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2014年08月06日

「面白い」という最強の盾

 8月6日。
 第二次大戦中、アメリカによって広島に原爆が投下され、何の罪もない非戦闘員が大量虐殺された日である。
 核という最強最悪の兵器が、非戦闘員の大量虐殺を目的に実際に使用されたのは、今のところ人類史上で日本の広島と長崎のみ。
 しかし核兵器自体は性能を格段に向上させながら、世界中に拡散し続けている。

 
 この時期になると、コンビニに漫画「はだしのゲン」の廉価版が並ぶ。
 かなり以前から恒例化していて、確か刊行されていない年もあったと思うのだが、ほぼ毎年店頭に並んでいる。
 これまでは昔の「週刊少年ジャンプ」掲載分の「第一部」のみが集英社から刊行だったのだが、今年はちょっと特別で、続編に当たる「第二部」も中公から廉価版で出されている。
 お互いの巻末に出版社の垣根を越えて広告が打たれているのは、けっこう珍しいのではないだろうか。
 作者である中沢啓治さんは既にお亡くなりになっている。
 ライフワークの全編が、広く読まれやすい形で刊行されたことは感慨深い。

 この作品については、これまでにも何度か記事にしてきた。
 ここ数年、学校や図書館からの排斥運動が起こったりもしているけれども、何か騒ぎが起きる度に注目が集まり、逆に本は売れ、読者は増え続けている。
 世の中にはいじればいじるほどでかくなる不死身の怪物が存在する。(やや下ネタでスマン)
 漫画「はだしのゲン」もまさにそうした生命力をもつ怪物で、焚書しようと下手に手を出せば、必ず逆効果になる。 

 色々と議論はあっても、作品が数十年にわたって読み継がれるのには理由がある
 単純に、漫画としてむちゃくちゃ面白いのだ。

 反戦反核の内容であるということは、読み継がれている理由の一要素に過ぎない。
 内容が「重要だ」という理由だけでは、多くの人はわざわざ作品を手にとったりしない。
 人は日々生きることに忙しく、いくら重要な事柄が描かれた作品であっても、その重要さだけを理由に鑑賞する意欲を持つのは、よほど真面目な人だけである。
 唯一、読んで面白いという要素だけが、多くの読者の財布の紐を緩ませ、ページをめくる時間を割かせるのである。

 作者の中沢先生には、そのあたりのことがよく分かっていたのだろう。
 大切なことを描いているということ自体に寄りかからず、甘えず、漫画としての面白さを保持しながら、血を吐くような自信の思いを込めて作品を紡ぐという離れ業をやってのけたのだ。
 その背景にはおそらく、原爆が投下された地獄の広島を、誰にも頼らず生き抜いてきた経験があったことだろう。
 地べたを這いずる庶民の乾いたリアリズムが、作品の内容にも制作姿勢にも貫かれているからこそ、エンターテイメントとして優れた作品が生まれたのだ。

 出版不況の中、こうしてコンビニ版が毎年刊行されるのも、それだけの売り上げが見込めるということだろう。
 資本主義社会において「エンターテイメントとして優れている」「面白い」ということは最強なのだ。
 売れる本は時代を超えて刊行され続け、いくら内容が良くても売れない本は消えていく。
 
 原爆地獄の広島で、家族や友人たちを虐殺され続けたかつての少年が、その怨念を背負ってたった一人、ペンをとった。
 単身、人類最強兵器や超大国に喧嘩を売ったのだ。
 戦時中の爆撃機VS竹槍どころではない、核兵器VSペンなのだ。
 まともに考えれば勝てるわけがないのである。
 事実、作者が希求した核廃絶への道のりはまだまだ遠い。
 核抑止論という極めて原始的なパワーバランスの在り方は、原始的であるだけに、突き崩すことは容易ではない。
 世界中の頭脳が知恵を結集しても、いまだこの野蛮な理屈をひっくり返せていない。
 それでも、「はだしのゲン」は世界中で読み継がれている。
 野蛮な最強兵器の存在に、ほんの一矢でも反撃し得ているのが、知識人の言説などではなく、一匹狼気質の被爆者が描いた「たかがポンチ絵」なのだ。
 これを「奇跡の善戦」と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
 野蛮で巨大な力に対抗できるのは、こちらも原始的な、虐殺された側の「怨」の一念という情動しかないのである。
 
 およそ勝てるはずのない喧嘩を売って、けっこう戦えてしまっている男を見たとき、たとえその男の政治的発言に考えの違うところがあったとしても、私の美意識では「およばずながら助太刀いたす」と呟くのが正しい。
 義侠心とか大和魂とか武士道とか、呼び方はなんでもかまわないのだが、腹をくくって戦いを挑む男を後ろから切りつけるような真似は美しくないのである。

 助太刀と言っても、せいぜいマイナーなブログで本を紹介し、自分でもコンビニ版を購入して再読するくらいしかできないのがなんとも歯がゆいのであるが。

 ともかく、「はだしのゲン」をもっと世界に!


●「はだしのゲン」汐文社版
 他の版は表現に一部修正があるそうなので、「昔読んだものをもう一度読みたい」という場合はこれ。
●「はだしのゲン自伝」
 著者中沢啓治の自伝。「はだしのゲン」は、事実そのものではないものの、元々著者の自伝的な作品なので、描かれなかった続編をあれこれ想像するヒントがここにある。
●「絵本はだしのゲン」
 マンガ版を元に、原爆投下前後をフルカラーで再現した取扱注意な一冊。
posted by 九郎 at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2014年08月11日

防災グッズ覚書

 昨日の台風11号は、直撃を食らったけれども無事。
 ちょっと土曜日から泊まりがけで出掛けていたのだが、日曜朝、さっさと帰途についたことが幸いして、交通機関が動いているうちに帰宅することができた。
 後一時間ぐずぐずしていたら鉄道が止まっていたところだったので、我ながら良い判断だった。

 私は阪神淡路大震災で被災した経験があり、防災グッズにはついては日頃から関心を持っている。
 このブログでもアウトドアにも使える防災グッズとして、色々と紹介してきた。
 実際使用してみたものを中心に紹介しているので、興味のある人は参照してみてほしい。

 これらの記事を書いた後も、色々試してきた。
 その中から、使ってみて便利だったものを紹介してみよう。

 まずはリストコンパスから。

 
 防災グッズとしての方位磁石は、その必要があまりピンと来ないかもしれない。
 しかし、とくに震災後の移動では、交通機関が麻痺していたり、街の風景が一変していたりして、自分の現在地や進んでいる方向の把握が非常に難しくなる。
 日常の手荷物の中に、安価でごく簡単なものでいいからコンパスを入れておくと、いざというとき必ず重宝することになる。
 今回お勧めするのは、腕時計のベルトに装着するタイプのリストコンパスだ。
 探せば数百円くらいからあるが、オイル式で実用に耐えそうなのは1000円以上のものだろう。
 ケータイ、スマホが普及した昨今、腕時計を身に付ける習慣自体を持たない人が増えている。
 平時ならばそれで全く問題ないのだが、災害や遭難時、とくにスマホはあっという間にバッテリーが切れる。
 物理的な耐久性でも腕時計の方がはるかに信頼できるので、私は今でもなるべく腕時計をつけるようにしている。
 時刻を確かめるのに一々ケータイやスマホを見ないことで、限りあるバッテリーを節約することにもつながる。
 コンパスも電子式でGPS機能などがついた高性能なものもあるが、災害時対応で考えるなら、私はより原始的で壊れようがないものを推したい。
 普段から腕時計にコンパスをつけてみると、はじめて訪れて土地勘のない場所では、あるとけっこう便利だったりするのだ。

 私はスモーカーではないので、普段使いのライターは持ち歩かないのだが、アウトドアや遍路のときには100均などでも売っている着火ライターをよく使っていた。
 しかし、最近のものは子供がイタズラしないように配慮されているためか、スイッチがかなり硬いものが主流になり、使い勝手が落ちてきていた。

 そんな中、ガスが充填できて火口の伸縮するタイプの製品を見つけた。


●スライドガスマッチ(SOTO)
 点火スイッチはロックを解除すると軽く、非常に使い勝手が良い。
 火口がスライド伸縮するので携帯性も良好。
 季節柄、花火にも使えるだろう。
 バーナー式でより火力の強いタイプのものもあるが、私の使い方であればそこまでの火力は必要ない。
 一点だけマイナスをつけるなら、Amazonのレビューにも投稿されている通り、値段のわりに見た目が安っぽいことか(笑)


 あと、これはまだ購入していないのだが、ちょっと気になっているグッズもある。


●ワイヤーソー

 あまり実用的ではないかもしれないが、秘密道具好きな男子の心をくすぐる製品である。
 値段が安いので、話のネタにちょっと購入してみようかと思っている。

 防災は、普段の心がけ。
 楽しみつつ、備えましょう!

2014年08月17日

少年よ、もっと自作を!

 ちょっと面白いニュースがあった。
 人気アニメ「妖怪ウォッチ」の新発売のオモチャが、あまりの人気で品薄になり、買えなかった子ども達やその両親の中に、自作を試みるケースが多発しているそうなのだ。
 確かに検索してみると、100均素材を使った作例や、折り紙の作例など、身近な材料で巧みに作っている皆さんの健闘ぶりがうかがわれる。
 動画サイトでも作り方解説が各種アップされている。

 このオモチャの品薄ニュース、受け取りかたが大体二通りに分かれるようだ。

 一つは、子どもの欲しがるオモチャが入手できなかった家族の、涙ぐましい物語として。
 もう一つは、オモチャが手に入らないなら自分で作ってしまえという、ある意味で「古き良き時代」が帰ってきた懐古の物語として。
 私は当然、後者の感想を持つ。
 なにしろ工作をテーマにした物語を手間隙かけてでっち上げてしまうような人間である。

 今回話題になった「妖怪ウォッチ」は、比較的低年齢向けの作品なので、このオモチャを欲しがる子どもたちのご両親は、戦後日本における工作最強軍団であるガンプラ世代よりは、ずっと下の年齢層である場合が多いだろう。
 キャラクター商品は出来合いのものを買うだけが当たり前になっていた世代のはずで、だからこそこのニュースには面白味があるのだ。

 1960年代〜70年代生まれを対象とし、1980年前後の数年間に集中的に沸騰したガンプラ・ブーム。
 あの頃、まだ家庭用ゲーム機は出始めで、男の子のホビーの主役はプラモだった。
 ガンダムのプラモは、それまでのいかにもオモチャっぽいロボットプラモとは一線を画していたけれども、それでもプラスチックの成型色は一色か二色程度で、自分で色を塗らなければリアルなものにはならなかった。
 プラモがうまく作れる子どもは周囲から一目おかれ、おかげでその手の工作が得意だった私も、仲間内でそれなりの立ち位置を確保することができた。

 どんなジャンルにも言えることだが、競技人工が多く、裾野が広い分野からは優れた才能が大量に輩出される。
 ガンプラが売れたことで、漫画やアニメのキャラクター商品は一気に技術革新が進み、ガンプラ世代からは優れたモデラーが綺羅星のごとく生まれ続けた。

 小学生の頃「学校で一番プラモが上手い」と自負していた私はと言えば、中学生になって自分と同年代のモデラーが既に模型雑誌で作例を発表しているのに驚愕し、即座に「プラモは趣味でいい」と納得した。
 そして大学の頃には、親しい同級生にプロ並みのモデラーがいて、その緻密な作業ぶりを目の当たりにし、ますます「あー、もう俺には絶対無理!」と見切りをつけることができたのだった。
 それでも少年の頃プラモ制作で身に付けた工作技術、道具の使い方、素材に関する知識、立体感覚は、以後の私に多くの恩恵をもたらしてくれた。

 ガンプラ世代のプラモ自慢の大多数は、多かれ少なかれ私と似たような経験を持つことだろう。
 だから、アラフォー男子の中には素人さんであってもこれくらいのプラモはさらっと作ってしまえる人間が掃いて捨てるほどいたりする。

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 そのように富士山の裾野のごとく広大な「競技人工」の中の、選りすぐりの天才たちが、長じて商品を作る側に成長し、現在のフィギュア大国ニッポンを形成してきたのだ。

 しかし、商品の完成度が上がれば上がるほど、反比例するように子どもたちの「自作意欲」は失われていった。
 マンガやアニメのキャラクター商品は、あまりに至れり尽くせりになってしまった。
 人気作品のキャラは漏れなく商品化され、もはや組み立てる必要も塗る必要もない。
 手仕事ニッポンを継承できるのはガンプラ世代が最後になるのではないかと常々考えていた中での、「自作系ニュース」である。
 親主導であるところが気にかかるが、きっかけはなんだっていいのだ。
 少年の心に眠っている「工作魂」に火がつけば、それでいい。

 折しも夏休みである。
 近所のホームセンターに行けば、高価な工作キットでなくても、端材の詰め放題サービスをやっているところが多いはずだ。
 数百円も出せば、夏休みの工作を作ってまだまだ余るほどの材料を、安くゲットすることができるのだ!

