自分で描くならどんなマンダラにしたいか?
この自問の答えは、すなわち「自分はどんなマンダラが観たいか?」という願望とイコールになる。
せっかくアナログで描くなら、ある程度の大きさは欲しい。
マンダラと相対した時、自分の視界がマンダラで占められて、視覚情報が「実体験」となるには、少なくとも100号キャンバスくらいの大きさが必要だ。
絵の観賞を「実体験」とするためには作品は大きいほど良いが、諸条件により自ずと限界はある。
日本の両界曼荼羅には4メートル四方ほどもある作例も存在するが、個人で描き、個人で所蔵し、個人で観賞することを前提とするなら、あまりに大きなサイズは現実的ではない。
たとえば六畳間くらいの部屋を想定すると、作品を立てて適当な観賞距離をとれるサイズはやはり100号キャンバスあたりが上限になってくるだろう。
F100のサイズはおよそ162cm×130cm。
私のフェイバリットである「伝真言院曼荼羅」が縦183.6cm、横164.2cmなので、一回り小さいサイズにあたる。
描写密度の点でも、間延びさせずに描き込むにはこのくらいが適当だ。
画材はアクリル絵具になるだろう。
アナログ画材の中では、私がもっとも使い込んでおり、耐久性もある。
伝統的な手法に従えば、日本画の画材を使うことになるだろうけれども、「私」が「今生で」描き切ることを前提とするなら、あまり使ったことのない画材を一から学び直すのは現実的ではない。
そもそも日本密教の曼荼羅図像を、そのまま忠実に模写できるような技術的、性格的な適性は、私には無い。
果たして何が正解なのか? という問題もある。
たとえば日本の両界曼荼羅は「伝真言院曼荼羅」を出発点としていて、後代になるほどサイズは大きく、描写は細密になっていくけれども、私の感じる「作品の生命力」という点では右肩下がりになっているように思う。
もっと言うなら、たとえば日本の胎蔵曼荼羅は必ずしも「大日経」の記述通りにはなっていないし、比較的記述に沿っていると思われるチベットの胎蔵曼荼羅は、日本のものと印象が全く違う。
せっかく自分で描くなら、自分で納得した世界を再現したい。
あくまで「絵画としての納得」であり、「教義上の正確さ」ではない。
胎蔵曼荼羅なら胎蔵曼荼羅を、その構造や思想はベースとしてがっちり押さえながら、やや抽象表現も交えてキャンバスの上で構成する。
仏尊のイメージは、私の好きな古い曼荼羅図の「素朴でラフな表現」を、自分なりに消化したものとしたい。
もしかなうなら、描き上げたマンダラを前に、照明を落として灯明を点し、心ゆくまでぼんやり眺めたい。
このカテゴリの目標は、そのあたりになるだろう。

2015年05月28日
2015年05月29日
マンダラ・エチュード1
いずれ大きなサイズのマンダラに繋げていこうと、仏尊等の習作は描いてきた。
そのうちのいくつかは、このブログでも公開してきた。
アナログ作品について、未発表のものと合わせて紹介しておこう。
まず、胎蔵曼荼羅について。
図像覚書2 中台八葉院

胎蔵曼荼羅の中心部分、中台八葉院。今回の図像はそれぞれの仏尊を梵字で表現した種子曼荼羅(しゅじまんだら)のスタイルを下敷きにしている。
中心が大日如来を表現する阿字で、その上から時計回りに宝幢(ほうとう)如来、普賢菩薩、開敷華王(かいふけおう)如来、文殊菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩、天鼓雷音(てんくらいおん)如来、弥勒菩薩を表す梵字が、八枚の蓮弁に乗った形になっている。
図像覚書11 般若菩薩

胎蔵曼荼羅の中心部、中台八葉院の真下に位置する持明院に、左右に忿怒相の明王四体を従えて描かれる。優美な菩薩形だが、衣の肩の部分には甲冑が見えており、三眼六臂の姿は力強さも備えている。
胎蔵曼荼羅を前にする者は、この菩薩の姿を理想としてイメージするよう設定されているようだ。
もう二十年近く前になってしまったが、私が自分なりに仏画を描き始めた最初期の作品である。
当時はPCがまだまだ高価で、性能もさほどではなく、個人がデジタルで画像処理をするには敷居の高い時代だった。この一枚ももちろんアナログで、B4パネルにアクリル絵具で描いている。
下手なりに一生懸命描いている元の作品の雰囲気を壊さない程度に、少しだけ手直ししている。
中台八葉院については、十年ほど前にかなり大きなサイズのドローイングも試作したことがある。

約180cm×180cm、ロールのクラフト紙を継いで作った正方形の用紙に、缶スプレーやペンキ、マジックペンなどを使って、一息に描きあげた。
自分で描いてみたいサイズを体感し、それを目の前に吊って灯明を点してみるということをやってみたくて、とにかくガサッと完成させた一枚である。
そのうちのいくつかは、このブログでも公開してきた。
アナログ作品について、未発表のものと合わせて紹介しておこう。
まず、胎蔵曼荼羅について。
図像覚書2 中台八葉院

胎蔵曼荼羅の中心部分、中台八葉院。今回の図像はそれぞれの仏尊を梵字で表現した種子曼荼羅(しゅじまんだら)のスタイルを下敷きにしている。
中心が大日如来を表現する阿字で、その上から時計回りに宝幢(ほうとう)如来、普賢菩薩、開敷華王(かいふけおう)如来、文殊菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩、天鼓雷音(てんくらいおん)如来、弥勒菩薩を表す梵字が、八枚の蓮弁に乗った形になっている。
図像覚書11 般若菩薩

胎蔵曼荼羅の中心部、中台八葉院の真下に位置する持明院に、左右に忿怒相の明王四体を従えて描かれる。優美な菩薩形だが、衣の肩の部分には甲冑が見えており、三眼六臂の姿は力強さも備えている。
胎蔵曼荼羅を前にする者は、この菩薩の姿を理想としてイメージするよう設定されているようだ。
もう二十年近く前になってしまったが、私が自分なりに仏画を描き始めた最初期の作品である。
当時はPCがまだまだ高価で、性能もさほどではなく、個人がデジタルで画像処理をするには敷居の高い時代だった。この一枚ももちろんアナログで、B4パネルにアクリル絵具で描いている。
下手なりに一生懸命描いている元の作品の雰囲気を壊さない程度に、少しだけ手直ししている。
中台八葉院については、十年ほど前にかなり大きなサイズのドローイングも試作したことがある。

約180cm×180cm、ロールのクラフト紙を継いで作った正方形の用紙に、缶スプレーやペンキ、マジックペンなどを使って、一息に描きあげた。
自分で描いてみたいサイズを体感し、それを目の前に吊って灯明を点してみるということをやってみたくて、とにかくガサッと完成させた一枚である。
2015年05月31日
マンダラ・エチュード2
前回記事では、私が描きたいマンダラの中でも、もっとも優先度の高い胎蔵曼荼羅について、これまでに制作してきた習作を紹介した。
金剛界についても同様に、習作を紹介しておこう。
前回記事の180cm×180cmのドローイングと同時に制作したもので、画材もロールのクラフト紙、ペンキ、缶スプレー、マジックペンなど。
とにかくザッと描きあげて、目の前に吊ってみたいという目的だった。


制作にあたっては、私のフェイバリットの一つであるアルチ寺院の壁画に描かれるちょっと変わった金剛界曼荼羅を意識している。
こちらも前回の中台八葉ドローイングと同様、金剛界曼荼羅から中心になる五智如来の構造を抽出した「抜粋マンダラ」である。
五智如来の理解には、以下の参考文献に負うところが大きい。
●「理趣経」松長有慶(中公文庫)
名著中の名著ではないだろうか。
理趣経の解説を本筋としながら、チベットまで視野にいれた密教の思想を、極めて平易な語り口で紹介してある。
私が宗教関連の本を読み始めた極初期にこの本と出会えていたことは、今から考えると本当に幸運なことだったと思う。
密教について、曼荼羅について、まず最初に何を読むべきかとと問われれば、一秒も迷わずこの本を推す。
仏教の入門書とかムック本は毎月のように刊行されていて、高名な学者や僧が編者や監修に名を連ねている場合も多いが、明らかに名前を貸しているだけで、内容がナイヨーなどうでもいい紙束をよく見かける。
この本はそういうのとは全く違い、書くべき人が全力投球で書き上げた、入門編にして奥の院みたいな一冊なのである。
金剛界についても同様に、習作を紹介しておこう。
前回記事の180cm×180cmのドローイングと同時に制作したもので、画材もロールのクラフト紙、ペンキ、缶スプレー、マジックペンなど。
とにかくザッと描きあげて、目の前に吊ってみたいという目的だった。


制作にあたっては、私のフェイバリットの一つであるアルチ寺院の壁画に描かれるちょっと変わった金剛界曼荼羅を意識している。
こちらも前回の中台八葉ドローイングと同様、金剛界曼荼羅から中心になる五智如来の構造を抽出した「抜粋マンダラ」である。
五智如来の理解には、以下の参考文献に負うところが大きい。
●「理趣経」松長有慶(中公文庫)
名著中の名著ではないだろうか。
理趣経の解説を本筋としながら、チベットまで視野にいれた密教の思想を、極めて平易な語り口で紹介してある。
私が宗教関連の本を読み始めた極初期にこの本と出会えていたことは、今から考えると本当に幸運なことだったと思う。
密教について、曼荼羅について、まず最初に何を読むべきかとと問われれば、一秒も迷わずこの本を推す。
仏教の入門書とかムック本は毎月のように刊行されていて、高名な学者や僧が編者や監修に名を連ねている場合も多いが、明らかに名前を貸しているだけで、内容がナイヨーなどうでもいい紙束をよく見かける。
この本はそういうのとは全く違い、書くべき人が全力投球で書き上げた、入門編にして奥の院みたいな一冊なのである。