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2015年01月03日

2015新年のご挨拶

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 新年明けましておめでとうございます。
 今年も神仏与太話ブログ「縁日草子」をよろしくお願いします!

 
posted by 九郎 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年01月07日

あの時の返事

 昨日、かつて師と仰いだ人の訃報があった。
 ちょっとまだ心の整理がついておらず、何かの間違いであってほしいのだが、ともかく今の心情をなんらかの形で吐き出さずにはおれない。

 Nさんと交流があったのは90年代のこと。
 私が勝手に「弟子」を自認していただけなので、別に形式張った付き合いではなく、世間的には「事務所の社長と、古参のバイト」という関係だった。
 Nさんとは二十才以上年齢差はあったが、絵描きで演劇経験者、山好きなどの経歴に共通点があり、その他にも趣味嗜好、体格などで似たところがあった。
 私の方はなんとなく「都会でたまたま出会った同じ部族の出身者」というような気分があり、たぶんNさんも同じように感じていたのではないかと思う。
 変わり者を面白がって、色々連れ回してもらった。
 酒の席でNさんとの関係を聞かれ、冗談半分本気半分で「弟子です」と答えたことがある。
 Nさんは「なんの弟子なんや?」と笑っていた。
 酔った勢いで口走ってしまっただけの私は即答できず、「なんの弟子なんでしょうね?」と頭をかいた。

 技能的な面では景観イラストの描き方を教わったのが一番大きいけれども、Nさんから学んだものはもっと幅広い。
 地図・地形の読み方、都市計画、風水の考え方などを、私はバイトの仕事内容を通じて「門前の小僧」として聞きかじった。
 元々興味のあった沖縄熊野に関する仕事も多く、事務所の本棚に並ぶ書名をたよりに読書を進めたりした。
 事務所にはデカい泡盛の甕が鎮座していて、夕方頃からは一杯やりながら仕事をすることもけっこうあった。
 飲みながら芸能や民俗に関するあれこれを聞かせてもらうのが好きだった。
 事務所の仕事内容と重なりつつも、ちょっとずれたところで教わることが多かった。
 断続的にではあるけれども、Nさんのものの考え方や佇まいを、けっこうな期間「面受」できたことは、得難い経験だったと思う。
 そうした甘美な時間は、もちろんこの「縁日草子」の源流になっている。
 
 あれは確か、阪神大震災から一年後くらいのことだったと記憶しているが、Nさんに「一緒にボルネオに行かんか?」と聞かれたことがあった。
 今から考えると万難を排して付いていくべきだったと思うのだが、当時の私は震災その他で精神的に最も過敏になっていた時期で、海外の冒険旅行に出掛ける余裕がなかった。
 まだ若かった私は「また機会はあるやろ」と気楽に考えていたせいもあって断ってしまったのだが、Nさんにしてみれば時間的にも体力的にも、残り少ないキツい旅行のつもりでお伴に誘ってくれたはずだ。
 今になってみると、その心情がよくわかる。

 2000年代に入ってからはバイトを「卒業」し、Nさんと直接会う機会も少なくなった。
 もう五年ほど会っていないはずで、そろそろ顔を出しておこうかと思っていた矢先の訃報だった。
 もし今もう一度「なんの弟子なんや?」と聞かれたら、「ものの観方です」と答えたい。
 もし今もう一度旅に誘ってもらったら、二つ返事でついていきたい。
 しかし、その機会はもうない。

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posted by 九郎 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2015年01月11日

祭礼の夜6

 今年も十日戎が過ぎ行く。
 夜店で一杯やりながら、色々と神仏、民俗、芸能のことなど妄想するのが毎年の楽しみだ。
 しかし今年は昔師と仰いだ人の訃報があったばかり。
 どうしてもそのNさんのことを思い出してしまう。
 Nさんには、仕事上がりによく飲みに連れて行ってもらった。
 私がお供だと気兼ねがなく、けっこう怪しげな店にも入った。
 今でも覚えているのは、ビルの谷間の駐車場みたいなスペースに、小学校の運動会で使うようなテントを張った仮設店舗のことだ。
 ちょうど的屋の飲食スペースに似た感じなのだが、もう少し耐久性はあった。
 壁は一応ベニアが張ってあり、少なくとも数ヵ月レベルで経営しているであろう飲み屋だった。
 「怪しいなあ」と笑いながら中には入ると、折り畳み長机の椅子席と、ビールケースを重ねた上に古畳を敷いた座敷(?)席があった。
 店作りに使われている材料の一つ一つが、どこか「運動会」っぽかった。
 座敷(?)席は常連らしき客が占めていたので椅子席につき、壁にたくさん張り付けてあるメニューをたよりに飲み食いした。
 マグロの刺身を頼むと、カレー皿みたいな四角い皿に山盛りで出てきた。
 カレー皿「みたい」というか、多分カレー皿そのものだったのではないかと思うが、文字通り「山盛り」で確か500円くらいだった。
 ちょっと気になったのがメニューに混じって何ヵ所かある張り紙で、「刺身はなるべく早めにお召し上がりください」と、念を押してあるところがなんとも不気味だった。
 他のメニューも全部そんな調子で、とにかく安く、カレー皿に山盛りで、鮮度には少々不安を感じさせながらも、まあ普通に食べられた。
 泡盛好きのNさんにとっては、焼酎が不味かったのが難で、再度は行かなかったけれども記憶に残る店だった。
 一年ぐらい経ってからふと思い出して、仕事帰りに店のあったあたりを一人でぶらついてみたが、どうしても見つけられなかった。
 「なんらかの事情」で、そのあたりの駐車場のどれかに戻ったのかもしれない。
 「あの店もうなかったですよ」とNさんに話すと、「おまえも見に行ったんか」と笑っていた。

 飲み屋での与太話というのは、一種の「演芸」ではないかと思う。
 お店の雰囲気と飲んでいるメンバーが上手くハマると、なんとも言えない趣向が立ち上がってくる。
 Nさんの好みで沖縄酒場に行った時には、お店の人とのやり取りが本当に可笑しかった。
 よく、関西人同士の会話を他の地域の人が聴くと「漫才やってるみたい」と表現される。
 関西人のお笑い志向はちょっと極端だが、会話の雰囲気の「地方色」というものは、多分どんな地域にもある。
 沖縄出身で、沖縄から遠く離れたお店の人。
 沖縄出身ではないけれども、沖縄に物凄く詳しいNさん。
 その両者に泡盛という触媒が作用して、夢と現実が半分溶けたような何とも言えないオハナシの世界が立ち上がってくる。
 それを面白がっている私という聴き手がいることも少々プラスに作用して、夢と現の沖縄与太話は加速していく。
 「うらんだー」なんていう言葉がまだ現役で使われているのも、そうした酒の席で知って爆笑してしまった。

 魅力的な民俗の世界に、異国から来た友人としてふわりと入り込んでいくNさんの「芸」のようなものを、私は興味津々で見ていた。
posted by 九郎 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

あれから20年

 阪神淡路大震災から本日で20年。
 私はあの時、震度7を体験した。
 瓦礫と化した街で、ただ空は高かった。
 あれは、幼い頃の記憶とともに、私の第二の原風景となった。

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 3.11後の日本を生きるこの頃、二つの原風景をよく思い出す。
posted by 九郎 at 06:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2015年01月20日

語る言葉が見つからない

 SF作家・平井和正先生が、1月17日にお亡くなりになっていたことを知った。
 76才。ここ数年、公式サイトでも動向が見えなくなっていたので、もしかしたら体調を崩されているのではないかと思っていた。

 ちょっと語る言葉が見つからない。
 私の生涯で、もっとも影響を受けた表現者である。
 年明け早々、生涯でもっとも多くを学んだ面受の師を喪った矢先の訃報だ。
 語る言葉が見つからない。

 もっとも敬愛する作家なのに、九年以上やっているこのブログで、直接記事にしたことはなかったと思う。
 あまりに思い入れが強すぎると、限りなく筆は重くなる。

 公式サイトの、今は閉鎖された画像掲示板に、十年以上前に投稿したイラストを再掲して追悼としたい。
 あの頃、私はCGに手を染め、絵描きとして再起動を図っていた。
 習作として好きな永井豪や平井和正のキャラクターを、手当たり次第に描きまくっていた。
 直接のやり取りはないものの、敬愛する作家の目に、たぶん触れるであろう場である。
 未熟なりに一生懸命だった。

「エイトマン」
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「地球樹の女神;四騎忍」
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「犬神明;Bee」
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「狼のレクイエム;犬神明」
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「幻魔大戦;光子と康夫」
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「ハルマゲドン;高鳥慶輔」
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posted by 九郎 at 00:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

守・破・離

 平井和正の訃報から一週間。
 ようやく少しはものが考えられるようになってきた。
 まだまとまらないままだが、現段階で感じたことを書き残しておく。

 伝統的な芸事や武術の世界では、技術継承において「守破離」という捉え方をすることがある。
 私なりの理解でまとめてみる。
 「守」は師匠から教わった型を忠実にコピーすることに専念する段階。
 型には先人の叡知が凝縮されているので、素人判断で理解・納得しがたいことがあっても、まずはそのまま学ぶことが大切だ。
 型がある程度体に馴染んできてはじめて、「ああ、こういうことだったのか」と、理解は後からやって来る。
 そうした経験は義務教育などを通じても、誰もが多かれ少なかれ持っているのではないかと思う。
 ただ、型はあくまで一つのお手本に過ぎない。
 人は体格、体質、性格、素養、千差万別だ。
 単に表面上の形だけなぞっているだけでは、本当の意味での技術継承は成らない。
 型に込められた技術のエッセンスを体現するためには、それぞれの資質に合わせて微調整が必要になってくる。
 それが「破」の段階。
 微調整が蓄積され、技術が完全に自分のものになると、やがて型や師匠が必要なくなる時が来て、「離」の段階に至る。

 80年代半ばから90年代半ば頃の私は、平井和正の描く巨大な作品世界に全身で耽溺していた。
 もちろん他の表現者の作品も鑑賞していたけれども、他の誰よりも平井和正だった。
 少年期から青年期にかけて、それだけのぶつかりがいのある作家、作品であったと、今も変わらず考えている。
 作品が無類に面白かったことはもちろんだが、「表現」というものに対する考え方や姿勢を大いに学んだし、そもそも絵描きなのに何故か文章にも相当のエネルギーを割くようになったのは、間違いなく平井和正の影響だ。
 この時期までの私は、平井作品の読者として「守」の段階にあったと言える。
 90年代後半になり、思うところあって神仏について自分なりの学びを進めはじめたことで、そろそろ「破」の段階は訪れた。
 平井作品には宗教的なモチーフも大きな構成要素としてあるのだが、色々考え方に違いが出てきたのだ。
 そしていくつかの重要な点で「平井和正は間違っている」と判断し、その上で作品への愛情は変わらず保持するようになったのが2000年代後半から。
 今思えば、読者としての「離」の段階が訪れていたのだと思う。

 真っ当な師匠は、後生大事に弟子を抱え込んだりはしない。
 ある段階で突き放すものだ。
 いつまでも弟子に依存させ、支配下に置こうとするのはカルトの手口だ。
 平井和正は読者をカリスマ的な筆力で強烈に魅了しながらも、最終的には突き放し、自立を促す姿勢を示し続けた作家だった。
 もっとも影響を受けた作家と、もっとも影響を受けた面受の師の両方が、さらりと突き放してくれるタイプであったことは、私にとって幸運な事だったと思う。

 私も含め熱心な平井読者が、今回の訃報に、衝撃と共にまず思ったであろうことを敢えて書いてしまおう。
「何か遺稿が残っているのではないか?」
 正直、私はそれをまず考えてしまった。
 平井和正はここ数年、全く動向が見えなくなっていた。
 しかし熱心な読者なら周知のことだが、あの平井和正が長期間にわたって何も書いていないということは考えにくいし、何よりも本人が近年作のあとがきなどで、外部との接触を完全に絶って作品を書くことへの願望を綴っていたこともある。
 新作への淡い期待を持つことは、長年の読者には許されるのではないかと思う。

 90年代後半以降の平井作品は、それまでに蓄積された長い物語や、愛すべきキャラクターへの「鎮魂」が大きなテーマではなかったかと思う。
 現時点で最終作品となっている「幻魔大戦deep」のシリーズでは、最初の漫画版や角川文庫版、さらにはウルフガイシリーズなど、とくに読者に愛されてきた作品に対する一応の「決着」を見せてくれた。
 これ以上を望むのは、欲であり、未練であるかもしれない。
 しかしもし許されるならば、あともう一度だけ平井和正の新作を読んでみたいと、控えめに願う。

 訃報がある前は、鷹垣人美と雛崎みちるが対等の「つれ」として出会う作品など、読んでみたいなと無邪気に望んでいたのだが……
posted by 九郎 at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする

2015年01月29日

どうでもいいデトックス

 年明けから訃報記事が続いた。
 気が滅入りがちなので、あえてどうでもいい記事も投稿する。

 生来、極めて短気である。
 年齢と共に多少はマシになってきたが、まだまだ年なりの温厚さを身に付けるまでには至っていない。
 神様仏様をテーマにしたブログを運営し、他人様よりありがたい説法に触れる機会が多いのにこの体たらく。
 腹立ち、毒念限りなく、まさに「地獄は一定すみかぞかし」である。
 
 溜まった心の毒は、文字にしておくと一応解毒される。
 いくつか解毒しておく。


 自転車のLEDライトをホルダーごと盗まれた。
 着脱が簡単なタイプを駐輪所で付けっぱなしにしていた俺も悪い。
 それは分かっているけれども、買ってからまだ一ヶ月経っておらず、自転車に合うようそれなりにデザインを選んだものが盗まれると、瞬間的に怒りが沸くのは抑えがたい。
 強烈な呪いを放っておいたので、遠からず盗人野郎の身には不幸が降りかかるであろうw


 もうひとつ。


 いやー、ゲスいな、オタキング。
 変な縁を作りたくないので検索避けに個人名は書かないが、オタクとレコーディングダイエットで有名な、TVコメンテーターもやっていたあいつの事である。
 年明けからネットで話題になっていて、オタク界隈に関心のある人は周知の騒ぎだが、ご存じでない方は適当に検索してみてくださいね。
 俺の今までの人生でも、こういう、なまじ金のある家に生まれて倫理がごっそり抜け落ちたようなサイコ野郎を何人か見かけたことがあるが、こいつはぶっちぎりのゲスだ。
 これほど酷いのはなかなかいないが、俺が嫌いなスピリチュアルブログで導師面してる奴等の中には、この手のゲスカルト野郎がいっぱいいるのでご用心。
 スピリチュアルとか自己啓発とかダイエットとかスキルアップとかが、カルトやマルチの窓口になっているケースが非常に多いのである。
 今回のはあんまり酷いので、ネットの画面を見ながら思わず
「氏ね!(当て字)」
 と毒づいてしまった。
 こういう言葉は口にしてはいけないと十分わかっているのだが、嫌悪感が酷いと地金が出てきてしまう。
 この言葉を使ってしまったのは某地方議員の「号泣会見」をTVで見てしまったとき以来だ。


 ……けっこう最近か。

 いかん、俺も反省せんとな。
posted by 九郎 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする