夜になって蛍光灯を消し、布団に入り、目を閉じると、そこから毎晩のようにその空想は始まる。
掛け布団と敷布団の間に自分の体が横たわっている。
体と布団の隙間は、頭部から足元へとまるで深い洞窟のように続いている。
枕元に立った「小さな自分」が、自分の頭部をすり抜けて「布団の洞窟」へと分け入る。
小さな自分は、一歩、また一歩と洞窟の中を進んでいく。
奥へ入り込んで行くにつれ、「横たわる自分」は眠りに落ちていき、遂には夢の世界へ入り込んでいく……

迷い込んだ小さな自分が、その先がどうなってしまうのか、いつも見届けることが出来ないままに、私は眠りに落ちていた。
だからだろうか「洞窟」や「トンネル」というイメージは、私の心の奥底ではいつも怖さと憧れが入り混じった特殊なものになった。
大人になった現在の私が、やや閉所恐怖症気味ながら、各地の「胎内潜り」に心惹かれてさまよってしまうのは、どうやらこのような奇妙な影響もあるのかもしれない。
このように、私の遠い記憶の底には、夢とも現実とも判然としない、奇怪なイメージがいくつも残留している。
睡眠時の夢についても、幼児期からずっと興味があり、自分なりにこだわりを持って探究してきた。
ビューティフル・ドリーマーという、まさに夢のように儚く美しい曲がある。
邦題では「夢路より」と訳されたりするが、直訳すれば「美しい夢を見る人」という感じになるのだろう。
作者のフォスターは「アメリカ音楽の父」と呼ばれ、多くの佳曲を残したが、若くして亡くなり、その晩年は恵まれなかった。
ビューティフル・ドリーマーは「遺作」にあたる。
悲惨な境遇が美しく儚い夢を紡ぐというのはよく理解できる気がする。
私の場合、ビューティフル・ドリーマーに歌われるような儚く美しい夢とは縁遠い。
幼い頃から私の見る夢の多くは、怪であり、奇であり、妖であり、「あやしい」という言葉をあてるしかなかった。
決して美しくは無いけれども、私の中の何者かが、そうした「怪しさ」を求め、夢見ることで癒されて来たのだろうと思う。
Beautiful dreamer
ではなく、
Ugly dreamer
いつの頃からか、私は自分をそのように感じてきたのだ。