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2015年01月11日

祭礼の夜6

 今年も十日戎が過ぎ行く。
 夜店で一杯やりながら、色々と神仏、民俗、芸能のことなど妄想するのが毎年の楽しみだ。
 しかし今年は昔師と仰いだ人の訃報があったばかり。
 どうしてもそのNさんのことを思い出してしまう。
 Nさんには、仕事上がりによく飲みに連れて行ってもらった。
 私がお供だと気兼ねがなく、けっこう怪しげな店にも入った。
 今でも覚えているのは、ビルの谷間の駐車場みたいなスペースに、小学校の運動会で使うようなテントを張った仮設店舗のことだ。
 ちょうど的屋の飲食スペースに似た感じなのだが、もう少し耐久性はあった。
 壁は一応ベニアが張ってあり、少なくとも数ヵ月レベルで経営しているであろう飲み屋だった。
 「怪しいなあ」と笑いながら中には入ると、折り畳み長机の椅子席と、ビールケースを重ねた上に古畳を敷いた座敷(?)席があった。
 店作りに使われている材料の一つ一つが、どこか「運動会」っぽかった。
 座敷(?)席は常連らしき客が占めていたので椅子席につき、壁にたくさん張り付けてあるメニューをたよりに飲み食いした。
 マグロの刺身を頼むと、カレー皿みたいな四角い皿に山盛りで出てきた。
 カレー皿「みたい」というか、多分カレー皿そのものだったのではないかと思うが、文字通り「山盛り」で確か500円くらいだった。
 ちょっと気になったのがメニューに混じって何ヵ所かある張り紙で、「刺身はなるべく早めにお召し上がりください」と、念を押してあるところがなんとも不気味だった。
 他のメニューも全部そんな調子で、とにかく安く、カレー皿に山盛りで、鮮度には少々不安を感じさせながらも、まあ普通に食べられた。
 泡盛好きのNさんにとっては、焼酎が不味かったのが難で、再度は行かなかったけれども記憶に残る店だった。
 一年ぐらい経ってからふと思い出して、仕事帰りに店のあったあたりを一人でぶらついてみたが、どうしても見つけられなかった。
 「なんらかの事情」で、そのあたりの駐車場のどれかに戻ったのかもしれない。
 「あの店もうなかったですよ」とNさんに話すと、「おまえも見に行ったんか」と笑っていた。

 飲み屋での与太話というのは、一種の「演芸」ではないかと思う。
 お店の雰囲気と飲んでいるメンバーが上手くハマると、なんとも言えない趣向が立ち上がってくる。
 Nさんの好みで沖縄酒場に行った時には、お店の人とのやり取りが本当に可笑しかった。
 よく、関西人同士の会話を他の地域の人が聴くと「漫才やってるみたい」と表現される。
 関西人のお笑い志向はちょっと極端だが、会話の雰囲気の「地方色」というものは、多分どんな地域にもある。
 沖縄出身で、沖縄から遠く離れたお店の人。
 沖縄出身ではないけれども、沖縄に物凄く詳しいNさん。
 その両者に泡盛という触媒が作用して、夢と現実が半分溶けたような何とも言えないオハナシの世界が立ち上がってくる。
 それを面白がっている私という聴き手がいることも少々プラスに作用して、夢と現の沖縄与太話は加速していく。
 「うらんだー」なんていう言葉がまだ現役で使われているのも、そうした酒の席で知って爆笑してしまった。

 魅力的な民俗の世界に、異国から来た友人としてふわりと入り込んでいくNさんの「芸」のようなものを、私は興味津々で見ていた。
posted by 九郎 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする