9月に入った。
このところ、とくに朝晩はめっきり涼しい。
さすがにこのまま秋突入とはいかず、あと何度か暑さが戻ってくると思うが、夜間の冷え込みには要注意だ。
長い付き合いの腰痛と腹痛は、夜油断して冷えてしまったときによく発症することがわかっている。
重症になると、ぎっくり腰や胃腸炎になって、数日間身動きとれなくなる場合もある。
こうしてブログに注意点を書き留めておくことが、予防に有効なのだ。
緩めの糖質制限による減量は一段落。
-13キロで体重減はストップし、1〜2キロ戻ったり減ったりという感じだ。
腹回りに多少脂肪が残っているが、痩せすぎも良くない。
だいたい20才頃の体重なので、このあたりが私の適正体重ということなのかもしれない。
食習慣として定着した緩めの糖質制限と、一日一度は体重計に乗ることは、今後も続ける。
私の場合、遺伝的には糖尿病と脳血管系の疾患に注意が必要なはずで、どちらも糖質制限が予防に有効である可能性が高い。
詳しくは、糖尿病治療が専門の江部康二先生のブログや著作が参考になる。
ドクター江部の糖尿病徒然日記
●「炭水化物の食べすぎで早死にしてはいけません: 生活習慣病を予防&改善する糖質制限食31のポイント」 江部康二
糖質制限については、ここ一年ほどで非常に話題になり、もちろん賛否がある。
私はこれまでにも度々書いてきた通り、「健康法は縁のもの」だと思っている。各自が自分の体質、体調とよく相談しながら、自己責任で「生き方」として選択するものだ。
私の場合、糖質制限は体質に合っていたようで、約一年で10キロあまりの減量に成功し、ついでに長年悩まされてきた花粉症も克服することができた。
自分の体感と、ドクター江部のブログや著作の論理性により、個人的には「糖質制限」という発想に、大筋で誤りはないと判断している。
大器晩成という言葉がある。
私は全く「大器」ではないけれども、「晩成」は目指しているので、体調には一応注意する。
食いたいものを食い、やりたいことをやって太く短く生きるというのにも憧れはあるけれども、とりあえず今生ではぼちぼち行くのだ(笑)
減量が一段落したので、「身体との対話」の次のテーマを探している。
腰痛、肩凝り、腹痛があるので、このかたい体をほぐす方法を探してみようか……
2014年09月03日
2014年09月06日
改稿 マンガ表現の近未来1
(以前、マンガ表現の近未来「電脳マヴォ」という記事を書いた。改稿して新しく投稿したい)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本でのマンガ表現の主流は、B5サイズの雑誌に安価な紙質と印刷で掲載し、後に単行本にまとめられることを前提にしてきた。
主な読者は「子供」であり、お小遣いで買える範囲の価格設定がなされたのだ。
画面作りは基本的には「B5サイズでの印刷」向けになっており、それを元に原稿サイズや描き込みの度合いも進化してきた。
B4サイズの原稿用紙に白黒のペン画、中間色はスクリーントーンを使用するというスタイルは、安価な印刷方式に合わせた「版下原稿」の作成作業で、多人数での分業がやり易いというメリットもあった。
週刊少年マンガ誌が次々に創刊され、日本のマンガが一気に読者数を増やした70年代、コマ割りは4段組(1ページあたりの平均8コマ)が基本だった。当時から今も続く作品、例えば「ドラえもん」などの画面構成を思い出すとイメージしやすいだろう。
その後、80年代半ばを過ぎると、より写実的な絵柄が流行しはじめる。
作画密度が高くなってくると1コマの絵は大きくなり、3段組(1ページあたり平均6コマ)が主流になった。
作品の内容も「ストーリー重視」から「大きな誌面での迫力あるアクション描写」が中心になった。
より派手な画面構成の追求で、タチキリや見開きが多用され、ページ数のわりにストーリーが進行しにくくなった。
その結果、人気作品は軒並み数十巻を超える大長編になっていった。
ビジネスモデルとしてのマンガは、こうした一部の「大長編ヒット作」に支えられてきた。
いくつか人気作品を確保しておけば、雑誌自体は赤字でも単行本で儲けを出すことができる。アニメ化されて関連商品の収益が出れば、さらにビジネスとしては大きくなる。
マンガの売り上げが出版社の経営を支え、余力で他の分野の本を刊行するという仕組みすら出来上がってくる。
ところが、こうしたビジネスモデルは90年代にピークを迎えて以降、完全に頭打ちになっている。
雑誌の発行部数はメジャー誌ですらピーク時から大きく減らし、ここ数年は歴史のある老舗雑誌でも休刊が相次ぐようになってきた。
単行本の売り上げはごく一部の超人気作に集中するようになり、売れる作品と売れない作品の二極化が進行している。
名の知られた中堅以上の有名漫画家ですら、作品発表の場を失いつつあるのが現状だ。
原因はいくつか考えられる。
根本的には少子化で、マンガのメイン読者である子どもの数が減っていることが挙げられるだろう。
ゲームなどで娯楽が多様化し、子ども向けのエンタメの主役がマンガではなくなったことも大きい。
長引く景気低迷で、子どもの頃からマンガに親しんできた中年以上の読者層ですら、マンガに使う金は減ってきている。
そもそも連載数十年、数十巻から百巻を超えるような大長編の全ては読みきれないし、買いきれない。部屋に並べるスペースもない。
ビジネスが縮小すると、週刊誌の作品内容は保守化する。
既存の人気作品は終わらないよう引き延ばされ、よく似たタイプの定型化された作品ばかりが並ぶようになる。
ますます読者は固定化され、新規の読者が入り込みにくくなる悪循環が続く。
一方で、アマチュア作家やオリジナリティを求める新人、名のある作家ですら、メジャー誌ではなく同人やネットの世界に活路を求める流れが出てきている。
インターネットを活用すれば、一昔前の自費出版や同人誌よりも、自分の作品をはるかに広く公開することができる。
元手がかからない電子出版であれば、少ない発行部数でも収益が出せる可能性がある。
電子出版は、出版社を通して刊行される紙の本の印税よりも、一冊あたりの作者の取り分がかなり大きいのだ。
他に職業を持ちながら、独自の作品世界を築くアマチュア作家が今確実に増えつつある。
スマホや小型タブレットなどの携帯読書端末の急速な発達、普及が、そうした傾向を後押しし、加速させている。
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日本でのマンガ表現の主流は、B5サイズの雑誌に安価な紙質と印刷で掲載し、後に単行本にまとめられることを前提にしてきた。
主な読者は「子供」であり、お小遣いで買える範囲の価格設定がなされたのだ。
画面作りは基本的には「B5サイズでの印刷」向けになっており、それを元に原稿サイズや描き込みの度合いも進化してきた。
B4サイズの原稿用紙に白黒のペン画、中間色はスクリーントーンを使用するというスタイルは、安価な印刷方式に合わせた「版下原稿」の作成作業で、多人数での分業がやり易いというメリットもあった。
週刊少年マンガ誌が次々に創刊され、日本のマンガが一気に読者数を増やした70年代、コマ割りは4段組(1ページあたりの平均8コマ)が基本だった。当時から今も続く作品、例えば「ドラえもん」などの画面構成を思い出すとイメージしやすいだろう。
その後、80年代半ばを過ぎると、より写実的な絵柄が流行しはじめる。
作画密度が高くなってくると1コマの絵は大きくなり、3段組(1ページあたり平均6コマ)が主流になった。
作品の内容も「ストーリー重視」から「大きな誌面での迫力あるアクション描写」が中心になった。
より派手な画面構成の追求で、タチキリや見開きが多用され、ページ数のわりにストーリーが進行しにくくなった。
その結果、人気作品は軒並み数十巻を超える大長編になっていった。
ビジネスモデルとしてのマンガは、こうした一部の「大長編ヒット作」に支えられてきた。
いくつか人気作品を確保しておけば、雑誌自体は赤字でも単行本で儲けを出すことができる。アニメ化されて関連商品の収益が出れば、さらにビジネスとしては大きくなる。
マンガの売り上げが出版社の経営を支え、余力で他の分野の本を刊行するという仕組みすら出来上がってくる。
ところが、こうしたビジネスモデルは90年代にピークを迎えて以降、完全に頭打ちになっている。
雑誌の発行部数はメジャー誌ですらピーク時から大きく減らし、ここ数年は歴史のある老舗雑誌でも休刊が相次ぐようになってきた。
単行本の売り上げはごく一部の超人気作に集中するようになり、売れる作品と売れない作品の二極化が進行している。
名の知られた中堅以上の有名漫画家ですら、作品発表の場を失いつつあるのが現状だ。
原因はいくつか考えられる。
根本的には少子化で、マンガのメイン読者である子どもの数が減っていることが挙げられるだろう。
ゲームなどで娯楽が多様化し、子ども向けのエンタメの主役がマンガではなくなったことも大きい。
長引く景気低迷で、子どもの頃からマンガに親しんできた中年以上の読者層ですら、マンガに使う金は減ってきている。
そもそも連載数十年、数十巻から百巻を超えるような大長編の全ては読みきれないし、買いきれない。部屋に並べるスペースもない。
ビジネスが縮小すると、週刊誌の作品内容は保守化する。
既存の人気作品は終わらないよう引き延ばされ、よく似たタイプの定型化された作品ばかりが並ぶようになる。
ますます読者は固定化され、新規の読者が入り込みにくくなる悪循環が続く。
一方で、アマチュア作家やオリジナリティを求める新人、名のある作家ですら、メジャー誌ではなく同人やネットの世界に活路を求める流れが出てきている。
インターネットを活用すれば、一昔前の自費出版や同人誌よりも、自分の作品をはるかに広く公開することができる。
元手がかからない電子出版であれば、少ない発行部数でも収益が出せる可能性がある。
電子出版は、出版社を通して刊行される紙の本の印税よりも、一冊あたりの作者の取り分がかなり大きいのだ。
他に職業を持ちながら、独自の作品世界を築くアマチュア作家が今確実に増えつつある。
スマホや小型タブレットなどの携帯読書端末の急速な発達、普及が、そうした傾向を後押しし、加速させている。
(つづく)
2014年09月08日
改稿 マンガ表現の近未来2
これからのマンガ表現を考える上で避けて通れないのが、スマホや小型タブレットなどの携帯読書端末での鑑賞である。
最近の通勤通学風景を眺めて気づくのは、車内で新聞や雑誌、マンガも含めた書籍などを開く人の数がはっきり減少しているということだ。
かわりにスマホやタブレットで、ゲームや音楽、動画を楽しむ人の姿が目立つ。
ネット環境の発達により、出先で情報収集する場合は、ニュースなどの文字情報ですらこうした携帯端末から入手するのが主流になりつつある。
小説や漫画などの書籍も、徐々に電子出版の点数が増えることで、紙の本から電子情報への移行が進みつつある。
紙の本が完全に消滅することは今後もないだろうけれども、新聞や雑誌などの情報媒体、その場かぎりで楽しむための娯楽作品を中心に、電子出版への流れは今後ますます加速するだろう。
持ち歩くにも蔵書するにもかさ張らない、表示の自由がきく、絶版がない、価格を安く設定しやすいなどの電子出版の利便性は、一度体験すると非常に魅力的である。
私も含めた「紙の本をこよなく愛する人間」は、それでも紙の本にしかない優位性をいくつも数え上げ、本の電子化への心理的な抵抗を示したくなるものだが、多くのライトユーザーにとっては「利便性、経済性」が第一である。
写真の電子化、音楽のネット配信化も、開始当初、ヘビーユーザーの反応は芳しくなかったが、利便性と経済性で瞬く間に一般化してしまった。
同じことは十年と待たず、本の世界でも起こる。
将来的に紙の本は、まだ端末を操作することが困難な幼児向けの絵本、子供向けの書籍や、専門性の高い学術書を除いて、マニア向けのプレミアアイテムといった扱いになるのではないだろうか。
kindleという端末でマンガ読書を重ねてみて、個人的に感じたことを少しまとめておきたい。
まずは端末のサイズについて。
文字の本を読むだけならばスマホも十分使えるのだろうけれども、「絵を楽しむ」という要素があるマンガ読書には、やはり最低でも7インチの画面が必要だと感じる。
このサイズがあれば、だいたい文庫本1ページがおさまる程度の画面が確保されているので、あちこちスクロールする必要がなく、既存の作品を読むのにもストレスが少ない。
ただ、2ページの見開きを一目で見るには、この画面サイズでも文字が判読できないほど縮小せざるを得ない。
通常のマンガ本や雑誌面と同様2ページを一気に表示させ、ストレスなく鑑賞するには、それなりの面積の画面が必要になるが、その場合は移動中に片手で無理なく持てる「携帯端末」という範疇からははずれる。
「紙の本」の斜陽がいよいよ顕在化してきた昨今、今後のマンガはスマホや小型タブレットなどの携帯読書端末で閲覧しやすい形に傾斜していくのではないだろうか。
そうなるといくつかの点でマンガの作画作法に変化が生じる可能性が高い。
今の時点で携帯読書端末に表示させてみると、昔の4段組時代の作品は、B5サイズでの印刷が前提になっているため、さすがに絵も字も小さすぎて読みにくい。
現在主流の3段組作品でも、細かな線による描き込みや、緻密なスクリーントーンによる表現は、意外と見づらい。
線による描き込みやスクリーントーンは、紙に印刷したときにハーフトーン(グレー)を美しく出すため手法だが、液晶画面との相性は今ひとつだ。
また、web作品を閲覧する場合、数十巻に及ぶような長編作品は、掲載も閲覧も難しい。
せいぜい数十ページまでの短編や、最大でも単行本一冊から数冊程度までがストレスなく読むことのできる「ほどよい長さ」ということになると思う。
日本のマンガが主にモノクロであることや、数十巻に及ぶ大長編作が多いことも、全て「安価な印刷の紙の本」という大前提があってこそだ。
もっと言えば、「ページ」という概念そのものが「印刷された紙の本」を前提にしている。
web配信して液晶画面で見るだけで完結し、間に「紙への印刷」を挟まないならば、モノクロである必要はないし、全く違った原稿作りの作法が生まれてくるだろう。
web配信と紙の本への移行を両立させるなら、だいたい以下のような形に落ち着くのではないだろうか。
●原稿は基本的に3段組で、見開きは使用しない。
●線やトーンによる描写はなるべくシンプルに。カラーでもOK。
●コピーやスキャンの利便性、なるべくシンプルな画面作りを考えるならば、原稿用紙は雑誌原稿で主流のB4ではなく、同人誌などで主流のA4サイズでも良い。
●短編がベター。長くても単行本一冊〜数冊程度。
また携帯端末は、横書き文章を縦スクロールで読み進めていくのに向いているので、以下の点も将来的には重要になってくるかもしれない。
●携帯端末での視認性を重視し、翻訳して海外への配信も視野に入れるなら、最初から「横書き、左開き」で制作する。
以上、現時点での覚書として残しておく。
最近の通勤通学風景を眺めて気づくのは、車内で新聞や雑誌、マンガも含めた書籍などを開く人の数がはっきり減少しているということだ。
かわりにスマホやタブレットで、ゲームや音楽、動画を楽しむ人の姿が目立つ。
ネット環境の発達により、出先で情報収集する場合は、ニュースなどの文字情報ですらこうした携帯端末から入手するのが主流になりつつある。
小説や漫画などの書籍も、徐々に電子出版の点数が増えることで、紙の本から電子情報への移行が進みつつある。
紙の本が完全に消滅することは今後もないだろうけれども、新聞や雑誌などの情報媒体、その場かぎりで楽しむための娯楽作品を中心に、電子出版への流れは今後ますます加速するだろう。
持ち歩くにも蔵書するにもかさ張らない、表示の自由がきく、絶版がない、価格を安く設定しやすいなどの電子出版の利便性は、一度体験すると非常に魅力的である。
私も含めた「紙の本をこよなく愛する人間」は、それでも紙の本にしかない優位性をいくつも数え上げ、本の電子化への心理的な抵抗を示したくなるものだが、多くのライトユーザーにとっては「利便性、経済性」が第一である。
写真の電子化、音楽のネット配信化も、開始当初、ヘビーユーザーの反応は芳しくなかったが、利便性と経済性で瞬く間に一般化してしまった。
同じことは十年と待たず、本の世界でも起こる。
将来的に紙の本は、まだ端末を操作することが困難な幼児向けの絵本、子供向けの書籍や、専門性の高い学術書を除いて、マニア向けのプレミアアイテムといった扱いになるのではないだろうか。
kindleという端末でマンガ読書を重ねてみて、個人的に感じたことを少しまとめておきたい。
まずは端末のサイズについて。
文字の本を読むだけならばスマホも十分使えるのだろうけれども、「絵を楽しむ」という要素があるマンガ読書には、やはり最低でも7インチの画面が必要だと感じる。
このサイズがあれば、だいたい文庫本1ページがおさまる程度の画面が確保されているので、あちこちスクロールする必要がなく、既存の作品を読むのにもストレスが少ない。
ただ、2ページの見開きを一目で見るには、この画面サイズでも文字が判読できないほど縮小せざるを得ない。
通常のマンガ本や雑誌面と同様2ページを一気に表示させ、ストレスなく鑑賞するには、それなりの面積の画面が必要になるが、その場合は移動中に片手で無理なく持てる「携帯端末」という範疇からははずれる。
「紙の本」の斜陽がいよいよ顕在化してきた昨今、今後のマンガはスマホや小型タブレットなどの携帯読書端末で閲覧しやすい形に傾斜していくのではないだろうか。
そうなるといくつかの点でマンガの作画作法に変化が生じる可能性が高い。
今の時点で携帯読書端末に表示させてみると、昔の4段組時代の作品は、B5サイズでの印刷が前提になっているため、さすがに絵も字も小さすぎて読みにくい。
現在主流の3段組作品でも、細かな線による描き込みや、緻密なスクリーントーンによる表現は、意外と見づらい。
線による描き込みやスクリーントーンは、紙に印刷したときにハーフトーン(グレー)を美しく出すため手法だが、液晶画面との相性は今ひとつだ。
また、web作品を閲覧する場合、数十巻に及ぶような長編作品は、掲載も閲覧も難しい。
せいぜい数十ページまでの短編や、最大でも単行本一冊から数冊程度までがストレスなく読むことのできる「ほどよい長さ」ということになると思う。
日本のマンガが主にモノクロであることや、数十巻に及ぶ大長編作が多いことも、全て「安価な印刷の紙の本」という大前提があってこそだ。
もっと言えば、「ページ」という概念そのものが「印刷された紙の本」を前提にしている。
web配信して液晶画面で見るだけで完結し、間に「紙への印刷」を挟まないならば、モノクロである必要はないし、全く違った原稿作りの作法が生まれてくるだろう。
web配信と紙の本への移行を両立させるなら、だいたい以下のような形に落ち着くのではないだろうか。
●原稿は基本的に3段組で、見開きは使用しない。
●線やトーンによる描写はなるべくシンプルに。カラーでもOK。
●コピーやスキャンの利便性、なるべくシンプルな画面作りを考えるならば、原稿用紙は雑誌原稿で主流のB4ではなく、同人誌などで主流のA4サイズでも良い。
●短編がベター。長くても単行本一冊〜数冊程度。
また携帯端末は、横書き文章を縦スクロールで読み進めていくのに向いているので、以下の点も将来的には重要になってくるかもしれない。
●携帯端末での視認性を重視し、翻訳して海外への配信も視野に入れるなら、最初から「横書き、左開き」で制作する。
以上、現時点での覚書として残しておく。
2014年09月09日
雲の羽衣
今年の中秋の名月は、昨夜眺めた。
お月見に出た子供たちがそれぞれに素早く動きながら、お月様は自分についてきていると、それぞれに主張する声なども聞きながら。
今年の場合は、今夜と明日もまだ満月が楽しめるようだ。
今夜は秋らしく薄雲がかかり、月光を映し出す羽衣になって、更に見応えがあった。
明日はどんな月見ができるだろうか。
月にまつわる記事も、いつのまにかたくさん増えた。
お月様のおしっこ
月影
つ、つ、つきよだ
月のウサギ
蝕
太陽と月を喰う悪魔
月を喰う悪魔のロゴ画像動画
月のモノガタリあれこれ
接近
深夜の航路
中秋の名月2009
天の乗物 太陽と月
そして、『縁日草子』の源流になったのも、月の祭だったのだ。
お月見に出た子供たちがそれぞれに素早く動きながら、お月様は自分についてきていると、それぞれに主張する声なども聞きながら。
今年の場合は、今夜と明日もまだ満月が楽しめるようだ。
今夜は秋らしく薄雲がかかり、月光を映し出す羽衣になって、更に見応えがあった。
明日はどんな月見ができるだろうか。
月にまつわる記事も、いつのまにかたくさん増えた。
お月様のおしっこ
月影
つ、つ、つきよだ
月のウサギ
蝕
太陽と月を喰う悪魔
月を喰う悪魔のロゴ画像動画
月のモノガタリあれこれ
接近
深夜の航路
中秋の名月2009
天の乗物 太陽と月
そして、『縁日草子』の源流になったのも、月の祭だったのだ。
2014年09月26日
風が騒ぐ夜は
9月ももう終わりか。
例年だと9月末ごろまで結構暑くて、夏の名残を感じるものなのだが、今年は駆け足で秋が来てしまった。
そろそろ秋のお彼岸も終わり。
少々早めに咲いていたヒガンバナは、もうすっかり萎れている。
日が落ちると、少し強めの風がよく吹く季節だ。
毎年この時期になると、どんとの歌が聞きたくなる。
どんとのことは、このカテゴリでわりと長く語ってきた。
あの海岸の不思議なお祭から、今年でもう二十年経ってしまった。
ボガンボス時代の曲に、「トンネル抜けて」という作品がある。
風が騒ぐ夜はうちへ帰りたくないよ……
そう歌うどんとの声に誘われて、月を眺めながらふらりと何処かへ出掛けたくなるのが、今の時期なのだ。
●「一頭象 どんとスーパーベスト」
秋のお彼岸、あの海岸の岩場で歌う誰かが、今年もいたのだろうな。
ジーンズの上下に帽子をかぶったどんとも、また小松の下にそっと座っていたのだろうか。
二十年前に始まった月の祭の物語が、まだ続いているのを感じる。
例年だと9月末ごろまで結構暑くて、夏の名残を感じるものなのだが、今年は駆け足で秋が来てしまった。
そろそろ秋のお彼岸も終わり。
少々早めに咲いていたヒガンバナは、もうすっかり萎れている。
日が落ちると、少し強めの風がよく吹く季節だ。
毎年この時期になると、どんとの歌が聞きたくなる。
どんとのことは、このカテゴリでわりと長く語ってきた。
あの海岸の不思議なお祭から、今年でもう二十年経ってしまった。
ボガンボス時代の曲に、「トンネル抜けて」という作品がある。
風が騒ぐ夜はうちへ帰りたくないよ……
そう歌うどんとの声に誘われて、月を眺めながらふらりと何処かへ出掛けたくなるのが、今の時期なのだ。
●「一頭象 どんとスーパーベスト」
秋のお彼岸、あの海岸の岩場で歌う誰かが、今年もいたのだろうな。
ジーンズの上下に帽子をかぶったどんとも、また小松の下にそっと座っていたのだろうか。
二十年前に始まった月の祭の物語が、まだ続いているのを感じる。