特設ブログで児童文学作品を連載している。
実際に執筆したのはもうかなり前になるが、挿絵を描くために読み返していると、当時の気分がよみがえってくる。
小学生が主人公の物語を書き続けていると、当然ながら自分が小学生の頃の記憶がよみがえってくる。
すっかり忘れていたあれこれが、リアルな情景として脳裏に映し出される。
そんな心の状態が、今また再現されている。
小学生の頃の私は、よく無意味なマイブームにとらわれていた。
低学年のある時期ハマっていたのが、カナへビを捕まえること。
当時住んでいた家の近くには何ヵ所か建築資材置き場があった。その中のひとつに屋根瓦が積み上げられた一画があり、そこにはおびただしい数のカナへビがいた。
カナへビというのはトカゲの一種。
普通のトカゲより茶色っぽく乾いた皮膚感で、尻尾がものすごく長い。
私は両生類的なぬめっとした皮膚感は苦手だったので、普通のトカゲはちょっと似た感じの光沢があって触る気がしなかったのだが、乾いた感じのするカナへビはわりと平気で捕まえていた。
私が「猟場」にしていた瓦置き場は、それはもう半端じゃないほどウジャウジャいて、散らばっている石や瓦をひっくり返すと必ず大小おりまぜたカナへビが逃げまどった。
それを捕まえては持参したポリバケツに放り込んで行く。
捕ってどうする、という目的は一切ない。
ただ目の前のカナへビを根こそぎ捕り尽くすことそれ自体が目的になっている。
ある日私は、どこまで捕れるか極めてみたい気分になって、たった一人、小一時間ほどかけて捕りまくった。
ポリバケツの中には、底が埋まるほどのカナへビが溜まり、ワサワサとうごめいていた。
そのままではバケツの内側を駈け上ったカナへビが脱出するので、放り込む時以外は蓋をしている。
蓋をしていても、中からわずかにカナへビたちのもがく「サササササ」というような音が聞こえてくる。
なんとなく私はその音を聴きながら、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるような地獄の様子を想像している。
普段なら狩猟本能が十分に満たされた時点でバケツをひっくり返し、一斉に逃げ去っていくカナへビたちの姿を眺めてカタルシスを味わい、完結する。
しかしその日の私は常になく溜まったカナへビを「もったいない」と思ってしまい、血迷って蓋を閉めたままのバケツごと家にもって帰ってしまった。
さすがに室内には持ち込まなかったが、玄関先にバケツは放置され、次の遊びに移行した私は速やかにそのバケツのことは忘れ去った。
ところで当時、私の家は両親が共働きだったので、まだ低学年の私と弟の面倒を見るために、母方のおばあちゃんが午後の時間帯は来てくれていた。
その日、おばあちゃんがうちに到着すると、玄関先に意味ありげに蓋を閉めたポリバケツが置いてある。
中からはわずかに「サササササ」という音も聞こえる。
そしておばあちゃんは、その蓋を開けてしまった。