2016年05月06日

おりがみ「六文銭兜」

 昨日は端午の節句。
 当ブログでは毎年この時期に、おりがみ兜を折って紹介しています。
 5月1日にこの記事をアップしたかったのですが、画像のアップロードが不調で原因究明に時間がかかってしまいました。
 もう子供の日は過ぎてしまいましたが、せっかく作ったので紹介しておきます。

 今年のネタはNHK大河「真田丸」に便乗して、真田幸村の兜を作ってみました。

kabuto-37-02.jpg


 今回は「ユキムラじゃなくてノブシゲじゃね?」とか野暮なことは言いっこなし。
 通念上の「朱塗りに鹿の角、六文銭の前立て」の真田兜を、イメージのまま再現を目指しました。
 土台になったのは以前にも紹介したことのある変わり兜からのアレンジで、六文銭は金色の画用紙から切り出して貼り付けました。
 変わり兜のおり方は、以下の本を参照。


●「変わりおりがみ」杉村卓二著(保育社カラーブックス)

 真田幸村は戦国武将の中でも、むかしから好きでした。
 子供の頃読んだ学習マンガの影響だと思います。
 あの漫画も紹介できないかと検索してみましたが、ちょっと見つけられませんでした。

 大河「真田丸」はかなり面白いですね。
 いずれ感想を書いてみたいです。

 これまでのおりがみ兜まとめ記事は、こちら
posted by 九郎 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 紙(カミ) | 更新情報をチェックする

2016年05月07日

イラストの真髄

 まだまだ書きたりない「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」関連記事。
 まずは、検索にヒットしやすくなる(?)表記で、召喚の呪文から。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 おおらい のりよし おおらい のりよし
 おおらい のりよし おおらい のりよし

 二回目の鑑賞から10日あまり、ずっと展示のことを反芻していた。
 展覧会初日の一回目の鑑賞は、ただただ圧倒されていた。
 一点ごとの密度が異様に濃い原画が約160点。
 十分に鑑賞するにはそれなりの時間や「間」が必要だし、観る方のコンディションも大切だ。
 同日内の再入場はOKなので、間に一度休憩を挟むのがお勧め。
 会場の文化博物館は、明石駅からさほど離れていないし、明石城公園にも隣接しているので、一息入れて散策するのに不自由はない。

 会場に入ってすぐに目につくのは、生ョイラストが使用された出版物多数を、塔のごとく集めて展示した「生ョタワー」で、まずこれだけでも一見の価値がある。
 イラストの仕事は文字情報が入って印刷物になった時点で「完成」なので、このタワー自体がすでに「作品」の現物展示なのだ。
 膨大な数の本を眺めていると、70年代から90年代にかけて本を読んでいた人なら、懐かしい作品を多数見出だすことになるだろう。
「このイラストも生ョ範義だったのか!」
 という再発見もたくさんあるはずだ。
 一般に、イラスト原画と印刷物ではサイズも色合いも違うし、何よりも文字が入っていない分の印象が全く違う。
 それでも生ョイラストは「コストの安い小サイズカラー印刷」という制約の中では、かなり原画の雰囲気の再現度は高いと感じる。
 もちろんそれは、印刷で出やすい色使いであったり、サイズが小さくなっても伝わりやすい構図上の工夫があるからで、原画と見比べることでその技術の一端は垣間見える。
 だからタワーは単なるおまけ展示ではなくて、必見ポイントなのだ。

 タワーのすぐ横の第一展示室には、SFアドベンチャー誌の表紙絵シリーズが多数展示されている。
 個人的にこのシリーズは、生ョ範義のイラスト技術の真髄が全て込められていると思っている。
 モチーフはもっとも得意とするジャンルのひとつである女性像。
 制作時期は技術的なピークに上り詰める80年代。
 マンガの世界も含めて、絵描きの作品は技術的な昇り調子にある時期が一番スリリングだ。
 雑誌の表紙絵なので、画面中央に女性が入り、上部と左右に余白部分を作るという構図は動かせない。
 しかも月刊誌である。
 他の仕事もこなしながら、毎月描かなければならない。
 そんながんじがらめの制約の中、91人のパワフルな「魔女」達が、それぞれに別の強烈な個性を備えて、確かに画面の中に生きている。
 この条件下で91枚の「別の絵、別の女性」を描いたというだけでも人間離れしている。
 しかも出来上がった作品群が、コンスタントにハイレベル。
 まさにイラスト魔神だ。
 そんなシリーズの原画が至近距離で眺められ、何点かは制作前に描かれたデッサンも合わせて展示されている。
 この展自室については個人使用目的なら撮影OK。
 老いも若きも、絵を描く人間にとって、極上の見取り稽古になる展示室だと思う。
 とくにCGに親しんだ年若いイラストファンは、こういうアナログ絵の極みを一度体感しておいた方がいい。
 もともと印刷向けのイラストとはいえ、原画の伝える情報量は桁違いで、とくにパーツごとの絵の具の濃度や塗り重ねの使い分けは、原画を見なければ絶対にわからない。
 レイヤーや色調補整、各種効果がなくても、絵の具と筆と定規などのシンプルな画材だけで、人間の手はここまでの作品を生み出せるのかという驚き、感動があるはずだ。
 極上の原画を体感し、手描きもやってみた上で、あくまで数あるツールの一つとしてCGも使えばいいと思う。
 このところすっかりCGの機能に頼って、アナログを面倒に感じがちになってしまった自戒を込めて、そう思う。
 
 生ョ範義の原画に触れてみてあらためて感じたのは、これだけイラスト技術の真髄を極めながら、それでも「画家」としての意識もあわせ持っていたのだなということだ。
 画家の作品は原画であり、イラストレーターやマンガ家の作品は印刷が前提だ。
 だからイラストやマンガの場合、印刷した状態がベストになるように、原画や原稿はあくまで「版下」として制作するタイプの人もいる。
 生ョ範義の場合は、文字情報が入る「余白」にあたる部分にも、控えめながら「表現」が施されており、原画の時点でも一枚の絵として成立している。
 両者はどちらが上ということではない。
 生ョ範義はタイプとして、画家の感覚も持ち続けていたということだろう。

 絵画とイラストの高いレベルでの両立が、生ョ範義の強烈な個性の基底にあると感じる。
(つづく)
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2016年05月08日

百戦が錬磨した画風

 ネット検索対応、召喚の儀。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 おおらい のりよし おおらい のりよし
 おおらい のりよし おおらい のりよし

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 生ョ範義のイラストは、強烈だ。
 初見のインパクトが凄い。
 書店や街中に生ョイラストがあると嫌でも目にとまるし、一度見たら忘れられない。
 そのインパクトを分析すると、以下のような特徴が挙げられる。

・はっきりしたコントラストの強い色使い
・豪華で、ときに荒々しい筆のタッチ
・卓越した写実

 今開催中の「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」の、2F第二展示室では、手法も制作年代も幅広い、多数の原画が展示されている。
 既に二回展示を観に行って、何周も回ってきたのだが、途中でふと気付いた。
 制作年代順になるように鑑賞しなおしてみると、結構絵柄の変遷があるのだ。
 とくにリキテックスによるカラーイラストは変化が見えやすく、上で挙げたような特徴が高いレベルで確立したのは、1980年の少し手前あたりの時期ではないかと感じた。
 誤解を恐れずに書くと、70年代は写実も色使いも、まだ発展途上だったのではないかと思う。
 
 絵描きの多くは、学生時代に写実表現の修行を積む。
 プロフィールによると生ョ範義は19歳で東京芸大の絵画科に入学している。
 日本中の若者の中から「絵の上手い順」で入るような所なので、10代のうちに写実は一通りハイレベルで習得していたことになる。
 だから「実物モデルを見ながら、じっくり時間をかけて」という条件下であれば、学生時代から描けないものは無かっただろう。
 しかし、そういう意味での絵の上手さと、仕事として注文を受け、納期を守りながら量産する能力は、また別物だ。

 制作時間を短縮し、仕事の質を上げるために、イラストレーターは通常、それぞれの得意分野を絞る。
 肖像、女性像、男性像、動物、植物、風景など、分野を限定することで練度を上げ、資料を集積し、限られた制作時間内でやりくりする。
 生ョ範義の場合は人物像とメカニック表現を軸に、SF表現を含めて求められるあらゆる世界観をカバーしていったのだろう。
 納期のタイトな、印刷前提のイラストの大量受注という条件が、ある意味では生ョイラストの特徴を生み出したのではないかと思う。
 まず、リキテックスという画材がそうだ。
 乾燥が速いので、制作時間を短縮しやすい。
 乾燥前は水で溶けるが、乾くと耐水性になるので、油彩と水彩の両方の技術を使うことができる。
 色数が多いので混色に時間をとられず、発色が良い。
 コントラストの強い、はっきりした色使いや、強めの筆タッチは、原画の雰囲気を小サイズの安価なカラー印刷でも再現されやすくする工夫から生まれたのではないだろうか。
 そして、文字の入る箇所による構図上の制限、注文による画面中の登場人物の指定などは、かえって作品の構成能力を高めるバネとなっていく。
 制作時間と内容のがんじがらめの制限。
 年間100枚を超える受注。
 そうした過酷な条件が、生ョ範義の画風を鍛え上げたのではないだろうか。
 まさに、百戦錬磨である。

 あの生ョ範義ですら、自分の画風を確立するのに10年以上のキャリアが必要だったのではないかと感じたことは、二重の意味で衝撃だった。
 勇気づけられもし、背筋の凍る思いもした。

 とにかく描け、描け、描けと、背中をどやしつけられる、絵描きのハシクレにとってはそんな展覧会なのだ。
(つづく)
posted by 九郎 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする

2016年05月13日

ペンキ絵の究極

 開催中の「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」について、記事を書き続けている。

 ネット検索対応、召喚の儀。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 おおらい のりよし おおらい のりよし
 おおらい のりよし おおらい のりよし

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 生ョ範義のイラストは、よく「重厚な油絵風」と紹介される。
 もちろん私もそう思っていたのだが、今回の展覧会で少し考えを改めた。
 あの画風、あの凄まじい細密描写なので、もっとこってり塗り重ね、サイズも50号とか100号が普通にあるのかと思って疑わなかった。
 しかし、原画の数々に触れてみると、思っていたよりも塗り重ねがずっと薄い。
 かなり絵の具を薄めて水彩画のように描いている部分もあり、濃い絵の具を塗り重ねてある部分は意外と少ない。
 そして、思っていたよりもサイズが小さい。
 もちろん大きな作品もあるのだが、大半は10号とか20号あたりで、絵画としては小品にあたるものが多い。
 印刷物を見ると、大きなサイズに筆でぐいぐいとタッチを重ねている印象があったのだが、小さなサイズに面相筆で細かく描き込んでいる。
 ダイナミックな筆使いと見えていたあのタッチの多くは、実は面相筆による細密描写だったのだ。
 これは考えてみれば当たり前の話で、商業イラストのペースで本当に「塗り重ねたサイズの大きな油絵」を制作し続けることは、物理的に不可能だ。
 あくまで「重厚な油絵風」の視覚効果を持つ、リキテックスイラストなのだ。

 作品を年間100を超えるペースで手掛けるには、サイズは必要最小限でなければならない。
 とくに本の表紙絵向けのイラストは、あまり大きなサイズで原画を描くと、印刷された状態を想定しにくくなる。
 手数もなるべく少なくしなければならない。
 発色をよくする部分は混色を少なく、塗りを薄く。
 重厚さを出す部分のみ、比較的塗り重ねる。
 筆タッチの強調で、手数を減らした写実表現をする。
 これらの特徴は、全て「限られた制作時間内での最大効果」というベクトルを持っている。
 同時にそれは、画面内にメリハリとライブ感を生み、生ョイラストのインパクトの強さ、ダイナミックな画風を生んでいる。


 ここまで書いて、ふと思い出したことがある。
 なるべく手数を少なく筆タッチを生かし、なるべく塗り重ねや混色を避けながらリアルに見せる。
 こうした描き方の特徴は、「ペンキ絵」とよく似ているのだ。
 私は学生時代、短期間だが映画館の看板描きのバイトをやっていたことがあって、その時に心がけていたのが、まさにそのような描き方だった。
 基本は映画ポスターや俳優の写真を、看板サイズに拡大してペンキで描く仕事なのだが、いくつか心がけなくてはならない点がある。
 まず、納期があるので制作時間は非常に短い。
 普通に絵を描くようにじっくり構えていると到底仕上がらないので、下描きも彩色も徹底的に時間を節約しなければならない。
 また、時給計算ではなく一枚描いてなんぼなので、時間をかければかけるほど実入りは少なくなる。
 とにかく速く描く。
 元になる写真にグリッド線を引き、看板にも拡大した升目を引いて、升目を読みながらざっとあたりをつける。
(そう言えば、生ョ範義展でも升目を引いた下描きが展示されていた)
 スライド映写機やOHPなどで手っ取り早く拡大投射してなぞる場合もある。
 ただ、映画ポスターは縦長が多いが、看板は横長が多いので、そのまま拡大できるわけではない。
 あとで職人さんが文字情報を入れるスペースも残しながら、上手く構図を再構成しなければならない。
 ざっとあたりをつけたら色塗りに入る。
 ペンキは混ぜると絵の具以上に発色がガタ落ちになるので、なるべく混ぜない。
 なるべく下地の紙の白を生かしながら、薄めたペンキと刷毛で迷わずスピード感を持って塗る。
 看板は雑多な色彩が溢れる街中に掲げられるので、はっきりした色使いで、コントラストは強めに出した方が良い。
 「上手く描けるなら」という条件はつくが、筆跡を生かしてグイグイ描いた方が、迫力が出る。


 あらためて思い出してみると、もちろんレベルの違いはあるけれども、生ョイラストの傾向と一致している部分が多い。
 私がこれまでに読んだプロフィールには出ていないけれども、生ョ範義は学生時代あたりに映画館の看板描きか、それに類するペンキ絵の経験があるのではないかと妄想してしまう。
 手描きの映画看板は、私が学生時代を過ごした90年代にはもう絶滅寸前だったけれども、昔は画学生や絵描きのシノギとしてはわりとポピュラーな職種だったのではないかと思うのだ。
 確か劇画の池上遼一もペンキ絵の経験があったはずだ。
 もしかしたら生ョイラストの技術は、とんでもないレベルまで洗練された「ペンキ絵の究極」なのかもしれない……

 そう考えると、あらためて敬愛の念が湧いてくる。
 私は高校生の頃、生ョイラストのファンになり、拙いながら真似をすることで技術を学んだ。
 我流ながら生ョ画風を真似し続けた日々のおかげで、進学してから受講した油彩の授業では、それまで全く油絵の経験がなかったのに全然困らなかった。
 映画館の看板描きのバイトをやった時も、社長さんに「なかなか速くて上手いな」と褒めてもらった。
 絵を描くことが収入につながったのは、あのバイトが最初だった。
 あれはみんな、生ョファンであったことの功徳だったのだ。
posted by 九郎 at 05:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする

2016年05月14日

「絵画」だけではくくりきれない画風の謎

 今週、また「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」に行ってきた。
 三回目の鑑賞だが、まだまだ発見があったので、いくつか書き留めておこうと思う。

 まずは恒例、ネット検索対応、召喚の儀。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 おおらい のりよし おおらい のりよし
 おおらい のりよし おおらい のりよし

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 2階展示室を鑑賞していて、ふと気付いた。
 女性の顔アップ「地上より永遠に3」という1987年の作品で、リキテックス使用が多いカラー作品の中では珍しく、パステルが使われている。
 これまで二回の鑑賞ではただ「ほう、パステルか!」と思っていただけなのだが、あるシリーズ作品のことを思い出した。
 今回は展示されていない、平井和正「幻魔大戦」の徳間ハードカバー版の箱絵が、制作時期も絵柄も非常に近いのだ。
 ということは!
 私が大好きだったあの箱絵シリーズも、パステルで描かれているのか?
 好きで眺め続けて二十数年、今やっと使用画材の謎が解けたかもしれない。
 昔から他の生ョイラストに比べると色合いが柔らかいとは感じていた。
 もしかしたら、速乾性のリキテックスではなく、油彩で、画面上で混色しながら描いているのかと想像していた。
 パステルというのは完全に盲点だった。
 一般にパステル画というと夢のように淡い絵柄のイメージが強いと多いと思うが、意外とがっちりした写実表現もできる画材だ。
 木炭デッサンに色をつける場合は、よくコンテパステルと組み合わせる。
 広い面積に手早く色をのせられ、画面上でこすって混色すると油彩っぽい色合いになる。
 油絵のエスキースとして木炭とパステルでざっとスケッチする絵描きはけっこう多い。
 私も二十歳前後の学生時代、木炭とコンテパステルの写実デッサンは好きで、よく描いていた。
 ただ、定着スプレーで色合いが変わってしまったり、印刷では出にくかったり、画面の耐久性が低いので保存には向かなかったりと、少々扱いの難しい画材ではある。
 今回の展示作品も、ちょっと剥落しているように見える箇所もあった。
 パステル系画材の使い方を一応心得た人間が見ても、言われるまでそれと気付かない作品に仕上げてしまう所は、さすがのイラスト魔神である。

 もう一つ。
 一階展示室のSFアドベンチャー誌の表紙絵シリーズの中の、「ブラディ・メアリー」という作品を見ていて、中央の女性の背後にガンダムの頭のシルエットが重なっているのに気付いた。
 1987年という制作時期とアンテナの形状から、映画「逆襲のシャア」のνガンダムだろうと思う。
 そう言えば「逆シャア」の予告ポスターは生ョ範義が描いていた。
 この表紙絵も、なんらかの予告的な絵だったのだろうか。
 昔のことなので、当時の事実関係のことはあまり覚えていない。
 映画「逆シャア」の予告ポスターを見たときは、「あれ? 意外と大河原邦男の絵と似てる?」と思ったことは覚えている。
 ガンダムのメカニックデザインの大河原邦男は、ポスターカラーと定規や面相筆を使ったデザイン系のテクニックで独特のイラストを描いていた。
 生ョ範義の画風は重厚な絵画調のイメージが強いが、メカニック表現という分野に限定すれば、絵画というよりデザイン系のテクニックに近いのかもしれない。
 一旦そこに気づくと、生ョイラストの、とくにメカニック表現が含まれた厚塗りの部分は、芸大で学んだ油彩というよりは、デザイン系のポスターカラーのテクニックが導入されているのは間違いないと思えてくる。
 どのあたりのタイミングでそうしたデザイン系のテクニックを身に付けたのか、まだまだ興味は尽きない。

 会期末まであと二週間。
 見取り稽古の内容をよく反芻しながら、もう一回ぐらいは行きたい。
posted by 九郎 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする

2016年05月22日

いかにして生頼範義となったか

 継続して記事にしてきた「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」、いよいよ会期の残りは一週間。
 なんとか時間を見つけて最後にもう一度、行っておきたい。

 まずは恒例、ネット検索対応、召喚の儀。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 おおらい のりよし おおらい のりよし
 おおらい のりよし おおらい のりよし

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 生頼範義が私たちの知るあの画風を練り上げるまでに、どのような道筋を辿ってきたのか?
 油彩による写実表現だけではなく、ペンキ絵やポスターカラーによるデザイン系の技術もどこかで導入しているのではないかと、展示を繰り返し見ながら、あれこれ想像してきた。

 生頼範義のプロフィールについては、手持ちの資料のなかでは以下の図録がもっとも詳しい。

●「生ョ範義U 記憶の回廊 1966-1984」
 昨年みやざきアートセンターで開催の展示の図録である。
 生頼範義のイラスト世界の前半部分をカバーした極厚の一冊で、今ならまだプレミア価格はついておらず、定価に近い値付けになっているようだ。

 19歳で東京芸大油画科に入学とあるので、入学前の十代の頃から写実デッサンについては高いレベルの技術を身に付けていたことは間違いない。
 同級生の間でも「上手い」「ミケランジェロのような絵を描く」と評判だったようだ。
 指導教官は小磯良平で、ご子息のオーライタローさんによると「あまりそりがあったようにも思えない」そうだ。
 たしかに絵柄から受ける印象は全く違うけれども、技術面で見ると「必要最小限の手数と塗り重ねで、筆タッチを活かして写実の最大効果をあげる」という点では、共通点も見える気がする。

 そう言えば、私の学生時代の絵画の指導教官の一人が、小磯良平門下の先生だったことなど、ふと思い出す。
 先生の作品はけっこう好きだったのだが、指導はあまり合わなかったっけ……
 その節はお世話になりました。

 その後の生頼範義は、22歳で芸大を中退。
 当人は「学校で習うことはもうない」「学費が続かなかった」と、おそらくどちらも本当の事情を、近い人には語っている。
 中退後は4年間に5回引っ越したり、二度放浪の旅に出て消息不明になったりしたことがあるそうなので、なんとなくそうしたボヘミアンな生活を経てみたい、人生の一時期だったのではないかとも感じる。
 25歳で油絵個展を開いているが、当時の絵を見ると、必ずしも「写実」は志向していなかったようで、私たちの知る生頼範義の画風とは全く違う。
 ちょっとモジリアーニ風の、おそらくじっくり制作時間をかけ、塗り重ねた人物像だ。
 この個展での「絵は一枚も売れなかったが、気に入ってくれた人もいる」という体験は、「イラストレーター生頼範義」の形成には意外と重要だったのではないかと思う。
 絵描きの多くは、よほど幸運に恵まれた例外を除き、若い頃に「描きたい絵では金にならない」という壁と向き合う。
 それは技術的な巧拙、表現のレベルとは関係なく、誰もが一度はぶつかる壁だ。
 自分の表現と、経済の折り合いをどうつけるかということは、その後の絵描きの作品そのものにも影響を与えるのだ。

 27歳で結婚、本格的にイラストの仕事を開始。
 それまでは大工見習いなどの肉体労働を含めて様々な仕事を遍歴したという。
 その中に、映画館の看板描きや、デザイン事務所でのアルバイトなども含まれているのではないかというのが私の想像だ。
 写実の技術を持っていると、そうした職種には対応しやすい。
 ただ、表現としての絵画とはまた違う意識が必要だ。
 若き日の生頼範義の画風から考えると、「自分の絵ではそういうことはしないでおこう」と思っていたことばかりしなければならなかったことだろう。
 そこで意識を切り替え、デザイン系の画材の扱いを吸収し、イラスト仕事に徹したことが、私たちの知る生頼画風の誕生に繋がったのだと思う。

「生活者としての絵描きは
 肉体労働者にほかならぬ。」

 そんな言葉を、生頼範義自身が残している。
posted by 九郎 at 22:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする