

2016年04月18日
2016年04月29日
難読の壁
数日前、二度目の生ョ範義展に行ってきた。
会場最寄の明石駅で降りると、高架のホームのお城側に、「ようこそ明石へ」と跳び跳ねる鯛の看板が目に飛び込んでくる。
高校生の頃、アホな友人たちと明石で遊んだとき、「いつかあの鯛とったろ!」とか、意味不明のホラ話で盛り上がっていたことを、ふと思い出す。
その「いつか」が来なくて本当に良かった……
などと考えながら、十分ほどブラブラ歩くと、会場の文化博物館に着く。
平日のせいか、ものすごく空いている。
というか、前回の初日土曜日も、ものすごく空いていた。
せっかく「世界のオーライ」生誕の地の凱旋展覧会なので、あまり不景気なことは書かないでおこうかとも思っていたのだが、やっぱり書く。
おれが行った二回とも、はっきり書くと、会場には数えられるぐらいしか人がいなかった。
たまたまおれが混雑に当たらなかったのかもしれないが、twitter等の感想でも「会場ガラガラ」という書き込みが、けっこうある。
今日からGWがはじまるので、一気に客足が増えていてくれると良いのだが、どうなっているだろうか。
おれ個人としては、ガラガラでも全くかまわず、むしろありがたい。
なにしろ、展示内容は本当に素晴らしいのだ。
思い入れのある極上の生ョイラストの原画約170点を、ほとんど貸しきりのような感じで、一点一点じっくりなめるように鑑賞できるのだ。
絵を観るにあたっては、はなれたり接近したり様々な距離でフットワーク軽く鑑賞したくなるものだが、それも自由自在。
たとえば、日本で異様に人気の高い印象派の有名どころの展覧会だと、こうはいかない。
満員電車さながらの混雑の中、流れに従って作品の前をスローペースで通過することしかできず、せっかくの実物との対面にも、物足りない思いが残ることが多い。
だから、ごく年若い頃から大好きだった画家の作品を、これだけ独占的にねぶり上げるように鑑賞できるなんて本当に贅沢な時間で、こんな機会は人生の中でも何度もないことだろう。
個人的には、会期中この状態が続いてくれることが望ましい。
しかし。
もったいないのである。
この素晴らしい展示は、もっともっとたくさんの人が詰めかけるべき価値がある。
今の状態は、どう考えても適正ではない。
なぜなのか?
会期が始まる前からうすうす感じていたのだが、宣伝や広報が上手く機能していないのではないかと思う。
ならば。
微力ながらこのおれが、ブログでしばらく関連記事を連発してみようではないか!
意識的に絵を描き始めた高校生の頃、生ョ範義の円熟期に居合わせた。
本や雑誌を飾る豪華絢爛な表紙絵を見て、「おれもこんな風に描きたい!」と志した。
同じリキテックス絵の具を買い込み、生ョイラストを観て、考えて、真似た。
もちろん田舎の高校生風情が、同じ画材で模倣したところで「こんな風」には描けるはずもない。
それでもできることから一手、また一手と真似るうちに、いくらかの技術はおれの筆にも宿ってくれるようになった。
とにかく枚数を描いて地力をつけるべき時期に、極上のテクニックを持ったイラストレーターに憧れ、ぶつかったことは幸運だった。
そして今まで、どうにかこうにか絵を描くことと関わり続けてくることができた。
わずかなりともご恩返しをせねばなるまい。
生ョ範義を人に紹介する場合、まず最初にぶつかるのは「難読の壁」だ。
ルビなしの状態で「おおらいのりよし」と正しく読める人は、まずいない。
読める人はすなわち、生ョ範義ファンであるということになるので、最初から宣伝の必要がない。
しかし!
名前を知る人、読める人が少ないことと反対に、生ョ範義の絵そのものを見たことがある人は、おそらく膨大な数に上る。
日本在住で、70年代から90年代に本を読んでいた人、映画を観ていた人なら、誰でも一度は表紙絵やポスター等でその作品を見たことがあるはずだ。
そして、「すごい!」「うまい!」「濃い!」「強烈!」等の、なんらかの強い印象を受けた経験があるはずなのだ。
ところが、それが誰の絵であったかということになると、生ョ範義という名前と結び付かないのだ。
実を申せばこのおれも、高校生の頃、文庫本のカバーをめくって「生ョ範義」という漢字を目にしてから一年間ぐらい、読み方がわからなかった。
今なら興味があれば検索すれば一発で判明するのだが、当時はネットそのものが存在しない。
ハマっているファンが読めないぐらいだから、一般の人が読めないのは仕方がない。
だから「生ョ範義展」を宣伝する場合、その名前自体の宣伝効果はないに等しい。
名前と作品が結び付くのは、出版やデザイン、イラスト界隈の玄人か、熱心なファンに限られる。
今回の展示のポスター、チラシでは、「ゴジラ」と「スターウォーズ」の映画ポスターを手掛けた点が強調されている。
世界的な知名度を持つ作品と、生ョ範義の名前を結ぶ表示なので、これも悪くはない。
ただ、個人的には、ちょっと弱いと思う。
この映画二作のポスターは、たしかに生ョ範義の仕事の中でも傑作が揃っているのだが、他にも多くの優れたアーティストが手掛けている。
生ョ範義一人がイメージを代表しているわけではないのだ。
もう少し、ピンポイントに絞った宣伝もほしいのである。
会場最寄の明石駅で降りると、高架のホームのお城側に、「ようこそ明石へ」と跳び跳ねる鯛の看板が目に飛び込んでくる。
高校生の頃、アホな友人たちと明石で遊んだとき、「いつかあの鯛とったろ!」とか、意味不明のホラ話で盛り上がっていたことを、ふと思い出す。
その「いつか」が来なくて本当に良かった……
などと考えながら、十分ほどブラブラ歩くと、会場の文化博物館に着く。
平日のせいか、ものすごく空いている。
というか、前回の初日土曜日も、ものすごく空いていた。
せっかく「世界のオーライ」生誕の地の凱旋展覧会なので、あまり不景気なことは書かないでおこうかとも思っていたのだが、やっぱり書く。
おれが行った二回とも、はっきり書くと、会場には数えられるぐらいしか人がいなかった。
たまたまおれが混雑に当たらなかったのかもしれないが、twitter等の感想でも「会場ガラガラ」という書き込みが、けっこうある。
今日からGWがはじまるので、一気に客足が増えていてくれると良いのだが、どうなっているだろうか。
おれ個人としては、ガラガラでも全くかまわず、むしろありがたい。
なにしろ、展示内容は本当に素晴らしいのだ。
思い入れのある極上の生ョイラストの原画約170点を、ほとんど貸しきりのような感じで、一点一点じっくりなめるように鑑賞できるのだ。
絵を観るにあたっては、はなれたり接近したり様々な距離でフットワーク軽く鑑賞したくなるものだが、それも自由自在。
たとえば、日本で異様に人気の高い印象派の有名どころの展覧会だと、こうはいかない。
満員電車さながらの混雑の中、流れに従って作品の前をスローペースで通過することしかできず、せっかくの実物との対面にも、物足りない思いが残ることが多い。
だから、ごく年若い頃から大好きだった画家の作品を、これだけ独占的にねぶり上げるように鑑賞できるなんて本当に贅沢な時間で、こんな機会は人生の中でも何度もないことだろう。
個人的には、会期中この状態が続いてくれることが望ましい。
しかし。
もったいないのである。
この素晴らしい展示は、もっともっとたくさんの人が詰めかけるべき価値がある。
今の状態は、どう考えても適正ではない。
なぜなのか?
会期が始まる前からうすうす感じていたのだが、宣伝や広報が上手く機能していないのではないかと思う。
ならば。
微力ながらこのおれが、ブログでしばらく関連記事を連発してみようではないか!
意識的に絵を描き始めた高校生の頃、生ョ範義の円熟期に居合わせた。
本や雑誌を飾る豪華絢爛な表紙絵を見て、「おれもこんな風に描きたい!」と志した。
同じリキテックス絵の具を買い込み、生ョイラストを観て、考えて、真似た。
もちろん田舎の高校生風情が、同じ画材で模倣したところで「こんな風」には描けるはずもない。
それでもできることから一手、また一手と真似るうちに、いくらかの技術はおれの筆にも宿ってくれるようになった。
とにかく枚数を描いて地力をつけるべき時期に、極上のテクニックを持ったイラストレーターに憧れ、ぶつかったことは幸運だった。
そして今まで、どうにかこうにか絵を描くことと関わり続けてくることができた。
わずかなりともご恩返しをせねばなるまい。
生ョ範義を人に紹介する場合、まず最初にぶつかるのは「難読の壁」だ。
ルビなしの状態で「おおらいのりよし」と正しく読める人は、まずいない。
読める人はすなわち、生ョ範義ファンであるということになるので、最初から宣伝の必要がない。
しかし!
名前を知る人、読める人が少ないことと反対に、生ョ範義の絵そのものを見たことがある人は、おそらく膨大な数に上る。
日本在住で、70年代から90年代に本を読んでいた人、映画を観ていた人なら、誰でも一度は表紙絵やポスター等でその作品を見たことがあるはずだ。
そして、「すごい!」「うまい!」「濃い!」「強烈!」等の、なんらかの強い印象を受けた経験があるはずなのだ。
ところが、それが誰の絵であったかということになると、生ョ範義という名前と結び付かないのだ。
実を申せばこのおれも、高校生の頃、文庫本のカバーをめくって「生ョ範義」という漢字を目にしてから一年間ぐらい、読み方がわからなかった。
今なら興味があれば検索すれば一発で判明するのだが、当時はネットそのものが存在しない。
ハマっているファンが読めないぐらいだから、一般の人が読めないのは仕方がない。
だから「生ョ範義展」を宣伝する場合、その名前自体の宣伝効果はないに等しい。
名前と作品が結び付くのは、出版やデザイン、イラスト界隈の玄人か、熱心なファンに限られる。
今回の展示のポスター、チラシでは、「ゴジラ」と「スターウォーズ」の映画ポスターを手掛けた点が強調されている。
世界的な知名度を持つ作品と、生ョ範義の名前を結ぶ表示なので、これも悪くはない。
ただ、個人的には、ちょっと弱いと思う。
この映画二作のポスターは、たしかに生ョ範義の仕事の中でも傑作が揃っているのだが、他にも多くの優れたアーティストが手掛けている。
生ョ範義一人がイメージを代表しているわけではないのだ。
もう少し、ピンポイントに絞った宣伝もほしいのである。
(つづく)
2016年04月30日
ほら、あの凄い絵を描いたのが
前回記事で、その凄まじい実力にもかかわらず、イラストレーター「生ョ範義(おおらい のりよし)」という個人名に今一つ知名度がないのは、「難読の壁」があるのではないかと書いた。
アホみたいな話だが、意外とこういうところが重要なのだ。
もともと難読であることに加えて、「ョ」の字はネットやPCの環境によっては表示されにくく、検索でも「生頼」という表記の方が通りが良かったりする。
当ブログでも、検索結果に反映されやすくするために、正しい表記の「生ョ範義」と合わせて、念のため「生頼範義」という文字列も書いておくことにする。
生頼範義 生頼範義 生頼範義
生頼範義 生頼範義 生頼範義
生頼範義 生頼範義 生頼範義
生頼範義 生頼範義 生頼範義
こんなもんか?
アホっぽい前置きはさておき、絵は見たことがあり、強い印象を受けたにも関わらず、生ョ範義という個人名に結び付いていないと思われる作品について、本日は書いておきたい。
そうした作品は、おれの個人的な「生ョ歴」を振り返るだけでもいくつも見つかる。
実はおれ自身も、ごく年少の頃から生ョイラストに衝撃を受けていたにも関わらず、それを描いたのが誰なのかということには意識が向いていなかったのだ。
【学研図鑑「人とからだ」】
今から思い返してみると、おれの人生初の生ョショックはこの本だった。
小学生の頃である。
学研の図鑑シリーズは親が何冊か買ってくれたのだが、特に好きだったのが古生物を扱った「大むかしの動物」と、この「人とからだ」だった。
写真もイラストも面白いものが満載で、中でも記憶に残っている体内図の何点かが、生ョ範義が描いたものだったのだ。
まるで宇宙船のメカニックのように精緻な眼球や内蔵の断面図。
荒野に立つ血管だけで描かれた男性像。足元にはゼリーのような血球が転がっている。
二才下の弟とともに、興奮しながらページをくっていたのを思い出す。
残念ながら現在、学研の図鑑は全面リニューアルされ、この本はもう新本では入手できないようだ。
80年代から90年代に子供時代を過ごした人なら、「ああ、あの絵か」と記憶がよみがえる人も多いことだろう。
そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!
【吉川英治全集「三国志」】
そして中学生になった頃、父親から借りて読んでいたのがこの本だった。
確か、当時まだ完結していなかった横山光輝のマンガ版の続きが知りたくて、その原作に手を伸ばしたという流れだったと記憶している。
その表紙・裏表紙が、生ョ範義の超絶点描画だったのだ。
野望渦巻く三国志の主要な英雄豪傑が網羅され、あまりにリアルなタッチに、古代中国に肖像写真があったかのような錯覚すら覚える、凄い作品だった。
70年代から80年代にかけて三国志を読んでいた人なら、「ああ、あの絵か」と思い当たる人も多いだろう。
そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!
【平井和正「幻魔大戦」】
中学生から高校生にかけて、SF作家平井和正の作品にハマったことがきっかけで、おれははじめて生ョ範義というイラストレーターの名前を意識することになった。
70年代から80年代の平井和正作品は、その大半が生ョ範義のイラストで飾られていた。
作家とイラストレーターが、共に人気と実力のピークにむけて駆け上がる時期で、まさに「名コンビ」と言える組み合わせだったと思う。
おれは十年ほど後追いのタイミングでこのコンビの本を漁っていた。
当時は今より書籍の回転が緩やかで、近所の本屋でも何年も前の本が入手しやすかったのだ。
角川文庫の棚には緑色の背表紙の一画があって、「幻魔大戦」はじめ大量の平井和正作品が並んでいた。
表紙絵があまりに素晴らしいので、意識的に絵の修行を始めていた高校生のおれは、いったい誰が描いているのかと本のカバーをめくった。
そこに表記されていたのが「生ョ範義」という難読の名前だったのだ。
はずかしながら、正しく読めるようになるまでそこから一年ほどかかったと記憶している。
熱心なファンでもこの体たらくなので、一般の人がこのイラスト魔神の情報に行き着くのにハードルがあることはいたしかたない。
他にも雑誌「ムー」の創刊表紙絵や、SFアドベンチャー誌の表紙絵、小松左京の表紙絵など、80年代のSF界隈のビジュアルイメージを代表する一人が生ョ範義で、当時そこに居合わせた人はかならずあの豪華な絵柄を目にしていたはずだ。
そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!
【ゴジラ】
懐かしの昭和ゴジラ映画ではなく、80年代半ばに復活し、平成へと続くゴジラシリーズの映画ポスターの多くを手掛けたのが、生ョ範義だった。
当時すでに生ョファンだったおれは、遠目にポスターを見ただけですぐに誰が描いているのかピンと来た。
とくに「ゴジラ対キングギドラ」のポスターはあまりにかっこよく、ついフラフラと映画を観に行ってしまったことを覚えている。
映画自体は「なんかビミョー」(個人的感想)という感じだったので、以後はポスターのみ楽しんでいた。
ポスターは、揃いも揃って傑作の連発で、覚えている人も多いだろう。
そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!
おれがリアルな体感として語れるのはざっとこのくらい。
他にももっともっと幅広い、膨大な作品群が存在する。
きっと人の数だけ生ョ体験があるはずだ。
人体イラスト以外は、三国志もSFもゴジラも、今現在大量に原画展示中なのだ!
アホみたいな話だが、意外とこういうところが重要なのだ。
もともと難読であることに加えて、「ョ」の字はネットやPCの環境によっては表示されにくく、検索でも「生頼」という表記の方が通りが良かったりする。
当ブログでも、検索結果に反映されやすくするために、正しい表記の「生ョ範義」と合わせて、念のため「生頼範義」という文字列も書いておくことにする。
生頼範義 生頼範義 生頼範義
生頼範義 生頼範義 生頼範義
生頼範義 生頼範義 生頼範義
生頼範義 生頼範義 生頼範義
こんなもんか?
アホっぽい前置きはさておき、絵は見たことがあり、強い印象を受けたにも関わらず、生ョ範義という個人名に結び付いていないと思われる作品について、本日は書いておきたい。
そうした作品は、おれの個人的な「生ョ歴」を振り返るだけでもいくつも見つかる。
実はおれ自身も、ごく年少の頃から生ョイラストに衝撃を受けていたにも関わらず、それを描いたのが誰なのかということには意識が向いていなかったのだ。
【学研図鑑「人とからだ」】
今から思い返してみると、おれの人生初の生ョショックはこの本だった。
小学生の頃である。
学研の図鑑シリーズは親が何冊か買ってくれたのだが、特に好きだったのが古生物を扱った「大むかしの動物」と、この「人とからだ」だった。
写真もイラストも面白いものが満載で、中でも記憶に残っている体内図の何点かが、生ョ範義が描いたものだったのだ。
まるで宇宙船のメカニックのように精緻な眼球や内蔵の断面図。
荒野に立つ血管だけで描かれた男性像。足元にはゼリーのような血球が転がっている。
二才下の弟とともに、興奮しながらページをくっていたのを思い出す。
残念ながら現在、学研の図鑑は全面リニューアルされ、この本はもう新本では入手できないようだ。
80年代から90年代に子供時代を過ごした人なら、「ああ、あの絵か」と記憶がよみがえる人も多いことだろう。
そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!
【吉川英治全集「三国志」】
そして中学生になった頃、父親から借りて読んでいたのがこの本だった。
確か、当時まだ完結していなかった横山光輝のマンガ版の続きが知りたくて、その原作に手を伸ばしたという流れだったと記憶している。
その表紙・裏表紙が、生ョ範義の超絶点描画だったのだ。
野望渦巻く三国志の主要な英雄豪傑が網羅され、あまりにリアルなタッチに、古代中国に肖像写真があったかのような錯覚すら覚える、凄い作品だった。
70年代から80年代にかけて三国志を読んでいた人なら、「ああ、あの絵か」と思い当たる人も多いだろう。
そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!
【平井和正「幻魔大戦」】
中学生から高校生にかけて、SF作家平井和正の作品にハマったことがきっかけで、おれははじめて生ョ範義というイラストレーターの名前を意識することになった。
70年代から80年代の平井和正作品は、その大半が生ョ範義のイラストで飾られていた。
作家とイラストレーターが、共に人気と実力のピークにむけて駆け上がる時期で、まさに「名コンビ」と言える組み合わせだったと思う。
おれは十年ほど後追いのタイミングでこのコンビの本を漁っていた。
当時は今より書籍の回転が緩やかで、近所の本屋でも何年も前の本が入手しやすかったのだ。
角川文庫の棚には緑色の背表紙の一画があって、「幻魔大戦」はじめ大量の平井和正作品が並んでいた。
表紙絵があまりに素晴らしいので、意識的に絵の修行を始めていた高校生のおれは、いったい誰が描いているのかと本のカバーをめくった。
そこに表記されていたのが「生ョ範義」という難読の名前だったのだ。
はずかしながら、正しく読めるようになるまでそこから一年ほどかかったと記憶している。
熱心なファンでもこの体たらくなので、一般の人がこのイラスト魔神の情報に行き着くのにハードルがあることはいたしかたない。
他にも雑誌「ムー」の創刊表紙絵や、SFアドベンチャー誌の表紙絵、小松左京の表紙絵など、80年代のSF界隈のビジュアルイメージを代表する一人が生ョ範義で、当時そこに居合わせた人はかならずあの豪華な絵柄を目にしていたはずだ。
そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!
【ゴジラ】
懐かしの昭和ゴジラ映画ではなく、80年代半ばに復活し、平成へと続くゴジラシリーズの映画ポスターの多くを手掛けたのが、生ョ範義だった。
当時すでに生ョファンだったおれは、遠目にポスターを見ただけですぐに誰が描いているのかピンと来た。
とくに「ゴジラ対キングギドラ」のポスターはあまりにかっこよく、ついフラフラと映画を観に行ってしまったことを覚えている。
映画自体は「なんかビミョー」(個人的感想)という感じだったので、以後はポスターのみ楽しんでいた。
ポスターは、揃いも揃って傑作の連発で、覚えている人も多いだろう。
そう、あの凄い絵を描いたのが生ョ範義という人で、展覧会が今開催中なのだ!
おれがリアルな体感として語れるのはざっとこのくらい。
他にももっともっと幅広い、膨大な作品群が存在する。
きっと人の数だけ生ョ体験があるはずだ。
人体イラスト以外は、三国志もSFもゴジラも、今現在大量に原画展示中なのだ!