10月末に応募していた第二回全国妖怪造形コンテストの結果発表があった。
残念ながら受賞ならず。
ただ、最終選考作品の中には入れてもらえていた模様。
応募総数との割合から考えると、今回のコンテストの「入選」「最終選考」は、それぞれ、通常の展覧会で言うところの「入賞」「入選」に相当する感じか。
今回のコンテストのお題は「小豆洗い」「山の神」「雪女」の中から、一つを選んで造形作品にするというもの。
柳田國男の故郷、福崎町の町おこしイベントで、去年の第一回は「天狗」がテーマになっていたようだ。
知り合いから「こんなコンテストがあるけど九郎(仮名)さん、どう?」と紹介され、中々面白そうだとネタを考え始めたのが夏前。
第一回の応募作を参照する限り、フィギュア造形が主流になっているようだが、わりと幅広い表現も許容してもらえるようなので、参加を決めた。
今回の3テーマから自分が選ぶなら「山の神」だなということは、早々に決まった。
柳田國男の「山の人生」等を再読しながら、想を練る。
元プラモ少年とは言え、素材も器材も技術も進化しまくった現代のフィギュア造形には、正直ついていけてない。
直球勝負はできそうもないので、他の応募者の皆さんが投げられないような変化球でのアプローチを目指すことにした。
自分の土俵と相手の土俵の円が交わる、ごく狭い領域を眺めていると、山の女神の霊が隠った付喪神(つくもがみ)の姿が立ち現れてきた。
以下、応募に使用した情報と、完成写真である。
[作品タイトル]山姫の歌声
[作者名]烏帽子九郎
[作品サイズ]800×180×100mm
[作品の素材]木材
[作品紹介]
山の女神をモチーフにした三弦楽器で、もちろん演奏可能。
楽器としては比較的軽量コンパクトなので、山歩きやキャンプのお供に携帯可能。
半分にたち割った丸太から削り出したボディは、山の風景によく馴染む外観。
つま弾けば山姫の口にあたるサウンドホールから不思議な音色が奏でられる。
我ながら面白い楽器ができてしまった(笑)
亡き水木しげる先生と、母方の祖父の影響は、今も私の内にある。
2015年12月03日
2015年12月14日
繰り返す夢1
奇妙なことだが、私はごく幼少の頃から、夢について誰に教わるともなく、かなり自覚的に探究し、採集してきた。
夢にまつわる最古層の記憶の一つに、保育園に通園するバスの中の情景がある。
保護者に連れられて路線バスに乗っているとき、突然「ずっと前にこの場面を見た」と、はっきり感じた。
当時の私はまだ幼児なので、もちろん「既視感」という語彙は無い。
幼い私は、その生まれて初めてのデジャヴ体験と同時に、自分が数カ月に一度、いくつかの同じ夢を繰り返し見ていることに気付いた。
そして序章「記憶の底」で紹介したような入眠時の幻想と相まって、「眠り」や「夢」について、強い興味を抱くようになったのだ。
以来、ずっと夢についての考察を緩やかに続けている。
緩やかに、と但し書きをつけているのは、夢について深刻に思いつめたり、何か物凄く価値のある探究をしていると勘違いすることなく、という意味だ。
読書したり散歩したりという行為と同様、日常的な趣味、楽しみとして、私は夢と関わり続けてきた。
なんとなく、あまり他人に話すようなことではないとわかっていたので、一人ひっそりと考え続けていた。
繰り返し見ていた夢の中で、記憶する限り最古のものが、こんな夢だ。
「塊」
体育館のような板張りの広間。
屋内は薄暗いが、外の光が差し込んでいて、逆光の中にたくさんの人影が浮かんでいる。
幼児の私は「ああ、この場面は何度も見た」と思っている。
周囲の人々は、大人も子供も楽しげに運動したり遊んだりしている。
私は何か大きな塊を押している。
運動会の大玉転がしのように、「それ」を一人で転がしている。
塊は黒くてゴツゴツしており、金属のようだ。
無数にひび割れが走るその塊を転がしながら、私は「それ」が何か非常に危険なものであることを悟る。
毒物のような、爆発物のようなもので、とにかくこのまま転がし続けると大変なことになってしまうとわかっている。
周りの人はその危険に全く気付いていない。
幼児の私は恐ろしさに震えながら、それでも止めることができずに塊を転がし続けている。
塊はだんだん大きくなってくる。
この夢はかなり長期にわたって見ていた。
数か月に一度ほどの頻度だったが、幼児の頃から小学校高学年くらいまでは見ていたと思う。
かなりの悪夢なので印象深く、「ああ、またあの夢を見た」と記憶に刻み込まれていた。
この夢に関連していると思われるのが、小学生の頃に見た夢だ。
次回の記事で紹介する。
夢にまつわる最古層の記憶の一つに、保育園に通園するバスの中の情景がある。
保護者に連れられて路線バスに乗っているとき、突然「ずっと前にこの場面を見た」と、はっきり感じた。
当時の私はまだ幼児なので、もちろん「既視感」という語彙は無い。
幼い私は、その生まれて初めてのデジャヴ体験と同時に、自分が数カ月に一度、いくつかの同じ夢を繰り返し見ていることに気付いた。
そして序章「記憶の底」で紹介したような入眠時の幻想と相まって、「眠り」や「夢」について、強い興味を抱くようになったのだ。
以来、ずっと夢についての考察を緩やかに続けている。
緩やかに、と但し書きをつけているのは、夢について深刻に思いつめたり、何か物凄く価値のある探究をしていると勘違いすることなく、という意味だ。
読書したり散歩したりという行為と同様、日常的な趣味、楽しみとして、私は夢と関わり続けてきた。
なんとなく、あまり他人に話すようなことではないとわかっていたので、一人ひっそりと考え続けていた。
繰り返し見ていた夢の中で、記憶する限り最古のものが、こんな夢だ。
「塊」
体育館のような板張りの広間。
屋内は薄暗いが、外の光が差し込んでいて、逆光の中にたくさんの人影が浮かんでいる。
幼児の私は「ああ、この場面は何度も見た」と思っている。
周囲の人々は、大人も子供も楽しげに運動したり遊んだりしている。
私は何か大きな塊を押している。
運動会の大玉転がしのように、「それ」を一人で転がしている。
塊は黒くてゴツゴツしており、金属のようだ。
無数にひび割れが走るその塊を転がしながら、私は「それ」が何か非常に危険なものであることを悟る。
毒物のような、爆発物のようなもので、とにかくこのまま転がし続けると大変なことになってしまうとわかっている。
周りの人はその危険に全く気付いていない。
幼児の私は恐ろしさに震えながら、それでも止めることができずに塊を転がし続けている。
塊はだんだん大きくなってくる。
この夢はかなり長期にわたって見ていた。
数か月に一度ほどの頻度だったが、幼児の頃から小学校高学年くらいまでは見ていたと思う。
かなりの悪夢なので印象深く、「ああ、またあの夢を見た」と記憶に刻み込まれていた。
この夢に関連していると思われるのが、小学生の頃に見た夢だ。
次回の記事で紹介する。
2015年12月17日
繰り返す夢2
「毒ガス毛布」
恐ろしいことになった。
広い道路には人間がばたばたと倒れて死んでいる。
死体以外に見当たらず、停まっている車の中でも人が死んでいる。
毒ガスのせいだとわかる。
このままでは私も危ないが、子供の私は非難所から出てきたばかりなので毛布一枚しか羽織っていない。
再び毒ガスが出てくれば防ぐ手立てはない。
不意に、体に巻きつけた毛布から、黄色い気体が噴き出してくる。
非難所で配給され、安全だとばかり思い込んでいた毛布が、化学反応を起こして毒ガスを噴き出したのだ。
絶望的な気分で毛布を捨て、その場から逃げる。
この分では人工合成物は何一つ信用できない。
しかし合成物はどこにでもあるので、逃げる場所は残されていない。
無駄だと思いながらも、走るしかない。
今度こそ死ぬな、と思っている。
私が記憶している中でも、一番恐ろしかった悪夢の一つである。
夜半に目覚めた小学生の私は、それが夢だとわかっていても、恐怖にがたがた震え続けていた。
