8月6日。
第二次大戦中、アメリカによって広島に原爆が投下され、何の罪もない非戦闘員が大量虐殺された日である。
核という最強最悪の兵器が、非戦闘員の大量虐殺を目的に実際に使用されたのは、今のところ人類史上で日本の広島と長崎のみ。
しかし核兵器自体は性能を格段に向上させながら、世界中に拡散し続けている。
この時期になると、コンビニに漫画「はだしのゲン」の廉価版が並ぶ。
かなり以前から恒例化していて、確か刊行されていない年もあったと思うのだが、ほぼ毎年店頭に並んでいる。
これまでは昔の「週刊少年ジャンプ」掲載分の「第一部」のみが集英社から刊行だったのだが、今年はちょっと特別で、続編に当たる「第二部」も中公から廉価版で出されている。
お互いの巻末に出版社の垣根を越えて広告が打たれているのは、けっこう珍しいのではないだろうか。
作者である中沢啓治さんは既にお亡くなりになっている。
ライフワークの全編が、広く読まれやすい形で刊行されたことは感慨深い。
この作品については、これまでにも何度か記事にしてきた。
ここ数年、学校や図書館からの排斥運動が起こったりもしているけれども、何か騒ぎが起きる度に注目が集まり、逆に本は売れ、読者は増え続けている。
世の中にはいじればいじるほどでかくなる不死身の怪物が存在する。(やや下ネタでスマン)
漫画「はだしのゲン」もまさにそうした生命力をもつ怪物で、焚書しようと下手に手を出せば、必ず逆効果になる。
色々と議論はあっても、作品が数十年にわたって読み継がれるのには理由がある
単純に、漫画としてむちゃくちゃ面白いのだ。
反戦反核の内容であるということは、読み継がれている理由の一要素に過ぎない。
内容が「重要だ」という理由だけでは、多くの人はわざわざ作品を手にとったりしない。
人は日々生きることに忙しく、いくら重要な事柄が描かれた作品であっても、その重要さだけを理由に鑑賞する意欲を持つのは、よほど真面目な人だけである。
唯一、読んで面白いという要素だけが、多くの読者の財布の紐を緩ませ、ページをめくる時間を割かせるのである。
作者の中沢先生には、そのあたりのことがよく分かっていたのだろう。
大切なことを描いているということ自体に寄りかからず、甘えず、漫画としての面白さを保持しながら、血を吐くような自信の思いを込めて作品を紡ぐという離れ業をやってのけたのだ。
その背景にはおそらく、原爆が投下された地獄の広島を、誰にも頼らず生き抜いてきた経験があったことだろう。
地べたを這いずる庶民の乾いたリアリズムが、作品の内容にも制作姿勢にも貫かれているからこそ、エンターテイメントとして優れた作品が生まれたのだ。
出版不況の中、こうしてコンビニ版が毎年刊行されるのも、それだけの売り上げが見込めるということだろう。
資本主義社会において「エンターテイメントとして優れている」「面白い」ということは最強なのだ。
売れる本は時代を超えて刊行され続け、いくら内容が良くても売れない本は消えていく。
原爆地獄の広島で、家族や友人たちを虐殺され続けたかつての少年が、その怨念を背負ってたった一人、ペンをとった。
単身、人類最強兵器や超大国に喧嘩を売ったのだ。
戦時中の爆撃機VS竹槍どころではない、核兵器VSペンなのだ。
まともに考えれば勝てるわけがないのである。
事実、作者が希求した核廃絶への道のりはまだまだ遠い。
核抑止論という極めて原始的なパワーバランスの在り方は、原始的であるだけに、突き崩すことは容易ではない。
世界中の頭脳が知恵を結集しても、いまだこの野蛮な理屈をひっくり返せていない。
それでも、「はだしのゲン」は世界中で読み継がれている。
野蛮な最強兵器の存在に、ほんの一矢でも反撃し得ているのが、知識人の言説などではなく、一匹狼気質の被爆者が描いた「たかがポンチ絵」なのだ。
これを「奇跡の善戦」と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
野蛮で巨大な力に対抗できるのは、こちらも原始的な、虐殺された側の「怨」の一念という情動しかないのである。
およそ勝てるはずのない喧嘩を売って、けっこう戦えてしまっている男を見たとき、たとえその男の政治的発言に考えの違うところがあったとしても、私の美意識では「およばずながら助太刀いたす」と呟くのが正しい。
義侠心とか大和魂とか武士道とか、呼び方はなんでもかまわないのだが、腹をくくって戦いを挑む男を後ろから切りつけるような真似は美しくないのである。
助太刀と言っても、せいぜいマイナーなブログで本を紹介し、自分でもコンビニ版を購入して再読するくらいしかできないのがなんとも歯がゆいのであるが。
ともかく、「はだしのゲン」をもっと世界に!
●「はだしのゲン」汐文社版
他の版は表現に一部修正があるそうなので、「昔読んだものをもう一度読みたい」という場合はこれ。
●「はだしのゲン自伝」
著者中沢啓治の自伝。「はだしのゲン」は、事実そのものではないものの、元々著者の自伝的な作品なので、描かれなかった続編をあれこれ想像するヒントがここにある。
●「絵本はだしのゲン」
マンガ版を元に、原爆投下前後をフルカラーで再現した取扱注意な一冊。