このカテゴリの名であるサブカルチャーという言葉も、その意味するところはかなり幅広い。
万人に共通の定義などありはしないので、それぞれのイメージで語るしかない。
私にとっての「サブカルチャー」が囲む領域は、「駄菓子」という言葉がカバーする範囲に近似する。
昔であれば「駄菓子屋」の店頭で扱われる商品が、ほぼイコール「サブカルチャー」ではないかと思うのだ。
それは、基本的には子供のお小遣いで消費されるものである。
それは、駄菓子である。
それは、オモチャである。
それは、付録付き子供雑誌である。
それは、「あてもの」である。
それは、あまり心身の健康には良さそうに思えないものである。
それは、子供の物欲や射幸心を煽るものである。
それは、「親に買ってもらう」幼児期から抜け出た、子供自身のはじめての消費行動である。
それは、子供の父兄はあまり推奨しない類のものである。
にもかかわらずそれは、この混沌たる世界で生きていかなければならない子供の心身の発達に、欠くべからざるものである。
これが、私の持つ「サブカルチャー」という言葉のイメージだ。
もちろん子供時代を脱し、青少年から大人にかけてのサブカルもある。
各年代が各年代相応の楽しみとしてサブカルを消費するのだけれども、基本的にはそれぞれがそれぞれの「子供の部分」を引きずりながら、小遣い銭の範囲で蕩尽するのがサブカルなのではないかと思う。
私が上記のような意味での「サブカルチャー」を、現役の子供として体験したのは、1980年を真ん中にした3〜4年ほどだった。
当時は既に文字通りの「駄菓子屋」はほとんど存在しなかったが、「駄菓子屋的な品ぞろえのお店」は近所に何か所もあった。
本来はパン屋であったり雑貨屋であったり本屋であったりした店舗が、1980年頃にはまだうじゃうじゃとそこらを走り回っていた子供たちをメインターゲットにして、駄菓子やオモチャや「あてもの」や付録付き子供雑誌を並べた結果、どこも似たような品ぞろえになっていたのだ。
そして、まさにその当時、そうした「子供相手の駄菓子屋的なお店」を空前のバブル景気に湧かせたのが、ガンプラブームだったのである。
それぞれの年代で「子供時代に一番楽しんだ遊び」は異なる。
マンガや子供番組やゲームは、作品が変遷しながら今に続いているけれども、私が子供時代を過ごした1980年前後は、特に男子の場合は完全に「ガンプラの時代」だった。
それなりの技能が要求された当時のプラモは、本来ならかなりマニアックなホビーなのだが、それが一番人気であった所に私の年代の特徴があったと言えるかもしれない。
ガンプラブームが終息し、子供の数がピークを過ぎたあたりから、私たちが日参したようなお店は徐々に閉店していき、90年代にはもうほとんど残っていなかったと思う。
あれからさらに少子化が進んだ現在では、純粋に「子供相手」だけの小規模店舗は成り立たなくなっているだろう。
それでもこの世に「子供」が存在する限り、「駄菓子屋的なもの」も必ず残る。
今でもコンビニやスーパーの一画には必ず、安くて少量の駄菓子や、あてもの、食玩、子供雑誌が並ぶコーナーがある。
私の愛してやまないサブカルチャーであるプラモデルも、1980当時のような「子供のホビーの王様」の地位ではないけれども、食玩の中の一種として細々とであるがしぶとく生き残っているのだ。