2016年03月13日

「夢」と「作品」の間

 実際に見た夢と、作品として公開した夢の間には、当然ながら差異がある。
 作品化されるまでに、いくつかの手順を経る以上、それは避けられない。
 まとめてみると、以下のような段階がある。

1、睡眠中に見る夢
2、覚めた瞬間の夢の記憶
3、メモやスケッチによる速記
4、時間をおいて文章化、イラスト化
5、公開条件によって推敲

 どの段階でも差異は生じるが、とくに2と3の間で大きく変化せざるをえない。
 現実という、一見確固としたものの記録ですら、どうしようもなく書き手の主観、創作の要素は混入する。
 ましてや素材は夢である。
 現実よりも散漫でとらえがたい夢というものを、絵や文章という形に固定化するということは、その時点ですでに「創作」だ。

 そして4の段階では、それなりの表現の技術が必要になる。
 元の夢の雰囲気になるべく近く、あまりいじりすぎないように留意すること自体が、けっこう難易度の高い創作技術なのだ。
 
 一旦出来上がった作品を、公開する媒体に応じて取捨選択し、推敲しなおすことも欠かせない。
 ネットで公開する場合は、自分の意思とは無関係に拡散されることも想定に入れなければならないので、自己検閲のレベルはかなり厳しくなる。
 4で作品化までできていながら、このカテゴリでアップしていないものや、部分的に削除しているものも、いくつかある。

 1〜5まで含めて、トータルで調整が必要で、それは他の創作活動と変わらない。
 だから3の「個人的な記録」の範囲を越えて、4〜5の公開までを考えるなら、かなり技術や判断力が必要になってくる。

 しょせん夢物語とはいえ、あんまりぼんやりとはしていられないのである(笑)

 夢は、覚めているときの私の意識より、広大で不可解な領域からやってくる。
 私が私に宛てた特別あつらえの表現であると見ることもできる。
 それを受け取った普段の私が、現実世界の他者にむけて「翻訳」したのが、「作品化された夢」ということになるだろう。
 現在の私は、昔探求していた夢見の技術そのものより、無意識の領域からやってくる表現を、現実世界で作品化する過程の不思議さ、面白さに関心が向いているのだ。
posted by 九郎 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする