学生時代ぐらいまではけっこう研鑽していたこれらの「夢の技術」だが、残念ながら今はもうあまり出来ない。
夢をコントロールするには、目覚めている間も夢のことを頭のどこかで考え続けていることが大切だ。
普段から夢を意識していることで、夢の中のやや散漫な心の状態の中でも「これは夢だ」と自覚し、行動できるようになる。
しかし、そのような意識状態を現実世界で保てるのは、せいぜい暇な学生時代までだ。
現実の生活が重みを持ち、社会に出て働くようになると、そんな「夢うつつ」の状態でいられなくなるのは当たり前のことだ(笑)
もし私が原始社会に生まれていたら、夢を操る呪術師になっていたかもしれない。
たぶんそうした素養は、少しはあったと思う。
そう言えば、口の中から「舎利」が出てきたこともあったっけ。
生まれる時代がもっと早ければ、「播磨の国の絵仏師、口中より舎利の出でたること」などという説話の主人公になっていたりして。
いや、それ以前に幼少時は弱視だったので、医療の行き届かない時代に生まれていれば琵琶法師になっていたかもしれない……
しかしながら、ここは日本であり、今は21世紀である。
近代医療と国民皆保険の恩恵を受け、幸いにも私はごく普通の健康な暮らしに恵まれた。
そしてこの国には、いくら素養があっても、真っ当な呪術師を育てたり、受け入れたりする文化はもう存在しない。
夢と現実の比重が大きく夢の方に傾いてしまえば、現代の社会・文化の在り様の中では、「心の病」に分類されてしまう。
さもなければ、エキセントリックな芸術家か、はたまた胡散臭い霊能者か。
いずれにしてもまともには生活できない。
今更インチキ臭い占い師になるつもりはないし、ネット上でしたり顔のスピリチュアル導師を気取るつもりもない。
今の私にできることは、せいぜい絵描きとしての「夢の記録」ぐらいである。