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2015年03月17日

納税儀式

 昨日、滑り込みで確定申告を済ませた。
 国税のサイトの申告書作成コーナーで入力、その他諸々、作業量で言えば大したものではないのだが、全くやる気のない時間はしんどく、過重に感じる。
 当ブログでも、何度か納税関連の記事を書いてきた。

 たまにはゼニの話でもしたろか
 webで確定申告書作成
 パワーバランスとしての「心情左翼」

 ヤクザのみかじめ料と税金には本質的な差はない。
 過重な税を取るだけ取って、国民の生命財産が守られないのであれば、国も税もその正当性を失う。
 貧しい私は確定申告の書面上にあらわれる税額こそ少ないけれども、国民年金や国保などの実質的な税は過重であるし、段階的に引き上げられる消費税の負担は厳しい。
 これだけとられている税の使い道はといえば、史上最低最悪の公害企業である東電に、なんら責任を追求しないまま公的資金をジャブジャブと注ぎ込むなど、まったく納得のかないことばかりである。
 そして間もなく始まるマイナンバー制により、実質的に「申告」による納税は終わっていく。
 徴税が正当性を失い、低下した納税意識の分は、直接国民の財布をのぞき込めるようにすることで埋め合わせようと言うことだろう。
 力弱く抵抗の少ないところからふんだくり、合法的に税を分配できる特権階級を形成しようという方向性は徹底しており、ニッポン官僚のえげつなさは超一流である。
 庶民にできることは、確定申告の時期に煩雑な書面作成を通じて「怨念」を蓄積する儀式とするしかないのである。


●「談合文化 日本を支えてきたもの」宮崎学(祥伝社黄金文庫)
 
posted by 九郎 at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 神仏絵図覚書 | 更新情報をチェックする