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2016年11月24日

加筆再構成:デッサンと見取稽古5

 私の一年間のデッサン修行は、前半の半年が鉛筆、後半の半年が水彩と、木炭による石膏デッサンに費やされることになった。
 志望校の過去問を調べた結果から立てられた対策である。
 過去問によると、傾向は毎年違うのだが、水彩による平面と、立体造形の二問が出題されるらしいことがわかった。
 少し注意を要したのは、平面作品は基本的にモデルが用意されない状態で、想像で描かなければならないらしいこと、立体は紙や粘土など、素材も分野もばらつきがあって、事前の準備が難しいらしいことだった。
 平面でモデルが用意されず、問題文に則した作品を2時間程度で制作しなければならないということは、試験本番までに身の回りのものは一通り水彩でデッサンしておく必要があることになる。
 問題文によっては人物や風景画の要素も含まれる可能性がある。

 モデルが用意されず、想像で描くタイプの出題は、教育系の美術実技やデザインの分野でわりとよくある。
 身の回りのものに対する普段からの観察力が問われる問題背設定だ。
 何の気なしに生活していると、ものの大きさのバランスというのは意外に分かっていない。
 たとえば部屋の中の様子一つとってみても、椅子や机は高さ何センチぐらいで、窓はどんな風についているのか、ドアや畳の大きさ、天井の高さなど、いざ想像で絵に描いてみようとすると、分からないことだらけであることに気づく。
 机の上に並べたものを実際に観ながらのデッサンであればかなり写実的に描ける人でも、何も見ずにいきなり「窓辺の情景」を描いてみろと言われると、勝手が違って子供のような稚拙な絵になってしまうこともあるのだ。
 このあたりは、デッサンの修練というより、普段からどれだけものをよく観て、マンガやイラスト風でもいいから描き続けているかどうかが問題になってくる。
 そして私の場合、そちらの方面は、教室に通い始める以前に膨大な量の蓄積があった。
 同時に、子供の頃からの「工作遊び」や「模型制作」の蓄積もあったので、立体表現でどんな素材が出てこようと、ビビらず対応できる自信はあった。
 子供の頃からのお絵描きや工作で蓄積されたセンスに、写実デッサンの訓練を通してがっしりとした骨組み通すことが、受験対策に費やした一年間の私のテーマだったのだ。

 入試では美術実技の他に、作品に小論文を添えて提出する場合もあり得たので、そのための資料調べも欠かせなかった。
 日曜の午後、絵画教室が終わった後は図書館に直行して、美術や教育、心理に関する言葉や考え方を仕入れるために、様々な本を読み漁った。
 図書館には有名画家の画集や美術全集も揃っていたので、片っぱしから手にとった。
 一つの分野について読書を進めると、その分野を通して他の分野のこともよく理解できるようになってくる。
 たとえば日本の美術史について勉強すると、密接に関連した日本の歴史や建築、仏教思想についても知識が広がる。
 同様に西洋美術について本を読むと世界史や思想について知識が得られ、日本と西洋を対照させることで、現代文の設問でよく取り上げられる、東西の文明比較のパターンも、よく理解できるようになる。
 自分の関心のある分野の読書を進めることは、学校ではバラバラに教わりがちな各教科間の学習内容を、自分の中で横断的に結びつけて理解することに役立つ。
 私の場合、美術系の受験対策をメインテーマに据えたことで、結果的には他の教科の学習も進むことになった。

 最近、受験生をもつ保護者の間で、「やる気スイッチ」という言葉がよく話題にのぼっているようだ。
 それまで今一つ勉強に身が入らなかった受験生が、何かのきっかけで突然やる気を出して猛然と勉強し始める現象は、とくにそれまで部活に熱心だった生徒などによく見られる。
 思い返してみると、ずっと好きだった美術で志望校を決め、具体的な合格戦略を練り始めた辺りが私の「やる気スイッチ」だったのかもしれない。
 受験校である中学高校ではどうしても勉強に身が入らず、厳しい体罰で殴られてばかり。
 成績別クラス編成では常に最下位クラスで、友人の多くが学年を変わるごとに学校を去る。
 あまり良いことはなかった学校生活の中、唯一活躍できたのが、絵を描くことだった。
 大学受験が迫る中、せっかく好きな美術を目一杯学ぶ環境に恵まれたのだから、ここで頑張らなければ自分にはもう他に何もないと思った。
 美術実技を中心にした受験対策がうまくハマり、学科の方の成績も順調に伸びた。
 他の教科の学習法にもちょっとした工夫があったのだが、話が長くなるので今回は省略。
 確か高三の秋の模試あたりでは、もう第一志望でA判定が出ていたと思う。

 その頃から、高校の先生方の感触が変わってきた。
 それまでは先生方にとってもほとんど経験のない美術系受験ということで、正直、厄介者だったと思うのだが、どうやら合格の見込みがあるらしいということで評価が裏返ったのだ。
 受験校では進学実績こそが至上価値である。
 国公立大に滑り込める「弾」は、形はどうあれ貴重なのだ。
 高三の2学期末試験を終え、卒業も確定すると、私は校内で完全に「放し飼い」状態になった。
 学校内に美術実技の指導ができる先生はいなかったので、私は一人美術部室に籠って好き勝手に絵を描いていることが許された。
 厳しい先生方も「あいつはもう好きにさせといた方がいい」と納得してくれたのだ。

 こうして不思議に軽々とした雰囲気の中で、私の大学受験は過ぎ去っていった。
 背負える武器は全部背負い、90年代前半の学生生活へと、私は突撃していった。
(「デッサンと見取稽古」完)
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 妄想絵画論 | 更新情報をチェックする