毎年じわじわ作り続けているおりがみ雛人形シリーズ。
今年も小道具を一つ作ってみました。
これまでのまとめはこちら。
桃の花をさした花かごです。
おり方は、以下の本に載っています。
(雛人形関連のおり方がワンセット載っていて、とても良い本なのですが、今ちょっとamazonで古書価格の表示が高いですね。しばらく「待ち」でもいいかもしれません)
●「おりがみ歳時記(春)」河合豊彰(保育社)
本には桃の花のおり方まで載っていますが、今回は星形の小型パンチで桃色の和紙を打ち抜いて代用しています。
なぜなら、小さすぎるから!
9年前にスタートしたお雛様がそもそも小さかったので、小道具類も小さくせざるをえないのです。
今となってみると、視力がけっこうキツい……
2016年03月03日
2016年03月04日
百太郎の息子
夢を見た。
おれは友人と二人組で、祠のある洞窟を探索している。
手には「百太郎の父」という御守りを持っている。
小型の万華鏡のような木の筒で、中を覗くと手描きの顔と神歌が見える。
覗く度に顔や神歌は変化し、この先の道行きへの示唆を与えてくれる。
目指す洞窟までの道のりは非常に入り組んでいて、ただ一直線に進めば良いというものではない。
霊的なバリヤーや罠が各所に仕掛けてあり、よほど用心しないと堂々巡りをさせられてしまう。
おれは「百太郎の父」を信頼しているのだが、霊的な囲みを突破するためにあえて遠回りする指示も多々あるため、友人は反対ばかりしてくる。
友人の妨害で中々指示通りに動けず、堂々巡りが続く。
だんだん「百太郎の父」の指示も切迫してきて、表情が恐ろしいものに変わってくる。
おれはだんだん覗くのが怖くなってくる。
おれは友人と二人組で、祠のある洞窟を探索している。
手には「百太郎の父」という御守りを持っている。
小型の万華鏡のような木の筒で、中を覗くと手描きの顔と神歌が見える。
覗く度に顔や神歌は変化し、この先の道行きへの示唆を与えてくれる。
目指す洞窟までの道のりは非常に入り組んでいて、ただ一直線に進めば良いというものではない。
霊的なバリヤーや罠が各所に仕掛けてあり、よほど用心しないと堂々巡りをさせられてしまう。
おれは「百太郎の父」を信頼しているのだが、霊的な囲みを突破するためにあえて遠回りする指示も多々あるため、友人は反対ばかりしてくる。
友人の妨害で中々指示通りに動けず、堂々巡りが続く。
だんだん「百太郎の父」の指示も切迫してきて、表情が恐ろしいものに変わってくる。
おれはだんだん覗くのが怖くなってくる。
2016年03月05日
犬の気持ち
夢を見た。
とにかく犬の気持ちになってみないとはじまらない。
ということで、校門から駅まで四つん這いで帰ることになった。
アスファルトやコンクリート舗装が、両手両膝をゴツゴツザラザラと削る。
痛い。
母親に連れられた乳幼児がよたよた歩いている。
目線の高さが同じのオレに反応し、喜んで「あう〜」とか言いながらにじり寄ってくる。
うるさい。
オレにかまうな。
重大な用事の途中なのだ。
何とかしろと母親を見るが、ママ友とのおしゃべりに夢中で気付いていない。
オレは犬らしく道路端を通っているのだが、すぐ横は1メートルほどの段差で、下は田んぼになっている。
乳幼児はアホなので「あぶないなあ、落ちそうだなあ」と危機感を持っていると、案の定足を踏み外す。
あぶない!
とっさに両手を伸ばして抱きとめる。
しまった。
犬なのに手を出してしまった。
アホな乳幼児とアホな母親のせいで、大変無念なことになってしまった。
ようやく異変に気付いた母親が駆け寄ってくる。
礼などを言われるが、オレは犬なのでわからないし、無関係だ。
はやく向こうへ行け。
乳幼児は犬であるオレが気に入ってしまったらしく、隣をよたよた歩きたがる。
非常に不本意である。
犬のオレのしぐさを真似て、あちこちの草を嗅ぎまわったり、電柱にこだわったりしている。
アホなので、土を口に入れたりしている。
オレは犬とは言ってもあくまでフリなので、そんな汚いことはしない。
曲がり角の地蔵の所にさしかかる。
いつのまにか地蔵の数が増えており、中には明らかにプラモが混じっている。
仏像のプラモというのは前から欲しかったのだが、ここに混入しているものはあまりデキが良くない。
こんなのなら要らない。
古い街道筋で、左手が墓場になっている。
墓場は最近リニューアルされて現代風になった。
なんだか小奇麗な公園みたいで、ペラペラな感じだ。
鐘もクリスマスベルみたいだ。
こんな墓には入りたくない。
ただ、入口付近の舗装は気に入った。
一見普通のアスファルトだが、非常に柔らかく、手にも膝にもフワフワと優しい。
風呂場のマットの冷たくないやつみたいだ。
オレより先に犬として出発した友人たちも、みんなこの舗装の虜になってゴロゴロたむろしている。
とにかく犬の気持ちになってみないとはじまらない。
ということで、校門から駅まで四つん這いで帰ることになった。
アスファルトやコンクリート舗装が、両手両膝をゴツゴツザラザラと削る。
痛い。
母親に連れられた乳幼児がよたよた歩いている。
目線の高さが同じのオレに反応し、喜んで「あう〜」とか言いながらにじり寄ってくる。
うるさい。
オレにかまうな。
重大な用事の途中なのだ。
何とかしろと母親を見るが、ママ友とのおしゃべりに夢中で気付いていない。
オレは犬らしく道路端を通っているのだが、すぐ横は1メートルほどの段差で、下は田んぼになっている。
乳幼児はアホなので「あぶないなあ、落ちそうだなあ」と危機感を持っていると、案の定足を踏み外す。
あぶない!
とっさに両手を伸ばして抱きとめる。
しまった。
犬なのに手を出してしまった。
アホな乳幼児とアホな母親のせいで、大変無念なことになってしまった。
ようやく異変に気付いた母親が駆け寄ってくる。
礼などを言われるが、オレは犬なのでわからないし、無関係だ。
はやく向こうへ行け。
乳幼児は犬であるオレが気に入ってしまったらしく、隣をよたよた歩きたがる。
非常に不本意である。
犬のオレのしぐさを真似て、あちこちの草を嗅ぎまわったり、電柱にこだわったりしている。
アホなので、土を口に入れたりしている。
オレは犬とは言ってもあくまでフリなので、そんな汚いことはしない。
曲がり角の地蔵の所にさしかかる。
いつのまにか地蔵の数が増えており、中には明らかにプラモが混じっている。
仏像のプラモというのは前から欲しかったのだが、ここに混入しているものはあまりデキが良くない。
こんなのなら要らない。
古い街道筋で、左手が墓場になっている。
墓場は最近リニューアルされて現代風になった。
なんだか小奇麗な公園みたいで、ペラペラな感じだ。
鐘もクリスマスベルみたいだ。
こんな墓には入りたくない。
ただ、入口付近の舗装は気に入った。
一見普通のアスファルトだが、非常に柔らかく、手にも膝にもフワフワと優しい。
風呂場のマットの冷たくないやつみたいだ。
オレより先に犬として出発した友人たちも、みんなこの舗装の虜になってゴロゴロたむろしている。
2016年03月06日
橋の通学路
夢を見た。
有名な一級河川沿いに下る。
最近整備されたばかりの真新しい道が通っているが、所々工事中で行き止まりになっている。
川沿いの村の生活道路や庭先に迂回して進む。
農家の人が「余所者がブラブラしてかなわん」と言っているのが聞こえてくる。
しばらく進むと、有名な大橋が見えてくる。
大橋と並行して、緑色で鉄製の、細い歩行者専用橋が掛っている。
歩道橋もそれなりに頑丈な造りなのだが、川幅があまりにも広いため、それに比べるといかにも弱弱しく見える。
山奥の吊り橋のような頼りなさだ。
それはそれでスリルがあって面白いかもしれないと、さっそく渡ってみる。
手すりにつかまりながら怖々渡る。
橋は斜めになったり急に広がったりしている。
数十メートル下の水面は、もし落ちればコンクリートと同じなので助からない。
緊張感にドキドキする。
しばらく進むと、急に橋が狭くなり、手すりには棘が生えていて、途方に暮れる。
これでは横半身になっても棘に引っかかってすり抜けられない。
どうしようか迷っていると、向こう側から地元の高校生がホフク前進でやってきた。
通学中のようだ。
なるほど、そういう風に渡るのか。
しばらくホフク前進する。
やがて橋はグニャグニャのチューブみたいな手触りになってくる。
どうやらビルの非常脱出ホースのようなものらしい。
下を覗くと、はるか先にヘリポートのような二重丸印の巨大なクッションがある。
飛び込んで滑り下りろということか。
チューブ橋は風に大きく揺れており、ちゃんとクッションの上に着地できるか心許ない。
でもまあ、これは夢だから死ぬことは無いだろう。
思い切って飛び込む。
チューブ橋もクッションまでの落下距離も物凄く長く、おしっこが漏れそうになる。
なんとか無事、二重丸に着地できたが、足にビビビビビビと衝撃が走る。
意外と痛い。
夢なのに。
有名な一級河川沿いに下る。
最近整備されたばかりの真新しい道が通っているが、所々工事中で行き止まりになっている。
川沿いの村の生活道路や庭先に迂回して進む。
農家の人が「余所者がブラブラしてかなわん」と言っているのが聞こえてくる。
しばらく進むと、有名な大橋が見えてくる。
大橋と並行して、緑色で鉄製の、細い歩行者専用橋が掛っている。
歩道橋もそれなりに頑丈な造りなのだが、川幅があまりにも広いため、それに比べるといかにも弱弱しく見える。
山奥の吊り橋のような頼りなさだ。
それはそれでスリルがあって面白いかもしれないと、さっそく渡ってみる。
手すりにつかまりながら怖々渡る。
橋は斜めになったり急に広がったりしている。
数十メートル下の水面は、もし落ちればコンクリートと同じなので助からない。
緊張感にドキドキする。
しばらく進むと、急に橋が狭くなり、手すりには棘が生えていて、途方に暮れる。
これでは横半身になっても棘に引っかかってすり抜けられない。
どうしようか迷っていると、向こう側から地元の高校生がホフク前進でやってきた。
通学中のようだ。
なるほど、そういう風に渡るのか。
しばらくホフク前進する。
やがて橋はグニャグニャのチューブみたいな手触りになってくる。
どうやらビルの非常脱出ホースのようなものらしい。
下を覗くと、はるか先にヘリポートのような二重丸印の巨大なクッションがある。
飛び込んで滑り下りろということか。
チューブ橋は風に大きく揺れており、ちゃんとクッションの上に着地できるか心許ない。
でもまあ、これは夢だから死ぬことは無いだろう。
思い切って飛び込む。
チューブ橋もクッションまでの落下距離も物凄く長く、おしっこが漏れそうになる。
なんとか無事、二重丸に着地できたが、足にビビビビビビと衝撃が走る。
意外と痛い。
夢なのに。
2016年03月07日
怨霊テスト
夢を見た。
古代遺跡のような場所。
集団でテストを受ける。
小学校時代の同級生もいる。
テストを受けている間にも、頻繁に地震が起こる。
遺跡に封じられた怨霊が暴れているらしい。
焼け焦げたように黒い石像がたくさん並んでいる。
何か様々な動物のような形状をしており、大きさはさほどでもないが、それぞれが怨霊の依り代になっていると分かる。
小学生の頃の同級生とともに、懸命になって祝詞を唱える。
この同級生が祝詞を知っているのが意外だったが、昔から優秀で、私にできるようなことは何でもできていたことを思い出す。
学んだ流派が違うのか、祝詞が微妙に違っており、完全には唱和できない。
こんな状態で怨霊を鎮めることができるのか不安になるが、ただ懸命に唱える。
するとこちらの誠意は伝わったのか、石像が「もういい、下に落とせ」としゃべる。
戸惑っていると、
「いいから落として砕け」
と命令してくる。
同級生と話し合った結果「言うとおりにしてやろう」と決まり、二人で協力して石像を順に下に落としていく。
次々と落下した石像は、粉々に砕けていく。
どうやらこれで、石像に封印されていた怨霊が、浄化・解放されていくらしい。
一安心かと思いきや、遺跡の窪んだ所にある「明堂」にあたる部分に、一番強力な霊が封印されていると分かってくる。
地震がますます酷くなってくるが、「明堂」だけは下手にいじると取り返しがつかないので、受験生はみんなためらう。
受験生の中には経験豊富な「師匠」がいて、それなら自分が試してみようと、ロープを伝って明堂に下りる。
何か手伝えることがあればいいと、自分も含めて何人かが後に続く。
明堂の周囲は膝くらいまで水にが溜まっており、巨大なフナムシや、変わった形の亀がたくさんいる。
優秀な同級生は、邪魔なフナムシをつかみあげては遠方へ投げ捨てている。
自分はこういうのはちょっと苦手なので、顔をそむけている。
古代遺跡のような場所。
集団でテストを受ける。
小学校時代の同級生もいる。
テストを受けている間にも、頻繁に地震が起こる。
遺跡に封じられた怨霊が暴れているらしい。
焼け焦げたように黒い石像がたくさん並んでいる。
何か様々な動物のような形状をしており、大きさはさほどでもないが、それぞれが怨霊の依り代になっていると分かる。
小学生の頃の同級生とともに、懸命になって祝詞を唱える。
この同級生が祝詞を知っているのが意外だったが、昔から優秀で、私にできるようなことは何でもできていたことを思い出す。
学んだ流派が違うのか、祝詞が微妙に違っており、完全には唱和できない。
こんな状態で怨霊を鎮めることができるのか不安になるが、ただ懸命に唱える。
するとこちらの誠意は伝わったのか、石像が「もういい、下に落とせ」としゃべる。
戸惑っていると、
「いいから落として砕け」
と命令してくる。
同級生と話し合った結果「言うとおりにしてやろう」と決まり、二人で協力して石像を順に下に落としていく。
次々と落下した石像は、粉々に砕けていく。
どうやらこれで、石像に封印されていた怨霊が、浄化・解放されていくらしい。
一安心かと思いきや、遺跡の窪んだ所にある「明堂」にあたる部分に、一番強力な霊が封印されていると分かってくる。
地震がますます酷くなってくるが、「明堂」だけは下手にいじると取り返しがつかないので、受験生はみんなためらう。
受験生の中には経験豊富な「師匠」がいて、それなら自分が試してみようと、ロープを伝って明堂に下りる。
何か手伝えることがあればいいと、自分も含めて何人かが後に続く。
明堂の周囲は膝くらいまで水にが溜まっており、巨大なフナムシや、変わった形の亀がたくさんいる。
優秀な同級生は、邪魔なフナムシをつかみあげては遠方へ投げ捨てている。
自分はこういうのはちょっと苦手なので、顔をそむけている。
2016年03月08日
教育ハケン
夢を見た。
中国の中学校に教師日本代表としてハケンされる。
中国語ができないので無理があるのだが、日本代表なので頑張らなくてはならない。
自分の担当をしてくれる中国側の先生を紹介される。
小柄で禿げ頭の年寄りだが、元気のいい先生だ。
親日家で柔道の高段者、雰囲気としてはどこかの現場監督みたいに見える。
さっそく校長室に案内される。
途中で通りかかった生徒用の靴箱の所に、何か張り紙がある。
中国語の分からない自分にも、漢字の雰囲気で大体の意味は読みとれる。
「この学校に『妖深』を仕掛けてやった。ざまあみろ」
などと書かれているらしい。
最近はどこの国でも生徒が荒れているようだ。
担当の年寄り先生は張り紙を無視しているので、大して実害は無いのかもしれない。
案内されるままに校長室に入ると、中では何人も先生が倒れており、おかしな臭いが鼻をついた。
紐の付いた銅製の壺のようなものが投げ込まれており、光りながら黄色い煙を噴き出している。
毒性のある香料のようなものらしい。
これが「妖深香」か。
なかなかのワルがいるようだ。
年寄り先生が、現場を見るなり戦闘準備を開始する。
自分にも、銅製の工芸品のような立派な面が渡される。
これは○×兄弟という名職人が作ったもので、二人はこの学校の先生もやっており、職員には特別に支給されるのだと説明を受ける。
年寄り先生は柔道着に着替え、面をつけて、一人さっさと出撃してしまう。
戦闘は各自の判断でそれぞれ好きにやってくれということらしい。
なかなか自分向きの教育方針だ。
気に入った。
とりあえず武器を調達しようと廊下に出る。
棒を振り回しながら窓ガラスを割っている女生徒がいたので、後ろから蹴りあげて棒を奪う。
あたりをうかがうと、階段を小型キャタピラのようなものに乗り、木刀を振りかざしながら下りてくるバカがいた。
なるべく使い慣れた武器がいいので、手にした棒をブーメランのように回転投げにしてそいつに当て、木刀を奪う。
やはり使い慣れた木刀は手になじむ。
水を得た魚のような気分で階段を駆け上ると、アヒルだか白鳥だかの首を振り回しながら暴れている奴がいる。
木刀で受けても首が折れ曲がってこちらの頭部をやられる恐ろしい武器だ。
受けにまわると厄介なので、先手を打って撃退する。
まわりにはアヒルの首だの馬の太股だのがばらばら散らばっている。
廊下を戦車に乗って暴走してくる奴がいる。
木刀では埒があかないので、馬の太股を拾い上げて操縦室に投げ込む。
中でパニックが起こっている隙を突き、木刀を突っ込んで掻き回す。
だんだんこの学校の雰囲気がわかってきた。
凄く楽しい。
中国の中学校に教師日本代表としてハケンされる。
中国語ができないので無理があるのだが、日本代表なので頑張らなくてはならない。
自分の担当をしてくれる中国側の先生を紹介される。
小柄で禿げ頭の年寄りだが、元気のいい先生だ。
親日家で柔道の高段者、雰囲気としてはどこかの現場監督みたいに見える。
さっそく校長室に案内される。
途中で通りかかった生徒用の靴箱の所に、何か張り紙がある。
中国語の分からない自分にも、漢字の雰囲気で大体の意味は読みとれる。
「この学校に『妖深』を仕掛けてやった。ざまあみろ」
などと書かれているらしい。
最近はどこの国でも生徒が荒れているようだ。
担当の年寄り先生は張り紙を無視しているので、大して実害は無いのかもしれない。
案内されるままに校長室に入ると、中では何人も先生が倒れており、おかしな臭いが鼻をついた。
紐の付いた銅製の壺のようなものが投げ込まれており、光りながら黄色い煙を噴き出している。
毒性のある香料のようなものらしい。
これが「妖深香」か。
なかなかのワルがいるようだ。
年寄り先生が、現場を見るなり戦闘準備を開始する。
自分にも、銅製の工芸品のような立派な面が渡される。
これは○×兄弟という名職人が作ったもので、二人はこの学校の先生もやっており、職員には特別に支給されるのだと説明を受ける。
年寄り先生は柔道着に着替え、面をつけて、一人さっさと出撃してしまう。
戦闘は各自の判断でそれぞれ好きにやってくれということらしい。
なかなか自分向きの教育方針だ。
気に入った。
とりあえず武器を調達しようと廊下に出る。
棒を振り回しながら窓ガラスを割っている女生徒がいたので、後ろから蹴りあげて棒を奪う。
あたりをうかがうと、階段を小型キャタピラのようなものに乗り、木刀を振りかざしながら下りてくるバカがいた。
なるべく使い慣れた武器がいいので、手にした棒をブーメランのように回転投げにしてそいつに当て、木刀を奪う。
やはり使い慣れた木刀は手になじむ。
水を得た魚のような気分で階段を駆け上ると、アヒルだか白鳥だかの首を振り回しながら暴れている奴がいる。
木刀で受けても首が折れ曲がってこちらの頭部をやられる恐ろしい武器だ。
受けにまわると厄介なので、先手を打って撃退する。
まわりにはアヒルの首だの馬の太股だのがばらばら散らばっている。
廊下を戦車に乗って暴走してくる奴がいる。
木刀では埒があかないので、馬の太股を拾い上げて操縦室に投げ込む。
中でパニックが起こっている隙を突き、木刀を突っ込んで掻き回す。
だんだんこの学校の雰囲気がわかってきた。
凄く楽しい。
2016年03月09日
山姥
夢を見た。
終わらない本を読んでいる。
劇団で紹介してもらったバイトをしている。
ドラマのエキストラだ。
大した役ではないのだが、何度も撮り直しをしている。
現場にお偉方の年配女性がいて、目をつけられてしまい、何かと絡まれる。
腹に据えかねて女性を蹴りあげ、ついでに不倫行為を暴露して現場を台無しにしてしまう。
あまりの爆弾発言に、現場では人がバタバタ倒れ、年配女性も気絶してしまう。
まずいことになった。
おれはその場から逃走する。
美少年が逃げ道を教えてくれる。
年配女性の息子だそうで、そう言えば顔が似ている。
あの女性も若い頃は美人だったのだろうなと呑気に考える。
美少年が自分も連れて行ってくれと言う。
前から母親から逃げたかったのだそうだ。
女性が気付く前に一緒に逃げる。
険しい山道をどんどん登る。
ひどい道がいつまでも続く。
下では年配女性が正気に返り、息子がいないのに気付いて追ってくる。
おれと少年が一緒に逃げていると知れば、怒りは倍加するに違いない。
命からがら山道を登るが、年配女性が凄まじいスピードで追いついてきて、背後に迫ってくる。
恐怖を感じながらも「出口」を見つけ、少年の尻を押して先に逃がす。
おれの姿に半狂乱になる女性を蹴落とし、自分も出口を潜って、岩で塞ぐ。
これでしばらくは大丈夫だろう。
しかし長くは保たない。
山道はどこまでも続く本棚に変わっている。
おれと少年は、本棚を梯子のように延々上り続ける。
いつになったらこの本は終わるのだろう。
終わらない本とはいえ、本である限りはページ数に限界があるはずだ。
ストーリーが行きつくところまで行っていないから苦しいのであって、もう少し進めば読むのを中断できるのではないか。
作者もどこかでそのように書いていた覚えがある。
おれは不意に、年配女性が自分の前世の妻であったことを思い出す。
すると少年は自分の息子にあたるのか。
どうりで終わらないはずだと悟る。
岩を突破した女性が、また死に物狂いの形相で追ってくる。
今となっては憐れみも感じたが、少年と協力して何度も撃退する。
自分たちも本棚を踏み外し、本を散乱させながら、延々上り続ける。
ああ、こうしていつまでも苦しまなければならないのだなと悟ると、かえって気持ちに余裕が出てくる。
本棚の中に前から探していた本を見つけて、読みながら逃走するゆとりが出てくる。
またいつの間にか山道になっている。
古木の連続する深い山道だ。
古木からはくすんだ金色の粉っぽい樹液が流れ出ている。
一種の病気なのだが、この病原体を持っているおかげで、古木はこれから何百年も枯れずにこのまま生きているのだと、作者は書いている。
前世の妻であった年配女性は、今はもう老婆の容貌に変わり果て、口からはくすんだ金色の樹液を溢れさせている。
意識はもう無いようだ。
ああ、こうして山姥は生まれるのだな。
そう思った。
終わらない本を読んでいる。
劇団で紹介してもらったバイトをしている。
ドラマのエキストラだ。
大した役ではないのだが、何度も撮り直しをしている。
現場にお偉方の年配女性がいて、目をつけられてしまい、何かと絡まれる。
腹に据えかねて女性を蹴りあげ、ついでに不倫行為を暴露して現場を台無しにしてしまう。
あまりの爆弾発言に、現場では人がバタバタ倒れ、年配女性も気絶してしまう。
まずいことになった。
おれはその場から逃走する。
美少年が逃げ道を教えてくれる。
年配女性の息子だそうで、そう言えば顔が似ている。
あの女性も若い頃は美人だったのだろうなと呑気に考える。
美少年が自分も連れて行ってくれと言う。
前から母親から逃げたかったのだそうだ。
女性が気付く前に一緒に逃げる。
険しい山道をどんどん登る。
ひどい道がいつまでも続く。
下では年配女性が正気に返り、息子がいないのに気付いて追ってくる。
おれと少年が一緒に逃げていると知れば、怒りは倍加するに違いない。
命からがら山道を登るが、年配女性が凄まじいスピードで追いついてきて、背後に迫ってくる。
恐怖を感じながらも「出口」を見つけ、少年の尻を押して先に逃がす。
おれの姿に半狂乱になる女性を蹴落とし、自分も出口を潜って、岩で塞ぐ。
これでしばらくは大丈夫だろう。
しかし長くは保たない。
山道はどこまでも続く本棚に変わっている。
おれと少年は、本棚を梯子のように延々上り続ける。
いつになったらこの本は終わるのだろう。
終わらない本とはいえ、本である限りはページ数に限界があるはずだ。
ストーリーが行きつくところまで行っていないから苦しいのであって、もう少し進めば読むのを中断できるのではないか。
作者もどこかでそのように書いていた覚えがある。
おれは不意に、年配女性が自分の前世の妻であったことを思い出す。
すると少年は自分の息子にあたるのか。
どうりで終わらないはずだと悟る。
岩を突破した女性が、また死に物狂いの形相で追ってくる。
今となっては憐れみも感じたが、少年と協力して何度も撃退する。
自分たちも本棚を踏み外し、本を散乱させながら、延々上り続ける。
ああ、こうしていつまでも苦しまなければならないのだなと悟ると、かえって気持ちに余裕が出てくる。
本棚の中に前から探していた本を見つけて、読みながら逃走するゆとりが出てくる。
またいつの間にか山道になっている。
古木の連続する深い山道だ。
古木からはくすんだ金色の粉っぽい樹液が流れ出ている。
一種の病気なのだが、この病原体を持っているおかげで、古木はこれから何百年も枯れずにこのまま生きているのだと、作者は書いている。
前世の妻であった年配女性は、今はもう老婆の容貌に変わり果て、口からはくすんだ金色の樹液を溢れさせている。
意識はもう無いようだ。
ああ、こうして山姥は生まれるのだな。
そう思った。
2016年03月10日
梅の花
夢を見た。
久しぶりに里に帰る。
幼児の頃を過ごした祖父母の里だ。
低い小山がぽこぽこと連続した平野で、小山にはあまり大きな木はなく、岩肌にへばりつくように低木が茂っている。
尖った三角形の岩山から、一本梅の木が伸びている。
黒い木肌に白くて淡いピンクの花が、ぽつぽつと付いている。
よく見ると、里中あちこちで梅の花が咲き乱れている。
ああ、きれいだ。
土手を越えると、昔おばあちゃんに連れて行ってもらった村祭りの小山が見えてくる。
小山には白い幟旗が並んで、風に揺れている。
今日は祭りなのだ。
はやく行かないと。
久しぶりに里に帰る。
幼児の頃を過ごした祖父母の里だ。
低い小山がぽこぽこと連続した平野で、小山にはあまり大きな木はなく、岩肌にへばりつくように低木が茂っている。
尖った三角形の岩山から、一本梅の木が伸びている。
黒い木肌に白くて淡いピンクの花が、ぽつぽつと付いている。
よく見ると、里中あちこちで梅の花が咲き乱れている。
ああ、きれいだ。
土手を越えると、昔おばあちゃんに連れて行ってもらった村祭りの小山が見えてくる。
小山には白い幟旗が並んで、風に揺れている。
今日は祭りなのだ。
はやく行かないと。
2016年03月11日
あらためて、津波とは
本日、3月11日は東日本大震災から五年の日です。
あらためて津波について復習しておきましょう。
私はもちろん専門家ではありませんが、阪神淡路大震災の被災経験があり、また一時期(3.11以前になるが)津波被害予測の資料作成をバイトで手伝っていましたので、多少は書けることがあります。
以前投稿した記事にをベースに、まとめてみます。
---------------------
日本は世界でもまれにみる地震国だ。
四つのプレートの力が拮抗する地点に出来た細長い「でっぱり」に過ぎず、その狭い国土の中には中央構造線をはじめ、無数の活断層が毛細血管のように走りまわっている。
地震の活動期に入ったとも言われるこの列島に、時限爆弾のような原発が多数セットされている。中にはわざわざ危険で脆弱な地点を選んで造ったような原発、核関連施設も多い。
人間のサイズから見ていくら安定した地盤に見えても、沖縄や小笠原諸島、北方領土、そして地中や近海の海溝まで含めたスケールで俯瞰してみれば、それがいかに危険で愚かな行為か、感覚として分かりやすい。
世界地図上から見た場合、海外からの日本に対する視線、印象も、こうした危険極まりないものになることは想像に難くない。
こうした列島の地質的構造から、今後いくらでも巨大地震、それに伴う巨大津波は襲ってくると予想される。
地球の間借り人である人間は自然災害自体を避けることはできないが、知恵を使ってなるべく被害を少なくすることはできる。
とくにこの日本のような自然災害頻発列島にすむ人間は、もっともっと謙虚にならなければならない。
この国土に商業ベースで原発を建てるという選択は、やはりあり得ないと考える。
東日本大震災も、原発震災になってしまわなければ、復興はもっと進んでいたに違いない。
東日本大震災では、なんといっても巨大な濁流が街を飲み込んでいく大津波が恐怖を呼んだ。
沖合で巨大地震が起こると想定される沿海部では、3.11以降、津波対策の避難計画や、訓練が行われるようになってきていると思う。
避難計画が作成されること自体は大変けっこうなことで、何もされないよりははるかにマシなのだが、あまり過信してはいけないと思う。
各自治体によって計画の立て方は様々だろうが、自治体(とその発注を受けたコンサルタント会社)が作成できるのは、あくまで「その町の現状の中で、可能な範囲の避難計画」に過ぎない。
あまり想定を厳しくすると、「そもそもその町に住んでいる限りは助からない」という身も蓋もない結論になってしまう。
避難計画の前提になる想定が「考え得る最悪」ではなく「なるべく現状のままで避難計画が策定できる範囲内」に落としこまれるという、ある意味で逆転した傾向は、けっこうあると思う。
たとえば目立った高台のない海辺の漁港などでは、津波の想定を、たとえば「6メートル程度」にしておかないと、実質的に避難場所が無くなってしまう。
3.11以降はかなりシリアスに津波対策を考える土壌ができつつあると思うが、それでもいまだに、自治体側ばかりではなく、住民側にも「ことを荒立てるような被害想定」を忌避する傾向はあるだろう。
ともかく、そのように想定された津波の高さから、地図上の標高データで足し算引き算をしながら水没する地域が予測され、PCで水位別に色分けされた画像が作成されて、配布されたりもする。
しかし、そうしたマップは、あくまで「参考」程度にしておいた方が良い。
現実の津波は「ひたひたと風呂の水のように増えてくる」わけではなく、「沖から濁流となって押し寄せてくる」ので、単純に色分けして塗られた被害予測地図のようにはならない箇所も多いだろう。
河口や水路など、水を呼び込む箇所には水量が集中する。
とくに湾のような地形になっている所は、奥にいくほど大量に押し寄せた津波の水量が「すぼまる」ことによって水位は上がっていくので、要注意だ。
同じ標高でも平坦に舗装された幅の広い道路などは、宅地よりも水流が集中しやすく、流れが速くなるだろう。
海辺には地図データにあらわれていない水路や暗渠がいくらでもあるから、ふだんしっかりした地面に見えている思わぬ箇所から大量の泥水が噴出してくることも考えられる。
東日本大震災と、それに伴う津波で、かなり正しい認識が広がったことと思うが、ぜひとも憶えておかなければならないことがある。それは、
「津波は高さに関係なく、どれも危険だ」
ということだ。
たとえ数十センチであっても、決して侮ってはいけない。
津波は「波」ではなく「濁流」なのだ。
川遊びの体験があれば、いくら浅い川でも急流が危険であることは理解できるだろう。
単なる「急流」でも危険なのだが、津波の時には様々な「物」が濁った水に混じって押し流されてくる。
水深に関係なく、とにかく「水に追いつかれたらおしまい」というぐらいに認識しておいた方が良い。
更に、津波が襲ってくるのは、そこで巨大な震災が起こった直後である可能性も考えておかなければならない。
私は阪神大震災の被災者なのだが、いったん巨大地震が起こってしまうと、街の様相は一変する。
家からは瓦が、ビルからはガラスが降り注ぎ、古い木造家屋やブロック塀は次々に倒れてしまう。細い路地はほとんど通行不可能になるだろうし、幹線道路も行き場を失った車で一杯になってしまうだろう。
津波の襲来前には、そうした道路事情の中を、一刻を争いながら高台を目指さなければならないので、避難訓練の時のように簡単にはいかないはずだ。
ふだんから自分の家の周囲を注意して観察してみよう。
海辺に暮らしている場合は、強い地震があった時、津波警報が出たときには、間髪おかずに逃げなければならない。
目指すのは、可能であればできるだけ標高の高い場所。
そうでなければ鉄筋コンクリートの建物。
とくに公共施設はそれなりに堅牢に造られている場合が多い。
一階約3メートルと考えて、3階建てなら9メートル、5階建てなら15メートル。それに建っている場所の標高がプラスされるので、通常想定される10メートル以内の津波なら、十分に避難目標として使える。
「備えあれば憂いなし」という言葉はあるけれども、大地震、巨大津波に対して「憂い」が消えるほどの「備え」は、実際には存在しない。
それでも備えは必要で、もっとも大切なのは知識と想像力なのだ。
あらためて津波について復習しておきましょう。
私はもちろん専門家ではありませんが、阪神淡路大震災の被災経験があり、また一時期(3.11以前になるが)津波被害予測の資料作成をバイトで手伝っていましたので、多少は書けることがあります。
以前投稿した記事にをベースに、まとめてみます。
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日本は世界でもまれにみる地震国だ。
四つのプレートの力が拮抗する地点に出来た細長い「でっぱり」に過ぎず、その狭い国土の中には中央構造線をはじめ、無数の活断層が毛細血管のように走りまわっている。
地震の活動期に入ったとも言われるこの列島に、時限爆弾のような原発が多数セットされている。中にはわざわざ危険で脆弱な地点を選んで造ったような原発、核関連施設も多い。
人間のサイズから見ていくら安定した地盤に見えても、沖縄や小笠原諸島、北方領土、そして地中や近海の海溝まで含めたスケールで俯瞰してみれば、それがいかに危険で愚かな行為か、感覚として分かりやすい。
世界地図上から見た場合、海外からの日本に対する視線、印象も、こうした危険極まりないものになることは想像に難くない。
こうした列島の地質的構造から、今後いくらでも巨大地震、それに伴う巨大津波は襲ってくると予想される。
地球の間借り人である人間は自然災害自体を避けることはできないが、知恵を使ってなるべく被害を少なくすることはできる。
とくにこの日本のような自然災害頻発列島にすむ人間は、もっともっと謙虚にならなければならない。
この国土に商業ベースで原発を建てるという選択は、やはりあり得ないと考える。
東日本大震災も、原発震災になってしまわなければ、復興はもっと進んでいたに違いない。
東日本大震災では、なんといっても巨大な濁流が街を飲み込んでいく大津波が恐怖を呼んだ。
沖合で巨大地震が起こると想定される沿海部では、3.11以降、津波対策の避難計画や、訓練が行われるようになってきていると思う。
避難計画が作成されること自体は大変けっこうなことで、何もされないよりははるかにマシなのだが、あまり過信してはいけないと思う。
各自治体によって計画の立て方は様々だろうが、自治体(とその発注を受けたコンサルタント会社)が作成できるのは、あくまで「その町の現状の中で、可能な範囲の避難計画」に過ぎない。
あまり想定を厳しくすると、「そもそもその町に住んでいる限りは助からない」という身も蓋もない結論になってしまう。
避難計画の前提になる想定が「考え得る最悪」ではなく「なるべく現状のままで避難計画が策定できる範囲内」に落としこまれるという、ある意味で逆転した傾向は、けっこうあると思う。
たとえば目立った高台のない海辺の漁港などでは、津波の想定を、たとえば「6メートル程度」にしておかないと、実質的に避難場所が無くなってしまう。
3.11以降はかなりシリアスに津波対策を考える土壌ができつつあると思うが、それでもいまだに、自治体側ばかりではなく、住民側にも「ことを荒立てるような被害想定」を忌避する傾向はあるだろう。
ともかく、そのように想定された津波の高さから、地図上の標高データで足し算引き算をしながら水没する地域が予測され、PCで水位別に色分けされた画像が作成されて、配布されたりもする。
しかし、そうしたマップは、あくまで「参考」程度にしておいた方が良い。
現実の津波は「ひたひたと風呂の水のように増えてくる」わけではなく、「沖から濁流となって押し寄せてくる」ので、単純に色分けして塗られた被害予測地図のようにはならない箇所も多いだろう。
河口や水路など、水を呼び込む箇所には水量が集中する。
とくに湾のような地形になっている所は、奥にいくほど大量に押し寄せた津波の水量が「すぼまる」ことによって水位は上がっていくので、要注意だ。
同じ標高でも平坦に舗装された幅の広い道路などは、宅地よりも水流が集中しやすく、流れが速くなるだろう。
海辺には地図データにあらわれていない水路や暗渠がいくらでもあるから、ふだんしっかりした地面に見えている思わぬ箇所から大量の泥水が噴出してくることも考えられる。
東日本大震災と、それに伴う津波で、かなり正しい認識が広がったことと思うが、ぜひとも憶えておかなければならないことがある。それは、
「津波は高さに関係なく、どれも危険だ」
ということだ。
たとえ数十センチであっても、決して侮ってはいけない。
津波は「波」ではなく「濁流」なのだ。
川遊びの体験があれば、いくら浅い川でも急流が危険であることは理解できるだろう。
単なる「急流」でも危険なのだが、津波の時には様々な「物」が濁った水に混じって押し流されてくる。
水深に関係なく、とにかく「水に追いつかれたらおしまい」というぐらいに認識しておいた方が良い。
更に、津波が襲ってくるのは、そこで巨大な震災が起こった直後である可能性も考えておかなければならない。
私は阪神大震災の被災者なのだが、いったん巨大地震が起こってしまうと、街の様相は一変する。
家からは瓦が、ビルからはガラスが降り注ぎ、古い木造家屋やブロック塀は次々に倒れてしまう。細い路地はほとんど通行不可能になるだろうし、幹線道路も行き場を失った車で一杯になってしまうだろう。
津波の襲来前には、そうした道路事情の中を、一刻を争いながら高台を目指さなければならないので、避難訓練の時のように簡単にはいかないはずだ。
ふだんから自分の家の周囲を注意して観察してみよう。
海辺に暮らしている場合は、強い地震があった時、津波警報が出たときには、間髪おかずに逃げなければならない。
目指すのは、可能であればできるだけ標高の高い場所。
そうでなければ鉄筋コンクリートの建物。
とくに公共施設はそれなりに堅牢に造られている場合が多い。
一階約3メートルと考えて、3階建てなら9メートル、5階建てなら15メートル。それに建っている場所の標高がプラスされるので、通常想定される10メートル以内の津波なら、十分に避難目標として使える。
「備えあれば憂いなし」という言葉はあるけれども、大地震、巨大津波に対して「憂い」が消えるほどの「備え」は、実際には存在しない。
それでも備えは必要で、もっとも大切なのは知識と想像力なのだ。
2016年03月12日
夢と私の同行二人
昨年から断続的にアップしてきた、絵と文章による夢のスケッチ、これにて一段落である。
十年前のブログ開設当初から、いずれ発表したいと考えていたテーマなので、やっと肩の荷がおりた気がする。
手元にはまだ多くの材料が残っているが、ネットで公開できるものは自ずと限られる。
またいずれ、蓄積や熟成が進めば、まとまった数をアップできるかもしれない。
それぞれの夢の中の私は、人格的な連続性はあるが、現実とはまた違う人生を送っているようだ。
よく似ている場合はあるが、現実と全く同じである場合はむしろ少ないと思う。
現実世界や日常生活に近い夢はネタとして弱いものが多いので、そもそも記録に残していないのだ。
だからこのカテゴリでアップした夢の中の経歴や境遇は、現実の私とは重ならない場合が多い。
重ならないからこそ、作品として公開しやすい面もある。
夢のコントロールはあまりできなくなったが、夢に教えられたと感じることは今でも多い。
絵や文章のイメージを夢から持ち帰ることはよくある。
普段すっかり忘れてしまっていた古い記憶が、夢を通してよみがえってくることもある。
昔懐かしいことがらや、二度と会えない人物とのやりとりが夢の中で再現されると、目覚めたあともしばらく余韻に浸ってしまう。
中でも亡くなった人との対話は、夢とは言え本当にありがたいと、その夢を見せてくれた「何者か」に、手を合わせたい気分になる。
悪夢も、夢である限りは、私にとって特別あつらえの表現、救いなのかもしれない。
私は今後も、自身の夢の記録者でありつづけようと思っている。
あまりこだわりすぎないように、気を付けながら……
夢と道連れ、同行二人。
怪しき夢路は果てなく続く。
十年前のブログ開設当初から、いずれ発表したいと考えていたテーマなので、やっと肩の荷がおりた気がする。
手元にはまだ多くの材料が残っているが、ネットで公開できるものは自ずと限られる。
またいずれ、蓄積や熟成が進めば、まとまった数をアップできるかもしれない。
それぞれの夢の中の私は、人格的な連続性はあるが、現実とはまた違う人生を送っているようだ。
よく似ている場合はあるが、現実と全く同じである場合はむしろ少ないと思う。
現実世界や日常生活に近い夢はネタとして弱いものが多いので、そもそも記録に残していないのだ。
だからこのカテゴリでアップした夢の中の経歴や境遇は、現実の私とは重ならない場合が多い。
重ならないからこそ、作品として公開しやすい面もある。
夢のコントロールはあまりできなくなったが、夢に教えられたと感じることは今でも多い。
絵や文章のイメージを夢から持ち帰ることはよくある。
普段すっかり忘れてしまっていた古い記憶が、夢を通してよみがえってくることもある。
昔懐かしいことがらや、二度と会えない人物とのやりとりが夢の中で再現されると、目覚めたあともしばらく余韻に浸ってしまう。
中でも亡くなった人との対話は、夢とは言え本当にありがたいと、その夢を見せてくれた「何者か」に、手を合わせたい気分になる。
悪夢も、夢である限りは、私にとって特別あつらえの表現、救いなのかもしれない。
私は今後も、自身の夢の記録者でありつづけようと思っている。
あまりこだわりすぎないように、気を付けながら……
夢と道連れ、同行二人。
怪しき夢路は果てなく続く。