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2015年05月01日

GWの体調管理

 例年体調を崩しやすい年度末と年度始めを、まずまず無事に乗り切った。
 次のチェックポイントはGW明け。
 新体制に慣れ、気を張っていた緊張感がホッと緩むタイミングが要注意だ。
 昨年はそのタイミングで、私史上最悪の胃腸炎を発症してしまった。
 昼夜の寒暖差が激しいので、もう一つの持病、腰痛にも注意である。

 花粉症は今年も全く発症しなかった。
 二十代からずっと長く苦しんできたのだが、これで二年連続無症状。
 もう「完全克服」と宣言して良いだろう。
 要因はやはり糖質制限でまちがいなさそうだ。 

 緩めの糖質制限は、普段の生活習慣としてずっと継続している。
 朝食は茶碗に軽く半分ほどのご飯か、半枚の食パン程度。(おかずはしっかり食べる)
 昼食は炭水化物抜きの惣菜中心。
 夜はがっつりおかず。
 炭水化物等の糖質はできるだけ避けるが、カロリーは制限せず普通に摂るのが大切なポイントだ。

 おやつはごく軽く甘いものを摂ることもある。
 出先や付き合いで炭水化物が出された場合は、ありがたく美味しく残さず頂く。
 酒は泡盛か糖質オフビール。

 大体この程度で、一番重いときよりも12キロほど減量した体重が維持されている。
 BMI値でいうと20過ぎ。
 おおよそ二十歳前後の頃の体重なので、このあたりが私の適正体重ということなのだろう。

 独学のハタ・ヨーガは、そろそろ再開。
 ちょっと調子にのって無理をしてしまい、痛みが出ていたのでしばらく中断していた。
 身体の柔軟性は振り出しに戻ってしまったが、まあぼちぼち続けていく。
posted by 九郎 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2015年05月02日

おりがみ「六字名号兜」

 信長の小姓・森蘭丸所用としてよく知られた当世具足に、「南無阿弥陀仏」の六字を前立てにしたものがある。

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 仏敵・信長の小姓が六字名号を前立てにしていたという面白さもあって、けっこうムック本などでも取り上げられており、当ブログでも以前に雑賀鉢の記事で紹介したことがある。
 どうやらこの具足、出所がかなり怪しいようで、本当に森蘭丸所用である可能性は極めて低そうだ。

 ただ誰の所用であったかはさておき、「南無阿弥陀仏」の六字名号を模した前立てが存在したこと自体は確実で、例えばそれが石山合戦の本願寺方の武将、中でも雑賀衆の一員であればより自然だ。
 その場合は雑賀鉢に件の前立てをつけることになるだろうから、以下のイラストのようになる。

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 今年は以前描いた上のイラストを、おりがみで再現してみることにした。

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 本来の前立ては「南無阿弥陀仏」の「仏」の字が蓮弁と重なったデザインになっているのだが、金色の画用紙を使った切り絵の手法で再現するために少しずらしてある。

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 例によって他サイトで公開している折り方のアレンジなので、当ブログでは詳しい折り方の解説は受け付けておりません。
 あしからず(笑)

 おりがみ兜のまとめ記事はこちら
posted by 九郎 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2015年05月05日

ヒナゲシとともにGWは過ぎ行く

 今年のGWはいつからいつまでだろうか?
 この5連休あたりがメインで、人によっては今週末あたりまでカウントするのかもしれない。
 毎年GWぐらいに盛りをすぎるのが、道ばたのヒナゲシだ。
 記事を書くにあたって改めて調べてみると、道路脇などに大量に自生しているオレンジ色の小ぶりな花は、ナガミヒナゲシという帰化植物であるらしい。
 1960年代初頭から広がり始めたそうなので、帰化してからの歴史は意外に浅いが、私が子供の頃にはもうそのあたりにけっこう生えていた。
 小さく可愛らしい外見に似合わず、けっこう「獰猛」な品種であるらしい。
 コンクリート周辺のアルカリが強い土を好み、他の植物を排除しながらどんどん増える。
 道路脇で育ちやすいので種子が車に運ばれ、瞬く間に全国に広まっていったということだ。

 そんな困り者だとは露知らず、春先にパッと華やかな咲きぶり、散りぶりなので、私は昔から好きだった。
 早春のオオイヌノフグリから始まって、セイヨウタンポポ、そしてナガミヒナゲシあたりを楽しむと、そろそろ気温は「暖かい」から「暑い」に移り変わってくる。
 私は子供の頃からそんな風に春を感じてきたのだが、考えてみると全部帰化植物だ(笑)
 
 それはそれで、私にとっては昔馴染みの、懐かしさもある季節の便りではある。

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posted by 九郎 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節の便り | 更新情報をチェックする

2015年05月08日

カテゴリ「今昔物語」を「中世物語」へ変更

 この度、ブログ開設初期から記事投稿していたカテゴリ「今昔物語」の名称を、カテゴリ中世物語に変更しました。
 今昔物語に限らず、広く中世説話を取り扱うためです。
 
 ブログ開設以前から準備していたテーマで、いまだにアップしていないものがいくつか残っています。
 開設十周年を前に、できるだけ決着をつけていきたいです。
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年05月09日

違和感の分析

 GWも過ぎ、「おりがみ 兜」で検索して来る人もガタッと減った。
 一段落した感じなので、そろそろ書いておこうか。。。

 今年も何度か、作例の折り方について問い合わせがあった。
 自分でアップした記事について「問い合わせ」があれば、こちらもそれなりに誠意をもって対応はする。
 けれども、おりがみ作品の記事について、「折り方公開して」とか「なんだ公開してないの?」とかいう主旨のコメントが寄せられると、ちょっと違和感を持つ。
 率直に言えば、なんでそんなコメントを見ず知らずの他人のブログに書けるのか、私にはその感覚が理解できない。

 折り方をネットで無料公開している他人様に対しては、私自身もその労力と善意に深く感謝しつつ、参考にさせてもらっている。
 折り方のネット公開の手法としては、折り図を作成してアップするか、折る過程を撮影して動画でアップするのが主流だと思うが、どちらにしてもかなりの手間である。
 おりがみをする人間にとっては欠けがえのない宝物のようなオリジナルの折り方を、多大な労力を傾けてまでネット公開してくださる皆さんには感謝と賛辞を惜しまない。
 しかし、公開していることには公開しているだけの理由が、それぞれの作者さんにもあることだろうとは思う。
 公開、非公開、それぞれに理由があってのことだろうと考えるのは当たり前のことで、わざわざ非公開の折り方について作者さんに直接聞くというのは失礼にあたる、と私なら考える。

 私はおりがみについては「少々詳しい一般人」というスタンスだから聞きやすいのかもしれない。
 酒の席で歌の上手い人に「ちょっと一発なんか歌ってみてよ」と頼むのはありだろうから、それに近い感じでコメントを寄せられているのかもしれないが、そういうのは内輪だからこそ許されることではないかと思うのだ。
 そしていくら親しい間柄でも、それで食っているプロに対して、本業をサービスで披露してくれと気安く頼む勇気は、私にはない。
 以前、学生時代の先輩でおりがみ作家もやっている方のブログを拝読していると、あまりにも安易に折り方を質問してくるブログ読者に対して、「なぜ自分で工夫して折ってみようとしないのか」という苦言を呈する記事がアップされていたことがあった。
 記事にするくらいだから、けっこうな頻度でそのような問い合わせがあったのだろうなと推察する。

 おりがみに限らず、「ネットでの無料公開」という状態に慣れすぎて、ちょっと感覚が麻痺してしまっている部分があるのではないだろうか。
 私も他の分野では同様の無神経さを持ってしまっている可能性は極めて高い。
 自戒しなければならない。
posted by 九郎 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2015年05月16日

