平井和正の訃報から一週間。
ようやく少しはものが考えられるようになってきた。
まだまとまらないままだが、現段階で感じたことを書き残しておく。
伝統的な芸事や武術の世界では、技術継承において「守破離」という捉え方をすることがある。
私なりの理解でまとめてみる。
「守」は師匠から教わった型を忠実にコピーすることに専念する段階。
型には先人の叡知が凝縮されているので、素人判断で理解・納得しがたいことがあっても、まずはそのまま学ぶことが大切だ。
型がある程度体に馴染んできてはじめて、「ああ、こういうことだったのか」と、理解は後からやって来る。
そうした経験は義務教育などを通じても、誰もが多かれ少なかれ持っているのではないかと思う。
ただ、型はあくまで一つのお手本に過ぎない。
人は体格、体質、性格、素養、千差万別だ。
単に表面上の形だけなぞっているだけでは、本当の意味での技術継承は成らない。
型に込められた技術のエッセンスを体現するためには、それぞれの資質に合わせて微調整が必要になってくる。
それが「破」の段階。
微調整が蓄積され、技術が完全に自分のものになると、やがて型や師匠が必要なくなる時が来て、「離」の段階に至る。
80年代半ばから90年代半ば頃の私は、平井和正の描く巨大な作品世界に全身で耽溺していた。
もちろん他の表現者の作品も鑑賞していたけれども、他の誰よりも平井和正だった。
少年期から青年期にかけて、それだけのぶつかりがいのある作家、作品であったと、今も変わらず考えている。
作品が無類に面白かったことはもちろんだが、「表現」というものに対する考え方や姿勢を大いに学んだし、そもそも絵描きなのに何故か文章にも相当のエネルギーを割くようになったのは、間違いなく平井和正の影響だ。
この時期までの私は、平井作品の読者として「守」の段階にあったと言える。
90年代後半になり、思うところあって神仏について自分なりの学びを進めはじめたことで、そろそろ「破」の段階は訪れた。
平井作品には宗教的なモチーフも大きな構成要素としてあるのだが、色々考え方に違いが出てきたのだ。
そしていくつかの重要な点で「平井和正は間違っている」と判断し、その上で作品への愛情は変わらず保持するようになったのが2000年代後半から。
今思えば、読者としての「離」の段階が訪れていたのだと思う。
真っ当な師匠は、後生大事に弟子を抱え込んだりはしない。
ある段階で突き放すものだ。
いつまでも弟子に依存させ、支配下に置こうとするのはカルトの手口だ。
平井和正は読者をカリスマ的な筆力で強烈に魅了しながらも、最終的には突き放し、自立を促す姿勢を示し続けた作家だった。
もっとも影響を受けた作家と、もっとも影響を受けた面受の師の両方が、さらりと突き放してくれるタイプであったことは、私にとって幸運な事だったと思う。
私も含め熱心な平井読者が、今回の訃報に、衝撃と共にまず思ったであろうことを敢えて書いてしまおう。
「何か遺稿が残っているのではないか?」
正直、私はそれをまず考えてしまった。
平井和正はここ数年、全く動向が見えなくなっていた。
しかし熱心な読者なら周知のことだが、あの平井和正が長期間にわたって何も書いていないということは考えにくいし、何よりも本人が近年作のあとがきなどで、外部との接触を完全に絶って作品を書くことへの願望を綴っていたこともある。
新作への淡い期待を持つことは、長年の読者には許されるのではないかと思う。
90年代後半以降の平井作品は、それまでに蓄積された長い物語や、愛すべきキャラクターへの「鎮魂」が大きなテーマではなかったかと思う。
現時点で最終作品となっている「幻魔大戦deep」のシリーズでは、最初の漫画版や角川文庫版、さらにはウルフガイシリーズなど、とくに読者に愛されてきた作品に対する一応の「決着」を見せてくれた。
これ以上を望むのは、欲であり、未練であるかもしれない。
しかしもし許されるならば、あともう一度だけ平井和正の新作を読んでみたいと、控えめに願う。
訃報がある前は、鷹垣人美と雛崎みちるが対等の「つれ」として出会う作品など、読んでみたいなと無邪気に望んでいたのだが……