2014年10月22日

デッサンと見取り稽古

 しばらく前に鉛筆デッサンで人物画を描く仕事があった。
 鉛筆でがっちり写実をやるのは久々だったが、なんとか芸は錆びずにいてくれたようで一安心した。
 絵描きの多くは学生時代に鉛筆や木炭による写実デッサンの修練を積む。
 一定レベルの写実を身に付けた後は独自の表現の探求に進むのが常道なので、「写実デッサン」という一点だけに絞れば二十代あたりがピークである絵描きが多いだろう。
 私もたぶんそうした例に漏れないが、鉛筆は好きな画材なので、おりおりスケッチを重ねていたことが、芸をぎりぎり保たせてくれたのかもしれない。

 デッサンの練習は、「手」の技術研鑽を通して、立体や空間、色彩などを、正しくありのまま把握するための「眼」と「頭」を鍛えるためのものだ。
 絵を描くという行為は、端から見ると実際に絵筆をとっている「手」に注目が集まりがちだが、実は「手」という要素は全体のせいぜい三分の一に過ぎない。
 根本的には、ものを観る「眼」が重要だ。
 PC関連機器で喩えれば、「眼」はスキャナーやデジカメ等の入力機器、「頭」はPC本体や画像処理ソフト、「手」はモニターやプリンターなどの出力機器に相当する。
 入力された時点の画像データ自体の精度や情報量が、その後の画像処理を左右することを考えれば、絵を描くことにおける「眼」の重要性が理解されやすいだろう。
 「絵は眼で描く、音楽は耳で奏でる」という表現は昔からあるが、芸術の本質を簡潔に述べていると思う。
 ただ、人間の「眼」というものは意外に騙されやすく、錯覚や先入観により間違うことが多い。
だから「眼」から得た情報を、知識や経験から常にチェックし補整する「頭」も重要で、それも含めての「眼」である。
 「手」の技術ももちろん重要だが、表現方法によっては意外に他のものでも代替可能な場合が多いのだ。
 空間認識能力を高め、それを作品の形に出力するためには他の手段もあるので、現代アートにおいては写実デッサンの比重は軽くなりつつある
 それではなぜ様々な表現形式の発達した現代でも、美術志望の学生の多くが写実デッサンという「手」の修練を積むのかと言えば、それが一番「眼」を鍛えるのに有効だからだ。
 人間の眼と頭の進化は、手の発達と共に進行した。
 だから認識能力を高めるには手の修練と関連付けるのが最も手っ取り早いのだ。
 
 ハシクレとは言え私も絵描きなので、ときに中高生から美術系の進路相談を受ける機会もある。
 そのような場合には、経済的に許されるならばどこかの教室に通って写実デッサンの訓練を積むことを勧めるし、時には直接指導することもある。
 独学も不可能ではないが、写実デッサンに限って言えば、なるべく他の生徒もたくさんいる教室での訓練が望ましい。
 一つには、鉛筆や木炭デッサンの作品が、印刷で再現されにくいことがある。
 モノクロ作品だからテキストを見ながらの練習でも良さそうに思えるかもしれないけれども、おそらく印刷物では実物の十分の一の情報量も伝えられていないだろう。
 鉛筆や木炭によるデッサンは、基本的には紙の表面にカーボンの粉末を擦り付けたり、ゴムで削り落としたりしながら、様々な階調のグレーで空間を描き分ける行為だ。
 その描き分け具合で、観るものにまるでその紙の上に空間が広がっているかのような錯覚を起こさせるのが、上手いデッサンということになる。
 シンプルな画材で錯覚を起こさせるために、画学生はあらゆる手を使う。
 鉛筆や木炭のカーボン粉末を、紙の表面に軽くのせるだけにするのと、紙の繊維に深くすりこむのとでは別の質感になるし、タッチの付け方で光の方向や素材の雰囲気は細かく描き分けられる。
 鉛筆であれば、濃い鉛筆と薄い鉛筆では「黒」に違いがあるし、芯の削りだし方から研究するものだ。
 そう言った微妙な表現は、印刷物では伝わりづらい。(印刷を前提とする場合は、タッチによる表現を強めにしてペン画に近い手法にする必要がある)

 そして、実際に「描けている」作品や、描いた本人と親しく接することができるのも大きい。
 各教室に何人かいる写実デッサンの名手の作品の実物を目前にすると、ちょっとした衝撃がある。
 背景になっている紙の地がスコーンと後ろに抜けて、描かれたモデルの周囲に風が吹いているような感覚に襲われるのだ。
 そこまでのレベルの写実の技術が、美術志望者全員に必要があるわけではない。
 表現は多用なので「出力」に関して言えば、誰もが写実の名手を目指す必要はない。
 しかし、同年代の学生が実際に手を動かしてそれを描いているという刺激は、空間認識能力という「入力」を育成する面で、絶大な効果を発揮する。
 上手い作品や、それを制作する者の佇まい、用具の使い方に身近に接することで、周りものの空間認識能力が引っ張りあげられるという効果は、確かにあるのだ。

 武術の世界では「見取り稽古」という言葉がある。
 スポーツで言う「見学」と似ているけれども、もっと積極的に「観ることで技を盗む」というニュアンスがある。
 技術は教わるものではなく、観て盗むものだという考え方は、武術に限らず日本の伝統的な芸事や職人技全般に「常識」として存在する。
 デッサン技術は身体操作法としての側面が強いので、「見取り稽古」的な技術伝達が、かなり有効に機能するのだ。
posted by 九郎 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする