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2016年10月30日

人物描写の織り上げるリアリティ

 ちばてつや「おれは鉄兵」について記事を書いているうちに、様々な記憶がよみがえってきた。
 これまでも「大好きな作品」と認識はしていたのだが、同じ作者の「あしたのジョー」や、永井豪「デビルマン」のような、「人生最上級のマンガ体験」の中には数えていなかった。
 どちらも中学生の頃、読みふけった作品である。
 思春期に好んだ作品は、どうしても記憶に残りがちなのでそうなるのだが、もう少しさかのぼって子供の頃読んだ作品の影響というのも、普段あまり意識しなくても確実にあるのだ。
 今回記事を書いてきて、あらためて自分は「おれは鉄兵」に多大な影響を受けてきたのだなと再確認した。
 私が中高生の頃の生活風景が、「鉄兵」に描かれる学園生活、とくに後半の東台寺学園の風景と似ていたことに気づいて、懐かしみながらもちょっと苦笑してしまった。
 思いつくままに書き残しておこう。

 私は小4から剣道を習いはじめた。
 当時ちょうど「おれは鉄兵」を愛読していたと思うのだが、剣道を始めたのはマンガの影響と言うより、もっと小さい頃から「サムライ」や「日本刀」などに憧れていたせいだ。
 私はわりと幼少の頃の記憶がある方で、幼稚園に向かう路線バスの中から武道用品店の看板だか広告だかが見えていて、「よし、小学生になったら剣道をやろう!」と密かに考えていた憶えがある。
 サムライ趣味は、おばあちゃん子で再放送の時代劇をよく見ていたせいかもしれないし、「サスケ」や「カムイ外伝」などの忍者アニメを見ていたせいかもしれない。
 だから、小さい頃は「忍者になりたい」と思っていた。
 どうやら忍者は今いないらしいと分かってからは、「じゃあ刀鍛冶になろう」と思って、せっせと肥後守を磨いたりしていた。
 小4で習いはじめた剣道クラブは、警察官で七段とか五段とかの先生方がずらっと並んで教えてくれる、物凄く豪華で正統派の道場だった。
 とくに小学生には、細かなテクニックより大きく正確な剣道を教える方針だったので、「鉄兵」で描かれるトリッキーなケンカ剣法は入り込む余地がなく、子供心に「マンガとはまた別」と分けて考えていた。
 マンガで描かれる戦法はあまり参考にならなかったが、子供の頃から小柄だった私は、同じく小柄な鉄兵の精神性からはけっこう影響を受けた。
 相手がいくらデカくても気合負けしないこと、相手をよく見てちゃんと考えて戦うことだ。
 私はいわゆる「運動神経」はさっぱりで、球技などはまったくダメなのだが、剣道だけはなぜか性に合っていたらしい。
 小柄ながら、道場では一番強い部類に入ることができたのは、鉄兵のおかげかもしれない。
 私立の中高一貫、中堅受験校に入ってからは、私の主要な興味はだんだん絵を描く方にシフトしていったので、剣道の方はフェードアウトした。
 それでも高二くらいまで剣道部の対外試合には駆り出されて、一応団体戦の「勝ち要員」の内の一人に数えられていた。
 小中学生の頃の練習の「貯金」でなんとかそこまで持たせられた感じだ。
 そして、サボりながらも剣道で作った体力的、精神的な貯金は、もっと後々まで私を支えてくれた。
 習っていて本当に良かったと思う。

 中高生の頃は、剣道の描写と言うよりは、学校生活の風景が「鉄兵」作中の東台寺学園とそっくりだった。

 中高一貫の、ほぼ男子校。
 学内に寮もある、古風なバンカラ気質。
 体罰上等の厳しい指導。
 留年生もたくさんいる成績別クラス編成。
 学校敷地に隣接する裏山。
 入学当初の下級生からは、まるでおっさんみたいに見える上級生の先輩たち。
 浮世離れしたバカ騒ぎ。

 こうして書き出してみると、本当によく似ている。
(残念ながら、わが剣道部は弱小だったので、そこは全く似ていない)
 私の中高生時代と東台寺学園が似ているのは単なる偶然だが、あらためて驚くのは作中の学園生活の描写の密度である。
 旧制高校っぽいバンカラ風景を、これだけ濃密に描いたマンガ作品はあまり例がないのではないだろうか。
 私が大好きな東台寺の脇坂主将や、王臨の吉岡主将の大きさ、大人びた雰囲気は、昔私が先輩たちに感じていた雰囲気そのままだ。
 ちばてつやの、端役に至るまでそれぞれの登場人物の日常生活まで感じさせる筆致が、人物描写にとどまらず、東台寺学園という学び舎まるごとにリアリティを持たせてしまっているのである。
 私も鉄兵と同じく、放課後裏山に入り、軽い登山をしたりスケッチをしたりして、一人「修行」に励んでいたものだ。
 だから「おれは鉄兵」を再読していると、「子供の頃大好きだったマンガ」という以上の懐かしさが感じられて仕方がないのである。

 鉄兵の「精神性」は、今でも私の中に息づいている。

●定められたルールの中でも、あくまで自己流を貫き通せ!
●決してあきらめず、糞まみれになっても戦い抜け!
●手段を選ぶな! 邪道も極めれば正道に匹敵する!

 作中剣道編のクライマックスで、一刀流の極意を使う菊池というキャラクターを相手にした名シーンがある。
 菊池の澄み切った「明鏡止水」の境地に対し、鉄兵は「なめやがって、どたまかち割ってやる!」という邪の一念で応じる。
 体力、技量、気力の戦いの果てに、正邪の区別がなくなるという描写が、なんとも凄まじい。
 邪念も貫き通せば、それはそれで澄み切るのだ。
 ただ、邪道は正道に並ぶことはできても、超えることはできないと描写されているところが、またリアルで良かった。
 描写がここまで来てしまえば、もう剣道というテーマで描くことは残っていない。
 作者は賢明にもこの戦いで「剣道編」を終え、再び「埋蔵金発掘編」へと帰還していくことになる。

 それは、「読み終わったら、それぞれの宝探しに出かけてみないか?」という、作者からの誘いのようにも見えるのである。

(マンガ「おれは鉄兵」紹介、終)
posted by 九郎 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 児童文学 | 更新情報をチェックする