当時は70年代の終盤で、小学校の教科書でも公害の惨禍が取り上げられ、子供向けのTV番組では「文明の暴走」をテーマにした作品が毎日のように放映されていた。
そんな世相が子供の無意識の領域にも反映されていたのかもしれない。
それから時は流れた90年代、カルト教団の起こした毒ガステロや、化学物質過敏症を扱ったニュースを見るとき、私はいつもこの夢のことを思い出していた。
2010年代の今もよく思い出す。
恐ろしいことになった。
広い道路には人間がばたばたと倒れて死んでいる。
死体以外に見当たらず、停まっている車の中でも人が死んでいる。
毒ガスのせいだとわかる。
このままでは私も危ないが、子供の私は非難所から出てきたばかりなので毛布一枚しか羽織っていない。
再び毒ガスが出てくれば防ぐ手立てはない。
不意に、体に巻きつけた毛布から、黄色い気体が噴き出してくる。
非難所で配給され、安全だとばかり思い込んでいた毛布が、化学反応を起こして毒ガスを噴き出したのだ。
絶望的な気分で毛布を捨て、その場から逃げる。
この分では人工合成物は何一つ信用できない。
しかし合成物はどこにでもあるので、逃げる場所は残されていない。
無駄だと思いながらも、走るしかない。
今度こそ死ぬな、と思っている。
私が記憶している中でも、一番恐ろしかった悪夢の一つである。
夜半に目覚めた小学生の私は、それが夢だとわかっていても、恐怖にがたがた震え続けていた。
当時は70年代の終盤で、小学校の教科書でも公害の惨禍が取り上げられ、子供向けのTV番組では「文明の暴走」をテーマにした作品が毎日のように放映されていた。
そんな世相が子供の無意識の領域にも反映されていたのかもしれない。
それから時は流れた90年代、カルト教団の起こした毒ガステロや、化学物質過敏症を扱ったニュースを見るとき、私はいつもこの夢のことを思い出していた。
2010年代の今もよく思い出す。
2015年12月19日
繰り返す夢3
繰り返す夢1で紹介した「塊」という夢は、ほぼ同内容を数ヵ月〜数年の間隔で繰り返すというパターンだった。
私の場合、短期間に同じ夢を見るという経験はほとんどなく、繰り返すにしてもある程度間が置かれていることが多い。
私は学生時代から断続的に演劇活動をした経験があり、そうした演劇経験者特有の夢というものもある。
すなわち、「本番が始まるのに準備ができていない夢」だ。
役者なら台詞がまったく入っていない、作演出なら本がまったくできていないという、アレである。
私は主に舞台美術担当だったので、本番直前に舞台上に何もない状態の夢を見る。
これは最悪に近い悪夢で、汗びっしょりになって夜半に目覚めたりするのだが、演劇経験者のほぼ百パーセントが見るありふれた夢でもある。
私はもう七〜八年演劇から離れているが、それでもまだたまに見る。
全く同じ内容ではなく、途中経過は様々で、ラストだけ同じ形に落ち着くパターンもある。
これも以前紹介した「ガム」がその典型で、そこに至る展開は色々あるが、最後は「口の中のガムが膨れ上がって、取っても取ってもキリがなくなる」という形になる。
この系統の夢のバリエーションとしては、ガムのかわりに小さな釘が口の中で溢れてきたり、歯茎と歯の間から出ている糸を引っ張るといくらでも出てきたり、歯が一本ぐらぐらすると思ったら、そのまま抜けて地滑りのように他の歯も抜けてくるというもの等がある。
こうした「口」関連の夢は、おそらく夢判断や分析で解釈されやすいものなのだろうけれども、私の興味はそこにはない。
何冊かそうした夢判断の本を手に取ってみたこともあるが、正直あまり面白く感じなかった。
私にとっての夢は、たとえそれが悪夢であれ、表現であり、楽しみの一つだ。
型にはまった解釈で刈り込んでしまうことは、夢というもののもつ、えもいわれぬ不思議さや広がりを、矮小化するような気がするのだ。
私の場合、短期間に同じ夢を見るという経験はほとんどなく、繰り返すにしてもある程度間が置かれていることが多い。
私は学生時代から断続的に演劇活動をした経験があり、そうした演劇経験者特有の夢というものもある。
すなわち、「本番が始まるのに準備ができていない夢」だ。
役者なら台詞がまったく入っていない、作演出なら本がまったくできていないという、アレである。
私は主に舞台美術担当だったので、本番直前に舞台上に何もない状態の夢を見る。
これは最悪に近い悪夢で、汗びっしょりになって夜半に目覚めたりするのだが、演劇経験者のほぼ百パーセントが見るありふれた夢でもある。
私はもう七〜八年演劇から離れているが、それでもまだたまに見る。
全く同じ内容ではなく、途中経過は様々で、ラストだけ同じ形に落ち着くパターンもある。
これも以前紹介した「ガム」がその典型で、そこに至る展開は色々あるが、最後は「口の中のガムが膨れ上がって、取っても取ってもキリがなくなる」という形になる。
この系統の夢のバリエーションとしては、ガムのかわりに小さな釘が口の中で溢れてきたり、歯茎と歯の間から出ている糸を引っ張るといくらでも出てきたり、歯が一本ぐらぐらすると思ったら、そのまま抜けて地滑りのように他の歯も抜けてくるというもの等がある。
こうした「口」関連の夢は、おそらく夢判断や分析で解釈されやすいものなのだろうけれども、私の興味はそこにはない。
何冊かそうした夢判断の本を手に取ってみたこともあるが、正直あまり面白く感じなかった。
私にとっての夢は、たとえそれが悪夢であれ、表現であり、楽しみの一つだ。
型にはまった解釈で刈り込んでしまうことは、夢というもののもつ、えもいわれぬ不思議さや広がりを、矮小化するような気がするのだ。
2015年12月20日
繰り返す夢4
繰り返す夢の中には、一種の「続き物」になっているものもある。
ある程度間隔をおいて見る夢なのだが、基本設定が共通していて、少しずつ事態が進行していっているのがわかる、そんな夢だ。
私は夢でいくつかの「連載」を持っているとも表現できる。
例えば一つは、昔住んでいた部屋、あるいは部活の部室を、大家や管理人に隠れて今でも密かに使い続けているという夢だ。
もうやめにしなければとビクビクしながら、それでも手荷物置き場や休憩所として無断使用を続けている。
発覚の危険は徐々に増してきている。
この夢は見る頻度がだんだん少なくなり、フェードアウトしかけながらも細く長く続いてはいる。
もう一つは、中高生あるいは大学生の頃の情景が元になっており、ある特定の曜日の何時間目かをずっとサボり続けているという夢。
このままでは単位がとれず、留年してしまうのに、なんとなくズルズルとサボり続けている。
夢を見るたびに「まずいなあ」と思い、事態は深刻化しているのだが、決定的な結果が出ないままにもう二十年以上断続的に続いている。
私は私立の中高一貫校出身なので、当時から大学生の頃まで留年の危機を度々繰り返していた。
もちろんそんな実体験が反映された夢なのだろう。
夢の中の私は学生なのだが、現在の自分の意識も何割かは混在している。
だからなんとなく「これは夢だ」ということも分かっているのだが、それでも黒々とした不安感はある。
ものの本によると、夢の中で「これは夢だ」と分かっている状態を「明晰夢」と呼ぶそうだ。
私の場合は「明晰」と言えるほどはっきり夢の自覚があることは少ないが、半ば夢の自覚がある場合、色々面白い展開が生まれてくることもある。
ある程度間隔をおいて見る夢なのだが、基本設定が共通していて、少しずつ事態が進行していっているのがわかる、そんな夢だ。
私は夢でいくつかの「連載」を持っているとも表現できる。
例えば一つは、昔住んでいた部屋、あるいは部活の部室を、大家や管理人に隠れて今でも密かに使い続けているという夢だ。
もうやめにしなければとビクビクしながら、それでも手荷物置き場や休憩所として無断使用を続けている。
発覚の危険は徐々に増してきている。
この夢は見る頻度がだんだん少なくなり、フェードアウトしかけながらも細く長く続いてはいる。
もう一つは、中高生あるいは大学生の頃の情景が元になっており、ある特定の曜日の何時間目かをずっとサボり続けているという夢。
このままでは単位がとれず、留年してしまうのに、なんとなくズルズルとサボり続けている。
夢を見るたびに「まずいなあ」と思い、事態は深刻化しているのだが、決定的な結果が出ないままにもう二十年以上断続的に続いている。
私は私立の中高一貫校出身なので、当時から大学生の頃まで留年の危機を度々繰り返していた。
もちろんそんな実体験が反映された夢なのだろう。
夢の中の私は学生なのだが、現在の自分の意識も何割かは混在している。
だからなんとなく「これは夢だ」ということも分かっているのだが、それでも黒々とした不安感はある。
ものの本によると、夢の中で「これは夢だ」と分かっている状態を「明晰夢」と呼ぶそうだ。
私の場合は「明晰」と言えるほどはっきり夢の自覚があることは少ないが、半ば夢の自覚がある場合、色々面白い展開が生まれてくることもある。
2015年12月21日
繰り返す夢5
このカテゴリ夢で紹介するものは、ウケ狙いで悪夢や怪夢に傾きがちだが、もちろん楽しい夢も見る。
中でも昔から好きだったのは「空を飛ぶ夢」で、幼児の頃の私はそれを「アトムになる夢」として好んでいた。
夢の中でアニメの鉄腕アトムのように地面を蹴ってジャンプすると、スーッと上昇し、滑空することができた。
さほど長く飛行できるわけではなかったが、飛距離と高度のあるジャンプといった感じだった。
紙飛行機のように不時着し、また地面を踏みきると、わりに自由に飛ぶことができた。
ただ、少しでも「飛べる」ということに疑念が生じると覿面に飛距離は短くなり、そうなると悪循環で、だんだん自信がなくなって最後には全く飛べなくなるパターンが多かった。
かなり高く飛行している時に、急に怖くなって墜落し、地面に激突したドーンという衝撃とともに目覚めることもあった。
こうした飛行夢は今でもよく見る。
長年見ている内に修行が積めてきたようで、飛んでいるときの情景描写はかなり詳細になってきた。
窓枠や屋上の手すりから踏み切って飛び立つときや、飛んでいるときの風の感触、注意深く電線を避けたり、方向転換の時の体の使い方など、リアルな雰囲気になってきたのだ。
飛行夢のキャリアは長いので、夢見る間もなんとなく「これは夢だ」と分かっている。
夢だということをあまり明確に意識しすぎても眠りから覚めてしまうので、なんとなく曖昧な領域に意識をとどめるのが一番楽しめると分かっている。
いつも上手く行くわけではないが、調子の良いときはその微妙なバランスを維持しながら、ある程度思い通りの展開を楽しむことができる。
好調の時に一度、どこまで高く飛べるか試してみたことがある。
どんどん高度を上げると町並みは鳥瞰図から地形図のように変化していき、雲を越え、成層圏(雰囲気としてそのように感じる)あたりまで達する。
印象的な夢だったので鮮明に覚えているが、ここまでできたのはその一度だけだった。
繰り返し見る「空を飛ぶ夢」の中で、けっこう自分が「上達」してきていることに気付いてから、私は夢や眠りのコントロールを試みるようになった。
そうした夢修行については次の機会に譲るとして、次回からまたしばらく怪しい夢の紹介に入りたいと思う。
中でも昔から好きだったのは「空を飛ぶ夢」で、幼児の頃の私はそれを「アトムになる夢」として好んでいた。
夢の中でアニメの鉄腕アトムのように地面を蹴ってジャンプすると、スーッと上昇し、滑空することができた。
さほど長く飛行できるわけではなかったが、飛距離と高度のあるジャンプといった感じだった。
紙飛行機のように不時着し、また地面を踏みきると、わりに自由に飛ぶことができた。
ただ、少しでも「飛べる」ということに疑念が生じると覿面に飛距離は短くなり、そうなると悪循環で、だんだん自信がなくなって最後には全く飛べなくなるパターンが多かった。
かなり高く飛行している時に、急に怖くなって墜落し、地面に激突したドーンという衝撃とともに目覚めることもあった。
こうした飛行夢は今でもよく見る。
長年見ている内に修行が積めてきたようで、飛んでいるときの情景描写はかなり詳細になってきた。
窓枠や屋上の手すりから踏み切って飛び立つときや、飛んでいるときの風の感触、注意深く電線を避けたり、方向転換の時の体の使い方など、リアルな雰囲気になってきたのだ。
飛行夢のキャリアは長いので、夢見る間もなんとなく「これは夢だ」と分かっている。
夢だということをあまり明確に意識しすぎても眠りから覚めてしまうので、なんとなく曖昧な領域に意識をとどめるのが一番楽しめると分かっている。
いつも上手く行くわけではないが、調子の良いときはその微妙なバランスを維持しながら、ある程度思い通りの展開を楽しむことができる。
好調の時に一度、どこまで高く飛べるか試してみたことがある。
どんどん高度を上げると町並みは鳥瞰図から地形図のように変化していき、雲を越え、成層圏(雰囲気としてそのように感じる)あたりまで達する。
印象的な夢だったので鮮明に覚えているが、ここまでできたのはその一度だけだった。
繰り返し見る「空を飛ぶ夢」の中で、けっこう自分が「上達」してきていることに気付いてから、私は夢や眠りのコントロールを試みるようになった。
そうした夢修行については次の機会に譲るとして、次回からまたしばらく怪しい夢の紹介に入りたいと思う。
2015年12月22日
人魚釣り
夢を見た。
川べりを歩いている。
立派な川で、釣り人がたくさんいる。
久しぶりに釣ってみたくなり、上流へ向けてぶらぶら歩く。
橋を潜った所に古い生活雑貨店がある。
安いパンでも買って釣り餌にしようと店に入る。
薄暗い店内を見回すと、ビニール袋に入った食パンが並べてある。
一番安いのを買おうとするが、値札を見るとどれも異様に高く、八百円とか千二百円とか書いてある。
貧乏臭い生活雑貨店のくせに生意気な。
一番安いのでも六百円だった。
腹を立てながら手に取ってみると、ずっしり重い。
なるほど、中身が詰まっているので上等と言うわけか。
しかし、非常に不味そうである。
おれはますます生活雑貨店を見くびる。
仕方がないので六百円のパンを買う。
これが上等だとは納得していないという意思表示に、非常にいやいや店員に金を渡し、お釣りをもらう。
ともかく、これでやっと釣りができることに嬉しくなり、更に上流に向かう。
たしかいいポイントがあったはずなのだ。
前に一度来たことのある民宿を見つける。
勝手知ったるおれは、黙って入ってトイレに直行する。
便器わきに置いてあった釣竿をとり、、上等のパンを少し千切って丸めて、針先につける。
仕掛けを水洗便器に放り込んで、一気に水を流す。
小型リールの糸をどんどん繰り出す。
このトイレは、排水溝を通じて川と繋がっているのだ。
しばらく待つと、あたりがくる。
リールを巻き上げると、水洗便器の奥からピチピチ魚が出てきた。
魚を針から外し、再び上等のパンをつけてトイレに流す。
しばらくするとまた釣れる。
調子よく何匹か釣ったが、こんなんじゃないと思って、釣った魚を全部便器に流してしまった。
魚たちは排水溝を通じて川へかえって行ったことだろう。
おれは民宿を出て今度は下流の方に引き返す。
だんだん川幅は広がり、河原も広大になってくる。
たしかこの辺りには、人魚が出るという噂があった。
川面を眺めると、何か大きな尾鰭が跳ね、一メートルくらいある魚のようなものが、ふらふらと泳いでくる。
かなり弱っているようだ。
人魚を捕まえるチャンスだと思い、水の中にザブザブ駆け込む。
それに近づくが、プカプカ浮いているだけで動こうとしない。
おれは襲いかかって抱きつく。
鰓に手をかけて持ち上げてみると、何か気味の悪い顔をした鯉のような巨大魚だった。
これが人魚か。
川べりを歩いている。