高野山

 今年は高野山開山1200年ということだ。
 日本において密教や曼荼羅を語るとき、高野山や弘法大師空海は避けてとおれない。
 このカテゴリマンダラでも少し記事にしておこう。

 私は二十年ほど前から、熊野や高野山に度々遍路に行っていた。
 昔の師匠の手伝いで文化財や古道の調査で行くことも多かった。
 師匠は高野山に続く参詣道が現在でも八本確認できることに注目し、胎蔵曼荼羅の中台八葉に見立てていたことを思い出す。
 そう言えば「ちょっとお前、その線で絵図描いてみろ」と指示されたこともあったっけ。。。

 手持ちの古い原稿の中に、高野山を扱ったものを見つけたので、この機に記事にしておきたい。
 十年ほど前の文章だが、考え方は大きくは変わっていないので、なるべくそのまま再録する。
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(クリックすると画像が大きくなります)

 弘法大師空海のお山、高野山には何度か登った。南海電鉄には高野線という直通路線があって、大阪難波から一本、思うほど時間もかからず到着できる。私はよく朝一の電車に揺られて高野山へ向かった。各駅停車でうとうとしているうちに終点「極楽橋駅」に着。そこからはケーブル線に乗る。早朝だとさすがに人気は少ない。少数の熱心な参拝者の皆さんに混じって、ちょっと不純な自覚のある私も平行四辺形の車両に乗り込む。
 朝靄の木立の中を、コットンコットンと車両は登る。巻き上げられたケーブルが各所の滑車をリリリリ、リリリと鳴らす。仏教では教えを広めることを「法輪を転ずる」と表現することもあるが、ふとそんな言葉を思い起こさせる情景だ。……とかこじつけてみたりする。
 ケーブルを降りたら、そこはもう高野山の只中だ。放し飼いの犬がうろうろ歩きながら私を迎えてくれる。なんとなく賢そうに見えるのは絶対気のせいだ(笑)
 そこからバスに乗れば山上の「宗教都市」はもうすぐだ。大阪からゆっくり見積もっても二時間半。新幹線の東京〜大阪間とさほど変わらない。これを遠いと見るか近いと見るかは意見が分かれるだろうけれども、私自身は「めちゃめちゃ近いやん!」と思う。
 古の高野山は都から遠く離れた深い深い山の中だった。今でこそ鉄道や車道が整い、日帰りの参拝者、観光客は数知れず、山上は小都市の趣だが、平安時代から明治まで、ここには坊さんと坊さんの生活を支える少数の人々しか住んでいなかった。
 参拝者も険しい山道を歩いて来られる者に限られ、しかも明治までは女人禁制! 女性は結界内には立ち入れず、参上をぐるりと囲む「女人道」から遠く聖地を望むしかなかった。もちろん現在は女性参拝者も数多く、男女の別なく普通に居住もしている。
 山頂は小さな盆地になっていて、真ん中にメインストリートとなる車道が一本。その両側に教科書でも有名な伽藍、各種店舗、住宅などが並んでいる。売店は朝早くから開いていて、仏具や遍路用品、おみやげ物が各種取り揃えてある。私の愛用の金剛杖もここで買った。
 高野山の見所は数多いけれども、私にとってはなんと言っても「奥の院」こそが核心部分と感じられる。奥の院はお大師さま空海の眠る御廟を頂点に、数十万基と言われる墓や供養塔が立ち並ぶ一大墓所だ。歴史上のビッグネームをはじめ、空海の名を慕う様々な人々が眠っている。「あ、この人も。うわっ、こんな人も。え? こんな人まで!」見入っているときりがなく、それだけで日が暮れてしまうことだろう。
 中には変わった供養塔の類いもかなりある。福助さまが座っているのや、金属製のロケット型、「しろあり やすらかにねむれ」とか、落書きだらけの「楽書塚」などその他にも多数。石造りの名刺入れが設置してあるものもある。一瞬、周囲の雰囲気もあって「妖怪ポストみたいなもんか?」と妄想してしまうが、すぐに違うと分かる。
 ぶっちゃけかなり「変」だと思うのだが、奥の院の深い森に包まれてみると、どれもしっくり馴染んで見えてくるから不思議だ。
 私は子供の頃から墓場が好きで、ちょっと悪いなと思いながらもよく遊びにいっていたのだが、奥の院はそうした子供の頃のドキドキ感が甦ってくる「スーパー墓場」だ。
 いつまでも歩き回っていたい気分を抑えつつ、さらに奥へ奥へと足を運ぶ。奥の院のそのまた一番奥の「御廟」には、弘法大師が眠っているという。文字通り「眠っている」だけで、今も生きていると伝承されている。実際、お給仕係のお坊さんもいて、毎日食事を運んでいるという。中がどうなっているのか、本当のところは誰も口にしてはいけないとか。
 ここは「開かずの箱」なのだ。
 箱には鍵がかかっている。中身は誰も見たことがないが、秘宝が入っていると伝えられている。開けてはいけないことが想像をかきたてる。本当は空箱かもしれない。しかし「あるかもしれない」という可能性が、箱の扱いを変える。丁寧に安置され、祀られた長い年月が、箱の重みを限りなく増していく。お大師さまはそういう「開かずの箱」の仕掛けを、意識的に作ったのではないだろうか。
 未来仏、弥勒菩薩が下生する五十六億七千万年後に再び目覚めるという予言。人間にとっては永遠に等しい年月を設定することで、空海は高野山を永遠に生かし切ったのではないだろうか。
 頭でっかちな現代人の私は、空海の存命をなかなかそのまま信じることはできず、そんなふうに「合理的に」解釈したくなりがちだ。
 しかしお山に登り、奥の院の御廟の前に立つと、その扉の向こうにやっぱり弘法大師の息づかいを感じてしまうような、不思議な感覚にとらわれる。
 高野山はそんな所だ。
posted by 九郎 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | マンダラ | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

空海伝説

 高野山に触れたら、空海についても書いておかなければ。
 以前、このブログでも何かの折りに、「弘法大師空海双六」というものをアップしたことがあったと思う。そのカラー版が出てきたので、この機会に紹介しておこう。

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(クリックすると画像が大きくなります)

 表題の「縁日画報」というのは、私が2001年頃から断続的に少部数発行していたミニコミ紙で、もちろん当ブログ「縁日草子」の母体になった。
 双六は日付によると2003年の作品で、もう一巡り昔になってしまったか。
 前回記事の高野山に関する文章も、この号に掲載されていた。
 同じ号で空海と密教についても雑文を書いている。
 今読んでも「悪くない」と思った部分を抜粋しておこう。

【密教について】
 真理や法は本来形や言葉では表せない。しかし人は五感を含めた身体で、形や言葉によって真理や法をとらえるしかない。密教では真理への入り口として身体を活用する。様々な儀式を行い、仏像仏画や曼荼羅を作成し、目で見て耳で聞き、鼻でかぎ、触り、味わう表現を重視する。仏像は仏そのものではないけれども、仏を感得するための舞台装置として機能する。高野山や東寺は絢爛たる色と形のテーマパークである。

【金胎両部曼荼羅について】
 胎蔵曼荼羅は大日如来を中心に、全宇宙の様々な仏菩薩や神々、怪物までを包含した「宇宙大の大風呂敷」である。
 金剛界曼荼羅は大風呂敷の雑多な中身を整理整頓するための学習プログラムである。

【即身成仏について】
 身口意の三密は「ポーズとセリフと役作り」に喩えられる。仏を表す印を結び、仏を表す真言を唱え、心にありありと仏の姿を観想することで、密教僧は仏を演じきる。参拝者と演者である僧の間で、そこに仏が確かに実在するという感覚が生まれることが即身成仏で、弘法大師は千両役者。

【各地の空海伝説について】
 度重なる災害、困窮する民衆、誰も成功しない土木工事。そこに颯爽と登場する、数々の逸話に彩られたスーパースター、弘法大師空海。スターは堂々と仏を演じきり、「大丈夫、必ず工事は成功する」と、仏の権威をもって断言する。
 うちひしがれていた民衆は奮起し、空海は唐から持ち帰った最新技術を提供する。各地に残る土木工事の伝説は、空海と民衆の力強く美しい合作である。
posted by 九郎 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | マンダラ | 更新情報をチェックする

2015年05月23日

せっかくのアナログ

 なんだかんだでCGをはじめてから10年以上になった。
 立ち上がりは遅いが一旦はじめるとのめり込む性分である。
 半端なことは気にくわないので、絵を描くのにPCを導入してからは、下描きから着色仕上げまで全てPC上でやる手法をメインにしてきた。
 デジタルで絵を描くことのメリットは数多い。
 思い付くままに挙げてみると以下のようになる。

・アナログ画材と比べ、相対的にはコストが安い。
・画材の準備と片付けの手間がないので、作業の中断、再開が容易。
・修正、編集が容易。
・複製(ネットへのアップ、印刷向けの画質調整)が容易。
・作品はデータなので保管にスペースをとらない。

 ただ、メリットはそのままデメリットにも裏返りやすい。

・コストがかからず、作業の中断、再開、修正が容易なので、製作に緊張感が薄れやすい。
・PC向けの手法を採ると、誰でも似たような作風になりやすい。
・実体としての作品が残らず、データが飛ぶリスクは大きい。

 個人的には、デジタルは「編集」に向いていると思う。
 面として色を塗るのには向いているが、描線の精度はまだまだ低い。
 漫画家やイラストレーターでも、線画まではアナログでやる人は数多い。
 私も線画については、やはりアナログに回帰しつつある。


 今でもアナログで最後まで仕上げる絵も描くが、「せっかくアナログで描くなら」と思うことがいくつかある。

【せっかくアナログで描くなら】
・それなりに大きなサイズで描きたい。
・絵の具を塗り重ねた厚みのある表現がしたい。
・デジタルで描いた多くの作品の中から、「これはぜひアナログで追求したい」と立ち上がってきたテーマについて、手掛けたい。

 これはいずれ描きたいと願っている、大きなサイズのマンダラについても、もちろん適用されるのである。
posted by 九郎 at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 電脳覚書 | 更新情報をチェックする

2015年05月24日

せっかくのペンタブ

 絵描きのハシクレで、写実デッサンがそこそこできて、CGにも手を出しているので、たまに中高生から相談を受ける。
 ま、近所の便利屋ですわ(笑)

 写実デッサンについては、以前まとめて記事にした。

 デッサンと見取り稽古
 デッサンと見取り稽古2
 デッサンと見取り稽古3
 デッサンと見取り稽古4
 デッサンと見取り稽古5
 鉛筆をけずろう

 中高生から美術系受験ではなく、漫画やイラストの技術的な相談を受けた場合、まずこう答える。

「鉛筆画とペン画は全く違うから、モノクロのペン画が上達したければ、下描き無しでペンで直接ラクガキする習慣をつけましょう」

 それができていれば次にこう答える。
 
「好きで得意なキャラはいくらでも描けるだろうから、それを出発点にして、全年齢・性別の人物、小道具、背景など、自分の絵柄で描ける範囲をじわじわ広げていきましょう」

 絵が一通り描けるなら、さらにこう答える。

「漫画だけ読んで目新しいストーリーが作れるのは天才だけだから、漫画以外の文学、美術、音楽など、貪欲に吸収しましょう」


 加えて最近は、自分のPCを持っている中高生も多いので、CGについての相談を受けることもある。
 本音をぶっちゃけると、

「中高生風情がCGなど十年早いわ!! まず手描きを極めろ!!!」

 と一喝したくなるのだが、そこは時代の流れに迎合し、ひきつった微笑みを浮かべつつ、

「う〜ん、CGと言っても、基本的にアナログ画材がPCに置き換わるだけだから、ある程度手描きができてからでないと、楽しくなくて続かないよ」

 などと、かなりマイルドな言葉に変換してしゃべる。
 手描き修行を疎かにしてCGを始めてしまうと、大したことのない元絵でもそれなりに雰囲気のある仕上がりに「編集」できてしまうので、それで絵が上手くなったと錯覚してしまうこともあるのだ。
 ただ、前回記事で述べたように、CGの設備投資は、アナログ画材に比べると結果的に安上がりにできるので、彩色をデジタルで行うのはアリだろう。
 また、若いうちからネットに作品をアップし、(叩かれることも含めて)刺激を受けるのは悪いことではない。

 漫画イラストで、線画がある程度描けて、編集や彩色をPCでやりたいという場合は、次のように勧める。

「ペンタブレットを買うなら、面積は狭くていいから、筆圧感知のしっかりしたものにした方がいい」

 具体的な銘柄まで書くと、まあワコムのIntuosシリーズの中から、予算と好みに応じて選ぶことになると思う。



 ペンタブレット(略してペンタブ)は、簡単に言えばペン型のマウスで、筆圧まで関知できるタブレット上にペン型で描画することによって、PCモニターの中で直接絵が描けるようにするためのツールだ。
 当然、タブレットの面積が広いほど価格が高くなるが、広くて高価だからと言って一概に「描きやすい」とは限らないところが要注意である。
 私の用途、好みで言えば、Sサイズでも十分、Mサイズより大きくなると、むしろ使いづらいと感じる。
 中高生ならまずはSサイズで良いと思う。

 小遣いをはたいて買ったら、後は使い倒して慣れることだ。
 お勧めなのは、日常のPC操作の全てを、マウスの代わりにペンタブでやってしまうこと。
 モニター上のカーソルと、タブレット上のペンの動きが噛み合って、自然に操作できるようになれば、絵を描くのにも不自由はなくなる。
 若い者なら一週間ほど特訓すれば、すぐ慣れるだろう。


 まあ、いくら操作に慣れても、手描き以上の実力にはならんのですけどね。。。
 健闘を祈る!!!!
posted by 九郎 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 電脳覚書 | 更新情報をチェックする

2015年05月25日

再掲;曼荼羅なめんなよ

 もう3年前の記事になるが、カテゴリ・マンダラ関連で再掲載しておきたい。
 NHK大河ドラマで「平清盛」を放映していた時の記事である。

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 「清盛の血曼荼羅』、極彩色をデジタル復元」という見出しの報道を見かけた。

 金剛峯寺所蔵の重要文化財で、平清盛が寄進したと伝えられ、おまけに清盛が絵の具に自分の頭の血を混ぜたという伝説まで残っている縦4.2メートル、横3.9メートルの両界曼荼羅図だ。
 私も何かの展示で観た記憶があるが、かなり退色して不鮮明になっていたと思う。
 それがこの度デジタル復元されたという。

 歴史のある建造物や絵画、彫刻を、制作当時の色で再現するという試みは、これまでにも多くなされていて、このニュース自体はとても素晴らしいと思うのだが、ついでにどうでもいいことまで思い出してしまったので、一応記事にしておく。

 度々あげつらって申し訳ないのだが、NHK大河「平清盛」のことだ。
 2012年4月放映の「第十五回 嵐の中の一門」だったと記憶しているのだが、今回復元ニュースが届いた「血曼荼羅」が、題材になっていた。
 清盛伝説の中でも有名なエピソードなので、ドラマでもぜひとも使いたかったのはよくわかるのだが、その描写がなんとも酷かった。

 まず、曼荼羅の制作風景がありえない。
 ドラマの中では清盛に制作を依頼された絵仏師が、平家の屋敷内で、たった一人で描いているようにしか見えなかった。
 しかし、大寺院に寄進する約4メートル四方の巨大な曼荼羅を、絵描き一人がホイホイ出かけて行って、納期内で描くというようなことが可能かどうか、少し考えればわかりそうなものだ。
 それなりの人数の、専門資料や画材を完備したチームがなければ制作できるはずがないではないか。
 平家の屋敷内での制作したという伝承もあるようだけれども、さすがに「絵師一人」はあり得ない。
 ドラマ中では一人の仏師が、けっこう短期間で曼荼羅を描き上げたかのように描写されているのである。

 私も神仏絵描きのハシクレとして、いつの日か自分なりの大曼荼羅を描いてみたいという夢は持っているが、一人の人間が大曼荼羅を描くということが、いかに困難なことかはよくわかっている。
 その困難をものともせず、CGでコツコツと胎蔵界曼荼羅を描きつづけている人もいて、私は心から賞賛している。

 電気仕掛けの胎蔵界曼荼羅を描いてみるぶろぐ

 これだけでも「曼荼羅なめんなよ!」と突っ込みたくなるところなのだが、まだある。

 ドラマの中で、仏師が完成間際の曼荼羅を前に、発注者の清盛に「仕上げの一筆」をいれるように勧め、清盛もうなずいて、「弟の供養のため」に胎蔵曼荼羅の真ん中の大日如来の顔に筆を入れようとするシーンがあったのだ。
 仏師が曼荼羅の中心部分に、発注者とは言えただのド素人の筆を入れさせるなんて、そんなん絶対に

 あ・り・え・へ・ん!
 
 確かに「平家物語」には清盛が自ら筆をとったと読める記述があるが、そっち方面のお話しにするならもっと中世的なおどろおどろしい血まみれ呪術方向に振り切るべきだ。

 しかもその後、曼荼羅の前で清盛が父・忠盛に殴られ、頭から血を流して呻きながら曼荼羅まで這って行き、したたる血で仏様に彩色し、その様子を母・宗子が「うんうん」と嬉しそうにうなずきながら見守るシーンがあった。
 たぶんドラマを観ていない人には↑こう書いても何のことか意味がわからないと思うが、ご安心あれ。

 実際に観ていても理解不能です! 

 というか私の場合は、なんだか

 一昔前のダウンタウンのコント

 を観ているような気がしてきて、あまりに不条理な暴力とシュールさにちょっと失笑してしまった……
 
 有名な血曼荼羅のエピソードを使いたいが、あまりにぶっ飛んでるのでちょっと現実味を持たせたい。
 だから専門の仏師は登場させて、清盛に仕上げだけさせたことにする。
 ドラマの中の「真っ直ぐ」な清盛のイメージは崩したくない。
 だから「自分で血を混ぜた」のではなく、「事故で血が混ざってしまった」ことにする。

 あれもこれもと欲張った結果、こういう中途半端で支離滅裂な脚本になってしまったのではないだろうか。

 このドラマの脚本家が史実にかなり無頓着なのはよく分かっていたが、これはもう、史実云々のレベルではないような気がするのである。
 今回はたまたま、曼荼羅という私が特に関心のある分野だったので目についたのだが、他にもこのレベルの「ありえなさ」がいくらでもあって、単に私が見逃してしまっているだけなのではないかという疑念も湧いてくる。
 
 当のドラマの方は父・忠盛の死後、清盛の成長とともに多少マシにはなってきている。
 部分的に光る所もあるドラマなので、今回記事にした「血曼荼羅」事件以降、根本的な不信感は抱えつつも、なんとか我慢して観ている。
 とくに、役者さん達はそれぞれに糞脚本(←ああ、書いてしまった!)の範囲内で、全力投球しているように見える。
 何かと批判されがちな主演・松山ケンイチだが、よく考えると脚本の内容を最大限に熱演した結果があれであるとも思われる。
 どうしようもない譜面はどう演奏しても名演にはなりようがないのだから、ちょっと気の毒だ。

 しかしこのドラマ、史実考証のスタッフとして名前が出てしまっている人は、頭を抱えているのではないだろうか……
posted by 九郎 at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | マンダラ | 更新情報をチェックする