blogtitle001.jpg

2015年05月16日

高野山

 今年は高野山開山1200年ということだ。
 日本において密教や曼荼羅を語るとき、高野山や弘法大師空海は避けてとおれない。
 このカテゴリマンダラでも少し記事にしておこう。

 私は二十年ほど前から、熊野や高野山に度々遍路に行っていた。
 昔の師匠の手伝いで文化財や古道の調査で行くことも多かった。
 師匠は高野山に続く参詣道が現在でも八本確認できることに注目し、胎蔵曼荼羅の中台八葉に見立てていたことを思い出す。
 そう言えば「ちょっとお前、その線で絵図描いてみろ」と指示されたこともあったっけ。。。

 手持ちの古い原稿の中に、高野山を扱ったものを見つけたので、この機に記事にしておきたい。
 十年ほど前の文章だが、考え方は大きくは変わっていないので、なるべくそのまま再録する。
------------------------------------

mandala07.jpg

(クリックすると画像が大きくなります)

 弘法大師空海のお山、高野山には何度か登った。南海電鉄には高野線という直通路線があって、大阪難波から一本、思うほど時間もかからず到着できる。私はよく朝一の電車に揺られて高野山へ向かった。各駅停車でうとうとしているうちに終点「極楽橋駅」に着。そこからはケーブル線に乗る。早朝だとさすがに人気は少ない。少数の熱心な参拝者の皆さんに混じって、ちょっと不純な自覚のある私も平行四辺形の車両に乗り込む。
 朝靄の木立の中を、コットンコットンと車両は登る。巻き上げられたケーブルが各所の滑車をリリリリ、リリリと鳴らす。仏教では教えを広めることを「法輪を転ずる」と表現することもあるが、ふとそんな言葉を思い起こさせる情景だ。……とかこじつけてみたりする。
 ケーブルを降りたら、そこはもう高野山の只中だ。放し飼いの犬がうろうろ歩きながら私を迎えてくれる。なんとなく賢そうに見えるのは絶対気のせいだ(笑)
 そこからバスに乗れば山上の「宗教都市」はもうすぐだ。大阪からゆっくり見積もっても二時間半。新幹線の東京〜大阪間とさほど変わらない。これを遠いと見るか近いと見るかは意見が分かれるだろうけれども、私自身は「めちゃめちゃ近いやん!」と思う。
 古の高野山は都から遠く離れた深い深い山の中だった。今でこそ鉄道や車道が整い、日帰りの参拝者、観光客は数知れず、山上は小都市の趣だが、平安時代から明治まで、ここには坊さんと坊さんの生活を支える少数の人々しか住んでいなかった。
 参拝者も険しい山道を歩いて来られる者に限られ、しかも明治までは女人禁制! 女性は結界内には立ち入れず、参上をぐるりと囲む「女人道」から遠く聖地を望むしかなかった。もちろん現在は女性参拝者も数多く、男女の別なく普通に居住もしている。
 山頂は小さな盆地になっていて、真ん中にメインストリートとなる車道が一本。その両側に教科書でも有名な伽藍、各種店舗、住宅などが並んでいる。売店は朝早くから開いていて、仏具や遍路用品、おみやげ物が各種取り揃えてある。私の愛用の金剛杖もここで買った。
 高野山の見所は数多いけれども、私にとってはなんと言っても「奥の院」こそが核心部分と感じられる。奥の院はお大師さま空海の眠る御廟を頂点に、数十万基と言われる墓や供養塔が立ち並ぶ一大墓所だ。歴史上のビッグネームをはじめ、空海の名を慕う様々な人々が眠っている。「あ、この人も。うわっ、こんな人も。え? こんな人まで!」見入っているときりがなく、それだけで日が暮れてしまうことだろう。
 中には変わった供養塔の類いもかなりある。福助さまが座っているのや、金属製のロケット型、「しろあり やすらかにねむれ」とか、落書きだらけの「楽書塚」などその他にも多数。石造りの名刺入れが設置してあるものもある。一瞬、周囲の雰囲気もあって「妖怪ポストみたいなもんか?」と妄想してしまうが、すぐに違うと分かる。
 ぶっちゃけかなり「変」だと思うのだが、奥の院の深い森に包まれてみると、どれもしっくり馴染んで見えてくるから不思議だ。
 私は子供の頃から墓場が好きで、ちょっと悪いなと思いながらもよく遊びにいっていたのだが、奥の院はそうした子供の頃のドキドキ感が甦ってくる「スーパー墓場」だ。
 いつまでも歩き回っていたい気分を抑えつつ、さらに奥へ奥へと足を運ぶ。奥の院のそのまた一番奥の「御廟」には、弘法大師が眠っているという。文字通り「眠っている」だけで、今も生きていると伝承されている。実際、お給仕係のお坊さんもいて、毎日食事を運んでいるという。中がどうなっているのか、本当のところは誰も口にしてはいけないとか。
 ここは「開かずの箱」なのだ。
 箱には鍵がかかっている。中身は誰も見たことがないが、秘宝が入っていると伝えられている。開けてはいけないことが想像をかきたてる。本当は空箱かもしれない。しかし「あるかもしれない」という可能性が、箱の扱いを変える。丁寧に安置され、祀られた長い年月が、箱の重みを限りなく増していく。お大師さまはそういう「開かずの箱」の仕掛けを、意識的に作ったのではないだろうか。
 未来仏、弥勒菩薩が下生する五十六億七千万年後に再び目覚めるという予言。人間にとっては永遠に等しい年月を設定することで、空海は高野山を永遠に生かし切ったのではないだろうか。
 頭でっかちな現代人の私は、空海の存命をなかなかそのまま信じることはできず、そんなふうに「合理的に」解釈したくなりがちだ。
 しかしお山に登り、奥の院の御廟の前に立つと、その扉の向こうにやっぱり弘法大師の息づかいを感じてしまうような、不思議な感覚にとらわれる。
 高野山はそんな所だ。
posted by 九郎 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | マンダラ | 更新情報をチェックする