2015年04月24日

マイ・フェイバリット・マンダラ2

 前回の記事でテーマにした胎蔵曼荼羅は、中期密教を代表するもので、大日如来を中心に大乗仏教で親しまれた様々な仏尊やインドの神々を網羅した宇宙観を表現している。
 いわばインドで起こった神仏習合図像だ。
 中期密教は胎蔵曼荼羅で宇宙サイズにまで大風呂敷を広げた後、新しい秩序を金剛界曼荼羅で打ち立てて、現在のチベット仏教に続く後期密教へと進化していく。
 平安時代に中国を経て日本にもたらされたのは中期密教までで、進化の最終段階の後期密教は現在チベット周辺に伝えられている。
 金剛界曼荼羅以降になると、通常の大乗仏教とは違う仏尊名が増えてくる。日本では大乗仏教が民衆に親しまれているので、見知った仏様が多い胎蔵曼荼羅の人気が高いようだ。
 金剛界曼荼羅、とくに日本の「九会曼荼羅」と呼ばれる形式のものはかなり知的に構成されているので、直感的に伝わってきやすい胎蔵曼荼羅と比べると、鑑賞するにも予備知識が必要だ。
 五智如来で表現される「中心と四方」の基本構造で宇宙を隅々まで整然と再構成し、必要な仏尊を新たに創造してあるということを知ると、鑑賞のとっかかりができる。

 私は絵描きなので、元来は知的なものの観方より感覚的なものの観方の方が馴染みやすい。
 整然とした秩序より、矛盾を飲み込んだ大風呂敷に心ひかれる。
 だから伝真言院曼荼羅でも胎蔵界の方に好みが傾き勝ちだったのだが、知識を得てみると、曼荼羅の構造としては金剛界の流れの方が進化していることは理解できた。
 そして、一旦知的に完成された冷徹な金剛界曼荼羅に、再び混沌のエネルギーを注ぎ込んだチベット密教の図像に関心が向くようになった。
 チベット現地へは行けないので、様々な展示や図版を渉猟するうちに、いくつかの好きな曼荼羅ができた。
 日本の曼荼羅の場合と同じく、時代が下って表現様式が完成、固定化される前の、古く素朴な筆致のものがやはり気になった。
 中でも惚れ込んだのが、アルチ寺院の壁画に描かれているという謎の金剛界曼荼羅だ。

mandala02.jpg


 中心部の五智如来が女性形で描かれている特異な図像である。
 チベット密教図像と言えば父母仏の偉容が論じられることが多いが、それともまた違った静かな衝撃を感じる。
 上掲の図像は、以下に紹介する書籍の中から、概容がわかる程度に縮小して引用している。
 興味のある人は書籍にあたってほしい。


●「ラダック曼荼羅―岩宮武二写真集」 (岩波書店)


●「マンダラ(出現と消滅) ― 西チベット仏教壁画の宇宙」松長有慶 監修、加藤敬 写真(毎日新聞社)


 このアルチ寺院の金剛界曼荼羅もまた、いつか取り組んでみたいモチーフである。
 できることなら実物の前に立ってみたいが、たぶん今生ではその機会が訪れることは無さそうに思う。
 だからこそ自分で大きなサイズのものを描き、視界をその曼荼羅で埋めてみたいのだ。
posted by 九郎 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | マンダラ | 更新情報をチェックする

2015年04月29日

マイ・フェイバリット・マンダラ3

 いつの日かこのマンダラをモチーフに、大きなサイズで描いてみたい。
 そんな強い欲をそそられる対象を、これまでに二つ紹介してきた。
 三つ目のフェイバリットは、実在のものではない。
 ある物語の中だけに存在する、架空のマンダラである。
 夢枕貘「キマイラ・シリーズ」の中に登場する「外法曼陀羅」がそれだ。

 先に挙げた二つのフェイバリットは、日本の真言密教でも最重要視される金剛胎蔵両界だった。
 そんな定番中の定番と並べてエンタメ小説の中の虚構を挙げることには、奇異な印象を持たれるかもしれない。
 まあ、バカにされるのも覚悟の上である(笑)

 夢枕獏については、これまでにもけっこう記事にしてきた。
 夢枕獏1
 夢枕獏2
 夢枕獏3
 夢枕獏の西域幻想
 外法曼陀羅
 焚火の夜

 問題の「外法曼陀羅」については、五つ目の記事ですでに書いたことがある。
 キマイラ・シリーズには物語の核心となる一つの絵図が設定されている。「外法絵」とか「外法曼陀羅」と表現されている絵図で、「人が獣になる」ための「外法」が図示されているとされている。その絵図はとあるチベットの密教寺院の隠し部屋に存在し、描いたのはその「外法」を自身で試みた天才絵師であり、他に何枚かその写しが存在するらしいことが、これまでの既刊分の物語の中で判明していた。
 その架空の曼陀羅に関する描写が、キマイラという物語の前半のクライマックスになっており、高校生の頃の私は、はじめて読んだその凄まじい描写に衝撃を受け、「いつの日かこの曼陀羅を自分で描いてみたい」と夢想したものだ。


●「キマイラ6 胎蔵変/金剛変」夢枕獏(ソノラマノベルス)

 それからはるかに時は流れ、私も「若気の至り」という言葉を正しく理解できる年齢になった(笑)
 インド、日本、チベット等の密教図像や、その教義について、高校生の頃より多少は理解できるようになった今となっては、キマイラ作中の「外法曼陀羅」を、文字に書かれた描写そのままに図像で再現することは、ほぼ不可能であることはわかった。
 詳しくは書かないけれども、いくつかの点で「これをチベット密教図像の作法に従って描くのは無理」と、判断せざるを得なくなったのだ。
 そもそも、作中の文章表現そのものが、明確な図像を想定したものというよりは、「外法曼陀羅」というモチーフの持つ「力」とか「勢い」を描くことを主目的としていると思われ、実際に「描く」ための解説にはなっていないのだ。
 巻が進むと、同じ「外法絵」についての描写でも、微妙に違ってきていると思える箇所もある。
 その改変部分には、元々の描写より、ややチベット密教図像のセオリーに近づけている印象があった。
 著者の中で設定に何らかの変更があったのかもしれないし、あるいは同じ図像ではなく、バージョン違いだという暗示なのかもしれない。

 チベット寺院の隠し部屋にこもり、自らの狂気を吐きだすように曼陀羅を描く。
 そんな描写をそのまま実行することは、今生の私にはもう不可能なことはよく理解している。
 しかし、まだ「自分なりの表現で外法曼陀羅に挑む」ということ自体は諦めていなかったりする。
 私はけっこう執念深いのだ(笑)

 以前描いたスケッチから、もう一歩進めてみる。
 キマイラの作品世界に存在する「外法曼陀羅」の、中尊周辺に描かれた眷属神の一体。
 そんなノリで楽しんでいただければ幸いである。

mandala03.jpg


 とりあえず、ここまでは来た。

 高校生の頃、「この外法曼陀羅を実際描くにはどうしたらいいか?」という問いを抱いて以来、遡って密教図像のことを延々と調べ続け、描き続けてきた。
 フィクションから今の私というリアルが生まれた。
 何合目かは分からず、生きているうちに頂に達することができるかどうかも定かではないが、それなりの標高には達しつつある気もするのである。
posted by 九郎 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | マンダラ | 更新情報をチェックする