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2016年07月13日

言論の不自由と透徹した知性

 本日、唐突に皇室に関するニュースが流れた。
 その一報を目にして、ちょっとなんとも言い様のない感慨を持った。

 今の天皇皇后ご両人については、常々そのお人柄と透徹した知性に、最上級の敬意を持ってきた。
 私は絵描きなので「天皇という制度や権威」には、正直なんの敬意も持てない。
 先代の昭和天皇の時代、私はまだ子供だったので、とくになんの思い入れもないし、判断基準を持たない。
 次代の皇太子については、即位してから色々思うことはあるだろう。
 私が抱くのは、あくまで今の天皇皇后ご両人という、個人に対する敬意だ。
 日本で一番言論の自由のない立場にありながら、がんじがらめの制約の中で、ただ移動し、言葉を発するタイミングのみを武器に「さあ考えてくれ、判じてくれ」とメッセージを発し続けていると、そのように私にの目には映るのだ。

 今日もまた、そんな黙示があった気がする。

 我が国の総理大臣なる人物の、幼稚にして醜悪な、腐臭漂う姿にうんざりしきっていた今日この頃。
 一陣の風が吹き抜けたような爽やかさを感じたのである。



 関連して、昨年末に投稿した記事を以下に再録しておこう。
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 書店でタイトルを見た瞬間に衝撃を受けた本がある。
 著者名を見て即買いし、読み耽った。
 読後「これは今年の一冊になるな」と思い、ブログでも早々に紹介したいと思っていたのだが、なかなか語る言葉が見つからずにいた。
 実は今も、適切な紹介の言葉が出てこないので、ごく簡単な覚書として書き留めておきたいと思う。 


●「ふたり 皇后美智子と石牟礼道子」高山文彦(講談社)

 メインタイトル「ふたり」に表されている通り、様々な「ふたり」の関係がルポされている。
 中でも主軸になるのが、二人のミチコ、サブタイトルの「皇后美智子と石牟礼道子」である。
 皇后と、水俣の語り部にして「苦海浄土」の著者・石牟礼道子。
 立場も含め、全てが遠く隔たった二人に、いかなる関係が存在するのか?
 私は水俣と天皇家について多少の知識があったので、息を殺しながら、時間をかけて丁寧に読み進めた。
 結果、確かに二人のミチコの間には強い絆が存在すると納得した。
 それも、簡単にお互いへの敬意とか友情とか表現できるような絆ではない。
 そうした感情はもちろん含まれているだろうけれども、それはもっと激しく鋭利なものなのではないかと感じた。
 孤独な二人の幼女が、泣き叫びながら白刃を突き付け合って、それでもお互いから目を離せないでいる。
 あくまで私の勝手な想像だが、そんなイメージが浮かんでくる。
 
 今はこんな感想の断片しか書けないのだが、これからも折に触れ、読み返したい一冊になった。


 そしてこれまでに読んだ本の中から、今回の一冊と(ごく私的な捉え方として)深く関連すると考えるものを挙げておきたい。


●「黄泉の犬」藤原新也(文春文庫)


●「なみだふるはな」石牟礼道子 藤原新也(河出書房新社)
posted by 九郎 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする