秋の進行が早すぎる。もうすぐ冬の雰囲気。
例の秋口の試験、無事合格。
二科目あるうちの一科目は、正直出来が今一つだった。
試験開始とともに問題文に目を通して、想定していた出題とかなり違ったので冷や汗をかいた。
しかし私は元々劣等生出身。「綺麗に解答できなくても、しぶとく部分点を拾い集める」という、誤魔化しの技術には長けているのだ(笑)
論述問題であれば、テーマになった項目に対する暗記事項が足りなくても、関連する一般論を、明らかな間違いは書かずに目一杯記述すれば、0点にはなりにくいものだ。
入試のような「選別のための厳しい試験」ではなかったので、甘めの採点で助けてもらったのかもしれない。
出題傾向が想定とは違っていただけで、試験勉強自体はけっこう真面目にやっていた。
ボリュームのあるテキスト二冊を、一夏かけて手書きで要点の抜粋を行った。
その抜粋を母体にレポート提出をこなし、手書きの感覚を甦らせることで、PCに慣れきって書けなくなっていた漢字を思いだし、長文を書いてもびくともしない手に鍛え直した。
おかげでフィジカル面は全く問題なかった。
ともかく、この半年ほど心に引っ掛かっていた試験が済んで、一安心した。
緊張感が解けたところで要注意なのが、胃腸炎だ。
今後一週間ほどは、睡眠をよくとり、ものはよく噛むことを心がけなくてはならない。
体重はマイナス12キロ地点で安定。緩めの糖質制限で、増えもせず、減りもせず。
ちょっと気づいたのだが、本格的に減量を開始した去年も、夏の終りから秋にかけて、体重が停滞していた。
今年もちょうど同じ感じで来ている。
もしかしたらこの時期、食物の乏しい冬に向けて体脂肪を貯めやすくなる、野性的な仕組みが私の体に残存しているのかもしれない。

2014年11月01日
2014年11月06日
身体は性格
一週間ほど前からノドの風邪を引いている。
少しマシにはなってきたが、なかなか快癒しない。
風邪引き当初、朝起きるとノドがガサガサになって声がでなくなっていた。
毎年冬になると乾燥でよくノドがやられるので、はじめはそのせいかとも思ったが、まだそこまでの季節ではない。
声がでなくなると、てきめんに「戦闘力」が落ちる。
普段から「チビなのに声はデカい」という身体条件を基本に仕事や日常生活をこなしているので、声が出ないとスカウターの数値が半減した感じがする。
ドラゴンボール風に考えるならむしろ、半減した状態が「素」で、気合いをいれて声を出したときだけ瞬間的に戦闘力がアップするということなのかもしれない。
素の状態だと悪者に「戦闘力は、ふん、たったこれだけか。ゴミが!」と判定される。
普段ならそこから不意打ちで戦闘力を上げて反撃するのだが、声が出ないとそれもままならないのでさっさと治さなければ(笑)
別にサイヤ人のように日常的に戦っているわけではないが、小柄で大人しそうな第一印象と、デカい声のギャップが私の「つかみ」なのだ。
声がデカいのは小中高と一応続けていた剣道のおかげだ。
今の私は基本的に軟弱な絵描きに過ぎないが、剣道で貯めたフィジカルの「貯金」がいくらかは残っていて、声もそのうちの一つ。
中高生の頃、対外試合などで、こちらがチビで大人しそうだと相手が侮っている雰囲気を感じると、逆に「しめた!」と思ったものだ。
試合開始とともに、腹の底からの気合いをかけて体当たりをぶちかまし、相手が意表を突かれて体勢を崩したところを、軽量級のスピードでたたみかけるのが私の唯一の勝ちパターンだった。
体格や地力では真面目に活動している他校の選手にはとても敵わないので、こういう奇襲戦法をとるしかなかったのだが、けっこう勝ちを拾うことはできた。
進学校の弱小剣道部の中で、団体戦で全敗を避けるための、一応勝てる可能性のあるメンバーの一人には数えてもらっていた。
考えてみると今使っている「つかみ」の手法も、当時の奇襲戦法と似たようなものだ。
剣道という競技は、竹刀という武具を介在させることで、体格差や体力差がわりと埋めやすい。
現代剣道は完全にスポーツ化されているが、スポーツ格闘技の中では珍しく「体重無差別」が実質的に機能していて、武術的要素も残っている。
私の使っていた奇襲戦法などはごく初歩的なごまかしの技術に過ぎないけれども、剣道愛好家の中には本当に強い「小さな達人」が数多く存在する。
私が教えを受けた先生方の中にもそうした「本物」がいて、今も鮮明に記憶に残っている。
小学生の頃通っていた教室に、当時七段(後に八段に昇進なさったようだ)の先生がいた。
小柄だったがダイナミックな動きの本格派で、私のように体の小さい児童が負けん気を出しているのを見ると、実に嬉しそうにあれこれ教えてくれた。
体当たりを最初に伝授してくれたのも、確かその先生だったと思う。
体重に加速をプラスし、相手を吹っ飛ばす見事な技を実演してくれて、その「見取り稽古」があったおかげで、私もいくらか使える体当たりを身に付けることができた。
もう一人、中高生の頃部活で教わった先生は、まさに物語の中に出てくるような「達人」だった。
当時もうおじいちゃんだったのだが、小柄で細身なのに物凄く強かった。
段位は八段で、私より大きく強かった先輩方も、まるで子供扱いだった。
歳が歳なので中高生のように激しく動き回ったりはしないのだが、好きなように攻めさせては、巧みに隙を見つけてポンポンと打ち込んでくる。
こちらの竹刀はすべて受け流され、打突部位にかすりもしない。
先生はその場からほとんど動いていないのに、散々動かされ振り回されて疲労困憊してしまう。
中高生の間で、私はたった一度だけ、その先生の籠手にきれいに打ち込めたことがあった。
ほんのまぐれだったのだが、その一本がどうやら触れてはいけない「本気スイッチ」を押してしまったようで、それまでゆったりしていた先生の動きが突然三倍くらいにスピードアップし、私は一瞬でボコボコに打ち倒されてしまった。
私も含め、小柄な人間はこういう負けず嫌いで大人げない一面を持っていることが多い(笑)
しかし、たとえ一瞬でも達人の「本気」を引き出せたことは、あまり真面目とは言えなかった私の剣道歴の中で、誇らしい思い出として記憶に残っている。
こうして思い返してみると、生まれつきのフィジカルや、それを土台に身に付けた技術が、性格や対人関係の作法にも強い影響を及ぼしている気がする。
心と身体はよく分けて論じられるけれども、私の体感では「身体は性格」と表現するのが適当なのだ。
少しマシにはなってきたが、なかなか快癒しない。
風邪引き当初、朝起きるとノドがガサガサになって声がでなくなっていた。
毎年冬になると乾燥でよくノドがやられるので、はじめはそのせいかとも思ったが、まだそこまでの季節ではない。
声がでなくなると、てきめんに「戦闘力」が落ちる。
普段から「チビなのに声はデカい」という身体条件を基本に仕事や日常生活をこなしているので、声が出ないとスカウターの数値が半減した感じがする。
ドラゴンボール風に考えるならむしろ、半減した状態が「素」で、気合いをいれて声を出したときだけ瞬間的に戦闘力がアップするということなのかもしれない。
素の状態だと悪者に「戦闘力は、ふん、たったこれだけか。ゴミが!」と判定される。
普段ならそこから不意打ちで戦闘力を上げて反撃するのだが、声が出ないとそれもままならないのでさっさと治さなければ(笑)
別にサイヤ人のように日常的に戦っているわけではないが、小柄で大人しそうな第一印象と、デカい声のギャップが私の「つかみ」なのだ。
声がデカいのは小中高と一応続けていた剣道のおかげだ。
今の私は基本的に軟弱な絵描きに過ぎないが、剣道で貯めたフィジカルの「貯金」がいくらかは残っていて、声もそのうちの一つ。
中高生の頃、対外試合などで、こちらがチビで大人しそうだと相手が侮っている雰囲気を感じると、逆に「しめた!」と思ったものだ。
試合開始とともに、腹の底からの気合いをかけて体当たりをぶちかまし、相手が意表を突かれて体勢を崩したところを、軽量級のスピードでたたみかけるのが私の唯一の勝ちパターンだった。
体格や地力では真面目に活動している他校の選手にはとても敵わないので、こういう奇襲戦法をとるしかなかったのだが、けっこう勝ちを拾うことはできた。
進学校の弱小剣道部の中で、団体戦で全敗を避けるための、一応勝てる可能性のあるメンバーの一人には数えてもらっていた。
考えてみると今使っている「つかみ」の手法も、当時の奇襲戦法と似たようなものだ。
剣道という競技は、竹刀という武具を介在させることで、体格差や体力差がわりと埋めやすい。
現代剣道は完全にスポーツ化されているが、スポーツ格闘技の中では珍しく「体重無差別」が実質的に機能していて、武術的要素も残っている。
私の使っていた奇襲戦法などはごく初歩的なごまかしの技術に過ぎないけれども、剣道愛好家の中には本当に強い「小さな達人」が数多く存在する。
私が教えを受けた先生方の中にもそうした「本物」がいて、今も鮮明に記憶に残っている。
小学生の頃通っていた教室に、当時七段(後に八段に昇進なさったようだ)の先生がいた。
小柄だったがダイナミックな動きの本格派で、私のように体の小さい児童が負けん気を出しているのを見ると、実に嬉しそうにあれこれ教えてくれた。
体当たりを最初に伝授してくれたのも、確かその先生だったと思う。
体重に加速をプラスし、相手を吹っ飛ばす見事な技を実演してくれて、その「見取り稽古」があったおかげで、私もいくらか使える体当たりを身に付けることができた。
もう一人、中高生の頃部活で教わった先生は、まさに物語の中に出てくるような「達人」だった。
当時もうおじいちゃんだったのだが、小柄で細身なのに物凄く強かった。
段位は八段で、私より大きく強かった先輩方も、まるで子供扱いだった。
歳が歳なので中高生のように激しく動き回ったりはしないのだが、好きなように攻めさせては、巧みに隙を見つけてポンポンと打ち込んでくる。
こちらの竹刀はすべて受け流され、打突部位にかすりもしない。
先生はその場からほとんど動いていないのに、散々動かされ振り回されて疲労困憊してしまう。
中高生の間で、私はたった一度だけ、その先生の籠手にきれいに打ち込めたことがあった。
ほんのまぐれだったのだが、その一本がどうやら触れてはいけない「本気スイッチ」を押してしまったようで、それまでゆったりしていた先生の動きが突然三倍くらいにスピードアップし、私は一瞬でボコボコに打ち倒されてしまった。
私も含め、小柄な人間はこういう負けず嫌いで大人げない一面を持っていることが多い(笑)
しかし、たとえ一瞬でも達人の「本気」を引き出せたことは、あまり真面目とは言えなかった私の剣道歴の中で、誇らしい思い出として記憶に残っている。
こうして思い返してみると、生まれつきのフィジカルや、それを土台に身に付けた技術が、性格や対人関係の作法にも強い影響を及ぼしている気がする。
心と身体はよく分けて論じられるけれども、私の体感では「身体は性格」と表現するのが適当なのだ。
2014年11月08日
思想は性分
スポーツでどんな競技を好むかは、けっこう性格で分かれる。
球技などのチームスポーツを好むのは協調性がある人が多いし、個人が基本の競技を好む人はやっぱり一匹狼タイプが多い気がする。
格闘技の場合は、とくに観るだけでなく自分でもやってみようという時点で、闘争心が強く、個人主義の傾向があることは間違いない。
そんな中でも、柔道やレスリングなどの組み技系を選ぶか、ボクシングや空手、剣道などの打撃系を選ぶかで、ちょっと気質が分かれてくる。
組み技系を選ぶ方が、比較的温厚で人の話を聞ける場合が多く、打撃系を選ぶ人は完全に自他の間に一線を引いて、それ以上は接近もしないし、接近させもしないという傾向がある。
剣道出身者である私も、確かにそういう性分だ。
このように書くと、知らない人には打撃系格闘技を学ぶ人が、社会不適応の荒くれ者集団に思われてしまいそうだが、もちろんそんなことはない。
道場や部活は上下間系の厳しい体育会系ノリの縦社会なので、そこに属する限りは一匹狼なりに集団と折り合いをつける能力は培われる。
やんちゃ者でも道場でもまれてある程度の技量を身に付ければ、普通はそれを外で使おうという気は起こらなくなるものだ。
格闘技術を学ぶことで闘争心を飼い慣らし、社会と折り合いをつける効果は確かにある。
そう言えば先年、学校教育で「武道必修化」があった。
現代のスポーツ競技としての柔道や剣道に、どれほど日本の武道の伝統や思想が反映されているかは甚だ疑問だが、投げたり投げられたり、叩いたり叩かれたりする経験に乏しい現代っ子には、人間の身体が「痛み」をどのように感じるかを知る、よい機会にはなるだろう。
(ただ、短期間の講習を受けただけの素人のような指導員が、けっこう怪我の多い柔道のような競技を本当に教えられるのかという問題はある)
元々の性格が競技を選ばせるのか、競技の特性が性格を育てるのか、玉子が先か鶏が先かは難しいところだが、もう少し拡張してみると「主義主張」「思想」「政治的立場」なども、実は大層な理由ではなく単なる性格・性分で選んでいる場合が多々あると思う。
例えば私は心情左翼を自認しているけれども、これは完全に性分によるものだ。
そもそも組織など大嫌いなので、特定の党派には何の思い入れもない。
幼い頃から生涯「小柄」で通してきたので、とにかく「なりのデカい奴が態度までデカい」というのが大嫌いだった。
だから長じても「多数派である」とか「経済的に優位である」とか「軍事力で圧倒している」とかいう勢力には本能的な反発を覚える。
それは理非曲直を超えた、脊髄反射的な反応である。
自分で実行するのはなかなか難しいけれども「弱きをたすけ、強きをくじく」という心意気には憧れをもつし、反骨心をベースにした表現者には共感することが多い。
私に限らず、これはもう左右にも関わらず、実は性分で立ち位置を選んでいるという人が大多数ではないだろうか。
だからこそ「論理」や「根拠」というものが大切になってくる。
思想がほぼ性分とイコールであるならば、そこはもう変えようがない。
その暴走や誤りは、醒めた知性を磨くことでしかチェックできない。
対話の道は、「思想なんてしょせんは性分」と、それぞれに自覚するしかないのだ。
球技などのチームスポーツを好むのは協調性がある人が多いし、個人が基本の競技を好む人はやっぱり一匹狼タイプが多い気がする。
格闘技の場合は、とくに観るだけでなく自分でもやってみようという時点で、闘争心が強く、個人主義の傾向があることは間違いない。
そんな中でも、柔道やレスリングなどの組み技系を選ぶか、ボクシングや空手、剣道などの打撃系を選ぶかで、ちょっと気質が分かれてくる。
組み技系を選ぶ方が、比較的温厚で人の話を聞ける場合が多く、打撃系を選ぶ人は完全に自他の間に一線を引いて、それ以上は接近もしないし、接近させもしないという傾向がある。
剣道出身者である私も、確かにそういう性分だ。
このように書くと、知らない人には打撃系格闘技を学ぶ人が、社会不適応の荒くれ者集団に思われてしまいそうだが、もちろんそんなことはない。
道場や部活は上下間系の厳しい体育会系ノリの縦社会なので、そこに属する限りは一匹狼なりに集団と折り合いをつける能力は培われる。
やんちゃ者でも道場でもまれてある程度の技量を身に付ければ、普通はそれを外で使おうという気は起こらなくなるものだ。
格闘技術を学ぶことで闘争心を飼い慣らし、社会と折り合いをつける効果は確かにある。
そう言えば先年、学校教育で「武道必修化」があった。
現代のスポーツ競技としての柔道や剣道に、どれほど日本の武道の伝統や思想が反映されているかは甚だ疑問だが、投げたり投げられたり、叩いたり叩かれたりする経験に乏しい現代っ子には、人間の身体が「痛み」をどのように感じるかを知る、よい機会にはなるだろう。
(ただ、短期間の講習を受けただけの素人のような指導員が、けっこう怪我の多い柔道のような競技を本当に教えられるのかという問題はある)
元々の性格が競技を選ばせるのか、競技の特性が性格を育てるのか、玉子が先か鶏が先かは難しいところだが、もう少し拡張してみると「主義主張」「思想」「政治的立場」なども、実は大層な理由ではなく単なる性格・性分で選んでいる場合が多々あると思う。
例えば私は心情左翼を自認しているけれども、これは完全に性分によるものだ。
そもそも組織など大嫌いなので、特定の党派には何の思い入れもない。
幼い頃から生涯「小柄」で通してきたので、とにかく「なりのデカい奴が態度までデカい」というのが大嫌いだった。
だから長じても「多数派である」とか「経済的に優位である」とか「軍事力で圧倒している」とかいう勢力には本能的な反発を覚える。
それは理非曲直を超えた、脊髄反射的な反応である。
自分で実行するのはなかなか難しいけれども「弱きをたすけ、強きをくじく」という心意気には憧れをもつし、反骨心をベースにした表現者には共感することが多い。
私に限らず、これはもう左右にも関わらず、実は性分で立ち位置を選んでいるという人が大多数ではないだろうか。
だからこそ「論理」や「根拠」というものが大切になってくる。
思想がほぼ性分とイコールであるならば、そこはもう変えようがない。
その暴走や誤りは、醒めた知性を磨くことでしかチェックできない。
対話の道は、「思想なんてしょせんは性分」と、それぞれに自覚するしかないのだ。
2014年11月22日
「いじめ」は本能
いじめや差別、ヘイトスピーチなどが話題にのぼることが多くなった。
こうした「異物排除」を基調とする行為は、ある意味で人間の本能に根差しているのではないかと思う。
人間だけでなく、群れをつくる生物の世界でも(あくまで人間から見て)いじめや差別であるかのように映る行為は、よく見られる。
身近な例では、メダカや金魚などの小魚を水槽の中で多数飼っていると、とくに小さな個体や弱い個体、特徴のある個体が、仲間からつつき回されて死んでしまうのを目撃したことがある人は多いだろう。
また、自然や野生生物を紹介するTV番組でも、似た例を目にする機会は多い。
群れを外敵から防衛するため、あるいは群れの内部の均衡を保つため、こうした行為は起こる。
同様に、人間にも原始的な「本能」や「感情」として、いじめや差別を起こす仕組みが身体に組み込まれているのだろう。
外敵や飢餓と常に隣り合わせであった原始社会では、こうした「異物排除」にもそれなりの必要性があったかもしれない。
しかし、日常生活から一応そうした物理的な危険が遠ざけられた文明社会においては、いじめや差別が正当化される合理的な理由は存在しない。
いじめや差別は、おそらく「本能」とか「感情」に根差しているので、それを根絶することは難しい。
誰しも簡単なきっかけで加害者にまわるし、巡り合わせで被害者にもなる。
もっともらしい理由は後付けでいくらでもつくが、本当は大した理由などなく、単に些細な差異が目につき、本能が刺激されたというだけにすぎない。
異物排除の本能は、近似した個体が狭い空間に多数収容されたときによく発現する。
学校の教室などはその好例だし、もっと言えば日本の社会がそうした傾向を持ちやすい。
本能に根差した感情を発生段階から抑え込むことは不可能だが、自分の心にふと湧き出たいじめや差別を、理性で分析し、制御することはできるはずだ。
学校教育の現場でもいじめに対する取り組みは本格化しつつあるが、いじめや差別を単純に「あってはならないもの」としてしまうと無理が生じるのではないだろうか。
歴史的に見ると、こうした本能を統治する側が上手く利用したのが身分制や排外主義ではないかと思える。
自分の身体の中にどうしようもなく存在する「本能」を、醒めた目で見つめる技術が、今求められている。
こうした「異物排除」を基調とする行為は、ある意味で人間の本能に根差しているのではないかと思う。
人間だけでなく、群れをつくる生物の世界でも(あくまで人間から見て)いじめや差別であるかのように映る行為は、よく見られる。
身近な例では、メダカや金魚などの小魚を水槽の中で多数飼っていると、とくに小さな個体や弱い個体、特徴のある個体が、仲間からつつき回されて死んでしまうのを目撃したことがある人は多いだろう。
また、自然や野生生物を紹介するTV番組でも、似た例を目にする機会は多い。
群れを外敵から防衛するため、あるいは群れの内部の均衡を保つため、こうした行為は起こる。
同様に、人間にも原始的な「本能」や「感情」として、いじめや差別を起こす仕組みが身体に組み込まれているのだろう。
外敵や飢餓と常に隣り合わせであった原始社会では、こうした「異物排除」にもそれなりの必要性があったかもしれない。
しかし、日常生活から一応そうした物理的な危険が遠ざけられた文明社会においては、いじめや差別が正当化される合理的な理由は存在しない。
いじめや差別は、おそらく「本能」とか「感情」に根差しているので、それを根絶することは難しい。
誰しも簡単なきっかけで加害者にまわるし、巡り合わせで被害者にもなる。
もっともらしい理由は後付けでいくらでもつくが、本当は大した理由などなく、単に些細な差異が目につき、本能が刺激されたというだけにすぎない。
異物排除の本能は、近似した個体が狭い空間に多数収容されたときによく発現する。
学校の教室などはその好例だし、もっと言えば日本の社会がそうした傾向を持ちやすい。
本能に根差した感情を発生段階から抑え込むことは不可能だが、自分の心にふと湧き出たいじめや差別を、理性で分析し、制御することはできるはずだ。
学校教育の現場でもいじめに対する取り組みは本格化しつつあるが、いじめや差別を単純に「あってはならないもの」としてしまうと無理が生じるのではないだろうか。
歴史的に見ると、こうした本能を統治する側が上手く利用したのが身分制や排外主義ではないかと思える。
自分の身体の中にどうしようもなく存在する「本能」を、醒めた目で見つめる技術が、今求められている。
2014年11月23日
スケッチ用具覚書2 鉛筆の色々
ずっと以前、スケッチ用具覚書としてイスつきリュックのことを記事にした。
今回は、普段持ち歩いているペンケースとその中身をご紹介。
●ペンケース
ペン立てにもなるタイプで、ふたを開けて立てると中身が一目瞭然になり、便利だ。
最初にもう一つ大きいサイズを購入したのだが、かなり大容量で、いっぱいつめるとかさばり、重くなってしまった。
だから携帯用に小さい方も購入し、必要に応じて中身を入れ換えながら使っている。
今回はスケッチ用の詰め合わせの中身を紹介してみよう。

写真の左から順に。
●SARASAボールペン
最近気に入って一番使っている筆記用具だ。
書き味が軽く快適で、大量に文字を書きなぐっても疲れにくく、今年の夏の試験勉強に重宝した。
脳内のスピードに同期させて書き飛ばすのにぴったりな書き心地なのだ。
ただ、書きやすい分、インクの減りがちょっと速い気がする。0.5ミリの太い芯で激しく書きなぐる使い方を続けると、一週間くらいでインク切れになってしまった。
使い方にもよると思うが、0.4ミリくらいが使いやすいと思った。
私が使っているのは4色+シャープペンで、これ一本あれば日常の筆記用具としてはほぼ事足りる。
替え芯も豊富に揃っているので、色ではなく太さの違う芯をセットして使い分けるのもアリだろう。
●MONO消ゴム スマート
横向きに使うとちょうどノート一行分が消せる仕様なので、スケッチの時に広く消す時にも細かく鋭く消す時にも便利に使える。
今回の記事のメイン、スケッチに使える筆記用具を紹介してみよう。
大前提としては、軽さといい、描き味といい、スケッチにはやっぱり普通の鉛筆が最高だ。
私の好みで言えばとくに三菱のハイユニが良くて、ナイフで削ったときのなんとも言えない削り心地は、それだけで創作意欲を刺激される。
自分に合うよう削り出した鉛筆で、じっくり時間をかけてスケッチするのは何ものにも替えがたい贅沢な時間なのだが、忙しい日々の中ではなかなかそうした時間の使い方は許されない。
空き時間を見つけてササッとスケッチという場合、省略できるのはどうしても「鉛筆を削る時間」ということになる。
そこで探し始めるのが、削らなくてすむシャーペンや芯ホルダーだ。
●0.9ミリシャープペン。
基本的に、絵を描くときにはシャープペンではなく鉛筆の方がいいのだが、0.9ミリぐらいの太い芯なら十分絵を描くのにも使える。
というか、普段の筆記用具としても、スタンダードな0.5ミリより0.7とか0.9ぐらいの方が、芯がポキポキ折れないのではるかに書きやすいと思う。
芯がよく折れる太さが定番になっているのは、替え芯をたくさん売るためのシャーペン屋の陰謀ではないか、などとアホなことを考えてしまったりもする(笑)
写真の0.9ミリシャープペンは100均で買ったもの。
本体はとくに問題なく使えるが芯は全然だめなので、替え芯だけはまともなものを買った方がいい。
●マークシート用シャープペン
同じく100均で購入したが、これが意外とスケッチに使える!
マークシート記入用に、平形の太く濃い芯が入っているので、なかなか折れないし、描く方向によって太さの使い分けができ、カリグラフィのようなタッチをつけることもできる。
●ステッドラー 2ミリ芯ホルダー
こちらはスケッチ用具としては定番中の定番。
ほとんどがプラスチック素材なので、けっこう軽くて鉛筆に近い感覚で描ける。
安いがけっこう頑丈で、私はもう二十年くらい同じものを使っている。
誰にでもお勧めできる一本だ。
●スケッチ用平形太芯鉛筆
こちらももう二十年以上使っている。
おそらく海外メーカーのものだが、そうした情報は年月とともに摩りきれてしまって何一つ残っていない。
平形の極太芯で、けっこう使っているのだが、なにしろ極太なので全然減らない(笑)
スケッチの最初に、ガサッと面をとって構図を決めるのに便利だ。
今でも画材店でたまに似たものを見かけるが、たぶん私の生涯はこれ一本で足りる。
●パイロット 芯ホルダー
濃さのバリエーションも豊富で、使いやすい。
私は3B以上の濃い芯を、木炭のようにこすって広げて使っている。
気分に応じて筆ペンなどを併用することもある。
私は出先で着色まではあまりやらないが、またいずれ色鉛筆や絵の具についても紹介してみよう。
直接スケッチとは関係ないが、ペンケースに常備しておいて便利なのが、以下のもの。
●スティックのり
●おりたたみ定規
のばすと30センチになり、さほど精度はないが角度もつけられる。1センチごとに小さな穴があいているので、ペンを二本使えば簡易コンパスにもなる。
●スティックはさみ
ペンケースに収納しやすいスティックタイプのはさみも各種出ているが、私は通常のはさみと同様に使えるこのタイプが好みだ。
●カッターナイフ
ステンレス刃のシンプルデザイン。こういう製品に取ってみると、さすが世界のオルファだなと認識を新たにする。プロダクトデザインと切れ味を堪能できる一本。
それぞれかさばらずにまとまるので、小さめのペンケースに向いている。
今回は、普段持ち歩いているペンケースとその中身をご紹介。
●ペンケース
ペン立てにもなるタイプで、ふたを開けて立てると中身が一目瞭然になり、便利だ。
最初にもう一つ大きいサイズを購入したのだが、かなり大容量で、いっぱいつめるとかさばり、重くなってしまった。
だから携帯用に小さい方も購入し、必要に応じて中身を入れ換えながら使っている。
今回はスケッチ用の詰め合わせの中身を紹介してみよう。

写真の左から順に。
●SARASAボールペン
最近気に入って一番使っている筆記用具だ。
書き味が軽く快適で、大量に文字を書きなぐっても疲れにくく、今年の夏の試験勉強に重宝した。
脳内のスピードに同期させて書き飛ばすのにぴったりな書き心地なのだ。
ただ、書きやすい分、インクの減りがちょっと速い気がする。0.5ミリの太い芯で激しく書きなぐる使い方を続けると、一週間くらいでインク切れになってしまった。
使い方にもよると思うが、0.4ミリくらいが使いやすいと思った。
私が使っているのは4色+シャープペンで、これ一本あれば日常の筆記用具としてはほぼ事足りる。
替え芯も豊富に揃っているので、色ではなく太さの違う芯をセットして使い分けるのもアリだろう。
●MONO消ゴム スマート
横向きに使うとちょうどノート一行分が消せる仕様なので、スケッチの時に広く消す時にも細かく鋭く消す時にも便利に使える。
今回の記事のメイン、スケッチに使える筆記用具を紹介してみよう。
大前提としては、軽さといい、描き味といい、スケッチにはやっぱり普通の鉛筆が最高だ。
私の好みで言えばとくに三菱のハイユニが良くて、ナイフで削ったときのなんとも言えない削り心地は、それだけで創作意欲を刺激される。
自分に合うよう削り出した鉛筆で、じっくり時間をかけてスケッチするのは何ものにも替えがたい贅沢な時間なのだが、忙しい日々の中ではなかなかそうした時間の使い方は許されない。
空き時間を見つけてササッとスケッチという場合、省略できるのはどうしても「鉛筆を削る時間」ということになる。
そこで探し始めるのが、削らなくてすむシャーペンや芯ホルダーだ。
●0.9ミリシャープペン。
基本的に、絵を描くときにはシャープペンではなく鉛筆の方がいいのだが、0.9ミリぐらいの太い芯なら十分絵を描くのにも使える。
というか、普段の筆記用具としても、スタンダードな0.5ミリより0.7とか0.9ぐらいの方が、芯がポキポキ折れないのではるかに書きやすいと思う。
芯がよく折れる太さが定番になっているのは、替え芯をたくさん売るためのシャーペン屋の陰謀ではないか、などとアホなことを考えてしまったりもする(笑)
写真の0.9ミリシャープペンは100均で買ったもの。
本体はとくに問題なく使えるが芯は全然だめなので、替え芯だけはまともなものを買った方がいい。
●マークシート用シャープペン
同じく100均で購入したが、これが意外とスケッチに使える!
マークシート記入用に、平形の太く濃い芯が入っているので、なかなか折れないし、描く方向によって太さの使い分けができ、カリグラフィのようなタッチをつけることもできる。
●ステッドラー 2ミリ芯ホルダー
こちらはスケッチ用具としては定番中の定番。
ほとんどがプラスチック素材なので、けっこう軽くて鉛筆に近い感覚で描ける。
安いがけっこう頑丈で、私はもう二十年くらい同じものを使っている。
誰にでもお勧めできる一本だ。
●スケッチ用平形太芯鉛筆
こちらももう二十年以上使っている。
おそらく海外メーカーのものだが、そうした情報は年月とともに摩りきれてしまって何一つ残っていない。
平形の極太芯で、けっこう使っているのだが、なにしろ極太なので全然減らない(笑)
スケッチの最初に、ガサッと面をとって構図を決めるのに便利だ。
今でも画材店でたまに似たものを見かけるが、たぶん私の生涯はこれ一本で足りる。
●パイロット 芯ホルダー
濃さのバリエーションも豊富で、使いやすい。
私は3B以上の濃い芯を、木炭のようにこすって広げて使っている。
気分に応じて筆ペンなどを併用することもある。
私は出先で着色まではあまりやらないが、またいずれ色鉛筆や絵の具についても紹介してみよう。
直接スケッチとは関係ないが、ペンケースに常備しておいて便利なのが、以下のもの。
●スティックのり
●おりたたみ定規
のばすと30センチになり、さほど精度はないが角度もつけられる。1センチごとに小さな穴があいているので、ペンを二本使えば簡易コンパスにもなる。
●スティックはさみ
ペンケースに収納しやすいスティックタイプのはさみも各種出ているが、私は通常のはさみと同様に使えるこのタイプが好みだ。
●カッターナイフ
ステンレス刃のシンプルデザイン。こういう製品に取ってみると、さすが世界のオルファだなと認識を新たにする。プロダクトデザインと切れ味を堪能できる一本。
それぞれかさばらずにまとまるので、小さめのペンケースに向いている。
2014年11月27日
固い身体を柔らかく 序章
吸盤を買った。
トイレのではない。
健康グッズである。
肩、腰、背中などの凝っている部分に貼って吸引し、血行を良くして凝りをほぐす効果がある(とされている)。
整体治療で行われている吸引の簡易版で、「吸い玉」と呼ばれているものだ。
5年ぐらい前まで、同じようなグッズを愛用していた。
近所のスーパーのワゴンセールで二個セットのものを購入し、「揉む」「押す」などの圧迫刺激を基本としたマッサージとは別種の快感にハマっていたのだが、樹脂製なのでさほど耐久性がなく、確か2年ほどで破損してしまってそれきりになっていた。
工作好きの絵描きなので、普段からどうしても細かな作業が多くなる。
近年はPC操作に費やす時間も増えている。
歩くことは大好きだがスポーツにはなんの興味もないので、体が固くなりがちで、昔から肩凝りにはよくなっていた。
三十過ぎてからは腰痛も加わり、マッサージチェアなどを出先で見かけると、とりあえず座る習性を持つに至った。
工作好きの絵描きなので、人体の構造、とくに骨格や筋肉の付き方には詳しい。
自分で言うのもなんだが、手先が器用で鋭敏なので、素人ながら指圧マッサージには自信がある。
自分の体でも手の届く範囲、腕や下肢などはよくマッサージしている。
しかし、どうしても届かない箇所も多い。
できることなら2時間くらいかけて、じっくり自分で自分の背中を揉みほぐしてみたい=されてみたいのだが、こればかりは永遠に叶わぬ夢である。
今回購入した吸い玉は、大小6個組を2セットで全12個!
2個だけでもあれだけの快感があったのだから、背中の全面に並べて貼ってを一気に吸引したら、一体どのようなめくるめく世界が広がるのだろうか?
熱い期待とともにamazonの配送を待った。
数日後、届いた包みを解いてみてギョッとした。
色をよく確かめずに注文したので、よりによって「青」が届いてしまったのだ(笑)
よくみるとamazonのリンク先には確かに「ブルー」と表記してある。
ほんなら写真も青にしとけやコラ!
。。。まあしかし、機能に変わりがあるわけではないと気を取り直し、とりあえず全部貼ってみる。

。。。俺、今、恐竜?
。。。もしくは怒りに我を忘れる前の王蟲?
見た目の異様さはともかく、そこにはやはり「めくるめく世界」があった!
凝った背中があっちからもこっちからもぎゅんぎゅん吸われる!
ためしに腕を回してみると、吸われ具合がぐるぐる変化する!
これは効く!
まだ未経験の皆さんには是非とも一度味わっていただきたいのだが、この健康グッズ、要注意な点が一つある。
凝っていれば凝っているほど、血行が悪ければ悪いほど、吸引した箇所が赤黒く変色して痣のようになるのだ。
要するに円形の巨大キスマークがあちこちに出現すると思ってもらえばよい。
数年ぶりに吸引された私の背中、それはもう酷い状態になった。

いけない! 怒りで我を忘れている!
さらに、私の場合は連日連夜の使用で新旧の痣が重なりまくり、背中一面百花繚乱。
それはまるで、
ジンメンの甲羅、悲しみのデスマスク(永井豪先生に捧ぐ)
あるいは、
蔵六の奇病(日野日出志先生に捧ぐ)
もしくは、
七色の人面瘡(人間椅子に捧ぐ)
。。。。。。。。。。。。。。。
はじめて見るとかなりショッキングな光景だが、心配ご無用!
一週間もすれば痣は消えるし、連続使用で凝りがほぐれ、血行が良くなってくると、吸引しても変色しなくなってくるのだ。
まあ旅行や健康診断、スポーツなど、人前で服を脱ぐ予定がある場合、その一週間くらい前からは使わない方が無難だろう。
糖質制限による減量が一段落し、「身体との対話」の次のテーマとして「固い身体を柔らかく」ということを考えていたのだが、この度その華々しい(?)第一歩である。
トイレのではない。
健康グッズである。
肩、腰、背中などの凝っている部分に貼って吸引し、血行を良くして凝りをほぐす効果がある(とされている)。
整体治療で行われている吸引の簡易版で、「吸い玉」と呼ばれているものだ。
5年ぐらい前まで、同じようなグッズを愛用していた。
近所のスーパーのワゴンセールで二個セットのものを購入し、「揉む」「押す」などの圧迫刺激を基本としたマッサージとは別種の快感にハマっていたのだが、樹脂製なのでさほど耐久性がなく、確か2年ほどで破損してしまってそれきりになっていた。
工作好きの絵描きなので、普段からどうしても細かな作業が多くなる。
近年はPC操作に費やす時間も増えている。
歩くことは大好きだがスポーツにはなんの興味もないので、体が固くなりがちで、昔から肩凝りにはよくなっていた。
三十過ぎてからは腰痛も加わり、マッサージチェアなどを出先で見かけると、とりあえず座る習性を持つに至った。
工作好きの絵描きなので、人体の構造、とくに骨格や筋肉の付き方には詳しい。
自分で言うのもなんだが、手先が器用で鋭敏なので、素人ながら指圧マッサージには自信がある。
自分の体でも手の届く範囲、腕や下肢などはよくマッサージしている。
しかし、どうしても届かない箇所も多い。
できることなら2時間くらいかけて、じっくり自分で自分の背中を揉みほぐしてみたい=されてみたいのだが、こればかりは永遠に叶わぬ夢である。
今回購入した吸い玉は、大小6個組を2セットで全12個!
2個だけでもあれだけの快感があったのだから、背中の全面に並べて貼ってを一気に吸引したら、一体どのようなめくるめく世界が広がるのだろうか?
熱い期待とともにamazonの配送を待った。
数日後、届いた包みを解いてみてギョッとした。
色をよく確かめずに注文したので、よりによって「青」が届いてしまったのだ(笑)
よくみるとamazonのリンク先には確かに「ブルー」と表記してある。
ほんなら写真も青にしとけやコラ!
。。。まあしかし、機能に変わりがあるわけではないと気を取り直し、とりあえず全部貼ってみる。

。。。俺、今、恐竜?
。。。もしくは怒りに我を忘れる前の王蟲?
見た目の異様さはともかく、そこにはやはり「めくるめく世界」があった!
凝った背中があっちからもこっちからもぎゅんぎゅん吸われる!
ためしに腕を回してみると、吸われ具合がぐるぐる変化する!
これは効く!
まだ未経験の皆さんには是非とも一度味わっていただきたいのだが、この健康グッズ、要注意な点が一つある。
凝っていれば凝っているほど、血行が悪ければ悪いほど、吸引した箇所が赤黒く変色して痣のようになるのだ。
要するに円形の巨大キスマークがあちこちに出現すると思ってもらえばよい。
数年ぶりに吸引された私の背中、それはもう酷い状態になった。

いけない! 怒りで我を忘れている!
さらに、私の場合は連日連夜の使用で新旧の痣が重なりまくり、背中一面百花繚乱。
それはまるで、
ジンメンの甲羅、悲しみのデスマスク(永井豪先生に捧ぐ)
あるいは、
蔵六の奇病(日野日出志先生に捧ぐ)
もしくは、
七色の人面瘡(人間椅子に捧ぐ)
。。。。。。。。。。。。。。。
はじめて見るとかなりショッキングな光景だが、心配ご無用!
一週間もすれば痣は消えるし、連続使用で凝りがほぐれ、血行が良くなってくると、吸引しても変色しなくなってくるのだ。
まあ旅行や健康診断、スポーツなど、人前で服を脱ぐ予定がある場合、その一週間くらい前からは使わない方が無難だろう。
糖質制限による減量が一段落し、「身体との対話」の次のテーマとして「固い身体を柔らかく」ということを考えていたのだが、この度その華々しい(?)第一歩である。
2014年11月29日
どないもこないも
仕事場で細かい作業をしているとき、声をかけられた。
「九郎さん(仮名)、今日は眼鏡かけてどないしたんですか?」
私は答える。
「どないもこないも老眼鏡デビューですわ!」
弱視だったので幼児の頃から中学生にかけて、ずっと眼鏡をかけていた。
訓練の甲斐もあって徐々に回復し、中二ぐらいで眼鏡をはずした。
左右の視力のアンバランスは残しつつも、高校生の頃には裸眼で右1.5、左2.0ほどになり、むしろ眼はよく見える方になった。
高校以降の知り合いにとって、私に対して全く「眼鏡をかける」というイメージは持っていなかったはずなので、冒頭で書いたようなシーンが出てくることになる。
元は遠視だったこともあり、老眼になるのは早いだろうと、ずっと言われてきた。
ここ数年、そろそろその兆候があらわれてきていた。
文字の小さい昔の文庫本が読みにくくなった。
漫画の文庫本も、ちょっと購入を躊躇うようになった。
イラスト系の作業はもうほとんどCGに移行しているので不自由は感じなかったが、以前やっていたアナログのイラストパースやラフな図面作業は、もうしんどいだろうなと思うようになった。
まだアナログで続けている切り絵やステンシルの切り抜きをするとき、焦点が合いづらくなったので、作業用のヘッドルーペを購入した。
確かによく見えるのだが、装着するのがけっこう大層で、無精者にとってはちょっと扱いが面倒に感じていた。
ついこの間、ふと気づいた。
「あ、そうか。老眼鏡かければええんや!」
人生の中で既に眼鏡をかけていない年月の方が長くなっていたが、元々私は弱視児童出身である。
元いた場所に戻るだけなので、眼鏡をかけることにはなんの抵抗もない。
まずは100均で一番軽度の1.0度数をお試し購入。
しばらく読書やkindle操作、細工をやるときにかけてみる。
中々良い。
楽にピントを合わせられるので、ある程度の時間作業を続けても、目が疲れない。
前に購入していたヘッドルーペより装着にも持ち運びにも便利だ。
蔵書の文庫本が疲れず読めるのが一番ありがたい。
こうなると、間に合わせの100均眼鏡ではなく、もう少しましなものが欲しくなった。
そう言えば本屋のレジ近くに、読書用の眼鏡が置いてあったっけと、近場の数店をめぐって気に入ったデザインのものを買った。
老眼鏡とは言わず、「リーディンググラス」とか「シニアグラス」という名前で売っていることも知った。
別にええやん。
カッコつけんでも老眼鏡で。。。
度数と対象年齢層の表を見ると、とくに私の目の弱り具合が「早い」ということもないらしいことも知った。
まあ、普通。
さんざん目を酷使してきたわりには、けっこう今でも見えてる方だ。
予定している「大器(?)晩成」のためにも、なるべく長く視力が残るよう、せいぜい気を付けていこうと思う。
最近の平日の昼食は、糖質制限対応で、スーパーの弁当コーナーではなくお総菜コーナーで選んでいる。
炭水化物を避けて二品ほど選び、仕事場の準備室で即席の味噌汁をつければかなり満足できる。
好きでよく食べているのが焼き鳥の肝。
ちょっと苦い肉を噛みながら、ふと思い出す。
そう言えば子供の頃、目に良いからとよく母親が肝を買ってきていた。
「九郎さん(仮名)、今日は眼鏡かけてどないしたんですか?」
私は答える。
「どないもこないも老眼鏡デビューですわ!」
弱視だったので幼児の頃から中学生にかけて、ずっと眼鏡をかけていた。
訓練の甲斐もあって徐々に回復し、中二ぐらいで眼鏡をはずした。
左右の視力のアンバランスは残しつつも、高校生の頃には裸眼で右1.5、左2.0ほどになり、むしろ眼はよく見える方になった。
高校以降の知り合いにとって、私に対して全く「眼鏡をかける」というイメージは持っていなかったはずなので、冒頭で書いたようなシーンが出てくることになる。
元は遠視だったこともあり、老眼になるのは早いだろうと、ずっと言われてきた。
ここ数年、そろそろその兆候があらわれてきていた。
文字の小さい昔の文庫本が読みにくくなった。
漫画の文庫本も、ちょっと購入を躊躇うようになった。
イラスト系の作業はもうほとんどCGに移行しているので不自由は感じなかったが、以前やっていたアナログのイラストパースやラフな図面作業は、もうしんどいだろうなと思うようになった。
まだアナログで続けている切り絵やステンシルの切り抜きをするとき、焦点が合いづらくなったので、作業用のヘッドルーペを購入した。
確かによく見えるのだが、装着するのがけっこう大層で、無精者にとってはちょっと扱いが面倒に感じていた。
ついこの間、ふと気づいた。
「あ、そうか。老眼鏡かければええんや!」
人生の中で既に眼鏡をかけていない年月の方が長くなっていたが、元々私は弱視児童出身である。
元いた場所に戻るだけなので、眼鏡をかけることにはなんの抵抗もない。
まずは100均で一番軽度の1.0度数をお試し購入。
しばらく読書やkindle操作、細工をやるときにかけてみる。
中々良い。
楽にピントを合わせられるので、ある程度の時間作業を続けても、目が疲れない。
前に購入していたヘッドルーペより装着にも持ち運びにも便利だ。
蔵書の文庫本が疲れず読めるのが一番ありがたい。
こうなると、間に合わせの100均眼鏡ではなく、もう少しましなものが欲しくなった。
そう言えば本屋のレジ近くに、読書用の眼鏡が置いてあったっけと、近場の数店をめぐって気に入ったデザインのものを買った。
老眼鏡とは言わず、「リーディンググラス」とか「シニアグラス」という名前で売っていることも知った。
別にええやん。
カッコつけんでも老眼鏡で。。。
度数と対象年齢層の表を見ると、とくに私の目の弱り具合が「早い」ということもないらしいことも知った。
まあ、普通。
さんざん目を酷使してきたわりには、けっこう今でも見えてる方だ。
予定している「大器(?)晩成」のためにも、なるべく長く視力が残るよう、せいぜい気を付けていこうと思う。
最近の平日の昼食は、糖質制限対応で、スーパーの弁当コーナーではなくお総菜コーナーで選んでいる。
炭水化物を避けて二品ほど選び、仕事場の準備室で即席の味噌汁をつければかなり満足できる。
好きでよく食べているのが焼き鳥の肝。
ちょっと苦い肉を噛みながら、ふと思い出す。
そう言えば子供の頃、目に良いからとよく母親が肝を買ってきていた。