみだった。
このブログでも彼岸花のことは度々取り上げ、絵もたくさん描いてきた。



では春のお彼岸の花といえば何だろう?
お供えする仏花ではなく、ちょうどこの頃咲く季節の花と言えば……
ちょっと興味が出たので検索してみると、キンセンカや牡丹がいいという声もあるようだが、どうやら「これ」といった定番は無いようだ。
私が「春の彼岸花」をひとつ挙げるとすれば、モクレンかもしれない。
3月下旬辺りにお灯明みたいなつぼみがふくらみはじめ、だんだん開いて蓮の花のようになる。
つぼみ、咲きかけ、開花の三段階でそれぞれ別の美しさがあって、このブログを始めたあたりからだんだん好きになってきた花だ。
モクレンについても、色々スケッチしてきた。


モクレンで時間をかけた絵を描いてみたいと、ずっと以前から思っていたのだが、ようやく一枚描けたのでこの機会にお披露目。

【「春の来迎図」F12 アクリル】
2014年03月22日
XPサポート終了対応
WindowsXPのサポート終了が目前に迫っている。
一方的な話でムカつく。
5年ぐらい前まで普通に売っておきながら、まだ十分動いている期間にサポート打ち切りか。
XPからの買い替えがあまり進んでいない理由をもう一回ちゃんと考え直せ糞MS。
……と、ひとしきり毒を吐き、少し冷静になったところで記事を書く。
現在私が使用しているデスクトップ、ネットブックともにXP。
どちらも6年前に購入し、徐々に動作が重くなってきていた。
そもそもHDDの寿命の目安が五年くらいと言われているので、買い替え時期ではあった。
一年ほど前から「次に何か故障が出たら買い替え」と決めていたのだが、幸か不幸か意外とトラブルなく今に至り、やや時期を逸してしまった感がある。
サポート終了後のXP機の使用も、ネットにつながなければ大した危険はないだろうけれども、ブログやメール対応で何らかのネット接続機は必要だ。
ただ、デスクトップと小型ノートを同時に買い換えるのは予算的に厳しい。
さて、どうするか?
ということで、とりあえずkindleを買った。
●Kindle Fire HD 7タブレット 8GB
言わずと知れたamazonの廉価版タブレットである。
私が現在ネットブック(←死語?)で必要としている機能、ネット接続、画像閲覧、電子書籍閲覧、文書入力等を、まあなんとかこなしてくれそうな選択肢の中では、最もリーズナブルな機種だ。
一週間ほど使用してみて、だいたい感じがつかめてきた。
メリットはとにかく安く、軽量小型であること。
腰痛持ちとしては、この手軽さは非常に嬉しい。
デメリットは、端末が安いことと引き換えに、発売元であるamazonでせっせと買い物をすることを前提にした作りに特化していることだ。
ぶっちゃけ、「amazonのお買いもの端末」という色合いが非常に強いので、その点が気にくわない人も多いと思う。
しかしまあ、わかって使う分には便利であるし、使える無料アプリも多いし、著作権の切れた名著の数々が無料本として大量に用意されているので、デメリットと言っては失礼にあたるかもしれない。
とくに無料本は本当に便利だ。
当ブログのテーマに沿って言えば、小泉八雲や夢野久作、宮沢賢治、柳田国男、折口信夫が読み放題という環境が与えられるわけで、これだけでも十分元は取れているとも言える。
さっそく再読しているのが、「耳無芳一の話」「遠野物語」「春と修羅」「ドグラ・マグラ」。
何冊も本を抱えなくとも、その時の気分で開けるのは嬉しい。
すでに所蔵していたPDFの電子書籍も、なんとかストレスなく読めている。
読書端末としてはさすがに優秀だ。
私が数ある選択肢の中からkindleを選んだ一番大きな要因が、こうした電子書籍の世界を満喫したかったという点にある。
今後10年と待たず、出版の世界に大変動が起こるのはまず間違いない。
私は「紙の本」をこよなく愛する人間であるけれども、そうしたノスタルジーとは関わりなく、世は変わり、本も変わっていく。
すでに各駅前の繁華街から、本屋やCD屋は姿を消しつつある。
