節分の今日、元有名プロ野球選手が覚醒剤の所持で逮捕されたニュースが流れた。
甲子園球児の頃から大スターで、その素質は誰もが認め、期待する選手だった。
もちろんプロでも立派な成績を残したが、あまりに高い期待値から比べると少々物足りないままに引退していった、そんな「天才」だった。
品行方正な優等生ではなく、美味いものを派手に飲み食いし、綺麗な嫁さんをもらって億ションを即金で買い、ヤクザや芸能人とも遊ぶという豪傑タイプだった。
プロとしてのキャリアはほぼ「平成」であったにもかかわらず、ある意味非常に「昭和」を感じさせるキャラクターで、ちょっと時代がずれている感もあった。
数年前に刊行された自伝によれば、先祖をたどると鬼の伝承にも行き当たるそうで、代々体には恵まれた血筋だったようだ。
そんなこんなも含めて、もっと別の時代に生まれていれば、相応しい活躍の場や居場所が見つけられた人ではないかと思うのだ。
この逮捕に至るまでに、おそらく親しい人々からは何度となく諭されてきたことだろうけれども、体格や素質に比べ、いつまでも幼さの抜けきらない不安定な精神面が災いしたのかもしれない。
せめてもう少し早く生まれ、覚醒剤御法度を堅持する昔気質のヤクザの親分が健在の内に世に出ていれば、また違った顛末になっていたかもしれない。
いずれにしろ、この逮捕を機会として薬物とは絶縁し、立ち直ってほしい。
節分の夜、そんな感想を持った。
2016年02月03日
2016年02月06日
象圧
夢を見た。
見晴らしの良い川沿いの坂道。
明るい昼下がり、遠方には海も見える。
少し離れた所で、突然事件が起こる。
牛ほどの大きさの象の子供が、川沿いの銭湯に乱入したのだ。
銭湯の中からはけたたましい悲鳴が聞こえてくる。
これは大変だと駆け付ける。
店内からは暖簾をひるがえしながらバラバラと人が逃げ出してくる。
どうなることかと見ていると、幼稚園児の集団がどこからともなく現れ、キャーキャー叫びながら雪崩のように銭湯に駆け込んでいった。
しばらくすると中の騒ぎが収まり、園児の集団に神輿のように担がれて、子象が運び出されてきた。
子象は担がれるままに神妙にしている。
同じ子供として、園児の集団には心を許しているのかもしれない。
一安心しながらも、園児などにこの非常事態を任せなければならないことに不安も感じる。
幼稚園児などそんなに信頼できるわけがなく、自分はそのことをよく知っているのだ。
園児と子象の一団が、何か訳のわからぬことをぐちゃぐちゃしゃべりながら、こちらに接近してくる。
避けようとするが、避けた方へ避けた方へと回り込んでくる。
わざとか。
そのうち焦ってつまずいてしまった。
まずいと思う間もなく、園児の集団に踏みつけられてしまう。
園児たちは驚きとも喜びともつかぬ歓声を上げながら、子象を放り投げて走り去る。
むぎゅうと象の尻の下敷きになる。
物凄い象圧だ。
子供とは言え、さすが象だ。
苦しい。
これだから園児は信用できない。
見晴らしの良い川沿いの坂道。
明るい昼下がり、遠方には海も見える。
少し離れた所で、突然事件が起こる。
牛ほどの大きさの象の子供が、川沿いの銭湯に乱入したのだ。
銭湯の中からはけたたましい悲鳴が聞こえてくる。
これは大変だと駆け付ける。
店内からは暖簾をひるがえしながらバラバラと人が逃げ出してくる。
どうなることかと見ていると、幼稚園児の集団がどこからともなく現れ、キャーキャー叫びながら雪崩のように銭湯に駆け込んでいった。
しばらくすると中の騒ぎが収まり、園児の集団に神輿のように担がれて、子象が運び出されてきた。
子象は担がれるままに神妙にしている。
同じ子供として、園児の集団には心を許しているのかもしれない。
一安心しながらも、園児などにこの非常事態を任せなければならないことに不安も感じる。
幼稚園児などそんなに信頼できるわけがなく、自分はそのことをよく知っているのだ。
園児と子象の一団が、何か訳のわからぬことをぐちゃぐちゃしゃべりながら、こちらに接近してくる。
避けようとするが、避けた方へ避けた方へと回り込んでくる。
わざとか。
そのうち焦ってつまずいてしまった。
まずいと思う間もなく、園児の集団に踏みつけられてしまう。
園児たちは驚きとも喜びともつかぬ歓声を上げながら、子象を放り投げて走り去る。
むぎゅうと象の尻の下敷きになる。
物凄い象圧だ。
子供とは言え、さすが象だ。
苦しい。
これだから園児は信用できない。
2016年02月07日
小道
夢を見た。
コミチは友人から譲り受けたハエだ。
ハエと言っても、単なるハエではない。
ピンク色で人間の姿をした、一種の奇形蝿で、ちょっと見た目は妖精のような感じもする。
赤ん坊くらいにはコミュニケーションが取れるが、所詮ハエなので見た目ほどには知能は高くない。
その日私は、友人が小道を発見したという山中に、小道本人を連れていった。
故郷の匂いを感じたのか、小道はなんとなくそわそわと落ち着かない。
山の奥深く分け入り、疲れたので一休みする。
軽く伸びなどをしていると、小道の姿が見えなくなった。
探し回るが、どこにもいない。
誤って踏み潰してしまったのかとも思ったが、そんな様子もない。
小道、小道と名を呼びながら山中をさまようが、二度と見つからなかった。
コミチは友人から譲り受けたハエだ。
ハエと言っても、単なるハエではない。
ピンク色で人間の姿をした、一種の奇形蝿で、ちょっと見た目は妖精のような感じもする。
赤ん坊くらいにはコミュニケーションが取れるが、所詮ハエなので見た目ほどには知能は高くない。
その日私は、友人が小道を発見したという山中に、小道本人を連れていった。
故郷の匂いを感じたのか、小道はなんとなくそわそわと落ち着かない。
山の奥深く分け入り、疲れたので一休みする。
軽く伸びなどをしていると、小道の姿が見えなくなった。
探し回るが、どこにもいない。
誤って踏み潰してしまったのかとも思ったが、そんな様子もない。
小道、小道と名を呼びながら山中をさまようが、二度と見つからなかった。
2016年02月08日
ののみち
夢を見た。
図工の時間である。
若い女の先生の指導で、割り箸と紙の飛行機を作る。
手早く出来たので相棒と一緒に運動場で飛ばす。
一番乗りなので二人以外誰もいない。
意外に飛ぶので調子に乗って何度も飛ばしていると、紙の部分がボロボロになってしまった。
紙では弱いのでプラスチックで作り直すことにする。
これもすぐに出来たのだが、若い女の先生には良い顔をされなかった。
今回の授業はあくまで紙飛行機の工作であり、それ以外は和を乱す余計な行動だったようだ。
少し気まずい思いで、再び相棒と運動場に出る。
他に完成した者がいないのか、まだ二人だけである。
紙より少し重くなったが、プラスチック飛行機もよく飛んでくれた。
今度は丈夫なので何度飛ばしても飛び味が落ちない。
凝って作った車輪部分が折れてしまったが、ここは飛行性能と直接関係がない。
しばらく飛ばしていると、ばらばらと全校生徒が運動場に繰り出してきた。
何か行事が始まるようだが、そんな話は全く聞いておらず、戸惑う。
生徒会長の指示で、生徒たちがみんなで輪になる。
真ん中の生徒会長が「のぉのぉみぃちぃ」と声を張り上げながら、大袈裟な身振りで大股に、一音一歩で歩く。
輪になった全校生徒もそれに従い、それぞれに身振りをつけながら歩く。
会長が立ち止まるとみんなもピタッと停止し、身動き一つしない。
会長はしばらく辺りをうかがうと、再び「のぉのぉみぃちぃ」とやる。
生徒たちはみんなそれに従い、会長が止まると全員停止する。
どうやら「ののみち」という遊びであるらしいことは理解できたのだが、そんな遊びは聞いたことがなく、ルールもよくわからない。
ところが一緒に飛行機を飛ばしていた相棒にはわかるらしく、みんなの輪に入って浮かれている。
たった一人取り残され、飛行機を持ったまま、運動場の隅で呆然と立ち尽くす。
その間にも「ののみち」は進行し、生徒会長は「のぉのぉみぃちぃ」とやりながらじわじわにじり寄ってくる。
狙いをつけられたらしいのだが、意図が全くわからない。
どうやら不利な状況になりつつあるようだが、逃げ出すのも癪なので平静を装ってそのまま突っ立っている。
満面の笑みを浮かべた会長が「のぉのぉみぃちぃ」とやりながらタッチしてくる。
全校生徒がわぁと歓声を上げる。
非常に不愉快である。
居直って「こんな遊びは知らない。おれは仲間に入っていない」と叫ぶ。
しかし会長は知らぬ顔をしている。
タッチされた者はこのような反応をする決まりになっているようで、偶然それを踏襲してしまったのだ。
遊びに加わる気がないことを宣言したつもりが、逆効果になってしまった。
非常に不愉快である。
会長はくるりと後ろを向き、全校生徒がザザザザとそれに倣う。
今度はこちらが「のぉのぉみぃちぃ」という身振りで追わなければならないらしい。
そんな馬鹿な。
忍耐の限界を越えたので、持っていた飛行機を会長の顔面に投げつける。
飛行機はバラバラになり、会長はその場に昏倒する。
辺りは騒然となる。
孤立無援になってしまったが、「かかってこい」という気分で不貞腐れて突っ立っている。
文句あるか。
図工の時間である。
若い女の先生の指導で、割り箸と紙の飛行機を作る。
手早く出来たので相棒と一緒に運動場で飛ばす。
一番乗りなので二人以外誰もいない。
意外に飛ぶので調子に乗って何度も飛ばしていると、紙の部分がボロボロになってしまった。
紙では弱いのでプラスチックで作り直すことにする。
これもすぐに出来たのだが、若い女の先生には良い顔をされなかった。
今回の授業はあくまで紙飛行機の工作であり、それ以外は和を乱す余計な行動だったようだ。
少し気まずい思いで、再び相棒と運動場に出る。
他に完成した者がいないのか、まだ二人だけである。
紙より少し重くなったが、プラスチック飛行機もよく飛んでくれた。
今度は丈夫なので何度飛ばしても飛び味が落ちない。
凝って作った車輪部分が折れてしまったが、ここは飛行性能と直接関係がない。
しばらく飛ばしていると、ばらばらと全校生徒が運動場に繰り出してきた。
何か行事が始まるようだが、そんな話は全く聞いておらず、戸惑う。
生徒会長の指示で、生徒たちがみんなで輪になる。
真ん中の生徒会長が「のぉのぉみぃちぃ」と声を張り上げながら、大袈裟な身振りで大股に、一音一歩で歩く。
輪になった全校生徒もそれに従い、それぞれに身振りをつけながら歩く。
会長が立ち止まるとみんなもピタッと停止し、身動き一つしない。
会長はしばらく辺りをうかがうと、再び「のぉのぉみぃちぃ」とやる。
生徒たちはみんなそれに従い、会長が止まると全員停止する。
どうやら「ののみち」という遊びであるらしいことは理解できたのだが、そんな遊びは聞いたことがなく、ルールもよくわからない。
ところが一緒に飛行機を飛ばしていた相棒にはわかるらしく、みんなの輪に入って浮かれている。
たった一人取り残され、飛行機を持ったまま、運動場の隅で呆然と立ち尽くす。
その間にも「ののみち」は進行し、生徒会長は「のぉのぉみぃちぃ」とやりながらじわじわにじり寄ってくる。
狙いをつけられたらしいのだが、意図が全くわからない。
どうやら不利な状況になりつつあるようだが、逃げ出すのも癪なので平静を装ってそのまま突っ立っている。
満面の笑みを浮かべた会長が「のぉのぉみぃちぃ」とやりながらタッチしてくる。
全校生徒がわぁと歓声を上げる。
非常に不愉快である。
居直って「こんな遊びは知らない。おれは仲間に入っていない」と叫ぶ。
しかし会長は知らぬ顔をしている。
タッチされた者はこのような反応をする決まりになっているようで、偶然それを踏襲してしまったのだ。
遊びに加わる気がないことを宣言したつもりが、逆効果になってしまった。
非常に不愉快である。
会長はくるりと後ろを向き、全校生徒がザザザザとそれに倣う。
今度はこちらが「のぉのぉみぃちぃ」という身振りで追わなければならないらしい。
そんな馬鹿な。
忍耐の限界を越えたので、持っていた飛行機を会長の顔面に投げつける。
飛行機はバラバラになり、会長はその場に昏倒する。
辺りは騒然となる。
孤立無援になってしまったが、「かかってこい」という気分で不貞腐れて突っ立っている。
文句あるか。
2016年02月09日
未来楽器
夢を見た。
高校時代の友人Tと外出した帰り。
地下鉄の駅へと発車時刻を気にしながら走っている。
券売機の周りに知り合いが何人か座っている。
Tとともに鞄をおろし、その輪に入る。
券売機の横には薄汚れたショーケースがあって、中にはいかにも年代物のギターなど、弦楽器がたくさん並べてある。
もし安くていいものがあれば買おうかと覗きこむが、ガラスの汚れで値札が読みとれない。
見る角度を変えてみて、ようやく二つ三つ読みとれる。
大型の古くて渋いギターが五百八十円。
無茶苦茶な値段である。
何か理由があるのだろうか、事故車みたいなものか、と考えていると、その横には三百六十円の真っ黒なギターが掛けてあった。
こちらも大型だったが、見るからにプラスチック製であり、形も「未来に流行る楽器」を絵に描いたようで、胡散臭いことこの上ない。
構えたときの下の位置には機関銃の持ち手のようなものが付いており、普段は収納可になっている。
これでは三百六十円でも仕方がないが、恥ずかしながらちょっとだけ欲しくなった。
みんなに気付かれないように、そっと店に入る。
鞄がそのままだが、Tがなんとかしてくれるだろう。
意外に若い店員が奥の方に座っている。
中は思ったより広く、弦楽器ばかりが所狭しと並べられている。
大きいのから小さいの、ギターからマンドリン、名前もわからないような民族楽器まで色々あって目移りする。
もう「未来の楽器」などどうでもよくなった。
胴の丸い、弦が十本以上張ってあるのを見つけて、「これはどうやって弾くんですか」と若い店員に尋ねると、器用に弾いて見せてくれた。
十数本の弦のあちこちを三四本ずつ弾くと、コード奏になるらしい。
値段は七千円。
少々値が張るが、もちろん楽器としてはかなり安い。
試しに弾かせてもらうと、いきなり弦が切れてしまう。
店員は「弦が細いからね」と苦笑したが、とくにそれ以上は何も言われなかった。
隣にあった三角形の胴の小型四弦楽器は、なんとなくウクレレのようにいじってみるとけっこう弾けた。
値段も三千円なので、これを買うことに決める。
券売機にたむろしていた知り合いたちが、どやどやと店内に入ってくる。
バンドをやっている奴がいるので、楽器を物色しに来たのだろう。
Tは先に帰ったそうだ。
置いてきた鞄はどうなったのだろう。
みんなに例の「未来楽器」のことを教えてやろうとショーケースを振り返ると、もうすでに売れてしまっていた。
誰だ。
高校時代の友人Tと外出した帰り。
地下鉄の駅へと発車時刻を気にしながら走っている。
券売機の周りに知り合いが何人か座っている。
Tとともに鞄をおろし、その輪に入る。
券売機の横には薄汚れたショーケースがあって、中にはいかにも年代物のギターなど、弦楽器がたくさん並べてある。
もし安くていいものがあれば買おうかと覗きこむが、ガラスの汚れで値札が読みとれない。
見る角度を変えてみて、ようやく二つ三つ読みとれる。
大型の古くて渋いギターが五百八十円。
無茶苦茶な値段である。
何か理由があるのだろうか、事故車みたいなものか、と考えていると、その横には三百六十円の真っ黒なギターが掛けてあった。
こちらも大型だったが、見るからにプラスチック製であり、形も「未来に流行る楽器」を絵に描いたようで、胡散臭いことこの上ない。
構えたときの下の位置には機関銃の持ち手のようなものが付いており、普段は収納可になっている。
これでは三百六十円でも仕方がないが、恥ずかしながらちょっとだけ欲しくなった。
みんなに気付かれないように、そっと店に入る。
鞄がそのままだが、Tがなんとかしてくれるだろう。
意外に若い店員が奥の方に座っている。
中は思ったより広く、弦楽器ばかりが所狭しと並べられている。
大きいのから小さいの、ギターからマンドリン、名前もわからないような民族楽器まで色々あって目移りする。
もう「未来の楽器」などどうでもよくなった。
胴の丸い、弦が十本以上張ってあるのを見つけて、「これはどうやって弾くんですか」と若い店員に尋ねると、器用に弾いて見せてくれた。
十数本の弦のあちこちを三四本ずつ弾くと、コード奏になるらしい。
値段は七千円。
少々値が張るが、もちろん楽器としてはかなり安い。
試しに弾かせてもらうと、いきなり弦が切れてしまう。
店員は「弦が細いからね」と苦笑したが、とくにそれ以上は何も言われなかった。
隣にあった三角形の胴の小型四弦楽器は、なんとなくウクレレのようにいじってみるとけっこう弾けた。
値段も三千円なので、これを買うことに決める。
券売機にたむろしていた知り合いたちが、どやどやと店内に入ってくる。
バンドをやっている奴がいるので、楽器を物色しに来たのだろう。
Tは先に帰ったそうだ。
置いてきた鞄はどうなったのだろう。
みんなに例の「未来楽器」のことを教えてやろうとショーケースを振り返ると、もうすでに売れてしまっていた。
誰だ。
2016年02月10日
発車時刻
夢を見た。
夜中に部屋の掃除をしている。
入口ドアの横に、今まで使っていなかった押入れぐらいのスペースがあるのを発見した。
この部屋に住んでもう長いのに、こんなスペースがあったとは知らなかった。
夜も遅いので隣に気を使いながら片づける。
明け方近くになってようやくきれいになった。
雨が降ってきたので洗濯物を取り込み、ひと眠りする。
本屋の夢を見る。
付き合っている女の子と、新しい本屋で立ち読みしている。
雰囲気、品揃えともに中々だ。
場違いなおっちゃんが入ってきて、しばらくその辺りをうろついてから、「煙草を吸わないと落ち着かない。どこかで吸えないか」と店員に聞く。
頭の薄い店員が「それなら倉庫がいい」と、若い女の店員に案内させようとする。
ドアをノックする音で目が覚める。
付き合っている女の子が来ている。
夜半に来る約束をしていたのに、僕が忘れてしまっていたらしい。
返事をすると「なんだ居るじゃないか」と、表に待たせてある友人たちを呼びに行く。
そうか、みんなで来る約束だったのか。
片付けておいてよかった。
ドアの鍵を開けようと入口まで行くと、何か部屋の様子がいつもと違っている。
白い壁のはずが、茶色の土壁のようになっている。
部屋も二階のはずが一階になっている。
何が起こっているのかと、ドキドキする。
入ってきた友人たちに、部屋の様子がおかしい、前からこうだったかと聞くと、こんな感じだった、何がおかしいのかと答える。
答える友人たちの様子がすこし記憶と違う気がして、ぞっとする。
女の子は僕の知っているそのままの様子だったので、どう思うかと聞くと黙っている。
きっとおかしいと思うのを隠しているのだ。
素知らぬ顔で、取り込んだばかりの洗濯物を畳んだりしている。
おかしい。
こんなはずはない。
友人の一人は「おまえがどっかおかしくなったんじゃないか」と笑う。
腹が立ったのでチョークスリーパーを掛ける。
ふと窓の外を見ると、一階なので通行人の姿が見える。
もう朝になっている。
通勤通学の時間帯で、人通りが激しい。
何故か、高校時代の知り合いの姿をたくさん見かけ、ああ懐かしいなと思う。
僕の様子に不審を抱いたのか、友人たちは女の子とともに「ちょっと外で話そう」と、連れだって出ていく。
時刻は午前九時三十分ちょっと前。
友人たちと女の子は、何かしゃべりながら窓の外の通勤通学路の、その先に広がる草原を進んでいく。
僕は一人、路に立ってそれを見送っている。
おかしい、こんなはずではない。
時刻は九時三十分になった。
ああ、発車時刻だ。
不意にそう気付いた。
急がなければ。
急いで部屋に戻らないと、元に戻れなくなってしまう。
草原を進む友人たちに、別れとお礼の言葉を叫ぶ。
多分もう会うことは無いのだ。
お世話になりました。
そうだ。
女の子はどうなるのだろう?
哀しくなって、女の子の名を呼びながら、「必ずまたここに来るから」と叫ぶが、多分それは無理だとわかっている。
女の子が駆け寄ってくるが、押しとどめて向こうに帰す。
下手をすると、お互い戻れなくなってしまう。
女の子はうなずいて「お兄ちゃん、元気で」と言う。
ああ、そうだったのか。
疑問が晴れる。
急いで階段を上る。
部屋が二階になっている。
たすかった、元の部屋だ。
隣室の友人がちょうど返ってきたので、顛末を話す。
怖かったぞ、と言うと、うん、怖いなあ、そう言うのが一番怖い、と答える。
ほっと一息つきながら、自室のドアを見ると、おかしな張り紙がある。
何か意味のわからないことが、紙いっぱいにごちゃごちゃと書かれている。
根気よく読むと、どうやら家賃をためているので、毎日廊下掃除をしろというような意味のことが書かれているらしい。
日付は九月十八日になっている。
今はもう十一月のはずだが、こんな張り紙には今初めて気がついた。
不審に思いながら、周りの様子をよくよくうかがってみると、また少し違った情景になっている。
ブルッと身震いする。
夜中に部屋の掃除をしている。
入口ドアの横に、今まで使っていなかった押入れぐらいのスペースがあるのを発見した。
この部屋に住んでもう長いのに、こんなスペースがあったとは知らなかった。
夜も遅いので隣に気を使いながら片づける。
明け方近くになってようやくきれいになった。
雨が降ってきたので洗濯物を取り込み、ひと眠りする。
本屋の夢を見る。
付き合っている女の子と、新しい本屋で立ち読みしている。
雰囲気、品揃えともに中々だ。
場違いなおっちゃんが入ってきて、しばらくその辺りをうろついてから、「煙草を吸わないと落ち着かない。どこかで吸えないか」と店員に聞く。
頭の薄い店員が「それなら倉庫がいい」と、若い女の店員に案内させようとする。
ドアをノックする音で目が覚める。
付き合っている女の子が来ている。
夜半に来る約束をしていたのに、僕が忘れてしまっていたらしい。
返事をすると「なんだ居るじゃないか」と、表に待たせてある友人たちを呼びに行く。
そうか、みんなで来る約束だったのか。
片付けておいてよかった。
ドアの鍵を開けようと入口まで行くと、何か部屋の様子がいつもと違っている。
白い壁のはずが、茶色の土壁のようになっている。
部屋も二階のはずが一階になっている。
何が起こっているのかと、ドキドキする。
入ってきた友人たちに、部屋の様子がおかしい、前からこうだったかと聞くと、こんな感じだった、何がおかしいのかと答える。
答える友人たちの様子がすこし記憶と違う気がして、ぞっとする。
女の子は僕の知っているそのままの様子だったので、どう思うかと聞くと黙っている。
きっとおかしいと思うのを隠しているのだ。
素知らぬ顔で、取り込んだばかりの洗濯物を畳んだりしている。
おかしい。
こんなはずはない。
友人の一人は「おまえがどっかおかしくなったんじゃないか」と笑う。
腹が立ったのでチョークスリーパーを掛ける。
ふと窓の外を見ると、一階なので通行人の姿が見える。
もう朝になっている。
通勤通学の時間帯で、人通りが激しい。
何故か、高校時代の知り合いの姿をたくさん見かけ、ああ懐かしいなと思う。
僕の様子に不審を抱いたのか、友人たちは女の子とともに「ちょっと外で話そう」と、連れだって出ていく。
時刻は午前九時三十分ちょっと前。
友人たちと女の子は、何かしゃべりながら窓の外の通勤通学路の、その先に広がる草原を進んでいく。
僕は一人、路に立ってそれを見送っている。
おかしい、こんなはずではない。
時刻は九時三十分になった。
ああ、発車時刻だ。
不意にそう気付いた。
急がなければ。
急いで部屋に戻らないと、元に戻れなくなってしまう。
草原を進む友人たちに、別れとお礼の言葉を叫ぶ。
多分もう会うことは無いのだ。
お世話になりました。
そうだ。
女の子はどうなるのだろう?
哀しくなって、女の子の名を呼びながら、「必ずまたここに来るから」と叫ぶが、多分それは無理だとわかっている。
女の子が駆け寄ってくるが、押しとどめて向こうに帰す。
下手をすると、お互い戻れなくなってしまう。
女の子はうなずいて「お兄ちゃん、元気で」と言う。
ああ、そうだったのか。
疑問が晴れる。
急いで階段を上る。
部屋が二階になっている。
たすかった、元の部屋だ。
隣室の友人がちょうど返ってきたので、顛末を話す。
怖かったぞ、と言うと、うん、怖いなあ、そう言うのが一番怖い、と答える。
ほっと一息つきながら、自室のドアを見ると、おかしな張り紙がある。
何か意味のわからないことが、紙いっぱいにごちゃごちゃと書かれている。
根気よく読むと、どうやら家賃をためているので、毎日廊下掃除をしろというような意味のことが書かれているらしい。
日付は九月十八日になっている。
今はもう十一月のはずだが、こんな張り紙には今初めて気がついた。
不審に思いながら、周りの様子をよくよくうかがってみると、また少し違った情景になっている。
ブルッと身震いする。
2016年02月11日
そう言えば……
2月9日は手塚治虫の命日だった。
マンガの神様が亡くなったあの年、私はまだ少年で、翌日はかなり遅刻して学校にいったっけ。
幼少の頃から親の揃えた「火の鳥」や「ブッダ」を読み、「ブラックジャック」にハマってきた。
年代的に手塚が「大人向き」を描きはじめて以降の読者なので、年相応の「アトム」や「ジャングル大帝」はむしろ遡って読んだ。
中高生になってからは、「作家」としての手塚を学ぶように読んでいた。
そんな中での訃報に、子供ながらいっぱしの喪失感を抱いたのだ。
翌日、いっそ学校をサボってやろうかと思っていたのだが、英語のY先生の授業が、その日で最後だと気付いた。
勉強そっちのけで絵やイラストばかり描いている私を、付かず離れずで気にかけてくれた先生だった。
英語という教科に対して全く意欲が湧かなかったのは、ある面ではY先生のかなり厳しめの指導が原因だったのだが、授業中の容赦のなさとは無関係に、絵を描く面では私を認めてくださった。
クラス担任等で本格的に受け持ってもらったことはないが、校内で折りにふれ声をかけてもらったことには義理を感じていた。
仕方がないから顔だけは出しておこうかと学校に向かい、恐る恐る教室のドアを開けた。
今のように体罰御法度の時代ではないので、一発二発張り飛ばされることは覚悟の上だったが、その日のY先生は常になく寛大だった。
「……おお、来たか」
「遅れてすみません」
「手塚治虫、死んだな」
「はい」
Y先生は頷くと、「まあ、座れ」とお咎めなしで授業を再開した。
何事もなく授業時間は過ぎ、先生はさらりとおしまいの挨拶をして最後の授業を終えた。
肝心の授業中は全く意欲のない私だったが、Y先生のとってくれた距離感はその後もずっと記憶に残り、描き続けることの支えの一つになった。
熱心に暑苦しく関わるのだけが良い先生ではないのだ。
絵を描く子供と関わるときは、距離感が大切だ。
もし今の私が少年時代の自分に声をかけるなら、何と言うか?
難しいところだが、夢枕獏の小説に出てくる怪しい凄腕老人のように、けくけく笑いながらこう言おうか。
「おめえよ、描けるようになるぜ」
「?」
「おめえがいつか描きたいと思ってる絵が描けるだけの技量は、いずれ持てるってことよ」
「??」
「続けてればな。それが一番むずかしいんだが……」
「???」
こんな感じか。
マンガの神様が亡くなったあの年、私はまだ少年で、翌日はかなり遅刻して学校にいったっけ。
幼少の頃から親の揃えた「火の鳥」や「ブッダ」を読み、「ブラックジャック」にハマってきた。
年代的に手塚が「大人向き」を描きはじめて以降の読者なので、年相応の「アトム」や「ジャングル大帝」はむしろ遡って読んだ。
中高生になってからは、「作家」としての手塚を学ぶように読んでいた。
そんな中での訃報に、子供ながらいっぱしの喪失感を抱いたのだ。
翌日、いっそ学校をサボってやろうかと思っていたのだが、英語のY先生の授業が、その日で最後だと気付いた。
勉強そっちのけで絵やイラストばかり描いている私を、付かず離れずで気にかけてくれた先生だった。
英語という教科に対して全く意欲が湧かなかったのは、ある面ではY先生のかなり厳しめの指導が原因だったのだが、授業中の容赦のなさとは無関係に、絵を描く面では私を認めてくださった。
クラス担任等で本格的に受け持ってもらったことはないが、校内で折りにふれ声をかけてもらったことには義理を感じていた。
仕方がないから顔だけは出しておこうかと学校に向かい、恐る恐る教室のドアを開けた。
今のように体罰御法度の時代ではないので、一発二発張り飛ばされることは覚悟の上だったが、その日のY先生は常になく寛大だった。
「……おお、来たか」
「遅れてすみません」
「手塚治虫、死んだな」
「はい」
Y先生は頷くと、「まあ、座れ」とお咎めなしで授業を再開した。
何事もなく授業時間は過ぎ、先生はさらりとおしまいの挨拶をして最後の授業を終えた。
肝心の授業中は全く意欲のない私だったが、Y先生のとってくれた距離感はその後もずっと記憶に残り、描き続けることの支えの一つになった。
熱心に暑苦しく関わるのだけが良い先生ではないのだ。
絵を描く子供と関わるときは、距離感が大切だ。
もし今の私が少年時代の自分に声をかけるなら、何と言うか?
難しいところだが、夢枕獏の小説に出てくる怪しい凄腕老人のように、けくけく笑いながらこう言おうか。
「おめえよ、描けるようになるぜ」
「?」
「おめえがいつか描きたいと思ってる絵が描けるだけの技量は、いずれ持てるってことよ」
「??」
「続けてればな。それが一番むずかしいんだが……」
「???」
こんな感じか。
2016年02月12日
沖浦和光関連記事
沖浦和光(おきうらかずてる)さんが昨年7月にお亡くなりになっていたことを、不覚にも最近まで知らなかった。
この十年、当ブログ「縁日草子」開設以降では、最も影響を受けた著者である。
これまでにも著作の紹介などを何度か書いてきた。
いずれがっちり紹介したい異能の語り手だが、それに先立ち、これまでの記事をまとめて覚書にしておきたい。
●「辺界の輝き」紹介記事
●「瀬戸内の民俗誌」紹介記事
●「旅芸人のいた風景」紹介記事
●「悪所の民俗誌」紹介記事
●「「芸能と差別」の深層」紹介記事
他にもとびきり面白く、何度も読み返した本は数多い。
ぼちぼち記事にしていきたい。
●「幻の漂泊民・サンカ」
●「日本民衆文化の原郷」
●「竹の民俗誌」
●「陰陽師の原像」
この十年、当ブログ「縁日草子」開設以降では、最も影響を受けた著者である。
これまでにも著作の紹介などを何度か書いてきた。
いずれがっちり紹介したい異能の語り手だが、それに先立ち、これまでの記事をまとめて覚書にしておきたい。
●「辺界の輝き」紹介記事
●「瀬戸内の民俗誌」紹介記事
●「旅芸人のいた風景」紹介記事
●「悪所の民俗誌」紹介記事
●「「芸能と差別」の深層」紹介記事
他にもとびきり面白く、何度も読み返した本は数多い。
ぼちぼち記事にしていきたい。
●「幻の漂泊民・サンカ」
●「日本民衆文化の原郷」
●「竹の民俗誌」
●「陰陽師の原像」
2016年02月19日
民族弦楽器への道しるべ
「おれって、入門書探しが上手いな……」
そんな自惚れを抱くようになったのはいつ頃からのことか。
少なくともこの二十年ほど、自惚れっぱなしだった気がする。
読書家の部類には入ると思うが、決して勉強熱心ではない。
本質的には不精者なので、読んで面白い本しか読めない。
いくら内容的に確かな本でも、面白くないものを我慢してまでは読まない。
そんな私なので、何らかのジャンルの入門書を求める場合も、まず読んで面白そうなものから探す。
概説的に情報を並べただけの本は、いくら内容が正確で包括的であっても通読できない。
多少内容に偏りがあっても、著者個人の思い入れとか息づかい、血肉になった体験が語られる本が好みだ。
そういう本でそのジャンルの楽しさのコアを掴んだ後でなら、概説的な解説本も読める。
そのようなスタートダッシュを切れる面白い本を探すのが上手いと、自惚れているのだ。
私の主要な興味の対象に、民族音楽や民族楽器、楽器の場合は特に弦楽器がある。
音源を漁ったり、雑貨店などで玩具楽器を集めたりしている内に、いつのまにか自分でも楽器工作をやるようになった。
最近よく聴いているのは浪曲や盲僧琵琶で、弦楽器を伴奏にした語り芸にハマっている。
だから琵琶や三味線のルーツが気になり始めているタイミングで、ちょうど良い本に出会ったので、紹介しておきたい。
●「幻の楽器を求めて―アジアの民族音楽と文化探究の旅」田森雅一(ちくまプリマーブックス)
著者はジャーナリスト、エディター。
インド旅行をきっかけに「サロード」という民族楽器の演奏を学び始めたという。
インドでも演奏者の少ない楽器を学ぶ中で、その楽器のルーツをたずねる長い旅が始まる。
起源を求めて「ラバーブ」、そして古代楽器「火不思(かふし)」の謎を辿るうちに、日本の三味線との関連まで浮上してくる。
その旅の果てに、著者は「そもそも楽器のルーツとは何なのか?」という根本的な問いに行き着く。
楽器というものは、それ単体で存在するのではなく、奏でる人や奏でる曲、奏法と共にある。
場合によっては、楽器、奏法、曲、奏者、すべての伝来ルートが別々ということもあり得るのだ。
楽器を通して、広大なアジアの文化を夢想できる内容で、二週間ほど読みふけってしまった。
アジアの民族音楽に関心のある人は、必読である。
そんな自惚れを抱くようになったのはいつ頃からのことか。
少なくともこの二十年ほど、自惚れっぱなしだった気がする。
読書家の部類には入ると思うが、決して勉強熱心ではない。
本質的には不精者なので、読んで面白い本しか読めない。
いくら内容的に確かな本でも、面白くないものを我慢してまでは読まない。
そんな私なので、何らかのジャンルの入門書を求める場合も、まず読んで面白そうなものから探す。
概説的に情報を並べただけの本は、いくら内容が正確で包括的であっても通読できない。
多少内容に偏りがあっても、著者個人の思い入れとか息づかい、血肉になった体験が語られる本が好みだ。
そういう本でそのジャンルの楽しさのコアを掴んだ後でなら、概説的な解説本も読める。
そのようなスタートダッシュを切れる面白い本を探すのが上手いと、自惚れているのだ。
私の主要な興味の対象に、民族音楽や民族楽器、楽器の場合は特に弦楽器がある。
音源を漁ったり、雑貨店などで玩具楽器を集めたりしている内に、いつのまにか自分でも楽器工作をやるようになった。
最近よく聴いているのは浪曲や盲僧琵琶で、弦楽器を伴奏にした語り芸にハマっている。
だから琵琶や三味線のルーツが気になり始めているタイミングで、ちょうど良い本に出会ったので、紹介しておきたい。
●「幻の楽器を求めて―アジアの民族音楽と文化探究の旅」田森雅一(ちくまプリマーブックス)
著者はジャーナリスト、エディター。
インド旅行をきっかけに「サロード」という民族楽器の演奏を学び始めたという。
インドでも演奏者の少ない楽器を学ぶ中で、その楽器のルーツをたずねる長い旅が始まる。
起源を求めて「ラバーブ」、そして古代楽器「火不思(かふし)」の謎を辿るうちに、日本の三味線との関連まで浮上してくる。
その旅の果てに、著者は「そもそも楽器のルーツとは何なのか?」という根本的な問いに行き着く。
楽器というものは、それ単体で存在するのではなく、奏でる人や奏でる曲、奏法と共にある。
場合によっては、楽器、奏法、曲、奏者、すべての伝来ルートが別々ということもあり得るのだ。
楽器を通して、広大なアジアの文化を夢想できる内容で、二週間ほど読みふけってしまった。
アジアの民族音楽に関心のある人は、必読である。
2016年02月20日
臭い思い出
たまに、幼少時の記憶がぽっかりと浮かび上がってくることがある。
なぜこんなタイミングで思い出したのか、意味不明なことも多々あるが、表層意識では計り知れない何らかの繋がりがあるのかもしれない。
先日、コーヒーを飲んでいたら、いきなり幼児の頃の「臭い思い出」がよみがえってきた。
コーヒーの「香り」に刺激されたのかもしれないが、全く正反対の悪臭の記憶である。
情景からすると、幼稚園の頃のはずだ。
私は母方の祖父母宅から通える保育園に2年、幼稚園に1年行った後、自宅から通う小学校に入った。
保育園と幼稚園はさほど遠くない別の場所にあり、建物や園庭の様子が違っているので、記憶の情景からどちらのことか判別できる。
幼児の私はその日、園庭の隅にある側溝付近で遊んでいたとき、浅く流れる水の中に小さなザリガニを見つけた。
とっさに手を伸ばすと、あっさりつかまえられた。
喜んで持ち上げてみると、ぐんにゃりして全く動かない。
なんのことはない、死んでいたのだ。
がっかりした瞬間、鼻を突く悪臭が襲ってきた。
「くさっ!!」
私は反射的にザリガニを投げ出した。
水棲生物の水中死体が放つ悪臭は、凶悪である。
田舎の子供は、生育歴のどこかでそれを手酷く体験し、無闇に触ることの危険を学ぶ。
私にとってはまさにその体験の瞬間だった。
触れていたのはほんの数秒のはずだが、私の右手には腐臭がべったりと染み付いてしまった。
あわてて手洗い場に直行し、大量に液体石鹸をつけて洗い流したが、一向に臭いはとれない。
私はべそをかきながら、先生に助けを求めにいく。
「センセ〜! 手ぇくさなった〜!」
いかんせん幼児なので、状況を順をおって説明する能力はない。
「ええ? なんでそんなくさなったん?」
先生、困惑。
たしかに幼児の右手からかなりの悪臭が放たれている。
「ザリガニしんどった〜!」
「???」
記憶はそこまでである。
続きがないところから考えると、まあ、しばらくしたら臭いはとれたのだろう。
幼稚園の先生も大変である。
思い出してみると申し訳なさでいっぱいになる。
幼児に接する機会には、なるべくめんどくさがらずに話を聴くよう心がけることが、今私にできる唯一の恩返しか。。。
なぜこんなタイミングで思い出したのか、意味不明なことも多々あるが、表層意識では計り知れない何らかの繋がりがあるのかもしれない。
先日、コーヒーを飲んでいたら、いきなり幼児の頃の「臭い思い出」がよみがえってきた。
コーヒーの「香り」に刺激されたのかもしれないが、全く正反対の悪臭の記憶である。
情景からすると、幼稚園の頃のはずだ。
私は母方の祖父母宅から通える保育園に2年、幼稚園に1年行った後、自宅から通う小学校に入った。
保育園と幼稚園はさほど遠くない別の場所にあり、建物や園庭の様子が違っているので、記憶の情景からどちらのことか判別できる。
幼児の私はその日、園庭の隅にある側溝付近で遊んでいたとき、浅く流れる水の中に小さなザリガニを見つけた。
とっさに手を伸ばすと、あっさりつかまえられた。
喜んで持ち上げてみると、ぐんにゃりして全く動かない。
なんのことはない、死んでいたのだ。
がっかりした瞬間、鼻を突く悪臭が襲ってきた。
「くさっ!!」
私は反射的にザリガニを投げ出した。
水棲生物の水中死体が放つ悪臭は、凶悪である。
田舎の子供は、生育歴のどこかでそれを手酷く体験し、無闇に触ることの危険を学ぶ。
私にとってはまさにその体験の瞬間だった。
触れていたのはほんの数秒のはずだが、私の右手には腐臭がべったりと染み付いてしまった。
あわてて手洗い場に直行し、大量に液体石鹸をつけて洗い流したが、一向に臭いはとれない。
私はべそをかきながら、先生に助けを求めにいく。
「センセ〜! 手ぇくさなった〜!」
いかんせん幼児なので、状況を順をおって説明する能力はない。
「ええ? なんでそんなくさなったん?」
先生、困惑。
たしかに幼児の右手からかなりの悪臭が放たれている。
「ザリガニしんどった〜!」
「???」
記憶はそこまでである。
続きがないところから考えると、まあ、しばらくしたら臭いはとれたのだろう。
幼稚園の先生も大変である。
思い出してみると申し訳なさでいっぱいになる。
幼児に接する機会には、なるべくめんどくさがらずに話を聴くよう心がけることが、今私にできる唯一の恩返しか。。。