夢枕獏の作品には、代表作の「キマイラ・シリーズ」をはじめ、仏教をモチーフにしたものが多数ある。
中にはお釈迦様本人を主人公にした作品すらある。
●「涅槃の王1〜4」夢枕獏(祥伝社文庫)
およそ2500年前の印度を舞台に、まだ仏陀として悟りを開く前の沙門シッダールタが、それぞれに異能を持つ一行とともにこの世ならぬ異世界を旅する物語。「不死」というテーマをインド神話の切り口から扱った異世界ファンタジー。
物語終盤には仏陀として覚醒するイベントも用意されている。
登場人物にお釈迦様が出てくるものの、既存のいかなる仏伝とも違う内容。
沙門シッダールタの悟りは菩提樹下の瞑想中ではなく、異世界での命を懸けた冒険の最中にもたらされる。
完全なるフィクションであることが前提の釈迦伝異聞で、こうして歴史的事実からはっきりと切り離すことによって描き出せる「物語の中の真実」というものがあり、この小説にはそうした「夢の中のまこと」「虚構の中のリアル」が確かに存在している。
中でも若き沙門シッダールタの性格設定は、非常に納得できる。
作中のシッダールタは、何よりも知的好奇心の人であり、身分制度や時代とともに変わる善悪などを超えた、不変の真理「天の法」を求める青年として描かれている。
美貌で才能に溢れているが、自分のそうした天分にも拘らず、淡々と法を求めている。
どのような身分の者とも、どのような善人悪人とも、変わることなく対等な「友」として語ることができる。
誰もがそんなシッダールタと語り合ううちに「真理」や「天の法」に関心を持ち、ふと今の自分の持つ全てを投げ捨てて、彼と同じ沙門になってしまおうかと、そんな気分にさせてしまう。
一瞬後にはすぐ我に返り、そんなことが出来るわけがないと思い直すのだが、自分にはなれない「沙門」であるシッダールタのことが好きになってくる。
いまだ「覚者」ではなく、真理について確信を持って語れる「偉大な師」にはなっていないのだが、できればこの沙門の行く末を見届けたいと願うようになる。
シッダールタ本人は自分の人格の中の欠落、本質的な「感情の冷たさ」に気付いており、だからこそ真理を悟って「世界に対してもう少し優しくなりたい」と願っている。
読んでいると、若き日のまだ悟りに至る前のお釈迦様は、まさにこうした青年だったのではないかと思えてくる。
おそらく作者の執筆動機の中に、このような沙門・シッダールタとともに冒険の旅がしてみたいという願いがあったのではないかと感じる。
様々な野望渦巻く三国志ばりの大河ストーリーは、それだけでもボリュームとスケールがあり、シッダールタが登場しなくても十分作品として成立しうる。
端役に至るまで丁寧に、最後の一滴まで絞り出すように描き込まれた登場人物の絡み合いは、凄まじく濃密だ。
アクス王の息子たち、アゴンとウルカーンのかみ合わせはもっと見てみたかった気がするが、そのタイミングの手前で二人が本格的に対峙する動機が解消されてしまったので、これは仕方がない。
完結までに十五年の歳月をかけ、ファンタジーという切り口ながら、仏陀の覚醒を描ききった、作者渾身の大長編である。