かつて街の印刷屋さんや写真屋さんが、デジタルの大波に飲まれ、信じられないほど短期間で消滅したのと同じことが、遠からず出版の世界でも必ず起こる。
そなえよ、本を愛する皆の衆。
文書作成にはさすがにキーボードが欲しいので、対応しているカバー付きキーボードをいずれ購入しようと思っている。
それをプラスしても総額二万程なので、コスパはとにかく高い。
さて、優先順位の高いネット接続機はなんとかなった。
デスクトップはどうしようか……
CG関連のフリーソフトを各種使っているので、なるべくそのまま移行できるのが望ましいのだが。
一方的な話でムカつく。
5年ぐらい前まで普通に売っておきながら、まだ十分動いている期間にサポート打ち切りか。
XPからの買い替えがあまり進んでいない理由をもう一回ちゃんと考え直せ糞MS。
……と、ひとしきり毒を吐き、少し冷静になったところで記事を書く。
現在私が使用しているデスクトップ、ネットブックともにXP。
どちらも6年前に購入し、徐々に動作が重くなってきていた。
そもそもHDDの寿命の目安が五年くらいと言われているので、買い替え時期ではあった。
一年ほど前から「次に何か故障が出たら買い替え」と決めていたのだが、幸か不幸か意外とトラブルなく今に至り、やや時期を逸してしまった感がある。
サポート終了後のXP機の使用も、ネットにつながなければ大した危険はないだろうけれども、ブログやメール対応で何らかのネット接続機は必要だ。
ただ、デスクトップと小型ノートを同時に買い換えるのは予算的に厳しい。
さて、どうするか?
ということで、とりあえずkindleを買った。
●Kindle Fire HD 7タブレット 8GB
言わずと知れたamazonの廉価版タブレットである。
私が現在ネットブック(←死語?)で必要としている機能、ネット接続、画像閲覧、電子書籍閲覧、文書入力等を、まあなんとかこなしてくれそうな選択肢の中では、最もリーズナブルな機種だ。
一週間ほど使用してみて、だいたい感じがつかめてきた。
メリットはとにかく安く、軽量小型であること。
腰痛持ちとしては、この手軽さは非常に嬉しい。
デメリットは、端末が安いことと引き換えに、発売元であるamazonでせっせと買い物をすることを前提にした作りに特化していることだ。
ぶっちゃけ、「amazonのお買いもの端末」という色合いが非常に強いので、その点が気にくわない人も多いと思う。
しかしまあ、わかって使う分には便利であるし、使える無料アプリも多いし、著作権の切れた名著の数々が無料本として大量に用意されているので、デメリットと言っては失礼にあたるかもしれない。
とくに無料本は本当に便利だ。
当ブログのテーマに沿って言えば、小泉八雲や夢野久作、宮沢賢治、柳田国男、折口信夫が読み放題という環境が与えられるわけで、これだけでも十分元は取れているとも言える。
さっそく再読しているのが、「耳無芳一の話」「遠野物語」「春と修羅」「ドグラ・マグラ」。
何冊も本を抱えなくとも、その時の気分で開けるのは嬉しい。
すでに所蔵していたPDFの電子書籍も、なんとかストレスなく読めている。
読書端末としてはさすがに優秀だ。
私が数ある選択肢の中からkindleを選んだ一番大きな要因が、こうした電子書籍の世界を満喫したかったという点にある。
今後10年と待たず、出版の世界に大変動が起こるのはまず間違いない。
私は「紙の本」をこよなく愛する人間であるけれども、そうしたノスタルジーとは関わりなく、世は変わり、本も変わっていく。
すでに各駅前の繁華街から、本屋やCD屋は姿を消しつつある。
かつて街の印刷屋さんや写真屋さんが、デジタルの大波に飲まれ、信じられないほど短期間で消滅したのと同じことが、遠からず出版の世界でも必ず起こる。
そなえよ、本を愛する皆の衆。
文書作成にはさすがにキーボードが欲しいので、対応しているカバー付きキーボードをいずれ購入しようと思っている。
それをプラスしても総額二万程なので、コスパはとにかく高い。
さて、優先順位の高いネット接続機はなんとかなった。
デスクトップはどうしようか……
CG関連のフリーソフトを各種使っているので、なるべくそのまま移行できるのが望ましいのだが。