今年一月、もっとも敬愛する作家・平井和正の訃報があった。
哀悼の意も込めつつ、今のところ生前発表された最終シリーズである「幻魔大戦deepトルテック」を再読していた。
平井和正が長年自分の作品を追い続けてきた読者に贈ったサプライズギフト。
発表当時、そんな感想を持ったことを思い出した。
直前に刊行されていた「その日の午後、砲台山で」「幻魔大戦deep」から連続した作品と捉えると、多くの古参読者がとくに深い思い入れを持つ、少年犬神明と青鹿晶子の物語、角川版「幻魔大戦」、漫画版「幻魔大戦」に、ついにまとめて決着をつけてしまったような内容だったのだ。
それら未完の物語にある種の「決着」がつけられることは、私も含めたほとんどの古参読者の想定外だったのではないだろうか。
あまりのサプライズに、「先生、これはもしや遺作のおつもりでは?」と、かえって不安になってしまったことを覚えている。
あれから時は流れ、結果的には当時の感想が本当になってしまった形だ。
ともかく、我が敬愛する心の師は完全燃焼してこの世の仕事を終えたのは間違いなく、稀に見る幸せな作家人生だったのではないかと思う。
晩年、商業的には恵まれなかったこと、必ずしも正当に評価されているとは言えない現状を踏まえて、なおそう思う。
あれほど己の作家的良心に忠実に従い、完全燃焼の作品を発表し続けた人を、私は他に知らない。
翻って、自分の残り時間のことも考える。
敬愛する大作家とは比べるべくもないけれども、自分なりの「完全燃焼」の感覚を、あといくつ重ねられるか。
直近で完全燃焼できたと思えるのは「図工室の鉄砲合戦」だった。
一般論で言えばまだ死を思うには早いけれども、かつての同級生の幾人かは既に逝った。
そんな年齢である。