4月になった。
はえーよ。。。
年度始めである。
絵描きなので(?)木の芽時の春は、ちょっと気疲れしやすい。
昨年は3月末日頃に例の胃腸炎をやってしまい、続けて軽いぎっくり腰までやってしまった。
その記憶がまだ鮮明なので、3月後半辺りからものを食べるときにはよく噛み、睡眠時間を十分とることを心がけてきた。
本当ならやるべきことは多く、寝ずにやってしまいたいあれやこれやが山積しているのだが、まずは体調が最優先だ。
徐行運転のかいあって、今のところ胃腸も腰も問題なし。
糖質制限の効果で花粉症も問題なし。
胃腸の方は、次のチェックポイントのGW明けまで様子見を続ける必要有り。
あまり根をつめて頑張りすぎないよう、適度に手を抜き、のらくらと。
去年成功した減量に続く身体テーマ「かたい体を柔らかく」の方は、ハタ・ヨーガをぼちぼち続けている。
子供の頃から体がかたく、柔軟性についてはあきらめてきたのだが、持病の腰痛と胃腸に対するケアの必要から、やむなく手持ちの成瀬雅春さんの本を見ながらヨーガの真似事をはじめたのが年明け。
足首からはじめて、股、腰、背中、脇腹、肩甲骨回り、首と順番に伸ばしていく。
さぼりながらも続けていると、少しは柔軟性が出てきた。
結跏趺坐がそれなりに様になり、足を伸ばして座った状態で爪先に手が届くようになった。
元々柔らかい人には笑われそうだが、私にとっては「快挙」なのである。
自分の体がどのようにかたいのか、細かく分析できたことが一番の収穫だ。
私の場合、爪先から首筋に至るまで、全体に右半身がかたいことがわかった。
利き手も利き脚も右なので、そちらばかり使っているせいでアンバランスになっているのだろう。
使用頻度の差は、筋量、柔軟性、血行の差につながり、姿勢の悪さ、骨格の歪みにつながる。
骨肉の歪みは内臓に影響する。
また、朝起き抜けの体の硬直がヤヴァい。
睡眠中にあまり寝返りをうたないタイプのせいだろうか。
夜間に目が覚めたときや、朝一はとくに注意が必要だ。
このあたりに、持病克服の鍵があるのではないかと考えている。
身体テーマ「かたい体をやわらかく」、まだまだみちのりは長そうだ。
2015年04月01日
2015年04月02日
おりがみ兜 参考図書
4月に入り、「おりがみ かぶと」などのキーワードで検索してこられる皆さんが増えています。
当ブログでは毎年端午の節句の時期におりがみ兜の記事をアップしてきました。
よろしければ覗いてみてください。
おりがみ兜まとめ
今回は、以前購入していてまだ紹介していなかった参考図書を一冊。
●「戦国武将の時代折り紙」浜田勇(日貿出版社)
有名どころの戦国武将の兜が、わりとリアルな最限度で網羅されています。難易度はやや高めか。
兜だけでなく、「家紋と付き物」「雅な器」などの周辺の装飾品も充実しているので、紙を選んで揃えると、かなり豪華なセットにできそうです。
兜の形状が微妙に私の好みから外れていたので今まで紹介してきませんでしたが、かなり参考になる本であることは間違いありません。
当ブログでは毎年端午の節句の時期におりがみ兜の記事をアップしてきました。
よろしければ覗いてみてください。
おりがみ兜まとめ
今回は、以前購入していてまだ紹介していなかった参考図書を一冊。
●「戦国武将の時代折り紙」浜田勇(日貿出版社)
有名どころの戦国武将の兜が、わりとリアルな最限度で網羅されています。難易度はやや高めか。
兜だけでなく、「家紋と付き物」「雅な器」などの周辺の装飾品も充実しているので、紙を選んで揃えると、かなり豪華なセットにできそうです。
兜の形状が微妙に私の好みから外れていたので今まで紹介してきませんでしたが、かなり参考になる本であることは間違いありません。
2015年04月04日
今年は鎮魂の年か
今年は2015年。
前にも書いた通り阪神淡路大震災から20年だし、他にもいろいろな意味で「あれからもう20年か」という感覚を持つことが多い。
一つには二十年前の90年代の私が、青年の感性で様々な事象にごつごつとぶつかって鮮烈な印象を受けており、時代が一巡して2010年代の現在が90年代と似た様相を呈しつつあると感じられるせいだろう。
今年一月には、かつての師匠やもっとも影響を受けた作家が亡くなったりもした。
そろそろ「落とし前」をつける時期に来ているのかもしれない。
2月に一冊の本が刊行された。
このブログでも語ってきたどんとについての一冊だ。
●「どんとの魂」(MUSIC MAGAZINE増刊)
90年代の雑誌記事の再録を中心に、新たに関係者の証言を集めて構成された、至近距離からのどんと集成だ。
どんとについては、その影響力に比べて文字情報が意外に少なく、入手可能なものはパートナーである小嶋さちほさんの本2冊ぐらいしかなかった。
●「竜宮歳事記 どんとの愛した沖縄」小嶋さちほ(角川文庫)
●「虹を見たかい? 突然、愛する人を亡くしたときに」小嶋さちほ(角川書店)
今回の「どんとの魂」は、貴重な一冊になるだろう。
前にも書いた通り阪神淡路大震災から20年だし、他にもいろいろな意味で「あれからもう20年か」という感覚を持つことが多い。
一つには二十年前の90年代の私が、青年の感性で様々な事象にごつごつとぶつかって鮮烈な印象を受けており、時代が一巡して2010年代の現在が90年代と似た様相を呈しつつあると感じられるせいだろう。
今年一月には、かつての師匠やもっとも影響を受けた作家が亡くなったりもした。
そろそろ「落とし前」をつける時期に来ているのかもしれない。
2月に一冊の本が刊行された。
このブログでも語ってきたどんとについての一冊だ。
●「どんとの魂」(MUSIC MAGAZINE増刊)
90年代の雑誌記事の再録を中心に、新たに関係者の証言を集めて構成された、至近距離からのどんと集成だ。
どんとについては、その影響力に比べて文字情報が意外に少なく、入手可能なものはパートナーである小嶋さちほさんの本2冊ぐらいしかなかった。
●「竜宮歳事記 どんとの愛した沖縄」小嶋さちほ(角川文庫)
●「虹を見たかい? 突然、愛する人を亡くしたときに」小嶋さちほ(角川書店)
今回の「どんとの魂」は、貴重な一冊になるだろう。
2015年04月05日
「ため」と発散
スポーツチャンバラを初体験した。
出先でたまたま体験教室が開かれており、軽く見学のつもりで会場の体育館に入った。
スポーツチャンバラについての詳細は公式サイトやWikiをのぞいてもらいたい。
エアーソフト剣とアクリル製の面を使用した、その名の通りスポーツとして整備されたチャンバラ遊びと要約できるだろう。
武器の長さ種類、打突部位も自由で、多人数による集団戦も可能。
たかがチャンバラ遊びと侮れない実戦性もそなえている非常に刺激的な競技だと、前から興味を持っていた。
他の体験参加者が指導してもらっている様子や、経験者や指導員の皆さんの試合を、非常に面白く見学していると、よほど「やりたそう」な顔に見えたのか、指導員の人に声をかけられ、稽古をつけてもらった。
一応剣道経験者なので、使いなれた竹刀に近い「長刀」を得物に選んだ。
見学して事前にわかったのは、重い防具・竹刀無しなのでかなりスピードが速いことと、打突部位が限定されていないので打ち合いというよりは間合いの攻防から一瞬で決まることが多そうだということだった。
見学中に考えていた攻防を、指導員さん相手にいくつか試させてもらう。
数度の攻防のあと、笑いながら「剣道やられてますよね、お上手ですよ」と評してくれた。
「よかったら小刀も試してみませんか? スポチャンではこれがよく使われるんですよ」
さっそく得物を取り替えてみた。
右手に小刀を持って指導員さんと対してみると、長刀と全く間合いの感覚が違う。
相手を打とうとするとかなり接近しなければならず、緊張感がある。
全く未知の間合いでじっと足を止めていると、指導員さん相手に手も足もでないのは明らかなので、とにかく足を使ってみることにした。
自分から積極的に動いて間合いを探る。
左右に移動しながら次々に構えを変えていくと、なんとか攻防を形にできる気がした。
「そうそう、そんな感じで、いかに自分のペースに相手を巻き込むかが大事なんですよ!」
実際に体験してみると、めちゃくちゃ楽しかった(笑)
私の剣道が元々オーソドックスな「正剣」ではなく、体力・体格差をスピードと戦術でカバーするもので、スポチャン的な発想と近かったことが、楽しく感じられた原因ではないかと思う。
なによりもまず指導員さんが私に合わせ、受けに回って加減してくれたであろうことも大きい。
こちらが狙いをもって何か仕掛けるとちゃんとリアクションが返ってくるので、体と共に頭も高速回転して次々に発想が浮かぶ感覚は新鮮だった。
また機会があれば体験したいと思った。
私はぜったい二刀とか向いてると思うのだ。。。
一瞬「近場の教室を探して入門を」などという考えも頭をよぎったが、調子にのってはいけないのである。
高校生の頃、剣道部は一線を引いて、ほぼ一人でやっていた美術部の方を選んだ。
私は元々闘争本能の強い人間で、ぶっ倒れるまで暴れて発散できる剣道は好きだった。
しかしそうした自分の中でも強い動機となる心性の部分は、簡単に発散させてしまわないでグツグツ煮立てるようにして絵にぶつけるべきだと、ある時期に気づいてしまったのだ。
それ以来、私の好戦性はもっぱら格闘技を「観る」ことにあてられることになり、今に至っている。
スポーツチャンバラは物凄く刺激的で面白かったけれども、体験程度で止めるべし。
年齢的にどう考えてももう人生の半ばは過ぎている(笑)
残り時間を考えてやりたいことを精選すべし!
出先でたまたま体験教室が開かれており、軽く見学のつもりで会場の体育館に入った。
スポーツチャンバラについての詳細は公式サイトやWikiをのぞいてもらいたい。
エアーソフト剣とアクリル製の面を使用した、その名の通りスポーツとして整備されたチャンバラ遊びと要約できるだろう。
武器の長さ種類、打突部位も自由で、多人数による集団戦も可能。
たかがチャンバラ遊びと侮れない実戦性もそなえている非常に刺激的な競技だと、前から興味を持っていた。
他の体験参加者が指導してもらっている様子や、経験者や指導員の皆さんの試合を、非常に面白く見学していると、よほど「やりたそう」な顔に見えたのか、指導員の人に声をかけられ、稽古をつけてもらった。
一応剣道経験者なので、使いなれた竹刀に近い「長刀」を得物に選んだ。
見学して事前にわかったのは、重い防具・竹刀無しなのでかなりスピードが速いことと、打突部位が限定されていないので打ち合いというよりは間合いの攻防から一瞬で決まることが多そうだということだった。
見学中に考えていた攻防を、指導員さん相手にいくつか試させてもらう。
数度の攻防のあと、笑いながら「剣道やられてますよね、お上手ですよ」と評してくれた。
「よかったら小刀も試してみませんか? スポチャンではこれがよく使われるんですよ」
さっそく得物を取り替えてみた。
右手に小刀を持って指導員さんと対してみると、長刀と全く間合いの感覚が違う。
相手を打とうとするとかなり接近しなければならず、緊張感がある。
全く未知の間合いでじっと足を止めていると、指導員さん相手に手も足もでないのは明らかなので、とにかく足を使ってみることにした。
自分から積極的に動いて間合いを探る。
左右に移動しながら次々に構えを変えていくと、なんとか攻防を形にできる気がした。
「そうそう、そんな感じで、いかに自分のペースに相手を巻き込むかが大事なんですよ!」
実際に体験してみると、めちゃくちゃ楽しかった(笑)
私の剣道が元々オーソドックスな「正剣」ではなく、体力・体格差をスピードと戦術でカバーするもので、スポチャン的な発想と近かったことが、楽しく感じられた原因ではないかと思う。
なによりもまず指導員さんが私に合わせ、受けに回って加減してくれたであろうことも大きい。
こちらが狙いをもって何か仕掛けるとちゃんとリアクションが返ってくるので、体と共に頭も高速回転して次々に発想が浮かぶ感覚は新鮮だった。
また機会があれば体験したいと思った。
私はぜったい二刀とか向いてると思うのだ。。。
一瞬「近場の教室を探して入門を」などという考えも頭をよぎったが、調子にのってはいけないのである。
高校生の頃、剣道部は一線を引いて、ほぼ一人でやっていた美術部の方を選んだ。
私は元々闘争本能の強い人間で、ぶっ倒れるまで暴れて発散できる剣道は好きだった。
しかしそうした自分の中でも強い動機となる心性の部分は、簡単に発散させてしまわないでグツグツ煮立てるようにして絵にぶつけるべきだと、ある時期に気づいてしまったのだ。
それ以来、私の好戦性はもっぱら格闘技を「観る」ことにあてられることになり、今に至っている。
スポーツチャンバラは物凄く刺激的で面白かったけれども、体験程度で止めるべし。
年齢的にどう考えてももう人生の半ばは過ぎている(笑)
残り時間を考えてやりたいことを精選すべし!
2015年04月06日
鉛筆をけずろう
このところ、鉛筆を削って使っている。
以前「削らず使える鉛筆芯ホルダー」を紹介する記事を書いた。
スケッチ用具覚書2 鉛筆の色々
しかし、ちょっと思うところあって削る鉛筆に回帰しているのだ。
絵描きなので、鉛筆デッサン、鉛筆スケッチにはけっこう思い入れがある。
デッサンと見取り稽古
デッサンと見取り稽古2
デッサンと見取り稽古3
デッサンと見取り稽古4
デッサンと見取り稽古5
貴重な制作時間を節約するため色々便利な道具も試してみたが、時間短縮で能率を上げたら絵の質が上がるかというと、そうでもないなと感じるようになった。
書道で墨をする時間がやっぱり大切であるように、手で鉛筆を好みの状態に削り出すという時間もまた大切だと、今さらのように気づいたのだ。
鉛筆を削るなら切り出しナイフだ。
カッターナイフでも切れ味は問題ないが、刃が薄いので「しなる」分、鉛筆のような木材を削る場合は不便を感じる。
一昔二昔前なら鉛筆を削るなら「肥後の守」と言われていたものだが、最近はあまり身近に売っていないし、研ぐ技術がないとかえって危なかったりする。
今お勧めなのは、OLFAのクラフトナイフのシリーズだ。
●オルファ クラフトナイフS
切れ味、耐久性は言うまでもなく、文具店やホームセンターで安く手軽に入手できるのが大変素晴らしい。
アウトドアの使用にも十分に耐えられるだろう。
小学生の工作にはカッターナイフよりこちらをお勧めしたいが、昨今の刃物に対する(私に言わせれば過敏な)規制の風潮の中では難しいかもしれない。
鉛筆を削るのは全ての工作の基本中の基本だ。
子供の日常から刃物を取り上げ、工作と、ちょっとした怪我をする機会まで奪ったことが、他人の痛みに対する創造力の欠落につながっていると、個人的には考えている。
手で鉛筆を削ると、木の削り心地も重要な要素になってくる。
100均の鉛筆で使われているような正体不明の粗い木材だと、削る段階で創作意欲が減退してしまう。
鉛筆画を志すなら、安価なものでも良いから、せめて名の通ったメーカー品でなくてはならない。
●トンボ鉛筆8900 HB 1ダース
●トンボ鉛筆 MONO HB 1ダース
絵を描くときにどんな鉛筆を使うかは「好み」としか言いようがない。
どんな鉛筆でもいいからとにかく描きはじめてみれば、技量の向上とともに自然と鉛筆の質にまで注意が向くようになる。
絵画教室などでは、ステッドラーのルモグラフか、三菱ハイユニのどちらかを使う人が多いだろう。
●ステッドラー ルモグラフ 12硬度セット
6B、5B、4B、3B、2B、B、HB、F、H、2H、3H、4H
●三菱鉛筆ハイユニ アート22本セット
10B、9B、8B、7B、6B、5B、4B、3B、2B、B、HB、F、H、2H、3H、4H、5H、6H、7H、8H、9H、10H
これらの硬度が全部必須というわけではなく、自分の筆圧とか手法によって必要とする硬度や本数は違ってくる。
最終的には、やはり好みだ。
私の場合、受験生の頃は三菱ハイユニ派だった。
ルモグラフとハイユニでは同じ硬度表示でも硬さに違いがある。
ハイユニの方が一段階ずつくらい柔らかめの印象があり、木の削り心地が好みだったのだ。
ルモグラフの方が少し高価で、近所で手に入りづらかったという理由もある。
がっちりした鉛筆デッサンから離れ、都市部に居住するようになり、イラスト系の絵を描く機会が増えてからは、ルモグラフなどのステッドラー製品をよく使っていた。
最近になって手で鉛筆を削る意味を再発見してから、初心に帰る意味でハイユニを買いなおした。
とりあえず濃い方から4B、2B、HB、2Hの4本。
私は受験生の頃から、あまり鉛筆の種類は増やさずにタッチのバリエーションで描き分ける方だった。
当時とは感性も手もかなり変わっているだろう。
しばらく様子を見ながら、スケッチを重ねてみよう。
知識はかなり集積した。
絵描きは描くことで知識を血肉としなければならない。
まず鉛筆。
まずスケッチだ。
以前「削らず使える鉛筆芯ホルダー」を紹介する記事を書いた。
スケッチ用具覚書2 鉛筆の色々
しかし、ちょっと思うところあって削る鉛筆に回帰しているのだ。
絵描きなので、鉛筆デッサン、鉛筆スケッチにはけっこう思い入れがある。
デッサンと見取り稽古
デッサンと見取り稽古2
デッサンと見取り稽古3
デッサンと見取り稽古4
デッサンと見取り稽古5
貴重な制作時間を節約するため色々便利な道具も試してみたが、時間短縮で能率を上げたら絵の質が上がるかというと、そうでもないなと感じるようになった。
書道で墨をする時間がやっぱり大切であるように、手で鉛筆を好みの状態に削り出すという時間もまた大切だと、今さらのように気づいたのだ。
鉛筆を削るなら切り出しナイフだ。
カッターナイフでも切れ味は問題ないが、刃が薄いので「しなる」分、鉛筆のような木材を削る場合は不便を感じる。
一昔二昔前なら鉛筆を削るなら「肥後の守」と言われていたものだが、最近はあまり身近に売っていないし、研ぐ技術がないとかえって危なかったりする。
今お勧めなのは、OLFAのクラフトナイフのシリーズだ。
●オルファ クラフトナイフS
切れ味、耐久性は言うまでもなく、文具店やホームセンターで安く手軽に入手できるのが大変素晴らしい。
アウトドアの使用にも十分に耐えられるだろう。
小学生の工作にはカッターナイフよりこちらをお勧めしたいが、昨今の刃物に対する(私に言わせれば過敏な)規制の風潮の中では難しいかもしれない。
鉛筆を削るのは全ての工作の基本中の基本だ。
子供の日常から刃物を取り上げ、工作と、ちょっとした怪我をする機会まで奪ったことが、他人の痛みに対する創造力の欠落につながっていると、個人的には考えている。
手で鉛筆を削ると、木の削り心地も重要な要素になってくる。
100均の鉛筆で使われているような正体不明の粗い木材だと、削る段階で創作意欲が減退してしまう。
鉛筆画を志すなら、安価なものでも良いから、せめて名の通ったメーカー品でなくてはならない。
●トンボ鉛筆8900 HB 1ダース
●トンボ鉛筆 MONO HB 1ダース
絵を描くときにどんな鉛筆を使うかは「好み」としか言いようがない。
どんな鉛筆でもいいからとにかく描きはじめてみれば、技量の向上とともに自然と鉛筆の質にまで注意が向くようになる。
絵画教室などでは、ステッドラーのルモグラフか、三菱ハイユニのどちらかを使う人が多いだろう。
●ステッドラー ルモグラフ 12硬度セット
6B、5B、4B、3B、2B、B、HB、F、H、2H、3H、4H
●三菱鉛筆ハイユニ アート22本セット
10B、9B、8B、7B、6B、5B、4B、3B、2B、B、HB、F、H、2H、3H、4H、5H、6H、7H、8H、9H、10H
これらの硬度が全部必須というわけではなく、自分の筆圧とか手法によって必要とする硬度や本数は違ってくる。
最終的には、やはり好みだ。
私の場合、受験生の頃は三菱ハイユニ派だった。
ルモグラフとハイユニでは同じ硬度表示でも硬さに違いがある。
ハイユニの方が一段階ずつくらい柔らかめの印象があり、木の削り心地が好みだったのだ。
ルモグラフの方が少し高価で、近所で手に入りづらかったという理由もある。
がっちりした鉛筆デッサンから離れ、都市部に居住するようになり、イラスト系の絵を描く機会が増えてからは、ルモグラフなどのステッドラー製品をよく使っていた。
最近になって手で鉛筆を削る意味を再発見してから、初心に帰る意味でハイユニを買いなおした。
とりあえず濃い方から4B、2B、HB、2Hの4本。
私は受験生の頃から、あまり鉛筆の種類は増やさずにタッチのバリエーションで描き分ける方だった。
当時とは感性も手もかなり変わっているだろう。
しばらく様子を見ながら、スケッチを重ねてみよう。
知識はかなり集積した。
絵描きは描くことで知識を血肉としなければならない。
まず鉛筆。
まずスケッチだ。
2015年04月11日
まず、心がかたいのだ
体調を崩しやすい年度始め、一週目は大過なし。
やや胃腸風邪の気配はあり、微妙なお腹のモヤモヤ感はあるが、こういう時は無理せず食事は少なく、睡眠は多く、仕事はちょっとばかり手を抜き気味でやり過ごすのが吉。
昨年は連続で胃腸炎にぎっくり腰にと満身創痍だったので、まずまずの滑りだしだ。
ぼちぼち続けているハタ・ヨーガでは、ちょっとしくじった。
だんだん柔軟性が出てきたのが嬉しくて少々無理をしてしまい、右股関節と右首に痛みが出た。
痛みが出てしまうとしばらくは中断しなければならず、その間に可動範囲はまた狭まってしまうだろう。
無理せず、「痛気持ちいい」という範囲を超えないようにしなければならないのだ。
ちょっとした脱力や角度の違いに気を付け、身体と対話しながらながら伸ばすのが良く、根性論で痛みに耐えながらぐいぐい伸ばしても痛めるだけなのだ。
ストレッチを熱心にやるわりに一向に柔らかくならず、むしろかたくなってしまったという人がけっこういるけれども、取り組み方、考え方に間違いがあるのだろう。
身体を柔らかくするなら、まず頭を柔らかく。
自戒を込めて。
やや胃腸風邪の気配はあり、微妙なお腹のモヤモヤ感はあるが、こういう時は無理せず食事は少なく、睡眠は多く、仕事はちょっとばかり手を抜き気味でやり過ごすのが吉。
昨年は連続で胃腸炎にぎっくり腰にと満身創痍だったので、まずまずの滑りだしだ。
ぼちぼち続けているハタ・ヨーガでは、ちょっとしくじった。
だんだん柔軟性が出てきたのが嬉しくて少々無理をしてしまい、右股関節と右首に痛みが出た。
痛みが出てしまうとしばらくは中断しなければならず、その間に可動範囲はまた狭まってしまうだろう。
無理せず、「痛気持ちいい」という範囲を超えないようにしなければならないのだ。
ちょっとした脱力や角度の違いに気を付け、身体と対話しながらながら伸ばすのが良く、根性論で痛みに耐えながらぐいぐい伸ばしても痛めるだけなのだ。
ストレッチを熱心にやるわりに一向に柔らかくならず、むしろかたくなってしまったという人がけっこういるけれども、取り組み方、考え方に間違いがあるのだろう。
身体を柔らかくするなら、まず頭を柔らかく。
自戒を込めて。
2015年04月12日
残り時間と完全燃焼
今年一月、もっとも敬愛する作家・平井和正の訃報があった。
哀悼の意も込めつつ、今のところ生前発表された最終シリーズである「幻魔大戦deepトルテック」を再読していた。
平井和正が長年自分の作品を追い続けてきた読者に贈ったサプライズギフト。
発表当時、そんな感想を持ったことを思い出した。
直前に刊行されていた「その日の午後、砲台山で」「幻魔大戦deep」から連続した作品と捉えると、多くの古参読者がとくに深い思い入れを持つ、少年犬神明と青鹿晶子の物語、角川版「幻魔大戦」、漫画版「幻魔大戦」に、ついにまとめて決着をつけてしまったような内容だったのだ。
それら未完の物語にある種の「決着」がつけられることは、私も含めたほとんどの古参読者の想定外だったのではないだろうか。
あまりのサプライズに、「先生、これはもしや遺作のおつもりでは?」と、かえって不安になってしまったことを覚えている。
あれから時は流れ、結果的には当時の感想が本当になってしまった形だ。
ともかく、我が敬愛する心の師は完全燃焼してこの世の仕事を終えたのは間違いなく、稀に見る幸せな作家人生だったのではないかと思う。
晩年、商業的には恵まれなかったこと、必ずしも正当に評価されているとは言えない現状を踏まえて、なおそう思う。
あれほど己の作家的良心に忠実に従い、完全燃焼の作品を発表し続けた人を、私は他に知らない。
翻って、自分の残り時間のことも考える。
敬愛する大作家とは比べるべくもないけれども、自分なりの「完全燃焼」の感覚を、あといくつ重ねられるか。
直近で完全燃焼できたと思えるのは「図工室の鉄砲合戦」だった。
一般論で言えばまだ死を思うには早いけれども、かつての同級生の幾人かは既に逝った。
そんな年齢である。
哀悼の意も込めつつ、今のところ生前発表された最終シリーズである「幻魔大戦deepトルテック」を再読していた。
平井和正が長年自分の作品を追い続けてきた読者に贈ったサプライズギフト。
発表当時、そんな感想を持ったことを思い出した。
直前に刊行されていた「その日の午後、砲台山で」「幻魔大戦deep」から連続した作品と捉えると、多くの古参読者がとくに深い思い入れを持つ、少年犬神明と青鹿晶子の物語、角川版「幻魔大戦」、漫画版「幻魔大戦」に、ついにまとめて決着をつけてしまったような内容だったのだ。
それら未完の物語にある種の「決着」がつけられることは、私も含めたほとんどの古参読者の想定外だったのではないだろうか。
あまりのサプライズに、「先生、これはもしや遺作のおつもりでは?」と、かえって不安になってしまったことを覚えている。
あれから時は流れ、結果的には当時の感想が本当になってしまった形だ。
ともかく、我が敬愛する心の師は完全燃焼してこの世の仕事を終えたのは間違いなく、稀に見る幸せな作家人生だったのではないかと思う。
晩年、商業的には恵まれなかったこと、必ずしも正当に評価されているとは言えない現状を踏まえて、なおそう思う。
あれほど己の作家的良心に忠実に従い、完全燃焼の作品を発表し続けた人を、私は他に知らない。
翻って、自分の残り時間のことも考える。
敬愛する大作家とは比べるべくもないけれども、自分なりの「完全燃焼」の感覚を、あといくつ重ねられるか。
直近で完全燃焼できたと思えるのは「図工室の鉄砲合戦」だった。
一般論で言えばまだ死を思うには早いけれども、かつての同級生の幾人かは既に逝った。
そんな年齢である。
2015年04月13日
ヤマザクラ2015
街中のソメイヨシノが散りはじめても、ふと山を見上げるとあちこちにふわりと白や薄ピンクの箇所があることに気づく。
ヤマザクラが咲いているのだ。
私の場合、春は気疲れすることが多いので、できるだけ人混みは避けている。
だから人出の多いソメイヨシノの花見は、あまり積極的には行かないのだが、ここ数年はヤマザクラにハマっている。
数年前に近所でヤマザクラが多く咲き、あまり人気の多くない穴場の山を見つけて以来、暇を見つけて登っている。
山の桜は標高や日照条件が一様ではなく、樹種もいくつかあるようなので、街中のソメイヨシノ並木のように全員右へ倣えで揃って満開になることはない。
楽しみ方としては梅林に近いけれども、梅の場合はまだまだ寒く、周りの景色には冬が残っている。
ヤマザクラだと春の気温、春の風景の中の散歩を楽しむことができる。
お目当ての一番大きな樹は、残念ながらもう散ってしまっていた。
今年は日々気温のアップダウンが激しく、雨も続いたので仕方がない。
他の樹で十分楽しめたので、無駄足という気はしない。
私は正直、ソメイヨシノの葉桜を綺麗だと思ったことは一度もない。
しかし、山の桜で見ると文句なしに「ああ、葉桜もいいな」と思える。
四季の植物の楽しみは、年齢とともに幅広くなってきている。
年食って失うものは多いが、得るものもまた多いのだ。
ヤマザクラが咲いているのだ。
私の場合、春は気疲れすることが多いので、できるだけ人混みは避けている。
だから人出の多いソメイヨシノの花見は、あまり積極的には行かないのだが、ここ数年はヤマザクラにハマっている。
数年前に近所でヤマザクラが多く咲き、あまり人気の多くない穴場の山を見つけて以来、暇を見つけて登っている。
山の桜は標高や日照条件が一様ではなく、樹種もいくつかあるようなので、街中のソメイヨシノ並木のように全員右へ倣えで揃って満開になることはない。
楽しみ方としては梅林に近いけれども、梅の場合はまだまだ寒く、周りの景色には冬が残っている。
ヤマザクラだと春の気温、春の風景の中の散歩を楽しむことができる。
お目当ての一番大きな樹は、残念ながらもう散ってしまっていた。
今年は日々気温のアップダウンが激しく、雨も続いたので仕方がない。
他の樹で十分楽しめたので、無駄足という気はしない。
私は正直、ソメイヨシノの葉桜を綺麗だと思ったことは一度もない。
しかし、山の桜で見ると文句なしに「ああ、葉桜もいいな」と思える。
四季の植物の楽しみは、年齢とともに幅広くなってきている。
年食って失うものは多いが、得るものもまた多いのだ。
2015年04月19日
カテゴリ「マンダラ」
blog「縁日草子」を開設してから、早いもので十年に近くなってきている。
開設以前から手をつけていたにも関わらず、語れていないテーマがまだいくつか残っている。
年末年始に古くからの友人やかつての師匠、敬愛する作家の訃報あいつぎ、ふと自分の残り時間のことを考えるようになった。
まだ死を思うほどの年齢ではないが、諸行無常の浮き世である。
明日何が起こるか、それは誰にもわからない。
どれほどあるか分からない残り時間と、できればこの世で形にしておきたい仕事の間で、そろそろ優先順位は作っておいた方が良い。
やりたいことはあれこれあるけれども、もしやりとげれば私の求める「完全燃焼」の感覚が得られそうなものの一つに「マンダラ」がある。
大きなサイズのマンダラをまともに描き上げてみたいという欲望は、はるか昔、自覚的に絵を描き始めた中高生の頃から持っていた。
それから今まで、数えきれないほどのスケッチや資料調べを続けてきて、分かったことがある。
自分が求めているのは、密教法具としての曼荼羅を、作法に従って正確に再現することではない。
いくつかの優れた曼荼羅図像から得た感動とインスピレーションを100号程度のキャンバスにぶつけ、自分のマンダラを築きたいのだ。
このカテゴリ「マンダラ」では、最終的に「それ」を描くために今まで蓄積してきたスケッチや資料調べ、考察について、順次記事にしていきたいと思う。
できることなら一枚でも、まともにぶつかって作品化してみたい。
もし望みがかなわなくとも、前のめりで倒れたいのである。
開設以前から手をつけていたにも関わらず、語れていないテーマがまだいくつか残っている。
年末年始に古くからの友人やかつての師匠、敬愛する作家の訃報あいつぎ、ふと自分の残り時間のことを考えるようになった。
まだ死を思うほどの年齢ではないが、諸行無常の浮き世である。
明日何が起こるか、それは誰にもわからない。
どれほどあるか分からない残り時間と、できればこの世で形にしておきたい仕事の間で、そろそろ優先順位は作っておいた方が良い。
やりたいことはあれこれあるけれども、もしやりとげれば私の求める「完全燃焼」の感覚が得られそうなものの一つに「マンダラ」がある。
大きなサイズのマンダラをまともに描き上げてみたいという欲望は、はるか昔、自覚的に絵を描き始めた中高生の頃から持っていた。
それから今まで、数えきれないほどのスケッチや資料調べを続けてきて、分かったことがある。
自分が求めているのは、密教法具としての曼荼羅を、作法に従って正確に再現することではない。
いくつかの優れた曼荼羅図像から得た感動とインスピレーションを100号程度のキャンバスにぶつけ、自分のマンダラを築きたいのだ。
このカテゴリ「マンダラ」では、最終的に「それ」を描くために今まで蓄積してきたスケッチや資料調べ、考察について、順次記事にしていきたいと思う。
できることなら一枚でも、まともにぶつかって作品化してみたい。
もし望みがかなわなくとも、前のめりで倒れたいのである。
2015年04月21日
マイ・フェイバリット・マンダラ1(加筆あり)
このようなブログをやっているからには、仏教美術全般なんでも好きなのだが、いくつかのとくに好きなマンダラがある。
いずれも「このマンダラの感動を自分なりの形で表現したい」という衝動を呼び起こす、刺激に満ちた図像だ。
まず一つめは、京都の東寺所蔵の「伝真言院曼荼羅」と呼ばれる両界曼荼羅のうち、とくに胎蔵界曼荼羅の方。
教科書にも出てくるので、マンダラと言えばこの図像を思い浮かべる人が多いのではないかと思う。
下記の資料の中から、図像の概容がわかる程度に縮小して画像を引用しておこう。
所蔵されている東寺の宝物館で何年かに一度は原本が公開されているようで、私も今までに何度か拝観した。
まさに今現在も公開中(胎蔵界は今週までか?)なので、関心のある人はお勧め。
原本公開期間が過ぎても、原寸大の複写は宝物館に常設されている。
原本はもちろん素晴らしいのだが、製作年代は平安時代。
ものすごく正直に言うと経年変化で絵の具の色それなりにくすみ、剥落している。
公開期間中もガラス越しの鑑賞になる。
貴重な文化遺産なので仕方のないことだが、適切に補正された複写や、各種図版での鑑賞の方が分かりやすい面もあるのだ。
最近はCG技術の発達により、歴史的建造物や古美術作品の、完成当時の色彩を再現する試みが相次いでいる。
この曼荼羅なども、ぜひそうした再現がなされてほしい作品だ。
透過光の大型画面で鮮やかな色彩が再現されたら、この曼荼羅の素晴らしさが一層際立つのではないかと思うのだ。
原本であれ複写であれ、縦183.6cm横164.2cmの図像の正面間近に立ち、視界を曼荼羅世界で埋めてみる経験は、なかなか得難いものがある。
まずは東寺に足を運ぶべしである。
細部を鑑賞するならむしろ図版の方が良い。
●「東寺の曼荼羅図 みほとけの群像」
東寺宝物館から出ている図録で、所蔵の両界曼荼羅緒本や、その他の曼荼羅図が豊富な図版で収録されている。
とくにこの記事でテーマとしている「伝真言院曼荼羅」については、全体像と各部の拡大画像で紹介されているので、まずはこの一冊から求めるのが順当。
上のアマゾンリンクでは高い値段がついているが、東寺に行けば(確か二千数百円程度の)定価で売っているだろうし、関西の大型書店では最近でも取り扱っているのをけっこう見かける。
また、東寺では鮮明な印刷の両界曼荼羅大型ポスターも、高くない値段で売っている。
意外に良いのが以下の一冊。
●「あなただけの般若心経」(小学舘)
本来はタイトル通りの般若心経の解説本なのだが、この記事テーマの伝真言宗院両界曼荼羅の要所各部を、それぞれ1ページ大に拡大して挿画にしてある。
印刷の色味はやや黄色が強く、原本の印象とは少々異なるが、原本の持つ華やかで楽しげな仏菩薩の雰囲気はよく伝わってくるので、補正の方針としては悪くないと思う。
細部を検討したいなら、この本が一番手頃だと思う。
両界曼荼羅図には、サイズ的にもっと大きなものや保存状態の良好なものが各種あるが、とくに胎蔵界曼荼羅は、原典となったこの図像がやはり唯一無比だ。
時代が下った作品は描写は精密になるけれども、その分原典の持つダイナミックな迫力、「宇宙大の祝祭」のイメージは薄れていく。
この原典では、ラフで素朴な筆致で描かれた仏菩薩や尊像、天部の神々や魔物たちが、一堂に会して盛大なパーティーを楽しむように舞い踊っている。
中台八葉院は、まるで電飾が仕込まれているかのように本当に輝いて見える。
中心部の赤ん坊のような大日如来から放射される光が八方に広がって仏菩薩になり、仏の宇宙が拡大し、神々や魔物も含めた全宇宙が生成されていく様が、直感的に伝わってくる。
曼荼羅図像の生命力と言う点では、やはりチベット文化圏が本場なのだが、彼の地で主流の後期密教の曼荼羅はほとんど全てが金剛界の流れを汲んだものだ。
胎蔵界に限って言えば、中期密教を受け継いだ日本の曼荼羅が素晴らしいのである。
いずれも「このマンダラの感動を自分なりの形で表現したい」という衝動を呼び起こす、刺激に満ちた図像だ。
まず一つめは、京都の東寺所蔵の「伝真言院曼荼羅」と呼ばれる両界曼荼羅のうち、とくに胎蔵界曼荼羅の方。
教科書にも出てくるので、マンダラと言えばこの図像を思い浮かべる人が多いのではないかと思う。
下記の資料の中から、図像の概容がわかる程度に縮小して画像を引用しておこう。
所蔵されている東寺の宝物館で何年かに一度は原本が公開されているようで、私も今までに何度か拝観した。
まさに今現在も公開中(胎蔵界は今週までか?)なので、関心のある人はお勧め。
原本公開期間が過ぎても、原寸大の複写は宝物館に常設されている。
原本はもちろん素晴らしいのだが、製作年代は平安時代。
ものすごく正直に言うと経年変化で絵の具の色それなりにくすみ、剥落している。
公開期間中もガラス越しの鑑賞になる。
貴重な文化遺産なので仕方のないことだが、適切に補正された複写や、各種図版での鑑賞の方が分かりやすい面もあるのだ。
最近はCG技術の発達により、歴史的建造物や古美術作品の、完成当時の色彩を再現する試みが相次いでいる。
この曼荼羅なども、ぜひそうした再現がなされてほしい作品だ。
透過光の大型画面で鮮やかな色彩が再現されたら、この曼荼羅の素晴らしさが一層際立つのではないかと思うのだ。
原本であれ複写であれ、縦183.6cm横164.2cmの図像の正面間近に立ち、視界を曼荼羅世界で埋めてみる経験は、なかなか得難いものがある。
まずは東寺に足を運ぶべしである。
細部を鑑賞するならむしろ図版の方が良い。
●「東寺の曼荼羅図 みほとけの群像」
東寺宝物館から出ている図録で、所蔵の両界曼荼羅緒本や、その他の曼荼羅図が豊富な図版で収録されている。
とくにこの記事でテーマとしている「伝真言院曼荼羅」については、全体像と各部の拡大画像で紹介されているので、まずはこの一冊から求めるのが順当。
上のアマゾンリンクでは高い値段がついているが、東寺に行けば(確か二千数百円程度の)定価で売っているだろうし、関西の大型書店では最近でも取り扱っているのをけっこう見かける。
また、東寺では鮮明な印刷の両界曼荼羅大型ポスターも、高くない値段で売っている。
意外に良いのが以下の一冊。
●「あなただけの般若心経」(小学舘)
本来はタイトル通りの般若心経の解説本なのだが、この記事テーマの伝真言宗院両界曼荼羅の要所各部を、それぞれ1ページ大に拡大して挿画にしてある。
印刷の色味はやや黄色が強く、原本の印象とは少々異なるが、原本の持つ華やかで楽しげな仏菩薩の雰囲気はよく伝わってくるので、補正の方針としては悪くないと思う。
細部を検討したいなら、この本が一番手頃だと思う。
両界曼荼羅図には、サイズ的にもっと大きなものや保存状態の良好なものが各種あるが、とくに胎蔵界曼荼羅は、原典となったこの図像がやはり唯一無比だ。
時代が下った作品は描写は精密になるけれども、その分原典の持つダイナミックな迫力、「宇宙大の祝祭」のイメージは薄れていく。
この原典では、ラフで素朴な筆致で描かれた仏菩薩や尊像、天部の神々や魔物たちが、一堂に会して盛大なパーティーを楽しむように舞い踊っている。
中台八葉院は、まるで電飾が仕込まれているかのように本当に輝いて見える。
中心部の赤ん坊のような大日如来から放射される光が八方に広がって仏菩薩になり、仏の宇宙が拡大し、神々や魔物も含めた全宇宙が生成されていく様が、直感的に伝わってくる。
曼荼羅図像の生命力と言う点では、やはりチベット文化圏が本場なのだが、彼の地で主流の後期密教の曼荼羅はほとんど全てが金剛界の流れを汲んだものだ。
胎蔵界に限って言えば、中期密教を受け継いだ日本の曼荼羅が素晴らしいのである。