立派な川で、釣り人がたくさんいる。
久しぶりに釣ってみたくなり、上流へ向けてぶらぶら歩く。
橋を潜った所に古い生活雑貨店がある。
安いパンでも買って釣り餌にしようと店に入る。
薄暗い店内を見回すと、ビニール袋に入った食パンが並べてある。
一番安いのを買おうとするが、値札を見るとどれも異様に高く、八百円とか千二百円とか書いてある。
貧乏臭い生活雑貨店のくせに生意気な。
一番安いのでも六百円だった。
腹を立てながら手に取ってみると、ずっしり重い。
なるほど、中身が詰まっているので上等と言うわけか。
しかし、非常に不味そうである。
おれはますます生活雑貨店を見くびる。
仕方がないので六百円のパンを買う。
これが上等だとは納得していないという意思表示に、非常にいやいや店員に金を渡し、お釣りをもらう。
ともかく、これでやっと釣りができることに嬉しくなり、更に上流に向かう。
たしかいいポイントがあったはずなのだ。
前に一度来たことのある民宿を見つける。
勝手知ったるおれは、黙って入ってトイレに直行する。
便器わきに置いてあった釣竿をとり、、上等のパンを少し千切って丸めて、針先につける。
仕掛けを水洗便器に放り込んで、一気に水を流す。
小型リールの糸をどんどん繰り出す。
このトイレは、排水溝を通じて川と繋がっているのだ。
しばらく待つと、あたりがくる。
リールを巻き上げると、水洗便器の奥からピチピチ魚が出てきた。
魚を針から外し、再び上等のパンをつけてトイレに流す。
しばらくするとまた釣れる。
調子よく何匹か釣ったが、こんなんじゃないと思って、釣った魚を全部便器に流してしまった。
魚たちは排水溝を通じて川へかえって行ったことだろう。
おれは民宿を出て今度は下流の方に引き返す。
だんだん川幅は広がり、河原も広大になってくる。
たしかこの辺りには、人魚が出るという噂があった。
川面を眺めると、何か大きな尾鰭が跳ね、一メートルくらいある魚のようなものが、ふらふらと泳いでくる。
かなり弱っているようだ。
人魚を捕まえるチャンスだと思い、水の中にザブザブ駆け込む。
それに近づくが、プカプカ浮いているだけで動こうとしない。
おれは襲いかかって抱きつく。
鰓に手をかけて持ち上げてみると、何か気味の悪い顔をした鯉のような巨大魚だった。
これが人魚か。
2015年12月23日
逆両替
夢を見た。
一円玉や五円玉がやたらに溜まってしまい、使うに使えない。
こういう場合、逆両替が便利だ。
あまり知られていないが、駅前のビールの自動販売機では、逆両替ができる。
コイン投入口の下あたりに、何の説明もない小さなスリットがある。
そこに不用の一円玉や五円玉を投入していくと、金額に応じて十円玉以上の有用な硬貨が返ってくるのだ。
一円玉の代わりに、細切れになったポテトチップでも良いことになっている。
持っているだけの一円玉や五円玉、それに普段から溜めておいたポテチ屑を、スリットにどんどん投入する。
スリットのふちにポテチの油かすが付着してきて、だんだん投入しにくくなってくる。
あまり人に知られてはいけないので、心ばかり焦ってなかなか逆両替が進まない。
一円玉や五円玉がやたらに溜まってしまい、使うに使えない。
こういう場合、逆両替が便利だ。
あまり知られていないが、駅前のビールの自動販売機では、逆両替ができる。
コイン投入口の下あたりに、何の説明もない小さなスリットがある。
そこに不用の一円玉や五円玉を投入していくと、金額に応じて十円玉以上の有用な硬貨が返ってくるのだ。
一円玉の代わりに、細切れになったポテトチップでも良いことになっている。
持っているだけの一円玉や五円玉、それに普段から溜めておいたポテチ屑を、スリットにどんどん投入する。
スリットのふちにポテチの油かすが付着してきて、だんだん投入しにくくなってくる。
あまり人に知られてはいけないので、心ばかり焦ってなかなか逆両替が進まない。
2015年12月24日
秘密販売
夢を見た。
通信や電気に関わる技術は、一般に機密要素が多い。
だから専門技師は、業務に使用する特別な工具類を、秘密裏に入手しなければならない義務を負う。
専門技師はまず秘密通信に指定された電柱や植栽に上り、指示書を入手する。
指示書には次に向かうべき電柱や植栽の場所が、暗号で記されている。
専門技師は暗号を解き、次の場所に向かう。
そこでまた暗号指示書を入手する。
このような探索を何度も繰り返さなければならない。
尾行を撒くためである。
そのようにしてやっと専門技師は、業務に必要不可欠の工具類を手に入れることができるのだ。
だから普段から気をつけて電柱などを観察していると、時おり電柱の上で何かを読んでいる作業員を発見することができるはずだ。
通信や電気に関わる技術は、一般に機密要素が多い。
だから専門技師は、業務に使用する特別な工具類を、秘密裏に入手しなければならない義務を負う。
専門技師はまず秘密通信に指定された電柱や植栽に上り、指示書を入手する。
指示書には次に向かうべき電柱や植栽の場所が、暗号で記されている。
専門技師は暗号を解き、次の場所に向かう。
そこでまた暗号指示書を入手する。
このような探索を何度も繰り返さなければならない。
尾行を撒くためである。
そのようにしてやっと専門技師は、業務に必要不可欠の工具類を手に入れることができるのだ。
だから普段から気をつけて電柱などを観察していると、時おり電柱の上で何かを読んでいる作業員を発見することができるはずだ。
2015年12月25日
楽勝ゲーム
夢を見た。
ゲームセンターである。
ゲーム機のスリットに硬貨を入れる。
戻ってくる。
もう一度入れる。
戻ってくる。
どうなっているのかと立腹しながら、もう一度硬貨を入れる。
二枚になって戻ってくる。
もう一度入れる。
更に倍。
壊れているのだ。
店のおばちゃんが徘徊しているので、ばれないように金を増やし続ける。
ポケットは硬貨でザクザクになる。
余裕の気持ちでゲームを始める。
金ならいくらでもあるし、なくなったらまた集めればいい。
シューティングゲームは得意だ。
バババババババと撃ちまくる。
今日は調子がいい。
バババババババと撃ちまくる。
少しピンチになった。
敵機の攻撃が蟻のように取り囲み、じわじわ包囲を縮めてくる。
このままではやられてしまうので、画面の中に指を突っ込み、自分の機体をつまみあげる。
これなら当たらないので安心だ。
敵の攻撃をやり過ごし、画面の中に自分の機体を戻す。
バババババババと撃ちまくる。
またピンチになる。
つまみあげてやり過ごす。
機体を戻す。
繰り返しているうちに面倒になってきて、つまみあげたままバババババババと撃ちまくる。
絶対安全の大量虐殺である。
今日は調子がいい。
楽勝だ。
全て。
ゲームセンターである。
ゲーム機のスリットに硬貨を入れる。
戻ってくる。
もう一度入れる。
戻ってくる。
どうなっているのかと立腹しながら、もう一度硬貨を入れる。
二枚になって戻ってくる。
もう一度入れる。
更に倍。
壊れているのだ。
店のおばちゃんが徘徊しているので、ばれないように金を増やし続ける。
ポケットは硬貨でザクザクになる。
余裕の気持ちでゲームを始める。
金ならいくらでもあるし、なくなったらまた集めればいい。
シューティングゲームは得意だ。
バババババババと撃ちまくる。
今日は調子がいい。
バババババババと撃ちまくる。
少しピンチになった。
敵機の攻撃が蟻のように取り囲み、じわじわ包囲を縮めてくる。
このままではやられてしまうので、画面の中に指を突っ込み、自分の機体をつまみあげる。
これなら当たらないので安心だ。
敵の攻撃をやり過ごし、画面の中に自分の機体を戻す。
バババババババと撃ちまくる。
またピンチになる。
つまみあげてやり過ごす。
機体を戻す。
繰り返しているうちに面倒になってきて、つまみあげたままバババババババと撃ちまくる。
絶対安全の大量虐殺である。
今日は調子がいい。
楽勝だ。
全て。