体調に要注意の年度末から5月にかけてを、無事乗り切った。
昨年は酷い胃腸炎2回、ぎっくり腰1回を連続で患って散々だった。
軽い腹痛や腰のモヤモヤ感は何度かあったが、これで丸1年間、まずまず息災に暮らせたことになる。
次の要注意月間は7月。
このところ急激に気温が上がっており、1日の寒暖差が激しいので、まずは腰やお腹を冷やさないことを心がける。
あと、食べ物はよく噛むこと。
気にしすぎも良くない。
無頓着も良くない。
軽く泡盛でもひっかけながら、のらくらと。
体調管理は楽器の弦のごとく、ほどよい締め具合を探るべし。
体重はこの一年間ほぼ増減なく維持。
一番重いときよりマイナス12キロ前後で安定。
BMIで言うと20で、年齢から考えるとやや軽めだが、「平均値」にあまりとらわれる必要はない。
体重や食事内容の「日本人の平均値」は、私個人にとっての「最適値」ではない。
私の血筋で言うと、平均値よりも体重はやや軽め、炭水化物はごく控えめが「最適」なのだ。
そういえば、ドクター江部の新刊が出ているようだ。
●「江部先生、「糖質制限は危ない」って本当ですか?」
●「なぜ糖質制限をすると糖尿病が良くなるのか」
2015年06月01日
2015年06月06日
せめて智恵ある開発を
浮世離れした神仏与太話を綴るブログなので、ハードな社会問題・時事ネタは基本扱わないのだが、やむにやまれず書いてしまうこともある。
反原発ネタはその一つだ。
最近、ちょっと見過ごせないニュースを目にした。
とは言え、あまり大きな話題ではなく、地方の神社にまつわるローカルニュースである。
西宮市に越木岩神社という、地元ではけっこう知られた古社がある。
神事としては、赤ちゃんの息災を祈願する「泣き相撲」が有名なのだが、なんと言っても「甑岩」という巨大な磐座(いわくら)の偉容が素晴らしく、私も何度か参拝したことがある。
高砂市の生石(おおしこ)神社の「石の宝殿」ほど有名ではないけれども、私は同じくらい好きだ。
今回ニュースになったのは、神社の北東側にいくつか現存していた「岩」についての話題である。
経緯についてはwikiで簡潔にまとめられていたので、そのまま引用しておこう。
まあ「よくある話」ではある。
古くからの神社仏閣の境内の森が、景観や信仰に十分配慮することを条件に民間に売却され、時が流れて第三者の手に渡ることで当初の「約束」が無視されてしまう。
法的には問題ないということで、日本各地で同じようなことが頻発している。
今回の論点は、問題の敷地内の「磐座」をどう認識するかにある。
業者側はこれを単なる「岩」と認識し、マンション建設に邪魔なので破壊撤去することに何の問題もないとしている。
確かに、問題になっている「岩」は特に指定された史跡というわけでもなく、法的には「岩」に過ぎない。
しかし、越木岩神社から北山、甲山、六甲山にかけては無数の「磐座」とおぼしき巨石群が存在していて、まだ公的な研究は進んでいないものの、なんらかの古代信仰の跡ではないかということを、ロマンとして多くの人が語ってきた経緯がある。
(個人的には播磨国風土記で活躍する「伊和大神」と、兵庫県南部の巨石信仰の関係には興味を持っている)
ともかく、一旦破壊してしまえば、遺構であるかどうかの研究すらできなくなってしまうのだ。
開発業者があくまで「破壊撤去」にこだわる理由は、有り体に言えば「コスト」なのだろう。
しかし、地元で親しまれた隣接する古社の意向を無視したマンション建設は、長い目で見て本当に「低コスト」なのだろうか?
信仰対象(だったかもしれない)岩を破壊して建てたマンションという負のイメージは、結果的には高くつくのではないかと思うのだ。
「磐座」の保存については、越木岩神社が先頭に立って運動を続けている。
越木岩神社ブログでは、署名活動も継続しているようなので、興味のある人はのぞいてみてください。
反原発ネタはその一つだ。
最近、ちょっと見過ごせないニュースを目にした。
とは言え、あまり大きな話題ではなく、地方の神社にまつわるローカルニュースである。
西宮市に越木岩神社という、地元ではけっこう知られた古社がある。
神事としては、赤ちゃんの息災を祈願する「泣き相撲」が有名なのだが、なんと言っても「甑岩」という巨大な磐座(いわくら)の偉容が素晴らしく、私も何度か参拝したことがある。
高砂市の生石(おおしこ)神社の「石の宝殿」ほど有名ではないけれども、私は同じくらい好きだ。
今回ニュースになったのは、神社の北東側にいくつか現存していた「岩」についての話題である。
経緯についてはwikiで簡潔にまとめられていたので、そのまま引用しておこう。
磐座の保護活動
神社の北東側に社叢林があり地域の共同所有であったが、50年程前に夙川学院の要望で(磐座の保存及び遥拝所に配慮すると言うことで)売却された。夙川学院は磐座に配慮して夙川学院短期大学を建築したが、ポートアイランドに移転するに当たり、夙川学院は不動産業者に売却してしまった。不動産業者は集合住宅を建築するに当たり磐座を破壊撤去するとしており、神社側は磐座の保存を働きかけている。
まあ「よくある話」ではある。
古くからの神社仏閣の境内の森が、景観や信仰に十分配慮することを条件に民間に売却され、時が流れて第三者の手に渡ることで当初の「約束」が無視されてしまう。
法的には問題ないということで、日本各地で同じようなことが頻発している。
今回の論点は、問題の敷地内の「磐座」をどう認識するかにある。
業者側はこれを単なる「岩」と認識し、マンション建設に邪魔なので破壊撤去することに何の問題もないとしている。
確かに、問題になっている「岩」は特に指定された史跡というわけでもなく、法的には「岩」に過ぎない。
しかし、越木岩神社から北山、甲山、六甲山にかけては無数の「磐座」とおぼしき巨石群が存在していて、まだ公的な研究は進んでいないものの、なんらかの古代信仰の跡ではないかということを、ロマンとして多くの人が語ってきた経緯がある。
(個人的には播磨国風土記で活躍する「伊和大神」と、兵庫県南部の巨石信仰の関係には興味を持っている)
ともかく、一旦破壊してしまえば、遺構であるかどうかの研究すらできなくなってしまうのだ。
開発業者があくまで「破壊撤去」にこだわる理由は、有り体に言えば「コスト」なのだろう。
しかし、地元で親しまれた隣接する古社の意向を無視したマンション建設は、長い目で見て本当に「低コスト」なのだろうか?
信仰対象(だったかもしれない)岩を破壊して建てたマンションという負のイメージは、結果的には高くつくのではないかと思うのだ。
「磐座」の保存については、越木岩神社が先頭に立って運動を続けている。
越木岩神社ブログでは、署名活動も継続しているようなので、興味のある人はのぞいてみてください。
2015年06月13日
少年よ、「負けかた」を学べ
前回記事で紹介した越木岩神社の磐座問題、引き続き関心をもって情報をチェックしている。
八幡書店の武田崇元さんが、この件に関してtwitterで何度か呟いていた。
一部引用すると以下のような呟きである。
「創建の社長はんインタビュー。なかなか面白い。浮沈激しい業界で幾多の苦難のり越えてきたのに、ここで越木岩神社の磐座破壊を強行すれば、ルナ・ブランドにキズつくと思うで。ここで計画を変えれば、家建てる時は創建に頼もかいう人も増えると思うで」
「仮に磐座を破壊したなら、マンションの売買契約時にそれを重要事項として説明する義務が生じると思う。」
長期的には保存した方が利潤に繋がると説得しつつ、このまま破壊を強行した場合の経営リスクも鋭く指摘している。
硬軟あわせた実際的な戦術指南はさすがである。
地元で親しまれた古社の隣接地(元は神域)に大規模なマンションを建設するのであるから、単純に「建てました、売りました」では済まないのである。
過去には近隣の磐座に手をつけようとしてなんらかの不幸があったというような噂にも事欠かない地域だけに、問題になっている磐座を破壊すれば当然ながら地元でもネットでも話題になる。
マンション購入のような「大きな買い物」をする場合、買い手は当然地元の状況や噂話まで含めてリサーチするだろうから、売れ行きにも影響するのである。
そのような立地であることを告知せずに販売した場合、後になって買い手とトラブルにもなりかねない。
計画を変更して磐座と共存する形でマンション建設を行えば、当のマンションにとっても企業にとっても付加価値になり得るのだ。
今回の一連の磐座騒動を見ていて、以前読んだ児童文学作品を思い出した。
●「ぼくの・稲荷山戦記」たつみや章
作者の高校時代の実体験をベースにしたデビュー作。
あとがきによると、地元の弥生遺跡を開発から守る市民運動に参加するも、一年で敗北。
その時の思いが考古学専攻、社会運動参加、児童文学作品の執筆に繋がったということだ。
この作品は一応ファンタジーの体裁はとっているものの、作中の「稲荷山保存運動」に関する具体的な戦術の部分は、きわめて実践的でリアルだ。
時代の流れ、大資本による開発を前にしたとき、自然はそのままの形で残されることはない。
必ず敗北する。
敗北するのであるけれども、保護運動が開発の方向を修正し、スピードをやや落とし、経済の問題とも切り結んでおとしどころを探ることは十分可能なのだ。
描写のリアルさは児童文学作品としては地味さとも繋がりやすいのだが、「苦い敗北の果ての小さな希望」を獲得する物語を、子供時代に読んでおく価値は大きいのである。
八幡書店の武田崇元さんが、この件に関してtwitterで何度か呟いていた。
一部引用すると以下のような呟きである。
「創建の社長はんインタビュー。なかなか面白い。浮沈激しい業界で幾多の苦難のり越えてきたのに、ここで越木岩神社の磐座破壊を強行すれば、ルナ・ブランドにキズつくと思うで。ここで計画を変えれば、家建てる時は創建に頼もかいう人も増えると思うで」
「仮に磐座を破壊したなら、マンションの売買契約時にそれを重要事項として説明する義務が生じると思う。」
長期的には保存した方が利潤に繋がると説得しつつ、このまま破壊を強行した場合の経営リスクも鋭く指摘している。
硬軟あわせた実際的な戦術指南はさすがである。
地元で親しまれた古社の隣接地(元は神域)に大規模なマンションを建設するのであるから、単純に「建てました、売りました」では済まないのである。
過去には近隣の磐座に手をつけようとしてなんらかの不幸があったというような噂にも事欠かない地域だけに、問題になっている磐座を破壊すれば当然ながら地元でもネットでも話題になる。
マンション購入のような「大きな買い物」をする場合、買い手は当然地元の状況や噂話まで含めてリサーチするだろうから、売れ行きにも影響するのである。
そのような立地であることを告知せずに販売した場合、後になって買い手とトラブルにもなりかねない。
計画を変更して磐座と共存する形でマンション建設を行えば、当のマンションにとっても企業にとっても付加価値になり得るのだ。
今回の一連の磐座騒動を見ていて、以前読んだ児童文学作品を思い出した。
●「ぼくの・稲荷山戦記」たつみや章
作者の高校時代の実体験をベースにしたデビュー作。
あとがきによると、地元の弥生遺跡を開発から守る市民運動に参加するも、一年で敗北。
その時の思いが考古学専攻、社会運動参加、児童文学作品の執筆に繋がったということだ。
この作品は一応ファンタジーの体裁はとっているものの、作中の「稲荷山保存運動」に関する具体的な戦術の部分は、きわめて実践的でリアルだ。
時代の流れ、大資本による開発を前にしたとき、自然はそのままの形で残されることはない。
必ず敗北する。
敗北するのであるけれども、保護運動が開発の方向を修正し、スピードをやや落とし、経済の問題とも切り結んでおとしどころを探ることは十分可能なのだ。
描写のリアルさは児童文学作品としては地味さとも繋がりやすいのだが、「苦い敗北の果ての小さな希望」を獲得する物語を、子供時代に読んでおく価値は大きいのである。
2015年06月23日
蓮華蔵世界
アジサイの季節だ。
ブログを開設してもう十年近くになるが、極初期の頃からこの梅雨の花には注目し、毎年記事にしてきた。
小さな花が集まって一つの大きな花になり、湿度の高い空気の中で色を様々に変化させながら、濃い緑に繁る葉を背景に、木漏れ日の中無数に咲き乱れる。
そんな様がたまらなく好きで、時間があれば目星をつけたアジサイスポットを散策してしまう。
アジサイ、とくにガクアジサイが咲き乱れるのを見ていつも思い出すのが、「蓮華蔵世界」という言葉だ。
奈良東大寺の大仏様は、この蓮華蔵の世界観をベースに制作されている。
大仏様の座る蓮華座の花弁の一枚一枚には蓮華蔵世界の模式図が刻まれていて、この図は数ある日本の仏像仏画の中でも、私がとくに好きなものの一つだ。
以前に一度、このカテゴリ須弥山でも三千世界という記事でこの図を参考にしたスケッチを描いたことがある。
そして、もうお亡くなりになった仏師の西村公朝が、著書の中で蓮華蔵世界について解説し、素晴らしい図も描かれている。
●「やさしい仏像の見方」西村公朝 (とんぼの本)
私が好きなアジサイと、東大寺大仏様の蓮弁図、そして西村公朝さんの図解を参考にしながら、私なりの蓮華蔵世界スケッチを描いてみた。
このカテゴリでこれまで紹介してきた須弥山宇宙観を更に補完するものである。
宇宙に広がる虚空輪、その上には風輪が広がり、水輪が浮かぶ。
水輪の表面には金輪の膜があり、さらにその表層には海がある。
海からは大蓮華の花が伸び、大蓮華の上にはまた海がある。
大蓮華の海からは無数の小蓮華が伸びている。
それぞれの小蓮華の上にはまた海があり、その海の中心にはそれぞれの須弥山がそびえる。
無数の須弥山の上空にはそれぞれの天界が重なり、さらにそのはるか上空には盧舎那仏の世界がある。
最上層を強調すると奈良の大仏様になり、下層部分を拡大すると今回のスケッチになる。
ブログを開設してもう十年近くになるが、極初期の頃からこの梅雨の花には注目し、毎年記事にしてきた。
小さな花が集まって一つの大きな花になり、湿度の高い空気の中で色を様々に変化させながら、濃い緑に繁る葉を背景に、木漏れ日の中無数に咲き乱れる。
そんな様がたまらなく好きで、時間があれば目星をつけたアジサイスポットを散策してしまう。
アジサイ、とくにガクアジサイが咲き乱れるのを見ていつも思い出すのが、「蓮華蔵世界」という言葉だ。
奈良東大寺の大仏様は、この蓮華蔵の世界観をベースに制作されている。
大仏様の座る蓮華座の花弁の一枚一枚には蓮華蔵世界の模式図が刻まれていて、この図は数ある日本の仏像仏画の中でも、私がとくに好きなものの一つだ。
以前に一度、このカテゴリ須弥山でも三千世界という記事でこの図を参考にしたスケッチを描いたことがある。
そして、もうお亡くなりになった仏師の西村公朝が、著書の中で蓮華蔵世界について解説し、素晴らしい図も描かれている。
●「やさしい仏像の見方」西村公朝 (とんぼの本)
私が好きなアジサイと、東大寺大仏様の蓮弁図、そして西村公朝さんの図解を参考にしながら、私なりの蓮華蔵世界スケッチを描いてみた。
このカテゴリでこれまで紹介してきた須弥山宇宙観を更に補完するものである。
宇宙に広がる虚空輪、その上には風輪が広がり、水輪が浮かぶ。
水輪の表面には金輪の膜があり、さらにその表層には海がある。
海からは大蓮華の花が伸び、大蓮華の上にはまた海がある。
大蓮華の海からは無数の小蓮華が伸びている。
それぞれの小蓮華の上にはまた海があり、その海の中心にはそれぞれの須弥山がそびえる。
無数の須弥山の上空にはそれぞれの天界が重なり、さらにそのはるか上空には盧舎那仏の世界がある。
最上層を強調すると奈良の大仏様になり、下層部分を拡大すると今回のスケッチになる。
2015年06月27日
書きたいならば
90年代後半、世を震撼させた少年犯罪の当人が、著作を発表したという。
今のところその本を買って読むつもりは無く、人に紹介するつもりもない。
出版に関わるネット上の議論に加わるつもりもないので、検索避けに書名等は一切書かない。
ただ、事件発生現場から一時間以内の距離に居住していた当時の記憶と、「ものを書くこと」ついての個人的な考え方を覚え書きにしておく。
事件は90年代の世相を語る上で欠かせないものとして、大震災、カルトの引き起こした無差別テロと並んで記憶されている。
犯人がまだ十代前半だったことが、犯行の凶悪さと比して衝撃的だった。
事件発生当時、私の居住していた区域は大震災から二年目で、その名残がまだまだ目についていた。
さすがに瓦礫は片付けられ、ライフラインは復旧して日常生活は戻っていたものの、被災者の精神と経済状態は「非常時」を脱しきっていなかった。
そんな中、程近い地域で発生した凶悪犯罪である。
余裕の無い被災地域の住人にとっても、やはり衝撃は大きかった。
幼い子供を守るために送り迎えや公園遊びは「厳戒体制」に近い状態だったと記憶している。
逮捕に至る前に報道等でプロファイルされていた犯人像は、過去に起こった類似すると思われる犯罪から、実際よりもっと年齢が高く想定されていた。
報道は警察からのリークが元にされるので、捜査でも当初はそのような犯人像を想定していたのだろうと思う。
地元の日本最大のヤクザ組織が、面子にかけて独自に犯人を追っているという噂もあったが、結局めぼしい成果は現れなかった。
もし噂が本当だったとしても、ヤクザの守備範囲であるアウトローや不良の界隈からは、何も情報が上がってこなかったのだろう。
「犯罪歴がなく、付き合いの広くない、ある意味マニアックな嗜好をもつ20代から30代男性」
毎日のように報道で流されるそんなプロファイルは、当時の私の属性そのものだった。
事件以前、私は好んで夜の散歩をしていた。
震災前は海沿いの工業地帯の夜景を眺めるのが好きだったし、風呂なしアパートだったので散歩がてら遠くの銭湯まで出掛けることも度々だった。
震災後も、破壊された街が徐々に片付けられていく中を、物思いに耽りながら歩き続けていた。
そんな夜の散歩は学生時代からのささやかな楽しみだったが、事件発生直後から控えるようになった。
頻度を増した職務質問に閉口したのだ。
元々学生街だったこともあり、夜間に若者が往来していることには比較的寛容な地域だったと思うのだが、震災やカルト宗教の一件があって警戒レベルが一段階上がっていたところに、近接する地域の凶悪犯罪がきっかけで、さらに厳しくなった感触があった。
もちろん私は事件とは無関係だったが、何かのきっかけで職質がこじれたら面倒だなと思ったのを覚えている。
ボロアパートの自室には宗教関連の本が山積みになっていたし、他人には何を描いているか分かりにくいであろう絵がいっぱいあったし、劇団時代に使っていた工具類もまだ豊富に残っていた。
我ながら、怪しすぎるのである。
その2年前のカルト宗教の事件の時も、職質には警戒していた。
折悪しく、私は頭を丸めていた。
別に出家していたわけではなく、震災の影響で中々風呂には入れなかったせいなのだが、坊主頭と年齢層、怪しい自室の様を自覚していたので、なるべく職質に会わないよう気を付けていた。
牧歌的な学生街の雰囲気が失われ、変にぎすぎすした監視体制への移り変わりを、身をもって体験してきたのだ。
あれから時は流れ、犯人ももう三十代になるという。
私は罪を犯した人間が手記を発表すること自体は否定しない。
これまでにもいくつかそうした手記は読んできた。
読んで自分の中にも存在する狂った部分を知り、たまたま巡り合わせで罪を犯さずにこれまで生きてこれた幸運を知った。
しかし、今回の件のように、今になって匿名でというのは筋が通らないと思う。
低年齢の特異な凶悪犯罪ということを考えれば、本人の責任の及びがたい資質や環境の面も考慮しなければいけなかったのは理解できる。
自ら犯した罪を悔い、誰でもない市井の一人として残りの人生を償いにあてると言うならば、匿名に守られることも理解できる。
しかし、事件のことを書きたいならば、話は別だ。
被害者遺族の感情を無視しても、書いたものを世に出したいと言うならば、名前と顔を出すべきだ。
ぶっちゃけ、出せば売れるのである。
ものを書き、しかも自分の犯罪行為を売り物に、少なくない銭を得るならば、一切の甘えは許されない。
顔と名前を晒し、世界中から罵られ、石もて追われる覚悟がなければ、釣り合いがとれない。
その程度の覚悟のない手記は、読む前から「読む価値無し」と断定できる。
少なくとも、私はそう考えるのである。
今のところその本を買って読むつもりは無く、人に紹介するつもりもない。
出版に関わるネット上の議論に加わるつもりもないので、検索避けに書名等は一切書かない。
ただ、事件発生現場から一時間以内の距離に居住していた当時の記憶と、「ものを書くこと」ついての個人的な考え方を覚え書きにしておく。
事件は90年代の世相を語る上で欠かせないものとして、大震災、カルトの引き起こした無差別テロと並んで記憶されている。
犯人がまだ十代前半だったことが、犯行の凶悪さと比して衝撃的だった。
事件発生当時、私の居住していた区域は大震災から二年目で、その名残がまだまだ目についていた。
さすがに瓦礫は片付けられ、ライフラインは復旧して日常生活は戻っていたものの、被災者の精神と経済状態は「非常時」を脱しきっていなかった。
そんな中、程近い地域で発生した凶悪犯罪である。
余裕の無い被災地域の住人にとっても、やはり衝撃は大きかった。
幼い子供を守るために送り迎えや公園遊びは「厳戒体制」に近い状態だったと記憶している。
逮捕に至る前に報道等でプロファイルされていた犯人像は、過去に起こった類似すると思われる犯罪から、実際よりもっと年齢が高く想定されていた。
報道は警察からのリークが元にされるので、捜査でも当初はそのような犯人像を想定していたのだろうと思う。
地元の日本最大のヤクザ組織が、面子にかけて独自に犯人を追っているという噂もあったが、結局めぼしい成果は現れなかった。
もし噂が本当だったとしても、ヤクザの守備範囲であるアウトローや不良の界隈からは、何も情報が上がってこなかったのだろう。
「犯罪歴がなく、付き合いの広くない、ある意味マニアックな嗜好をもつ20代から30代男性」
毎日のように報道で流されるそんなプロファイルは、当時の私の属性そのものだった。
事件以前、私は好んで夜の散歩をしていた。
震災前は海沿いの工業地帯の夜景を眺めるのが好きだったし、風呂なしアパートだったので散歩がてら遠くの銭湯まで出掛けることも度々だった。
震災後も、破壊された街が徐々に片付けられていく中を、物思いに耽りながら歩き続けていた。
そんな夜の散歩は学生時代からのささやかな楽しみだったが、事件発生直後から控えるようになった。
頻度を増した職務質問に閉口したのだ。
元々学生街だったこともあり、夜間に若者が往来していることには比較的寛容な地域だったと思うのだが、震災やカルト宗教の一件があって警戒レベルが一段階上がっていたところに、近接する地域の凶悪犯罪がきっかけで、さらに厳しくなった感触があった。
もちろん私は事件とは無関係だったが、何かのきっかけで職質がこじれたら面倒だなと思ったのを覚えている。
ボロアパートの自室には宗教関連の本が山積みになっていたし、他人には何を描いているか分かりにくいであろう絵がいっぱいあったし、劇団時代に使っていた工具類もまだ豊富に残っていた。
我ながら、怪しすぎるのである。
その2年前のカルト宗教の事件の時も、職質には警戒していた。
折悪しく、私は頭を丸めていた。
別に出家していたわけではなく、震災の影響で中々風呂には入れなかったせいなのだが、坊主頭と年齢層、怪しい自室の様を自覚していたので、なるべく職質に会わないよう気を付けていた。
牧歌的な学生街の雰囲気が失われ、変にぎすぎすした監視体制への移り変わりを、身をもって体験してきたのだ。
あれから時は流れ、犯人ももう三十代になるという。
私は罪を犯した人間が手記を発表すること自体は否定しない。
これまでにもいくつかそうした手記は読んできた。
読んで自分の中にも存在する狂った部分を知り、たまたま巡り合わせで罪を犯さずにこれまで生きてこれた幸運を知った。
しかし、今回の件のように、今になって匿名でというのは筋が通らないと思う。
低年齢の特異な凶悪犯罪ということを考えれば、本人の責任の及びがたい資質や環境の面も考慮しなければいけなかったのは理解できる。
自ら犯した罪を悔い、誰でもない市井の一人として残りの人生を償いにあてると言うならば、匿名に守られることも理解できる。
しかし、事件のことを書きたいならば、話は別だ。
被害者遺族の感情を無視しても、書いたものを世に出したいと言うならば、名前と顔を出すべきだ。
ぶっちゃけ、出せば売れるのである。
ものを書き、しかも自分の犯罪行為を売り物に、少なくない銭を得るならば、一切の甘えは許されない。
顔と名前を晒し、世界中から罵られ、石もて追われる覚悟がなければ、釣り合いがとれない。
その程度の覚悟のない手記は、読む前から「読む価値無し」と断定できる。
少なくとも、私はそう考えるのである。
2015年06月28日
そろそろ潮時
子供の頃から本が好きだった。
もっぱらエンタメ中心の読書だったが、二十代半ばあたりから仏教をはじめとする宗教関連の本や、絵を描くための資料を集積するようになった。
当時も今も狭い部屋は本でいっぱいなのだが、年明けから少しずつ整理を始めた。
概算で3000冊を超えていたであろう本を分別し、処分すべきは処分する。
年明けからじわじわ処分して、現在800冊ほど減らした。
まずは1000冊ゴソッと減らすことが目標。
できれば1500冊減で当初から半減を目指す。
本の処分を思い立ったことにはいくつか理由がある。
思い付くままに列挙してみる。
・必要不可欠な資料はほぼ揃え終わり、取捨選択の時期に来ていること。
・ごく単純に、部屋の容量を超えてしまっていること。
・蔵書に記憶が追い付かず、同じ本を複数所持し始めていること。
・ネットの画像検索が充実してきて、アナログの写真や画像資料の必要性が薄れたこと。
・有名どころの著作権切れ作品は、ネットでも無料電子本でも読める環境になったこと。
要するに「そろそろ潮時」だったということだ。
500冊ぐらいまでは迷うことなくガンガン減らせた。
よほど偏愛する作家でない限り、エンタメ作品は基本的に処分。
とくに「売れている」作品は、何も自分で所持しなくても世から消えることはない。
宗教や芸術、文化等についての本も、評価の定まったスタンダードな本はどこの図書館でも借りられるので処分。
とくに著作権の切れているものはばっさり処分してさしつかえない。
「ありがとう、そしてさようなら」という本もある。
自分なりに学び始めた当初、その分野の入り口の解説として楽しみつつ多くを得たが、そろそろ卒業すべしと判断した著者の本である。
梅原猛さん、中沢新一さん、荒俣宏さんの本は箱詰めにするほどいっぱいあったが、この十年ほど手に取っていない。
厳選した一部を残し、感謝と共に処分。
さようなら、また誰かの学びに役立ってください。
700冊減を超えたあたりで、処分のペースがガクンと落ちた。
いつか読もうと思っていてまだ読んでいなかった本を、順に読み始めたからだ。
一念発起してみると、今まさに読むべきだと感じる本が意外に多い。
十年前、二十年前だと、背伸びして無理に読んでも価値が分からなかっただろう。
過去の自分の目利きを誉めたい。
この夏中には、第一目標の1000冊減を達成できるだろう。
減らせるだけ減らして、それでも残った本を今後の表現のベースにしていきたいと思う。
もっぱらエンタメ中心の読書だったが、二十代半ばあたりから仏教をはじめとする宗教関連の本や、絵を描くための資料を集積するようになった。
当時も今も狭い部屋は本でいっぱいなのだが、年明けから少しずつ整理を始めた。
概算で3000冊を超えていたであろう本を分別し、処分すべきは処分する。
年明けからじわじわ処分して、現在800冊ほど減らした。
まずは1000冊ゴソッと減らすことが目標。
できれば1500冊減で当初から半減を目指す。
本の処分を思い立ったことにはいくつか理由がある。
思い付くままに列挙してみる。
・必要不可欠な資料はほぼ揃え終わり、取捨選択の時期に来ていること。
・ごく単純に、部屋の容量を超えてしまっていること。
・蔵書に記憶が追い付かず、同じ本を複数所持し始めていること。
・ネットの画像検索が充実してきて、アナログの写真や画像資料の必要性が薄れたこと。
・有名どころの著作権切れ作品は、ネットでも無料電子本でも読める環境になったこと。
要するに「そろそろ潮時」だったということだ。
500冊ぐらいまでは迷うことなくガンガン減らせた。
よほど偏愛する作家でない限り、エンタメ作品は基本的に処分。
とくに「売れている」作品は、何も自分で所持しなくても世から消えることはない。
宗教や芸術、文化等についての本も、評価の定まったスタンダードな本はどこの図書館でも借りられるので処分。
とくに著作権の切れているものはばっさり処分してさしつかえない。
「ありがとう、そしてさようなら」という本もある。
自分なりに学び始めた当初、その分野の入り口の解説として楽しみつつ多くを得たが、そろそろ卒業すべしと判断した著者の本である。
梅原猛さん、中沢新一さん、荒俣宏さんの本は箱詰めにするほどいっぱいあったが、この十年ほど手に取っていない。
厳選した一部を残し、感謝と共に処分。
さようなら、また誰かの学びに役立ってください。
700冊減を超えたあたりで、処分のペースがガクンと落ちた。
いつか読もうと思っていてまだ読んでいなかった本を、順に読み始めたからだ。
一念発起してみると、今まさに読むべきだと感じる本が意外に多い。
十年前、二十年前だと、背伸びして無理に読んでも価値が分からなかっただろう。
過去の自分の目利きを誉めたい。
この夏中には、第一目標の1000冊減を達成できるだろう。
減らせるだけ減らして、それでも残った本を今後の表現のベースにしていきたいと思う。