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 少年よ、ナイフをとれ!
 ボンドや塗料をとれ!
 身近な素材をとれ!
 もっともっと自作を!
posted by 九郎 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

100均ボックスウクレレ

 以前、100均ボックスギターというものを工作してみたことがある。

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 昔、貧しい黒人ブルースマンが身近な素材から自作した「シガーボックスギター」というものがあったことを知り、興味を持った。
 調べてみると、作りやすさと素朴な音色から、今でも自作する愛好者が多いようで、私も自分なりに似たようなものを作ってみたくなったのだ。
 木箱の類で現在入手しやすいものとしては、素麺の箱や100均で売っているような箱が考えられる。
 ということで、なるべく100均で手に入る素材から自作したのが、上掲のオモチャギターだ。

 作るのも弾いてみるのも非常に楽しかったのだが、ちょっと反省点もあった。
 ネック部分も100均素材の角材を使ったため、強度不足から音程が不安定になってしまったのだ。
 だから次の機会には、ネックだけはもう少しマシなものを使おうと思っていた。
 

 で、夏休みである。
 このブログでは、毎年なんらかの工作作品をアップして、迷える小学生やそのご両親の参考にしてもらうことを年中行事の一つとしている(笑)
 夏らしい工作と言えば、このブログでは船やウクレレが考えられる。
 船はけっこう作ってきた。
 ウクレレはよく作っていた安いキットが、大幅値上げで手を出しづらくなってきていた。
 さて、どうするかと考えて、100均ボックスギターの反省を活かしたオモチャウクレレを思い付いた。

 と言うことで、夏休みの工作の参考になるよう、なるべく手間をかけずにサクッと作ってみた。

 まず、ボディにするための100均木箱。
 短辺約11.5センチで、側面にスリットが入っており、書き文字もある。
 今回はなるべく手間を省く方針なので、木箱のデザインはそのまま活かすことにする。

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 100均木箱は木質が軽く粗く、サイズもラフなのだが、なるべく正確にバランスをとりながらセンターラインを確認し、ネックの角材を貫通させるための幅3センチ、深さ1センチの切り込みをいれる。
 縦の1センチ分を細工ノコで切り、横3センチ分はその後カッターナイフで切るとよい。
 木質がスカスカなので、横は木目に沿ってカッターナイフで何度かなぞると、案外楽にカットできる。

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 切り込みに合わせて3センチ×1センチ×45センチのアガチス角材をはめ、木箱サイズに合わせた3ミリ厚の板で蓋をする。
 ボンドで接着、固定して乾燥待ち。ここは慌てず、一日くらい乾かした方がよい。

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 完全に乾燥したら、指板、糸巻き、弦駒を作ってセットする。

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 ネック幅3センチだと、ギリギリ4弦張れなくはないのだが、今回は3弦にしておく。
 貫通させた角材の露出した部分にドリルで1ミリの穴を3つ開け、端に結び目を作った弦を通す。

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 一応指番に竹ヒゴのフレットもつけて演奏できるようにしてあるが、小学生の工作ならフレットは省略でもいいだろう。
 ヘッドにあたる部分にドリルで7ミリの穴を3つ。
 1センチ角の棒を6センチの長さにカットしたものから、糸巻きを削り出し、弦を通す横穴を開けてねじ込む。

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 チューニングはドミソのオープンCにしてもよいし、ドミラにしておけば通常の4弦タイプのウクレレ(チューニングはソドミラ)のタブ譜を参考に演奏することもできる。 

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 今回はごく簡単な作り方紹介だけにしておくが、小学生の工作ならあんまり難しいことは言わずにガンガン手を動かして作ればよいと思う。
 要するに、箱に棒を突き刺して、糸を強く張れば音は鳴るのだ。
 何本か糸を張って和音になるように調節すれば、けっこうつま弾いて楽しめるオモチャになる。

 ボディになる箱が出来合いのものなので、難易度は低め。材料費も1000円以内には収まるだろう。
 ただ、細工ノコや電動ドリルなどは使った方が作りやすいので、工作慣れしていない子には大人の協力が必要。

 もし需要があるようなら、もっと詳しい作り方や、図面なども紹介してみます。
 
posted by 九郎 at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 音遊び | 更新情報をチェックする

2014年08月21日

向日葵スケッチ2011

 そろそろ夏も終盤か。

 以前描いていて、そのままになっていた向日葵のスケッチが出てきたので、この機会にアップしておこう。

 描いたのは確か、2011年だったと思う。
 3.11のあった年だ。
 あの夏、私はなぜか向日葵に夢中になっていた。
 普段歩いているときも向日葵を目で追ってばかりいた。
 憑かれたようにデジカメで写真を撮り続けた。

 そして、今でも忘れられない、まるで人間みたいに見える怪偉な向日葵と出会ってしまったのだった。 

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 その立ち姿は衝撃的で、私は久々に木炭を手にとってスケッチを描いた。
 向日葵のパッと明るい色彩より、造形的な見事さに、その当時の私は夢中だった。

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 A3サイズにカットしたMBM紙に、木炭と筆ペンでデッサンした連作である。
 

 今年もお盆を過ぎ、そろそろ近所の向日葵も、頭を垂れ始めている。
posted by 九郎 at 05:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2014年08月24日

地蔵盆2014

 近所の公園で盆踊りがあった。
 都市部の真ん中だが、下町なのでまだこうした地域の行事は残っている。

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 大人も子どもも、一番盛り上がるのは「アンパンマン音頭」だったりする。
 やなせたかし先生はどこまでも偉大だ。
 私が子どもの頃、アンパンマン音頭はまだなかったのだが、アニメ作品発の盆踊りはけっこうたくさんあった。
 ドラえもん音頭やあられちゃん音頭、じゃりン子チエなんかもあった。
 あられちゃんやチエは作品が「現役」とは言いがたいので今かからないのはわかるが、ドラえもん音頭もないのはやはり代替わりのせいだろうか。

 年々盆踊りの開催場所も減ってきている。
 数年前に越してきたのだが、いくつかの地区で別の日に開催されていた盆踊りが、合同開催に変わったりしている。
 少子高齢化で集まる子どもや若者が減り、動ける大人の人手が決定的に不足してきているのだろう。
 都市部なのでお盆休みの期間はよけいに人が減ることもあるだろう。

 夜店の数も物凄く減った。
 こちらは例の「暴排」の風潮のせいだろう。
 怪しい夜店が減って、めっきり盆踊りの風景も寂しいものになった。
 あまり賛同はしてもらえないと思うが、当ブログは縁日の夜店を完全に「暴排」してしまうことには、一応反対の立場をとっている。

 ふと見上げた提灯には「地蔵尊」の文字。

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 よく見ると、提灯にはほとんどすべて書いてあった。
 そう言えば、8月24日は地蔵盆。
 この盆踊りは地蔵盆も兼ねているのだ。

 おじぞうさまは、当ブログでもずっと大切にしてきたテーマの一つだ。

 カテゴリ「地蔵」

 地蔵盆の絵も色々描いてきたが、自分で一番気に入っているのは、やはり最初期に描いた一枚。

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 地蔵盆の時期になると、まだまだ暑い中でもセミの声はめっきり減り、朝夕や日影にひんやりした風が吹きはじめる。
 そしてもうすぐ、セミの鳴き声がパタリとやんだ公園の静けさに、愕然とする日が来るのだ。

【真夏の夜の夢】(4分/mp3ファイル/7MB)ヘッドフォン推奨!
posted by 九郎 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2014年08月31日

最初の愛読書

 いよいよ夏休みも最後である。
 もうとっくの昔に大人なので「夏休み」と表現するのもおかしいのだが、いまだになんとなくそんな気分が残存している。
 中高生の頃、「8月最後の三日間」には特別の思い入れがあったせいかもしれない。
 当時私は、柄にもなく中高一貫の私立受験校に通っていた。
 夏休みは通常の40日間の約半分しかなくて、お盆明けの週にはもう後半の夏期補習が始まっていた。
 夏休み気分もそのあたりでほとんど終わっていたのだが、最後に三日間だけおまけのように連休がもらえていた。
 どうせ宿題が山ほど残っていたりするので、まともにこなそうとすると休んだり遊んだりできない。
 だから私の場合は、はじめから9月1日に宿題提出することは諦めていた。
 昔のことなので、厳しい体罰の横行するリアル「男塾」みたいなキツい学校だった。
 宿題を提出しないとマジで地獄を見ることになるのだが、地獄には地獄なりの抜け道はあるものだ。
 始業式の日の朝、優秀で慈悲深い友人の宿題を見せてもらうとか、どうしても間に合わないなら「持ってくるのを忘れた」と強弁するとかなんとか、けっこうノラリクラリと9月3日くらいまでは誤魔化せるものなのだ。

 夏休みの宿題は9月1日から手をつける。
 良い子は決してマネをしないように。

 まあ、少し言い訳すると、休みの間宿題もせずにずっと怠けていたわけではない。
 私の場合は高一の頃から「一人美術部」の部長兼会計兼部員だったので、夏休み明けすぐの文化祭に向けて、教室一つ分を一人で作品でうめなければならないという任務があったのだ。
 だから厳しい中にも理解のある幾人かの先生は、私の手抜き丸出しの提出物も、そっと黙認してくれていたようだ。
 大人になってから、「ああ、あの時見逃してくれてたんやなあ」と思い当たった件がいくつかある。
 先生方、その節はどうもすみませんでした……

 ともかく、今日で8月もおわり。
 日帰りで行ける範囲でも、夏休みらしい企画がいくつか目につく。
 ちょっと気になる展示が二つ。

「機動戦士ガンダム展」THE ART OF GUNDAM
 生誕80周年記念「藤子・F・不二雄展」 

 興味は十分にあるのだが、混んでるんだろうなと思うと、意欲が萎える。
 ガンダム展の方は去年「大河原邦男展」を観に行ったからもういいかと言う気もする。
 F先生展の方は、展示品の中に少年の頃の藤子不二雄コンビが手作りした小冊子、あの「小太陽」があると聞くと、ざわざわと蠢くものがある。
 きっと実物を観たら、その後ろに銀河のような背景が透けて見えるはずなのだ(これはA先生の「まんが道」ネタ)
 こちらの展示期間はまだ長いので、夏休みが終わったら行ってみようか……

 F先生は、私が生まれてはじめて認識した「好きな作家」だった。
 小学一年生の頃、確か風邪で休んでいたときに、親が小学舘の学習雑誌「小学一年生」を買ってきてくれた。
 そこではじめて「ドラえもん」を読み、ハマってしまったのだ。
 確か付録の小冊子がドラえもん特集で、藤子不二雄先生が二人コンビであることや、ドラえもん創作の秘密、漫画の絵の描き方などが解説されていたと思う。
 私がかなり意識的に絵を描き始めたのも、その小冊子の解説あたりがきっかけかもしれない。

 映画「STAND BY ME ドラえもん」の方は、この間観てきた。
 観る前は「ドラえもんはわざわざ3D表現にしなくてもいいのではないか」と思っていたのだが、実際に観てみると製作陣の意図はよく理解できた。
 物凄く緻密に再現された70年代から80年代の風景に、大人はみんな気づくだろう。
 露骨に郷愁を誘う表現ではないのだが、文房具や家電や家具、住宅の作りが、さりげなく「かつて観た風景」なのだ。
 サブタイトル「すべての、子ども経験者のみなさんへ。」の意図は、たぶんそのあたりにも込められている。
 少子化の現代、子どもをメインターゲットにした映画でも、大人の観客を意識しなければ興業が成り立たないという事情もあろう。

 ストーリーの方は、膨大なドラえもん短編の中から、上手くヒストリーの部分を抽出して「感動的に」構成されている。
 限られた尺の中でベストな構成になっていて感心したのだが、同時に「こういう風に感動的にまとめてしまわないのがF先生だったのだが」とも思った。
 F先生の持ち味は、星新一にも似た知的なSF短編だ。
 登場人物の「感情」の部分は、ちゃんと存在するのだが、普段は抑え気味で、たまにちらっと覗かれる程度であるのが心地よい。
 今回の映画は本当に良くできているけれども、F先生の作風とは少しトーンが違う気がするのだ。

 小学低学年の頃、ドラえもんからはじまってF先生(当時はあくまで藤子不二雄先生だったが)の作品を色々読み漁っていた。
 中でも特に好きだったのが、「モジャ公」だった。



 作品としてはかなりマイナーな部類に入ると思うが、SF作家としてのF先生の持ち味が遺憾なく発揮されている。
 Amazonのレビューを見てみると、この作品をF先生の最高傑作に推す声もあり、深くうなずいてしまう。
 久々に読み返してみたいなあ。


 8月最後の一日、宿題に追われるも良し、ぼんやり過ごすのもまた良し。
posted by 九郎 at 06:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする